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街を歩く

札幌シリーズ 夜の光景とザンギ

クリスマスイブなので、綺麗な写真をと思い夜景にしてみた。

駅前通り 薄野方面のイルミネーションが絶好ビューポイント

札幌駅前通は冬になるとライトアップされる。札幌駅から薄野までおおよそ1km弱が鮮やかになるのだが、その距離を歩くほどの元気はない。夏なら問題なく歩いてしまうが、冬は凍える。雪が降れば滑りやすくなる危険な夜道だ。それでも、雪がなければ半分くらいは歩いても良いかなという気になる。今では、歩道の大半がロードヒーティングされ積雪があるのは横断歩道だけだ。ただ、そこが危ない。
冬にはほとんど雪が降らない地に移住してずいぶん経った。ようやく雪のない正月になれたと思ったら、すっかり雪が嫌いになってしまった。それでも雪さえなければ、冬は嫌いではない。

その札幌の冬だが、夏より暑い。最近の猛暑のせいで、流石に夏より暑いとは言い難くなってはきたが、それでも冬の室内気温は27度を超える。政府の電力使用制限などどこの国の話だと言いたくなるほど暑い。これでも、室内設定温度は従来より低めとのことなのだが。
北海道人にとって寒さとは凍死につながるデッドワードだから、冬の室内の寒さは「貧乏」を意味する。あるいは、北海道人としての常識がない「異常」さにつながる。
すっかり関東慣れした体には、この温度こそが「異常」と感じるようになってしまったが、郷に入れば郷に従えで、冬の外出には何枚も重ね着をして室温に合わせた体温調整を図る。だから、冬の居酒屋では、脱いだ服の山が座席を一つ占拠する。コートと、ジャケット、セーター、マフラーなどなどが積み上がるのだ。
だから、当然のように冬のビールは美味い。キンキンに冷えた黒ビールを飲むと、夏よりうまいような気がする。室内の温度が高くなり相対的に湿度が低いせいで、喉はカラカラになる。統計を見てもビ北海道でールの消費量が多いのは1ー2月だ。
ちなみに、7月終わりに開かれる大通公園でのビヤガーデンは、ほぼ7割の確率で低い気温に悩まされ震えながらビールを飲むことになる。夏の屋外ビールはやせ我慢大会になる可能性が高い。だが、冬のビールは、決して震えることはない。だからうまい。断言できる。
もしビールを飲むには寒すぎるような店があれば、その店は確実に潰れる。酒や肴が美味いかどうかの前に、「温かい部屋」は居酒屋を含め北海道における飲食店の絶対条件だからだ。
ビールがうまい季節はアイスクリームも売れる。北海道のアイスクリームのピークは2月と8月になる。ただし、夏に食べるかき氷系のさっぱり味は求められていない。コッテリ濃厚味が冬のアイスの定番だろう。

The ザンギ だったなあ

そして、冬のビールに合うものといえば、これしかない。ザンギだ。ザンギと鳥唐揚げは一体どこが違うのかという問いに、正確に答えられる北海道人はいないと思う。醤油味とニンニク生姜で香り付けしたカリカリ系鳥唐揚げ、というのが自分の持つザンギの定義だが、これをいうと必ずどこからか反論が飛んでくる。
いわく、ザンギ発祥の地〇〇店で食べたのは………から始まり、うちの流儀は〇〇でという我が家が本家主義だったり、俺の育った〇〇地方では………という地方モンロー主義であったりするが、反対意見が10人いれば10種類でてくる始末だ。飲んだ時の話題としては最悪に近い。宗教と政治とザンギの話は飲み屋向きではない。
特に、ザンギのルーツを含め、ザンギの定義にまつわる話は、北海道酒飲み界ではタブーだと思う。だから、百花繚乱的ザンギの正統性には降れずに、この店のザンギは旨い、と断言することにしている。もしまずいと思ったら、その店では二度と注文しないことだ。酒の肴にはザンギ以外にも色々ある。紛争のネタをわざわざ求めてはいけない。
まあ、元・唐揚げ屋としては色々と突っ込みたいこともたまにはあるが、それも黙殺する。鳥唐揚げを単純に楽しむのが、正しい冬の札幌の過ごし方だ。
この店の唐揚げはうまかった。その記憶さえあれば、また食べに行くことにする。札幌駅地下でふらりと入ったビール屋のザンギは、確かにもう一度来る気にさせる美味さだった。

旅をする

札幌シリーズ 大通り公園周辺

テレビ塔前で開催されている冬の市

12月の前半は例年雪が少ないことが多い。年によってはクリスマス直前まで路面が出ていることもある。今年もそんな冬なのかなと思った。雪が少ないと除雪の手間も省けるので、地元民にとっては快適な冬になる。去年が爆発的な降雪で腰を痛めるほど除雪に追われたようだから、今年は雪の少ない年になればいいな、と思っている札幌市民は多いようだ。
そして、コロナの間は「ネット開催」になっていた冬のイベントがようやく再開されていた。この「市」では、イヤープレートならぬイヤーマグが販売されていて、例年楽しみにしていた。再開の今年はなんと特別記念なのかデザインが二種という大盤振る舞い?だった。おまけに(残念なことだが)、マグの値段も値上がりしていた。それにしても、とにかく再開はめでたい。

寒い大通り公園を散歩した後、徒歩2分(北寄り)のビル地下にある旭川ラーメンの店に行った。これも半年ぶりくらいになるので、お店が開いているかちょっと心配だったが、予想に反して店内は大盛況。それも、観光客らしき姿もなく、地元民に愛される普通の人気ラーメン店として繁盛していた。これもまた、めでたしめでたし。一時期は外国人観光客も多く、店内はインターナショナルな風景になっていたが、いまはビジネス街の人気ラーメン店だった。

今回はちょっと浮気して、定番の塩ラーメンではなく醤油ラーメンにした。塩ラーメンだと、丼の真ん中に紅一点、小梅の赤が美しいのだが、醤油ラーメンでは小梅がない。その分、チャーシューが目立つ。この店の醤油ラーメンの売りポイントは、やはりチャーシュー(二種)だろう。わしわしと食べるガッツリ系ラーメンだが、旭川ラーメンは濃いめの味付けなので、ビールによく合う。
町中華のラーメンでビールを飲むのは、ちょっと頼りない感じがするが、ここではラーメンと冷たいビールがベストマッチだ、と考えながらビールではなく水を飲んでいた。

その後で、大通公園を挟んで南側にある古い居酒屋に行った。やはり寒さを感じる徒歩5分だったので、まずは湯豆腐という注文になった。ラーメンで腹が膨れているというのもあるが、前回食べた湯豆腐のシンプルさが冬の寒さによく合う気がした。ちなみに店内はコート、ジャケットをぬぎたくなる「冬の南国」的室温で、湯豆腐を食べているうちにうっすら汗が出る。これが、札幌的冬の贅沢だろう。
湯豆腐は典型的な一人鍋だと思うが、これはシェアして食べてはいけないと思う。昆布出汁が出た「お湯」を最後に付けつゆで割って飲むために、一人で独占したくなる。湯豆腐を食べながら次の注文をすると、食べ終わる頃にちょうどのタイミングで出てくる。その辺りの呼吸が、居酒屋飲みの楽しみでもあるかな。

メニューは居酒屋定番中心にお手ごろ価格が並ぶ。札幌でも生き残りの少なくなった戦前からの老舗だが、東京によくある高級化した料亭気取りの居酒屋のような敷居の高さは全くない。だから開店直後から、オヤジ族の一人飲みが多いのだが、最近では女性の一人飲みも増えているようだ。
それに絡みつくような変な奴もいないので、居酒屋の品格とは客筋を含めたものだろう。ちなみに隠れ名物?と思っているのは串カツ。最近、大阪系串揚げの店以外で、串カツを食べられる店が少なくなった。昔ながらの串カツは貴重品だ。
串カツは2本出てくる。ちなみに、串カツも一人で食べる独食メニューだと思っている。シェアして1本だけ食べると、2本目が欲しくなるからだ。そこを我慢するくらいなら、二人前頼むか、一人で飲んでいる方が良い。

ビールを飲みにきたはずが、普通に熱燗を頼んでしまった。ただ、一人飲みで熱燗を頼むと、銚子(ガラス瓶?)の数で飲んだ量がわかる。お銚子が酒量メーターになる優れものだ。ただ、途中で銚子を下げられてしまうと一気に迷走してしまうが。
冬の大通公園周辺で、フラフラ彷徨っていると寒と暖の繰り返しになるので、体にはあまりよくなさそうな気もするが、運動不足になりがちな冬の散歩と割り切って元気に歩くのがよろしい……………と思いますよ。

街を歩く, 食べ物レポート, 旅をする

成田で博多ラーメン

LCCを使って旅をしようとすると、成田空港に行くことになる。羽田空港に行くのと比べ、地上の移動時間は1時間ほど増える。ただ、飛行機に乗った後の移動時間は変わらないので、長距離旅行であれば経済性は良くなる。手荷物の重量制限があるので、結果的にスリムな荷物選びを迫られる。軽装な旅になるのもメリットだ。
その成田空港LCCターミナルに、しばらくぶりに行くと改装完了していた。フードコートもお店が増えていて、一時期の閑散とした雰囲気もどこにいったやら。ほぼ全席満席の盛況ぶりだった。そこで新しく開店した店の一軒をお試ししてみた。

店名は記憶にないが、とんこつラーメン推しらしい。ところが、一番おすすめは「博多らーめん」ではなく、「和風とんこつ」のようだ。それではと、和風とんこつを試すことにしたのだが。

確か博多ラーメンは、高菜、明太子、紅生姜の三将軍が脇に控えているはずだ。そう記憶している。しかし、それが全く存在しない。ひょっとして「和風」に転換するときに、置き去りにされたのかもしれない。紅一点である紅生姜の色気がないのは実に残念だ。
スープは最近周流のマイルド系とんこつ醤油らしい。麺は細麺なので、九州系ラーメンの特徴は残っている。最近は博多に行っていないので、令和の博多ラーメンはこういう展開になったのかもしれないが。

LCCでの国際線も続々再開しているので、外国人観光客向けということなのだろう。フードコート内には全国チェーンの店が並ぶ中、ちょっとユニークなヌードルショップということで人気が出るのかもしれない。
店内は明るくて、最近の気取ったラーメン屋(店内が薄暗く黒基調の内装、ゴミが落ちていてもよく見えないという利点がある)とは違い、掃除も行き届いていた。
券売機がクレジットカード対応でないあたりが、外国人向けにはどうだろうという気もするが、アフターコロナの時期に開店するという大冒険を決行したのだから、そこは優しい目で見てあげたい。
やはり、空港での人気筋は鮨ではなくラーメンなのだろうなあ。

食べ物レポート

金沢駅の回転寿司

金沢駅の駅ビルには、たくさんのレストランや居酒屋が入っている。大体が観光客目当ての店に見える。地元客の日常使いという感じはあまりしない。駅ビル飲食店の中で、ここは地元民が使っている店だと思ったのはラーメン屋くらいだ。そこは、正しい意味の行列ができている。
ただ、観光客目当ての店がダメだといっているのではない。おそらく、ランチのセットなどは地元民向けに作られている。特に、一番安いものは、間違いなく地元民向けだ。観光客の大多数は値段をケチって、地元ネタを食べないというのは考えにくい。売る方も、観光客向けには高いネタをどう仕立てるかが腕の見せ所だろう。
そんなことを考えながら、金沢駅ビルで「回らない回転寿司」の二軒目に挑戦した。

注文したのは、ランチセットの中で二番目に安いものだ。いわゆる1.5人前という代物で、数が多い。ネタは北陸限定、地元ネタという感じではなく、ごくごく一般的というか「普通」のネタ構成だ。唯一金沢っぽいのが、カニ足が乗っていたことくらいだ。ランチセットだから、いわゆるシャリ玉も大きめに設定している。10貫も食べるとお腹いっぱいになる大盛りセットだ。
今や滅亡寸前の百円均一回転寿司と比べると(というか比べてはいけないのだろうが)、明らかに鮨として完成度が高い。100均寿司はシャリ玉も小さくなり、ネタも小さくなり、今や手毬寿司程度に小型化されている。小ぶりの寿司は食の細い人にはありがたいかもしれないが、絶対的な課題を抱えている。シャリ玉とネタのバランスが悪いのだ。
コスト削減を目的とした小型化、矮小化が限界にきているから、カニや本鮪などを使った限定ネタでの高価格化を狙う。その上で定番品の値上げに踏み切るしかなかったのが、この一年の回転寿司業界の流れではなかったか。「安い」を捨てて、結果的にたどり着いたのが「高くても旨くない」という評価だったのは、迷走の極みということだろう。おまけに最後は公取の指導まで入った。
そんな業界大手のスランプを尻目に、北陸の回らない回転寿司はコスパの良さをますます磨き上げている。そんな感じがする。低価格チェーンも囮広告で捕まるようでは、外食として滅亡の道を歩んでいるとしか思えないが、オーナーであるファンドは売り逃げて仕舞えばいいだけだから、この問題の根は深い。
うまい寿司を食べながら考えることではないのだが………

鮨のついでに好物のタコ酢を注文してみた。よく考えれば、日本海沿岸でタコが有名なところはあっただろうか。北海道の水ダコくらいではないか。金沢というか能登半島界隈でタコは取れるのか。食べているうちに疑問が色々と湧き上がってきたが、普通にうまいタコだった。ひょっとするとアフリカ東海岸産のタコかもしれないが、うまいのでよろしい。
100均寿司のタコがあまりうまくないのは一体なぜだろう、という新たな疑問も浮かび上がった金沢の回らない回転寿司体験でありました。

小売外食業の理論

コロナの後の居酒屋戦線考察

具の見当たらないソース焼きそばが酒の肴には向いている

コロナの第七波などとメディアが騒いでいた夏が、おそらく外食の復活期だった。半年近く経ち振り返ってみると、ああそうだったなあとわかる。メディアも視聴率が取れないせいか、コロナ報道は下火になっていた。オリンピックが終わり一年が経ってみれば、予想通りというか当たり前というか、汚職の摘発が始まり大手広告代理店がまな板の上で処分を待っている。おまけに談合疑惑も発生し、公取が出動する事態にまで発展した。市民感覚的にはオリンピックの熱狂もすっかり冷め、一年も経てば、「悪い奴」退治のニュースをネタにオリンピックを小馬鹿にする風があっても不思議ではない。まさに、居酒屋のオヤジネタにぴったりだ。居酒屋復活を祝うが如き、オリンピック汚職ネタで大いに盛り上がったことだろう。
オヤジ族と言えば、ひっそりと昼飲みに移行していたジジイ層を含め、居酒屋が昼営業を縮小し通常モードに移行すると、当たり前のように夜活動に戻ってきた。あの周りを無視したような大声というか喚き声も復活した。やはりオヤジ族には学習能力がない。孤食だの黙食だのという言葉は記憶にさっぱり残らなかったようだ。
ただ、コロナが終わって(?)、行動変容しないオヤジたちを置き去りにして、居酒屋は様々な変化をしている。生存戦略と言っても良いのだろう。基本的に「値上げ」を行い、省力化を進めている。意外なことにオヤジ対応の低価格居酒屋である「一軒目酒場」が、その変化の先頭を走っている。そこで見つけた重要な変化を二点あげてみたい。
一点目が、「具なし焼きそば」推しにあらわれる、低単価維持を見せかけるメニュー再構築だ。値上げごまかしのフェイクメニューというと言い過ぎかもしれないが、目眩し作戦であることに間違いはない。酒類の大半が1-2割の単純値上げをしている。その値上げ感を和らげるのが、定番商品の価格維持と新商品として肉系商品(ただし少量化している)の導入だ。揚げ物を中心に、値上げはしていない定番品もある。値上げの主力は、冷製の肉料理、つまり手間要らずですぐ出せるものを、高価格帯400-500円台で提供し始めた。
そして、腹を膨らませる膨張剤としてのつまみが、焼きそばやマカロニサラダといった炭水化物系の食べ物になる。これを壁面の「メニュー札」を使って推しメニューにそている。マカロニサラダに至っては価格を上げずに増量したようだ。
濃い味付けにした炭水化物系のメニューを価格上げずに増量するというのが、値上げ感を和らげる基本戦略となっているようだ。これは他の居酒屋でも同じようだし、ファミレスの昼飲み用サイドメニューも同じような傾向がみられる。まあ、オヤジ対策に考えることは皆同じということだ。

豚のタンの冷製 なかなかうまいが、お値段はそれなり

二つ目の転換点は、メニューに「人間」が登場してきたこと。低価格居酒屋が値上げをしたくなると最初にすることが、素材の品質を訴えかけ価格価値を上げようとすることだ。要するに「高くても、美味しい」路線に変更するという宣言なのだが、大方これは失敗する。低価格居酒屋に集まる客のニーズに、高くてもうまいものはない。安くてうまいものが望ましいが、それも難しいのは客も理解している。だから、安くてそれなりな味のもので十分だと思っている。高くて、それなりのものは論外としてしまう価格圧力だ。
では、素材訴求が失敗すると何をするか。次は「人」の宣伝をする。料理長を登場させてレシピーのユニークさを語ったり、有名シェフとのコラボを自慢したりする。最近のコンビニ弁当も同じ手法をとっている。要するに、誰かの権威に寄りかかる「ちゃっかり値上げ戦略」だ。これが意外と効き目がある。特に、ヘビーユーザー、つまりその店の常連客には評判が良くなる。
金があればもっと高い店に行くのにな、とは思っていないのがヘビーユーザーだ。この店は、安くて適当にうまいと思う「俺のお気に入り」「自分の店」意識があるからだ。だから、その常連客にターゲットを絞れば、「人間商標」は意味がある。看板に使われる「ヒト」が、自分達の代表に思えてくる。著名人や有名人に同化できる。あるいは、自分たちが飲み食べしているものの「正統性」が担保される(気がする……)からだろう。
ただ、この店はオヤジたちに心情的に寄り添ったふりをしながら、注文のデジタル化を進めている。それも全席にタブレットを設置するかわりに、個人所有のスマホからQRコードでアクセスさせる。タブレットというデジタルギアを置くことで、デジタル拒否層を刺激しないようにした。オヤジの心証をよく汲み取ったものだ。
しかし、デジタル許容層にはスマホで注文させるという進化は取り入れた。店内にはデジタル感を出現させない「あざとさ」だ。スマホが使えず、デジタル注文に抵抗があるジジイ層には、従来通り従業員が注文を受ける。このあたりの匙加減が絶妙だろう。この店を安い酒場として使っている20代から40代の層にとっては、スマホ注文が主流になっている。
結果として、店内に「すいませーん」と従業員を呼ぶ声は少なくなった。残ったのはジジイとデジタル非対応オヤジの声だけになった。今や居酒屋も体感的には半分くらい静かになった。

紙製のグランドメニューもしっかりテーブル各席に置いてある。コロナ前のメニューは商品写真もなく「字面」だけしかない、素っ気のないものだった。カードケースに入っていて、裏表をひっくり返して見ればそれが全てというシンプルさだった。メニューの中身もほとんど変化なしで、日替わりメニューが別添で置かれているくらいだから、オヤジでも注文に苦労することはなかった。
それをファミリーレストランのような商品写真入りの「面倒臭いもの」に変えた代わりに、同世代のおっちゃん写真が登場している。共感を強める手法と考えれば、これはなかなか革新的な変化だ。ファミレスが変化の方向を見失いのたうち回っているのと比べると、アフターコロナの居酒屋は、なかなか強かなのだ。

食べ物レポート, 旅をする

金沢駅でパン屋に感動

帰りの新幹線に乗ろうと、金沢駅を歩いていて見つけたポスターは、西国に暮らす人を羨ましいとおもわせる。ちょっとだけだが、西国に住みたい気分にさせる。西日本にはこんなに「ネームド特急」が走っていたのだなあ。生まれた場所が北海道で、いわば独立島国、青函海峡で本土とは分断されていたから、広さと鉄道網の充実した地であったにもかかわらず、特急列車は意外と少ない。おまけに学生当時は貧乏で、特急に乗る金などなかった。多少金が使えるようになった時には、特急どころか路線が廃止されてしまい、慌てて乗りに行ったりもした。
世間では「撮り鉄」の暴走を非難する声で溢れているが、「乗り鉄」はまだあまり迷惑をかけていないせいか、ひっそりと「乗り鉄魂」を刺激する企画がローカル鉄道を含めあちこちで出ている。その中でも、この入場券ゲットしようぜラリーはすごい。JR西日本限定の24駅であれば、達成できそうだ。来年の春・夏の青春18きっぷで完全制覇してみようか、とポスターの前に立ち止まって動けなくなった。
これは、金沢駅の魔力に巻き込まれてしまった。なぜ「帰り」に見つけてしまったのだ。

そのポスターを見つける前、以前にも利用した美味しそうなパンを売っているパン屋さんが、これまたすごいパンを売っていた。このパン屋さんが金沢駅の魔力その2だ。
まずは、このPOPでガツンとやられてしまった。メロンパンは全国あちこちで様々なバリエーションを見てきた。覚えているのは富士山型のメロンパンで、名前も富士山パンだった(確か……)
しかし、このかぼちゃパンのルックスは、富士山を越えると思う。これまでの人生で、パンのルックスにやられた気がするのは、福島駅で見たカメパン以来、人生2回目の快挙だ。
おまけに見た目だけでなく、中身もカボチャっぽい。これは、買わずに通り過ぎることはできない。POPというのは、こういうふうに通り過ぎてしまう通行人をゲットするのが至上目的なのだが、このPOP制作者は天才的だな。まんまと引っ掛かってしまった。

陳列代に並ぶ、イミテーションカボチャの数々。おまけにこだわりはカボチャの皮部分ではなく、ヘタの部分にあった。すごいぞ、金沢駅のパン屋さん。ただただ感心する。これがステージだったら、スタンディングオベーション間違いなしだ。パチパチパチ!!

家に帰ってきて写真を撮ろうとしたら、ヘタが怪しい状態になっていた。が、全体的には麗しいカボチャ風メロンパンだった。まずはヘタれたヘタを食べた。うましだ。そして、残りを一気に食べた。中身のカボチャクリーム?も、皮の甘さによくあっていた。また、買いたいと思ってもパンを買うために金沢に行くわけにもいかないだろう。いけないこともないが、そうなるとパンの値段が一つ1万円を超えてしまう。(笑)

ついでと思い買ってきたドライフルーツと胡桃の入ったパンも、超絶的に美味かった。このパン屋さんが全国チェーンであってくれれば、毎日とは言わないまでも週に2-3回は買いに行くと思うのだが、金沢付近にしかないみたいだ。
旅先でうまいものを発見するのは幸せとは限らない。簡単には行けないところの食べ物を、また食べたくなるとしたら、それは不幸の始まりなんだよね。
うーん、金沢は困った街だ。性悪な魔女的魅力に溢れている。今度はいつ行こうか。

街を歩く, 旅をする

能登国一宮 気多大社

能登国の一ノ宮が、今年の一宮巡りの最終になる。東日本で残るのは佐渡国だけになるので、これはもうしばらく先になる。西日本になると沖縄、対馬、壱岐という強豪(離れ島になる)が残っているし、日本海側はこれから雪の季節になる。桜が咲く頃にまた巡礼(笑)に出かけたいが、その時期は西日本の花粉大爆の季節になる。それがうっとうしい。5月の連休明けくらいが良さそうだ。

気多神社は実に神社らしい神社だった。能登国の中心だった羽咋の平野部には田んぼが広がる。その平野が山地になるあたりの低い山上にある。まさにオヤシロという感じがする。拝殿までの道は実に綺麗に掃き清められている。これこそ、我が心にある「神社」の風景だ。そして人気のないところが、また神社らしい。

学生の頃、奈良に行ったときに見た春日大社の朱色を「けばい」と思った。侘び寂びなどわかる歳でもなかったが、寺社仏閣にはけばさが似合わないのではという漠然とした感覚があった。実際には、寺の中の御本尊は金ピカであったりするので、それなりに「けばい」といいうことに気がついていなかっただけだ。
その神社の朱色が、なんとなく良い色に見えてきたのは人生を半分以上過ぎたオヤジになってからで、厳島神社の海上にそびえる鳥居の朱色が瀬戸内海と調和して見えたのもその頃だ。
ただ、やはり神社は少し古びた落ち着いた木造が良いなと今でも思う。このちょっと古びた感じの加減がなかなか難しいのだが。
北陸にある神社は、どれもこれも良い具合の古い感があった。その中でも、鳥居から拝殿までの距離というか広さというか、そのバランスが良いのは、この氣多神社が一番だろう。

能登国は、今の日本、太平洋岸中心世界から見ると随分と辺境の地に見える。東京からの移動距離、時間で考えると島根県中央部と能登半島は東京から最遠隔地にあたる。不思議なことに、どちらにも人口に見合わないと思う空港が設置されている。一つの県内に複数の空港があるのは、秋田と石川、鳥取、島根くらいで、地理的な問題と地盤政治家の力の結果だと思う。大都市部である東京、大阪、名古屋にも二カ所空港があるが、大阪と名古屋は新空港ができた後の旧空港利用であり、メインとサブ的役割り分担がある。羽だと成田はまた別のストーリーになるが。北海道は別格で、千歳をメインに、函館、旭川、帯広、釧路、稚内、女満別、中標津、紋別、丘珠とたっぷりあるが、これは昭和中期の冷戦構造が生んだ落とし物だ。それだけ軍備としての空港が必要とされていただけだ。今では商業的に成り立たない、すっかりお荷物な交通インフラになりつつある。
閑話休題。しかし、古代日本では日本海航路は大陸との貿易ルートとしても重要だったから、能登国は日本海航路中継地として重要拠点だった。賑やかしい場所だったはずで、その名残が氣多神社にある。

メインである本殿を取り囲むような分社というか、周りにはべる神々がある。主神と取り巻く神々とは、その地域の政治勢力の盛衰に関わりがある。勝ち組が封じる神様が、主神となる。この複数神の関係性は、大和朝廷の日本海統治と繋がりがあるのは間違いないのだが、それを調べようとするとなかなかの力技というか、我が手に余るというところもある。
明治期に起きた国家神道のため、そしてその前の神仏習合時期を含め、どうにも古代の神社のあれこれを探るのは難しいようだ。古事記伝を元に古事記を読み解くという手もあるのだろうが、歴史好きの素人程度では手におえない。

神社には秋の日差しが似合うと思う。夏の強い日差しと蝉の声は、神社には似合わない気がする。だが、お寺の境内であれば良さげな気がする。この神社と寺の感じ方、というか捉え方の違いは自分でもよくわからない。
信心深いわけでもないので、深く考えることもなかったが、宗教とか信心とかとは離れて、日本人の源流的文化を考察をしてみても良さそうだ。それにふさわしい歳になった気がする。なぜ日本人は神社の静けさが好きなのか。なぜ、日本人は神社に初詣に行き、葬式は寺でやることが多いのか。その類の、何気ない日常行動の中にある、誰も気にしていない「古代から続くこの島国で暮らすものの精神」みたいなことだ。

そんなことを神社の境内であれこれ考えていると、昔読んだ司馬遼太郎のエッセイ的な論考を思い出した。小説を書くより、論文的なものを書くようになってから、司馬遼太郎の思考は変わっていったと思うのだが、五木寛之も同じ道を歩んだ。おそらくそれが歳をとるということなのだろう。
自分も同じようなジジイになってきたので、もう一度、司馬遼太郎論文を読み返してみようか。もしかしたら、昔と違い司馬思想に同意できるかもしれない。
静かな境内で思ったことだ。

街を歩く, 旅をする

パンとマラソン

ちょうど金沢マラソンが開催される時に、金沢にいた。駅前を含め大混雑というか、マラソン走者とその関係者、そしておそらくそれに便乗して金沢観光に来た応援者がごった返していた。その駅中にある、某コンビニエンスチェーン店で、どう見てもその店限定のPOPは貼られていた。これがなかなかユニークで………
POPを見てパンコーナー担当者に会いたくなった。小学校の頃はマラソン嫌いだったんだろうなあ。それでも、今はマラソンを応援するようになったのだから、人は成長するものだなあ、などとパン売り場の前で遠いところを見つめてしまった。うるうるするとはこのことだ。
ただ、その横のPOPにある黒船来航とは、一体何?と突っ込みたくなる。金沢人には理解できる歴史的逸話でもあるのか。面白いお店だなあ。

面白がって店の中を歩き回ってみた。マラソン関連商品だらけだった。走りながらなのか、休憩の時なのか、ともかく甘いものでエネルギー補給というのは理解できる。走る前にはバナナが良いという話も聞いたことがある。しかし、さすが和菓子の街、金沢だけあって、マラソン推しはどら焼きだった。どら焼きは口の中の水分を持っていく食べ物だと思うので、もぐもぐやると水分補給が必須だろうなあ。
走りながら左手にどら焼き、右手にスポーツドリンっ苦みたいな姿が思い浮かんできた。それも………ちょっと凄すぎるシュールな光景だ。隣に並んでいたらしいカステラは売り切れだったので、どら焼きよりカステラがランナー的にはエネルギー補給に向いているのだろうか。あれこれ考えさせられるし、人生の参考になる。個人的にはつぶあんのどら焼きが好みだが。

最高に素敵だと思ったPOPは、コンビニの横にある駅弁専門店だった。全力応援すると言っています。補給食取り揃えてますと書いてある。
日本のあちこちで、こんなふうに3年ぶりのイベントを楽しむようになったのだなと嬉しくなった。マラソンを終えて自分の街に帰る時、この店で駅弁を買って帰ると、幸せな気分になりそうだな。

街を歩く, 駅弁

金沢駅の駅弁 本物?

金沢の駅弁で、個人的にはこれが一番ではないかと思うのが、「金沢三昧」だ。これは豪華な駅弁だが、幕の内弁当系の絢爛な煌びやかさではない。よその土地であれば、このうちのどれかを主役にして一本勝負に出そうな役者を、贅沢に三人使いするのが百万石金沢らしさなのかもしれない。いや、実に贅沢。

中身は北陸名物を使い、カニとノドクロと和牛の3本建だった。比較的濃いめの味付けだが、これは冷めてから食べる駅弁特有の味付けなので文句はない。カニや牛の弁当はあちこちで見かけるが、両方が一つの弁当箱に入っているのは見たことがない。
その2トップに加えて、スーパーサブ的なラインが、「ノドクロ」だろう。最近メキメキと力をつけてきた日本海における魚の王者だ。従来のキング、ブリを押し除け、今や帝王級に上り詰めたノドグロを駅弁の上に乗せてくるとは、さすが金沢というしかない。
まあ、うちが本気出せば、こんなものよ………という金沢さん(誰だそれ?)の声が聞こえてきそうだ。おそらく京都を凌ぐ勢いの観光都市金沢では、熾烈な観光業界の競争が繰り広げられているのだな。駅弁も進化するはずだ。

旅をする

富山にあるもう一つの一宮

高岡と富山の関係は歴史的に見比べてお勉強しなければならないと思っているのだが、ついついサボってしまい、いまだによく理解できていない。越中国は、元は能登国の一部だったらしい。それがある時に分離独立して越中国になった。その時の中心地は高岡北部にあり、国分寺や役所が置かれていたようだ。
だから、高岡城が街の中心になったのは中世以降になる。では、越中国一ノ宮の一つである「射水神社」の位置付けはどういうものだったのかが気になる。そもそも越中国には、一ノ宮が4つあるのだから、そこには古代から中世にかけて、怪しい闘争があったと見るべきなのだが。
高岡城の跡が公園になっていて、そこに射水神社がある。高岡城は平地から少し高くなった小高い場所に建てられていて、深い堀で守られていたようだ。現在では博物館や市民会館(解体工事中)などが城址公園の中にある。訪ねた日には、広場で小学生が野外学習(多分、どんぐり拾い)をしていた。子供の声を久しぶりに聞いた気がする。そういう長閑な場所だった。

高岡の街中にあるので、当然お参りする人も多い。秋の時期には七五三のお祝いにやってくる人も多いだろう。城址になるので、実は参道が曲がりくねっていて直線にはなっていない。これは余程の高い山の上にある神社でなければ見られない珍しい構造だ。

神社らしい端正なお姿

端正な神社という感じがする。この日は朝早いこともあり人影はまばらだった。ゆっくりとお参りを済ませて境内を歩いていたら、二人ほど女性が撮影に来ていた。本格的に一眼レフを持ち込んでの撮影で、これは珍しい光景だ。一人は三脚も使っている。
神社で三脚撮影などするアマチュアカメラマンというのは、だいたいがジジイと決まっているのだが、最近は若い女性が撮影しているのをチラホラ見かける。お城巡りをしていても、女性が大型カメラで撮影しているのを見かけるようになった。スマホで自撮りをする女性はもはや観光地で当たり前の風景になっているが、一眼レフで(それもミラーレスの小型カメラではなく、重量級の大型上級機種で)撮影するのは珍しい姿だと思う。長い間、神社や城巡りをしているが、最近になるまで見かけたことがない。
おまけに被写体が神社だからなあ、などと自分のことは棚に上げて感心してしまった。確かに神社を撮影するには、光の加減を考えると秋から冬にかけての時期が良さそうだ。夏は、暑すぎることもあるが、湿気が多いせいか空の色が神社と合わない気がする。(個人的見解です)

新潟(越後)と富山(越中)の関係も含めて、もう少し歴史のお勉強をしなければ、なぜ富山に一ノ宮が4つもあるのかの謎は解けそうもない。おまけに、神社を撮影する女性カメラ愛好者が増えたわけはなんだろうか。二つ、宿題が残ってしまった。

余談として補足的にいうと、カメラマンという言い方は、ジェンダー問題とポリコレ的には危うい言い方で、メディアなどではもはや使われないのではないか。おそらくカメラー・パーソンというのが現代的には正しいようだ。歴史的に使われてきたカメラマンとの対比でカメラ・ウーマンと書いてみようと思ったが考え直した。
英語を含め西欧系言語には、マンが男性と人間という意味を持ち合わせているので、発生していいるジェンダー問題だと思う。マン・ウーマン問題は宗教的な側面もあるので、欧米では根が深い話題だろう。が、日本語では男性女性の差を含まない、いわば中性的な人間を表す単語があり、「撮影者」「職業撮影員」とでも書けば、男女の差はなくなる。「記者」や「筆者」などは「ライター」に対応する中性的な単語だろう。
ジェンダー問題を言葉の言い換えで済ませるのであれば、カタカナ外来語を捨てて、日本的漢字利用単語に変えていくというのも「あり」だと思うのだが。看護婦が看護師となったのは、意味ある変化だろうなあ、と思っております。ただ本当の問題はその先にあるのですけれどね。