街を歩く

最近のちょっとした気づき

一つ目の気づきが、アルコール0%のノンアルビールテイスト飲料が、酒として売られている不思議。最初はオール・フリーのアルコール添加新製品が出たのかと思った。日本最大のコンビニチェーンで発見した。これ、誤りだと思いますよと店員に伝える親切心は持ち合わせていない。まして、サントリーに知り合いもいないので放置。世間的には禁酒令が発令中なので、ひょっとすると、かなりブラックなジョークを店主が企んでいる可能性もあるか?

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二つ目の気づきだが、5月6日に自分では不要不急とは思えない緊急事態に陥り、東京都内まで外出した。都知事の東京来るなという暴言が有効な中だが、奥歯の調子が悪くなり物がかめなくなったのでかかりつけの歯医者まで駆けつけた。その治療の後、昼飯を食べようと駅ビルに向かって見つけた休業告知。終わる日が分からないという「当面の間」に、無言の怒りを感じた。JRグループは民営化されたとはいえ、まだまだ政府関連組織なので、お上の言うことには逆らわないぞという姿勢は理解できるのだが。日本政府と東京都の無能ぶりに対する「怒り」というべきだろうなあ。

そして、緊急事態宣言延長中の中、個人的な緊急事態に対応しての外出のついでに、再確認してきた。結論は、この案内は撤去されていた。5月14日に新しいレストランが開店したと告知があったので、たぶん12日から営業再開したのだろう。
その後ついでに新宿の百貨店に行ってきた。高級品の販売は制限対象と言い切った東京都の言い分を、百貨店側がどう対応しているのか興味があった。結果は、高級女性向けアクセサリー店などが、売り場の中でぽつりぽつりと休業している。百貨店の中に透明シートで覆われ「営業してません」という部分が露骨に見せられている。ああ、これは怒っているのだな、とわかる仕組みだった。
なんだろうなあ、この「官」の責任逃れというか、高級品扱い商品は自分たちで決めろ、そしてそこは閉めろという要求。それに対応して、「官」が閉めろというから、俺たちは渋々と閉めてやるんだからね、と露骨に見せつける「民」の対抗策。ちょっと楽しい売り場見学だった。見物だけをしに来たわけではなく、食料品の買い物のついでに見にきただけだからな、と心の中で言い訳していました。

街を歩く

西新宿 5月6日 昼間

新宿駅西口から大ガード方向に進む途中の横丁。数年前に火災になり、ちょっとした騒ぎになっていたが、都心部に残る横丁としては、ほぼラストという感じだ。何やら中国系の女性が接客する店が増えたのは、また貸しのまた貸しが何重にも起きているからなのか。こういう店によくいそうな無愛想なオヤジ店主などはほとんどみかけない。ただ、飲んでいる客のほとんどが、人生後半に入ったような「オヤジ」族だ。だいたい飲んでいる連中が(自分も含めて)妙に背中が丸まっているのが気になる。本当に背筋をピンと伸ばして酒を飲んでいる奴は見かけない。いや、断言する(個人的感想です)。

桜の季節もとうに終わった5月に何故か造花ながら桜が満開なのだが・・・。赤提灯もぶら下がって入るが、灯りが入っている方が少ない。狙ったわけではないが、この時は通行人すらいなかった。

平日であれ、この横丁は昼から呑んべいで満席の店も多かった。5月6日はほぼ無人。行列のできる立ち食い蕎麦屋も行列なしだった。おまけに人気のラーメン屋まで空席がある。確かに、この横丁に来てチャーハンだけ食べて帰る客がどれだけいたことか。なんだかなあ、と思い込みつつ、こちらも足早に通り抜けるだけ。禁酒法時代の情け無用というか、飲み屋街の無惨な有様に心を痛めることになった。戦前の飲食店向け配給券復活まで、あともう一息のような気がする。コロナという戦争に、この国の政府はまた負けることになるのかもしれないなどと、ちょっと高尚なことを考えてしまった新宿西口思い出横丁でありました。

食べ物レポート

KFCのおもてなし ネタバレ

昔々、某フライドチキン屋で働きはじめた頃、英語の意味がよくわからず使っていた「スリフト」というメニューがあった。オリジナルチキン9ピースで1350円(消費税 なし)だった。英語のThriftとは、倹約とか節約という意味で、そこからお買い得品という使い方になっている。この1350円(当時)の持つ意味だが、大学生の時給が350円の時代だったから、だいたい4時間分の労働価値にあたる。現在の時給1000円で考えるとオリジナルチキン9ピースが約4000円ということになる。(ちなみに当時の時給350円の値打ちとはラーメン一杯とほぼ同じで、昼飯代はだいたい400円程度だった) スリフトと言いながら、なかなかの良いお値段だったのだ。
だから、この母の日バーレルは、当時と比べても時価で言えば半額程度というお買い得な超Thriftになるのだが。

ちなみにこの1350円(税なし)という価格は北海道ローカル限定であり、北海道以外の全国では1490円だったはずだ。北海道だけが貧乏人価格で販売していたと知った時、妙に寂しい気持ちになったのを覚えている。この北海道価格が消えたのは1980年代中盤で、それまでは北海道を植民地扱いされているようなモヤモヤした気持ちがあったものだ。しかし、それも東京に出てきて時給が100円近く違う事に気づき、この価格差は仕方ないなとようやく理解した。

母の日のミニバーレルだと思うのだがなあ

オリジナルチキンは鳥一羽を9ピースに分割している。手羽、胸肉、もも肉、足がそれぞれ2ピースで、ささみが1個の9ピースだ。足の部分を、手羽元のチューリップの部分と間違える人が多いのだが、その部分、パーツの名前をKFCではドラムという。また、もも肉の部分はサイという。最近ではスーパーの食肉コーナーでもサイとかドラムとか書かれることが多い。KFCが日本で展開を始めてから50年も経つので、アルバイトであれ社員であれ、KFC体験者は100万人近くいるはずで、日本の人口を考えればKFC用語がスーパーで定着してもおかしくはない。


バーレルというのは、21ピースを入れた大型メニューだったが、クリスマス向けパーティーバーレルではチキン10個とサラダとデザートにお皿付き、みたいな変形の売り方もした。(している)
さすがに21個入りで売るのは、チキンが多すぎて(高すぎて)難しいという事で、春とか夏とかに季節限定メニューでミニバーレル、チキン10個入りを売っていた。お盆の時にはとか、年末年始にはとか、慶事需要専用商品だったこともある。それがいつの間にか、ミニの言葉も消えバーレルは9個入りになってしまったようだ。日本が豊かになったののか、貧乏になったのか定かではないが、おめでたい席でオリジナルチキンをたっぷり食べるという習慣は消えつつあるらしい。バケツに入ったフライドチキンでおもてなし、というのは洒落た習慣だったと思うが、そのバケツがおもてなしの気持ちと一緒に小さくなった。昭和のバケツの大きさと令和のバケツの小ささの違いは、結構心に染みるものだ。

食べ物レポート

蕎麦屋で飲む酒が美味いわけ

何年か前に芝増上寺に所用があり、その帰りに大門にある有名な蕎麦屋に立ち寄った。午後の遅くというか夕方になる前の一番暇そうな時間だった。わざわざその時間を狙っていったわけではないのだが、有名店だけありランチ、そして夜は待ち時間が出る人気ぶりなのだ。空いている時間はのんびりできてありがたかった。となると思い出すのが、昔々、会社の先輩に教えられた「蕎麦屋で酒を頼まないのは失礼だ」という、なんとも凄まじいお言葉だった。店内が空いていることもあり、お銚子を一本注文する。蕎麦味噌がついてくるのが嬉しい。蕎麦味噌を一つまみして、その塩味を楽しみつつ日本酒で流し込む。ああ、これこれというささやかな幸せを感じる。

そして、蕎麦屋に入ったのに蕎麦を注文しないという道を突き進む。聞いたところによると、昔々のお江戸には、町ごとに寄席と床屋と銭湯と蕎麦屋があったそうだ。そして蕎麦屋は真っ当な人間が行くような場所ではなく、街の不良がたむろする酒場だったとのことで(本当かどうかは知らないが)、蕎麦は腹一杯食べるものではなく、酒のあてとしてちょとつまむものなのだそうだ。だから、老舗蕎麦屋のもりそばはバーコードみたいな量の少なさが当たり前で当然らしい。
というようなことを思い出しつつ、お江戸の老舗そば屋だと注文できる「天ぬき」天ぷら蕎麦の蕎麦ぬきを頼んだ。海老天の油がそばつゆに溶け出し、この濃いめのつゆをあてに酒を飲む。じわっとふやけてきた天ぷらの衣を摘んで剥がしながら食べる。衣が剥がれたエビを一口齧る。こんな酒飲みの楽しみを発明したのは一体どこのどなた様かは存じませんが、おかけでささやかながら人生の喜びを噛み締めておりますよと・・・。

最近は夜の飲みでコース料理を出す高級蕎麦屋も増えてきたが、個人的には蕎麦屋でそこまではいらないと思ってしまう。蕎麦味噌をあてに熱燗一本、天抜きを頼みつつお銚子を追加。そして、軽く海苔でも炙ってもらって、もりそばでサラリ。みたいな感じが良いと思うのです。ちょっとだけ不良になった気分で。

旅をする

ナマハゲを見てルーツをかんがえた

男鹿半島の入り口で歓迎されているのか追い返されているのか、巨大なまはげ

北海道は、蝦夷地と呼ばれていたのが「北海道」と名称変更になり、それを開基150年などといって祝っていたのが2018年だった。その前は青森(津軽)と海峡を挟んで対岸共通文化圏だった北海道南部を除けば未開の地だったわけだ。海岸沿いに、あちこちのアイヌ部族との交易所的な集落はあったようだが、大きな町といえば江刺・松前くらいのものだった。戊辰戦争の後、没落した反政府側諸藩の集団移民や日本海側諸地域からの食い詰め者の移住地(一旗あげるぞ、フロンティアみたいな感じ)、そして犯罪者の収容所、流刑地として活用された。
北米やオーリトラリアのイギリス植民地と似たようなものだ。対ロシアの防衛拠点として、政府主導の開拓が進められたとは言え、やはり「流れ者」が集まってできた混住地というのが正解だと思う。当時は日本海側の海運が主力であり、北は青森から南は鳥取、島根あたりまでが主たる移住者供給地帯だった。特に明治政府に抵抗した地域からの移住が多かったようだ。奥羽列藩同盟所属諸藩はその典型だろう。
そのため、各地の方言が微妙にミックスされた北海道弁が形成された。だから北海道弁というより流れ者の共通語だったのだろう。それが混住時期が長く続くと、北海道弁だと思っていたら、同じ言葉が岩手で使われていてびっくりした、などという北海道民の変な思い込み話もたまに聞く。元々は岩手や宮城など東北地域の言葉が、北海道に流入して広まったのだから、北海道民の言語モンロー主義には笑ってしまうところがある。

んだ、とは北海道でも聞く言葉かなあ?ちょっと微妙かなあ

自分のルーツを調べてみたら、父系は4代前に富山から北海道に逃げてきたらしい。水飲み百姓(小作農)の三男だか四男だかで、典型的な「貧乏人の一旗揚げるぞ的な動機」での移住だった。ところが、やはり夢は簡単に敗れ、日高地方で借金を踏み倒したのか?、夜逃げ同然に知り合いのつてを辿って芦別に入植。その後は真面目に開拓に励み、小作人を雇うほどの地主様になったが、戦後の農地改革でまさかの農地没収。それでも祖父の代ではそこそこの規模の自営農家となり、その次男であった父親が役人になった、というこれまた北海道では一山いくら的な典型的家系、ルーツ話だ。キンタ・クンテのような劇的な話ではない。
おそらくじい様の代あたりでルーツの富山とは徐々に切り離され、内地との距離感を持った北海道人化したというところだろう。だいたい苗字からして、明治代に強制的に与えられた農民向け姓名だし、浄土真宗の檀家だし、富山の底辺階級からの脱出組だ。
さすがに最近は北海道民でも、「内地」という言葉を使う人も減ったが、内地とは外地に対する言葉だ。内地は日本本国、つまり本州と四国、九州で構成される。外地は明治期に拡大した領土で、北海道と日露戦戦勝で得られた樺太、日清戦で獲得した台湾、朝鮮などの諸地域をさす。琉球も明治政府成立後のどさくさに紛れて編入したから外地だったのだろう。
つまり外地とは植民地の言い換えと言って良いと思う。植民地人の屈折と憧れ、望郷の思いを込めた「内地」と「外地」なのだ。東北、北海道は大和朝廷成立以来の領土拡張欲に強く彩られた、侵略戦争の結果であり、常に辺境扱いだった。(そもそも道の奥と書いて陸奥なのだ)
世界史的に見て、だいたい植民地は独立する。本国の搾取に耐えられないからだ。だから既に独立した地域は別として、北海道と沖縄は独立する余地があると思うが・・。(北海道民はジオン公国ほど人口がいないから、難しいかもしれない)

脱線したので話を戻すと、我がルーツの母系は、三代前、つまり母、祖母、祖母の父あたりまでしかわからなかった。3代前のひい爺様は秋田から樺太に移住したようだ。樺太は日露戦争の頃からロシア人と日本人の混住地になっていたから、おそらくその頃に移住したはずだ。母方は曹洞宗の檀家だったので、おそらく下級武士だったのではないかと想像している。爺様は、樺太の炭鉱で働いていたが(ルーツわからず)陸軍に徴兵後、樺太の守備隊で戦病死。母子家庭のまま終戦を迎え、樺太からの引き上げ船に乗るまで2年ほど抑留。その後、北海道に引き揚げてきて芦別で受け入れられた(その頃は炭鉱都市として人口が膨大していたため)ということのようだ。
つまり、自分のルーツを辿ると富山と秋田のミックスで、家系図が遡れるような家柄でもなく、典型的な外地人、植民地人ということになる。だから子供の頃、時々食卓に出てきたわけのわからん食べ物(おそらく由来は北東北から北陸地方の農民料理)には閉口したものだ。青菜の漬物を味噌で煮たものは、どうやら富山の山間部の料理のようだ。ハタハタの煮魚もよく出てきたが、あれは間違いなく秋田ルーツだろう。糠ニシンというニシンの塩漬けも、よく食卓に出ていた。糠ニシンなどは今や北海道の居酒屋で食べる特殊嗜好品のような気もするが、あれは北陸のへシコ(サバの糠漬けなど)が北海道的な変化を起こしたものだと思う。保存性が高いので、日本海沿海部で作られたものが、北海道山間部・内陸部にまで運ばれていたようだ。だから秋田・富山ルーツの食べ物というより、北海道全域的に広がっている「日本海沿岸部文化」だろう。
樺太で育った母が言うには、ししゃもとは岸辺に溢れているものを一斗缶にいっぱいに入れていくらという単位で買ってきて、自分で干すものだったそうだ。飯のおかずより子供のおやつみたいなものだったらしい。これは樺太文化というべきだろう。だから、実家にいる間は食卓にししゃもが出ることは極めて稀だった。スーパーで売っているししゃもはししゃもではないというのが母の持論だったからだ。などなど、いろいろなところに日本海沿岸文化は色濃く残っているのが、北海道の文化的ルーツとも言えそうだ。

ただ樺太に行った秋田からの移住者はナマハゲ文化を持ち込まなかったのは確かのようだ。秋田と言うより男鹿地方の文化だと言い切れるとも思えない。おそらく、樺太では稲作ができなかったせいで、あの独特のワラ装束が作れなかったからではないかなどと思っている。また、外地人は本国に対する文化的な渇望というか、こだわりが強かったようだ。たとえば全国各地で様々な盆踊りがあるが、北海道でも地域によって微妙なスタイルの差がある。地域によってはそれぞれの移住者の本拠地のスタイルが伝わっている。しかし、炭鉱地のような多種多様な地域から人が集まった場所では、ミックスされて北海盆歌みたいなものになった。今や、そのミックス形態が標準化し伝統的などと言われる。
しかし、ナマハゲのようなビッグイベントが根付かなかったのは、やはり何かの理由があるのだろう。ただ、その理由が思い当たらない。個人的には、北海ナマハゲみたいなのが残っていてくれれば楽しかったろうになあ、などと思うのだが。

食べ物レポート

盛岡名物冷麺 あれれ?

掘り返してきた3年前の写真を見返していて気が付いた。ずっと盛岡冷麺と思い込んでいたが、盛岡冷麺発祥の地? 食道園の暖簾には平壌冷麺とかいてあったのだ。記憶の中での間違った刷り込みがどこで起きたのか不思議だ。よく行く「ぴょんぴょん舎」では盛岡冷麺と表記されているから、そこからの記憶かもしれない。スーパーで売っているチルド冷麺も「もりおか冷麺」とかいてあるからかもしれない。
ただ大昔に食べた、ソウルの有名冷麺店の冷麺より盛岡冷麺の方がはるかにうまいと思うので、やはり本場の味に日本的アレンジがしてあるような気がする。ソウルで食べた有名な韓式料理店のフルコースでも感じたことだが、全般的に韓国の料理は塩味が薄いのが特徴だと思う。ソウルで食べた本場の冷麺も塩味が薄いという点が、日本人的な嗜好と違っているのではないかと思う。逆に韓国の方からは日本食の塩味がキツすぎると思われているだろう。

雪の降る日に寒さに凍えながら入った店内で冷麺食べた

この元祖冷麺は実にさっぱりしているが、何度食べても飽きない。麺の腰の強さもあるが、さっぱりしているがコクのある出汁、スープの力が一番の決め手ではないかと思う。近所の焼肉屋だと、まず焼肉を注文し、その後に冷麺を締めに頼むというパターンだが、冷麺だけでも注文できるのが盛岡方式だそうだ。それでも、焼肉もうまいので、軽く一人前程度のカルビは頼む。焼肉を食べた後、冷麺のさっぱり感を楽しむのが食い物道として本道だろう。
これだけ食べるために盛岡に行ってもいい(大袈裟ですなあ)と思うくらいの好物で、盛岡では他の冷麺も試してみたいと思いつつ、ついふらふらと食道園に吸い込まれてしまう。そのため比較対象するデータは「ぴょんぴょん舎」くらいしかない。が、ぴょんぴょん舎も旨いと感じるのだから比較にならない。

食道園の定番

そこで、最近食べた日高屋の冷麺と写真を比べてみると、ルックスは似たようなものだが、食堂園の方が麺の盛り付けに美しさがある。さすが、専門店の技量というものだろう。それでも、盛岡に行かなくても冷麺が食べられるのは捨てがたい魅力だ。日高屋的な、抜群にうまいわけではないが、納得できる価格バランスみたいなところを加味しても、日高屋冷麺は「十分に」良い出来だと思う。

日高屋はお手軽に

気温が上がってくると食べたくなるものが冷麺と冷麦。今年はいったい何回冷麺が食べられるかな。早く旅行の自由を取り戻したい今日この頃。

食べ物レポート

うれしいサービスとはこれだ さんぱちはえらい

札幌にある老舗の味噌ラーメンチェーン店は、店舗の屋根や壁に大きく描かれている「さんぱち」の文字が目印だったが、いつの間にか店の前に某フライドチキン店のような等身大?のラーメンシェフ像が立っていた。なんだか、カラーリングが赤白で似ているような気もするが、それはそれで置いておくとして、この店のサービスが素晴らしい。(個人的な感想です)

なんと北海道日本ハムファイターズが勝つと割引になる。定番の味噌・塩・醤油限定のようだが、サンパチは元々味噌ラーメン屋なので、これで文句をつける客もいないだろう。確かに地元の野球チームを応援する飲食店は多いだろうから、この店が特別だとは言わないが、なんにしても「どかーん」と大きく書いてあるのが良い。ちなみにこの写真を撮ったのは何年も前のことなので、今はどうなっているかはわからないが。
今年の春先、札幌で行った飲み屋ではコンサドーレ応援をしていたし(レプリカユニフォームその他チームグッズを見せると割引)、プロチームの地元ファン優遇策は重要だ。

正統味噌ラーメンとは、こんな風に見えるものだ(キッパリ)

で、百円割引してもらった味噌ラーメン。ああ、旨い。素直にそう思う。札幌でのデフォルト味噌ラーメンは、スープの構成や味噌味の強さ、麺の太さなど、今やすっかり様変わりしてきている。だから、この昔ながらの味噌ラーメンはもはやクラシックスタイルというべきだが。クラシックの何が悪い、サッポロビールではサッポロ・クラシックが一番旨いぞ。味噌ラーメンもクラシックスタイルが大事だ、などと個人的には主張したい。

観光客が行列をなす店も旨いと思うのだが、チェーンでありながら長く味を守っているのは、これまた素晴らしいことだ。札幌市内を車で移動している時に「さんぱち」の看板を見つけるとついふらふらと入ってしまう魔性のラーメン屋「さんぱち」。ここは前日のファイターズの試合結果をよく把握してから行くべきところなのでありますよ。

食べ物レポート

発音は、つったいとりそば だったかなあ

田んぼの中にある名店

山形県中部で、麺類業界の支配的地位を占めるのが「肉そば」とか「鳥そば」とか言われる、日本そばの派生種だと思う。山形県北部にある「板そば」の名店群で、例の噛みごたえのある日本蕎麦を食べていると、そばというのもずいぶんバリエーションがあるものだなと感じる。山形では、蕎麦はツルツルだけではない。モグモグ食べるのも正しい蕎麦なのだろう。そのモグモグ系の硬いそばの亜種が「冷たい鳥そば」だと思うのだが・・・。
スープは鳥だしで、蕎麦の上に親鳥の肉が乗せられている。スープは鳥だしとは言え濃厚なので、もぐもぐ系の麺とよくあっている。あっさり系のスープだと、蕎麦の強さに負けるだろう。この山形蕎麦の代わりに中華麺を使った「鳥・中華そば」もあり、店内では鳥蕎麦と鳥中華の注文は半々くらいのようだった。

自分の麺料理ランキングで言えば、この山形の鳥そばは暫定二位くらいか。これに匹敵するのが、盛岡食道園の冷麺で麺グループランキング(個人的なものです)は東北勢優勢だ。暫定三位は東京のラー油蕎麦、それと競うのが名古屋の鉄板ナポリタン。
現時点での一位は札幌吉山商店の焙煎胡麻味噌ラーメン。これはちょっと譲れない。四位以下ではあるが、長崎四海樓のちゃんぽん、高知県須崎の鍋焼きラーメン、高松わらやのたらいうどんといった西日本勢がブイブイいっている。ちょっと変化球としては、名古屋味仙の台湾ラーメン。これは五位としても良い個性の強いストロング派。
首都圏、近畿圏は残念ながらラー油蕎麦以外はエントリーなし。抑えてとして追加するとすれば、釧路玉川庵の牡蠣そばと東屋のそば寿司。どれもこれも死ぬ前にもう一度食べてみたい優れものだが、どこもかしこも自宅からは遠いなあ。
ただ、これからの季節であれば、つったいとりそば→「冷たい鳥蕎麦」一択ですねえ。

旅をする

これも城跡  群馬の山の中の難易度の高い城 

日本100名城をめぐるスタンプラリーを始めて4年目だが、去年は丸一年どこにも出掛けられず、今年も夏まで城巡りの旅に出られるのか怪しい社会情勢だ。城巡り必携の参考書に公益財団法人日本城郭協会のオフィシャルブックがある。100個のスタンプを集めると100名城完了認定証がもらえる。おまけに続・日本100名城も認定されているので、名城スタンプラリーをコンプリートしようとすると正・続を合わせて200の城を回ることになる。何年かかることやら。
この城廻りで一番困ることは、スタンプラリーのスタンプのありかが各地でバラバラで、山の中に立っているポストみたいなものの中に収められていたりする。そのポストの場所の地図があるわけでもなく、城の入り口でもスタンプ設置場所がどこか説明がされていないことも多い(ほとんどだな)。山の中を必死にスタンプ探索作業するはめになったりするので、名城めぐりは体力も必要だ。また、地元の記念館や研究施設にスタンプが設置されている場合は、城跡から距離があるところも多い。城跡を見たあと1−2キロ以上歩くなんてこともある。100名城廻りはなかなか体力勝負な趣味、といって間違いない。たまにお城の伝承記念館のようなものの中にあり、スタンプを押すのに入場料が必要なこともある。

典型的な山城の跡

お城というと誰もが思い浮かべる、姫路城とか松本城とか熊本城とか、とにかく天守閣がどーんとそびえる3層、5層といった立派な建物というイメージがあるが、実際には天守閣のないものが多い。そもそも城跡に建物自体が存在しないで(復元もされていない)、地面に溝だけが残っているという方が半分以上だろう。
戦国時代に活躍していた山城の城址は、そんな「溝」を含めた凸凹が残っているだけというものが大半だ。真田一族が支配した群馬から長野にかけての地域にある山城跡は、その溝と斜面の典型だと思う。草が生えている斜面は、昔は濡れるとツルツル滑る粘土質の土が露出していたそうだ。関東ローム層という赤土が実に滑りやすいので、関東の城は石垣ではなく(積むのが面倒で金もかかったため)泥壁仕様が多かったようだ。だから、城跡を見にいくときは絶大な想像力を発揮しなければならない。
ここにあるのは草が生えた手入れ不足の斜面ではなく、水は入っていないが赤土の泥壁で補強された空堀だぞ、とか。この通路には上から落として怯ませる大きな岩が置いてあったり、投弾兵器としてソフトボールほどの石が山のように積まれていたのだぞ、とか。堀の下からワラワラと上がってくる敵兵に土塁の上から油を撒いたり熱湯をかけたりして追い払う戦国時代の攻城戦・防衛戦は、映画に出てくるような槍や刀で斬り合う勇ましい物ばかりではなかった。坂の上から熱湯をかけられ、あちちと思ったら泥に足を取られて、周りの兵を巻き込んで斜面をずり落ちるという光景を想像ずれば、昔懐かしの風雲たけし城みたいな滑稽感すら湧いてくる。
その戦術に合わせて構築された山城は、地形を生かした「いじめの思想」に基づいて設計されていた。滑って転んだ敵兵に、上から石をぶつける。盾で投石を防ごうとしたら岩を転げ落とす。そんな感じの防衛思想だから、矢を射るなどもったいない。そもそも城自体が消耗品だったので、戦に負けたりすればさっさと撤退するから、そのあとは廃城になることも多かった。

そんな戦国時代の戦闘効率主義に思いを馳せながら、山の中の草がぼうぼうに生えたところを見にいくというのは、相当に高尚な趣味だと自負しております。はい。

食べ物レポート

うちの近くの洋食屋

たまにお世話になる古き良き洋食屋だが、個人的には洋食屋が生き残っている街は暮らしやすいというか、楽しみが多いと思う。東京の下町にはあちこちに有名洋食屋が今でも活躍中だが、当然それなりのおお値段がする。それを高すぎるというつもりはないが、ランチに軽く食べるという価格ではなくなっているのも確かなことだ。少なくともランチの定食がざるそば二枚分以上はするのが当たり前だ。

この写真はずいぶん昔に撮ったので値段は変わっているはずです(消費税増前です)

こちら地元の洋食屋の店頭メニューを見れば、なんとも驚異的な価格帯で、近くにあるファミレスなど目じゃないよというびっくり価格だ。一つ一つの料理がなんともユニークで、ファミレスで出てくる同じ名前のものとはずいぶん違っている。カニピラフとかポークステーキなんて、ファミレスでは絶対食べられないだろうと思う。しかし、この店のユニークメニューで最大のものは、ランチセットについてくる豚天だ。

ハンバーグ定食

大分名物の「鳥天」があるのだから、豚肉を天ぷらにして何が悪い、と料理長が思っているかどうかは定かではないが、ありそうでなかったメニューだろう。この「豚天」をどう食べるかもちょっとした悩みの種で、いろいろと考え込んでしまう。そのまま何もつけずに食べる、ハンバーグのソースをちょい付けする、ウスターソースを要求して大阪風に食べる、醤油をもらい天汁がわりにするなどなど。ご飯に味噌汁に豚天で立派な豚天定食になりそうだが、豚天はあくまでハンバーグ定食の付け合わせなので・・。ちなみに、このお店で豚天単品はメニューに載っていません。ランチ限定「幻」級の一品なのです。

町中華と洋食屋の存在は、その街の文化だと思いますよ。