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ゲームで学ぶ歴史

コロナで半強制的ステイホームを強いられ、家ごもりした一年半、せめて大量に読書にいそしもう、などと思っていたが、結果的には予想の半分以下の読書量でしかない。知的水準が落ちている、加齢による集中力の低下、視力の減退など色々と言い訳してみるが、学生時代と比べると読書力(読む速度)は1/5程度に落ちていることがわかった。自分を使った実証実験で検証されたのは、引退したら溜め込んだ本を片っ端読むぞ、というのは全く無理ということだ。読む気力が足りなすぎる。残りの人生で溜め込んだ本を読み切ることができるとは到底思えなくなった。

その読書力の低下を補った(?)のが、「アサシンクリード」というゲームで、15年近く放置していたゲームを取り出し、暇つぶしに始めたらドボンとハマってしまった。いわゆるアクションゲームなのでちょっとだけやって苦手だと放置していたのだが、下手くそでも時間をかければなんとかなると自分に言い聞かせ、延々と続けてしまった。結局シリーズをほぼ全巻制覇(11作)したことになる。第1作は設定が中世十字軍の時代で、中東の都市の覇権を握るため、「アサシン教団」と「十字軍騎士団」が争うというもの。ゲームをやるうちに中世の中東世界が気になり歴史のお勉強を始めてしまった。中東世界はなかなか面白い。
2作目以降は舞台がルネサンスのイタリアと地中海世界、滅亡間近のビザンツ帝国とオスマン朝トルコ、大海洋時代の北米カリブ海の海賊、アメリカ独立戦争前の北米植民地、フランス革命のパリ、産業革命期のロンドンとほぼ10世紀にわたるゲーム世界を、ゲームをやりながら歴史のお勉強をする羽目になった。基本的には人類史の裏側でアサシン教団と十字軍騎士団が争い続けているというストーリーがベースとなっている。
それに合わせて、歴史的人物があれこれ登場してくるが、その人物設定を確かめるのが楽しみになった。10年以上続くシリーズであり世界的に人気があったゲームなので、ゲーム機能の進化もさることながら歴史読み込みデータがすごいと思う。日本人にはあまり馴染みのないカリブの海賊以降の北米大陸近代史は、正直言って知識としてほぼ欠落していたので「とてもお勉強」した気がする。
近作はプトレマイオス朝末期のエジプト、つまりクレオパトラの時代でシーザーによりローマ支配が確立する頃の話「オリジンズ」。その時代が、アサシン教団のルーツになっているという設定だった。その次の作品が、もう少し時代を遡りローマ帝国にエジプトを含む地中海世界が支配される前の時代の話になる。これが「オデッセイ」という作品になる。
当時の地中海はギリシア都市国家諸国とペルシアが抗争する世界だったが、その時代からすでに始まるアサシン教団の前駆者と十字軍騎士団の前駆者たちの争いがあったという構成だ。
つまりこのゲームシリーズの中では、ヘレニズム世界から近代ヨーロッパまでの欧州地中海世界の歴史が基本設定として使われている。それを学び直すきっかけとなったのだから、ゲームで遊んでばかりいたわけでもない(エヘンエヘン)。
日本史で考えれば縄文時代末期から明治の手前までに当たる長い期間だ。歴史の学び直し教材として考えれば相当厚みのあるものだろう。特に、北米植民地の独立戦争は、植民地対英本国の抗争と一言で片付けてしまうには、難しすぎる事象だったことも初めて理解した。欧州各国の世界戦略とそこに関わるキリスト教教団、新教と旧教の争いが絡み合う。そして、独立戦争前後の英仏間の駆け引きがフランス市民革命の引き金になったことも理解できた。ゲームを通じて歴史を学ぶのは、なかなか楽しいことだが、余暇時間というか暇つぶしがお勉強に変わり、自分の時間を強烈に持っていかれるのでそこが問題だなあ。ちなみにアサシンクリード諸作はシリーズを重ねるごとに、ゲーム内容のボリュームが増えるため、最近の作品ではやり切るまでに200時間くらいかかるのではないかと(下手くそすぎるためもある)思われるので、時間浪費注意な、遊ぶと危険というべき物であることに間違いはない。代価が歴史の学びということで、そこに妥協点を見つけられる方以外はお勧めできないかも・・・。

公式ホームページはこちら ↓
https://www.ubisoft.co.jp/ac-portal/

食べ物レポート

Takeoutで 日高屋飯

近くの日高屋でランチ時には500円弁当も売っているが、ちょっと遅めのランチで、庭飲みをしようと企み単品を注文してみた。ネットで注文できるということだが、実はネットのメニュー表には載っていないものが欲しくて、電話をして確認した上でわざわざお店まで買いに行った。このご時世にアナログなことをしているという自覚はあるが、これは「不要不急」の外出ではないので・・・と内心で言い訳する。
買ってきたものは「バクダン炒め」と「キムチチャーハン」の二品になる。おそらく電子レンジ対応容器だと思うが、お店から歩いて5分で自宅だし、そのまま食べるのでアツアツ状態だからレンジアップも不要だ。

「バクダン炒め」は、辛い野菜炒めというかキムチ入り野菜炒めというか、ともかくビールのお供としては最強だと思っている。いつもは遅めのランチとか早めの夕食でビールと合わせて頼む、個人的な日高屋絶対定番なのだが。現在は店内での酒類提供禁止なので、自宅の庭でビールと合わせて孤食宴会をすることにした。まあ、一人飲みも青空の下であれば気持ちが良いし、公園で群れて飲むわけではないので誰に迷惑をかけることもないと自己弁護しながらだ。ちなみに正確には飲んでいるのはビールではなく、発泡酒大手3社の新製品を比較しながらの試し飲み。好みとしてはサントリー製がよろしい感じがした。いつも店内で注文しているものより、肉が多い気がしたのは気のせいだろうか。キムチ肉野菜炒め、肉マシマシ的な感じがしたのだが。決して文句があるわけではありません。

そして、個人的日高屋絶対定番その2がキムチチャーハンだ。町中華で、ありそうであまり見かけないのが、この「キムチチャーハン」という食べ物だ。自宅で作ろうとしても、なかなか上手に作れない。飯がキムチのつゆに負けて、ベタっとしてしまいがちだ。
某グルメ小説で、チャーハンは酒の肴になるという一文を読んで以来、確かにチャーハンを肴にして酒を飲むことが増えた。チャーハンは店によって味付けが異なるが、濃いめの味付けの店のチャーハンであれば、酒の肴として完成度は高いと気がついた。問題は、ものすごく腹が膨れることで、正しいお作法としては複数名で中華小皿料理を2−3注文して、半チャーハンで締めながら酒を飲むという感じだと思う。だが、これを孤食でやるのはとても難しい。
それを一気に片付けるためには、キムチチャーハンとビールという組み合わせが良い、というのが当面の結論だ。まあ理屈っぽく言えば、最初の半皿は肴として食べ、残りの半分はラー油をかけたり酢をかけたりして味変した上で、「締めの飯」としてやっつけるという寸法なのだが。ただし、このやり方でも、食べ終わるとほぼこのまま横たわりたいと思うほど腹が一杯になる禁断の飲み方なので、あまり他人にはお勧めしない。ただし、今回は自宅の、猫の額ほどの庭での飲み会なので、飲み終われば3歩で「横たわる場所」に到達できる。問題なしだ。

政府が酒飲みを禁止するのであれば、それを掻い潜るように公園飲み・路上飲みする奴らが出現する。屋外バーベキューがブームになる。「官」と「民」の戦いなんて、人に知恵が生まれ群れて暮らすようになってから、連綿と繋がっていることだ。まあ、その辺りをもっともらしく反感を煽り、自分たちの商売に繋げようという悪徳メディアの自己中発言に付き合ってやる必要もないし・・・。黙って「裏をかいくぐれば良いのだ」と発泡酒 ◯むぎ などを飲みながら、人類の官民闘争史に思いを馳せる、高尚な一人飲みを楽しみました。キムチャーハンおそるべし、敬うべし、うまし。

街を歩く

あの延長にともなう痛みを「官」はまだ知らない

一店だけ営業中、それもすごいことだが

予想通りというか、緊急事態宣言が延長された。その対策の中身、有効性には疑問符がつくと、新聞各社はあれこれ文句をつけているが、一般的な市民感情とすれば、政府がまたなんか言っている程度の「ノイズ化」した情報だろう。やめると決めた首相とその内閣が実施する政策など、正真正銘のレームダック状態でしかない。ただ、その死に体化した政権の発令する行政施策が、まだまだ周りに迷惑を撒き散らすことも事実だろう。
9月6日に延長宣言が出た。解除予定日だった12日の6日前ということは、これまでの宣言延長よりだいぶマシにはなった。営業を再開しようとすると、仕入れや従業員のシフト組みなどの準備作業が必要なのに、解除2日前みたいなタイミングで延長を決めてきた「おバカ政府」が、多少なりとも学習したということだ。注文した原材料を宣言延長で使わずに廃棄ということは(全てではないにしても)避けられただろう。シフト調整はギリギリというか、全壊は避けられたレベルという感じだろうか。

一方的に「悪者」扱いされている飲食業界だが、政府の対策検討に「犠牲者」「被害者」たる飲食業界関係者がいないのか、いても発言を無視されているのか。あるいは業界関係者のくせに政府に媚を売って迎合しているか(このケースは最悪だな)。コロナ対策予算を30兆円も未使用で繰り越したにも関わらず、業界規模20兆円程度の外食産業、飲食業への支援策が不十分だから、自粛要請破りが出現するのも当たり前だ。法による統治ではなく、「お上」の意向に沿う形で空気読めよ的なお願いをするだけの政府など倒れて当然だと思う。

居酒屋がテナントの大半を占める新宿の商業ビルの店内案内に貼られた「休業中」の札を見て、なんともいえない気分になった。海の向こうではイスラームの国が倒れた。政府のバカさが民衆を暴力革命に向かわせたという現実だが、この国も政府のバカさ加減では引けを取らないのではないか。
一方では不十分な補償金で特定業種をいじめ、他方では国のメンツなどと言って、国際大運動会を強行し、同時期に感染拡大しても運動会のせいではないと言い張る。結果的に、「迷言」「妄言」の大連発、大放出で国民を楽しませてくれた。まあ、これを誉めて良いのか、自国の政治屋の馬鹿さ加減を嘆くべきなのか。
そして、おバカ政治屋の元締め、首相は退陣というより馘首、クビという結果になった。おまけに誰もそれを残念がりはしない。政治屋のバカさっぷりもお笑いネタとしてはもうたくさんだ。

飲食業が10月から営業再開できることを祈るだけだなあ。

食べ物レポート

うまいらうめんの考察 たかはしふたたび

最近増えたきたような気がする「らうめん」というひらがな表記のラーメン店だが、言葉遊びだろうという理解をしている。ただ、その言葉遊びが、なんとも好ましい。ラーメンというカタカナ表記が「らうめん」というひらがな表記に変わることで、俺たち進化した一族なんだぞ的なラーメンニューウェーブというか、一段の高みに登ったものの気概みたいなものを感じる。(というのは、オヤジ的浪漫だな)

新宿に出かけた時に、いつもランチで迷うのが、「はやしやのオムライス」と「紀伊國屋地下ジンジンのナポリタン」、そして「たかはしのらー麺」だった。ジンジンは紀伊國屋ビル耐震強化工事のため閉店したようで、次からはオムライスとらー麺の二択になってしまうのがちょっと悲しい。

アゴだしラーメンを初めて食べたのは仙台で、おまけに仙台ラーメンではなく「山形のアゴだしラーメン」だった。仙台は東北の中心地なので(おそらく)、東北6県の名物店はだいたい仙台に出店しているようだ。まずは仙台進出、そしてそこを足がかりに東京進出という国盗り物語パターンみたいだ。だが、中には仙台で土着化してしまう店もある。東京進出より仙台での多店舗化が楽しくなってしまうケースだ。仙台で食べた山形ラーメンは、ぜひ東京進出して欲しいものだと思っているが、どうなることだろう。仙台土着化パターンになりそうな気配もする。調べてみたら仙台二号店が開いたようで、アフターコロナで東京進出してはこないだろう。新宿のたかはしも既に複数店展開している人気店なので、東京アゴだしらーめん対決なんていうのを楽しみにしたいものだが時間がかかりそうだ。

塩らー麺なのに濃厚な色のスープが特徴で、醤油ラーメンではないのが不思議

アゴだし塩らー麺は、自分の中ではすでに芸術品的評価になっている。ラーメンの完成形の一つであるとさえ思っている。別に完成の形が一つだとも思っていないが、数あるジャンルの中で(例えば豚骨味噌ラーメンとか、鶏白湯とかのラーメンサブジャンル)、やはり一段高い位置にある魚介だし部門のチャンピオン的存在ではある。
アゴ出汁の濃厚さと麺のバランスは、普通のラーメンの部品構成では難しいだろう。スープの主張がとても強いからだ。家庭で作るラーメンがうまくならないのは、スープと麺の温度管理が悪いせいだが(要は、下手くそなので)、一番悪いのははスープの濃さと麺の茹で加減がうまく行かないことだ。麺の湯切りと、スープを作る時のお湯の量、温度が関わっている。逆に言えば、この要所を上手に調整できないから家庭料理なのだ。プロの腕とは、この差を意味する。
そして、この店、たかはしのチャーシューやメンマも一般的な業務用のものとは明らかに異なる。この独自性の高いトッピングはすでに「料理」として高いレベルにある。家庭で真似をするのが、そもそも無理な世界だ。例えば、プロ仕様のチャーシューを作ろうとすれば、少なくとも五十人前、百人前と大量に生産する必要があるので、素人が手を出すと、そこから1ヶ月はチャーシュー漬けの日々になる。メンマに至っては、おそらく一年中、朝から晩までメンマを食べることになるだろう。
美味いラーメン屋、そして最近の成功している「らうめん」店では、麺とスープとトッピングの隅々まで調和を考えているというのがよくわかる。神は細部に宿るというのは「料理」の真髄だろう。ラーメンでもその世界に変わりはない。
たかはしでは、チャーシューが2種類と言うのも、ちょっと嬉しい工夫。厨房の中に、スライサーがあるので、店内手切りなのがわかる。これも大事な工夫だと思う。チャーシューはできるだけ頻繁にカットして、表面の劣化を防ぐのが望ましい。また、手切りではなく機械切りすることで、標準化によるブレの排除が「うまさ」を生む秘訣なのだよね。たかがラーメン、されどラーメン、うまさは本当に細部の工夫に宿るものだ。おまけに、この店の厨房の床がきれいなところが一番尊敬できる。

おまけだが、(個人的に言わせてもらうと)汚れた名店というのはあり得ない。店が汚いけど美味いというのは、表現として間違っていると思う。店が汚ければ、食べ物屋としてはすでに失格で、うまいまずいの評価をするに値しない。アフターコロナの要点でもあると思う。

街を歩く

和風牛丼の「和風」ってなに?

なか卯の和風牛丼 生姜増量乗せ(セルフ)

一年ぶりくらいで渋谷に行った。渋谷の隣の恵比寿にはこの一年で何度か行っていたが、渋谷の駅を降りたのは本当に久しぶりだった。あちこちで店がなくなっていたり、新しくできていたり、一年も経てばそれなりに街は変化するものだ。一番驚いたのは渋谷駅の東急百貨店東横店が工事のため閉鎖されていたこと。渋谷駅再開発も最終段階に入ったのだなと納得する。所用を済ませたあと、ちょっと腹が減ったと「孤独のグルメ」っぽい気分になり、飯屋を探し始めたのだが、1年ぶりの渋谷で「牛丼」も一年食べていないことに気がついた。

牛丼35歳定年説というのを業界の先輩に聞かされたことがある。どうやら「腹の具合」やら「加齢による嗜好の変化」やらで、35歳を境に牛丼を食べなくなる人が多いのだそうだ。我が身に当て嵌めても、まあ、納得できる理論だとは思った。ただ、年に何回かは無性に牛丼が食べたくなる。だから、まだ牛丼卒業式は終わっていないような気もするのだが・・・。そして、その無性に食べたい牛丼も、実は普通の牛丼ではなく、ちょっとした変化系になってしまう。
単純に言えば「並み盛り」の牛丼では、飯が多すぎる。では最近出現した小盛りを頼めば良いのかというと、それでは満足できない。要は、米と頭(牛肉)のバランス問題なのだ。並盛りの肉量であれば、米は半分にして欲しい。小盛りの飯量であれば、肉を増量して欲しい。並盛りで頭大盛りにすれば、米と肉のバランスは良くなるが、今度は総重量が多すぎる。なかなか面倒臭い嗜好だと思う。
肉と米のバランスを合わせると、並み盛りを注文して米を半分以上食べ残すという勿体無い(罪悪感の残る)食べ方をするか、小盛りを注文して肉皿を追加するかになる。早くて安くて美味いはずの牛丼が、なぜか「お高い」食べ物に変身してしまうので、これはこれで若干抵抗感が残る。などなど考えながら、なか卯で和風牛丼を食べた。
しかし、なぜ「和風」なのだろう。吉野家の牛丼は、間違いなく和食だと思うが、それと「和風」のどこが違うのだろう。まあ、食べ終わると忘れてしまう、ちょっとした「?」なのだけれど。

個人的にはすき家のトッピング牛丼より、吉野家の「普通の牛丼」が好みだが、20代に熱狂的な吉野家フリークだった経験から、吉野家では「よく煮えている」と「今煮たばっかり」の差がある(はずだ)。そのため店内に入って周りの客が食べている牛丼をチェックする癖がある。
ただ、松屋とすき家はいつ行ってもよく煮えている状態なので、調理法が違うのかもしれない。まあ、最近は吉野家に行く回数が激減しているので、今でも「今煮たばっかり」状態が提供されるのかはわからないが。
350円の牛丼を食べ、ずいぶん値上がりしたなあ、などと思うのもバブル後の崩壊期の日本で生きてきたせいだ。来年あたりには牛丼400円時代になるのだろう。平成から令和の変化を思い知るのは、牛丼の値上げということになりそうだ。

駅弁

新宿駅の駅弁 旅推し

新宿駅南改札口側の駅弁屋に並んでいる駅弁は、いわゆる東京の駅弁を中心に、関東圏近郊の駅弁も並べられている。山形の名作「牛肉どまんなか」は例外的な東北方面の駅弁だが、それ以外はだいたい東京周辺限定だ。新宿駅から直通で繋がっている「中央線」で山梨方面と「湘南新宿線」で繋がっている鎌倉周辺の弁当がちょっと珍しい。日本橋の弁当屋の作品や国技館の焼き鳥などは、東京らしさを押し出している。新宿限定の弁当もあるが、それはまたの機会で。

今回ゲットしたのは。「つまんでよし、食べてよし」と力説の「湘南チョイス」で、確かにその通りだと思った。押し寿司は好物だし、変わり稲荷寿司も試してみたい。新宿から湘南方面にグリーン車で移動すれば、それはほとんど小旅行の気分になる。軽く一杯やりながらこの駅弁をつまみにすれば、通勤路線もプチ旅に変わる。
製造元は押し寿司の名店大船軒なので味は保証済みだろう。変わり稲荷寿司は、定番、ゆず、黒糖の3種類だった。稲荷寿司専門店にでも行かなければなかなかお目にかかれない変化球が楽しい。酒の肴として一番よろしいと思ったのはスモーク鴨とマグロの角煮。横浜崎陽軒「シウマイ弁当」でも、主役のシウマイを押しのけて好みなのが、マグロ煮とタケノコ煮なので、駅弁では脇役が大事だ。
幕の内弁当は白飯とおかずの対比で豪華さを見せる。米の白とのコントラストが弁当美の条件だ。ところが、この弁当は白飯がないため見栄えが異なる。弁当というより、おかずイッパイ、酒の肴満載感がある。この箱庭的な光景は猛烈に食欲・酒欲をそそる名作だ。(個人的感想です)

年末くらいになれば、駅弁でちびちび酒を飲みながらの旅行も再開できるらしい。当たり前の日常というのは、マスクを外すことではなく、旅行の楽しみが復活することではないかと思う今日この頃。

街を歩く

居酒屋、営業していません そろそろ解除のはずだが

この8月の事態は記録に残しておこうと思い、お盆明けの駅前商店街に行ってきた。

老舗居酒屋が休業。「当面の間」と書いてあるのが、政府を含めた行政への不信であることは間違い無いと思う。期間は予想通り延長されたから、「官」の愚かさ加減は「庶民」に見抜かれていたということで。

全国チェーン店は書き方が優しい。「県の要請で」とあるが、確かに緊急事態宣言や重点措置が出ていない地域もあるから、チェーンとしてはこういう書き方になるのだろうか。今頃は期間を書き換えて、張り替えているのだろうか。

焼き鳥屋チェーンでは、もっと優しい。まるで自分たちのせいでお休みするような書き方で、「官」の要請でとは書いていない。これも日付を書き変え張り替えているだろうか。ただ、休業開始日付がちょっと微妙だったけれど。

同じ全国チェーンでも、文言がきつい。これはちょっと店長の怒りが感じられる気がする。「宣言終了日まで」、つまり最初から宣言された期日で終了するとは思っていないのだろう。「官」には不信しかない、と言外の怒りを読み取れる。(気がする) その怒りは正しいと思うぞ。

こちらも全国チェーンだが、24時間営業という業態のせいか、ずいぶん休業期間が長い。店主のお言葉は客に対して丁寧な語り掛けだが、「緊急事態宣言発出」という言い方は、やはり無念さが滲むなあ。役人用語の「発出」を使うあたりが、ちょっと高等テクニックな批判かもしれない。隣に書いてある「埼玉県の要請により」は、いわゆる埼玉公式フォーマットなのか。

ちょい飲みが主力業態である中華料理店チェーン、酒類の提供について」と事務的な表記でサラッと流している。こういう酒と料理というハイブリッドな店(居酒屋的な食堂)は、ダメージ深刻でも休業もできないから、余計やりきれないだろう。

全国チェーン店は、「官」の要請に従っているが、個人営業のお店ではかなりストレートな「自粛を自粛」しているお店もあり、確かに自粛は強制でも命令でもないという法的な立て付けだから、魔女狩りみたいなこともできない。現在進行形で都に対して訴訟を起こしている企業もあるし、できれば行政としてこの辺りは触れたくない話題なのだろう。どちらにしても9月中旬で宣言明けになるとは思えない状況で、いつになったら営業できるよという店主の皆さんの怒りは、間違いなく次の選挙にあらわれるだろうなあ。

追記:予想通り延長で月末まで。やれやれ。

街を歩く

道の駅も大変です

スナック売り場が食堂化したらしい

秩父の道の駅で気がついたのだが、スナックコーナーというか軽食のテイクアウト店みたいのが入り口にあったのだが、それが、何やら重装備な店に変わっていた。どうやらコロナの影響らしい。弁当を売っているのもすごいなと思ったら、それが秩父名物、わらじかつ、豚味噌弁当なのだ。何気にうまそうだ。いつの間にか秩父コロッケなる代物も登場しているし。この窓口の脇にはテーブル席が大量にあり、つまり屋外食堂ということになる。なんだか、すごいことだ。

賞取りのラーメン屋らしい

そして、入り口の左側にはラーメンのキッチンカーが出現していて、こちらも車の隣には多数の屋外客席がある。コロナ対策として屋外というのはありだと思うが、ちょっと前だと保健所が嫌がる場所でもあったはずだ。まあ、保健所も暇がないだろうし、お咎めなしであれば、こういうキッチンカー展開は「あり」だと思う。醤油ラーメンが旨そうだった。次回は蕎麦とラーメンどちらにするか、真剣に迷いそうだ。

言いたいこと多すぎで、どれを読めばいいんだ状態はコロナ禍の象徴

道の駅ちちぶはいつ行っても良い意味でカオス状態だと思う。アニメの聖地巡礼者対応と、秩父名物の混在とか、コロナ対応であれこれ大変なのもあり、入り口のメッセージを見ると「戦時中なのね」と思ってしまう。まあ、でもこのカオス状態が好きなので、文句を言うつもりはないし、美味しい食堂も営業中だった。コロナで観光客が減っているので厳しいことは想像がつくが、施設としての対応策もよくわかる。同じ県内だし、不要不急ではない用事の時には、また道の駅で楽しんでみたい。次回は、味噌ポテト忘れずにゲットしよう。

食べ物レポート

回転寿司でワンコインランチ

イカ、タコ、鯖がマイ定番

コロナで外食産業各社は大変な苦しみを味わっているのだが、例外的に業績を伸ばしているのが洋風ファストフードと回転寿司だ。くら寿司、スシロー、はま寿司など業績好調で、この夏の時期には本鮪だのウニだのを使った、高い寿司キャンペーンをやっていた。一皿100円(税別)のはずが、いつの間にやら150円皿とか200円皿が登場している。その上に一皿に一巻しか乗っていない超高級皿も出現していて、客数と客単価の両方を引き上げるという積極的な作戦だった。
そこで高いネタの皿を見学に行ってみたのだが、結局注文したのはほぼ100円皿で見学は失敗だった。というのも、お高い皿のネタは人気があるらしく、販売中止、売り切れが目立つ。キャンペーンが始まったらさっさと食べに行かないといけないらしい。回転寿司各社がテレビCMをやるようになったので、余計キャンペーンネタが売れるのだろう。
この点は、業界的に今後要注意だと思う。回転寿司が洋風ファストフード業態と同じことをやるようになったことの意味は大きい。大袈裟に言えば、業態転換、コンセプト変更が一歩進んだと考えるべきだ。回転寿司は食べにいくところではなく、買いに行くところに変わっていくのだろうか。テイクアウトマーケットで最大勢力に成り上がる可能性がある。

全品タブレット注文だから、会計するのも会計ボタンをポチッと押して、席番号表を持ってレジに行くだけなので、従業員と話すこともない。そもそも入店時に、案内機で席取ボタンを押して席番号を指定され、従業員と話すこともなく席までたどり着く。入店から、食事、会計、退店までほぼ無人だ。
カウンターに座れば孤食、黙食が徹底できる。アフターコロナでは回転寿司で一人飲みが爆発的に増える可能性もあるかなとも思っている。回転寿司のカウンターでは、隣の席とアクリル板の間仕切りができたことのためか(心理的なバリアー感ができる?)、女性の一人客が多いような感じもする。回転焼肉の実験店も好調というニュースを見ると、孤食+テイクアウトというコンセプトで、新しい業態、商売の可能性が出来上がるのではないか。などと「贅沢な鯖 一皿150円」を食べながら考えていた。お安い贅沢なのだなあ。

街を歩く

ヤオコーの影も形も見えないスーパー

ネットのニュース配信サイトでなければ手にに入らない情報というのはあるもので、埼玉県飯能市に開いた、スーパーマーケット「ヤオコー」の低価格型新業態は、その典型だった。ニュース配信の良いところは、メディア各社の記事、報道が切り貼りされているので、朝日毎日VS読売産経みたいなお手軽に拾い読みできることだ。まともに大手新聞5誌の比較をするとなれば、大仕事になるが、ネットニュースではちょちょいのちょいだ。たまに、有料記事などもあるが、実は読者?の関心の高い記事は無料配信が多い。朝日が有料で産経が無料記事となれば、朝日の記事を読むのは「朝日新聞信者」しかいない。その逆もありなので、新聞各社とも競合者とアピールしたい記事は無料のことが多い。
ただし、ニュース配信ではそんな政治的な、そして経営的な目論みの記事だけが配信されてくるわけではない。配信記事を選ぶのは配信サービスの編集員らしいが、それでも配信ニュース各社によってい、多少なりとも政治的というか好みの差がある。そして、エンタメ、グルメや経済情報の中に混じり込んで、「お安い」「お得」「新店」のようなキーワードで括られた生活情報が流れてくる。ファストフードの新製品や、キャンプ用品、100円ショップの新作などの情報が、政治経済情報とごちゃ混ぜになりながら流れてくる。
この手の生活情報、最近ではライフハックなどと呼ばれているが、なんとなくお得感が感じられるので楽しみにしている。そんな中で見つけたのが、埼玉県を中心に展開している「ちょっと高級なスーパー」ヤオコーが実験店としてディスカウント系店舗を開店したという記事だった。8月3日開店で大混雑しているという情報だったから、ひと月くらいして落ち着いてから見に行こうなどと思っていたが、ようやく先日、のこのこと視察に出かけた。

入り口に現金のみと書かれたポスターがあった。確かにこれは大事だ。最近はキャッシュレス化が進んできているので、会計時にレジで現金がないと揉められても困るだろう。そして、「価格を安く」と書大きくいてあるのでワクワクしながらそれを確かめに入った。事実、安かった。
生鮮三品は感覚的な判断だが、通常スーパーと比べて3割くらい安い。品質は実際に買って食べてみるしかないが、当日購入した魚と果物に関していうと、普通に美味いレベルだった。安くて不味いということはなさそうだ。惣菜も全般的には3割安という感じがする。また、店内にヤオコーPBが全く存在しない。NB品だけの展開なので、尚更安さが強調されるようだ。
レジも読み取りは従業員がするが、支払いはセルフ形式で、速さ=人手削減は実現されている。フードコートはない。なぜか婦人用衣料品の売り場があるが、この意図はよくわからない。衣料品は利益率が高いのだろうか。

この実験店がうまくいくと、既存ヤオコーとの配置見直しをして、ヤオコーがもう一段高級化すると同時に隣に「お安い店」を展開するという戦略が成立するだろうか。そうなると大型モール店では「高級ヤオコー」、近隣ショッピングセンターでは「フーコット」という棲み分けができそうだ。アメリカではすでにスーパーの階層化、ランク分離が進んでいるが、ようやく日本でもそういうことが起きるのかもしれない。
地域の中流市民を一網打尽にする、これまでの地域ドミナント戦略から、高価格帯と低価格帯を異なるブランドで住み分けし、確保する階層戦略への転換とみて良いのだろうか。私鉄沿線で鉄道各社が目論んだ高級スーパー路線は、少なくとも関東では成功していない。百貨店ブランドの高級スーパーもうまくいっていない。比較的うまく行っている成城石井もスーパーというよりは輸入食料品+限定惣菜というのが実態だろう。高価格帯スーパーは失敗するコンセプトなのかと思ってきた。
埼玉発のローカルスーパー「ヤオコー」が進めてきたちょっと高級路線が日本マーケットの限界かなと思っていたが、低価格対応の別ブランドを作り出す二層分離作戦は、意外と正解なのかもしれない。(この作戦はヨーカドーも成功していないし、ダイエーはその前に破綻した)

フーコットで買ってきた「シナノパープル」を食べながら、あれこれ考えていた。ちなみにシナノパープルは、地元の長野でも低価格スーパーでは売っていない高級品なのに、なぜ埼玉の低価格店で?という疑問もありますが・・・。一房1000円という高級ブドウなのでありますよ。不思議だなあ。