街を歩く, 食べ物レポート

スーパーのPB饅頭

確認するテーマは二つ 本当にうまい と 具材あふれるが 実現できているか

埼玉のローカルスーパーでは色々なPB食品が販売されている。この店のシューマイはとてつもないお気に入り商品で、個人的には横浜崎陽軒のシウマイを凌ぐレベルにあると思っている。だから期待してPB餃子を食べてみたら、こちらは埼玉ローカル町中華チェーンの餃子には全く敵わない。並の冷凍餃子よりはうまいと思うが、普通のうまさ程度という評価だった。焼売と餃子の差、不思議だなあ。
そのPB商品に肉まんがあるとネットニュースで知った。ネットニュースには大絶賛されていたので、いそいそとそのスーパーまで、わざわざ肉まんを買いに行った。シューマイレベルに達していれば、今後は肉まんはこれ一択になるかもと期待度は高い。

さて、袋に書かれた指示通りに再加熱して、ふかふかの饅頭を食べようとしたら、おやおや、ふかふかになっていない。どうも自宅のレンジとは相性が悪いのかもしれない。指定時間通りの加熱ではまんじゅうの皮が硬いままだった。
さいかねつしてたべてみると、皮とアンの間に隙間はないが、皮の上面がどうやら厚い感じだ。これはどうしたものかと思いながら食べてみたが、やはり皮とアンのバランスが悪い。アンの味付けに濃さがちょっと足りないと感じるのは、皮が厚すぎるせいかもしれない。
お値段は一個換算するとコンビニまんじゅう程度だから高すぎるということはないが、スーパーPB商品とはコスパの良さを追求するものだろう。この値段と味ではPBとしてのバランスが悪い気がする。
ただ、この日は買いに行ったスーパーの冷蔵ショーケースが全面的に故障していて売り場が緊急対応している状態だったから、製品の保管状態が悪化していた可能性もある。後日、別の店できちんと保管されている肉まんを買って確かめてみるつもりだ。ただ、それでも同じレベルであれば、わざわざお知らせすることもないので。続報がなければ、この饅頭のレベルは……………なのだなあ。

まあ、期待しすぎずに食べれば、普通にうまいとは思いますよ。

街を歩く, 食べ物レポート

木更津の駅弁?

木更津といえば千葉県でも南方にある。自宅のある埼玉からは100km近い移動になるので、ほぼほぼ旅行の距離だ。仕事をしていた頃は、この辺りまでひょいひょいと出かけていた。それも朝オフィスに行って、木更津の現場を視察した後、これまた千葉のどこかで仕事をしていたのだ。それから自宅まで帰っていたのだから、仕事をしている時のバイタルというか活力は途方もないものがあったのだなあ。今回は南千葉への移動でヘトヘトになった。移動だけで疲れ切っているのだから、なんとも言えないほど活動力が落ちているようだ。次に木更津行けと言われたら(誰にだ?)、間違い無く一泊の行程にするつもりだ。

そんな木更津駅で飲み物を買いに構内の売店に入ったら、何故か弁当コーナーにご当地名物弁当が売っていた。駅弁ということではないと思うが、木更津ではローカル的に超有名な2種の弁当があり、そのうちの一つが売られていた。
コンビニ弁当の中に混じるご当地弁当は、ちょっと煌めいておりましてついつい買ってしまった。昼飯は近場の町中華で食べようと思っていたのだが、急遽修正し駅弁をベンチで食べようと思った。となると駅のベンチを探しておかなければならないし、おまけに食べた後の処理としてゴミ箱も見つけておかないといけない。
最近、鉄道各社は構内からベンチやゴミ箱をどんどん撤去している。JR東日本に至っては駅内の時計すらコスト削減と称して撤去しているらしい。今や、時計は誰でも持っているという、官僚的な独善主義らしい。
小学生低学年の子供、時計の見方を学校で習ったばかりの子どもたちの存在は、このエセ官僚たちの目には入らないらしい。鉄道は公共財という性格を持つ。彼らの私物ではないのだが、エセ官僚を気取る高給サラリーマンには社会を守る視点など存在しないのだろうなあ。いや、少しばかり怒りを発散してしまった。
というわけで木更津駅でベンチとゴミ箱を探したが発見できず(ホームにベンチはあった)、どこか公園でも探そうかと弁当をぶら下げて歩く羽目になった。

結局、この弁当を食べたのは観光都市館山のJR駅だった。そこには改札前に4-5脚のベンチがあった。ただ、よく考えると特急停車駅なのに待合室がない。開放通路に置いたベンチが待合室代わりということか。あれこれ考えさせられるベンチだった。
ちなみにJRばかり攻めると公平とは言えないかもしれないので、自宅近くの西武線について述べる。西武線もゴミ箱は無くなった。西武線はホームの時刻表も撤去している。スマホで検索できるからという理由だそうだ。ちなみに西武鉄道はすでに外資ファンドに買われているので、純日本企業とは言えないから、非日本的合理性が発揮されているのかもしれない。
他の関東私鉄、東急、小田急、東武鉄道、京急、京成などの大手鉄道会社ではゴミ箱事情はどうなのだろうか。どこも似たようなものかもしれない。確か京王だけが他の私鉄と異なる施策をあれこれを実施していたはずだがゴミ箱の数まで確認したことはないなあ。
話が横にそれ過ぎたので弁当の話に戻すと、これは焼肉弁当の変形だろう。白飯の上に敷き詰められた豚焼肉をワシワシと食べる、米主力の弁当だ。実際に食べてみると、米の量が本当に多い。良くも悪くも牛丼的な、おかずになる肉がちょっと足りないよと言いたくなる弁当だ。ただし、腹ペコの時に一気喰いするにはちょうど良い。函館ハセストのやきとり弁当と良い勝負だ。添え物的についているフライドポテトがちょっとおかしげだが。これもご愛嬌か。
きっと、肉特盛という設定もあるに違いない。木更津市民は幸せだと思う傑作弁当だった。それだけに、あの木更津駅の設備不足はなんとかならんものかなあ。

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オリーおばさんの肉まん

神楽坂毘沙門天は神楽坂で遊ぶ時のランドマークだ。神楽坂に一番通っていた頃は、月に1-2度という頻度だったように記憶している。だからと言って街の隅々まで歩き回ったというほどでもない。決まった店をローテーションして回っていたものだ。
信心深いわけでもないので、毘沙門様の前を通っても軽く頭を垂れる程度、キッチリとお参りをしたことはない。今回も入り口の前で頭を下げておしまいという不信心ぶりだ。いばれたものではない。

その毘沙門様の向かいに老舗の饅頭屋があった。いつの間にか引っ越して小綺麗な店になっているなと思っていたが、実はお家騒動があったらしい。ネットで探すと、二軒の同名饅頭屋が出てきてどうなっているんだと調べてみたらわかった。
こちらは単純に昔食べた饅頭をまた食べてみたいと思っただけなのだ。神楽坂以外に支店が出ていたら便利なところで饅頭を買おうという単純な調べ物だったのだが。
結論から言うと、昔々店があった場所のすぐ隣にある方が、新しくできたものらしい。屋号も五十番ではなく五〇番となっている。この小道を挟んだ右側に昔の店はあったような気がする。
2階の中華食堂はいつも満席で、とうとう一度も入ることができなかった。残念。満席で諦めた後、仕方なく一階の売店で饅頭を買っていた。だから、ここの肉まんは結構な頻度で買ったはずだ。

元々の店のあった場所から、メトロ神楽坂駅方面に坂を登ったところに移転して、現在も営業している方が「元祖」らしい。ここで饅頭を買うことにして、神楽坂を登り始めたらすっかりくたびれてしまった。
神楽坂の坂道がしんどいと思うほどには歳をとったのだと、ちょっと物悲しくなる。この店では肉まん以外に中華惣菜も扱っているが、やはりお目当てはあの大型肉まんだから、注文にも迷うことがない。

この肉まんは、故栗本薫氏がその作品の中でたびたび登場させた、田舎町の旅籠に併設された食堂の名物として記憶に刻まれている。本の中に書かれた食べ物を食べてみたいと思ったのは初めてだった。その後しばらくして後書きに「ここのまんじゅうがモデル」と言うような記載があり、神楽坂まで饅頭を買いに行った。
栗本氏の長編サーガはほとんど読んだ。自分が死ぬのとこの長編作品が完結するのとどちらが先か心配していた。100巻で終了と言われていたので(著者本人が)90巻が出たあたりでなんとか完結編が読めそうだと安心した記憶があるが、それはすぐに著者に裏切られた。後書きで、100巻では終わりそうにない宣言をしたからだ。あの時は本当に呆然とした。
その後、完結を待たず著者が亡くなってしまい、こちらはまだ生きてるのだが完結編が読めないと、また嘆くことになる。その後、書き手を変えながら話の続編が書かれることになったが、こちらがそれに付き合う気力を無くしていた。確か、126巻までは持っていたはずだ。(もうすぐ150巻になるらしい)
その作中に出てきたオリーおばさんの肉まんがふと記憶に蘇り、テクテクと神楽坂を登ることになった。あとで考えれば、メトロ神楽坂で降りて坂道を飯田橋方向に降ればよかったのだ。

ようやく手に入れた饅頭を見て思い出した。昔は経木にまんじゅうが包まれていたような気がする。が、今では一個ずつの個包装になっていた。定番肉まんは相変わらずの大ぶりで、手にとるとずしりと重い。朝飯代わりに一個食べてみたら、朝飯としては量が多すぎるほどのボリュームだった。こんなに大きかったかと、自分の記憶の怪しさを疑ってしまう。

肉がたっぷりで味付けは濃い。皮も厚めで腹ごたえがある。確かにこれであれば飯かわりになるだろうと改めて思った。忙しい時には、この饅頭を飯がわりにしていたと言う栗本氏が存命であれば今年は古希を超えるはずだが、饅頭を片手にグイン200巻達成などと言っていたのかもしれないなあ。読みたかったな、グイン完結編。

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冷麺 その2

涼しげな見た目で良さそうなのだけれど

幸楽苑が夏に出した冷麺を遅ればせながら食べてきた。トッピングはラーメンの流用なので目新しいものはない。勝負はスープと麺にかかる……………はずなのだが、これがなんとも言い難い。ラーメン屋なのだし、スープの調整くらい簡単ではないかと思うのだが、どうやらそうでないらしい。工場での生産の問題なのか、商品開発の問題なのかよくわからないが、決定的に冷麺のスープとは違う感じがする。
中華料理屋で高級麺を食べると、スープの作りがラーメンとは全然違うと感じることがある。あの感じに似ているが、中華料理屋の場合はアップグレード感がある。こちらの冷麺は、どうもダウングレード感が漂う残念さだ。
おまけに麺がラーメンっぽい。冷麺特有のもちもちとした歯ごたえば弱い。来年には改良版を出すつもりだろうか。それとも今年の売り上げを見て終売にするのかもしれない。それくらい力が入っていない感じだ。とりあえずライバル店が出したから、うちも冷麺やってみるかという程度なのかもしれない。だとしたら、店内のオペレーション負荷増を考えてやるべきではないのかなあ。

ちなみ、こちらはライバル店の冷麺。器を含めた見た目では、幸楽苑の方が良さげに見えるが……………。食べたらわかるというやつだった。
今年の夏の冷麺対決、というか対決するほどの力はなかったようでありますよ。

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関東 最後の一宮

一宮巡りを始めて随分と時間が経った。途中でコロナがあり、3年間は休止状態になった。関東の一宮は随分前に完了していたのだが、実はこの洲崎神社だけ御朱印がないままだった。平日に行ったため社務所が閉じていて御朱印がもらえなかった。何年ぶりかで、再挑戦することにした。今後は曜日を選び週末にした。

前回来た時には気が付かなかったが、普通であれば神社の由来などが書いてある場所に、地域の名物の話がある。これはちょっと面白い。

すっかり忘れていたが、この神社の拝殿は山の中腹にある。息切れするほど長い階段を上らなければいけなかった。社務所の前に立ってそれを思い出した。御朱印帳を預け、階段の下に立った時、後悔と絶望感とそれ以外のあれこれが押し寄せてきた。
仕方がないなあ、一度お参りは済ませているのだが、ここは上らなければ社務所の方の目が……………
決心して登り始めた。七十段くらいまでは一気に登れた。が、そこからは筆舌に尽くしがたい難航苦行だ。確か秩父札所巡りでも一箇所、絶望的な長い階段を登るところがあった。関東札所巡りでも、確か鎌倉周辺でこれまた絶望的な段数を登ったことがある。不思議と長い階段を登るのは、いつも暑い夏の午後だった。今回も前例の通り暑い夏の日の階段修行になった。ちなみにこの時点で気温は34度、殺人的な暑さではないが150段近い階段を登るには向いていない。
階段を上り切りお参りしようとしたら足がもつれた。みなさんに教訓です。神社や仏閣を詣でるのは、若いうちに済ませましょう。定年退職したらのんびり旅をしてお参りに、などと考えてはいけません。どこかで必ず階段修行に巡り合い挫折します。神社仏閣巡りは40代までの趣味です。(キッパリ)

この神社は伊豆で挙兵して負けた頼朝が逃げてきて再起を図ったところでもあるらしい。確かに、神社からは三浦半島が見える。この距離であれば当時でも船で逃げることはできただろう。どうやって馬を運んだのかは気になるが。落武者が身一つで逃げるには小舟の一艘もあれば良い。
三浦半島から湾岸沿いに陸路でくれば、今でも高速道路を使った自動車移動でさえ1日がかりだし、当時であれば10日くらいかかったのではないか。追手から逃げるには良い場所だ。

しかし、海越しに三浦半島を見るのではなく、階段下をのぞいてみればなんとも言いようがない光景だ。そして登るのもしんどかったが、もつれてしまった足でこの階段を下るのはもっと厳しい修行になる。
神社巡りは、明らかに体力勝負の「修行体験」なのだ。ちなみに、最近流行りの熊野三山はこれに輪をかけた難所なのでお気楽なお参り、観光には向いていませんよ。

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落語に行ってきた

チケットと一緒に送られてきたチラシがそのままサイトに掲載されていますねえ

定期的に届くホール落語の案内をしばらく放置していた。コロナの間は全くと言って良いほどおハガキも届いていなかったが、ようやく届くようになったなあと思ったのは去年のことだったように記憶している。たまたま日程が合わなかったり、演者の好みが合わなかったりして出かけることもなかった。

今年の5月に届いたハガキで申し込んでみたら、人気者揃いのイベントなのにあっさり電話がつながりチケットが取れてしまった。よくよく考えれば、コロナを挟んで5年ぶりのホール落語になる。

新宿末廣亭によく行っていた頃、若き日の花緑が主任を務めていた日に初めて聞いた。演目ははっきりと覚えていないが地獄に落ちた亡者の話だったようだ。これが落語かとびっくりしたことがある。以来、日取りが合えば聞きに行く演者の一人になった。たい平も同じように末廣亭で初見して贔屓になった。やはり寄せに通って若手の話を聞くのは大切だなあ。
今回は、誰がどういう順番で話すのかが楽しみだったのだが、どうやら年齢の若い順のようだった。

落語はライブ芸であり、時事ネタを含めてマクラから本筋に入っていくところが楽しい。録画や録音ではこの「現在感」がなくなるので面白みが半減する。久しぶりに「ライブ」を堪能した。人によってライブの意味するものはスポーツ観戦であったり演奏であったりするのだろうが、自分にとっては落語に限る。

久しぶりに新宿末廣亭に行ってみようかと思った。しばらくは末廣亭の会員だったこともあるのだが、いつの間にか落語を聞きに行かなくなったのはどうしてだろうと、今更ながら不思議に思う。落語を聞きにいけなくなるほど仕事をしていたはずもないのだがなあ。

思い返せば目黒パーシモンホールで最後に聞いたのは談春だった。良い演目がかかる良いホールだが、ちょっと自宅からは遠いのだよね。ご興味のある方は(すでに終わってしまってますけど)下記リンクをご覧ください。

https://www.persimmon.or.jp/performance/sponsored/2024051017121059812.html

食べ物レポート

慣性の法則は回転寿司に厳しい

スシロー、くら寿司、はま寿司が回転寿司業界の大手三大チェーンだ。スシロー、くら寿司がそれぞれ事件を起こした後、お値段を上げて複雑な怪奇な食べ物屋になったのとは異なり、はま寿司は百円均一路線をできる限り守ろうとしている。
くら寿司は回転寿司専業であるだけに、ある意味の見識がある。鮨屋ではなく回転寿司としてのプロ意識みたいなものだ。スシローはファンド所有の変わり者外食企業だけに、ビジネスに関して独自な価値観を持っているようだ。業態に関しては若干、ドライな感覚を持っているように感じる。
はま寿司はすき家率いる巨大外食コングロマリットの一員だが、DNA的には正しいファストフードの一族だと思う。つまり、合理化と巨大化で低価格を志向する。個人的には貧乏人に幸福をもたらす幸せ産業だと思っている。だから、はま寿司に関しては細かいことをぶつぶつ言わない。言うつもりもない。それでも今の外食産業を知る定点観測をするにはもってこいの企業なので、二月に一回ほど視察に行くのだ。

鯖はもともと低価格ネタのトップクラスにあったが、最近の回転寿司業界では値段が上昇気味だ。はま寿司の鯖は、見た目は残念な感じだが味には問題ない。低価格を維持するための貴重な努力だ。

マグロのすき身にタレをかけた軍艦巻きは、まさに大手外食企業が腕を見せる、つまり低原価のものを美味しく仕立てることに絶好なネタだ。これも普通にうまい。中に何が混ぜてあるかは詮索しないのが正しい客の流儀だろう。そう言うことをしたい人間は、回転寿司に行ってはいけない。 

とうもろこしのかき揚げが乗っている一皿。揚げたてらしいので熱々でカリカリだった。ただ、カリカリすぎるので料理の時間を間違ったのではないかとも疑ってしまった。揚がりすぎてコーンの味はどこにあるのかといった感もある。かき揚げと寿司はあまり相性が良くないと思うがなあ。
この時期にあちこちでコーンというかとうもろこしの天ぷらで出てくる。生のとうもろこしをあげるのか、下茹でしてあるのかはわからないが、それを食べて感じることは工場生産できるものではないよということだ。このかき揚げ、ちょっと残念な気がするが、季節の賑わいとしてはなかなか良い。

一番残念というか笑ってしまったのが、シャリ玉に海老天を乗せたもの。天むすの寿司版みたいなイメージなのだろう。味がどうこうというつもりはない。ただ、シャリの上に海老天を乗せて、その上にトッピングとしてネギを乗せる。そうなると、完全に積載重量過多になっているのだろう。
回転レーンを静々回っているのであれば何とかなるのかもしれないが、今では寿司は回るものではない。特急レーンを高速で移動してきて目の前で急停車する。その時、無情にもえび天には慣性の法則が働いてシャリの上から転落する。面白いのがエビの転落は前後両方になることだ。

おそらく、まず皿が止まった瞬間に前面の海老天が落ちる。その後、反動て後ろの海老天が落ちるのだろう。見事にはシャリ玉2個を挟んで前後というか左右に海老天が鎮座する。こちらは、おもむろにシャリ玉を取り、その上に自分で海老天を乗せネギを乗せパクりと食べる。回転寿司でセルフ寿司メイクするのもなかなか乙なものだ。

慣性の法則まで計算にいれて料理するのは、料理人に酷というものだろうなあ。でも、海老天の向きを考えて皿をレーンに乗せれば対応できるのかもしれない。そうなると、店のオペレーション問題かも。いや、回転寿司は奥が深いねえ。

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ワクワクとあれっの饅頭

横浜中華街にある名店の肉まんを買って試してみた続き。実は肉まんよりもチャーシューマンに期待していた。よく町中華で出てくる焼豚という名の煮豚ではなく、本格的中華料理店で売っている叉焼が入っているのではないかとワクワクしていたのだが。
レンジアップしてから袋を開けると、皮が割れている。何だか本格的なまんじゅうの風情がする。うまそうではないか。期待感が高まる。

饅頭を割って中身を見ると、何となくイメージと違う。勝手な思い込みなので、それはまあ仕方がない。少なくとも、肉まん通常品とは明らかに見栄えが違うから、当然味も違うだろう。いざ、実食。

うーん、表現に困る。普通にうまいとは思う。味は肉まんと違う。肉の存在はわかる。しかし、これは一体どういう食べ物だろうという、饅頭という存在の根源に関わる疑問が生まれてきた。
ハワイのローカル中華料理店で食べた叉焼マンみたいな感じだろうか。あれは甘めの硬いチャーシューが好きだったのだが。これは、2度3度と食べるとクセになるのかもしれない。素人衆にはちょっと難しい食べ物ということで良いだろうか。
ただ、この饅頭一個の値段で、蓬莱であれば一箱4個入りが買えてしまう。何とも評価が難しい。都会人向けの味付け、と考えて忘れることにしよう。

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横浜中華街のまんじゅう

饅頭シリーズの続きになる。横浜で中華料理といえば真っ先に頭に浮かぶブランドが饅頭の店を出している。饅頭以外にも多少は別の商品もあるが、基本的に饅頭のバリエーションを売りにしている店で、肉まん以外にもあれこれ変わりまんじゅうが置いてある。
少なくともお目当ては肉まんなので、まずは肉まん(中)を買ってみた。肉まんには小サイズ10個入りもある。大サイズは、中サイズと同じく1個単位のばら売りだった。中と大のサイズ差はよくわからないが、きっと横浜の本店では大が標準で、それでは大きすぎるという横浜以外の客からのクレームで中ができた……………みたいなことなのだろうか。あるいは客のクレームではなく、百貨店バイヤーからの要求なのかもしれない。中サイズを食べると、大サイズはいらないなと思う。(個人的感想です)
個包装の肉まんは、再加熱が完全に電子レンジ対応で、袋のまま開封もせずに加熱すると良いと書いてある。素晴らしい。こんな横着を喜ぶのは、まさに首都圏住民だろう。

さて、再加熱して熱々を実食した。高級中華まんなので期待度は高い。が、どうも好みとは違っていた。まず、単純に味が薄い。ただ、これは横浜中華街本店の味を再現しているのだとすると、この肉まんは饅頭単独で食べるものではないのだろう。他の中華惣菜?と合わせて食べる設計なのではないか。
野菜も肉も大ぶりのカットだから、コンビニ饅頭のようなすり身というかミンチみたいなものとは違う。歯応えもある。料理感がある。皮とアンの間に隙間もなくびっちりと詰まっている。やはり高級品だけあると何度も感心してしまう。でも、味が……………これは、皮に酢醤油でもつけて食べると良いのかもしれない。ひょっとすると店舗では肉まんのタレみたいなものを別売りしていたのだろうか? 1日目の肉まん実食はいくつかの疑問を持ったまま終了した。

2日目、野菜入りの饅頭を試すことにした。包装は肉まんとほぼ同じ。肉まんは赤い印刷、野菜まんは緑の印刷なので、個包装になっていても間違えることはない。これはかなり重大なポイントだ。野菜まんも赤い印刷であれば、おそらく簡単に見分けはつかない。饅頭の外見は真っ白で目印もないし。大きさも同じだ。この辺りは商品としての気配り・完成度がなかなかのものだと感心した。

さて実食すると、これは確かに野菜マンだった。が、食べた感じは肉まんとほぼほぼ同じ。味付けも薄い。肉まんより皮が厚く感じるのは再加熱時の問題かもしれないが。皮とアンのバランスがあまり良くない気がする。何より、野菜感がぼやけている。
野菜マンというと信州名物、野沢菜のおやきみたいなイメージがあったが、どうもそういう仕上がりではない。個人的には野沢菜の代わりに搾菜を使ったアン、搾菜と肉が五分五分くらいの感じにしてもらえると嬉しいかもと思う。
横浜の中華街名店の饅頭は、ちょっとアッパーになり過ぎている感じがする。饅頭は単品で食べる設計にしてもらいたいなあ。多分、酢豚とか青椒肉絲のような濃い味付けの料理と合わせて食べると味が数段良くなるような気がする。白飯代わりに食べる副菜ということなのだろう。

機会があれば横浜の本店に行ってまんじゅう食べてみたいものだ。

食べ物レポート

端正なオムライス

池袋の高層ビル内にある オムライス専門店にて

オムライスが好物だ。子供の頃からの好物だが、小さい頃はデパートの大食堂で食べていた。大人になってからは、洋食屋の小洒落てオムライスより町中華のオムライスを好んで食べていた。
そのせいで卵焼きは多少焦げ目のついたぶつぶつ感があり、おまけにペラペラな薄さのものが好みなのだ。だからこんな綺麗に焼き上げられた卵で包まれたオムライスには、いつもちょっと腰が引けてしまう。身の程知らずの高価な食べ物感が付きまとうせいだろう。
それでもケチャップの赤と卵焼きの黄色のバランスにはいつも感動する。うまさを本能的に感じさせるのが素晴らしい。この赤と黄色のコントラストは、多分人類の遺伝子レベルで刻み込まれたうまいもののシグナルだろう。
肉料理に多い、茶色と黒とくすんだ赤というバランスは「ご馳走感」と紙一重だが、その分うまさを感じ取るには経験値が必要だ。いわば、大人の贅沢感みたいなものだ。ところが、黄色と赤は何の疑いもなく「うまさ」を感じさせる。幼い子供でも理解できる原初の記憶にあるご馳走カラーリングだ。

実食してみた。中のチキンライスは実に上品で、油っぽさなど感じない。ただ、チキンが小さい。個人的には大きく切ったゴロリ感がある方が好きなんだが。確かに都会的なオムライスとはこうなるのだ。
完食して店の外に出たら、子供連れの家族を中心に、それもほぼほぼ女性客で長い行列ができていた。ざっと人数を数えてみると、おそらく最後尾は1時間以上待つことになる。オムライスの人気はすごいものだと再認識したが、おやじやじじいにはあまり関わりがない人気のようで、それはそれで納得した。
そういえば店内には40歳オーバーはいなかったような感じも……………