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街を歩く

飯田橋界隈 恋愛の神社らしい

東京大神宮

九段下から飯田橋界隈は、駅からすぐ近くの場所ばかり行っていたので街歩きをしたことがない。東京の街は地下鉄、JRともに駅間距離がさほどでもないから、一駅二駅くらいは歩いての移動が可能だ。逆に歩いてみないと、地理感覚が身につかないようにも思う。
東京都心西部地域、目黒から池袋にかけては折々歩いているので、そこそこ土地勘もできた。大地震の後、どうやって自宅まで帰るかが問題らしいが、少なくとも東京都内西部域からであれば、何通りでも帰り道の検討はつく。しかし、皇居周辺を含む東部域であれは、かなり怪しい記憶しかない。だから、秋葉原から神田、九段下、麹町、飯田橋、四谷から新宿にいたるまで、中央線沿線の繋がりで東京都心部の東西横断はしておくべきだ思う。
そんなことを考えつき、九段下近くから飯田橋、市ヶ谷と歩いてみた。そのついでに、今まで行ったことのなかった東京大神宮に立ち寄ってお参りした。どうも恋愛成就の神様らしいが、今更お世話になることもなさそうなので、見当違いを承知で商売繁盛をお願いしてきた。それでもバチは当たらないだろう。

街歩きをする時の楽しみの一つは、飲食店を含む面白看板を探すことだ。麻辣湯という文字は池袋で見た。酸辣湯麺は好物でよく食べるが、その「酸」がない麺料理のことかと想像してみる。すごく辛そうだ。水が大量に必要になるに違いない。でも食べてみたい、誘惑に駆られてしまう。
隣の「あらごし団」は、なんとなく意味はわかるが、何があらごしなのかなと疑問が湧く。普通は「あらごし果汁」みたいなつぶつぶ感のある液体を指す言葉なのではと思うが、「あら+ごし」という九州の言葉の合成?を疑ってみたり・・・。そもそも「あら」とか「ごし」という単語の記憶があるわけでもない当てずっぽうだ。

歩いているといきなり広場が出現した。この規模であれば普通は公園にするような気もするが、何かの理由があって「広場」で放置されているのだろう。都が地上げをして、この先は周辺も回収して何かにするのかもしれない。青山の児童館建設で地域住民が揉めていたことを思えば、収容した土地を広場として放置するという策もあるだろう。地域住民が高齢化して消滅するまで処分を決めないでおく「住民と揉めない長期戦略」なのかもしれない。義務を果たさず権利を追求すのは、都市住民だけでない。もはや国民的運動とでも言いたいぐらいだ。土地問題は利権が絡んでいるから「専門家」が砂糖にたかるアリのように集まってくるせいもあるだろうし。「専門家」ホイホイが必要な時代だろう。

JR飯田橋西口に出る途中に青森県のアンテナショップがある。たまに青森産の日本酒を調達す流のに立ち寄っているが、銀座周辺のアンテナショップ密集地帯を離れてポツンと一軒あるのが不思議といえば不思議だ。原宿にも新潟県のアンテナショップが単独でポツンある。銀座は家賃が高いから不採算なお店が多いと聞くが、青森県や新潟県の場所選びの理由は知りたいと思う。
この後、法政大学キャンパスと靖国神社の裏を抜けて市ヶ谷まで歩いた。頭の中で、駅と駅、点と点で結ばれていた九段下から飯田橋界隈がようやく道で繋がった。歩くというのは重要だなと再認識する。次は市ヶ谷から四谷経由で新宿あたりまで。あとは四谷で分岐して北側を攻めてみることにしようか。北ルートのゴールは多分高田馬場だな。東京歩き旅?も面白いものだ。

食べ物レポート

北海道人の独善と欺瞞

某局の「秘密の県民」情報番組が好きなので欠かさず見る。ネットであちこちに書かれている、「あんなことは実は一般的ではないぞ」という暴露クレームも、エンタメだから許してやろうよ、と鷹揚な気持ちで見ている。そのはずだったが、どうも最近の生まれ育った場所の情報を見るにつけ、確かにネットの意見は正しいとも思う。特殊事情を一般化して(要するに話を盛大に盛っている)事案も多いようだ。
以前にも何度か書いた記憶があるが、北海道は元々、原住民族アイヌが全道に散らばって住んでいて、樺太(現サハリン)や千島(現クリル諸島)にもアイヌは存在していた。だからアイヌ民族は北海道だけではなくアジア北方域に広がる広域民族だった。ただ、言葉は多少違っていたようだ。
そこに、南部から日本人が侵入してきた。商売を含め共存していた時期もあったようだが、結局は明治政府の時期に、直轄地として日本人による開拓が進んだ。だから北海道の地名はアイヌ語きげんがほとんどだ。
その明治期の開拓前は、津軽海峡を挟んだ津軽海峡文化圏とてもいうものが北海道南部の沿岸地帯に広がっていた。だから、当初の北海道は津軽の北縁的なもので、津軽文化が色濃く残っている。そこに、明治期の流刑人および戊辰戦争敗残者が多数移住してきたため、全国各地の風習や言葉がミックスされていった。
このミックス言語を「北海道弁」として認識しているのだが、当然ミックスには濃淡があり、北海道人の中でも互いに理解できない単語が混じっている。札幌人は函館人の言葉がわからないが、津軽の人はよく理解できるという現象が、その典型だろう。
逆に北海道人が、北海道独自の風習だと思っていることのほとんどが、北部東北を中心とした地域にルーツがある。

長々と書いてきたが、北海道人がよくいっている「北海道だけ」のお菓子みたいなものに、中華饅頭がある。一般的な饅頭とは全く見栄えが異なり、どら焼きを二つ折りにしたような形というのが一番近い表現だろう。半月型のどら焼きという感じか。
北海道では冠婚葬祭によく使われる。大きさも手のひらサイズからスイカを半分にしたような巨大なものまで、色々とサイズ違いを見かける。ところが、これは北海道独自のものではなく津軽ルーツなのだろう。青森の市場にあるお菓子屋で中華饅頭の原型を発見した。
同じ店に売っていたリンゴ最中は北海道では見たことがない。青森のリンゴ栽培は明治期に始まったので、りんご最中はそれ以降の商品だろうから、北海道に流れ込まなかったようだ。しかし、中華饅頭は道南を起点に十勝平野から東へ、旭川から北へ広がったようにおもえる。鉄道網の広がりと合わせて広がった食文化ではないだろうか。
例の県民情報番組は、この辺りの時代考証はあまり行わないので、北海道独自スイーツ的な扱いになっていた。どうやら中華饅頭北海道起源説は北海道人の独善的解釈らしい。まあ、どうでも良いと言えばどうでも良いことだが。

ただネーミングは中華饅頭ではなく「大中華」と書かれていた。どこで名前が変化したか、それともこの店独自のネーミングなのかはわからない。青森、弘前で菓子屋巡りをしてみれば判明しそうだが。

最中については、どうやらリンゴに対する熱烈なこだわりというよりは、モナカバリエーション拡大作戦の結果のようで、貝モナカや菊モナカも存在している。津軽人が和菓子大好きで、特に最中が好きだからリンゴ最中が出現したと考えても良さそうだ。北海道人が特別の最中嫌いだったということもないだろう。

岩手や宮城の食文化も北海道には移入されていて定着しているものも多いが、どうも北海道人はモンロー主義的に「これは北海道特有で独自」と言いたがるようだ。ちょっと調べると、意外とルーツがわかるものなのだが。おそらく北海道に流されてきたもの、故郷を追われてきたものの子孫なので、その出身地域へのコンプレックスが「北海道独自」と言い張りたくなる原因だと推測している。親に嫌われた子供みたいなやるせなさだ。しかしルーツを隠した欺瞞情報で喜ぶなど、先の大戦の大本営みたいなものではないか。
ただ、ルーツに対する屈折した憧れは、アメリカ人やオーストラリア人のイギリスに対する複雑な心境に似ているかなとも思う。北海道人気質も、ちょっとグローバル問題ととらえて考えたり解釈をしてみると面白い。
蝦夷地が北海道になり150年。初代入植者から数えて五代目から七代目あたりが今の北海道人なので、そろそろルーツの呪縛とも離れて良さそうだ。全国各地のミックス文化から北海道ユニークな文化が、まさにこれから生み出されるような気がする。

念のためお断りしておくと、生まれも育ちも北海道で、二十代に東京近郊に流れてきたため、ルーツというべき場所を無くした半端者の考えです。

食べ物レポート

駅弁風コンビニ弁当 新版

ミニストップの企画弁当に最近ハマっている。ネットニュースで見つけては新作を買いに行く。正しいリピートユーザーだ。今回はレモンステーキ弁当。原型は佐世保の有名店の名物、レモンステーキのようだ。
コンセプトが「冷めても美味しい駅弁みたいな弁当」ということなので、当然ながらレジでレンジ加熱は頼まない。家に持ち帰り、室温で多少放置してヒヤヒヤ状態を脱したところで食べる。

見た目は確かに肉系駅弁に似ている。白飯の上にびっしりと敷き詰められた薄めの牛肉にタレがかかっている。甘酸っぱい味がする。おかずは箸休め程度なので、コレは肉と米を楽しむ弁当だ。
本家本元の佐世保のレモンステーキは、一度挑戦しようとしたことがある。が、超がつく人気店で、予約なしで入店するのは至難の業だった。2時間待ちと言われてスゴスゴ撤退した。
ローカルの有名店は行列ができる名店になっても営業スタイルを変えたり、増席したりしないことが多い。少なくとも帰りの飛行機の時間が決まっているような時には、予約なしで行くことは無謀以外の何者でもないと思い知らされた。予約はお早めにだ。
だから本家と弁当で味の比べようもないのだが、おそらく原型を食べたことがある人はちょっと違うと感じるのかもしれないと思った。
肉系弁当としては、既存のカルビ弁当の方が「らしい」仕上がりのような気がする。だから、この弁当は「気分を楽しむ」という目的で食べるのが良さそうだ。
冷たくてもおいしい弁当という基本コンセプトがあるのだから、肉を厚くするわけにもいかず、開発は難航しただろうと予測できる。
弁当一つ開発するのも大変なんだよね、と思いながら完食した。

食べ物レポート

津軽ならあめん

津軽の中心地といえば、やはりお城がある弘前になるのではと思う。県庁所在地の青森市は明治における陸海交通の要衝だったから、今では青森市の方が賑やかな気もするが。その津軽地方の名物(と個人的に思い込んでいる)が煮干しラーメンだ。青森(津軽地方)に行ったときには、一度は食べたいローカル定番フードだ。
弘前には何度も行っているのだが、ラーメンを食べたことがないので、今回はラーメンを食すのだと決めていた。ただ、鉄路の旅なので郊外の人気店探しは諦め、駅前で良さげな店を探すことにした。

駅近くで発見した「らうめん」屋でスルッと煮干しラーメンをと思った。だいたい、ひらがなで「らうめん」と書いてある店はこだわりのラーメンが食べられるというのが経験則だから、期待値は高い。店構えも「うまそう」じゃないか。

それでワクワクしながら店内に入ってメニューを見ると、あれっという感じがした。「煮干し」の文字が見当たらない。その代わり「津軽ラーメン」と書かれているものが定番らしい。迷わずに、それを注文した。
出てきたラーメンは見た目が実にシンプルな、昭和の風情がする。トッピングに使われている「お麩」が懐かしい。めんまというよりシナチクと言いたくなる。スープはあっさり系の醤油味で、ちぢれ細麺がよく合う。とりあえず弘前のラーメンが完了だ。どうやら青森県の定番としての煮干しラーメン店は郊外にあるようなので、それはまた雪のない時にしよう。

雪の弘前駅前で放置された自転車を見つけた。きっと雪が降り始めたので、帰宅は徒歩にしたのようだ。まさか春までは置いておかないだろうが、車で取りに来るのだろうか。
駅前の郵便ポストの上に乗ったりんごがちょっとかわいい。最近は、このリンゴがのっているような場所には、ご当地ゆるキャラが置かれていたりする。個人的には、弘前駅の丸っとしたリンゴの方がスッキリしているなと思った。
このあと、弘前名物の市場に行って「イガメンチ」を買って帰った。弘前の楽しみ方は、こんな普通の暮らしを体験することにあるような気がする。お城を見に行くのも良いけど、桜を見に行くのも良いけど、市場を覗く方がもっと楽しい。

駅弁

絶対王者と言いたい駅弁

秋田県大館市の駅弁、鶏めしの包装紙はよく目だつ。駅弁売り場で一眼でわかる「アイコン」性は抜群だ。コレに匹敵するのは、立体造形が見事な「峠の釜飯」と黄色がトレードマークの崎陽軒「シウマイ弁当」だろう。
この大館の鶏めしは新青森駅、岩手駅などでも買える。駅弁大会ではたまに出動している。最近の話題では、パリの鉄道駅で半年間販売されているそうだ。花のパリで日本代表駅弁として活躍している「日本の誇り」だろう。

中身は古豪の風格を見せるシンプルさだ。おかずが二品に漬物が添えられているが、やはりこの弁当の主役は「米」だ。薄い醤油味で炊き上げられたもっちりとした米が主役だ。上に乗っている卵と鶏そぼろと鶏肉とのバランスが絶妙で、米と一緒に卵を食べる、米と一緒に鶏そぼろを食べる。口の中で起こる「マリアージュ」、一体化することで生まれる美味さだ。鶏肉の味付けは甘しょっぱいのだが、コレは単独で食べる。とりの後味が残るうちに、コメだけを放り込む。再びのマリアージュだ。
全国に鶏めしは数多くあるが、個人的にはコレがダントツの一番だ。自分にとっての絶対駅弁だ。弁当の完全調和だ。The king of Ekiben in Japan, The Great Ekiben over the world というものだ。

弁当についていた箸袋を見ていたら、なんとびっくり。横文字が書いている。おそらくフランス語だろう。杉の間伐材を使用した割り箸を提供していると、袋の表側に日本語で書いてあった。
杉箸は香りが良い。おそらくおフランスの駅弁愛好者に間伐材利用というエコと杉の香りのことを説明しているのだろう。駅弁もすでにグローバル化の時代を迎えているようだ。ただ、グローバルになる前にせめて東京駅限定でよいから定期販売してくれないかなあ。

食べ物レポート

イカを食べに行った寿司居酒屋

イカゴロ焼き チープグルメだ

回転寿司で寿司がぐるぐる回らなくなった。タッチパネルで注文して、作りたて(握りたてではないのが特徴)を楽しむスタイルはすっかり定着している。と思っていたら、なんと新年のテレビCMで「蓋をして回るのが世界水準」などと言い始めているではないか。
いつの間にか、回転寿司に世界基準が存在するようになったのだろう。まあ、この手の話は言ったもの勝ちだし、とうとう「うまい寿司ネタ」では情報差別化ができなくなったということのようだ。回転寿司業界もいよいよ末期的競合症状を呈するようになったな、と一人で納得していた。
そんな回転寿司業態の中で、回らない回転寿司の筆頭が、何度も登場しているガッテンずしだ。(回っているのはお茶の粉のビンとわさびくらいか) 職人がカウンターの中で握っている、もはや古典的と言いたい運営手法だ。だから提供可能なのだろう、居酒屋化したメニューの数々がたのしい。
差別化というのは、こういうところで見せて欲しいものだ。ちなみに回転寿司超激戦区の北海道や北陸では、ピーク時でも寿司は回らずのバイオーダー握りが主流だから、そこと比べると関東圏の回転寿司はお手軽だが「ちょっと残念」な感じもする。
寿司居酒屋(?)がってん寿司で、イカを食べるとしたら、まずは握りの前にイカゴロ焼きを楽しむべきだ。ぶつ切りのゲソと耳がイカのキモ(ゴロ)と焼かれて、煮込まれる。イカイカしいとはこのことだ。冷たい日本酒によく合う。

ゲソ巻提供店は少ない イカ差別だと抗議しよう!!

そのあとは、イカゲソ握りとイカ三種盛りを楽しむ。ゲソはついお代わりしてしまった。口直しにたこも注文して、本日の握りは終了となる。頭足類オンリーで満足度は最大、マックスだ。
もちろん回転寿司屋としてこういう注文をされると、ちょっと迷惑かもという気遣いはあるので昼のピークが終わった後、客待ちの行列が切れてから入店する。夕方5時くらいに入ってこんな注文すれば、間違いなくちょい飲み需要なので上客と歓迎されそうだとも思うのだが。
回転寿司でマグロ祭りはよくあるが、イカ祭りとかたこ祭りは聞いたこともないので、イカ・タコの頭足類はやはり外道ネタなのだろうね・・・。

それでも我が道を行くことに一点の曇りなし。イカうまし。いとうまし。寿司居酒屋はもっと増えてほしいなあ。

駅弁

青森の駅弁

青森の駅弁の中で、一番食べてみたかったのが、この「ひとくちだらけ」というちまちました懐石風のものだった。以前、津軽のお魚だらけという駅弁を食べた。その記憶が強烈なので、この駅弁「〇〇だらけシリーズ」として期待が高かった。

ひとくちサイズのおかずやご飯が並んでいる。一眼見ただけでは和から洋なものも混じっているが、弁当箱の裏側にお品書きがあるので、それを照らし合わせながら食べていく。一口食べては、あーとか、うーとか言いながら楽しむ。グルメ番組ではコメントも言わず「うんーん」などと唸るのが普通になってしまったが、食べてみないと味がわからないのだから、なんとか「うーん」以外の表現しろよと言いたくなる。
だが、一人で料理を食べながら「これはまったりとした舌触り」とか「滑らかな中にも旨みが凝縮された・・」みたいな感想をぶつくさ言うのも相当に気持ちが悪い光景だろう。
だから、普段は馬鹿にしている「うんーん」みたいな言葉ともうなりとも言えない音しか出てこない。結局、これは新幹線の中で一人酒をやるための「酒の肴」だなと思った。ただ、車内で「ううーん」と唸ってはいけない。

新青森駅でねぶた鑑賞会をしながら、駅弁を買うというのは鉄道旅らしく、楽しいひとときだった。コンビニ弁当で済ませていた昔の鉄道旅を思い出し、じんわりと後悔してしまったので、ちょっとほろ苦い時間だった。
ちなみに、現在の終着駅「新函館北斗駅」は、残念ながらこの津軽的風情はないのだが、札幌まで延伸したらちょっと変わるかもしれない。終着札幌駅は、既存の札幌駅から徒歩5分?くらい離れるらしいので、これまた「変わった駅」になるだろうし。新青森駅の魅力が光るのはその頃だろうなあ。

街を歩く, 小売外食業の理論

ディッシャーズ 再訪

びっくりドンキーの新型店舗が開店後一年を経過したので、再訪しようと思っているうちに夏が終わってしまった。オリンピック騒動と長期化した緊急事態宣言ですっかりやる気を無くしていたせいだ。
年内にはなんとかしなければと、新宿までのこのこ出かけてみた。年末の週末なので人出は少なく、店内に客もまばらだったが、この店の真価は平日ランチだろうから、日にちを変えるべきだったと反省した。
基本的には究極の省人化がコンセプトのようで、店内で従業員と対面接触するのは注文した商品が運ばれてくるときだけ。言葉を交わすこともほとんどない。

タッチパネルで注文するのだが、基本のプレートにサイドアイテムや量の調整をすることで自分の好みに仕上げることができる。ハンバーグ五枚乗せとか、飯大増量とか、ガツン系には楽しみなオプションで作成できる。ただ、その分だけお値段は上がっていく。
ソースにカレーが選べるというのは、ちょっと嬉しい。ハンバーグにカレーはかけたくないが、ご飯にちょっとカレーという組み合わせができる。会計は右下にある番号札で、会計機で行う仕組みだった。

橋、ナイフやフォークも木製に代わっていた

ナイフやフォークなども基本的にはセルフサービスになっている。食器が木製に変わっているのは脱プラスチックということだろう。この辺りの最新SDGs対応は、流石に西新宿のオフィスビルというロケーションのせいだろう。けっして某・元環境相のせいではないと思いたい。新宿高層オフィスビル内にあり、SDGsを唱えている会社ばかり入っているビルだから、周りの店でも同じような対応をしているのかもしれない。

カレーソースをつけて1000円程度、西新宿オフィス街では平均的な価格かもと思うが、これが繁華街立地で出店するとちょっと微妙な値付けかもしれない。ファストフードとしては高すぎる。ファミレスとしてみると、妙に接客サービスが足りない気もする。ファストフードとレストランの中間形態、つまりファストカジュアルと考えれば納得がいくコンセプトだ。非対面接触型の店内飲食主導モデルとしてみれば、完成度は著しく高い。
ただ、アフターコロナを見据えて作った店ではないと会社が言っているので、これをうまく発展進化させた「アフターコロ型」をみてみたい。おそらく現在手薄なテイクアウト専用メニューの充実などを踏まえたものになるのだろうが。

現在はピザを導入して夜のちょい飲み需要、パンケーキを入れてティータイムの実験をやっているようだが、本命はハンバーグのテイクアウトではないのかと思う。
あらためて定点観測すべきコンセプトだなと思いながら帰ることになった。気になる店舗でありますよ。

駅弁

弘前の駅弁

弘前駅で、「津軽弁」の販売どころで入手した弘前限定の駅弁がこれだ。「津軽弁」(津軽の言葉ではなく、津軽の弁当と言う意味で使われている)販売コーナーでは、青森西部、津軽地方の各地から弁当が集まってくるので、きっちり確認しないと弘前なのに弘前以外の駅弁を購入する羽目になる。それがまずいとは言わないが、ちょっと残念な結果だと思うのだ。販売員の方も、これは手作りでおすすめみたいなことを言っていたので、迷わず選んだ「弘前弁当」だ。

弁当箱の中身は真ん中に4種類のご飯が入っている。紅白の対比が綺麗だが、栗が乗っているおこわもオシャレだし、黄色い卵乗せご飯が1番のおすすめだと思う。左右両サイドには津軽地方の家庭料理が入っている。当然、イガメンチもあるが、甘い卵焼きがイチ推しだろう。
だし巻き卵に慣れていると、この甘い卵焼きはケーキのような甘さに感じる。素朴というのとは少し違う気がするが、料亭の味のようなプロ感がある料理とも違っている。おそらく自分のうちに「お客が来た時のご馳走」とでも言えば良いのだろうか。卵焼きを普段よりちょっと贅沢な料理にしてみました、という感が強い。

弁当売り場の横にあるリンゴのオブジェをチラ見しながら、駅弁を選んでいるのは、なかなか旅情溢れる楽しい時間だった。これは地元の駅前で臨時販売している、横浜崎陽軒のシウマイ弁当を買うのとは随分違う。
駅弁の楽しみは、食べるだけではなく、買うところから始まるのだろう。それが、例えば駅のホームの売店かもしれないし、改札に入る前のお土産屋かもしれないが、いつもと違う光景で、いつもとは違う言葉を聞きながら、駅弁を買うから増幅される幸福感なのだと思うのだ。
飛行機を使った旅とはまた一味違う鉄道旅。これがあるからやめられないんだよね。

食べ物レポート

今年のお初はラオウモード

お正月の7日も過ぎると、流石におめでたい気分はどこかに行ってしまい、普通の行動というか普通の食べ物を口にするようになる。会社通いをしていた頃は、年頭式みたいな今年の始まりイベントがあり、その後でランチに行くと、これが今年のお初だなどと思っていた。節目感があった。今の暮らしでは、その節目を自分で決めてやらないと、なんだかダラダラとした時間の中で、はっと気がつけば、もう節分?みたいなことになる。どうもそれはいただけない。そこで、今日は初蕎麦を食べるぞと決めて外出した。

初かき揚げそば

出かけたのは町の蕎麦屋ではなく、和風ファストフードチェーン店で、そもそもうどんと牛丼の店だった。だが、最近は蕎麦も置いている。そこのかき揚げそばが最近は朝限定で値下げをしているというので、ちょっと足を伸ばして見物に行った。蕎麦屋でかき揚げそばを頼むと、そばの上に乗ってくるものだが、ここは別添えで出てきた。かき揚げは熱々で、自分で好みのタイミングでそばに乗せることができる。これはちょっと嬉しい。
半分くらい蕎麦を食べた後にかき揚げを乗せると、かき揚げの油が蕎麦つゆに入り混じることで味変ができる。普通のそばが普通以上に楽しめるとは。ちょっとした工夫が気の利いたサービスに変わる。ありがたいことだ。

初焼き鳥ともつ焼き

日を変えて、初焼き鳥も挑戦した。挑戦というほどのことでもないが、おせちから続く「うまいもの攻撃」と「うまいものの残務処理」に飽きが来ていた頃には、普通の居酒屋メニューが嬉しい。
いつもの居酒屋の新年営業開始から3日目あたりが狙い目だろうと目星をつけた。年末年始やお盆の時期は市場が機能開始するまで、魚や肉の調達に問題があることが多い。焼き鳥屋でもモツ肉のような特殊肉を扱う場合は特に注意が必要だ。
いつものように、タン、砂肝、ナンコツなど適当に注文し、一気に食い散らかすというか貪り食う。熱々なので、口の中でハフハフしながら食べる。滲み出る油と肉汁が、チープでガツンとくる美味さとして伝わってくる。今年も、あと何回、この美味さを楽しめることか。ささやかな人生の楽しみとして、初焼き鳥を堪能した。
どうも高級グルメ路線とは、今年も縁のない暮らしになりそうだが、チープなうまさが好物なので、我が人生に一点の曇りなしとラオウのような気分になる。ただし、我が人生は曇りだらけだったので、「気分はラオウ」というだけです、はい。
これが一年の始まりかあ。まあ、よしとしようと・・・。