旅をする

岸和田城と岸和田ボーイズ

岸和田というと、あの勇壮で賑やかな「だんじり」を思い出す。現地で見たことがあるわけではなく、テレビのニュースで見たくらいだ。あの背の高い山車を、暴走というしかない速度で引き回すのだから、さぞかし岸和田ボーイズは血気あふれる(ちょっとこわい)兄さんたちという勝手なイメージがあった。
駅からお城までタクシーでつれてきてもらったが、その運転手さんが実に柔和な方でお城のいわれなどを説明してくれた。岸和田ボーイズ、優しいぞと自分の認識を改めた。まあ、人の思い込みなどこんなものだ。現地に行って確かめてみなければわからないことばかりだ。
その岸和田城だが、お堀に囲まれた小ぶりな本丸がある。その周りをかなり広い範囲で城郭として形成している。外側のお堀まで含まれた城の中には、現在の市庁舎がすっぽり入っている。

本丸は一段高くなった丘の上にあり、堀も深い。これはなかなか攻めづらい城だ。このあたりは戦国期に大都市だった堺の南側で、海賊が支配していた地域のはずだ。愛読書「村上海賊の娘」では、陽気で明るく残虐な泉州海賊の支配地として描かれていた。
今では大阪府と一括りにされているが、当時は摂津、河内、和泉の三つの国だった。これに大和(奈良県)、山城(京都府の南部)を加えた五国が畿内とされ、いわゆる「天下」だった。
つまり、和泉国、泉州は日本の中心部だったわけだ。その日本中枢部の南端を守る拠点だから、戦略的には要衝ということだろう。和歌山につながる街道も押さえていたそうだ。

石垣は戦国中期くらいの作りで、ごろごろとした石を無造作に積み上げたものだから無骨な感じがする。この時期の城はまさに軍事拠点であり、行政的な使命より戦争時に活躍する建物だった。質実剛健、兵器としての築城だったのがよくわかる。

タクシーの運転手さん曰く、この城の周りは車でぐるっと回れる珍しい作りだそうだ。確かに、大手門の手前まで車で行ける城はたくさんあるが、お堀の周りを車で一周できるのは江戸城を始めとした幾つかの平城しかない。城全体ではなく、天守閣の周りをぐるっととなると、確かにこの城くらいかもしれない。

正面から見ると櫓を含めた2棟式の天守閣が美しい。鏡面対称のように天守閣が2棟並んでいるわけではないのだが、大小の規模感がバランスよく見た目がよろしい。黄金比というやつかもしれない。
これもタクシー運転手さんの受け売りだが、背面から見た天守閣の方が美しい(好み)なのだそうだ。そう言われると確かめないわけにはいかない。幸い、天守の背面に続く遊歩道が整備されていた。

確かに背面から見ると、櫓が隠れて天守が一層聳えて見える。堀の向こうから見るとまた違うのかもしれないが、この仰ぎ見る画角はなかなか勇壮な感じがする。貴重なアドバイスをもらわなければ、正面を見ただけで帰ってしまったはずだ。岸和田ボーイズは、やはり優しいのだ。

背面からぐるっと回ってまた正面に戻ってきたら、こちら側から見た正面の姿もこれまた美しい。復元城とはいえ、これだけ見るアングルによって姿を変える城も珍しい。

しばらく端正な城の美しさを楽しんだ後、ぷらぷらと駅まで歩いて帰ることにした。来る時はタクシーで10分もかからなかったが、歩いてみると城の麓からゆるい坂道を登る感じになり、思っていた以上に時間がかかる。駅前商店街のアーケードにたどり着いた時には、ちょいと疲れてしまった。
アーケード内の商店街は少々くたびれた感じはするが、全面シャッター街になってはいない。あちこちに空き家は目立つが、最近開いたような店もたくさんあり、まだこの街は元気なのだなという感じがした。
泉州海賊の末裔たちは、だんじり祭りの勇壮なイメージとは裏腹に優しい岸和田ボーイズになっているようで、昔読んだ岸和田愚連隊のやんちゃな不良少年たちの印象とは違うみたいだった。

食べ物レポート

カルネという食べ物

新大阪駅でポスターを見かけて、なんというか不思議な食べ物に見えた。サンドイッチだが、バンズを使っているようだ。ハンバーガーに似ているが、どうも具材は随分と薄いように見える。試しに一個買ってみようかと思ったが、そのまま通り過ぎてしまった。

帰りの新幹線の待ち時間に、構内の土産物を見て回っていたら現物を発見したのでとりあえず買ってみた。京都のパン屋が作っているらしいのだが、カルネとは一体どういう意味なのかはわからない。仕方がないのでホームページで確かめてみたら、色々と詳しく書かれていた。名前はフランス語、商品の原型はドイツで見たもの、それをアレンジして今では「京都市民の国民食」らしい。
確かに、京都でパン屋巡りをしたことはないので店名が記憶にないが、ホームページで確認したお店の数からすると京都では知名度No.1的なブランドだろう。

ペッパー味も置いてあったのでついでに買ってきた。両方を食べ比べてみたが、これは京都人だけ、つまり食べ慣れている人間だけが理解できる味の差のような気もする。サンドイッチとしては、具材を楽しむ設計ではなくパン生地を味わうもののようだ。個人的にはちょっと寂しい感がするのだが、京都市民が愛してやまないものらしいので、京の味覚がわからない田舎者ということだろう。名物にうまいものなしという言葉もあるが、京都の味は高尚すぎるのだろう。パンを楽しむサンドイッチとは恐れ入った。


新大阪の駅で買った土産物は、栗味と芋味の生八つ橋だったのだが、その土産物屋ではオリジナルの生八つ橋が置いていなかった。いわゆる味変シリーズばかりになっていて、京都の伝統と現代の革新みたいなギャップを感じていた。伝統にあぐらをかくことなく革新は良いのだが、オリジナルを忘却してはいけない気もする。このカルネは同じ味を守り続けている上にペッパー味を加えたということだろう。
京都名物を新大阪の駅で売ること自体、京都商人の才覚というか販売力はすごいものだと思う。ただ、それをいえば伊勢名物赤福も新大阪の駅内コンビニで棚に山積みされているので、伊勢商人の方が上手らしい。西国商人恐るべしということかもしれない。
東京駅で埼玉や千葉の名物を売っているかと考えると記憶にない。浅草名物の和菓子の工場が埼玉にあるのは知っているが、あれは東京名物だ。そもそも埼玉名物とか千葉名物と言われても、商品名がすっと出てこない。横浜名物の崎陽軒「シウマイ弁当」が東京駅でも売っているので、神奈川は別格なのか。神奈川商人とは聞いたことがないけれど……………

旅をする

天王寺の風景

自分の中にある大阪地図は、やたらと空白だらけで、おまけに鉄道路線図がほとんど欠落している。脳内マップはほぼ、いや、全く役に立たない。大阪駅(梅田)と難波駅(なんば)を結ぶ地下鉄路線くらいしか理解できていない。
だから、仕事で大阪に来る時も必要なのは地下鉄路線図のみで、それ以外の場所には現地スタッフの同行を頼りにする、全くのお上りさん状態で過ごしてきた。一度だけ、帰りの新幹線までの時間がなく、車移動を諦め電車に乗るために天王寺で降ろされたことがあるが、その時も地下鉄御堂筋線に乗り新大阪まで一直線だった。

先月までは日本一高いビルだったが、どこかの新築ビルに抜かされたらしい

天王寺と阿倍野の区別もつかないのだから、大阪地理の無能ぶりは明らかだが、あべのハルカスだけは一度だけ展望台に上りに来たことがある。ただ、タクシーで来たので正確な場所はわからないまま展望台の登り、タクシーで梅田まで戻った。
今回はJRを乗り次いでたどり着いたので、頭の中の白地図はだいぶ鉄道路線で埋め込まれた。まあ、グーグル先生抜きでは無理だろうけれど。
そのあべのハルカスが天王寺駅に隣接していることを理解したあとで、天王寺は近鉄線の始発駅であることもようやく理解した。が、その近鉄電車の行き先がよくわからないので、またGoogle先生にお世話になった。

しかし、なぜあべのハルカスとなったのだろう。天王寺ハルカスではいけなかったのだろうか、という疑問は解けない。そのまま近鉄駅を覗きに行って初めて(ようやく?)理解した。近鉄の駅は天王寺駅ではなく阿部野橋駅だった。
お江戸の感覚で言えば、いくつかの路線がつながるターミナル駅は基本的に駅名が同じだ。違いといえば「JR〇〇駅」とか「小田急〇〇駅」のように、頭に鉄道会社の名称が振られるくらいだろう。
複数路線が接続するターミナル駅であるのに駅名が違う例を考えると、JR有楽町駅と地下鉄銀座駅がこれに近いかもしれない。JR東京駅と地下鉄大手町駅もつながっている駅と言えばつながっているが駅名は違う。ただ、地下鉄大手町駅は丸の内線、千代田線、東西線、半蔵門線が乗り入れている巨大地下鉄ターミナル駅で、東京駅と比較的隣接しているのは丸の内線だけだ。地下鉄大手町駅という大ダンジョンの入り口がIR東京駅と考えても良い。そうすると、JR大阪駅と地下鉄梅田駅の関係がこれに近いかもしれないと気がついたが、ダンジョンとしては梅田の方が圧倒的に凶悪で、まさに迷路だ。
どちらにしてもJRと私鉄各社のターミナル駅については、一度お勉強し直さないと大阪の街歩きは著しい問題が起きる。それを天王寺で学んだ。

そのあべのハルカス前の歩道橋から、多分昔は大阪で一番高かったタワーがみえる。通天閣周辺を舞台にした「大阪コメディ」の最強作、じゃりン子チエを思い出させる勇姿だが、あのちえちゃんも現在年齢を推定すると、もはやおばあちゃんになっているはずだ。
さぞかし強烈な大阪のオカンから、大阪のおばんに成長していることだろう。きっと、子供時代と同じに猫を従え(おそらく十代目小鉄)酎ハイを飲みながらガハガハ笑っているような気がする。「オカンになったちえ」「じゃりばばあ、ちえ」みたいな話を読んでみたいなと思った。

夜になってふと思い出しホテルを出て歩道橋の上に行ってみた。昼とは全然違う通天閣が見えた。コロナの時のライトアップですっかり有名になった感はあるが、どうも夜のお姿の方がシュッとしているというやつだ。
そう言えば、通天閣はゴ◯ラにやられていないのではなかったか。お江戸の名所はできるたびに歴代ゴ◯ラに倒されていた。大阪で怪獣が暴れたのは、ウルトラマンシリーズのゴモラだけではなかったか。東宝映画では記憶にない。大映ではどうだっただろう。ガ◯ラでは福岡と香港と渋谷は壊滅したが、大阪は無傷だったはずだ。
やはり大阪は特撮映画世界において意外と平和な街だったのだな。通天閣を見ながら、そんなことも思っていた。
記憶にないのだがエヴァの世界では、大阪は壊滅していたのだったか。ハルカスの残骸に座り込む夕陽を浴びた初号機、みたいな絵柄はダイナックス社であればやりそうだな。

旅をする

はじめての大阪城

大阪には数えきれないほど行っているが、よく考えると勤務先のオフィスとその周り、そして梅田と心斎橋周辺を歩き回った程度でしかない。通天閣は一度登ってみようとプライベート旅行を仕立てて観光客をしたことがある。が、大阪観光体験はそれくらいしかない。USJや大型水族館ですら仕事からみで行ったくらいだから、大阪観光とは縁がない人生だった。
だから、一度くらい大阪城に行ってもバチは当たるまいと、早起きして大阪城見物に行ってみた。地下鉄を乗り継ぎ大阪城最寄りの駅から徒歩で天守閣を目指すことにした。が、大阪城の広さを甘くみすぎていた。

どうも大阪城をおみそれしていたと反省したのが、お堀の幅の広さだ。このお堀は江戸城より幅広ではないか。堀沿いに大手門まで歩いていく間、ずっと考えてしまった。大阪城の歴史を振り返ると、織田信長対門徒の戦いまで時代が遡る。信長に屈服した一向宗が大坂(当時)から退去した後しばらくして、信長の後継者となった秀吉が築き上げた大城だ。だが、それも豊臣が徳川に敗れた後に徹底的に破壊され、その破壊後に再度盛土をして建てられたのが徳川大阪城になる。
その徳川版大阪城の天守閣が燃えてしまい再建されたのが現在ある大阪城(昭和版)だ。秀吉版の大阪城は、徳川版よりはるかに大きかったようで、それを再現すれば今の大阪城公園全体が、大城郭になるらしい。昭和版は予算の都合で限定サイズになったのだろうか。それでも残された石垣や堀を見ると、これが人力で建てられたものかと感嘆してしまう。

大手門が黒塗りになっていて、なんだかしょぼいなと思ったが、よくよく考えればこれは戦国期の最先端技術で、門を鉄張にしたものだ。どうもこれまで城廻で木製のもんばかり見てきたせいで、黒塗りの意味を間違えてしまった。下手な現代流デザインだと勘違いしてしまった。勉強不足はいかんなあ。

石積みされた巨石を見ると、どうもエジプトでピラミッドを作ったファラオたちを思い出してしまうのだが、この大阪城の石の大きさはピラミッドのそれに匹敵する。コロと縄を使ってどこから運んできたのか。
ちなみに江戸城の石垣にはこれより大きな石が使われていたから、間違いなく石の大きさによる威信が重要だったのだろう。千代田城(江戸城)は徳川本家、大阪城(建て直し版)は徳川出先だしなあ。

天守閣の周りは大賑わいだが、感覚的に半数は日本人、半数は外国人だった。ただ、近づいてみるとアジア系の顔立ちで異国語を喋る人間ばかりだったから、外国人比率はもっと高そうだ。ここは城、それも再現建築だから宗教的意味合いはない。身もふたもない言い方をすれば、舞浜にあるネズミの国の姫様の城となんら変わりのないエンタメ建築だ。(再建に努力した大阪市民には申し訳ない)
歴史的建造物と言えるのは石垣くらいだろう。まあ、それでもすごいものはすごいと単純に喜ぶべきだとも思う。エレベーターで上に上がれるのだが、待ち時間は20分を超えるらしく、長い行列ができていた。その行列からはほとんど日本語が聞こえてこない。インターナショナルな大阪だった。

強者どもが夢の跡、とはまさに大阪城のことだと思った。信長なき後に身内に焼き払われた安土城も不憫だと思ったが、戦に負けて土の中に埋められた跡地に再建された大阪城は、もっとすごい。徳川の怨念みたいなものも感じられる。
少なくとも、戦国期に攻城戦を戦い抜き、敗れ去り、廃城になった城は多いが、大阪序はその中でも最大級のものだ。現在でも残っている城は、戦国期を通じて負けなかった(攻城戦にならなかった)城が大半だ。あるいは戦国期が終わった後に築城されたものだ。となれば、現存の城郭で大阪城の存在は大きい。

そして徳川最後の将軍は、自分たちに反逆する西国軍をこの大阪城で迎え撃つこともなく江戸まで逃げ帰った。兵力数は徳川側が多かったにもかかわらずだ。滅亡する政権とはそういうものであるらしい。徳川政権始祖の忍耐強さ、粘り強さ、最後まで執着して望みを捨てない「強者」の倫理は、十五代もすると擦り切れてしまうのだなと、大阪城の堀を見ながら思い起こしていた。大阪城、3度目の活躍があれば歴史も変わっていたことだろうに。

大阪城は、歩き回ると本当に疲れるくらい広い。あまっくみすぎていた。もっと若い時に行っておけばよかったと心の底から後悔した。後悔先に立たず、大阪城の教訓であります。

食べ物レポート

高価格回転寿司の仕組み

まるで居酒屋のように大量の日本酒がならぶメニューがあるが、ここは歴とした回転寿司屋だ。埼玉県で回転寿司といえば、基本的に道路沿いにある郊外型店舗が主流で、一時間も車で走ると道路沿いに5-6軒は見かける。回転寿司高密度地帯だ。すっかり数を減らしたファミレスより多い感じもする。
その回転寿司が駅ビルの中に出ると、ファミリー層が少ないせいなのか、夜のサラリーマン需要みたいなものを狙っているのか、海鮮居酒屋風になっている。コロナの間は昼に来るだけだったが、そろそろ夜の営業も見学してみよう出かけてきた。午後6時で満席だった。盛況なのだが、今では当たり前の光景になっている「寿司が回らない回転寿司」だった。

とりあえずメニューを開き(開くとは比喩的表現で、実際にはタッチパネルをポチッと押す)、酒を選ぶことにした。そこにはやかん酒という風変わりな熱燗が載っている。やかん酒にもプレーンなものと味付きがあり、今回は味付きの昆布酒にした。昆布酒の味は、昆布茶の日本酒割みたいなもので、酒としてはなんとも微妙だ。おまけに名前も、なんだか微妙だ。
もう一つおまけにヤカンに入った酒を固形燃料で温める仕組みだから、飲んでいる途中でも加熱が続き、ちょっと油断すると熱燗どころか、飲めないほどの熱々になってしまう。最初の一杯であれば良いが、飲みが進んでからは温度管理ができない危険な酒だ。、熱燗飲んで、口の中を火傷するのは結構間抜けなきがする。

一緒に頼んだ海鮮炙りのつまみはカニ甲羅だった。カニのほぐし身と蟹味噌が甲羅の中でぐつぐつと……………を期待したが、こちらは火力不足のまま生煮え状態で火が消えてしまった。
経験的には、居酒屋の固形燃料を使ったコンロは途中で火が消えてしまうことが多い。これは、固形燃料が保管中に劣化して燃焼時間のばらつきが出るためだと思う。この点は燃料メーカーのせいというより店舗での保管が悪いようだ。

メニューにイカの唐揚げがあると、大体無条件で注文してしまう。ほとんど条件反射的な悪癖だという自覚はあるが、うまいもんは美味い。ただ、チェーン居酒屋で頼む唐揚げは大量生産品が出てくることもあり油断できない。
回転寿司屋であれば大丈夫かと思ったが、よく考えれば回転寿司屋でイカを丸のまま仕入れてそれを捌いて、という手順でイカを使うだろうか。そのさばき工程なしで、丸いイカの胴体部分の唐揚げを作ることはできないはずだ……………などとちょっと疑惑を持ってしまった。
結果的には、食べてみても普通に美味いと思ったが、ゲソがちょっと硬めなので疑惑の完全解明にはならなかったなあ。今回は居酒屋メニュー中心にあれこれ頼んでみたので、寿司はほとんどおまけだ。

本日のお目当ては、塩辛の軍艦だった。この塩辛軍艦巻きはどこの回転寿司屋でもおいてありそうなものだが、意外と見かけることは少ない。経験的に回転寿司屋によって巻物や軍艦のラインナップは相当に異なる。
軍艦巻きのネタに関してチェーンとして何か特別な思い入れがあるのかと言いたいくらいのばらつき加減だ。
塩辛軍艦はなくてもチャンジャ軍艦があったりする。ハンバーグ軍艦と焼肉軍艦は店によってあったりなかったりする。最近では、焼肉に変わり炙りカルビなどという進化系肉乗せ軍艦も生まれている。どこでもあるのがサラダ軍艦だが、これは名前が同じだけで上に乗っているマヨサラは店ごと(ブランドごと)にほぼ別物だ。
あれこれ事件が起きて、回転寿司も変化が続いているようだから、もう少し継続して観察してみようか。高級回転寿司は一人飲みに向いた居酒屋化しているのは確かだった。

街を歩く, 旅をする

大阪そぞろ歩き看板コレクション

よく晴れた日、それも気温があまり高くない日に街歩きをするのが好きだ。今年の夏のように、日中歩くと人死にが出そうな暑さでは街歩きもできない。おまけに今年は暑い時期が長かったので、お散歩にちょうど良い気候になったと思ったら、そのまま一気に肌寒く感じるようになり、あまり街歩きをしていない。
そこで、今回は大阪の街に朝早く乗り込んで、都心部を歩き回ってみることにした。あちこちで面白そうな看板や店構えを写真に収めるのは、お気楽な趣味だろう。

この店は夜になると、お祭りの縁日屋台のような感じになるのでは

ブランニュー酒場とは一体どういうものだろう。大阪に来てよく感じるのが、この大阪系造語力だ。お江戸にもあれこれ不思議な言語感覚を発揮する店は多いが、どう言えば良いのだろう、大阪は街全体が「造語」で溢れている。日本語の使いまわす能力がお江戸より2段階くらい上なのではないかと思っている。
店名から察するに、鰹のたたきと馬肉の店かなという感じがしたが、ひょっとするとサザエさんの弟の方かも。だとするとワカメが登場していないのはおかしいか。そうなると、この店の社長夫妻の名前なのかもしれない、などとあれこれ想像してしまう。夜に来ると楽しそうだが。大阪でカツオを食べるのもなあ。

この漢字二文字の店名は実に潔い。炭酸飲料水の赤いロゴも良さげだ。この赤い看板は目にすることもすっかり少なくなった希少ものだ。こういう店にはふらりと入ってモーニングセットでも注文してみたくなる。多分、いやきっと、緑色のソーダ水もあるに違いない。クリームソーダ、飲んでみたかったなあ。エビピラフという名前のチャーハンもありそうだし。

天王寺の裏通りで発見したインパクト抜群の居酒屋看板。置かれている提灯には大阪下町焼き鳥と書いてある。大阪下町の風情はこの賑やかさなのだろうか。確かに、横丁から下駄履きのちえちゃんが出てきても不思議ではない。
しかし、提灯をよくよく眺めてみると、全国の有名チキン料理がずらっと並んでいて、大阪下町名物とはいったいどれのことだろうか。不思議空間だが、言ったもの勝ちというのが大阪下町なのかもしれない。
そもそも居酒屋に自転車で来ているのがすごい。帰りは押して帰るのだろうなあ。乗って帰れば間違いなく道交法違反でありますよ。いや、客の自転車ではなく従業員のものかもしれない………

その近くにあった、これまた魅力的なファサードの店で、入り口から入ったところにあるのがスタンド、要するにスタンディングで飲む店。つまり立ち飲み屋だ。ふらっと入ってみたくなり中をのぞいてみたが、満員だったので諦めた。
このスタンドという言い方は、お江戸では見かけた記憶がない。京都の錦市場の近くでたまに立ち寄る店もスタンドと書いてあったが、着席できた。やはり酒飲み文化も東と西では違うのだなあと、改めて思う。
2階にある台風飯店は、その名前だけで入ってみたくなる。ここでも大阪人的日本語造形センスに凄さを感じる。お江戸であれば四谷三丁目の裏路地あたりにありそうな店だが、天王寺では居酒屋ストリートのど真ん中にある。この辺りの店を回って歩くだけで、一週間くらい楽しい大阪滞在ができそうだし、ぜひ、してみたい。

そして、今現在の大阪で最も際物、最もあれこれ言われているキャラも現物を見つけた。テレビのニュースで見た時には、げげげの鬼〇〇に出てきた、目が100個ある妖怪を思い出した。ちょっと前の時代であれば、キモカワとか呼ばれたかもしれないが、どうも令和のセンスではないような気がする。
万博が中止になれば、レアもの扱いになり人気沸騰するかも……………いや、しないだろうなあ。やはりキャラはゆるいだけではなく共感を得られないといけないと思う。キャラ関連はグッズ商売ネタとして有象無象が集まってくる集金装置なので、どうしても利権に結びつきやすい。主催者が威張れば威張るほど、そんな感覚がしてしまうものだ。
どうも、大阪庶民の言語センスの良さと、官僚組織のセンスのなさ、頭の悪さのギャップが大きすぢて理解できない。大阪自治体官僚も、プライベートな時にはおもろいおっさんなのだと思うが、仕事中は真面目スイッチ、いや、つまらんスイッチが入ってしまうのか。知事の発言を聞くたびに、不思議な街だと思う。
まあ、官のセンスの無さは大阪に限ったことではなく、全国共通ダメダメだから仕方がないか。知る限りではあるが日本全国ほとんどの地方自治体でも、霞ヶ関の劣化コピーばかりが蔓延っている。ただ、お江戸も浪速の街も、劣化度は全国トップクラスだということか。

食べ物レポート

天王寺の飯屋 極上でした

天王寺に泊まった夜、散歩をしていて発見した定食屋に入ろうとしたらすでに閉店時間間近だったので、翌日に出直すことにした。ランチタイムだが開店時間は遅い。普通は11時くらいに店が開くだろうが、この店はなんと12時をすぎてからの開店だった。
昼のピークを外して午後1時過ぎに出向いたが、すでにというか、まだというか、満席だった。人気店なのだ。隣のラーメン屋はさほどの混み具合でもないようだったから、ランチ難民の街ということではなく、やはりこの店が人気なのだろう。

カレーライス 生卵入り は、大阪風だろうなあ あとは、きつね丼かあ

まずはオムライスを注文する。時間がかかるが良いかと聞かれたので、問題ないと答えた。この店に入る前からオムライスにすることは決めていた。やきめしにも心引かれる。いつのも迷い方だが、この日はもう一つ迷うことがあった。典型的な町中華料理屋のように見えるが、ラーメンはない。そこがちょっと不思議だ。ラーメンがあったら食べてみたい気はあるのだ。多少無理しても……………
と思っていたら、中華そばと書いてあった。うーん、この書き方は騙し討ちみたいなものだ。きつねうどん、たぬき蕎麦の後ろに中華そばと書かれてあると、蕎麦の一種だと勘違いしてしまった。これは多分、いや間違いなくラーメンのことだ。しかし、周りの席を見渡してみても誰一人中華そばを食べていない。半分の客がオムライスを食べている、あるいは待っている。これは、一旦思考停止にしよう。

美味しいオムライスだったが、特に大阪風ということはないようだ いつでも食べたい「うまし」だ

そして、メニューにはしっかりと「たぬきそば」があった。朝、駅蕎麦で確かめたのだが、どうやら大阪ではたぬき蕎麦の定義がお江戸と違うらしい。駅蕎麦だけが特殊ということではなく、一般食堂でもたぬきそばは存在している。
麺の上に油揚げが乗っていると、うどんであればきつねうどん、蕎麦であればたぬき蕎麦と呼ぶらしい。お江戸風にかけそばの上に揚げ玉(天かす)が乗っている「たぬき蕎麦」はメニュー上存在しないようなのだ。これはやはりたぬきそばも追加注文して実態調査をするべきではないか………

メニューは全く乗っていないサイドメニューは、背中の後ろにあるガラスケースの中にたっぷり入っていた。セルフサービス式でおかずが10種類ほど選べるようだ。
チラリと覗いてみると卵焼き、ほうれん草のおひたし、焼きししゃも、コロッケなどなど魅力的なラインナップで、ついついあれもこれもと食べたくなる。ご飯に味噌汁のセットを注文して、おかずはガラスケースから持っていくという客もちらほらいる。ええい、どうすると迷っているうちにオムライスが到着してしまった。
これまた見事な街の定食屋スタイルのオムライスで、まさにコンプリート版という感じがする。実食しても満足感は変わらない。優れものだった。

帰り際に「おおきに」といわれた。大阪で実際にこの言葉を聞くのは極めて稀な気がする。「ありがとう」と尻上のイントネーションで言われる大阪スタイルも最近は減ってきた気がする。全国チェーン店の接客マニュアルに書いてあるのは東京弁だが、研修が動画になっているせいか、発音すら東京弁に似てきているのだろう。それが実感としてわかる。
テレビ番組では、大阪イントネーションを強調するインタビューばかり映して異国感を醸し出したいようだが、街の中の会話を聞けば随分とマイルドな発音になっているのがわかる。
天王寺という場所は、また大阪の下町感覚が残っているのかなとおもった。ただ、地理感覚でどこが大阪の下町なのかはよくわからないが、おそらく大阪市南側がそうだろう。つまり難波から天王寺あたりは「ど」がつくほどの下町なんだろうな。確か、じゃリン子ちえはこの辺りで暮らしていたのではなかったか。

オムライスに感動しながら、大阪文化論に浸る、天王寺の昼下りでありました。

街を歩く

住吉大社は国際色で染まっていた

住吉大社に来たのは2回目だ。前回は高野山詣の帰りに電車を途中下車してお参りした。記憶に残っていたのは、お社がたくさんあるということだけだった。その時はさほど混み合っていたという気がしなかったのだが。
今回は、まるで縁日の日のように人がうじゃうじゃいた。何がどうなったらこうなるのだ。

それでも、タイミングがあればこんな人のいない写真も撮れる。南海電車の到着のタイミングで人が押し寄せてくるからだ。鳥居前の横断歩道を一群の参拝客が過ぎればポカリと人の気配が消える。
ただ、鳥居前のお菓子屋からスピーカーで流されるお経のような「宣伝文句」が鳴り渡る。ふた昔ほど前、新興宗教集団が歌っていた歌(?)に似ている。同じ文句を延々と繰り返すのだ。これはほとんどブレイン・ウォッシュのテクニックではないか。

一旦境内に入れば、そこは大集団が右往左往している。この日は七五三のお参りに来ている家族が多かったせいだ。それも親子だけより、祖父祖母同行の大ファミリーが多く見受けられる。大阪の風習なのかもしれないが、ジジババはやたら元気が良いので、その大家族集団の移動に伴い傍若無人といいたいぐらいの大音響でジジババの会話がもれてくる。他人様の家庭事情がダダ漏れというのは、なんといえば良いのだろう。正直居心地が悪いというか申し訳ない気がしてくる。今日の晩御飯の予定を教えられてもねえ。

ただ、その日本人的夕飯談義を打ち消すように、多種多様な外国語が前後左右から押し寄せてきた。英語、フランス語くらいであれば言っていることはわからなくても言葉の聞き分けはつく。コリアン、チャイニーズ、カントン語、タガログ語くらいまでもなんとか言語の判別くらいはできる。しかし、東南アジアを含むアジ系言語が乱れ飛ぶと、これはもうお手上げというか。カオスだ。
八百万の神様の中には、アジア系言語に堪能な方もいるに違いない。しかし、イスラーム圏やユダヤ、キリスト教のように「一神教」を信仰する人たちは、おそらく多神教の中でもその神様の数が世界最大と思われる「八百万の神」が存在する宗教、神道の施設で何をするのだろうか。
日本人の大多数は無宗教だと言われるから、その無宗教な人間が、例えばバチカンの大教会に行っても宗教的意味や価値はゼロだ。建物見物だけしてくるというのは、思想的矛盾はないが、宗教的には軽い冒涜なのかもしれない。バチカン見物に行った我が身を反省してしまった。
しかし、一神教を信ずる人たちが、神社を見て建物見物に来ましたというのは、建前だとしてもちょっと座りが悪い。まあ、でも八百万の怒れる神からの神罰……はないよね。大丈夫だよね。きっと。臨界点が来るまでは。外国人観光客の方々には、お賽銭を忘れずに。宗教的な意味ではなく、参観料と考えて貰えば良いかなあ。地獄の沙汰も金次第、なんて古い言葉もありますし。

食べ物レポート, 旅をする

たぬきそばの衝撃

最近めっきり姿を消した商売が、駅近くにある立ち食い蕎麦だろう。ハンバーガー以上な性能を誇る、ジャパニーズ・ファストフードの筆頭だが、コロナの間は通勤サラリーマンの激減で廃業に追い込まれた店も多い。
コロナ後にサラリーマンが戻ってきて、おまけに同業者がそこそこ廃業してしまったせいか、生き残り組の混み具合は凄まじい。前日見た時は、午後2時、午後5時、どちらも券売機の前に行列ができていてカウンターは満席(?)だった。
そこで朝早く来てみれば大丈夫かと午前7時前に来たのだが、すでに満席でカウンターのあき待ちになった。

とりあえず券売機でかき揚げ蕎麦を買い、蕎麦が出てくるのを待っている間にメニュー表を眺めていた。何か大阪特有のメニューがないかなと思ったのだが、並んでいるものはサイドアイテムを含めお江戸と似たようなものばかり。やはり並行進化というか、立ち食いという業種でそれほどユニークなものは出てこないのか。などと思っていて、気がついたことがある。
きつねそばがない。たぬきそばが変だ。

買い上げ蕎麦だが、なぜかネギダクな気がする

うっすらとした記憶で、大阪では油揚げが乗ったうどんはきつねうどん、油揚げが乗った蕎麦はたぬきそばというのだったような……… 記憶はあまり定かではない。それでは油揚げではなく、揚げ玉(天かす)が乗った蕎麦を探してみたが、そんなものは存在していないらしい。
そもそも、麺の選択が、「うどん」「蕎麦」までは理解できるが、その後に続く「黄麺」とはなんだ? 語感からすると中華麺のような気がする。和風出汁の蕎麦つゆでラーメンを作る文化は日本のあちこちにあるのは知っているが、浪速のターミナル駅蕎麦でそれが存在とは。
さりげないが、ある意味とてつもないカルチャーショックを受けた。大阪南部、下町地区はもう少し探訪してみる価値がありそうだ。次回は、黄麺に揚げ玉をのせられるか聞いてみようか。

旅をする

早朝の新幹線で大阪へ

埼玉の郊外駅から始発の電車に乗り込み出張に出かけることが続いている。今では時間に余裕がある(ありまくる)ので、もっと日程をゆっくりと組み立てれば良いのだが、貧乏性から抜けきれず、目いっぱいスケジュールを詰め込んでしまう癖が治らない。
始発で出発すると、都内に出たあたりで腹が減り始める。羽田空港から空路の場合は空港まで我慢するのだが、今回は東京駅から新幹線なので(おまけに満席)、事前に早朝飯をすることにした。ただ、空いている店はごく僅かで選択肢は牛丼店Aか牛丼店Bしかない。渋々、ほぼ2年ぶりに牛丼店Aに入った。
朝食メニューをと思ったが、なんと今では大判の紙メニューに各種定食、丼が並ぶ。ほとんど小ぶりなファミレスもどきだった。もはやファストフードとは言えないレベルだ。さほど時間があるわけではないので、ノータイムで「牛丼 並」と注文したら、30秒で出てきた。GJだ。
ちなみに、隣の席では推定年齢五十代後半、髪の毛真っ白なオヤジがカウンターに頭を乗せて熟睡していた。従業員は起こすわけでもなく放置してる。優しいのか冷たいのかよくわからんが、深夜から早朝に変わる時間帯の牛丼店特有な風景ということにしよう。路上ではなくファストフード店のカウンターで寝ている老人、大都会だなとしみじみ感じました、はい。

新幹線改札構内では、予想とは違い早朝にもかかわらず駅弁が売られていた。駅弁を買って旅情を楽し目ばよかったとちょっと後悔したが、満席の新幹線、それも3列席の真ん中では、やはり何も食べる気にはならない。
と思っていたら、両サイドの乗客が発車すると同時に弁当を食い始めた。うーん、考えすぎだっらしい。

新大阪の駅から、真っ直ぐに一ノ宮参りに出かけた。大阪の都心部は碁盤の目に仕切られているので方向を間違うことはないと、妙な自信があったのだが、地下鉄から地面に上がってきた時点で、すでに東西南北を間違っていたらしい。グーグル先生のお世話になり、ようやく進行方向が真逆だったことに気がついた。残念。

この神社は芸能、落語の神様らしい。新年には上方落語のイベントもあるみたいなのだが、年明け早々から落語を聞きに西の街に来る元気はないな。そもそも今回の大阪も5年ぶり(間にコロナの3年があるのだが)だから、意外と大阪は近くて遠い。
船場から西の方は、昔の大阪では海というか入江が複雑に入り組んだ土地だと記憶していたので、この神社の一帯も干潟にぽっかり浮かぶ島のような場所だったと思うのだが。今では埋め立てられ堀が引かれ、地下鉄まで通っているので、昔の姿を思い浮かべることも難しい。
大阪の神社の元締めらしいのでもっと賑わっているかと思ったが、思いの外、静かな場所だった。周りはぐるっとオフィスビルだから門前市があるようにも思えない。まあ、大阪は町中が門前町みたいな賑やかさなのかもしれないが。
神社の周りの静かな空間が、自分の中にある活気ある街、賑やかすぎる街大阪というイメージとマッチしない。朝の大阪は静かで、なかなか良いなあと思ってしまった。