街を歩く

2021年2月の写真 おまけ

やはいr弁当箱が包み紙で包まれていると駅弁感はあるが、駅弁というより持ち帰り専用のご馳走だろう

横浜崎陽軒といえば上級の中華料理やと思うか、駅弁屋と思うかちょっと微妙な差がある。おそらく横浜周辺在住者はまた別の思い入れがあるのだろうが、そもそもお江戸に流れ込んできた身としては横浜や千葉やさいたまなどの首都圏大都市の違いなどわかるはずもない。まあ、どの街も明治になってから膨張した人工とし出し、何か特殊な地域性があるとも思えないが、150年も経ってみればそれなりの差異?は生まれたのかもしれない。
あえて強弁したとして、横浜は漁村、千葉は農村、さいたまは門前町という違いはある。さいたま(大宮)は商業都市でもあった。さいたまは武蔵国でお江戸の川越と並ぶ衛星都市だが、横浜は相模国の僻地、千葉は下総国の中心(市川市付近)から外れた場所、どちらもお江戸とは別国でありましたからね。中世日本では数ある田舎町の一つでしかないということです。それが、今では日本最大級の大都市であるのだからオドトキだ。
さて、神奈川県民だったこともあるが、現在は域外居住者として横浜を見ると、妙にコンパクトな街だという印象が強い。首都圏で独自の地下鉄網を持つ唯一の街でありながら、地下鉄沿線は農地と住宅地が混交する。都心部は東京駅周辺に近似したビジネス街でありながら、横浜駅周辺は東西に分かれた半ん花街が形成されている。その東口のランドマークが崎陽軒なのだから、やはり横浜を代表する「名物」であることは間違いないが……………

シウマイ弁当 プラス とても呼びたくなるバラエティー感がある

やはり横浜人というか神奈川県東部に居住する方達の崎陽軒愛は凄まじいものがあり、駅弁をこれほど愛する県民も珍しいとは思う。個人的には数ある駅弁を食べてきた経験をもとに、崎陽軒のシウマイ弁当は日本の駅弁界においてトップ3の一角にあると断言する。明らかに段違いでうまいのだ。(残りの二つは山形県牛肉どまんなかと長野県おぎの屋とうげの釜飯)
だから、その起用権が絶対定番のシウマイ弁当を差し置いて季節限定で出す「神奈川の味わい弁当」はお試しする価値がある。シウマイ弁当がシウマイ単独を味わうものであり、味わい弁当はシウマイ弁当の味変版というところだろう。シウマイ弁当よりおかずのシュリが多いので、実は酒の肴にむいていうr。お値段はシウマイ弁当よりも2割ほどお高めだが、その価値はあると思う。

なんてことを21年には考えていたかどうかは覚えていないが、確かこの時期も外出にあれこれ規制がかかっていた時期で、駅弁やテイクアウト食品を試していたのだろう。写真の記録にも外出した形跡が非常に少ない。まあ、20年より改善されていたとは思うが、まだまだ外食暗黒時代だったなあ。

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2021年2月の写真 続き

この隣のビルでは全国から参戦したラーメン店のアンテナショップ?が開催されている

この奇抜なデザインの建物は角川が作ったものだ。さくらタウンという、所沢市の東部にできたもので、角川書籍の聖地みたいなものらしい。この隣のビルには角川のメディア系各社が置かれているし、大きな書店、それも角川の出版物で占められている。アニメ系のコアファンにとっては憧れの聖地らしい。オープンしてから随分経ってから見にいった記憶があるが、何せコロナの時期で外出できるのは政府の舌先で決まるという暗黒の時代だったから、記憶は全く不確かだ。
確か某国営放送の年末歌番組でここからライブ演奏をしたのではなかったか。

そして、この巨大モニュメント図書館に併設されているのが神社なのだ。古式豊かなデザインとは全く異なる異相の神社だ。全国の神社を巡り巡った経験から言うと、この神社はまるで新興宗教団体が作った、まさにアレ的なものだと思う。まあ、令和の神社を角川がプロデュースしたということを示したかったのだろう。

その角川のトップも数年後には東京オリンピックの汚職事件に連なる一員として逮捕された。神の恩寵は通じなかったようでもある。栄枯盛衰、驕れるもの久しからずとは世の習いとはいえ、無情を感じるなあ。令和の始まりというより昭和平成の終わりという事件でもありました。

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2021年2月の写真 その2

まだ100円均一ニコがわりを残しているのは「はま寿司」

2021年2月の写真はとても少ない。というか、2020年から2021年は、やはり外出禁止令の影響があったので撮った写真の数が少ない。コロナ2年目はこんなところにも影響を及ぼしていたのだ。
そんな中で、休業廃業が続く飲食業で、例外的に売り上げを伸ばしていた業態がある。回転寿司と宅配ピザ屋だ。デリバリービジネスの盛況ぶりは理解できる。コロナ怖い怖い症候群に重症者は一斉にデリバリー利用を増加させた。ただし、これも一過性で2022年には一気に需要が縮む。宅配代行により息をついていた飲食業にとって一番の打撃は、この2022年の宅配需要激減だっただろう。
回転寿司はこの時期に一気にタッチパネルの導入が進んだ。カウンターに座り他人との会話をを拒んだようなシステムは会計の自動化も一気に加速した。店内に入ってから出るまで一言も口を開かずに帰ることができる。これは、確かにコロナという災厄がもたらした唯一の福音だったかもしれない。このコロナの落とし子のせいで、外食業における自動化・機械化が一気に進捗し、猫型ロボットによる自動配膳も定着した。コロナの時期には従業員を解雇しまくったせいで、商売が戻ってきても誰も働いてくれないという、実に情けない状況のちいった大手外食業では、この機械化こそ唯一残された生き残り案だった。
そして機械化の先陣を切った回転寿司業界はコロナの3年間を含め好調な業績を残す。

この時期、絶好調な業績と合わせて過剰な情報投資も続く中、回転寿司業界各社h食材原価の低減日道を挙げた。100円均一というプライスラインを死守すべく奮闘したと言って良い。そうした努力?は寿司屋でありえないようなメニューを次々と投入することになった。例えば、このフライドポテトだ。寿司一皿の原価は5割近いと言われる。ところが、このフライドポテトであれば原価率は二割程度まで引き下げられる。
高単価(300円台)を稼ぐラーメンなども、原価低減努力の賜物だ。300円のマグロザラは注文しない客がラーメンは頼んでくれるという、新たな発見も生まれた。ただ、その機械化となんちゃってメニューによる100円ライン攻防戦は、あっさりと放棄される。自分達の戦略的なポジション、100円均一を捨てて仕舞えば、あとは原価に応じた価格設定という、没落していった寿司店の戦術に後戻りするだけ。均一価格を放棄した回転寿司大手はその後業績悪化に苦しむことになり、今でもその低迷から抜け出せていない。

コロナの落とし子という意味では、回転寿司業態の躍進と没落は学ぶべき事例だろう。負け戦こそ次の勝利への真理があるのだなあ。

ちなみに回転寿司屋のポテトは揚げたて熱々が出てくるので、ちょろいファストフードのフライドポテトよりはるかに優れているのだよ。

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2021年2月の写真から

コロナの2年目、外出禁止は解かれていたが、お世の中には病的にコロナを恐れるものたちが増加して、これはもはや宗教的な心情を上回るのではないかというコロナ関連事案バッシングが行われていた。令和の狂気とでも記録しておくべき時期だろう。
三密などという上滑りの言葉を多用して、コロナ怖い怖い症候群の支持を集めた都知事が、ほぼ前回で暴走していた時期でもあった。そして、その暴走のために飲食業は壊滅的な打撃を受ける。
と二位知られる老舗、名店などが次々と閉店を余儀なくされた。

古い店では店主が高齢化していたことなどから、廃業する踏ん切りがついたという一面もあった。休業補助金を退職金がわりに店を占めるのだ、などという声が知り合いからも聞こえてきた。人が集まる業種全てを魔女狩りの如く弾圧した。やはり狂気の時代だったのだ。確か、コロナ2年目ともなるとそういう怖い怖い症候群にかからなかったものたちから、コロナ対策に対する反発もあり「昼飲み」なる習慣が生まれてきた。夜の営業は止められていたから、昼に酒を飲めば良いという、権威に対する反発でもあり、大衆の強かさであったように思う。

地宇治の為政者たちはすでに姿を消した、あるいは存在価値を著しく低下させているから、そいつらを糾弾しても仕方がない。当時、日本の民主主義はポピュリズムと嘲笑した「メディアバカ」の存在もすっかり薄れてしまった。そういえばコロナの女王なんて奇怪な女性もいたなあ。

そんなコロナ2年目に、この老舗珈琲店がひっそりと店を閉めた。悪貨は良貨を駆逐するというが、飲食業にもそれは当てはまる。長く続いた良心的な店が、何か社会変動が起こると最初につぶれていく。残念なことだ。
茜屋のコーヒーを飲むには軽井沢まで行かないいけないらしい。これも実に残念。

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2020年2月の写真 その3

カレーかハヤシのルーを選べる盛り盛り定食だあ なんとこれが1200円(多分)

新宿の老舗洋食屋というか大衆食堂で昭和の復活メニューというゴージャスなセットメニューを食べた時の写真だ。これでも確か1200円くらいだったはずで、コロナ前とコロナ後では価格が3割ほど違っている。今では同じものを注文すると税込2000円に近くなる。困ったものだ。

おそらく平成の30年間、ずっとお経にように唱えられていた「緩やかなインフレ」による経済回復みたいなものが、コロナの結果で木っ端微塵肉焚かれたのだが、当時の積極財政論hじゃの理屈は完璧に間違っていたことの証明にもなった。制御されたインフレなど机上の空論、御用経済学者の馬鹿げた暴論だった。瀬金者出てこいと言いたくなるが、当時の首相も今はいない。生きていたらかなり辛辣な追求を突きつけられたはずだ。

自分たちでコントロールできると思っていた円ドルの為替レートも、コロナを契機に暴落し結果的には日本の輸入に課題な負担をかけただけだ。輸出企業は円安で大儲けした格好になるが、それで国内インフレが進めば内需減少でまたデフレに突入する。貧乏人が限界を超えて貧乏になれが、その先に待つのは革命が独裁政治しかない。つまり、経済界にとっては破滅的事態を迎えるのだが、それを憂う経営者はいない。平成に育ったボンクラ経営者は実は頭が悪いのだと思う。
まあ、洋食屋のランチセットの写真を見て政治をかたるのもむなしいはなしだが、政治の階とはこうした庶民の食卓の上に現れるものではないか。こんなメニューがちょっとした贅沢だった時代と、こんなメニューは高くて手が出ないという時代は、明らかに後者が社会的に病んでいる時代と言えるだろう。

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昔の写真 2020年2月 続き

これはとあるラーメン屋の店内風景で、昭和30年代の茶の間(懐かしい響きだがもはや死語か?)を再現したもの。個人駅には瓶入りのファンタが、特にデザインが懐かしい。デンエアきが白くいえるが、これは黒電話に着ぐるみを着せているからだ。(多分)
昔は電話機にそれぞれの衣装を凝らした「外套」を着せるのが流行っていた。今の「かわいいー」につううじる感覚なのかもしれない。
テレビのチャンネルはリモコンで操作するのではなく、つまみを右左に回すものであり、ガチャガチャと音を立てて回す。どうもこれが例のガチャガチャの発端ではないかとも思う。人は子供の時の記憶を懐かしみ再現しタックなる生き物らしい。ガチャガチャ開発者はこのテレビのチャンネル回しに深い郷愁を感じていたのだろう。

手前にあるのは石炭ストーブで、この鋳物製のストーブは当時としては高級品だったはずだ。ヘナヘナの薄っぺらい鉄板で作られたルンペンストーブというものがより一般的だったような記憶がある。ルンペンという言葉も死語だろうが、今風に言えばホームレスに近いのだろうか。屋外で暮らすルンペンが使うような安物というニュアンスだったような気がする。
石炭ストーブの上には必ず蒸発皿、大きな鍋やボウルに水を入れて下垂機能を持たせたもの、つまり今で言うところの加湿器の先祖みたいなものだ。

個人的には昭和30年代40年代に郷愁は感じない。当時は思いおしなかったが、かなり経済的には低いレベルで暮らしていたはずだが、周りがみんな同レベルだったのでそれに気がついていなかっただけだ。昭和30ー40年台は日本人が全体的に貧しかったせいでの、平等社会が実現できていたのだろう。そこから昭和50年台のバブルが生まれていくのだが、貧乏人がみんな金持ち幻想を抱けた幸せな時代だった。そしてバブルが始まる頃には、この写真のような光景は日本中から姿を消していたのだな。ちゃぶ台はなくなりダイニングテーブルになった。石炭ストーブは灯油ストーブの温風ファンヒーターにかわり、テレビはカラーになりリモコンが当然になった。

良き昭和というのはやはりこう言う光景が消え去った昭和50年代後半だったと思うのだなあ。

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昔の写真 2020年2月

2020年の1月にマスクが売り切れる騒動が起きた。最初はインバウンドの大陸チャイニーズが大量に買っていたせいだったが、海の向こうのビュきだったcovidがインバウンド客と共に襲来してきた。札幌では雪まつりが感染の契機になっていたに違いないと思う。初発は雪まつり会場の運営事務所だったはずだ。そこから3年にわたる「コロナ怖い怖い病」が始まったわけだが、まだ当時はこんな感じで人気の食堂に人が表列していた。
これから2ヶ月もすると、まるで外出禁止令が出たかのように街から人は消えた。当時の首相が生きていれば、あの時期を振り返って話をしてもらいたいものだが。

思えば、この時期から日本企業が大陸から撤退する契機だったチヌ手にy言うビジャにしれない。コロナが引き金となり、大国が大義なき侵略戦争を始める時代となった、と後世の歴史家は書くのかもしれないなあ。

ヨーロッパの中世はペストの大流行と共に終焉を迎え、戦争と覇権争いと植民地争奪戦に突入していった。疫病はいつの世でも経済の弱体化と戦乱の引き金なのだ。日本でも応仁の乱と疫病の大流行はセットだった。
コロナの時期から始まったインフレと大国の暴力装置発動は、それを思い起こさせる。徳川の知恵、国を閉ざすと言うのはある意味内国治安維持のため有効な手段であるような気もする。コロナの落とし子として直接合わないネット商談というビジネスインフラを手に入れたのだから、人の交流を止める令和の鎖国というのは、案外と正しい選択ではないのか。

食べ物レポート

千歳空港 飛び立つ前に

想像より小ぶりだったが、小腹に収めるには十部雨

前回の千歳空港では、年末の帰省時期に重なったこともあり、荷物を預けるまで1時間待ち、その後身体検査を抜けるのに30分並ばなければならなかったという悲惨な体験をしたので、今回は随分早めに空狐についた。ところが、荷物は6に並ばぬまま預けられてしまい、検査場も並んでいるのは十人程度。拍子抜けした。
そこで、ちょっと一休みしようかといつものニュー三幸に行ったのが、若鳥半身揚げを完食できるほど腹ペコではなかったので、ちょっと変則的にザンギを二個頼んでみた。ザンギをパーツ別に注文できる店は珍しい。今回はもも肉と手羽先にしてみた。
半身揚げとは違い肉には醤油ベースの下味がしっかりとついている。うまい。手羽先は肉が少ないのが残念だが、それなら何個か注文すれば良いだけのことだ。「指まで舐めちゃう美味しさ」というのはどこぞのフライドチキン屋のキャッチコピーだが、その言葉はこのザンギにこそあてはある。

グラスに泡がつかないのは、とても上手に洗浄されている証拠 ビール専門店でもなかなかできない技だ

もちろんザンギの相棒は北海道限定サッポロクラシックで決まりだ。このバクが100%ビールはエビスと飲み比べるとわかるが、エビスの濃厚さにたいしてすっきりとした香りとの飲み口が特徴だ。そして、夏の北海道は気温はさることながら、湿度が圧倒的に低いこともあり、このクラシックがうまく感じられる。
もちろん、飲食店の大半では冬でも室内気温は30度近くあるので(冬のおもてなしは暖かさだから)ビールがうまい。

この三日前は大雪で滑走路閉鎖になったらしい 冬の千歳便は朝にギャンブルだ

空港の外はマイナス気温なのだけれど、常夏気温のビアホール?でザンギで一杯やれば、寒さなど忘れてしまう。ほろ酔い加減で機内乗り込めば、あとは羽田まで寝ているだけ。冬のたびの締めくくりは、こんな自堕落な時間がよろしいかと思いますがね。

街を歩く

どうした 初代

小樽の初代は味噌ラーメンの名店だと思っていた。ちょっと不便な場所にあるので最近入っていなかったが、閉鎖れた札幌駅ビルの中にあった店は度々訪れていた。個人的には小樽ラーメンの代表だと思っていた。札幌の純蓮や桑名と並ぶ豚骨系味噌ラーメンの店で、一度は訪れたほうが良いととお勧めできる店だった。
その初代が、千歳空港のラーメン道場内に新店を出していた。味噌ラーメンの店が置き換わったようだ。前の店はトッピング全乗せ2000円みたいな売り方をしていたので、ちょっと危ないかなと思っていたが。

さて、いそいそと店に入り込み注文して出てきたラーメンは、なかなかビジュアルが優れている。断熱ステンレスのどんぶりというの都会のスマートさが感じられる。ラーメンの進化を感じさせるビジュアルではないか。
では、実食。すかさず脳内にクエッションマークが浮かんできた。何か微妙な違和感がある。おそらく油だ。スープに足すであろう香味油系の何かが変質しているらしい。食べ進めるうちに疑惑は大きくなるばかり。ラーメンを完食しないという経験を久しぶりにした。
遺憾である。まさに如何ともし難い。度し難い。など、脳内にあれこれ浮かんでくる。
今回だけのことだと思いたいが……………大丈夫か?初代。ちなみに、この時は店内がほぼ満席だったから、人気はあると思うのだが。

うーん、もう一回だけ試して見るか。長いお付き合いのあるブランドだし。それとも小樽の本店に行って、自分の味覚がぶれていないことを確かめようか。
千歳空港に限らず空港の家賃は歩合制で、それもかなり高めなので、普通の路面店より10-20%ほど価格が上がるのは仕方がない。おまけに、千歳空港は人口の少ない千歳市から採用するアルバイト従業員の取り合いで、時給も札幌より高かったりする。だから、この店で価格のことは言っても意味がない。ただ、1日の注文数は路面店の比ではないのだから、品質管理はとても重要だと思うのですけどね。

客数の多さに負ける、ということは飲食業ではよくあることなのだけれど……………

食べ物レポート

予想外の上出来ラーメン

山岡家のラーメンは札幌で豚骨ラーメンの認識を一気にかえたゲームチェンジャーだったと思う。それまでは数件、伝説的な豚骨ラーメン屋はあったが、やはり札幌では豚骨スープの普及が遅れていた。
だから、ある年齢層では山岡家が熱狂的な支持絵を受けているので、山岡家に観光客は少ないと思っていた。が、それも場所によるらしい。狸小路やすすきのでは、外国人観光客、それお南方アジア系の姿が目立つ。最近はすっかり減ってが大陸系チャイニーズも多かった。
その山岡家のスピンアウトコンセプト、味噌ラーメンの山岡家はちょっと引いてみていたが、今回は意を決してチャレンジして見ることにした。

にんにたっぷり入れて食べたい至福の一杯

なんとも意外なことだが、とても美味い。札幌味噌ラーメンと名乗っているが、これは純蓮系統を一段進化させた感じがする。豚骨系味噌ラーメンはスープに負けないように味噌味を強くする必要がある。が、味噌が強すぎると味が味噌一色になると言う弱点がある。
九州でローカルラーメン店に入りそこで味噌ラー円を食べるといつも「あれ?」と言う感じになるのはこの味噌と豚骨のバランスが悪いせいだろう。
札幌の新興勢力では豚骨スープの濃厚磯ラーメンが主力になっているが、これは潤練から始まる味噌ラーメン世界の進化というものだ。そして、なんとチェーン店でありながら、その進化の先頭を走っている(ちょっと大袈裟か)のが味噌ラーメン山岡家だった。
お江戸にもこの味噌ラーメンコンセプト店を出店しないものだろうか。関東では田所商店系列の店が味噌押しで頑張っているが、苦戦している店も多いようで、これは豚骨味噌ラーメンというコンセプトがまだ広がっていないからなのだろう。

次回の札幌では、辛味噌に挑んでみよう。