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食べ物レポート

冷やし中華の季節が来た

今年は幸楽苑の冷やし中華でスタート

5月になると気温が上がる日が増える。飲食店でも初夏向け商品が並び始める。温かいラーメンのルックスは、基本的に平面だし色味にも欠けることが多い。めんまとチャーシューは同系色で、味噌ラーメンともなれば全面的に茶色になる。色味を加えるにはゆで卵の輪切りで黄色と白などが簡単な変化になるが、味と食感で言えばなんだかなあという感じだ。
ところが、冷やし中華となるとその貧しい見栄え事情が一変する。まず平皿に盛り上がった麺の立体感が魅力的だ。その上に、色とりどりのトッピングが乗る。赤、白、黄、緑と色の変化がこれまたゴージャス感を盛り上げる。実に素晴らしい。おまけに味付けが自分好みの酸っぱい系つゆなのだから文句をつける部分がない。
毎年、その年初めての冷やし中華を食べると、今年の夏は何回冷やし中華を食べるだろうと思うのだが、数えてみたことはない。ただ、自作して食べる冷やし中華を加えると50回くらいは食べている気がする。特に気温が上がる時期には、冷やし中華とそうめんの超ヘビーローテションになる。家人にはよく飽きないねと言われるが、麺類は好物中の好物だし、気温と麺の関係で言えば暑い時期の冷やし中華こそ「麺類の王」とまで言いたい。
とくに、醤油系のシンプルな味付けと胡麻味のつゆバリエーションがそそる。そして追いがけして使う柑橘系果汁との組み合わせは、レモン・酢橘・カボス・ゆず・シークワーサーと最強ラインナップが揃う。つゆと果汁とトッピングの組み合わせはほぼ無限だ。
薬味に至っては絶対定番の紅生姜を筆頭に、山椒の実やミョウガの細切り、大葉やなどの香味野菜、それに加えて変わり種でバジルの葉なども楽しみだ。また、辛味としては定番の和芥子の代わりにタバスコソースなどの酸っぱい辛い系洋風ソースも捨てがたいし、最近の好みで言えば山ワサビ(ホースラディッシュ)もワイルド系スパイスではおすすめ筆頭株だ。

幸楽苑の餃子はmちょっと変わったような気がするのだが……気のせいか

普段はラーメンの付け合わせとしてあまり注文しない餃子だが、冷やし中華となればついつい注文してしまう。「熱」「冷」のコンビがこれまた嬉しい。餃子は冷やし中華との食べ合わせを考え、浜松式の「酢+こしょう」で食べることにした。ただし、最後の一個だけは醤油+ラー油にする。
冷やし中華発祥の地と言われる仙台で、それも元祖の店で冷やし中華を食べたことがあるが、流石に元祖だけあり「お手軽系麺類」ではなく、冷たい中華料理としてしっかりしたものだった。ちょっとかしこまって食べたが、冷やし中華は夏の大衆食筆頭格だから、あまり気取らずにガシガシと食べるのが良い。仙台の違う中華料理屋で食べた細切りチャーシュー山盛りの冷やし中華は、まさに大衆のご馳走だった。
気温がもっと上がってきたら、食べる前に生ビールでプハーっというスタイルもありだし。食で季節の到来を知るというのはありですねえ。

書評・映像評

コロナとの暮らしを振り返ると

写真はイメージです (笑)
Photo by Dom Gould on Pexels.com

「深夜食堂」の最新刊(二十六巻)を読んであれこれ考えてしまった。このコミックはテレビ番組として何シーズンも映像化された。その後、映画にもなり、最新版はNetflixで放映された。新宿ゴールデン街にある(と言う設定)、深夜に開店する飯屋に出入りする人々のあれこれを描いた作品だ。物語の中で季節はうつろうが、年月は変わらない「永遠のサザエさん」状態にある。基本的に社会の変化は感じにくい、あるいは表現されない類の作品だろう。ところが、時事ネタどころか社会変化が重要なテーマになってしまった。

深夜開店する店だから、当然のようにコロナの初期は休業、あるいは昼間営業をするしかない。その当時のドタバタは前巻に描かれている。後々コロナと言う狂騒社会を検証する時には新聞や雑誌の記事などより、こうしたコミックの方がよほど参考になるだろうと思う。(テレビや新聞会社では最近流行りの捏造騒動が起きそうだ)

今回の巻では、そのコロナ社会が少し落ち着いて深夜営業を再開できるようになった時期、それでも客はマスクをかけているという微妙な時期にあたる。
一話ごとに、コロナの前と変わることのない庶民の暮らしぶりを切り取っている。人情噺が中心で、コロナに影響を受けて人生を棒に振ったような登場人物はいない。それだけに、マスクをかけている客たちの姿は、のちの時代になってこのコミックを読む読者には、コロナの時代にみられた特殊な社会状況を解説しておく必要があるだろう。
同じ社会混乱期の中で制作されたテレビドラマや映画をみてみると、マスクをつけた登場人物はいない。コロナなど全く起きていないパラレルワールド(並行世界)の話かと思いたくなるほどだ。確かに、演者たちがマスクをかけて登場すると、半分覆面状態だから顔がわかりにくいと言う物理的演出の問題もあるだろう。

ただ、マスクをつけてもドラマを成立させることは可能で、仮面ライダーなど主人公の戦闘シーンでは顔が全く見えない。敵役に至っては最初っから人の顔をしていない。また、アニメ的な演出をするのであれば、正義の味方(良いもの役)は青いマスク、悪者は赤いマスクなどで見分けをつけることもできるだろう。
だからこそ、コロナ時代の映像制作ではあえて意図的にマスクなしの社会を描いていたはずだ。撮影現場では政府の諸注意を守って撮影しています、などと言うテロップも入っていた時期がある。記憶にある限り、マスクをつけたり外したりするリアルな社会を映し取っていたのは、「孤独のグルメ」くらいではないだろうか。旅番組などではマスクをつけた出演者が動き回っていたが、あれはドラマとは違う類の番組だろう。
だからこそ、コミックというメディアの中で「マスク社会」のドタバタをリアルに記録した作品は貴重だと思う。10年後に紙媒体での出版が事業として残っているかは微妙な感じがしているが、電子出版は紙媒体と比べてはるかに作品の生存性は高いから、この作品が電子媒体ですら読めなくなることはないだろう。未来の読者に向けて「コロナの社会」とはどんなものであったかの解説文を、ぜひ巻頭に付け加える改定を行なって欲しい。

そんなことを考えていて思い出したことがある。先の大戦で宣戦布告が遅れたまま戦争を開始して、散々国民を煽っておきながら、最後には無条件降伏を受け入れ終戦するまでの期間が3年半あまりだった。コロナの狂騒期間は3年ほどだったから、大戦後に戦時の社会を振り返ってあれこれ議論が湧き上がったのと同じように、コロナ時代のあれこれ、馬鹿馬鹿しさを振り返るべき時がすぐにやって来る。
特に政治屋のバカっぷりと、一部医療関係者の売名行為、テレビメディアを中心とした扇動行為があったことを歴史の事実として記録し忘れないようにしなければいけない。ただ、このリアルな歴史が捏造され改変され記録されるのも目に見えている。昭和20年代に起こった右派左派それぞれの戦争の記録を読み返せば、同じことが起こることは容易に予想がつく。そして、悪徳政治屋はいつでも自分たちに都合の良いように歴史を書き換える。というか、都合の良い歴史を記録する。
別にこれは日本だけに限ったことではなく、人類が文字を発明した頃から延々と続く種族的な性向だ。人類は「嘘つき」がデフォルトな状態の生物であることに間違いはない。

とすれば、このような「コロナの日常」を設定にして、同時代性の高い情報を切り取っている作品は大切に保存しておくべきだと思うのだ。少なくともコロナ社会の狂気は、歴代の自民党政権・内閣で最強最長だった総理大臣、そしてその後継内閣を叩き潰したのだ。だからこそ、後世で語られるべき歴史的時代だったとも思う。
ついでに言えば、アフターコロナの自民党内閣は、先代の強さもなく日和見のくせに、戦後処理もまともにできない、歴史に残らない有象無象であるとも思うので、すぐにみんな忘れてしまうだろうなあ。

深夜食堂のサイトはこちら→ https://www.shogakukan.co.jp/books/09861634

街を歩く

締めのラーメンで地域性を考える

かなり長くなった北の街滞在だが、今回は蕎麦屋に行くことが多かった。いつもは空港で締めのビールを飲むためにビアホールに行くのだが、今回は体力不足というか蓄積疲労というか、ビアホールに行く元気もなく、蕎麦屋で軽く一杯という気分にもなれず、結局はラーメンで締めることにした。
空港のラーメン道場は北海道各地の名店が集結しているのだが、意外と味噌ラーメン専門店は少ない。札幌出身の店が2軒、十勝の店が一軒がみそ専門店だ。ただ、このラーメン道場各店は味噌、塩、醤油の定番は全店が提供しているから、味噌専門店でも塩ラーメンは食べることができる。
専門店というより、どのラーメンが一番得意かという差だと思えば良いのだろう。それが北海道的おおらかさであり大雑把さでもあるのだが。

この店の本店は、確か北の街の南部山間部にあったはずだ。はずだというのは、本店に行ったことがないからで、車で近くを走っている時に誘導看板を見た程度の記憶しかない。ニューウェーブな味噌ラーメン専門店は豚骨ベースで味噌たっぷりの濃厚なものが多いが、この店はその先駆けだったと思う。
味噌ラーメンでは珍しくチャーシューが乗っているが、実はチャー主も渦巻き型の薄切りタイプとサイコロ状にカットした角切りタイプの2種類が使われている。(角切りはスープの中に沈んていた)
ひき肉と野菜炒めトッピングという札幌味噌ラーメンの伝統は守っているので、この新旧混合レシピーが人気の秘密なのではないか。
締めに食べるラーメンとしてはちょっとヘビーだったが、北海道的ソウルフードはまたしばらく食べることができないのでありがたく噛み締める。お江戸には北海道から進出してきた店がたくさんあるから、北海道フードが食べられないことはない。ただ、おそらく気温と湿度と空気の匂いの違いのせいか、お江戸で食べるものは「北海道風テイスト」に感じてしまうことが多い。その「風な味」の典型がラーメンとジンギスカンだ。
逆にいえば、お江戸周辺発祥の無国籍的な料理、例えばナポリタンや黒カレーのような都会で生まれ育った食べ物は、北海道で食べてもピンとこない。料理の地域性、地域適合性みたいなことは、それなりに考えるべきだろう。レシピーだけで料理の味は決まらない、そんなことをうすぼんやりと考えながら、味噌ラーメンを食べ終わって実に満足しておりました。次は南区にある本店まで行って食べてみよう。きっと味が違うに違いないと期待して。

街を歩く

インフレの時代 あれれな結末

高級ネタの真イカ

またイカの握り寿司が食べたくなり、のこのこと行列のできる回転寿司(郊外型)に出かけてしまった。この店が人気の秘密はシャリとネタのアンバランスにある。つまりネタが大きすぎるところにあるのではないかと常々考えている。実食するとわかるのだが、握り鮨を口に放り込みもぐもぐしていると、コメから先になくなっていく。ネタが大きいので、口の中に残るという感じになる。
お江戸にいるうるさい鮨の評論家に言わせると、あれこれ難癖つけられそうな自分の分析だが、このネタ大きめ鮨はいつ食べても美味いと思う。理屈は抜きで旨いもん勝ちだ。
特にマイカは肉厚で、甘みがあり歯応えもガツンとくる優秀品だ。わざわざ食べにくる価値がある、並んで待つ価値があるといつも感心するのだが、ふと気がつくと一皿の値段がずいぶん、いや、驚くほど上がっている。マイカはすでに大衆ネタから高級ネタの仲間入りをしていた。ちょっと悲しい。いや、とても悲しい。

昔は、サバが5割くらい大きかったような(大袈裟な)記憶がある
(あくまで記憶です)

続いて我が絶対定番であるしめ鯖を注文する。出てきた品物を見ると鯖がちょっと小さくなった気がするが、その分身が厚みをましたようだ。この店のしめ鯖は自家製らしく(北海道のローカルすしチェーンは大体が自家製しめ鯖のようだ)、大手全国チェーンで提供される「しっかり工場で作りました」的なものとは歴然と違う。
日本海側の各地にあるローカル鮨チェーンでも、大概は自家製しめ鯖を出しているので、これは日本海沿岸圏特有のすし文化なのではないかと疑っている。(笑)
工場製の「シメサバ」は酢が効き過ぎている。単純に酸っぱすぎる。しめ鯖は塩で締めて酢で洗うのだから、酢の味は控えめであるべきだろう。お江戸で自家製しめ鯖を楽しむには、高級鮨屋に行くしかないが、北海道では回る寿司屋で大丈夫だ。この差も大きいなあ。

大好物なので、これだけを5皿くらい食べても良いと思うさばしそまき

そのあとは、サバの巻き寿司を注文する。いつもであれば最低2皿は注文する、これまた我が絶対定番ネタなのだが、今回は一皿だけにした。こちらも、大衆ネタだったはずの鯖系鮨が高級ネタに昇格して値上がりしていた。ちょっと悲しい。

鯖系巻物に新作が登場していた。なんと、サバのハラミを巻いたもの、それも裏巻きにしたものがデビューしていた。これはぜひ試食しなければと、通常版を一皿、新作を一皿頼んで比較調査をした。結論として言えるのは、どちらも美味い。ただ、ハラミ使用と言われても通常版との差はほとんどわからない。(自分がバカ舌の持ち主だというだけのことかもしれない)
そして、問題にしたいのは新作が5割程度お値段が高いことだ。明らかにインフレ時代に生まれる対応策、つまり新商品投入による値上げの典型例だろう。そこがちょっと残念だ。
値上げをするには中身の原料を変えるだけではなく、見栄えも変える必要があるので裏巻きにしたのは理解できる。ただ、味はもう少し定番から変化させた方が良いかなあ。
あとは、定番は醤油で新作は塩で食べようと提案して食べ比べ商品に変えてみるとか。もう一息、細かい芸が欲しいところだ。ただ、こんなことを言い出すのはよほどの鯖好きしかいないから、放置しておいて良い愚案だと思う。

最後に、これぞ北海道ローカルの極地、新香巻きを頼んだ。以前にも書いたことがあるが、北海道では中身が奈良漬の巻物を新香巻きという。お江戸あたりでは、新香巻きといえば中身が大根の漬物(黄色いたくあんもどき)が入っているものが多い。そもそも野菜入り巻物でポピュラーなのは新香巻きではなくかっば巻きだろう。
結局、この日は握り2皿、巻物3皿の注文だった。昔であれば全部百円皿の超低価格注文だったはずだが、今ではイカも鯖も高級魚扱いになり、お値段は倍くらいになっていた。もう2度ど来ないというほどの値上がりではないし、味が変わったわけでもないから、相変わらず満足度は高い。ただコスパがちょっと悪くなっただけだ。観光客であれば笑って見過ごす程度の値上がりだし、今やインフレの時代だからと諦めるしかない。できれば値上がりに合わせて接客要員なども調整してくれれば良いと思うことにしよう。
そういえば他の店でも鮑は5割近く値上がりしていたから、サバ系握りの値上がり額は順当なものかもしれない。ただ、インフレ時代には逆張りの成功者が出てくる時代とも考えられる。そのうちに値上げのなかった(できなかった)平成時代にノスタルジーを感じる世代を対象にした、新しい業態が開発されそうな気がする。キャッシュレスの時代に、ワンコイン、1000円札一枚ポッキリといった、これまでに使用されてきた安さのキーワードが変わるのも間違いない。新しいキャッチフレーズ、新しい販売方法がどうなるのか楽しみだ。外食産業の新しい息吹が生まれるかもしれない。と、インフレを肯定的に考えることにしましょう。

街を歩く

アートと桜と夕日と

北の大都市は市内を南北に走る川沿いに広がる平野部に町が形成されている。市街中心部は川の西部にある。官庁街を含め川の西側が北海道開拓の推進基地だった。川の東部は大都市と合併するまで財政的に豊かな町だった。独自に私鉄が建設されるほどで、いわば官庁都市とは一線を画す半独立地域だった。
そのため、現在の大都市中心部とは異なる、古い都市部が形成されていた。ただその旧市街も今では地下鉄が施設され、影も形もなくなってしまった。旧私鉄沿線には住宅地がダラダ田と広がり、「大都市」の郊外地域になってしまった。
その旧都市部の中央に小高い丘がある。丘の上にはそれなりに歴史のある神社が分祠されてきたのだから、当時の街の勢いがわかるというものだ。
ちなみに北の大都市を開拓した親玉が京都を模した市街形成を目論んだこともあり(ただし京都とは東西反転した形で実際は開発された)、大きな神社は西側にある山の麓に造られた。それに向かいああうように旧都市部では川を挟んで東側にある小高い山の上に神社を造ったのだろう。神社の配置を見ると東西の町が相当な対抗意識を持って開拓に励んでいたことは間違い無いだろう。
その小高い丘を天神山と呼んでいる。昔はりんご畑だったところだと記憶している。今では、リンゴの木などほとんど見かけない。目立つのは中高層のマンションばかりだ。

その天神山(多分高さは50-60mくらい)から、都心部を見るとそれなりに良い景色がひらけている。この時期は、山のあちこちに咲く桜が満開の手前だった。ただし、気温は低く震えるほど寒い。桜も満開になるまでさぞかし時間がかかるだろうと思わせる。この前日にはパラパラと霰も降っていた。

市内で桜の名所といえば、西部にある山麓の神社周辺と決まっている。例年ゴールデンウィークあたりに桜が満開になるので、なぜか桜の咲く公園で(それも神社の横で)寒さに震えながら桜見物と称しジンギスカンパーティーをやるのが、この季節の風物詩のようになっている。過去3年は、感染予防のため屋外でありながらジンギスカンは禁止だったはずだが。今年はどうなっているのだろうか。
こちらの山の桜は、そういう意味では地味な名所ということになる。何度か桜の季節に来てはいるが、ジンギスカンをするパリピは見たことがない。今回は友人が野点で茶会をするというので午後に来てみたのだが、とてもお茶を楽しむような気温ではなかった。

桜を見たのはほんの5分ほどで、あとは別に設営されていた室内会議室で歓談と称して、日本酒の品評会をしていた。花見という名目の飲み会になってしまったが、それはそれで日本人的な正しい生活様式だ。
感染症対策として提唱された「新しい生活様式」(笑)だが、そんなものはもう飽き飽きしているので、破壊された「昔の生活様式」が復活してくるのが楽しみだ。桜を見に来たはずが、一番綺麗だなと思ったのは山の端にかかる夕焼けだったのはご愛嬌。
ちなみにこの施設は、世界中のアーティストに開放されているコミュニケーション・宿泊施設だそうで、アーティストの方は長期滞在をしてみるのも良いだろう。非・アーティストである我が身はたまに夕陽を見にくるくらいがちょうど良いかな。

街を歩く

インフレの時代

お気に入りの喫茶店で一休みできるのは幸福なことだ

晴れた日にはお気に入りの喫茶店で、公園を見下ろしながらのんびりとコーヒーを楽しむ。午前中、それも遅めの時間が客もまばらで良い具合だ。グループ客がいなければ会話の声も聞こえてこない。窓際のカウンター席に座り、パソコンを開いてあれこれ書き込んでみる。
一昔前はネタ帳に濃い鉛筆であれこれ書き込んでいたものだが、今ではすっかりキーボード愛好派になってしまった。ノートパソコンも軽くはなったが、それでも1kgは超える重量だから、タブレットに外付けキーボードという軽量な組み合わせもよく使う。デジタルフリークというつもりもないが、「情弱」などと言われるほどのキーボードアレルギーとは無縁だ。
ちなみに、この喫茶店では札幌市のFreeWiFiが使える。ただし、電波強度が弱すぎるのでかなりイライラすることにもなる。観光都市のくせにデジタル対応の予算をケチっているなあ、と内心ではバカにしているが、首都圏でもオリンピックが終わった後、あちこちでWiFiサービスが打ち切られている。中央政府に取り繕いこびへつらう日本の地方行政としては、この手の「言われた通りやってますよ、とりあえず」的なやり方が手慣れた技と言うべきだろう。

ダークローストのブラックコーヒーは本当に好みの味

濃いめのブレンドをゆっくりと楽しむには、ダメダメ行政の悪口を考えるに限る。他人様の悪口を考えていると、こちらの心も貧しくなるが(悪い考えには悪く染まってしまうからなあ)、クズな行政を頭の中でいたぶっていると気分は水戸黄門的な正義感に満たされてくる。健全とは言えないが、お手軽な娯楽だ。少なくとも自分が正義の味方に思えるのはささやかながらの快感だろう。
眼下に見える公園がオリンピックマラソンの会場だったことを思い出し始まった、行政批判の連想ゲームだった。去年まで放置されていた施設が撤去されていたから思い出した、オリンピックのドタバタ騒ぎに対するお役所仕事への嘲笑というところだろうか。
おそらく脳内麻薬(倫理高い、社会意識高い系な微少物質)が溢れてきて、俺が正義だと思い込み独善的な自己陶酔に浸ってしまう。正義の味方的境地になってしまうと、どこかにすけさん・かくさんはいないのかと思い始める。世直し願望が大きくなっているのだろう。あぶない、すっかりあぶない人モードだ。
ただこの日の妄想はもう少し膨らんだ。この脳内麻薬依存症、正義の味方症候群になると、そこからテロに至るまでは、かなり距離が短いのではと思ってしまった。テロリストの頭の中は、きっと自分勝手な正義感と倫理観が溢れていて、それが宗教的な法悦に近いものになっているのではと想像してしまう。自分が感じたものの数倍、数十倍の脳内麻薬に酔いしれているのではないだろうか。脳内麻薬は基本的に自給できる?薬物だから、依存度がどんどん増していくだろう。あぶない人から危険な輩になるまでは、案外簡単なのかもしれない。のんびりとした朝のコーヒーがテロ思考に結び付いてはいけないぞと反省し妄想を止めるため店を出ることにした。
ただそこで、ちょっとだけテロリスト的な思いに駆られてしまった。原因は伝票に書かれていたコーヒーの値段だ。たった半年で、3割近く値上がりしていた(記憶モードです)。令和はインフレの時代なのだと改めて感じた。
政府はインフレの責任を取れと言いたくなった。あと一歩インフレが進めば、コーヒー一杯が50円値上がりしたら、俺は革命軍に入ってやる、と脳内の過激派がけしかけてくる。村上龍著作のタイトルを思い浮かぶ。今や日本の人口の1/3が高齢者だから、ジジイがテロリストになる時代なのかもしれない。令和は革命の時代になるかもしれない……………
インフレ時代のあぶない妄想です。

旅をする

空の旅で悟りを得るか?

時間はたっぷりあるが、費用は抑えたい人向けのLCCが再開され外国人観光客が大量に戻ってきたらしい成田空港から、国内LCCを利用して旅に出た。成田空港は遠いと単純に思い込んでいたが、冷静にかかる時間を確かめてみると、羽田空港に行くのとでは30分ほどしか変わらない。埼玉県のハズレからは、成田も羽田もどっちも同じように遠いということだった。
あれっ、そんなバカなと思ったが、知らないうちに成田行きの交通機関が整備されていたためだ。特に第3ターミナルから東京駅までの直行バス便は安くて便利だと気がついた。荷物を持った乗り換えを考えると、羽田より成田の方が楽に移動できるかもしれない。

第3ターミナルからの離陸は思っていたよりも短時間だ。滑走部分に至る移動距離が短いのかもしれない。昔よく使っていた第1ターミナルからの発着は、ともかく地上移動時間が長かった記憶がある。これまではずっと通路側の席を予約してきたから、空港内の風景を見ることなどほとんどなかった。窓際の席を取れば、思っていた以上にあれこれ周りの景色が見えてくる。
成田空港開設反対のシンボルだった「砦」みたいなものはすっかり消滅したようだ。あっと思う間に離陸した後は、しばらく関東平野の広がりが見える。千葉の東部は畑と林とゴルフ場で占められているのがよくわかった。しばらく外を見ていたが、予想以上に成田と印旛沼が近いなとか、利根川を境とする茨城県は千葉県と見た目が全然変わらないぞとか、今更ながらに気がつくことが多い。できればずっと地面を見ていたいと思っていたが、高度が上がると雲の上に出てしまい地表は見えなくなった。雲の上に出ると気分はカンダタとお釈迦さまみたいな感じで、自分がお釈迦さまの視点にたてる。不敬にも、即身成仏とはこのことではないかと笑ってしまった。

しばらく飛んだ後、雲の下に出るとそこはもう北の大地だったが、見た目が明らかに関東平野とは違う。ゴルフ場があちこちに見えるのは関東平野と同じだが、あきらかに畑が少ない。ただただ広がる黒い原生林?が見える。その中に明らかに人工物である直線道路が地図に描かれた境界線のように、地面を幾何学的に分断している。
それでも、着陸してみれば空港の風景は同じで、人工的な構造物である空港は世界中どこに行っても同じように見える。違いがあるとすれば、機体に書かれた文字の差くらいだろう。空港の外はローカル、空港の中はグローバルな景色というのが実感できる。
よく考えれば空路の旅とは、ローカルな風景から空港へ移動し、その後は何時間か空の上を飛んでいるだけの、景色の変化がほとんど感じられない旅だ。成田から北の大地に飛ぼうと、南の熱帯雨林の国に飛ぼうと、あるいは東に飛び太平洋を飛び越えた文明地に飛ぼうと、そこに大きな差はない。
降りた土地で最初に感じる匂いが、唯一異郷にきたことを知らせてくれるが、それは北海道であれ、LAであれ、ゴールドコーストであれ、ほんの一瞬のことで、異国の匂いにもすぐに慣れてしまう。やはり空の旅は移動中の体験値が少なすぎるのだろう。いつに無く飛行機の窓の外を眺めながら旅をしてみたが、そんなことしか感じなかった。旅をするなら鉄道だな、などと体の中の鉄分がむずむずし始めた。空の旅とは、何も感じず解脱を目指すこと…………諸行無常みたいなことですかねえ。

旅をする

おすすめの品はヘビー級だった

北海道中央部から100kmほど北に行ったところに全道有数の米どころがある。いわゆる目隠しの味覚テストでは、全国ブランドの米よりうまいという評価をとるほどの「名米」の産地だ。北海道の米はずっとまずいと言われていた。自分の食経験でも北海道米は明らかに1ー2段階レベルが低いと思っていた。それが品種改良や農法の改善によりみるみる食味が良くなり、最近では温暖化の影響もあるのか「とてもうまい米」になっている。全国各地にある銘柄米の北海道における先駆けが「きらら」だったと思うが、その後の後継種はどんどん食味が上がっている。個人的には北海道産ななつ星が一番気に入っている米だ。
その米どころに長い付き合いになる友人がいて、毎年コメを送ってくれる。ただ、ここ数年はパンデミックの影響で会う機会もなく、すっかりご無沙汰していた。ようやく都市在住者の来訪が解禁になったので、3年半ぶりに会いに行ってきた。
以前の仕事からお付き合いのある方が全国のあちこちにいるのだが、やはり田舎の町では都市在住者は厄災の塊のような認識があるようで(それは間違ってはいないのだが)、事態が落ち着いたら遊びに来てねとやんわり言われていた。ようやく普段の生活が戻ってきたということで、最近はボチボチ昔の友人たちに会いに行けるようになった。

おいしいザンギでした ただ、量は2個でよかったです……

この道の駅では、近くに飲食施設があまり存在しないこともあり、食堂がなかなかの盛況なのだが、3年ぶりに訪れてみるとメニューがだいぶ変わっていた。あとは面白いのが非接触型の注文になっていて、メニュー名とメニュー番号をメモ用紙に書いて渡す方式になっていた。だが、そのことを丁寧に説明してくれるので完全非接触対応とは言い難い。
ちょっと意地悪に考えれば、その説明をしている時間で注文は取れてしまうのではないか、などと内心ではクスッと笑ってしまった。おまけに、その説明を聞いたあと友人が「おすすめは何かな?」と尋ねたらしっかりと答えてくれた。うーん、これも変なコロナの落とし子なのだろう。
ちなみにおすすめは、自家製麺をしているので麺類だそうだ。定食系ではザンギ定食がよく出るということだったので、二人ともザンギ定食にした。しかし、それが間違いだった。
ザンギ(北海道式鳥唐揚げ)は2人前以上に見える大盛りで、どうやらこの盛りの良さが人気の原因らしい。あと20年若かったら間違いなく喜んで完食しただろうなとは思う。だが、次からは、ザンギ定食ひとつとライス(小)を追加して、二人でザンギをシェアするのが良いと思った。それくらいの学習能力は持ち合わせている(と思う)
何より、次回はイチオシ自家製麺のラーメンにしよう。それが賢者の選択というものだ。ちなみに、この道の駅で名物は「メロン」で、北海道内にある様々なメロン産地と比較しても、特に糖度の高いメロンを販売している。かの有名なメロン産地では一玉〇〇千円もする高級品が多いが、それに匹敵する美味しいメロンを、この場所ではリーズナブルに購入できる。
なぜか出来立ての魚練製品揚げ物も売っているが、これは留萌港が近いせいだろう。北海道でドライブ旅行をする時には立ち寄ると良いちょっとした穴場だ。胃袋に余裕のある方はザンギ定食を、夏場に旅をする方はメロンをお勧めしますよ。

街を歩く

なんとなく違和感が

駅の改札脇に大きく貼られていた津軽観光の誘致広告だが、なんとなく違和感を感じた。確かに北海道新幹線で函館から青森まではほぼ1時間。函館から青森までは海峡を連絡船で渡って4時間かかっていたのだから、確かに近くなった。1時間の移動であれば、ほとんど隣町だ。そもそも青森と函館は海峡を挟んだ海峡文化圏であり、言語的にもほぼ同じというか同一地域だろう。北津軽と南津軽程度の差しかないと思う。
違和感の原因は札幌から函館までの距離と時間にある。在来線特急で函館まで行くとほぼ4時間かかるはずだ。同じ地方自治体の中にあるのだが、札幌函館間は空路で移動するほど距離がある。(ちなみに、札幌釧路間も空路移動する距離がある)
つまり、函館青森は隣町だが、函館に行くのは大旅行ということだ。奈良観光キャンペーンで、京都に行ったら奈良は隣町なんだよ、すぐ近くだから京都のついでに寄って行こう!! みたいな感じだろうか。
札幌函館が遠いのは、北海道民みんな知っているよね、だからそこんとこは黙っているけどさ……的なチート感がこの「待ってるよ。津軽」には存在している。
個人的には、青森も函館も好きな街なので、遊びにおいでと言われればホイホイ行ってしまいそうだ。函館までの特急もビールを飲んで軽く昼寝をして目が覚めたら函館だった、という感じの素敵な鉄旅になる。全く文句はない。
その上、昼には函館で鮨を食べ、それから新幹線でひとっ走りして、夜には津軽三味線のライブハウスで青森の銘酒を楽しむなんてこともできる。
ただ、宣伝文句通りに「キガルに、ツガルへ」を体感するには、北海道新幹線が札幌延伸するまで待たなければいけないだろう。その時になれば札幌青森間は2時間を切るはずだから、確かにお気軽な鉄道旅になるはずだ。早く新幹線が通れば良いのだが、なんだかトンネル工事が遅れいているらしい。残念。

そんなことを考えていた夜に、久しぶりのバーに繰り出し珍しい酒を飲んだ。多分、この3年間はこの酒を口にしていないはずだ。それなりに酒の銘柄を揃えてあるバーでなければなかなか飲めない「ヨードチンキの匂い」がする強烈な一杯を楽しんだ。
口に含んだ瞬間グワっと鼻に抜ける強烈かつ凶暴なモルトの香りは、酒の初心者には楽しむことが全く無理な代物だろう。酒飲みでも中級者程度では、暴力的に迫るこの酒には痛烈な拒絶反応が出ると思う。相当な手練れな酒飲みでなければ近寄ってはいけない。せめてラフロイグくらいの軽めから始めるのが大事な手順だろう。
と、一応忠告だけはしておきますので、この後は自己責任でお試しくださいと、隣の席に座った同行者には話した。口の中が地獄になる体験というのはなかなか貴重なものです。絶対に悪夢の体験になるという期待は裏切らない(はず)銘酒であります。飲んだ後の感想は聞かないことにしている。

おまけで、テキーラを注文した。この酒と同じような感じのものがあるかとマスターに尋ねたら、これですかねえと出てきたボトルは、何やらスッキリ系に見えたのだが。一口飲むと、これはまたモルトとは違う地獄の香りがしてきた。モルトがヨードチンキとすれば、こちらはセメダインだった。うーん、まだまだ酒の世界は知らないことばかりで奥が深いと感じた。しかし、酒を飲むのは楽しみの場であり、決して修行の場ではないのだがなあ。
昼に感じた違和感が、夜には違う意味で増幅された1日だった。

食べ物レポート

老舗で食べるチープ

この店の創設者、おっちゃんの訃報を聞いたのは去年のことだっただろうか。たまに無性に食べたくなる「お好み焼き」だが、北海道にお好み焼き文化をもたらした功労者は、間違いなくこの店のおっちゃんだったと思う。店名に書かれている「北海道のお好み焼き 風月」が全てを語っている。この店のお好み焼きは東京のお好み焼きとも大阪のお好み焼きとも微妙に異なっている。
昔聞いた話では、創設者のおっちゃんが確か関西のどこかから北海道に流れてきて、ふと思いついて始めたのがお好み焼き屋だったそうだ。関西でお好み焼き屋をやっていたわけでもなく、記憶にあるお好み焼きを見よう見まねで売り始めたというような話だった。当時は小体な店で安いお好み焼きを目当てに高校生が集まる濃い店だった。焼きそばも売っていたが、そちらはあまり美味いものだったという記憶がない。ただただ量が多く、腹ペコの時はありがたかった。
お好み焼きもセルフサービスな自分で焼いてねスタイルだったから、上手く焼けていない(生焼け)のお好み焼きもたまに食べてしまった。初めて関西の「鶴橋風月」でお好み焼きを食べた時に、これは別物だと思った。それくらい「北海道独自な」お好み焼きだったのだろう。
そもそも「風月」という店名も相当に……………なものだが、大多数の北海道風月愛好者は、大阪にも風月ってあるんだと思っているはずだ。

このコテを持ったおっちゃんが創業者であることはわかる。ただ、自分たちの相手をしていた頃は、いつも競馬新聞を片手にぼーっとしていた。ぼーっとしていたのではなくラジオの競馬中継を聞いているらしいと聞いたこともある。注文すると、アーともウーともいえない返事をしながら、焼きそばを炒めたりお好み焼きの仕込みをしていた。
ただ、それからしばらくすると街のあちこちに支店が増えて行って、お好み焼きといえば風月となったのだから商才はあったのだろう。おっちゃんが社長になってから、たまにテレビで見かけたりするようになった。

しばらく行っていない間に、店内はおどろくほど情報武装化されていた。お好み焼きの焼き方もタブレットから動画で見ることができる。すごい進化だ。思わず、あのおっちゃんの会社が………と言いたくなる。この3年間の非接触営業推奨に対応したのだろうか。

出てきたお好み焼き(イカ玉)は、相変わらずのルックスだった。確かに創業56周年というのはすごいことだが、記憶の中にあるおっちゃんを思い出すと、やはり笑ってしまう。ちなみに喫茶店でコーヒーを飲むと200円の時代に、イカ玉は確か190円だった。お好み焼き一枚がコーヒーより安いのだから高校生が集まるわけだ。ついでに言えばラーメンが350円くらい、ハンバーガーが200円、瓶に入ったコーラ(200cc)が50円、アルバイトの時給は300-350円程度だったと思う。
豚玉はイカ玉より20円くらい高かったような記憶もあるが、そこは定かではない。えび玉が一番高かったはずだがその値段も思い出せない。全部入ったミックス玉もあったはずだが、高すぎて注文した記憶がない。

この半分焼けたところでひっくり返す時に、バラバラに分解してしまうことが多かった。だから、お好み焼きが丸く固まったまま焼き上がると、食べるのが惜しくなるほど嬉しかった。マヨネーズとソースという万能な味付けを学んだのも風月だった。
結果的には、流れものだったおっちゃんが味の伝道師として、北海道にお好み焼き文化を根付かせたのだから、その功績は(少なくとも)道民栄誉賞くらい差し上げても良い気がする。
今ではお好み焼き(イカ玉)もすっかり高級品になっていて、ラーメン一杯よりは高い。ハンバーガーだと4個は買える値段になっていた。ただ、こちらもすっかりオヤジになっているので、イカ玉とビールなどという大人な注文をして、今は亡きおっちゃんのことを思い出していた。「北海道のイカ玉」うましだ。合掌。