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食べ物レポート

豚丼 うまい

うかつにも帯広の豚丼のことは詳しくないまま、豚丼屋が札幌市内にたくさんあるらしいことを知った。札幌駅ビルのレストラン街にある豚丼屋に行ってみたら。凄まじい行列で諦めてしまった。

気を取り直して、昼のピークが過ぎてから行ってみたら、あまり待たされることもなく入れた。メニューを見たら日本語が書いてなくて慌てたが、外国人向けをメニューを開けてしまっていた。日本人向けのメニューを見つけてじっくり眺めていたら、あれまあ。
米の盛りかたと肉の量の違いしかない豚丼オンリーメニューだった。一番感心したのは、ハーフ大盛り豚丼、ご飯普通で肉半分って、いったいどういう人が頼むのだろう。

豚ざんまいも魅力的

出てきた丼は意外と小さめのサイズで、これではちょっと物足りないかなとも思ったが。

蓋をとってみれば、これはこれで肉と米のバランスが良いのでは。甘辛の醤油味がカツンとくる旨さだ。豚丼の肉は厚すぎるとよくないと思う。味付けと肉がけんかするからだ。このバランス取るのが難しい。帯広の名店ぱんちょうも確か「厚すぎない」肉だったと記憶している。

定番の豚丼 肉もご飯も普通盛り

周りにいた外国人客は多分、特盛り豚丼、ご飯は普通で肉だけ多いやつだろう。肉が丼からはみ出ていた。
豚丼はシンプルの極みだから、店の力が大事な一品。やはり今度は肉大盛りにしようか。

食べ物レポート

豚骨ラーメンとラー油そばの異端的な関係

山頭火の話を書いた後で、また何度か山頭火に行ってみた。久しぶりに食べたら、あの味にハマってしまったというところだ。それでもいつもワンパターンで塩か醤油ラーメンしか頼まないというのもなあ、と内心悩ましい所もあるのだが。メニューを眺めていたら悩んでしまう。トッピングが追加になるラーメンは、ある意味ベースの味が同じで変化としては少ない、どうでも良い?選択肢なのだが、気になるのは蕎麦ラーメン。明らかに麺が違うのだろう。同じスープでも違う食べ物になっているはずで。もう一つが青唐仕立ての辛しおラーメン。これも気になる。

などと考えながら、いつもの塩ラーメンを食べるのだが。この白濁した豚骨スープ、しかし、ほとんど臭みはない。久留米で食べた豚骨ラーメンは獰猛なほどの臭みとガツンとくる強い味のスープだった。九州のラーメンでは久留米が一番匂いがきつい、南に行けば匂いはどんどん大人しくなる気がする。それと比べると、山頭火のスープは同じ豚骨とはいえないほどマイルドで、九州の南の先の離れ小島くらいのイメージになる。麺を食べ終わるころには、すっかりスープの底にしずんでいる小梅をサルベージして食べるのも楽しみだ。

やはり山頭火のラーメンは北海道で頑張るうちに、豚骨ラーメンとして洗練されすぎてしまったのだろう。これはこれで豚骨ラーメンの一つの極地、進化の極みなのだろうなあと、ラーメンをすすりながら感慨にふけっていた。九州の豚骨ラーメン名店からすると、かなり異端的なのではないか。

山頭火 いそラーメンの完成度は高い

そして、もう一つの最近のお気に入り「ラー油蕎麦」。つゆはとても濃い甘辛で、ラー油の香りが強く感じる。そばつゆにラー油を入れることの違和感は、この「匂い」がいちばんの原因だろう。山盛りの海苔の下には茹でた牛肉薄切りが乗った極太の日本蕎麦がたっぷり。江戸前のそばなどとは全く別系統の太くて歯応えのあるそばは、山形の板蕎麦に近いような気がする。そばをすするというより、もぐもぐと噛み締める食べ物だが、そのせいか女性客が少ない。蕎麦の量やつゆの味付けやら、色々と女性には取り扱いが難しい食べ物かもしれないと思うが、いや、こういうストロングスタイルの店は女性に媚を振ってはいけないと強く言いたい。男だけ楽しんでもいいじゃないか・・・。

なぜそばにラー油を入れるのか 新橋店がお気に入り

吉野家が女子高生の攻略で陥落し、いつの間にかシャレ系メニューが増えた。そのうち伝説のすた丼も女性客に侵攻されるかもしれない。その時、最後まで残るのはこのラー油蕎麦であると願いたい。

山頭火もなぜラーも、その業界では異端だったものが、商品を極めて頂点に立った(と思う)。その結果、麺ワールドで新しいジャンルを作り出した、と信じたい。異端が次の時代を創り出すのはいつの世でも変わらないと思うのだ。

書評・映像評

技術要塞戦艦大和 工程管理と標準化

仮想戦記ないでの思考実験

表紙 by amazon

仮想戦記というジャンルの小説がある。1980年代後半から一気にジャンル作品が増えたのは、バブル崩壊時代の「負けた意識」が、同じ負けた時代「第二次世界大戦」でのIFを、もしかした勝てたかもしれないという状況を望んだ読者が多かったということだったのではないか。読者のほとんどが戦争を知らない世代になっていたことも、書き手の制約が外れた要因だったのだろう。

その仮想戦記の中でも、それなりの理屈を立て大日本帝国の継戦能力を高めるという「リアル」派と、未来人が超決戦兵器を授けてくれました的「スーパー」派があった。今ではすっかりスーパー派はいなくなり、リアル派が最低限の歴史改変を行った結果はどうなったかという形での、思考実験が主流だ。その歴史改変を明治期の日露戦争で敗戦した結果として設定したのは故佐藤大輔の「レッドサン・ブラッククロス」だった。著者の主張は、そこまで時代を遡って日本の体制を変えないと日本は先の大戦で勝てない。それくらい戦争をするのに向いていない国だったということなのだが。

それと対照的なのが、この作家の歴史改変手法で、ガダルカナル戦は「もし兵站線の改善ができていれば負けなかった」とか、素材を含む技術体系を変えていれば零戦はもっと強くなっていたので「ミッドウェイ戦は・・・」と言った話を好んで作る。
要素的には継戦能力の改良のため「兵站の重視・確保」「標準化による量産性向上」や、生存性向上のため「レーダーの早期実用化」「陸海軍共同兵器開発」など史実的に起こらなかった、あるいは不十分だったことの改良とその波及効果という話になる。戦艦大和が出てきても、大和強いぞという話にはならず、砲弾の改良により大和の集弾能力を上げさせる。そのために何ができたかとかという話になるから、読む方としては延々と金属の性質と火薬の改良方法を学ぶことになる。それを飽きさせずに書くのが書き手の力量とも言えるが。

この技術要塞戦艦大和という題名をどう読み解くかといえば、国力(造船能力)に欠ける日本は、戦争時に建艦能力不足で負ける。戦線が拡大したときに前線に対する兵站問題(兵器や医療食料品)が解決できない。それも敗戦の原因となる。それらの諸問題をどう解決するべきかという海軍技術者のサラリーマン物語として仕上げている。
そもそも話の出だしからして笑わせられるのだが、大和の建造予算が足りないので、作る予定がない潜水艦を予算化し、その予算を流用して大和を作る企みが全てのきっかけだ。まるで今の日本政府のやり口のようだが、所詮政府のやることは、今も昔も変わらんのよという作者の意図が透けて見える。

そして戦争勃発により、予算が青天井化したため、作るはずのない潜水艦を作ることになる。もともと作る気がなかったので、革新的な、ある意味現実から随分かけ離れた設計思想が採用されていた。それがブロック工法と艦体設計の標準化、溶接による建造工程の簡素化なのだ。現代風に置き換えれば、ワンオフ製品を排除し、パーツやブロックの共有化を行い、過剰なカスタマイズも認めないというところか。

船体の共有化により潜水艦支援艦も空母も巡洋艦も貨物船も同じ設計図を使う。共有化した船体以外はそれぞれ用途に応じて「部品」をつけるというやり方で、戦艦建造に特殊技術が要らなくなる。ここでもう一つのIFが発動するのだが、現代の潜水艦と同様の「水中速力の向上」が盛り込まれる。この時代の潜水艦は、水中速度が極度に遅く「水に潜ることが可能な船」でしかなく、水中で戦闘機動ができる船ではなかった。そこをエンジンの改良というIFを持ち込み、高速水中機動戦ができる潜水艦を完成させた。
こうしてできた潜水艦は、試作オンリーのワンオフだったはずが大量生産され予想もしない戦力になる。

溶接できる高張力鋼がブロック工法には必要なのだが、その高張力鋼のおまけとして、輸送コンテナが発明され、そのコンテナの使用により兵站維持が楽になる。そもそもコンテナの運用が海軍主体ではなく陸軍主体になるというのが、作者の皮肉でもあるのだが。海軍はどんぱちにしか関心がなく、太平洋域の侵攻に巻き込まれた陸軍への補給について関心が薄いという、おバカな海軍という描き方だ。(事実、歴史でもそうだったし、現行の帝国海軍後継者である海上自衛隊もシーレーン確保能力はない。そこは米海軍任せだ。この話はリアルにすると相当きな臭い話になるので割愛)

全編通してダメな組織の典型として、かなり大袈裟に書かれている海軍だが、この組織は現代日本ではどこにでもある会社組織の典型として見ても間違いはない。だから、作者の指摘する海軍の構造改革は、海軍の後継官衙であるところの現日本政府にも当てはまるし、大多数の企業組織にも当てはまるだろう。陸海軍の部門対立は、省庁の対立であり、ワンオフ・カスタマイズ製品の横行は効率論を考えない(自分のお手柄に固執する)管理職の意識問題だろう。

少なくとも「工程の標準化」「パーツ・ブロック化」「カスタマイズ排除」は現代日本の企業文化と相入れないもののような気がするが、そこを起点に組織改善を求めることが、大日本帝国と異なる「負けない未来・組織」を作ることになるのだと理解できないか。

この話が導くこと。仮想戦記とは、実は現代組織論への問題提起なのだな。

面白コンテンツ, 食べ物レポート

噂のフードホールに行ってみた

アメリカでおしゃれなフードコートができているという話聞いてはいたが、なんとなく「ふーん」的な気分だった。これは外食に関して日米共に同じことだが、大都会の「一品もの」の超絶人気レストランは、多店舗しないしトレンドにはならない。要は商売ネタとしては面白くならないという経験則だ。

ニューヨークの都心部には超有名店がたくさんあるが、それがチェーン店化することはない。一店豪華主義、そういうコンセプトなのだ。500店、1000店という大規模店網を築くのは中西部や西海岸の外れの町から生まれることが多い。いわゆる大衆受け、誰もが愛するブランドみたいなものは、田舎町・小都市発ということだ。だから、ニューヨークの街中でおしゃれなフードコートが・・・みたいな話には触手が動かなかった。ましてや、それの日本版がどれだけの戦闘力、展開力を持つかなど期待する方がおかしいと放置していたのだが。

それでも、フードホールができて一年経ったなどというネット記事を見て、やはり一度見に行くかと思い直し、南新宿に行ってみた。「BLASTY!」という店名の複合コンセプトが入る二階建ての店舗だ。

中に入っている業態?はピザ、メキシカン、BBQグリル、クラフトビール、ドリンクカウンターという感じで強烈にアメリカンなラインナップだ。アルコーツがあるので、ショッピングモールにあるフードコートとは根底から違うのは理解できる。当然、夜の需要も期待してのコンセプトだろう。

店内はハイチェアが多くあり、いわゆる都会的なスタイリッシュさがある。空間デザインという言葉がよく似合う。こんな店が郊外ショッピングモールにあったら相当浮くだろうなと思うが、地方都市の繁華街でも浮き上がりそうだ。やはり、フードホールとは都会の、それも場所を選ぶものになるのだろうか。

さて、ピザだ。Cucinovaというピザ屋を調べてみたら、なんとアメリカのフードコートの雄、ピザピース売りのスバロの枝ブランドらしい。スバロは何度か日本マーケットに挑戦していずれも撤退している。日本のピザマーケットの小ささと難しさに歯が立たなかった。というか、日本でデリバリー以外で成功したピザ業態は存在しない。挑戦した全員が失敗したと言って良いくらいの、予想以上に難しい業態なのだ。

コンセプトとしては非常にシンプルで、注文を受けてから石窯で焼く。セルフサービスであり、典型的なファストカジュアル業態。価格帯はデリバリーピザと比べてちょっと安いくらいなので、全体的には高価格の食べ物となる。その分、トッピングやチーズに凝る「アッパー」なピザということだ。

ナポリ風という軽い系統のピザなので、一人前よりは大きいが二人前にはちょっと足りないという、主食とつまみの中間にあるシェアフードだと思う。一人で頼んでみたがちょっと最後の1−2ピーズは多いかなという感じ。ただ、隣に座ってピザを注文していた外国人は一人で黙々と完食していたから、この量はシェアフードというより大盛りラーメンみたいな感触で捉えた方が良いのかもしれない。

トッピングとソースは照り焼き、マヨなど日本的なアレンジを受け入れているので、やたらアメリカンしているわけでもない。ピザ単店では生き残れないが、BBQ屋やメキシカン屋と一緒に商売をしていれば、みんなまとめて「アメリカ料理屋」みたいな感覚で受け止められるのかとも思った。しかし、結局のところ、軽食主体のランチビジネスである「フードコート」に対しての、重食でディナー対応、アルコールありの「フードホール」ということであるとしたら、やはりマーケットはあまり大きくないのかもしれない。新型で変形の洋風風居酒屋であるとしたら、フードホールという名前は仰々しすぎるか。

次回はグリルした肉やタコスを食べてみようとは思うが、一人で食べるには量が多いような気がする。
個人的にはピザよりもタコスが食べられる方が嬉しいなというのが正直な感想だった。

食べ物レポート

甘いものの感想 雪印とシャトレーゼのアイス

甘いものが得意ではなかった。と、過去形で書いたが今でも大量に甘いものを食べるのは苦手だ。ただし、今年はチャレンジな目標を立てた。チョコパフェの研究をしようと。

見栄えがねえ。茶色一色だから。味は良いのだけれど。

ということでスイーツなのだが(ちなみにスイーツという言い方は、アメリカで語彙の足りない人間が使う言葉だと指摘されたことがあり、若干使うのに抵抗があるが)今まで一度しか行ったことがない雪印パーラーに行く前に、小手調べということで、千歳空港の雪印のソフトクリーム屋に行った。チョコソフトを頼んだのはショコラティエマサールのソフトクリームと比べてみようと思ったからだ。ミルキーさという点では、一般のソフトクリームよりはるかにうまいと思うが、チョコ味として限定してみるとマサールの方が良いような気がするが、これは好みの問題だろう。チョコのビターさが違うという気がする。ただし、食べやすさでカップを選んだのだが、コーンで頼んだ方が良いのかもしれない。カップで注文すると、えんえんとアイスか食べないので舌が冷たくなりすぎて味が感じられなくなる。(のんびり食べていたら溶けてしまう)舌のコンディション維持のためにも、アイスを食べる時は中休みとしてコーンを食べるのは大事だ。(そんなことも初めて気がついた)

小ぶりな鯛焼きくらいだが、厚みはなかなか

もう一点の甘いもの(スイーツではなくて)は、ネットで仕入れた情報で「シャトレーゼ」のピザを買いに行った時、ついでに買ってきたアイス鯛焼きモナカ。これで100円を切ったお値段は立派なものだ。当たり前だが、尻尾の先までアイスが入っている。もう少し気温が上がれば、これはとても良いおやつになる。モナカの皮とアイスのバランスが大事なのはソフトクリームと同じだが、尻尾から食べようが頭から食べようが、アイスとモナカの皮を一緒に食べるのだから、バランスが良いに決まっている。

大きさも程よく小さいので(変な言い方だが)、おやつのサイズとして間違いない。これで物足りないという人は二匹食べれば良い。
シャトレーゼはしばらく足を向けていなかったが、甘いものだけではなく冷凍商品のラインナップも増強されていた。シャトレーゼ恐るべしなのだが、その話はまたいずれ。

街を歩く, 食べ物レポート

狸小路7丁目の居酒屋

札幌の中心部に東西にほぼ1km続くアーケード街「狸小路」は、バブルの後しばらく頑張っていたが、平成時代に古くからやっていた店が次々と潰れていった。昔は1丁目から5丁目まで映画館があった。スターウォーズ第1作、エピソード4は狸小路1丁目の帝国座でオールナイトでやっていた。7丁目以降は、小ぶりの居酒屋と連れ込み旅館があるイカガワシイ?エリアだったようだが、すっかり寂れて空き地化していた。それがここしばらく若者向けの飲食店がずいぶん開いて、何やら賑やかさを取り戻している。

そんな狸小路7丁目の「男の居酒屋」に入ってみた。名前からしてストロングスタイルだ。どれだけごっついおやじが店をやっているのかとおもったら・・・。
なんと、この店、外見と全く異なるイタリアン系な居酒屋らしい。店に入り熱燗を頼んだ。男の居酒屋だし。出てきたお通しはモツの煮込み。これはなかなかよろしい濃厚系な逸品だ。確かに男の居酒屋らしいぞ。しかし横につけられたバゲットのトースト、これはおしゃれすぎないか?などと、疑問符が出はじめた。東京下町森下の有名店でもモツ煮込みにはガーリックトーストだけど・・・。男の居酒屋だしだし、それはないか??

モツ煮込み

とりあえず目についたので注文した「和え物」の一品が妙に綺麗だ。これが男の居酒屋?と言いたくなる。味も繊細だ。

続いてお代わりした熱燗に自家製しめ鯖とポテトサラダを追加。ああ、これはうまい。しめ鯖は自家製と工場生産の違いは一口でわかる。自家製しめ鯖は、酢は洗う程度、塩で締めているから酸っぱくない。脂が甘く感じる。ちなみに日本海産のサバはアニサキスが別種らしいので、安心?して生サバが食べられる。(当たる人は当たるらしいけれど)ポテトサラダは、ご飯のおかずにはならない大人向けで、ちょっとねっとりした口当たりが意外と日本酒に合う。ポテトサラダのうまい居酒屋は、何を食べてもうまいはずだ。(独断と偏見です)

ポテトサラダは好みの味だった

焼き鳥とか焼き魚とか、普通の居酒屋メニューに混じってイタリアン系の創作料理風な品々が並んでいる。こと食べ物に関しては摩訶不思議という感じだが。次々と予約の宴会客が入ってくるのは繁盛店の証拠だろう。しかし、この店は、ぶらっと入ってきて男一人でカウンターに座ってちびちびやるのが良さそうな気がする。

狸小路7丁目には、こんな感じの店がたくさんあって、ススキノではなくオフ・ススキノで飲むには絶好の場所だ。ディープな札幌の夜に遊びに行くには良いよね。

Uncategorized, 書評・映像評

ラノベの共振軸とは (表紙で判断してはいけないよ)

ラノベ、ライトノベルと言われる小説の一ジャンルだ。昔はジュブナイル(青少年向け)として描かれていた文庫形態の小説でシリーズ化されるものが多い。大体のお約束として、主人公は高校生から大学生くらいの年代で、異世界だったり超能力者のいる世界だったり、冒険と人間関係の軋轢の中、ちょっとだけ恋愛モードもありながら精神的に成長していく(大人の階段のぼる)SF的なお話だった。

それがここ数年で、web小説の一ジャンルとして急成長し、ウェブサイト経由で書籍として出版される、アニメ原作になるなど一躍現代的なメディアミックスの各商品となってきた。そして、その主たる構成が「転生もの」だ。ある日突然、なんらかの理由で主人公が現実の世界から訳のわからん、魔物がいたり、超能力者がいたりする世界に飛ばされる。主人公が死んで転生するパターンが多いが、タイムスリップしたり、魔界の誰かに拉致されたり、理由ははどうでも良い。そして、なぜかその異世界では日本語が通用し、なぜか善良な悪魔みたいな異生物が仲間になる。身もふたもない言い方を知れば、異世界を用意した上での願望充足小説といえば良いか。
そして、もう一つの共通項が表紙(あるいは本編内の挿絵)で、アニメ系美少年美少女、たまには成人美人が描かれている。この辺りは登場人物造形のお約束ごとでもあるようだ。

エルフと人が住む世界で、エルフに育てられ人的思考ができなくなった
適合不全な若者が再生?する物語

さて、芝村裕吏作「やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい」は、このラノベの約束事をずいぶんはみ出している。人族と魔族が共存している異世界で、捨てられた人間の子が、自分を人間と思わないで育ったらという設定の主人公がいる。その主人公(ただし自分は人間ではないと信じたまま)人族側に立って悪戦苦闘する話だから人間と噛み合わない。おまけに超絶的な力(いわゆるチート)は持たず、誰に習ったわけでもない軍略を極めていくという話だ。唯一ラノベのお約束を守っているといえば、登場女性キャラに大モテなのだが、そのまとわりつく女性キャラの誰をも迷惑に思っている。ストイックぶりというか、自分は人間ではないぞ的意識が不思議な雰囲気を出している。そんな人間には同調しにくい性格をしているくせに、いつの間にか人族以外のはぐれた魔物はどんどん仲間にしている。このまま行くと人魔獣連合による世界統一目指してい口ことになるだろう。この女性キャラ取り巻き問題は、芝村裕吏のヒット作「マージナルオペレーション」シリーズとも共通している作者独自のスタイルだ。しかし、この「やがて僕は・・・」の原型は、佐藤大輔の「エルフと戦車と僕の毎日」にあり、そのオマージュというか対応作品であるような気がする。

エルフ世界でガチの戦車戦を展開した。佐藤ワールド全開。

さて、芝村裕吏作「やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい」は、このラノベの約束事をずいぶんはみ出している。人族と魔族が共存している異世界で、捨てられた人間の子が、自分を人間と思わないで育ったらという設定の主人公がいる。その主人公(ただし自分は人間ではないと信じたまま)人族側に立って悪戦苦闘する話だから人間と噛み合わない。おまけに超絶的な力(いわゆるチート)は持たず、誰に習ったわけでもない軍略を極めていくという話だ。唯一ラノベのお約束を守っているといえば、登場女性キャラに大モテなのだが、そのまとわりつく女性キャラの誰をも迷惑に思っている。ストイックぶりというか、自分は人間ではないぞ的意識が不思議な雰囲気を出している。そんな人間には同調しにくい性格をしているくせに、いつの間にか人族以外のはぐれた魔物はどんどん仲間にしている。このまま行くと人魔獣連合による世界統一目指してい口ことになるだろう。この女性キャラ取り巻き問題は、芝村裕吏のヒット作「マージナルオペレーション」シリーズとも共通している作者独自のスタイルだ。しかし、この「やがて僕は・・・」の原型は、佐藤大輔の「エルフと戦車と僕の毎日」にあり、そのオマージュというか対応作品であるような気がする。

ファンタジー世界で落ちこぼれ高校生が転生し復活する物語

しかし、佐藤大輔の「エルフと戦車と・・・」には、もう一段、伏線が潜んでいたと思う。豪屋大輔作の「A君(17)の戦争」が下敷きにあると推測しているからだ。実は豪屋大輔は佐藤大輔の別のペンネームであるという噂が作品刊行時からずっと流れていて、どうやら本当らしい。作品の語り口や登場する兵器に対する描写、戦術や戦略論などはまさしくファンタジー世界版の第二次世界大戦だった。「A君・・」の世界は魔族が戦うファンタジー世界だが、魔法を動力とした怪しい兵器体系があり、そこに転生したA君17歳が、現実世界で感じていたコンプレックスをバネにファンタジー世界でそれなりに尊敬を受け成長していくという話だ。そして、これも佐藤大輔諸作品と同じく途中でバッサリと話が止まる。中断してしまう。未完のまま10年以上放置される。(ちなみに佐藤大輔最後の作品は恒星間宇宙もので、第1巻で終わりになってしまった)

おそらく佐藤大輔は、多少考えるところがあり、「A君(17)の戦争」を書き直すつもりで「エルフと戦車と僕の毎日」に取り掛かり、おそらくは完結するつもりで書いていた。これが終わったら「皇国の守護者」も面倒を見る気だったのだと思う。それが、果たせないまま絶筆となった。そして、芝村裕吏がファンタジー世界という出版社からの注文に対して「やがて僕は大軍師と呼ばれるらしい」で、佐藤大輔の描ききれなかった転生高校生のファンタジー世界成功物語を、完結まで語り尽くそうとしているのではないかと個人的に想像しているのだ。

佐藤大輔ファン、そして芝村裕吏ファンとしての妄想だが、この三作品は共振を起こしているように似ているのだ。今度こそ完結編を読んでみたい・・・。

追記
「蜘蛛ですがなにか」は「転生したらスライムだった件」の影響から生まれた作品だそうだ。このジャンルの作家は、熱狂的なジャンル作品のファンでもあるから、佐藤大輔・芝村裕吏のリレーもありそうな気もするのだけれど。

食べ物レポート

札幌で食べるラーメン 二題

札幌はラーメンに関して寛大な市場だ。何が寛大かというと高い価格を受け入れる広い客層があるということだ。東京の激戦区で競争しているラーメン屋と札幌のラーメン屋は価格帯がほぼ同じ。店によっては札幌の方が高いかもしれない。個人的な相場感で行くと、札幌のラーメンは2割くらい高い。つまり、札幌のラーメンファンはお店に対して寛大なのだよね。

さて、そのラーメンヘブンな札幌で知らない間にずいぶんたっぷりと店が増えた老舗 「さんぱち」だが、その存在意義は時代に媚を占い、昔通りの味噌ラーメンを提供し続けていることだ。と断言する。(したい)
札幌に数々ある味噌ラーメンの名店に共通するのは、減塩とか脂肪カットとか言い出さないことだ。味はあくまでガツンと濃い味で、ネギをたっぷりケチケチしないで、チャーシューは店によってそれぞれだが厚切りが多い。ブルーカラー系の味だといえば、確かにそうなのだが、これがうまいぞ、これが好きだぞという男性中心の顧客層に支えられている。老舗というにはちょっと荒っぽいという感はあるが、ススキの周辺にあった古いラーメン屋が次々と変身していく中、さんぱちの変わらなさは貴重だと思う。
ただし、店による味のばらつきもそれなりにあるので、自分の好きなさんぱちを発見するのがちょっとたいへんだ。

札幌 さんぱちの味噌ラーメン

全く知らないラーメン屋に初見で入るのはかなり気合のいる博打だと思うが、札幌ではたまに博打してみることがある。勝率は五分五分という感じなので、あまり良い博打ではない。だから勝った時は実に嬉しい。「辛いラーメン14」というずいぶん変わった名前のラーメン屋に入ったんのは土曜の昼だった。近くには北海道庁がある札幌のオフィス街で、「土曜に店を開けているというのが立派だ」という心意気に負けて入ってみたのだが。これが大当たりだった。

辛さは10段階くらいで選べる。取り合えず無難なところで普通というか中辛にしたが、これが顔から汗が出るほどの辛さだった。人によっては辛さをレベル下げすることも必要だろう。それでも周りの客は5辛くらいが結構いたので、辛いもの好きには中辛では物足りないのだね。ただ、単純に辛いのではなく旨辛系なので、ちょっと水を多めに補給すれば大丈夫だと思う。チャーシューがうまいと感じたのは久しぶりで、辛さによく合うチャーシューという珍しい一品だった。これはまた行きたくなる、後を引くうまさを感じる。札幌では「辛さ」を押し出したラーメン屋は珍しい。

普通のラーメン屋でも辛味噌程度は提供するようだが、辛さ専門は嬉しい。近郊の北広島には地獄ラーメン的な辛いラーメンもあるが、あまりにも遠い。札幌で辛いラーメンがメジャーになる日までぜひ頑張ってもらいたい。

旅をする

札幌にてビル地下にある角打ちを訪問する

角打ちといえば、普通は酒屋の片隅に立ち飲みカウンターがあり、缶詰とか乾き物を肴にチャチャっと飲むイメージがある。東京下町門前仲町あたりにあるちょっと大ぶりな店は別として、小体な店という印象しかない。

どうみても美容室の入り口

偶然札幌の観光ブログで見つけた角打ちの店も、いつも時間が合わず、たまたま行った時はなぜかお休みだったりして、随分と時間がかかったがようやく入ることができた。しかし、この扉の向こう側は美容室の入り口に通じる廊下だ。入って大丈夫かと思う。扉を開けて左側には酒樽が置いてあり、どうやら階段を降りていけば飲み屋なのだろうと安心する。しかし地下に降りて角打ちとは。

階段を降りて突き当たるのがこの扉だ。普通の防火扉・スチールの扉だ。営業中とは書いてあるが。この扉の左右にもスチールの扉がある。右側はビルの保守管理室、左のドアは他の飲食店の事務室らしい。なんとも扉を開けるのが怖くなるが。やはり、怪しげだ。

この入り口が凄すぎる

扉の中は、角打ちと言いながらテーブルと椅子がある。立ち飲みはしなくて良いようだ。お店の奥には大きな冷蔵庫があり、中には日本酒が満タンに入っている。一升瓶の首に値札がかかっていて、一杯幾らかは日本酒の種類次第だが、300円から800円くらいまで。梅酒も何種類か置いている。

種類は豊富、弘前の豊盃もあった。

まずカウンターで1000円を支払い100円の金券を10枚購入する。あとは、金券で酒やつまみを交換する。ちなみに、お通しというか入場料というか、最初に300円分支払う。これで漬物や豆などの簡単なつまみが取り放題。あとは、1000円単位で追加購入する仕組みなので、飲み過ぎになることはないと思う。酒のつまみは他にもいろいろあるし、なかなか日本酒に合っているグッドなチョイス。

つまみはオクラとガリ

さくっと日本酒を飲みたい時には便利な店だと思う。ただし、初めて一人で入る時はちょっと緊張するかもしれない。どうみても酒が飲める場所という感じがしないからだ。札幌ではなかなか少ない角打ちだが、ここなら安心していけそうだ。ただしトイレはビルのダンジョンの反対側にあるので、トイレに行く前にチャチャっと飲み終えて帰ったほうがよさそうだ。

食べ物レポート

千歳空港のラーメン二題

千歳空港の観光客向けラーメン横丁は、フードコートとして日本屈指の売り上げがあるのではないかと推測しているのだが、その中でもいつも混雑している店とまあまあの客具合の店があるのは、資本主義社会としては仕方のない競争原理が働いているのだ。

などと小難しいことを考えながらラーメンを食べるわけではないのだが、なんとなく何度も使ってしまう店と、一度も使っていない店があるのは、ある意味マーケティング的にはブランド形成の問題だと思っている。
つまり旅行者という一過性の客にとっては、コスパ、価格対経験満足度合いという公式が働かないのだろうということだ。平たくいえば、「多分、今日食べるのが最初で最後の札幌のラーメンだ」と思えば、あまり金額にこだわる必要もないので、うまければそれで良いという考え方になる。そうなると、売り手側が考えるのが、「安くてうまいものを食べてもらい何度でもきて欲しい」ではなく、「豪華で付属品満タンな、お高いラーメン開発」になる。結果的にリピーター(例えば札幌で仕事に来る人とか北海道大好き旅行者とか)をなくしてしまうので、ブランドが立たない、有名にならない、口コミに載らないという現象が起きているのではないか。

ラーメン横丁に出店している店は、本店が行列ができるほどリピーターに支えられているからこそ力があると言えるので、この横丁の中だけでは「強いブランド」になることはできないのではないかという疑念だ。ちなみにススキノ周辺にある有名店でも、トッピング大盛りをやっている店はどうにもいただけない気がする。(まあ、全部乗せが流行であることは認めるけれど)
などと考えてこれまで利用したことがない店を順番に回ってみようと行脚を開始した。

その一番目が弟子屈ラーメン。
弟子屈という場所はわかるが、そこにある特産品はなんだったかなあ、摩周湖の霧かな、みたいな冗談しか思いつかない。なので、さっそく実食。味噌ラーメンでした。普通にうまいが、特徴はよくわからない。どうやら柔らかいチャーシューが店の自慢らしい。北海道で特別の味噌の産地は記憶にないので、土地柄の味噌を使ったということもないだろう。ラーメンの上に乗っている味噌玉は、北海道ではあまり見ないトッピングだ。山形の龍上海の影響なのかなと思いつつ、味噌玉自体はあまり強烈な味ではない。普通に美味しいラーメンだと思うが、この店の特徴というやつはあまり記憶に残らないかな。

その二番目、ラーメン空。大きいチャーシューが特徴らしい。もやしとメンマは札幌味噌ラーメンでは標準形の一つだ。スープの味は、これも普通。どこか尖っているというところはない。問題は麺で、茹ですぎ。伸びている。札幌ラーメンは少々硬めの歯応えがある麺が特徴だと思うが、明らかに柔らかい。今回は調理ミスなのであれば、次回は期待できると思うが、これが標準であるのであれば、好みとは違うなあという感じ。関東圏のラーメン屋はこれに近い柔らかい麺を出す店も多いので、一概にダメだとは言わないが、札幌的ではないような気がする。でも、それを確かめるためにもう一度たべてみるというのも気が進まない。

食の機会は一期一会だから、残念な経験をしたら、それまでよということで良いとは思うけれど。