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美味しい魚が食べたい時は弘前に行く?

東京で食べられないものはないくらい、日本中どころか世界中から食材が集まっている。ただ、残念なことに値段を気にしなければという条件がつく。
東北や中四国の街に旅をするとチェーンの居酒屋のはずなのに、やたら美味い料理を食べさせる店に出会うことがある。ローカルメニューが充実しているということだ。店長の気合い?で店は変わるらしい。嬉しいサプライズだ。


弘前で地元の居酒屋が人手不足で閉まっていたため、仕方なく入った居酒屋がそうだった。日本酒もあれこれ揃っているし、料理が全く違う。刺身盛りを頼んでみたら、なんだかすごいものが出てきて驚いた。
八戸でふらりと入った炉端焼き風居酒屋もすごかったが、それは地元の名店にたまたまたどり着いたら大当たりだったということで、この弘前の居酒屋とは訳が違う。まさに圧倒的な驚きだった。

こういう店を全国で出していたら、焼肉屋にする必要なんてないのだと思うのだがなあ。

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ソロキャンプ行きたい

屋外で食べる焼きソーセージは、どうしてこんなに美味いのだろう

今年の7月はそれなりの猛暑で梅雨明けも遅く、キャンプに行く機会を逸した。8月も前半は猛暑、後半は9月いっぱいまで続く雨季になり、キャンプに出かけるチャンスはゼロだった。

夏は高原の涼しいところに行くはずだったが、予定していた日には必ず雨が降るという不運が重なった。雨が降り始める前は一ヶ月雨降り「なし」だったから、やはり日本の気象はおかしくなっているのだと思う。

キャンプ飯はシンプルで良いと思うのだが、素材だけは普段よりちょっといいものにするのが好ましい。例えばソーセージだが、大手メーカーの量販品ではなく、サイボクのちょっとお高いソーセージを買うとか。

あるいはスーパーで売っているお安い冷蔵ピザ、だいたい一枚200円程度のものを買ってきて、その上にたっぷりと部材を乗せたゴージャスピザにしてみるとか。生ハムを乗せるとかなり美味い。シンプルだけれどちょっと贅沢という感じがよろしい。

ソーセージを焼いて食べるだけだが、胡椒は粒々をペッパーミルで引き立てにして楽しむとか。瓶入りのお高いマスタードを使ってみるとか。ちょっとしたこだわりで普段使いの食べ物が満足度爆上がり、達成感が一段引き上がる。

10月はキャンプ三昧を固く決意しつつ、週一キャンプと自分に言い聞かせているのだが、10月はなんだか気温が下がりそうな嫌な予感もしていて。10月には雨が1日も降らなくて良いのですけどね。お米の収穫も終わっていることだし、水不足ももう解消したでしょう。

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ラー油そば食べたい

来月は絶対に食べに行くぞー

最近食べていないのがラー油そばだ。特にこの夏は暑い時期を家にこもっていたので、都内に出かけることはほとんどなく、結果的に銀座や新橋から足が遠のいていたせいだ。
過去の写真をみると、コロナの時期の方が余程あちこち歩いていたようなのだ。この写真も20年8月のものだが、ラー油蕎麦はだいたい年に3-4回は食べているはずだ。コロナの時期でもそれは守っていた。だが、今年に限ってはまだ一度も食べていない。

昔はかなり存在していたラー油蕎麦の店が減ったこともあり、残っているのは相当に不便な場所になる。新宿であれば西武新宿駅の北の端の方、池袋であれば西口から徒歩10分くらいかかる。新橋の駅ビルの店は狭くていつも席待ちで並んでいるのが辛い。銀座のビル地下の店は立ち食いなので、ちょっと勘弁してほしい。

地元にラー油蕎麦の店はない。それどころか蕎麦屋もない。日本蕎麦屋は絶滅危惧種なのだ。いや、日本蕎麦屋だけでなく大衆食堂、町中華も絶滅手前だ。ファストフードとファミリーレストランに乗っ取られた時代遅れコンセプトと言われて久しいが、蕎麦屋のカレーとか町中華のカツ丼やオムライスは、どのレストランに行っても代行はしてくれていない。

ましてや、ラー油蕎麦という業界的にゲテモノな代物は、一体誰が守ってくれるのだろう。ラーメン世界であれば「つけ麺」がスーパーでも売られるほど一般化したので、どこに行ってもつけ麺は楽しめる。しかし、日本蕎麦世界ではラー油蕎麦は依然として異端児なのだ。あの太麺そばはどこにも売っていないので、自宅で作ることもできない。それが、ちょっと悲しい。


面白いことに、うどん業界のつけ麺王者「武蔵野うどん」でも、ラー油つゆの提供はいまだに見たことがない。心ある、武蔵野うどんの店主がラー油つけ汁を発明してくれることを望むしかないなあ。

所沢の雄、山田うどんでぜひ発売してほしいぞ。

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乗り鉄一人旅

越後湯沢を過ぎれば飲み鉄タイムだ 新潟の地酒はどれも美味い

某国営放送のBS番組で、在来線に乗り酒蔵のある駅で途中下車して飲み歩くというものがある。これが好物なのだが、自分が乗ったことのある路線が出ると気分は上々に盛り上がる。

乗り鉄、撮り鉄など鉄道オタクには色々な人種がいるが、かの番組では「飲み鉄」と言っている。まさに至言であろうと感心している。自分でも飲み鉄を楽しむべく在来線の旅をしているからだ。

ただ、途中下車して酒蔵巡りをするほどでもないので、鈍行列車を乗り継いだ末にようやく目的地に近づくあたりで一杯を楽しむ。

新潟から高崎経由で帰る時には決まって国境のトンネル前で一杯やることにしている。飲みすぎると大宮駅での乗り継ぎを失敗する可能性があるので控えめにだ。

新潟駅で買った焼きおにぎりを酒のつまみにすることが多い。コメを食いながら米の酒を飲む、たいしたことではないが米所新潟へのこだわりということだ。

東北新幹線であれば仙台を過ぎたあたりで一杯やることが多いが、東海道新幹線であれば京都駅を出たら宴会開始にする。仙台・京都を過ぎれば客の乗り降りがなくなり落ち着くからだ。鈍行列車であれば、そんな気遣いは必要ないのだgあ。

だが、新幹線居酒屋はあまり好ましくない。最近ではいつでも満席に近いせいで窮屈なのだ。大型のスールケスを持つ混み通路に放置する迷惑な外国人観光客も目立つ。(日本人にも迷惑な奴が多くなったので外国人ばかりを悪者にしてはいけないのだが)

やはり、飲み鉄旅は平日の鈍行列車に限る。

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秋田で一番美味いもの

東北一筆書きの旅をした時、帰り道は東北本線ではなく奥羽本線で秋田経由にした。その訳は、大館の鶏めしを本店で買ってみたかったからだ。全国にとりめし、かしわめしの駅弁は数多くある。おそらく主要ターミナル駅ではどこで、駅弁ラインナップの中にご「当地」鳥めしがあるほどポピュラーな駅弁だ。
西日本で有名なのは北九州のかしわめしだと思うが、東日本ではダントツの一位が大館の鶏めしで間違いない。全国駅弁ランキングでも、横川の釜飯とならぶ絶対定番だ。この二つに並ぶものは山形の牛肉ど真ん中くらいか。

大館駅の駅前にある大きなレストランの一角で駅弁「鶏めし」が売られている。どうやらレストラン内でも食べられるらしい。いつか入ってみたいものだと思う。

東京駅の駅弁専門店をたまに覗きに行っているが、この「鶏めし」が売っているのをみたことがない。大館の最寄り新幹線駅は新青森であり、そこでは売っているのだがなあ。新幹線で移動している沿線各社、青森や八戸の駅弁も多いので、この鶏めしも東京駅まで持ってきてもらえないものだろうか。
せめて月水金の隔日販売程度でも我慢するから。お願いですよ。横浜崎陽軒のシウマイ弁特クラスにはうれると思いますけどねえ。

景勝地の風景を思い出し、またあそこに行ってみたいなあ、などと思うことは少ない。が、駅弁を買うためにどこそこの駅に行きたいと思うことは、けっこうあるなあ……………

駅弁を買って、普通列車の長距離路線に乗り、乗客が減ってきたあたりでカップ酒を飲みながら食べる駅弁は、何よりも美味いものだと思うのだが。最近の新幹線は混みすぎているので駅弁を食べる気分にならない。例外的に東海道新幹線をこだまで旅をすれば、駅弁ツアーで使えるかも。

旅の動機は人それぞれだが、駅弁と鈍行列車の旅は我が一番の楽しみかもしれないな。

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弘前駅弁のたのしみ

弘前駅の駅弁 おばちゃんの手作り弁当みたいな名前だったと思うが

全国に著名な駅弁は数多くある。駅弁グランプリというイベントも毎年開催されている。新作も登場しているので、駅弁全体では進化していると思うのだが、残念ながら老舗駅弁を超えてくるものは少ない。
最近のトレンド駅弁といえば、海鮮系か肉こってり盛りの2方向に限定されていると言って間違いない。結果的に新作はあまり変わり映えのしないものばかりなのが残念だ。
駅弁を製造するメーカーも減っているし、地域によっては駅弁が壊滅したところもある。首都圏の新幹線駅は流石に駅弁が揃っているが、地方在来線などはどの駅でも駅弁があること自体珍しい。コンビニ弁当にやられたというより、新幹線による移動時間が短縮され移動中の食事の必要がなくなったことが主要因だろう。ところがありがたいことに、全国のあちこちに駅弁がいまだに集まってくる駅もある。

代表はやはり新幹線の主要駅、それも路線の最終端駅が頑張っている。西で言えば博多と鹿児島中央鵜駅だ。新大阪は東西新幹線の結節点なので一番賑やかな品揃えになっている。東京駅も、お江戸の駅弁というより、東西南北の新幹線駅番が結集しているので、全国駅弁見本市的な賑わいがあるが、これは例外というものだろう。
そして、北の駅弁一番駅は、仙台ではなく新青森だと思う。ただ、駅弁売り場が改札内の乗り換えコンコースにあるので、新幹線利用者以外は手を出しにくい。在来線青森駅にも駅弁は多少おいてあるが、新幹線駅のラインナップには敵わない。

その新青森駅には近隣の駅からも駅弁が持ち込まれているが、実は新青森駅でイチオシの駅弁は弘前からくるものだ。

弘前駅では改札の外にワゴンで駅弁を売っている店がある。(当時はあった) そこに並ぶ弘前のおばちゃんたちが作っているという駅弁が一番お気に入りだ。津軽の中心地は歴史的に弘前であり、伝統的な津軽料理は弘前で親しまれていたものだろう。その流れで、弘前の駅弁には肉もりもり系とか海鮮どっさり系ではない、郷土料理盛り合わせ的な弁当が多い。

弘前駅では駅弁を3個4個と買いまくり、、帰りの車中、家に帰ってからの食事、翌日の食事と駅弁連チャンをすることもあるくらいのお気に入りなのだ。おまけに新幹線新青森駅では、秋田大館名物の鳥めしも置いてあるので、買い込み数はもっと上がってしまう。まさに弁当地獄(うれしい)になってしまう。

駅弁を大量に買い込みたくなる駅は旅の目的地にもなるくらいの魅力がある。自分にとっては、弘前駅と新潟駅、そして京都駅が駅弁買い込み三大ポイントになる。博多と鹿児島、広島もなかなかの充実ぶりだが、どうも似通った弁当が多いので一段下のクラスとなる。名古屋駅はちょっと残念な感じだろうか。
番外と言えば鳥取駅のラインナップが素晴らしいのだがなあ。それはまた別の話に。

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高級な焼き鳥屋という存在

秋田市の著名な焼き鳥屋で

秋田には何度か仕事で行ったが、新幹線が通り足回りが良くなったせいで秋田に泊まることはほとんどなかった。秋田の仕事を終えると青森や盛岡に移動するせいだった。
だから秋田の繁華街はほとんど行ったことがない。県庁近くの飲み屋街は有名だったが一度も行ったことがなかった。

仙台にしばらく通っていた時に、秋田が本店の焼き鳥屋にたまたま行ったことがあり、機会があれば本店にも行ってみたいものだと思っていたのが秋田に泊まるきっかけになった。

初めて行った秋田一番の繁華街は、相当に寂れていた。昔はずらっと飲み屋が並んでいたのだろうが、今ではすっかり歯抜け状態で夕方になっても灯りが灯る店は少ない。
そんな中、その焼き鳥屋はひっそりと営業していた。店内に入るとかなり高級感のある民藝風な内装で、これは接待用の店だったのだなと一目で分かった。秋田名物比内地鶏を食べさせる店として人気があったのだろう。官官接待問題の先駆けとなってしまった秋田では、いわゆる官庁需要が激減した。接待する方もされる方も逃げてしまう。経費ではなく割り勘で飲むとすれば安い店位になる。

大都市であれば官需が減っても民間で景気の良い業態の経営者が、その後を引き受けるのだろうが、地方都市となるとその数も限られる。
自分以外にはあまり客がいないのだが、今の日本では平日に混み合う店は少ない。安いから客が集まるというものでもない。その街にある一定の若者層がいなければ、飲食店のバリエーションは増えない。酒を飲まないものが増えていることを考え合わせる、昔の「必要一定量」の二倍くらいはいなければ、その街で飲食店群は生き残れない。

全国の中小規模の県と湯所在地で起きている「繁華街崩壊」は同じ原因だ。人口が30万人程度の都市では繁華街を維持できない。例外的に生き残っているのは金沢や長崎くらいだと経験的に思うが、それは観光客に底の需要を支えられているからだ。
岡山や浜松など軽量級の政令都市でも危ない。

そういう意味では秋田で生き残っている高級焼き鳥屋はすごいのだが、もはや価格が若年層の需要に応えられない高さになっていたから、この先はどうするのだろうかとちょっと心配してしまった。良い店なのだ。長く続けて欲しい店なのだが。

博多にある「戦国焼き鳥」をは正反対の路線をいくこの店にはぜひ頑張ってもらいたいものだ。

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カレーの経済学

新潟市バスターミナルの蕎麦コーナーで有名な「カレー」

カレーという食べ物を外食産業化するのは難しいと言われていた。いや、今でもその可能性は高い。自分の好きなカレーと聞かれると、子供の頃に食べていた「我が家のカレー」に刷り込みがつよすぢて、「よそのカレー」に対する許容度が低すぎるからだ。
大人になり一人暮らしを始めると、仕方なしにレトルトカレーに手を出したりもするが、それは「うちのカレー」とは違うと、ほぼ全員が答えるだろう。便宜的に使っている「カレーもどき」という認識が強いのだ。
「うちのカレー」はジャワカレー(ハウス製)で決まりという思い込みを変える、人生たった一度の(大袈裟な0チャンスは、結婚した時らしい。この時に、「うちのカレー」対「うちのカレー」の激突が起こる。どちらかが相手のうちのカレーに屈服することで決着がつく。

そんな食べ物だから、「お店のカレー」は一定数うの客には嗜好品にはなるけれど、それ以外のものにとっては食べる価値のないものになる。まさに外食最大の敵は「うちのカレー」なのだ。


カレーのロールモデルは帝国海軍の艦内食だったことはよく知られている。明治期に新しく成立した「海軍」という技術色の強い軍事組織で、最初に求められたのは兵の健康だった。江戸期の日本人は米を大量に食うだけでタンパク質や脂質の摂取が足りない、栄養バランス欠陥食で生きていた。だから長期間会場勤務をするような組織では、体力不足、栄養失調を防ぐため可惜な食事体系が考えられた。その中の一つがカレーであり、肉じゃが出会ったそうだ。
肉じゃがもカレーも素材を見ればほぼ同じであり、味付けが甘辛醤油味になるか、スパイス風味になるかの差とも考えられる。
兎にも角にも、米とよくある肉と野菜の入った料理という点で、当時としては画期的だっただろう。そのカレーと肉じゃがは、海軍勤務を終えて民間人に戻った元兵士たちにより日本中の家庭に普及した。当然、海軍軍人の糧ににも浸透した。ところが、海軍レシピーを性格に伝えたわけではないので、言ってみれば退役軍人の数だけレシピーーが氾濫した上に、各家庭の中で様々なバリエーションが発生する。
カレーでは地方特有の野菜を使うのはまだまともな方だ。肉の代わりに魚を入れてみたり、カレールーの上にあれこれ載せてみたりと百花繚乱だる世界が生まれた。
肉じゃがの変形したものはは従来の家庭日本料理を完全に独自なものへと変化させてしまった。いわゆる西洋風の煮込み領地が爆発的に和風アレンジを加えられ、家庭料理となって行ったが、その原型は肉じゃがだろう。現代においてスーパーに並ぶ和風惣菜のほとんどはそうしてうまれたものだし、江戸期の調理品など伝統的な料理はとうの昔に絶滅している。

で、新潟バスセンターのカレーだが、このカレーは昭和中期まで家庭で作られていたカレーの原型をとどめている。だから、ある一定の年齢の客には、今や食べられなくなった「うちのカレー」に近いものとして支持されている。

昭和後期から平成にかけて、カレールーメーカーはレトルトカレーに対抗するべくベースの新規投入をっ繰り返したが、結局は定番が生き残る。その熾烈なルー開発の中で、「うちのカレー」、つまりカレー粉と小麦粉を炒めて作る昔ながらのカレーは衰退した。
その絶滅危惧種的な昔風のカレーに飛びついたのが、昭和レトロ付きの現代世代で、今や新潟の名物の一角に食い込んでいる。
おそらく地方都市の駅前にある食堂では、これと似たようなカレーが生き残っていたはずだが、その駅前食堂が壊滅したことで、昔風のカレーを食べるのは難しい。

「昔のカレー」を食べる人口も減っているが、それを提供する店の方がもっと減っている。結果的に、需要が供給を完全に上回っているので、この店には開店前から行列ができる。それも、新潟県外から訪れるものが多い。

外食産業における生存者利益の典型なのだが、この手の議論を見た記憶はない。外食経営者がアカデミックな道筋を求めていないせいだろうか。

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居酒屋のお通しに見る経営学の基礎

料理の演出は、知的財産として保護されても良いと思うが

新潟にある人気の居酒屋でまず最初に聞かれるのがお通しの焼き物を何にするかで、しばらくすると土鍋で燻製炙り仕立てにしたものが運ばれてくる。初見であれば、大概の客はこの演出にイチコロだ。なので、新潟出張に来たもてなしの店として、サラリーマングループで占拠されている。個人であるいは少人数の客はあまりいない。

お江戸では見かけないタイプの店だ。高級割烹などにいくとこのような手の込んだ演出をする店はあるが、大衆価格店舗ではみられない。チェーン店となれば、この手のやり方がマニュアルが難しいので、最初から放棄している。

全国あちこちに仕事で歩き回るうちに、色々な店を紹介してもらったが、おそらくここが一番だろう。
こと、居酒屋という業態に関しては大阪と名古屋が全国の中でずば抜けて素晴らしい。お江戸の居酒屋はある意味で二流ばかりで、老舗と言われる店は残念ながら価格も客層もすっかりダメになっている。

仙台や新潟、博多あたりでは個性派の店が多いし、居酒屋を梯子しても良いと思わせる良い街だが、札幌や広島は今ひとつという感がある。
人口が30万人程度の県庁所在地では、一つくらいは飛び抜けた店があるが、それを除くと全国チェーン居酒屋に席巻されてしまってる。個性派の店は次々と廃業しているせいだろう。

酒を飲まない客が増えていることも、個人営業の店には大きな影響がある。飲食店で酒を飲まない客は、減価率が高くて儲からない。ある意味で、酒を高価で売りつけることで成立するのが外食業の根本だからだ。
酒抜きで儲かるような仕組みを作ったのがファミリーレストランとファストフードなのだが、どちらの業態もコスパ優先でショックの楽しみの重要な要素である雰囲気作りを放棄している。
合理的なビジネスモデルだが、外食の楽しみが切り捨てられている。

そろそろ日本でも外食産業についてアカデミックな研究がなされて、いわゆる外食業の専用経営学が教えられるようになる時代ではないかなあ。

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寿司食べ放題の日

4年前の9月の写真に鮨が大量に載っている一枚があった。一人でこんなに注文するはずがないとよくよく確かめてみると、どうやら食べ放題の鮨屋に連れて行かれた時のものだった。ネタを見ていたら自分が注文したのはイカゲソと鯖、あわびくらいだと思う。
残りは同行者が頼んだものだろうが、自分の容量をかんがえるとなぜ食べ放題鮨に行ったのか不思議になる。絶低素が取れないはずなのだが。

こういうふうに食べたものの写真を撮っておくと、誰と言ったかとかどこに行ったのかとか、かなり精密に思い出すことができる。その時に話した内容などは全く覚えていないのだが。
写真が自分の外部メモリーとなっていることを実感する瞬間だ。

久しぶりにこの時の友人と会ってみようかという気になってくるから、時々は写真の見直しをするのにも意味がある。

もうすっかり忘れてしまった、どこかのラーメンをまた食べに行こうといく気になったりもする。今更行ったこともない場所を見物に行くほどの気力はなかなか出てこないが(はずれた時の徒労感がたまらないので)、もう一度あの素晴らしい景色をみたいとは思う。こちらはハズレがないこと証明済だからだ。

でも、鮨食べ放題はもういかないだろうなあ。