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食べ物レポート

5月のイチオシ

ファサード周辺はラーメン屋とは思えない

所沢の中央部に旧帝国陸軍の航空基地だった場所がある。敗戦後米軍に接収され、今では一部が米軍通信基地としても凝っているが、大部分は返還された。その場所に市役所や警察などの官公庁が移転し、残りが大規模な公園になっている。休日には子供連れの家族や若者が集まりのんびりと過ごしている。図書館があるので本を借りに行くついでに、弁当持参で日向ぼっこに行ったりする。
その公園の端っこにある製麺業者の倉庫に一軒のラーメン屋がある。つい最近まで存在を知らなかった。その製麺業者が【新・所沢名物 醤油焼きそば】の発案者の一人だということをニュースで見た。醤油焼きそば専用蒸し麺を製造していることを知りなんとか手に入れようと思ったのだが、スーパーでは見当たらない。ネットで調べたら、土曜日が工場直売日で販売していることがわかった。そこに出かけてみたら、なんと倉庫はラーメン屋になっていて、ラーメン屋の奥が直売場だった。

4種類のラーメン

どうやら、ラーメン屋は製麺会社の直営店らしい。それも一軒ではなく、所沢を含め数店あるようだ。全く知らなかった。初めてのラーメン屋に行った時は、その店の推しメニューで一番ノーマルなものを頼む。味噌ラーメン屋だったら味噌ラーメン、トッピングも何も特別に書き足されていないノーマルなものということだ。Wチャーシューとか特選ワンタン乗せとかは頼まない。全部乗せなどもってのほかだ。ただし、一度行って美味い店だと思えば、2回目以降は全部乗せも注文するし、バリエーションで販売しているだろう塩ラーメンや辛味噌ラーメンみたいな増加変形版もありだ。
この店でもイチオシらしい ①生姜中華そば は完食済みだ。なので、前回来た時にに迷った ④3種の貝出汁潮そばを注文した。

貝スープのラーメンといえば、埼玉県蓮田にある「はまぐりそば」を食べ感嘆したことがある。以来、貝スープのラーメンは機会があれば食べたいと思っていた。それだけに期待が高かったのだが、まさしく食べたかったものが出てきたという満足感で実に嬉しい。チャーシューと岩のりのトッピングは塩味の出汁によく合う。そそ麺がやや硬めに茹で上がっているのだが、その硬さがスープと良いバランスだった。これがもう少し柔らかめの面になっていたら、ちょっとグデグデ感が出てしまう。博多のラーメンに近い「カタメ」な感じだった。

スーパの旨味がすばらしい。塩味が控えめなせいもあるだろうが、貝の味が複雑で、かつ麺が溶け出して濁ることがなかったせいだろう。ラーメン漫画にはスープまで完食する場面がよくあるが、丼を傾けてスープを飲み干したことなど、この30年近くないことだった。大体はスープを半分くらい残して終了する。
今回は、マンガチックになっているぞと思いつつ、最後までスープを飲んでしまった。決して無理して飲んだつもりはないが、蓮華でスープを飲んでいるうちに、どんぶりから直接飲むかという気になった。
満足度が高いというのは、なかなか貪欲になってしまうものだ。次は ③煮干し中華そばの予定だが、また貝そばを頼んでしまい、いつまでも煮干し中華そばにたどり着けないような気もする。

書評・映像評

シン・ウルトラマン観察録

Photo by Daisy Anderson on Pexels.com

ウルトラマンの画像は版権があり使えませんので、権利フリー画像を怪獣で検索したら出てきた写真がこれ。日本人とはセンスが違うなあ。

ウルトラマンの新作というか新解釈された映画がヒット中らしい。制作はシン・ゴジラのチームだから、その作風というかテイストも似たようなものになるのだろうとおもって、のこのこと平日の朝イチの回を見にいってきた。埼玉の片隅の街の映画館なので、予想通り館内は空いていたが、これまた予想通り観客は高齢者がほとんどだった。空想特撮映画のはずだから、客層はドラえもんと似通った親子連れになる……とはいかないようだ。リアルタイムで初代ウルトラマンを見ていた世代も今や還暦越えをしているのだから、この映画もオールドファンが中心になるようだ。最近の青と赤がシンボルカラーになった新型ウルトラ一族を見ている若い世代には、興味をひかないテーマであるようにも思う。タイトルに惹かれて内容を吟味しないまま、小学生が勘違いして見にくることもあるかもしれないが、それはウルトラマンとの出会いとしては相当に不幸なことになる。小学生を連れてくるであろう親たちも、自分の見てきたウルトラマンとの差異に違和感を感じるはずだ。

現在公開中の映画なので、ネタバレをするとよろしくないとネットのあちこちで大騒ぎになっているから、ネタバレはしないようにするが。
シン・ゴジラと同じでリメイク作ではない。出現世界の設定を微妙に変化させ、屁理屈が成立する世界を作り出している。例えば、なぜ日本にだけ怪獣が出現するかとか、無数にある星間文明社会の先進星域からくる侵略者たちはなぜ地球に攻めてくるのかとか、いろいろな何故?に答えようとしている。
シン・ゴジラや平成ガメラシリーズで貫かれているのは、怪獣映画でさりげなく「ある(存在する)こと」になっていて説明されない、「理由」を現実社会に合わせて説明しようという姿勢だ。例えば、本当に怪獣が出現したとすると政府はどう呼称するかだ。不明巨大生物的な発想になることは間違いない。コロナの対応を見れば政府がいかに臨戦能力、即時対応能力に欠けているかは簡単に理解できる。
また、対応部局がどこになるのかも揉めるだろう。怪獣が生物であれば、厚生労働省になるが、被害をもたらす害獣であれば対応は警察の範疇になる(はずだ)。よくテレビニュースで出ている、熊の捕獲、猿の捕獲は警察のお仕事になっている。ところが警察の捕獲能力を超える暴力的存在になれば、治安維持から国土防衛任務が変わるので防衛省、そして実戦部隊として自衛隊の出動になる。ところが、最初の脅威度が不明の時期は、防衛出動の指揮系統と発令者があやふやだ。おそらく台風や洪水と同じで、最初の段階は県知事からの依頼になるはずで、そこで人死を含め被害が拡大すると、初めて政府管掌案件になる。それでも最高指揮官である総理大臣が防衛出動命令を出す度胸があるかというと、地方都市の壊滅程度の被害が出ないと閣議決定にならないだろうし、野党は「他国の軍事介入、それも核使用の可能性」などと言い立て反対するのは見え見えだ。
実はこの辺りのリアルをもっと見せて欲しかったと思うのだが、映画の中では裏設定としてさらっと流されている。それに、作中内では予想以上に陸自のパワープロジェクションが有効で、シン・ゴジラの山手線暴走作戦よりよほど役に立つメインパワーセクションとなっていた。

全体的にみて、やはりリアルタイム・ウルトラマン(初期再放送を含む)視聴者、要はおっさん世代が、ニヤリとしながら見る映画なのかなと思う。世代ごとに楽しみ方はあるだろうが、初代ウルトラマンの複数放映回がオマージュの題材とされている。当然、初代ウルトラマンを見たことを前提に楽しむようにできている。
初代をリアルで見た世代も、是非一度テレビ放映されたシリーズをレンタルでも良いから全巻見た後で、特にゼットンとの戦いを確認して記憶を取り戻した後で、見ることにすれば何倍も楽しめる。
特にウルトラマンはその前作のウルトラQとの関連付け作品もあり、できればウルトラQも見直しておいた方がもっと楽しめる。

やはり、シン・ウルトラマンはウルトラマンへのオマージュでありながらも、「シン」の意味は「真」ではなく「新・解釈」なのだろう。もちろん、新解釈には「エヴァ」的要素も随所に盛り込まれている。
もう一つ、映画の中身とは別件の感想として、長澤まさみが演じる女性隊員?役は、初代の富士隊員の方が良かったなあと懐かしんだ。ジジイになった証拠だな。
個人的には シン・ウルトラマン>シン・ゴジラでありました。

映画のサイトはこちら→ https://shin-ultraman.jp

書評・映像評

書評のような……滅亡後の世界

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた (河出書房新社) 

Photo by Peter Spencer on Pexels.com

滅亡後の世界を描いた書物はたくさんある。SFやコミックではお手のものの世界設定だろう。核戦争で滅びた、感染症化拡大で滅びた、巨大隕石の衝突で滅びた、宇宙人に侵略されたなどなど滅びのパターンはたくさんある。ただ、物語としては滅亡の原因が主テーマではなく、滅びた後で起こる人類文明、社会の変化を語るものがほとんどだ。
有名なところでは、映画「マッドマックス」コミック「北斗の拳」などが大戦争後気象条件まで変わった荒涼たる世界で、暴力が問題解決の全てになった社会を描く。それも、力無きものを救う救世主伝説としてのヒーロ物語だ。大体が平和と愛の復活と未来の希望を語る。

ところが、この本では滅びた世界の話はほとんど語られない。政治社会的考察も皆無に等しい。ただ、文明社会が崩壊した後、人々は一度は文明を後退させながら、必ず文明復興の動きが起きるという想定をしている。その文明復興の手順とそれに必要な最低限の知識、要素を語るのが本書の目的だ。だから、滅亡後の世界が世紀末覇者の君臨する世界であるかどうかは考察の対象外だ。
ただ、略奪者から守りを固める自衛共同体が母体となり、文明再建集団が生まれるという想定のようだ。確かに、生産をせず略奪するものばかりが蔓延れば、人類は紀元前一万年くらいの採取生活のレベルまで退行するだろう。それはもはや文明と言えない。破滅要因は自然環境にも影響を及ぼすだろうから(例えば核の冬)、1万年前よりも生存条件は悪いはずだ。略奪社会では人類生存すら危うい。だから、防衛コロニーこそが文明を守る、文明を再興する最低単位となる。
その最低単位が、現在21世紀社会で享受している文明の利器や恩恵を、どこまで失いどこまで食い止めるかが本書のスタート地点になっている。そして、そこから比較的短時間で文明を再興する手順を考えている。

Photo by Mike B on Pexels.com

退行しながら踏みとどまる文明レベルとして、12−13世紀ヨーロッパの農耕社会を想定しているようだ。そこのレベルより下になると、途端に再興する難度が上がるということらしい。確かに西欧社会は、西ローマ帝国滅亡後、ルネサンス期の文明復興が始まるまで、5世紀以上も文明レベルがどん底にまで落ち込んだ。
ローマ時代の文明レベルが比較的保たれていた東ローマ帝国でも、イスラムとの争いの中、急速に文明維持機能を失っていった。その歴史的な喪失感というか、文明的トラウマが西欧社会にはあるのだろう。実際にはヨーロッパが文明レベルとして低迷していた時期、東アジアの大国、そしてイスラムの各王朝ではローマ時代に匹敵する文明が維持されていた。その辺りも、さりげなく触れられてはいるが、文明再開の手法はあくまで西欧社会の進化をモデルにしている。どうにもそこが物足りない気がする。西欧資本主義、科学主義社会の再現がテーマなので仕方がないと諦めるしかない。ただ、そのモデルの先には、やはり核を含む大戦による滅亡が待ち構えているだけなのではと思うのだ。社会的考察なしで文明再建論をすることの危うさかもしれない。
そして、文明再興の目標レベルは20世紀初頭あたり、工業文明が蒸気機関から内燃機関に変わり、初期の電気インフラが出来上がる程度を目標にしている。真空管による初期段階の通信・情報関連技術までも目指している。けして、スマホと電気自動車の世界に戻れるわけではない。
世紀末マニアには文明再建マニュアルとして、楽しく読めるはずだ。

個人的な話だが、進学時に理系を選んだのは、まさしくこの話に出てくるような「文明破壊」が起きた後の社会で、荒野のロビンソン・クルーソーとしてどう生きていくかを、真面目に考えていたからだ。
ただ、その時には世紀末覇者が発生しないという前提で(極めてご都合主義的設定だ)、一人で孤独に生きているという馬鹿馬鹿しい話でもあった。まさに中二病的な思い込みでしかない。なぜ、このようなことを考えていたのかは思い出せないが、小学校低学年からずっと思い込んでいた「滅びの文明観」なので、中二病というより小二病といった方が良い。ただ、その小二病への対応が人生進路に深く影響してしまった。三子の魂百までも……ではないが、小二の魂がジジイになるまで付き纏ったのは確かだろう。まあ、結局のところ文明は滅びず、その前に自分が滅びる年齢まで生き延びてしまったのだから、笑うしかない幻想だった。
しかし、この本を学生時代に読んでいたら、もっと真面目に滅亡後の世界に取り組んだような気がする。日本にはほとんどいないであろう「プレッパーズ」、社会が滅びることを前提に、核シェルターなどの生存設備を自分で作り備える人たちの一員になっていたのではないかとも思う。滅亡SF好きなら必読。良書で、おすすめの一冊だが読むのには手こずること間違いない。

この本のリンク先はこちら→  https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309464800/

食べ物レポート

甘いものランキング

撮り溜めた写真をひっくり返して見ていたら、唐突に思い浮かんだ「自分だけのスイーツランキング」を作ってみようというアイデア。あれこれ思い浮かぶものもたくさんあるが、独断的偏見で1位から3位を選んでみた。根拠は「自分好み」に尽きるので、人様の参考にはあまりなそうもないが……。

第3位は伊勢の名物「赤福」で、和菓子では銀座空也のもなかを押し退けて、堂々の入賞。吉祥寺小笹のもなかも捨て難いし、佐賀の小城羊羹もおしい。しかし、この赤福の餡子が見せるフォルムの美しさは、和菓子の極地だと思う。名古屋、京都あたりでは流通の関係もあり、駅のキオスクでも買えてしまうお手軽さもポイント高い。あえて和菓子の番外に押すとすれば北海道の「わかさ芋」も、どこでも買えるお手軽さがあり4位くらいかも。

第2位は熊本のリキュールマロン。洋酒をドバッと使った、酒飲みのための菓子だ。洋酒漬けと言えばサヴァラン的なものを思い出すかもしれないが、それをはるかに超えている。どぶ漬けという表現があっている。これをつまみに酒を飲むと、まさに「背徳的」で「悪さの二乗」という感覚が強い。午後のお茶の時間に食べるものではない。深夜の食べ物だ。熊本に行くのであれば、土産物はこれと、球磨焼酎の二択で決まりだろう。球磨焼酎は「やまほたる」一択。

そして、第一位は文句なしの六花亭「クレームブリュレ」。上面のキャラメリーゼした部分が溶けてしまっているのは仕方がない。巷に売っている高級プリンを押し退け、これぞマイプリンベストと言える。プリン特有のゼラチン的食感が全くない。プリンの表現につかわれる「滑らかな舌触り」とは、これのためにある言葉だと言いたいくらいだ。そして、この品質でありながら160円という、コンビニプリンよりもお手軽な値段。素晴らしいの一言に尽きる。
六花亭のお店にいって冷蔵ショーケースの中に在庫があれば絶対買ってしまう。ただ、夕方に行くと売り切れている確率は相当に高いので、確実に入手するためには午前中に買いに行くのがベストだ。
振り返って思うと、この三品を年がら年中、ヘビーローテションで食べている気もする………。

食べ物レポート

北海道のローカルフード?

けっこう甘いが中に餡は入っていない

べこもちという食べ物がある。北海道では、端午の節句の時期に柏餅ではなく「べこ餅」を食べる習慣がある。全道での習慣かどうかはわからない。函館あたりの北海道南部(道南)は、北海道独自の文化圏というより津軽文化圏なので、ひょっとするとリガ雨かもしれない。
べこ餅は黒白で葉っぱ型の甘い餅菓子だ。米粉で作られた練り物だと思う。黒い部分は黒糖で色がついているらしい。元々は岩手県のものだと思うが、すでに北海道ではルーツ意識が消え去っていて、北海道独自の食べ物的扱いになっている。自分もいいわ手でべこもちを発見した時は、なぜ北海道の食べ物が岩手にもたらされているのだと疑問に思った。冷静に考えれば、明治中期に岩手からの移住者が持ち込んだ食文化であるはずだ。東北全般ではなく北東北の一部?で愛されている伝統色のようだ。
東京で見かけることはほぼない。なぜかファミレス「とんでん」で、レジの横に売っていることがあるくらいだ。似たような和菓子は「すあま」だが、べこもちの方がねっとりとした感触が強い。
いろいろと言われはあるのだろうが、すでに「べこ餅」は北海道の伝統色の一部になっている。柏餅を駆逐しているのも事実だろう。甘納豆入りの赤飯と同じくらい、「北海道民あるある」なのだ。ちなみに20代中盤になるまで味噌味の柏餅も食べたことがなかった。あれは埼玉特有の食べ物なのかどうか、お江戸生まれの住民に確かめなければと、いつも節句の時期に柏餅を見ると思い出す。

もう一つ、北海道のローカルフードになるかもしれないしろものが「豚パン」だ。これはチェーンパン店で発見して、腰が抜けそうなほど驚いた。POPに豚パンと書いているので、なんと盛大に誤植をしたものだと笑っていた。豚まんと豚パンだから、漢字入力の変換ミスをそのまま気が付かずに……………と思い込んでしまった。
笑いながら豚パンを買ってきて、家で食べようとしたら、やはり饅頭のルックスで尚更笑ってしまった。
一口食べて、ようやく気がついた。これは…パンだ。なんというか、やられた感がひどく、一気に脱力してしまった。なぜ、饅頭のコピーをパンでやるのかあ。饅頭で良いではないかと。

見た目は、蒸す前の肉まん 表面はふわふわ

中身の餡は、まさに豚まんだった。冷めても美味いという意味では、こちらの方が出来が良いかもしれない。開発者に脱帽というしかない。北海道ローカルパンとして、ぜひ有名になってほしい。
北海道ローカルとしては先輩格にあたる「ちくわパン」は、最近首都圏のあちこちのパン屋でゲリラ的に発生している。コピー品だと思うが、それをとやかくいうつもりはない。逆に発見するたびに、ニンマリとしてしまう。そのうち、ちくわパンの発展改良型が都内某所で生まれ、知らないうちに世田谷名物とか目黒の新名物などと言われるようになり、週末のテレビ番組で紹介されそうな予感がする。
そうすると、北海道のちくわパンファンから、ルーツは札幌というクレームでSNSが大炎上しそうだ。
それを見た全国のパン屋が「これはコピーです」などと言って、奇形的進化を遂げたちくわパンが全国で大量発生して、その混乱を収めるべく「日本ちくわパン協会」が設置され。札幌の「どんぐり」が元祖と認定されるる。などという妄想を酒も飲まずにいるから楽しんでしまいました。

街を歩く

沖縄的シニカルさに乾杯

銀座の端っこというのが正しいかどうか。沖縄のアンテナショップのある界隈は、各県のアンテナショップが集まっているプチ租界的な感じがある。その中でも、やはり風格があるというか王者の気配を見せているのが、このシーサーにまもられている「わした館」だろう。
5世紀あたりから始まった大和朝による日本統合戦争には関わりなく、中近世まで独立王国を保っていた琉球王国の守り神も、こうしてみるとずいぶん愛嬌がある。古代日本を舞台にした八咫烏対シーサーみたいなファンターがあれば面白いのになあ、などと妄想してしまう。それくらい、日本離れした「生き物?」だと思うのだが。

そのわした館の地下に、ゴージャスな泡盛売り場がある。東京ではここが一番泡盛の品揃えが多い場所ではないか。沖縄本島、離島を含めた沖縄各地の地泡盛?がこれでもかと並んでいる。独特の匂いがある泡盛は、人によって好みがあるようだが、自分のお気に入りは石垣島の「八重泉」だ。これがイチオシで、二番はない。
たまたま推理小説を読んでいたら、主人公の探偵が八重泉を愛飲していると書かれてあり、興味本位で一本試し買いしてみた。それ以来、ずっと八重泉にハマっている。石垣島まで買い出しに行ったこともある。
ただ、百貨店の酒売り場程度では置かれていることは少ない。かなり品揃えにこだわりのある本格酒屋でたまに見つけることがあるくらいだ。だから、銀座に来て荷物が少ない時は、わした館でこの酒を仕入れることにしている。
この時も八重泉を見つけ、一本手に取ろうとしたら、このPOPが目に飛び込んできた。
世の大多数の酒飲みは、この一言に心が動揺するだろう。「いや、俺の場合はそんなにひどくないはずだ、いやいや、そんなはずはないだろう。まあ、言い切る自信はないけど、ない、と信じたい。ないはず、だろうなあ……………、でももし、ダメだったとしたら、すまん、許してほしい」
なんとなく、こういう弁明とも言い訳ともつかない「心の中の独り言」が聞こえてきそうだ。
それとも「八重泉」には、何か特殊な成分が入っていて、こういう残念な人に変わってしまうのだろうか。うーん、いかにもいかにも……………微妙だ。

「初心者注意」というのも親切そうで、これまたずいぶんな言い分に聞こえる。それでも与那国島の泡盛と比べれば、まだずいぶん度数が低い。マイルド級だ。与那国の泡盛は、アルコール度数がとてつもなく高いので火がつく。危険物なので飛行機の機内持ち込みに制限がある。
一口試して、これは「並」の人間が飲める代物ではないと学習したものだ。だから、この度数くらいであれば、まだまだ人の飲み物と我慢できそうな気がする。
それよりも気になるのが、隣の「無礼講なんて・・・」という言葉だ。これは社会階層的に下層で虐げられているものの、心の叫びだろう。サラリーマンで言えば、ベテラン課長にいじられる新人ヒラ社員的な、会社カーストの最低に生息するものの叫びに聞こえる。
テレビドラマの中だけにしかいないと馬鹿にしていた、「俺の酒が飲めないのか?!」と迫る上司に初めて出会った時は、世の中には人外の化け物が本当にいるのだと思った。歳をとったらこうなりたくないという「ダメ人間」の実例を見たのもそれが初めてだった。人として尊敬に値しないどころか、その存在が悪だろうと学んだのもその時だった。今、振り返ってみれば、絶対にこいつより偉くなって正しい生き方を指導矯正してやろうと思わせてくれた、ある意味人生の恩人で反面教師だったような気もする。
どうも、泡盛を愛する沖縄人にも、同じような苦汁を味わった人がいるのだろうなあと、ほろ苦い仲間意識を持ってしまった。そんな時は、シークワーサー果汁を入れた「八重泉」で、ほろほろ酔うのが良さそうだ。

食べ物レポート

もつ焼きと焼き鳥

これはもつ焼きか? タン、軟骨、かしら、砂肝 どれも見た目は似ている

どうも「もつ焼き」と「焼き鳥」の区別がよくわからないまま歳をとってしまった。生まれた場所では、もつ焼き屋というものが存在していなかったせいだろう。焼き鳥屋で、鶏肉以外の肉、内臓肉も一緒になって販売されていることが多かったからだ。少なくとも鶏肉と豚肉は共存していたし、豚の内臓肉を含め色々な部位がメニューにあった。
それでもお江戸に出てくるまで食べたことのなかった部位がカシラ(頭の肉)と軟骨(喉笛あたり)。それ以外の多種多様な内臓肉はホルモン屋にはあったような記憶もあるが、串に刺さってはいなかった。
お江戸で初めてもつ焼き屋に入った時に、ねぎまを注文したら「うちはもつ焼き屋だから」と強く叱られたのがトラウマになり、しばらくもつ焼き屋にはいかなかった。
地元の居酒屋のメニューには、串焼きと焼き鳥が別ページになっていて、一緒に注文できる。こういうスタイルだと安心できるのに。

つくねに砂肝に豚肉生姜巻き 焼き鳥北海道スタイルだ

地元に帰れば、ナンバーワン焼き鳥チェーンに行って、あれこれと串に刺さった肉を注文するが、肉の種類がなんであれ、全て「焼き鳥」と呼称する。串焼きなどという気取った言い方はしない。豚肉だろうが、鶏肉だろうが、内臓肉だろうが、全部「焼き鳥」だ。タレと塩も1種類ずつ聞かれるが、面倒くさいので全て塩と言い切る。たまに、つくねはタレがよかったななどと後悔することもあるが、焼き鳥の注文は勢いが大事だ。
ちなみに、おそらく札幌で12を争う老舗、福鳥では一皿4本単位で注文するのが決まりだ。だから、一人飲みに行くと二品注文するとほぼギブアップ状態になる。異本ずつ注文させろとわがままを言うつもりはないが、せめて鮨並みに2本単位にしてもらえないか。ただ、焼き鳥屋の親父は頑固で偏屈ものが多いから、そういうお願いをするのも怖い。もつ焼き屋と焼き鳥屋の共通点は、店主が「頑固オヤジ」だということだろうか。

小売外食業の理論

外食DX考察 ファミレス ロイヤルホストの場合

外を歩く時にはマスクは不要という政府見解が発表され、いよいよコロナ収束のムードが強まってきた感がある。まだまだ同調圧力が強く「マスク・レス」社会までは時間がかかりそうだが、それでもアフターコロナの時代が到来したのは間違いないだろう。外食にとってこの2年半は受難・苦悩・経営危機だったというしかないが、それでも政府の休業補償で一息つき、ここからどう対応するかが生存戦略、最重要経営課題だ。
たまたま入ったファミリーレストランで気がついたあまりの変化のなさに、どうにもモヤモヤした気分になる。
ということで、モヤモヤ解消のためファミレスを含めた大手外食をみて回ろうと思った。ファミレス業界はどこも大きなダメージを食らっているので、各チェーンでそれなりの工夫をしているのではないかと予測した。ファストフードは全体的に好調なので、やはり観察対象はファミリーレストランと居酒屋だろうと決めた。
回る順番はその日の気分なので、特別な意味はない。混雑ぶりを見に行く(商売の良し悪し)に関心があるわけでもないので、比較的空いている時間、曜日を狙っていこうというくらいのものだ。
見どころとしては、アフターコロナに対応したDX、オペレーションの統合デジタル化・組み直しの進み具合を比較してみようと考えた。

ロイヤルホストは、ファミレス以外の事業もダメージが大きく、大手商社の資本参加で事業立て直しを図っている。コロナ前には中高年を主客層に比較的高めの単価設定で、高いけれど質が良いというアップグレード戦略が当たっていたと記憶している。が、コロナで一番外出を控えたのが中高年、特に高齢者層だったことを考えると、ダメージの深刻さが想像できる。
それでもロイヤルらしさというものが店内には散見できる。テーブル上の仕切り版にはロイヤルホストのロゴが刻印されている。薄っぺらなアクリル板で申し訳程度の小さなものを置いている店も多いだけに、このロイヤルの本気度は素晴らしい。

気になったのは、いまだにメニューが「紙」であることだった。つまり注文、接客は従来通りのお作法で進むということになる。非接触と丁寧な接触は相反するものだけに、ロイヤルホストは非接触より、従業員のサービス、歓待、ホスピタリティーを選んだということになるのだろう。アフターコロナでこの従来路線堅持が、良い方向悪い方向どちらに転ぶかに興味がいく。

満足度の高い定番朝食

ドリンクバーつきのモーニングセットが610円(税別)はさすがロイヤルホストと思わせる高品質だろう。郊外型コーヒーショップでコーヒーを頼むとトーストと茹で卵つきで400円程度だが、プラス200円でこのレベルになるとすれば、コスパの高さはどちらになるか。そして、もう一度中高年・高齢者を引き戻すためには、この従来型路線維持が効果を上げるか、業界的には興味深いところだろう。
もともと朝飯屋だった(と思っているが)デニーズと比較すると面白そうだ。

コロナ前から取り組んでいる冷凍食材の販売も、一応アフターコロナ対応と言えるとは思うが、売り場の大きさや設置位置を考えると、テイクアウトに関してはあまり力が入っていないような気がする。
高くてもうまい、スーパーで売っている冷凍食品とは質が違う、くらいの大袈裟な宣伝をしても良いのではないかと思ってしまう。すでに閉店した実験店舗での、冷凍食品をレンジアップだけで提供するという業態は、予想以上に商品レベルが高かった。ロイヤルの冷凍食品も同じレベルだろうから、もっと威張って売っても良いと思うのだが。
ただ、そのためにはテイクアウト専用マーケティング部隊を組織するくらいの意気込みが必要だろう。アフターコロナの事業計画の中にそれが含まれるのかどうか。
DXという世界とは、まだ距離があるようだ。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

山田太郎の進化

昨年夏に開いた山田うどんの新規業態、埼玉タンメン山田太郎を時々観察に行く。地元ということもあるが、埼玉タンメンなる造語までした新業態がどう進化していくのか楽しみにしているからだ。2号店は川島(関越インター近く)に開いたので、そちらもそのうち見学に行こうと思っている。新業態の2号店は、1号店の修正がなされた増加試作的な形になることが多いので、1・2号の比較はためになる。少なくとも仮面ライダー1号2号程度の差はあるはずだ。

今回の気づきとして一番の変化は、メニューブックとスマホ注文を併用していたのが、タッチパネル注文に代わっていたことだ。開店時から非接触型のコロナ対応店舗だったが、どうやらスマホオーダーが不人気だったようだ。麺を主力とする業態だけに、中高年男性が多い印象があるが、その客層が問題の原因だと思う。何度か来店して観察していたが、いまだに携帯電話を使っている男性客が多いこと。そして、スマホを持っていても口頭で注文する面倒くさがりが多すぎるようだ。
タブレット式注文はその解決策だと理解できるが、やはり学びはあるようで「紙」メニューがテーブツの上に置かれている。ブック型ではなくペライチというのが、対応客層が誰かを連想させる。一覧できる一枚メニーはファストフードでも多用されているが、メニューが多くなると目移りがして選びにくい。その辺りもレイアウトで工夫しているのがわかる。(元ファストフード従業員としては、もう少し工夫の余地がありそうな気もするが…)
この紙とタブレットの併用策は客層に合わせた柔軟な対応と考えられるが、印刷物の用意は時間もかかるし、単店ではコストがバカにならない。できればタブレットに一本化したいだろうが。まだ試行錯誤中ということか。
また、タブレットはあきらかに一覧性が悪い。いくつかあるメニューからどれかを選ぶとなると、一覧性の悪さは「使い勝手が悪い」と客の不興を呼ぶ恐れがある。この店のように中高年男性が主客層になる場合は客離れの原因にもなりかねない。

すでにコロナが収束しつつあり(感染者数の減少より社会的認識として)、アフターコロナの外食ビジネスがどういう運営方法に落着するのかが目先の課題だろう。外食各社の思惑で「百花繚乱」状態から、どのやり方が定着してくるか。業界標準が定まるには、もう少し時間がかかるようだ。
埼玉タンメンは山田うどんの系譜につながる、テーブルサービスのファスト提供というユニークな業態なので、進化の行方が楽しみでしょうがない。

今回の新商品はトマト味のタンメンだった。トマトスープのラーメンは先行業態があるが、そこのトマトラーメンとは全然違う。埼玉タンメンのスープをベースとしてトマト味に仕上げたものだが、全体的に印象のぼんやりとした味になっている。イタリアンを意識したのか、あるいは先行形態のトマトラーメンを狙ったのか、粉チーズをかけて食べる仕上がりになっている。当然、チーズの旨味成分と塩が加わって完成形になるという、合体方式の麺料理らしい。ただ、それであればチーズが別提供、後掛けではなく提供時から合わせたものを出すべきだろう。
チーズなしで食べるとスープの味が薄く、麺料理として完成していない気がする。ちなみに、薄味が気になって卓上にある醤油とニンニクを追加してみた。予想通りスープの塩味が足りていないのが醤油で補われると旨味を感じる。ニンニクが入いると「イタリアンなトマト味」に変化した。味変を楽しむという意味では、面白いベースだと思ったが、それが狙いでもないだろう。
まあ、色々な試行錯誤の中から「ヒットメニュー」も出てくるのだろうし、あれこれ新しい味を楽しませてほしい。
次に行った時には何が起こっているだろうか。実に楽しみだが、進化速度をもっと早めても良いような気がする。アフターコロナの生存戦略の一つは「変わり身の速さ」だと思うのだが。

食べ物レポート

いつものランチ サイゼリヤで

煉獄の卵 うまし!

ひと月ぶりくらいでサイゼリヤに行こうと思ったのは、ここ最近のマイ定番卵料理が食べたくなったからだ。商品名は煉獄の卵。トマトソースとオリーブオイルで味付けされた卵2個のオーブン料理だ。これを食べながらいつも思うことだが、イタリアには天国の卵とか地獄の卵という料理はあるのだろうかというささやかな疑問だ。
あの料理の天才、イタリア人だから、きっとあるんだろうなあとは想像しているが・・・。サイゼリヤで是非実現してほしい。イタリア卵料理トリオ「天国と煉獄と地獄」を季節限定で良いから当場させてくれないものだろうか。

普段は、単品ハンバーグかハンバーグとチョリソーのセットを頼むのだが、今回はランチ限定のスパイシートマトソースのハンバーグを注文した。このソースもできれば定番メニューに加えて欲しい。ランチのハンバーグはレギューラーのものより小さめな気がするのでフルサイズで食べたい。(測ったわけではないので感覚的なもの)
サイゼリアのハンバーグは単品で食べるのがうまい。最近はなぜか醤油も置いてあるので、醤油をつけて食べるという野蛮な食べ方もできる。ただ、ソースアレンジで食べるのも捨てがたい。ランチ限定のオニオンソース、トマトソースは是非選べるソースとして定番にしてもらいたい。
このスパイシートマトソースには、ホットソースをハンバーグの半分にたっぷり追いがけする。イメージとしては右半分が普通の辛さ、左半分が辛さ強化パートという感じになる。そして、右端と左端から真ん中に向けて攻めていく。マイ・ハンバーグ攻略法だ。これを定番ハンバーグでやってみたい。右半分はトマト、左がオニオンソースという感じだろう。
最近のサイゼリヤの「自分でアレンジしてね」路線を、レストランとして手抜きだろうと最初は馬鹿にしていたのだが、今では悔い改めた。あれこれ自分でアレンジするのは、なかなか楽しい。おそらくサイゼリヤの価格のせいでもあるようだ。たとえアレンジに失敗しても諦めがつく値段だ。最悪、同じものを注文し直してもさほどのダメージは受けない。
だから、サイゼリヤはどんどんソースなり調味料なりを増やしてもらいたいなと願っております。そうしてくれたら、もっとランチに行くのだがなあ。