旅をする

浜松の居酒屋で乾杯を叫ぶ

2017年の記憶 #22 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

静岡県浜松市、特別な思い入れがある街ではない。出張で関西に行く時に通過するだけのたくさんある街の一つだった。20年以上前に所用があり行ったきり、その後は全く訪れることもなかった。静岡県静岡市も同じようなもので、静岡県全体が関わることのない場所だった。ところが、100名城巡りを始めると俄然と静岡県の重要度が上がる。戦国三傑の徳川家本拠だったこともあるが、尾張、三河、遠江と続く東海3国が北条・武田・松平の主戦場だったせいだ。あちこちに名城が多い。関東や甲斐のように北条支配・武田支配が早くから確定した地域では、戦闘防衛拠点である城が少ない。東海地域では伊豆から岐阜にかけてずらっと城が続く。浜松にも徳川家第一拠点として浜松城がある。そこで、浜松に泊まることにしたのだが、浜松名物ってなんだっけ?状態になった。

ネットで探し出した良さげな居酒屋は、入店後の従業員と客が合わせてコールするらしい。本当にやるのかと思ったら、本当にやらされた。たまたまその日は客が少なかったせいか、妙に寂しい感じもしたが。これが週末の満席状態だったら、けっこう盛り上がりそうな気もする。この夜は浜松名物を色々と堪能できたし、良いお店だった。

メニューを見て「浜松といえば×××」を思い出したのが、うなぎと餃子だ。これはとりあえずキープした上で注文したのが遠州焼きという変わり種だった。タクワンが入ったお好み焼きだ。滋賀県にもタクワンのみじん切りが入ったコッペパン「サラダパン」があるが、それと関係があるのかどうか。東海地方はタクワン好きな場所なのだろうか。
このご時世でお店は大丈夫かと気になってホームページを覗いてみたら、元気に営業しているみたいだ。また、この遠州焼きを食べに浜松に行ってみたいなと思う。東日本でまだ行きそびれている100名城、設楽が原、長篠城が残っているし。

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熊野詣であれこれ考えた

2017年の記憶 #21 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

熊野古道のブームがあった頃は、行きたかったけれど混雑していると嫌だなと後回しにしていた。その熊野詣でを、ようやく果たしたのが2017年だった。高速道路が途中までしか通っていなかったのも理由の一つだが、それもほぼ全通した。伊勢は七度、熊野は三度などというらしい。お伊勢参りはすでに4回ほどしているので、残り3回。熊野詣ではあと2回頑張ると良いのだが。
熊野奥地にある那智大社は神仏習合の地で、敷地は一緒だが入り口は別々みたいな、ちょっと楽しい空間だった。鳥居をくぐって、山門を抜けるというのはなかなか珍しい経験だと思う。

那智大社から那智の大滝を望むと、青岸渡寺が目に入る。確かにこのアングルで大滝を見るために作った神社仏閣なのだろうなと納得する位置関係だった。車でくればすぐ近くに止めることもできるが、歩いて登る時代は、実に大変だったろうな。このありがたみの差が、ちょっと気になるが、歩いて登るかと問われれば、首を横に振るしかない。修験道の行者の場所だ。

その熊野の平地にある寺で「補陀落渡海」に思いをはせた。船に乗って南にあるという楽園「ポータラカ」にわたるための儀式だ。宗教的儀式は、無宗教な人間から見ると、なかなか理解し難いものだが、人が信ずるもののために行う情熱というか意気込みの凄さは胸を打つ。この情熱が金儲けに向かえば大資本家、大経営者になるのだろうし、宗教で発揮されれば聖人名僧となるのだろう。ただし、この情熱が政治に向かうとこれは害悪にしかならず、悪代官などは良い方で、独裁者級になれば人類の災厄というしかない。
民主主義は最良の政治家を選ぶことはできない。元々が腐った人間しか政治をやろうとしないから「よいもの」は選べない。悪いものの中から最悪を避けるための必要悪みたいな制度だ。ただ、民主主義が機能していれば災厄級の独裁者は防げる。少なくとも任期が終われば解約できる。
悪い奴を選んで補陀落渡海を強制できないものかなどと考えながら、民主主義に思いを馳せた記憶が蘇る。

街を歩く

秩父のそば

2017年の記憶 #1 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

秩父で札所巡りをしていた頃、昼飯には蕎麦屋に入ることも多かった。西武秩父駅から三峯神社を目指す途中に、小ぶりな蕎麦屋がある。なんとなく郊外に立つそばチェーン店みたいな見かけだったが、なかなかの名店だった。店頭に書いてある「くるみ汁」が売り物らしい。秩父のローカル優良品というべきだろう「くるみ汁」だが、長野県でもあちこちで見かけるので、秩父+長野県北部野山愛の地域で広まっていると考えるべきか。発祥の地がどこかなどというルーツ探しをしても始まらない。

お店のおすすめの天ぷら付きのざるそばで、つゆはくるみ汁に変更した。そば自体は普通にうまい。やはり注目すべきはくるみ汁だった。ちょっと甘めで胡桃の味を強く感じる。普段食べているお江戸のそばとはちょっと違うが、これはこれでアリだ。できれば欲張って、普通の蕎麦つゆとくるみ汁と2種類を一緒に使いたい。その時は、天ぷらはやめて蕎麦を大盛りにするのが良いかもしれない。海沿いの街で美味い魚を堪能するのも好きだが、山里で蕎麦を食う方が楽しみになってきた。秩父の札所巡りは二周三周とする人もいるそうなので、次は蕎麦屋巡りを行程に取り込んだのんびり蕎麦屋巡礼でもしてみようか。札所巡りは一人で回れば、ほぼ人との接触のないアウトドア活動だしなあ。

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熱田神宮のそばでうまい鰻を食す

2017年の記憶 #19 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

名古屋の話が続く。熱田神宮に初めて行った時は随分と感動した。たまたま地下鉄を使っての移動だったので、駅からちょっと歩くのがよかったのだろう。車で行くと駐車場の位置の関係で、脇から入る格好になる。これはよろしくない。参詣者も地元の方であれば脇からはいって行っても良いだろうが、観光客としていくのであれば、やはり正面から入っていきたいものだ。出雲大社の本殿に至る参詣道は実に立派なものだが、個人的には熱田神宮の雰囲気の方が好みだ。
山の上にある神社は参道がクネクネと曲がり登るものが多いが、平地の神社はスッキリと真っ直ぐな道になっている。そのせいだろう。熱田神宮では、信長にあやかるサラリーマンの出世守りを手に入れた。斬炎ながら信長にあやかれたとはいえそうもないが。

熱田神宮のそばに、有名な鰻屋がある。名古屋名物ひつまぶしを求めて朝から大行列ができていた。その半分くらいが外国人観光客だったのが印象的だったが、今ではどうなっているのだろう。地元の人も延々と並ばなければならないとしたら、営業的にはマイナスだったのではないかと思ったものだ。2時間ほど待ち、ようやく店内に入れたのだが、たまたま隣の席にいた客がチャイニーズで(おそらく大陸系)注文に苦労していた。が、言葉も通じないので手助けすることもできない。ひつまぶしの食べ方なんて、日本人でも説明されなければわからんぞ。

注文したのは当然ながらひつまぶしだった。店員さんに丁寧な食べ方の説明を受け、言われた通りに美味しく食べた。最後の茶漬け風の食べ方で感じたうまさは、若い頃にはわからなかった「加齢」による舌の変化というか鍛錬の賜物だろう。歳をとるのは悪いことばかりでもない。
たまに食べる鰻は、本当に感動するうまさだ。ステーキの旨さとは違う。うまい鮨を食べることとも異なる感動だ。たぶん、調理技術に支えられた文化の味なんだろうと思っている。だから、「うなぎ」は外国人観光客にはあまり向かない食べ物かもしれない。同じような長い魚だったら、ハモの湯引きのほうがわかりやすいかな。味は全然違うけどね。そのうなぎ料理の中でも、やはり名古屋のひつまぶしが一番好みなのであり、今年はぜひ名古屋飯ツアーをしてみたいものだ。

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名古屋城の片隅に

2017年の記憶 #18 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

名古屋城は先の大戦の空襲で焼け落ち、その後再建された。全国に残る多くの城も、戊辰戦争終了後に廃城となったものが多い。だから外見だけは再現されているが、中身は鉄筋コンクリート建という城の方が多い。それをハリボテというか、文化財の再生というかは「理屈を言ったもの勝ち」のような気がする。あえて言えば、リアルサイズのガンダム製作(ただし歩けない)とか、恐竜化石の実物大再生展示みたいななものだろう。立てた時のまま現存している城、例えば松本城などで場内見学するのと、名古屋城の見学はちょっと意味合いが違う気もする。(どちらも好きだけど)

ただ、名古屋城に関しては城そのものよりも、城の横にある城主の居住館を再現したものの方が、見る楽しみは多いような気がする。安土桃山文化の絢爛豪華さと比較して地味な感じがする江戸期文化だが、江戸初期はやはり煌びやかだったのだなと思う。男性の平均身長が150cm程度だった戦国期としては、この天井はずいぶん高かったはずだ。実用性よりも威圧感を目指した建物だったのだろう。内装も金で虎とくれば、この広間での応接は今流で言うところの圧迫面接だったはずだ。相手を威圧するという目的の豪華さは武家仕様というべきか。
名古屋城は家康存命の時に築城された、徳川サイドの西日本監視施設であり、威圧機関だったのだから、「圧倒的な圧迫感」を与えるべく設計されていたはずだ。おそらく江戸城よりも脅迫感を重視していたのではないか。
お城廻りの裏の楽しみは、こんな風にあれこれと妄想を広げることだ。徳川政権は名古屋城築城とほぼ同じ時期に大阪城決戦、そして大阪城廃城で埋め戻しという膨大な土木工事を連続して行っていた。徳川政権というのは、なかなかに強大であったことがうかがえる。ただし、それも戦国期終了による景気対策だった側面もありそうで、裏読みの楽しみは尽きることがないなあ。

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お伊勢参りでラーメン食べた。ラーメン食べにまた行きたい。

2017年の記憶 #17 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

伊勢神宮にお参りに行ったら、必ず立ち寄る門前町「おかけ横丁」は、お土産物と飲食店がぎゅっと詰まっているありがたい場所だ。お参りが終わり腹が減ったと思えば、この中で好きなものを食べれば良い。土産物では伊勢茶とか伊勢醤油とか、微妙に購買欲をそそるものもある。
お伊勢参りの名物と言われれば、伊勢うどん一択しかない、ということにはならない。個人的には伊勢うどんは一生に一度食べればそれで十分という気がする。相当な麺食い、麺好きを自認するものだが、伊勢うどんだけは好みの食べ物とは言い難い。漁師料理らしい「カツオの手ごねずし」もなかなか捨てがたい。しかし、個人的な好みを押し出せば「横丁そば」がイチオシだ。蕎麦と言っているが、日本蕎麦ではなく中華そばのことで、スープが牛骨という変形ラーメンだった。これがなかなかのスマッシュヒットという感じに仕上がっている。次回のお伊勢参りでもきっとこれを食べると思うくらいの「好み」の仕上がりだった。

メニューというより品書きと言いたいアーティスティックなメニュー表を見て、ああ、この店はセンスがいいなと感じたが、味のセンスも良かった。すっきりとしているがコクがあるという若干矛盾した表現になるスープが、このラーメンの完成度を高めていた。関西圏は薄味という先入観があるが、実は関西圏は「濃い味」で色が薄いだけ、味は薄くないものが主流だと思う。
東京でもずいぶん店が増えた大阪 神座(カムクラ)のラーメンも、スープの色は薄いが味は濃厚だ。伊勢神宮前という日本屈指の門前町で食べるラーメンも、メニューを見ると和風で味が薄めの仕上がりのように見えたが、実際にはガツン系ラーメンと言いたいくらいの味の強さ、美味さだった。仏教とは違い肉食もありの日本神道だから、門前町でもこんな濃厚味もありだよなと思う。長野の善光寺前門前町でこのラーメンが出ていたら、坊さんたちが目を向いて怒るかも?というくらいストロングなケモノ味だった。(まあ、最近の坊さんたちは肉食妻帯制限ないみたいだから、アリなのかもしれないが)
できれば関東圏に進出して多店舗展開してくれないかなあ、と素直に思ったうまさだ。伝統にあぐらをかかず、新規なものをとりいれる。お伊勢参りが廃れない最大の理由がそこにあるような気がする。エンタテイメントビジネスは、昔から変わらない定理で動いているのだね。

食べ物レポート

茅野 並んでも入る、そばの名店

2017年の記憶 #16 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

中央高速諏訪インターを降りて、ビーナスラインで蓼科方面に進むと、レストランや食堂が何軒か固まっている場所がある。蓼科湖のちょっと手前にあたる。そこに行列のできる蕎麦屋がある。店自体が小ぶりなので、収容人数が少ないこともあるが、やはり蕎麦の旨さが行列の原因だろう。駐車場は10台くらい入るのだが、席数は5台分くらいしかない。つまり、駐車場満車は、行列待ちが発生ということになる。週末ともなれば開店時から満車が当たり前で、待たずに入りたければ平日の2時過ぎくらいを狙うしかない。冬になれば、少し行列も減るが新蕎麦目当ての客も多い。蕎麦道楽を自認する以上、行列に負けるわけにはいかない。

注文するのはシンプルにもりそばにすることが多い。ただ、ここのもりそばは2回に分かれて出てくる。一度に出すと、食べているうちにそばが伸びるのを店主が嫌っているとのこと。一人前が半分ずつに分かれて出てくる。おまけに、こちらの食べ具合を見ながら2回目を茹でるそうなので、一枚目の盛りが無くなるのとほぼ同タイミングで二枚目が出てくるという神業だ。行列ができるわけだ。蕎麦は当然手打ちなのだが、手打ち蕎麦屋にありがちな、「蕎麦はうまいがツユがヘタレ」ということはない。かつお出汁が強めの濃い味で、蕎麦とのバランスが良い。お江戸の老舗の蕎麦屋の味に近い感じがする。
長野にはたくさんの蕎麦屋があり、それぞれが個性的というかバラエティーがある。その中でも、蕎麦としての洗練さで評価するのであれば、この店を一番に推したい。ビーナスライン沿いだけでも超高級な店から、名物わさび蕎麦が推しの店、田舎蕎麦の店など蕎麦屋だけでも選ぶのに困るほどだ。松本、あずみの、長野、戸隠、高遠、開田高原などなど蕎麦名所が多過ぎて、長野で蕎麦を堪能するには、正直に言って時間が足りない。それなのにそばの名所は長野以外でも、山形の大石田そば街道もあり、福島の山都や兵庫の出石そばもあり、行きたいところはそれこそ山のようにある。そば道楽を極めるのはなかなかな悩ましいものだ。

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神社と酢豚の微妙な関係

2017年の記憶 #15 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

神社巡りは昔から好きだった。出張や旅をしたときには、時間が取れる限りその地の神社にお参りに行っていた。ただ、奈良の神社は高校生の修学旅行で、かなり嫌な体験をしたこともあり、基本的に「NO」としていた。これだけを歳をとれば時効にしても良いだろうと思い直し、「あおによし」南都の神社に行ってみることにした。大和朝廷がどこで誕生したのかの議論はさておき、成立した当時の大王の一族は、この奈良の南部を中心に勢力を張っていたのだろう。だから三輪神社は朝廷の主流一族の氏神として、最高権威を持っていたはずだと思っている。現在の奈良中心部は仏教勢力によって締められているが、平城京の時代に起きた神仏の勢力争いの結果だから仕方がない。そのため奈良中心部から奈良の南の外れにある三輪神社に行くのは、なかなか大変なのだ。神社勢力が勝てば、この三輪神社周辺が都の中心になっていたはずだ。それも6−7世紀の政治の影響なのか、などと感慨深く思った。

この写真

三輪神社の周辺は駅前に多少飲食店がある程度で、賑やかな門前町という感じはしない。平日午後となれば、実にのんびりした気配になっていた。名物三輪そうめんを食べてみたい、などと考えていたが、それらしき店も見つけられないまま奈良中心部まで戻ることになった。
結局、昼飯は近鉄奈良駅近くのアーケードを歩いて、あおによしな和食店を物色してみたが、いつもどおりに町中華の店にふらりと入ってしまった。賑やかな店で活気があるのは良いが、奈良らしさみたいなものはまったく存在しない。注文したのはこれまたいつも通りの酢豚定食だった。
なぜか神社に行った後、中華料理屋に入る確率が高い。そして大体は酢豚を頼んでいる。何やら神様が酢豚を食べることを推奨しているような気もするが。きっと日本にいらっしゃる八百万の神様の中に、大陸中国起源で豚の守護者みたいな方が存在するに違いなく(恵比寿様とか福禄寿がそう言う外来帰化系ですねえ)、その方に付き纏われていると言うか、背中にずっと乗ったままにされているような気がする。酢豚の神様だから南方系、つまり広州あたりから海を渡ってきたのだろうか。まあ、これは酢豚の呪いというより福音と考えるべきだろう。

【訂正】この酢豚の写真を大阪みなみで食べたと勘違いして、先日使ってしまいましたが、奈良の中華料理屋でたべたものでした。訂正します。あまりにあちこちで酢豚を食べ過ぎたため、記憶が混乱していました。弁解してもしょうがないのですが、酢豚のルックスは日本全国どこに行ってもあまり変わらないので・・・。すいませんでした。

街を歩く

浅草 神谷バーまでふらりと

2017年の記憶 #14 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

神谷バーを目的に浅草に行くことはない。ただ、浅草に行ったら神谷バーには必ず寄りたいと思っている。帰り道の地下鉄入り口近くで、神谷バーの中を覗くと、十中八九は満席で空席待ちの長い行列ができている。たまに、本当にたまに、席が空いている時は宝くじに当たったような気がする。

最初に注文するのは生ビールではなく、名物「電気ブラン」に「追い水」と決めている。2杯目からは気まぐれに、黒ビールにしたり日本酒熱燗にしたり、その日の気分次第だ。電気ブランのいわれは有名だが、この飲み物が開発された頃は「電気」が時代の先端を意味する流行り言葉であったそうで、そこにブランデーベースのアルコール飲料ということで電気ブランになったようだ。
今で言えば、デジタルとかサイバーとかのカタカナ語やDXみたいなものだろう。サイバーハイボールとかDXソーダみたいなネーミングなので、時代は変わっても飲食店のメニュー名の付け方なんて、そんなちょっといい加減な感じで決まるものらしい。
酒の肴には和洋中なんでもあるのが東京下町風だが、平たく言えば居酒屋メニューに下町洋食が混じっている感じだ。だから、煮凝りと電気ブランの組み合わせができる。この組み合わせの酒と肴が合うかと言われると、頼んだ自分も首を傾げる奇妙なものだが、記憶の中では失敗した感覚がないので、多分美味しくいただいたのだろう。
我ながら不思議に思うのは失敗した食べ物、飲み物の組み合わせの記憶ほど強く残るもので、「あ、これまた食べたい」というような成功体験はすぐ忘れてしまう。確か、この後は締めナポリタンを注文したようなうっすらとした記憶もある。記憶がうっすらとしていると言うことは、旨いなあと思っていたはずだ。当時は、店内はタバコの煙がたっぷりだったが、今の神谷バーは全席禁煙になっているはずで、愛煙家の下町シルバーの方達はどう対応しているのかもちょっと気になる。そろそろ神谷バーを目的に浅草に行ってみようか。

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記憶に残るラーメンが蕎麦の地「安曇野」に

2017年の記憶 #13 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

安曇野の近くに、松本の老舗ベーカリーの支店があり、そこにパンを買いに出かけた時の発見したラーメン店だ。安曇野といえば蕎麦の名店が揃っているところで、当然「今日のランチは蕎麦だ」と決めていたのだが、ロードサイドのラーメン屋の看板に釣られてしまった。駐車場に車を入れたのは昼のピークを過ぎたあたりだったので、竜車上も空きが目立つ。店内もそれなりに空いていたのだが、なんとなく「この店はいけるかも」という勘が働いた。そもそも最近では変わっているかもしれないが、長野ラーメン、信州ラーメンという言葉を聞いたことがなかった。やはり蕎麦王国でラーメン文化は弱小勢力なのね、と思っていたのだが、長野県で独立勢力が「信州ラーメン独立軍」として頑張る時代になったようだ。基本的に信州味噌を使った濃い味のラーメンが多いような気がする。

豚骨の味噌味という難しいジャンルで、予想以上にうまいものに出会ったぞ、というのが第1感だった。味玉に自信ありということだったが、これもしっかりと味が染み込んだ一品で、何より感動したのが大きな海苔の勇姿だった。ラーメンを頼む時、追加トッピングで海苔を頼むことも多いノリ好きとしては、この一枚海苔はまさしく感動ものだった。
ただ、食べ方が難しい。スープに浸かって柔らかくなった部分を食べ、残りの海苔をスープに漬け込み、柔らかくなったらまた食べるという繰り返し。ラーメンを食べていながら海苔に満足を覚えるのは初めてかもしれない。

ネットでチェックしてみたら、上田が本店らしく、このご時世でも元気に営業しているようだ。そうとなれば、今年の夏は安曇野で蕎麦とラーメンの連荘だ。