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食べ物レポート

名古屋でモーニング

朝食は喫茶店という文化は素晴らしい

名古屋で喫茶店に行くと、色々とおまけがついてくるという話は有名だと思うが、特にモーニングセットが一味違う。普段はホテルで済ませることの多い朝食を喫茶手で食べてみる価値はありそうだ。

名古屋の下町という大須観音のあたりは、食べ物や、居酒屋などがごちゃごちゃと固まっているカオスな街並みだ。その中の一軒、「コンパル」に開店とほぼ同時に乗り込んだ。にもかかわらず先客が何組もいる。超常連組かと思われる高齢者軍団だった。コンパルは他にもいくつか支店があり、メニューがそれぞれの店で微妙に異なるらしいのだが、モーニングは同じようなのでお試しに大須に来た。

コーヒーは、濃い。昔のおっちゃんたちがミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んでいた時代のコーヒーだ。ミルクのピッチャーが泣かせる、味がある。

そして、モーニングセットのハムエッグトースト ¥130なり。このホットサンドもどき、中身は卵とハムのトーストサンドは、予想外にうまい。周りにいる常連客の半分くらいが、こいつを頼んでいた。確かに、コンビニで買うサンドイッチの半値くらいでこれが食べられるのだから、名古屋の人は幸せだ。

おまけは、びっくり名古屋めしの大関クラス、小倉トースト。あんこはしっかり甘い。あんこの下はたっぷりバターなので、最近はやりな「あんバター」の発祥は名古屋だったとわかる。しかし、あんこにバターとはいったいどのような発想から生まれるものだろうか。きっと何十年か前に、バタートーストの上に、間違ってアンコ落とした奴がいるのだよね。そして、それを「アア、もったいない」といって食べた締り屋さんも。
まあ、人類史の中で新しい食べ物が生まれる時は大体そんなものだよ。人類で初めて海鼠を食べたやつとか、初めてウニの殻を剥いて中身を食べたやつとか。そういうおっちょこちょいには感謝しなければならない。名古屋の、多分、喫茶店のおっちょこちょいにも感謝しよう。

表に出て看板を見れば、納得の分かりやすさ。店内でメニューを見るとコーヒーが400円で、ハムエッグトーストは130円なのだが、看板はモーニングセット合計額で表記、合理的で分かりやすい。ただし、ランチに関しては価格が分からなくなっても気にしないのも名古屋流なのか。実は、この「コンパル」ではランチのメンチカツサンドの方が有名らしいので、今度は昼に来なければいけないと決心しつつ、名古屋は喫茶店で朝食が正しいと納得できた。

街を歩く

上野駅でぶらぶら 

下町の洋食屋とは

お江戸の下町には老舗と呼ばれる洋食屋がたくさんあるが、「じゅらく」はその筆頭と言いたい。洋食と言うよりも大衆食堂であり、ステーキと酢豚と日本酒が同居する店だからだ。浅草の神谷バーも、バーとは言いながら大衆食堂だと思っている。テレビによく出てくる下町洋食シェフの店とはちょっと違う。おそらくデパート大食堂の源流であり、たまの休みのハレの食事としての食堂だったはずだ。

進化型酢豚??

今では、外国人観光客の方が多いような気がするJR上野駅前の「じゅらく」にふらっと立ち寄った。たまたま待ち時間がなかったので入る気になったのだが、いつもは30分程度待たされることも多い人気店。カンターに一席だけ開いていたのはラッキーというもので、軽く食べるつもりがついついガツンと注文してしまった。

まずは酢豚でビールを1杯。スバ歌は本当にローカルルールが多くて、中の具材はいってみれば店任せ。ここのうちの酢豚はなぜか21隻的進化を遂げたらしく、赤・黄・緑の三色野菜は、なんとパプリカだ。人参は入っていない。あとは筍の代わりが蓮根。確かに根菜は栄養たっぷり、食物繊維多しで竹の子よりもヘルシーかもしれないが・・・。これは、イメージの中にある原型酢豚とは似て非なるものと認定するしかない。いやー、下町老舗も進化は激しいなあ。それも、違う方向のような気がする。

気を取り直して定番オムライス。そしてあえてソースはケチャップ味を注文。お皿もお洒落ですけど、このケチャップのバランスおかしくないですか?デミグラソースだとこれくらいの量はかかっていて欲しいが。ケチャップ好きですけど流石にこれは多いかと・・。中身のケチャップライスも、もう一息という感じで、
しみじみ現在進行形で下町の料理は変化していると気がつかされた。

その後目的地、国立科学博物館へ。お目当ては恐竜展。そして子供が少ない平日の午後を狙って行ったのだが、これは予想が間違っていた。世の中に、恐竜好きの大人は意外と多いのだな。そして、若いカップルがデートしていたり、なぜかおばあちゃん単独とか、びっくりする来場者像。そして、2割くらいは外国人観光客だった。さすが、上野の博物館はインターナショナル。

ようやく世間的に浸透してきた、恐竜には羽毛が生えていたという事実。要するにダチョウのような姿が恐竜なのだよということだ。恐竜はバランスを取るために長い尻尾があるので、ダチョウのように直立姿勢では走れないが、首肩尻尾まで地面に水平にして走るダチョウをイメージすれば、まさしくリアルな恐竜の姿ということだ。

そして鶏みたいな小さな恐竜が、あちこち群れていた。それが現在の恐竜像だ。あの有名なティラノサウルスレッスですら羽毛があったというし、色も鳥のように赤とか黄色とか鮮やかだったらしい。ピンクのティラノサウルスって、あまり怖そうではないが・・・。ひよこが大きくなったような恐竜は、見たくない気がする。

だから全身骨格像も、最近では直立していない前傾姿勢が標準的なりつつある。ジュラシックパークあたりから、だんだんと変化してきている。最近のNHKの恐竜解説番組は、その辺りの最新知識で補強されていたので、映像的には斬新だった。

今回は新種の展示もあったせいか、随分と混雑していたが、この辺りの真・恐竜像を理解しておかないと展示会で子供たちに笑われてしまうかもしれないので、中高年は事前に予習をしてから恐竜展にいきましょう。特に恐竜好きの子供のお父さん、要注意でありますね。

書評・映像評

蜘蛛ですが、なにか  

現代的会話饒舌体の極致か

表紙 by Amazon

饒舌体は古くはサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」、そして庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」あたりで一般化された一人称の語り口だと思う。その後、椎名誠のエッセイ「さらば国分寺書店のオババ」あたりから言われるようになった「昭和軽薄体」辺りで確立された。
「僕は」「わしは」「俺は」ではじまる思考をそのまま吐き出すような文体だ。ラノベではいわゆる一人称視点での物語が多いのが、あまり饒舌たいが目立つことはないのように思う。現代的な単語を使いながら実のところ文体自体は保守的というか、標準的な書き手が多いような気がしている。ところが、この本の著者はまさしく平成最後の時期に新饒舌体を打ち立てたのではないか。ラノベ全部を読んでいるわけでもなく、似たような語り口の作家がいるのかもしないとは思うが。


ストーリーはよくある転生もので、授業中の高校教室内での爆発によるクラスメートの集団転生、それも人族以外の種族にも(モンスターにも)転生するというあたりが多少ユニークだが、転生先は魔術が通用し、魔物が人族の天敵であるというおきまりのパターン。

この話のユニークさは、主人公が人以外に転生したというあたりなのだがこれは先駆者としてスライム転生ものが大ヒットしているので、二番煎じと言われればそれまで。コミュニケーション障害気味のクモが主人公というあたりは、屈折キャラが主人公になって一人称で喋る(語る)という点で、まあまあ面白い設定かもしれない。

もう一つの特徴として、登場人物への感情移入が難しい。まるで、ト書きを読むような立ち振る舞いとでも言えば良いのか、主人公である蜘蛛のモンスター以外に、それ以外のキャラクターの感情が受けとれない。その結果、主人公である蜘蛛子の成長物語では、それなりの面白みも感じられるのだが、他のキャラの絡んだ話になると、まったく違うストーリーかと言いたいくらい平坦なものになる。

崩壊しつつある世界であり、それを支えようとするものと、崩壊を加速させようとするものの戦いが設定上はあるのだが、そのどちらのサイドのキャラにも、必死さというか、必然的な努力なのだということが感じ取れない。そうなると蜘蛛子の成長ストーリーが止まると、話自体が停滞する。
実際、7巻あたりから急速に話の展開が遅くなり、質的な低下とすら言いたいくらいだ。

ラノベの典型として、巻数が伸びるごとに質的劣化が起きるのは、希薄な設定、あるいは簡素な設定しかなく、人気が出て巻数が伸びると世界展開に耐えきれなくなるせいだ。一般的にシリーズ物で、大長編化している成功作では、だいたいが1話完結式になっている。キャラのサイドストーリーで引っ張るという手法は、週刊少年ジャンプ的ではあるが、あれは刊行ペースが早いからできる荒技であり、1年に2−3冊のペースでは、持たない手法なのだろう。

物語としては、そろそろおしまいが見えてきているようで、伏線を回収しつつ収束させる段階だと思われる。尻切れとんぼにならない程度にはまとまってきていると思うが、夢落ちなどのどんでん返しは期待しないので、兎にも角にも無事最終巻を迎えて欲しい。浅い巻数の段階では全くキャラ立ちしていなかった連中が、なにやら心の葛藤を見せ始めているので、案外最終巻では大化けするのかもしれないと期待しつつ。

ちなみに、この蜘蛛子の話のきっか絵になったスライム転生ものでは、最新刊は物語破綻としか言いようがない「少年ジャンプによくあるキャラ総出演の大乱闘」だった。良くも悪くもラノベが少年ジャンプ直系の子孫であることの良い見本だろう。この話も、大団円とは大乱闘と同じことになるのかという危惧を抱きつつ。

食べ物レポート

9月のお気に入り

牛タンの利久

仙台名物牛タンは、麦飯とテールスープの三点セットが定番だ。そこをちょっとずらして、牛タン単品を頼み、冷酒「浦霞:でちびちびとというのは、かなり楽しい有色のあり方だと思う。牛タンは塩漬けにしてあるので、何も調味料がいらない。適度に固く、適度に油が染み出してくる旨さは、白飯が良い派と酒が良い派に分かれるはずだ。(と我田引水な牛タン理論)口の中にあふれる油を打ち消すためには浅漬けを一口摘む。箸休めのように南蛮漬け(唐辛子の味噌漬け)も楽しむ。うむうむ、仙台で楽しむ牛タンはまた格別。残念ながら東京で牛タンを食べる気にはなかなかならないのだ。

利久 牛タン単品

珈琲文化 三本珈琲

いわゆるセルフサービス式の喫茶店で、うまいコーヒーに巡り合うのは至難といって良い。喫茶店を利用する目的が時間潰しということはよくある。だから、そんなときにこーひーのあじをもとめるの野暮というものだとも思う。だから、といってアイスコーヒーに逃げ出すつもりもない。仙台駅前にある比較的広い店内は、いつも静かで、コーヒーマシンで落とすコーヒーは某大手チェーンと同じ味になるはずだが、なぜか違う味がする。
おそらく上質なコーヒーカップのせいなのだろう。そして、広い空間でひっそりと過ごす時間のせいなのだろう。となりの席までわずか10cmというような異常過密空間で飲むコーヒーがうまく感じるはずがない。美味しいコーヒーは空間とシズあかさから生まれる。

仙台 三本珈琲

岐阜城のグルメ 高山ラーメン

岐阜城 山頂レストランの高山ラーメン

岐阜城はロープーウェイで上るくらいの高い山の上にある。歩いて登る人は、山歩きを趣味にしている人たちで、多分、練習がてらにお城まで登っているのだ。山登りの趣味のない人間には、なかなか理解しがたい。その岐阜城ロープウェイ山頂駅は、定番のお土産やと軽食(ソフトクリームなどの定番)とレストランがある。眼下に長良川が流れるの見ながら食事ができる展望レストランで、夜にはパーティーなどもできるらしい。そのお洒落空間で岐阜で一番有名?な高山ラーメンを食べた。どうも自分の記憶の中にある高山ラーメンとは、いささか違うような気もしたが、それはそれ、観光地でのご愛嬌としてサッと流す。展望台で食べるラーメンは、心持ちが違うのだよね。目の中に入る景色も味の内だなどと言い聞かせながら、美味しく魚介系スープのラーメンいただきました。ただ、高山は岐阜県内とは言え、地勢的に飛騨。岐阜城があるのは美濃。ちょっと無理があるかなあと思いつつ。

もうすぐ冬籠の季節に突入だなあ

食べ物レポート, 旅をする

名古屋で一杯やる時は・・・

名古屋の繁華街といえば、栄になる。その飲み屋密集地帯に大きな居酒屋があり、その名を「だるま」という。名物は「名古屋飯」と言われる、名古屋ローカルフードが勢揃いなのだ。何年かぶりで来てみれば、なんだかずいぶん明るくきれいになっていた。ちょっと前に改装したそうだ。前は、薄暗くて微妙に哀愁がある親父の居酒屋っぽかったのだが、すっかりコンビニ的な明るさでヤングアダルトな店に変わっていた。
そんな新装のカウンターでまずは専用グラスに入った生ビールを飲む。

名古屋名物といえば味噌煮込みうどん、きしめん、味噌カツ、えびふりゃーといったところだが、高級路線ではひつまぶし、安直なとところではスガキヤラーメンも名古屋ローカルとして有名だろう。
しかし、なんと言っても、どて煮を忘れてはいけない。居酒屋の定番のもつ煮込み、牛すじ煮込みなどの煮込み系料理をドーンと乗り越えた味噌味の煮込みというか、味噌で煮たもの。甘辛味がよろしいようで、どて煮発祥の店にも行ったことがあるが、どうやらこの味の濃い料理は、お店による差が出にくいのではないか。どこの店で食べてもうまいようだが・・・。

何やら昔の日めくりカレンダーのような人生の教訓を学びながら酒が飲めるのもありがたい。帰りに子供のお土産に買って帰りたくなる。一体何種類くらいあるのだろう。

手羽先と味噌カツも忘れてはいけない。手羽先は元祖よりもそれを真似したチェーンがすっかり大手になってしまったが、手羽先唐揚げ自体は名古屋のあちこちで食べられる。これは確かに店が違うと味が違う。胡椒の加減が一番の差のようだ。味噌カツは、味噌の味で決まるので、どて煮と同じで店の差はないような。ただし、衣の暑さの具合で味は変わるような気もする。濃い味付けが酒を飲む時には良い塩梅となる。名古屋は酒飲みの場所だと聞いたことはないが、出てくる料理は酒向きばかりだなと感じることが多い。

そして、これを名古屋めしと言ってはいけないよという飛騨高山地方の漬物ステーキ。もともとは鉄板で少し発酵の進んだ古漬けを焼いて食べるということなのだが、冬に野菜がない時代は保存食の漬物を焼いて食べていた。それが現代では、嗜好品として一般的になったようだ。その飛騨料理を堂々とメニューに加えるのは、だいぶ強気だとは思うが、名古屋人からすると名古屋の(影響力・支配力)範囲は日本海まで及ぶということなのだろう。卵のかけっぷりは鉄板ナポリのアレンジだし、たっぷり鰹節というのもおそらく名古屋流(きしめん的食べ方)。おまけにソースが味噌、醤油など4種類もある。確かに名古屋的に発展し拡散した料理だから岐阜高山料理などと言わず、広域名古屋圏料理とでも言うべきだろう。

東海北陸道路で走るとわかるが、名古屋と北陸との境はおそらく白川郷あたりに敷かれているのだと思う。岐阜のケイちゃん焼きも、いつの間にか。この店では名古屋めし扱いだったし。おそらく名古屋人の思考回路では、名古屋→大名古屋→広域名古屋→名古屋以外の日本くらいの広がりで、西は京都、東は沼津あたりまでは名古屋圏なのだ。

そのうち福井のサバ料理、へしことか、焼津の黒はんぺんあたりまでは名古屋飯化するかもしれないが、それもまた楽しみだ。
そして、純名古屋飯としての新興勢力といえば、台湾ラーメンから生まれた台湾まぜそばが人気上昇中、次の名古屋飯とその進化はなかなか見逃せない。

旅をする

浜松城はちょっと素敵だった

徳川初代が開いた城はいくつかあるが、出世の振り出しは浜松城、成り上がった先は江戸城ということになるだろう。
(隠居した駿府城はおまけ)

織田・豊臣・徳川の三代で終結した戦国時代だが、その東海こそが主戦地だった。織田が美濃、近江、越前、伊勢あたりの切り取りに精力的だったときに、東側の遠江、駿河(今の静岡県)では徳川が防波堤的な役割を果たしていた。東日本は今川と北条と武田が三つ巴の泥沼状態であり、そこに越後上杉がちょっかいをかけるたびに騒乱となる。上杉と今川が抜けた後、武田・北条が手を出してきて、その防衛戦が続いたのが東海だった。そのため静岡県に歴戦の城が多い。戦争状態が長く続いたことの現れだろう。

浜松城は、低い丘の上に位置する。天守閣は野面積みの(自然石を積み上げて表面が凸凹している)無骨な城壁の上にたつ。浜松城主になった大名は出世することが多かった。浜松城は出世城とも呼ばれるようだ。
しかし、この城で籠城するのはかなり厳しいのではないかと思わせる。今は公園になっている敷地が全て城の縄張りにあたるとして、やはり平地すぎる。これでは三方ヶ原の戦いで逃げてきたにしても、武田軍団の数であれば鎧袖一触だったのではないか。本拠地である三河岡崎から浜松に移ったのは、旧今川領に対する圧力であったのだろうが、その今川領を快速で突破する武田軍団には、家康一党が抵抗できるほど縦深が足りていなかったということだ。浜松から岡崎まで撤退してようやく織田軍団の支援が期待できる程度だろう。
戦時の城としては浜名湖あたりに築城すべきだったのではないかなどと夢想してみた。

結局、織田軍団による武田氏殲滅とその後の本能寺の変により徳川は一時的な安定を迎える。織田後継を狙う軍団長抗争(跡目争い)では、羽柴を攻め滅ぼす勢いだったが、結果的にはそこからまた耐え忍ぶ時期となり、おまけに故地を取り上げられ関東に島流になる。
追い払われた辺境の地、江戸城で引きこもらなかったのは、相当な精神力だ。だから、きっと憂さ晴らしに造ったに違いない江戸城は、実に巨大な城となる。今のお堀で囲まれた江戸城は内側の城であって、外郭部はもっと広い範囲に及ぶ。が、それはまた別の話。
江戸城を築いた時期(おそらく当時では老境に入り)、明日の我が身を案じる焦燥感に苛まれながら築城を指揮した老将の執念に、ただただ敬服するばかりだ。(個人的には、家康を政治家としても武将としても全く評価はしていないが)

しえお巡りとは別の話になるが、浜松城の下にあるスタバは、これまた実にぶっ飛んだお洒落っぽさで感心した。スタバはこうしたユニークな店を作るのがうまい。弘前城の向かいにも、元陸軍駐屯地司令官の官舎を改造したスタバがあった。確かにThe third placeという空間だ。お上手。

出世した後の家康の江戸城の話は、またいずれ

書評・映像評

未来のミライ

細田式ファミリー劇 となりのトトロ?

これはちょっと細田監督作品として異色の作品なのだろうか

未来のミライ DVD by Amazon

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未来のミライはトトロだった

主人公は4歳ぐらいの子供で、それ以外の登場人物は父と母、生まれたばかりの妹、祖母と祖父、そして曽祖父、ペットの犬。これでドラマが作れるかと言いたくなるシンプルさだが、細田式アニメはいつでも登場人物が少なめなので、そこはあまり問題ではないようだ。主人公が、妹が生まれたことで母と父からの愛情が減ったと訴える幼児というのは(これ自体は極々当たり前の光景だろうが)、それをドラマにしていくのは結構な荒技だ。

どうも冒頭から感情移入が難しいテーマだなと感じた。育休がてら在宅仕事になった夫に、最初の子育ての支援不足を言い募る妻、そして母としてはつきまとう息子に怒り出し自己嫌悪するのが話の振り出しだからげんなりとした。現代の共稼ぎ夫婦像というのはこんなものかと暴き立てるだけのアニメなど面白いものかと思う。どこにでも転がっている現代の欠陥ファミリーを見せつけるのにアニメがいるかと。

ところが、そこになぜか主人公の前に秘密の通路が開通する。通路から現れたペットの犬が人間化し、切々と現状の待遇改善を要求する。高校生になった妹が現れ、主人公4歳に兄としての協力を求める。このあたりから微妙に家族の背景が語られ始める。主人公は、散らかしたおもちゃの片付けをしろと叱り付けている母親に不満を抱いている。すると秘密の通路が空き、母親の子供時代に飛び込み、母親と盛大に部屋をちらかしまくる。その後、母親と祖母の会話から、子供の頃から結婚するまで整理や片付けが苦手だったとわかる。つまり母親とは自分ができなかったこと、嫌いだったことを子供に押し付け、そしてそのことに自己嫌悪をする存在として描かれる。
この後も秘密の回廊を通じて曽祖父と合い、父親との関係を立て直すエピソードや、家族旅行に駄々をこねて参加しないといったところを、未来の自分(高校生)に窘められるなど、ファミリーのすれ違い、行き違いなどを延々と描いている。親という大人の理不尽さ、自分勝手さ(自分が押しつけたことに対して自己憐憫と自己嫌悪を吐露するあたりが嫌らしい)を遠慮なく暴き出す。

エンタテイメントの先に意図したこと七日

正直どこにオチがあるのかと言いたい。主人公が幼児ということもあり(その割に随分大人びだ物言いもしたいするのだが)、あまり突っ込んだところまで説明しない。ただ、周りに起きた情景を置いていくだけだ。なぜ未来の妹がやってくるのかとか、過去の母親と会えるのかという説明はなくても良いが、それで成長する主人公が4歳では成長の幅もたかがしれている。

ただ、これを宮崎作品「となりのトトロ」と並べてみれば、なんとなく見えてくるものがある。トトロという存在は妖怪であるにせよ、妖精であるにせよ、現実的にはあり得ない体験をさせるトリックスターであった。この話の中では未来のミライ(妹が高校生になった姿)がトトロ役を務めている。トトロ世界では、母親が入院して父親と姉妹で住むことになった欠陥ファミリー状態を、妹メイが納得せず暴走する話だった。そしてこのミライ世界では、母親が妹を生み自分をかまわなくなり、愛情が失われたのだ悲しむ主人公が、トトロ世界のメイ役となり、妹の未来のミライがその救済役となる。(さつき+トトロといった役回り)

最終的にはちょっとだけ成長した主人公と、ちょっとだけ相互理解がました夫婦になったファミリーができましたとさで話が終わる。この辺りもお母さんに届け物をして納得したメイとさつきの姉妹と同じ構造だろうが、時代が経った分だけ(作中でも現実でも)ミライ世界での解決は現代的であり家族間の課題は中途半端なまま放置されている。

細田作品は、基本的に家族の話だ。家族の欠陥、あるいは家族からはみ出した個人が再生する足掻きを描いた作品といえば良いだろうか。今回は、現代の家族をそのままの姿で観客の前に放り出し、実はギクシャクした欠陥が多い現代ファミリーでも、ちょっとだけ視点を変えて、ちょっとだけ考えを変えればなんとかなるんだよというメッセージを置いてみましたということだと思う。そして、その手法に妖怪?妖精?トトロではなく、なんらかの形で未来からやってきたタイムリーパーな妹を使ったということだろう。

家族の話の先にあるものは?

細田作品として、優れたエンタテイメント性を持つ作品群「時かけ」「おおかみこども」「バケモノの子」をみてきただけに、やはりエンタテイメント性、物語のワクワク感を期待してしまうのは仕方がない。残念だが、この作品はエンタテイメントとして期待のレベルには遠かった。おそらく意図してエンタテイメントではなく、家族というものを、ちょっとフォーカスをずらして描いてみたということなのだろう。実写映画で言えば、降旗監督作品に似た風合いというか、似たような匂いを嗅いだような気がする。次回作に期待。

食べ物レポート

浜松といえば餃子

五味八珍の目指すものとは   ・・・餃子屋?

浜松と宇都宮の餃子バトル、毎年一進一退の繰り返しだが、それにしてもなぜそんなに餃子を食べるのか、ひと事ながら不思議だ。両市民にとってなじみ深い餃子の味を語るのは、いささか危険思想に当たると思うので、ここは餃子の話をするつもりはない。二つの餃子の差を語る意思もない。ただ、見た目の違いはある。もやしがつくかどうか、円形に並べるかどうかあたりが浜松餃子の特徴のようでわかりやすい。

五味八珍という静岡県ローカルの中華チェーン店が、静岡県民にとってはソウルフードであるらしい。中華料理店だとずっと思っていたが、いつの間にか「餃子の五味八珍」と名乗るようになっていた。まあ、それはブランドの建て方という、かなり奥深い課題の成果なので周りがとやかくいう必要はない。ただし、餃子屋になったせいか中華料理屋としてのメニューバラエティーが減った。これはなかなか難しいことをやっているなと感じる。中華料理屋というのは町場の大衆店であろうが、ホテルの中の高級店であろうが、メニューの多さが売りだ。また、メニューの多さこそが料理人の技量を示す尺度でもあり、少ないメニューで商売をするのはチャイニーズレストランとしては得策とはいえない。五味八珍は中華のファミリーレストランであり、かなり危険な思想を実践しているなという感じがする。
ちなみに商売がうまくいかなくなると必ずメニューを多角化するのが外食・レストランの習性なので、この五味八珍のメニュー絞り込みは、ビジネスが成功している証明と見ることもできる。

さて、浜松餃子の話をすると、この円形盛り、もやし付きが何より大事らしい。実は5年ほど前にこの店で餃子を注文した時、浜松餃子と普通の餃子の両方を売っていた。違いは何かと尋ねてみたら、もやしがつくかつかないかだと言われて、呆然としたことがある。今回はそんなことはなかった。おそらく社内で餃子の統一が行われたのだろう。

味は普通にうまい餃子でビールによく合う。
文句はない。某関西系餃子の・・・と言う中華チェーンや、某東北系ラーメン専門店の餃子と比べても明らかにうまいと思う。ただし、ここで立ち止まってはいけないのだ。埼玉県ローカルの中華チェーンの餃子は、これと遜色ないレベルにあるので、「餃子の・・・」と名乗りたいのであれば、競合に対する注意と研究が必要だろう。関西発の餃子チェーンは明らかにレベルダウンしている。以前は店によって当たり外れがあったが、今は全体的に低位安定になってしまった。埼玉系の餃子チェーンは、西日本へ展開を開始しているので、首都圏から攻めていくと激突地は浜松あたりになる。ちょっと楽しみな餃子戦争、東西対決も含め三つ巴?になるかワクワクして待とう。

唐揚げのうまい餃子屋

そして、浜松餃子専門店?でありながら、恐るべき高い水準だったのが、鳥の唐揚げ。これは本当に高い水準だ。某フライドチキンチェーンはこれをパクって商品開発してみたらどうかと思わせる水準の高さ。この世に唐揚げ専門店を名乗る店やチェーンは多いが、油と鶏肉と衣の品質管理に手を抜きすぎているから、なかなか安定して商品を提供できていない。有名な釧路の唐揚げ屋では油が発煙していた。トンカツ屋が運営している唐揚げ屋でも味のばらつきが多い。スーパーで売っている唐揚げに至っては、ほぼ論外と言いたいくらい無水準だ。(調理後、時間が経った時の衣の状態維持を考えて商品開発しろと言いたい。唐揚げとは経時劣化する食べ物なのだよ)
ついつい完食してしまったのだが、これは一つ二つ持ち帰って経時劣化を見るべきだったと反省した。

五味八珍とさわやか、浜松の誇る二大ローカルチェーン、首都圏内に出店してくれないかなあと心底思う。

旅をする

高原の喫茶店

蓼科ビーナスラインにある一軒家喫茶店

ビーナスラインと呼ばれる高原道路は、茅野市で発掘された縄文遺跡から出土した女性の土偶を「縄文のビーナス」と名付けられたことに由来している。

縄文のビーナスは茅野市尖石縄文考古館で展示されている
 https://www.nagano-museum.com/info/detail.php?fno=136&tn=1

そのビーナスラインに立つ一軒家喫茶店がなかなかオシャレというか、居心地が良いので、晴れた日にはついコービーを飲みに行きたくなる。お店の前には5台ほどの駐車スペースがある。店内の客席もそれにあった5組も入れば満員になる。女性の店主が一人でやっているので、混雑する時には注文がなかなか出てこないこともあると断り書きがあるが、こちらの行く時間のせいか、待たされたことはない。
茅野市内からビーナスラインを登ってくる途中には、手打ちそば、北欧料理レストラン、おしゃれな雑貨店、そしてイングリッシュっガーデンが立ち並ぶ、かなり密集度の高い地域に当たる。
向かい側にはいつでも長蛇の列ができる蕎麦屋や、店の横の畑で取れた野菜が売り物のイタリアンレストランもあり、シャレのめした高原の商業集積地と言っても良いだろう。イングリッシュガーデンは、週末には100台近くある駐車場がいっぱいになる。

道路沿いに大きな窓があり、そこはカウンター席になっている。道を挟んだ向かいは野菜畑で、ビニールハウスの中はトマトやナスが育っているらしい。1000m近い高原なので、夏でもうんざりするような暑さにはならない。ビーナスラインと呼ばれる割りに交通量はあまり多くないので、ぼんやりと畑とその向こうに広がる青空を眺めていると、なんとなく心が落ち着く。ぼーっとしているのが心地よくなる。

夏でもホットコーヒーを飲む。アイスコーヒーは意外と苦手なのだ。この店のコーヒーは酸味が立った濃い目のブレンドで、午前中に飲むには良いようだ。ランチタイムにはそこそこ混み合うらしいので、早めに退散する。大手喫茶チェーンでは味わえない時間と空間は、一つの文化だなあと改めて思う。
田舎の喫茶店によるのは楽しみだ。

茅野市北山 「たてしな日和」 営業時間は短くて、お昼前から夕方まで喫茶店

書評・映像評

機動戦士ガンダム サンダーボルト

スピンオフ作品というべきか、新解釈というべきか

機動戦士ガンダム サンダーボルト 表紙 by Amazon
ちょっと見づらいが「ザクタンク」

https://www.amazon.co.jp/機動戦士ガンダム-サンダーボルト-14-ビッグコミックススペシャル-太田垣/dp/4098604256/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=1ONLDGN26166R&keywords=機動戦士ガンダム+サンダーボルト&qid=1571541712&s=books&sprefix=サンダーボルト%2Cdvd%2C251&sr=1-1

機動戦士ガンダム サンダーボルト  救いのない物語

日本のアニメ界で、ヒット作の続編を作ることは、ままある。いわゆるパート2作成後のシリーズ化として、宇宙戦艦ヤマトの続編が作られたあたりから、柳の下のドジョウを何匹か吊り上げる策は定石となった。
ウルトラマンや仮面ライダーのように、主人公とメインキャラを変えながら延々と続くケースや「サザエさん」「ドラえもん」のように時間の流れが止まったままの永遠劇が続くパターンもある。
アメリカ映画であれば、Xメンやアベンジャーズのコミック実写化シリーズも似たような形であるが、ウルトラマン的な同一世界の流れの中で共通キャラが出入りしているという感じだろう。

しかし、圧倒的な支持で本編の周りに枝編が増殖して、いわゆる「サーガ」になっているものといえばスターウォーズに尽きる。本、コミック、アニメ、ゲームを含めメディアミックスを多様に活用するお化けコンテンツだ。ルーカスが作った世界を、周りが寄ってたかって広げてしまい本編以外の世界の方が精緻になってしまった感がある。
これに対抗しうる広がりを持った日本製コンテンツと言えば、機動戦士ガンダムになるだろう。1979年初放映以来、延々とその続編、枝編が作られ、スピンアウト作品も多数ある。ただ、面白いのがガンダム世界は映像とゲームでは拡散したが、「本」としては広がりを見せなかった。ここがスターウォーズシリーズとの違いだろう。
原因はおそらくガンダムの原作を描いた巨匠?のせいなのだが、「本」では広がらなかった世界を描き続けるアニメーターたちが、映像世界ではますます広げているのだ。ガンダム初放映の年に生まれた赤ん坊が、今や40歳になる。彼らが今のガンダムクリエイターとなっている。リアルタイムでガンダムを見た世代はすっかりじじいになってしまった。

ガンダムの裏側のエピソード 太田垣ガンダム世界とは

そんなじじい(失礼)ガンダムクリエイターの一人が太田垣康男氏だ。1967年生まれということはガンダムを小学校から中学校にかけてリアルタイムで見た、最初のガンプラ世代ということだろう。とてもとてもガンダムが好きで、そのままじじいになってしまったのだなと思う。だから、彼の描くガンダムストーリーは、宇宙世紀0079から始まる一年戦争とその後の時期の話だ。そして物語の中では、戦争の後始末をするための実験機同士の、いわば局地戦になる。本編世界では既に一年戦争の後の内乱期が動き始めている頃だから、やはり地域紛争の一戦闘でしかない。そこに登場する敵味方のキャラは、どいつもこいつも過去のしがらみを解消できないままの劣等生ばかり。明るい話には到底なりそうもないし、実際に暗いままだ。それでも引きつけられる物語となるのは、正義の味方が登場しないことだろう。
ガンダムの本編では、主人公アムロが所属する地球連邦軍サイドが正義とは描かれてはいない。それどころか戦争相手のジオン軍に属するシャアの方が、因縁を抱えて復讐を遂げるべく暗躍するという、ダブル主人公的な物語であった。正も邪もどちらにもない、ただ戦争という状況の中で壊れていく人間を描き続けるという、ある意味で青少年向けアニメの勧善懲悪的お約束を最初から守らない問題作でもあった。

この太田垣作品も、本編と同様に救いのない人間関係、地球連邦が戦争の裏側で行なった非人道的実験を隠蔽するための作戦を描いている。戦争終結後も戦い続ける「敗戦国ジオンの残党」対「悪事を働いた地球連邦軍」との意義なき戦闘。どちらが勝っても、何か良いことが起きるわけでもない戦闘。救いのない物語だ。
すでに14巻まで話が進んでいるが、おそらく完結までは最低5巻ほどが必要だろう。連邦軍のガンダム乗りは重大なトラウマを背負ってしまい、当面は再起不能だろうし、反乱軍も大きなダメージを受けて動きが取れない状態だ。その辺りの紆余曲折をうけて、また話は宇宙で進むことになるのではと思うが、ラストシーンは機動戦士ガンダム最終話のようになるのではないか。いや、それを描きたくて太田ガンダムは続けているのではないかと想像している。

あの頭部を失いながら天頂を撃つガンダムの姿は、ファーストガンダムの中で屈指の名場面だと思う。太田垣ガンダムでも、あそこを描きたいのだろうなあと推測している。ただし、今回は宇宙を撃つのはガンダムではなくザクだろうけれど。