街を歩く

渋谷散歩 奥渋で看板探し

JR渋谷駅の駅名は看板位埋もれてしまった

年に何回か所用で朝早くに渋谷に行く。商業都市渋谷は朝の目覚めが遅いのか、8時前では歩く人も少ない。渋谷駅の看板を写真に撮るには絶好の時間だ。日本で屈指の歩行者数の多い場所だけに、駅ビルや駅舎に貼られている巨大広告はその時期特有の「世のあり方」を映しているような気がする。一年前の広告物はオリンピックのカウントダウンだった。時代を映し出す醜い鑑と思うこともある。
配信型動画サービスが拡大し続けているのは、現在のテレビが機能不全に陥っているからで、有料動画配信サービスはその機能不全のテレビのエンタメ機能が置き換わったものだ。オリンピック前はコロナ批判を繰り返し社会に恐怖を煽り、オリンピックが始まれば手のひら返しで全局あげてのオリンピック礼賛に呆れ果てた。
だったらエンタメだけやっていて報道など偉そうな物言いはやめれば良いのだ。そもそも親会社の新聞社がオールドメディアで、機能不全どころか中立的な報道機能が崩壊しつつある。政府支持か反政府かに分かれたファンクラブの会報みたいなものでしかないだろう。だから、オールドメディアの子会社であるテレビ放送局は劣化バージョンの扇動しかできない。偉そうに人様に意見を垂れるより、視聴率稼ぎの芸能スポーツに特化して、沈黙すれば良いのだと思う。
出来の悪いエンタメ番組を垂れ流すテレビより、有料配信の質の良いエンタメに流れていく人が多いのは当然だ。ラジオがテレビに負けたように、テレビはネット配信に負ける。勝てるはずがない。要はまたもやメディアの世代交代の時期が訪れたということだろう。
在京局ではテレ朝やフジテレビがいくら頑張っても、所詮は日本ローカルだ。ディズニーという世界資本のエンタメ企業には勝てるはずもない。世界企業に対抗できるのは、国民から強制的に課金徴収している某公営放送だけだ。その某公営放送がある渋谷駅の広告がこれなのだから笑ってしまう。

渋谷のランドマーク、ハチ公が立つ駅前広場に面した東急百貨店も、ついに取り壊しが始まった。何年かすれば、高層ビルに置き換わるのだろう。渋谷は谷底の街で、その1番の底がJR渋谷駅だが、駅の周りの東西南北全方位で高層ビルが取り囲むようになる。だったら高層ビルの屋上を使って屋根でもかけて、渋谷の街全部を全天候型都市に変えて仕舞えば良いのに。空が見えない街は、渋谷ににあっているような気がする。

渋谷駅から北側に5分ほど歩き東急百貨店本店を超えたあたりが、渋谷という街の外れになるのだろう。その先は某公営放送の本局があるので、渋谷というより代々木になる。この渋谷の北側の端っこが、どうやら「奥渋」というらしい。街頭に奥渋と書かれた旗というか不思議な垂れ幕がたくさん下がっている。渋谷中心部はすでにほとんどビル化されているが、奥渋は低層階のビルが立ち並ぶ程度で、中には二階建ての住居も残っている。渋谷の辺境とでもいうべきだろうか。

そんなおとなしい雰囲気の町にかわるあたりにレストランビルができていた。各階ごとに特徴あるレストランが入っている。なんだかバブルの頃を思い出す、レストラン専門ビルだった。想像するに、これもビルが出来上がった頃にコロナの影響で用途が変わったというか、テナントが集まらなかった、みたいないわく因縁がありそうな感じだった。

壁面いっぱいを使った看板は、なんだか沖縄風で異国感がある。渋谷の街中のゴミゴミした感じとは、ちょっと色合いというかテイストが違う。センスあるというべきなのか。早朝だからイメージが湧かないが、夕方の薄暗くなったあたりに来ると、なんだか全然違う印象になるだろう。奥渋は朝しか訪れたことがないので、今度は夜にぶらぶら歩きしてみるのもよいかな。

最後に、とてつもなく気になった看板というか店舗がこの「ガガナラーメン」で、あたまのなかで???が爆発してしまった。ガガナとはなんなのか。そもそも日本語なのか。看板を見るとGaGana Ramen 極 とあるからには、どこかに普通のがガナラーメンを売っている店があり、そこと比べて極上品質だから、極ということなのだよね、それでどこが極みな訳?と聞きたくなる。謎だ。謎が謎を読んでいる。そして、奥渋にはこんな謎の店がゴチャマンとある。街自体が謎な存在だとも言えるか。やはり夜の奥渋ぶらり散歩は決行しなければいけないなあ。
渋谷は南側の桜ヶ丘あたりも謎が多いので、2回ほど夜遊びに来ることにしようか。

街を歩く

二の酉に行ってきた

靖国通り側は出口専用だった。

新宿花園神社の酉の市は、毎年とは言わないが、比較的頻繁に参加していた。参加していたというのは「商売繁盛」を願い熊手を頂戴しに行っていたからだ。ゲン担ぎでしかないと、当時は社内の誰かれに言われていたらしい。確かに、ゲンを担ぎたくなるような状況だったが、それでも年末のお祭り気分が楽しくて、よく通ったものだ。熊手を頂戴すると、拍子木を叩いて「応援」してくれるのが楽しみだった。

そんな商売繁盛のお祭りがコロナに負けて昨年は中止。今年はどうなるかなと思ったら、縁日的な屋台はないが、お参りと熊手販売は行っているとのことで、二の酉に出かけた。日曜の夕方だが、コロナの後だしたいして混みはしないだろうと、たかを括っていたら大外れで、とてつもない大行列にハマってしまった。

大量の提灯と熊手に圧倒されるが、どうも聞こえてくる拍子木の音がまばらで、不安になる。お参りの行列は長いが、人声はあまりしない。神社の参詣客は、それほど大騒ぎしたりしないとは思うが、人の数の割にはおとなしい気がする。これがコロナにどっぷり浸かった令和スタイルだとしたら、お祭りの形もすっかり変わってしまいそうだ。
縁日のないお祭りは寂しいものだと思いながら帰りかけたら、出口の周りにだけ昔懐かしの屋台が出ていた。イカ焼き、焼きそば、景品クジ引きなど定番屋台がそろってあるが、客引きの声もなく静かなままだった。
なんだかなあと思いつつ、来年はもっと賑やかになるだろうと期待して、熊手をふりふり帰ってきた。

食べ物レポート

松本のあめ

松本名物が飴だと知ったのは先月松本を所用で訪れた時のことだ。松本そば祭りは何度も行ったことがあるので、蕎麦が名物というのは知っていた。松本に行くのはほとんど車移動だったので、駅の土産物屋に立ち寄ることもなく、その手の情報を全く手に入れていなかった。豊科にあるわさび農園はよく行っていた。わさび菜が欲しくて、夏になると足を伸ばしていた。そのわさび菜の漬物が駅前の直営店で売っていることから、わさび商品も観光名物土産だとは分かっていた。しかし、飴ねえ。

ネットで調べてみると飴屋は老舗が多いようだ。駅前からちょっと歩くと何軒かあることがわかった。だが、平日は休みの店もあり、おまけに自社ホームページがないところも多い。ネットで住所くらいはわかるが、その店の名物みたいな情報がなかなか見つからない。まさかどの店でも同じ飴を製造販売しているわけではないだろう。
それでも、なんとかネット情報で見つけ出したのは、松本駅のキオスクで何軒かの飴を買えるらしいということ。飴探索の手始めに朝早くに駅に行って、まめ板というものを手に入れた。食べてみるとピーナッツが入った、うっすらと甘いせんべいのような感じのものだった。水飴でもち米を練り上げたもののようだ。カリッとして、さっぱりとした甘味というのはなかなかめずらしいものだった。飴というよりは「飴菓子」という感じがする。夏場は溶けるので注意みたいなことが書いてあった。確かに、これが溶けたら団子になってしまう。夏の土産には向いていないことはわかる。ただ、ちょっとクセになる食感で、今まで知らなかったことは残念だった。

その後に駅から10分ほど歩いたところにあるおしゃれなお店で「あめせんべい」を買った。綺麗な箱に入っているが、手に取ると妙に軽い。この箱の大きさであれば、それなりにずしっときそうなものだが。

中身を取り出すと、なるほどなあという感じがする。せんべいというよりおぼろ昆布みたいなもので、おそらく綿菓子のように砂糖を薄く伸ばしたあめを何層にも巻き取ったような感じだった。

横から見てみるとよくわかるが、凧糸を巻いたようなものに似ている。取り出して食べてみると、薄い飴を伸ばして巻いたもので、幅1cm程度でパリッとわれる。口に入れるとパリパリと砕け、ミルフィーユ状というか薄い層が何重にも重なっているのがわかる。確かにせんべいと言われれば、なるほどと思う程度に薄いあめだった。
これは袋で持ち歩くとあっという間に粉々になる。箱に入れて、そっと運ばなければ、薄い飴の食感が台無しになる。取り扱い厳重注意の危険物的土産物だ。
まめ板もあめせんべいも、自分の想像する飴とは全く違っていた。菓子というより芸術品に近い。松本は文教都市だと聞いてはいたが、こうしたところに現れるのがやはり文化として本物の印だな、などと上品な甘さの飴を食べて思ったことだ。湧き水と蕎麦と飴、松本はしばらくでいいから住んでみたい街だ。パルコもあるしね。

街を歩く

半額の威力 思い知ったなあ

バーガーキングが時々やっている「ワッパージュニア半額セール」は面白い仕掛けで、午後2時からスタートする。ランチには購入できないという時間限定の仕組みだ。ネットのニュースでキャンペンーんのことは読んでいたが、すっかり忘れていた。たまたま近場のバーガーキングの前を通りかかったら、店頭にポスターが一枚掲示されていたのをみて思い出した。時間は午後3時半過ぎ、対象時間になっていた。一度は通り過ぎたのだが、思い直してポスターを確認した上で店内に入った。

朝から晩までかかっているバナーやポスターには半額セールのことは触れられていない。そもそもバーガーキングの大ファンでもない限り、ネットニュースで乗る小さな記事にどれだけ客が反応するものかと思っていた。店内に入ると5−6人が商品待ちをしていた。昼のピークを過ぎた午後にしてはずいぶん人数が多い。従業員の数が足りていないのかなどと思っていたが、待ち客の商品を手渡すときに、商品と数量の確認をするのが聞こえてきた。なんと全員がワッパー待ちだった。自分が注文した後も連続して客が入ってきた。カウンター前の隅っこで待っていたので、注文が全部聞こえてくる。5人全員がワッパーだった。
ワッパージュニアを一個だけ注文した客が3人、ワッパージュニアだけ2個が一人、ワッパージュニア4個とサイドアイテムで900円くらいの注文が一人。5人の客単価は300円程度だから、通常の半分以下だろう。これでは売るだけ損するレベルだと思った。
しかし、何よりも驚いたのが半額のバーガーを一個だけ注文できる客のメンタルの強さだ。鋼のメンタルという言葉がうかんできた。すごいことだと感心した。それ以上に、ワッパージュニアの連続コールに負けず、厨房ではたらく製造担当者の精神力に同情してしまう。結局、コロナの後の外食市場の惨状は、こうした極端なディスカウント策を生み出すのだろう。
そして、その策に乗るのはバーゲンハンターと言われる、普段は利用しない人たちが中心になる。次回の定価販売でのリピートを期待して広告宣伝費と割り切れれば、半額セールスもありかもしれない。ただ、大多数の客は半額以外の時は近づきもしないはずだ。洋物ファストフードはコロナの自粛時期も、それなりに健闘してきたはずだが、客寄せパンダは半額セールしかないのかとちょっと寂しい気もする。
それでも看板商品のフルサイズ・ワッパーはディスカウントの対象にしないのは偉いなと思っていたら、どうやらワッパー2個で1000円というハイエンドのバリュー策をやるとのこと。なんだかなあと思いつつ、バーがキングは好きなので、頑張って欲しい。

駅弁

東京駅で駅弁

これは津軽弁なのか南部弁なのかちょっと悩むお国言葉らしき宣伝文句
なんとなく理解できるので、おそらくは津軽弁だろう

JR東日本の駅弁味の陣が後半になった。所用のついでにちょっと遠回りになるが東京駅経由で移動することにした。東京駅の目的は、中央コンコースにある駅弁屋で珍しい味の陣弁当をげゲットすることだった。東北北部からの出品で青森の駅弁を買った。新幹線で運べば3時間程度で東京駅に着くのだから、青森、秋田、岩手の駅弁はぜひ常時販売にしてもらいたいものだ。
などと思っていたら、JRが北陸新幹線を利用した生鮮輸送サービスを始めるとのニュース記事を読んだ。新幹線は上りの先頭車両を貨物専用に改造して生鮮食料品などの配送に使えば便利だろうし、その中に駅弁を加えて欲しい。特に北東北の駅弁には好みのものが多いので、熱烈要望したい。

これで日本酒カップ酒 たっぷりいけるか?

青森の新鋭駅弁は、ご飯の上に青森名物の海産物や肉料理が乗ったミニ丼的なものが3種類で、付け合わせがあれこれちまちまと入っている。味付けは全体に濃いめだが、それは北東北の料理として共通項だし、自分の好みにあっている。全体的には米の量が多いが、どちらかというと飯を食うというより酒のつまみ的な要素が強い。個人的な思い込みだが、駅弁は比較的高価な弁当で、若い人であれば安価なコンビニ弁当を選ぶことも多いような気がする。駅弁ファンに高齢者の観光客が多いと思う。ましてやボリューム系の駅弁になると、酒の肴に調達する高齢世代、それも男性が多いのではないかと思うのだ。
先近の女性グループ観光客の多さにもかかわらず、女性向けのおしゃれっぽい野菜中心の弁当が少ないのは、駅弁屋の開発意識の問題なのかもしれない。平日に新幹線に乗るとよくわかるが、ビジネスユースとはっきりわかる黒い集団、カラスのようなスーツ集団は半分程度しかいない。これがボリューム系弁当の対象集団だ。
残りの観光目的らしい一人、二人での旅人は大半が女性だ。その女性旅人も年齢にはずいぶん幅がある。グループの人数が増えるとほとんどが高齢女性に見える。この辺りのニーズが取りこぼされているのは、車内で食べているものを見れば一目瞭然だ。

食べ物の商品開発の鉄則は買う人のニーズを知ることだが、「うちの商品を買わない人は、それ以外の何を食べているのか」を研究しないと、蛸壺的な企画しか出てこない。駅弁の問題点は、そこにあるような気がしている。味付けに限らず、見た目や素材、カロリーや糖質の情報など、アピールすべきことは多い。その研究を嫌がっていては、ただただ値上げするしかない滅びの産業になる。その辺りの危機感が足りないのではないかなあ、飛べ詭弁を食べながら思うことは多い。

個人的には高齢のおっさん向け弁当は大好物なので、それがなくなってしまうのはとても困るのだけれどねえ。

街を歩く, 食べ物レポート

新宿のくら寿司で一人飯

くら寿司、スシローがコロナ後を見据えた都心部の侵攻を進めている。都心部ではコロナによる閉店が相次ぎ、その跡地への出店が中心なのだが、一階にこだわらない立地政策は「自社ブランド」への強いプライドなのかもしれない。大手ファストフードチェーンでは二の足を踏む二階や地下への出店は当たり前で、3階以上の高層階へも出ていく出店意欲の強さが現れている。最盛期の居酒屋チェーンより強気かもしれない。

回転寿司に入って最初に注文するものは何かと尋ねられるとすれば、答えはほとんどの時にはタコとイアということになる。普通の注文の仕方とは違うのかもしれない。これは自分の好みでもあるし、寿司は味の薄いものから濃いものへ順番に頼むという定説にもあっているはずだ。ただし、個人的にはスシを食べる順番なんていうものにルールなんかないと思う。寿司を食べる順番なんてものは、高い鮨ををありがたがってたべるときに、客に対して暴君のように振る舞う店主が、おのれの権威づけのために流布したものだくらいに考えている。
そもそも握り鮨とは屋台で町の不良たち?が空きっ腹を満たすために立ち食いしたようなものがルーツなのだから、出自を誇れるほどの食べものではないだろうに。好きなものを好きな順番で腹一杯になるまで食べる、これが鮨を食う時の唯一のルールではないか。
などと力説しても、最初に注文したのはオニオンリングだった。これはさすがにルール違反とまでは言わないまでも、ちょっとお行儀が悪い気もする。このオニオンリングに醤油をかけて、ハイボールのつまみにした。この食べ方で行くと、気分的にはインターナショナルな回転寿司屋になる。ロスアンゼルスのリトル東京で回転寿司屋に入ったことがある。アメリカでスシブームが一気に広がる最初の頃だった。そこでカリフォルニアロールを食べた時に感じた、違和感と日本と違うスシの楽しさみたいなものかもしれない。

次の皿は、あっさりあじでコリコリ食感のツブにした。貝類では鮑の次にこれが好きだ。残念ながら回転寿司で出てくる鮑は、鮑の一族ではあるが、アワビではないものが多いので注文するのに慎重になる。もっとも、このツブも世界のどこからやってきたツブなのかは知らない。つぶの一族ではあると思うが・・・。

いつもの定番タコとイカに、ウニ風味のツブが乗った軍艦巻きを注文した。最近の回転寿司の創作ものといえば、変わり軍艦巻きが定番だ。カルビやハンバーグから始まったネタの変化と進化は、最近暴走気味だとは思う。、ああ。それも今の時代の回転寿司の楽しみ方だ。
だいたいこの辺りで胃袋の余裕がなくなってくる。胃袋のキャパを考えれば、魚のスシを頼むには、相当シビアな選択がいる。光物を注文するとしても二皿は難しい。サバとアジを頼むとコハダは諦めなければ・・・的なやりくりの話だ。締めの海苔巻きの余裕を残しておきたい。などとあれこれ考え始めてしまう。最近では職人が握るおまかせコースでも似たようなことになり、あと何貫出ますか?などと間抜けな質問をしてしまう。
この日も予定通りというか、この後二皿追加で終了したのだが、くら寿司の非接触型カウンターは女性に大人気で、15人近くがすわれるカウンター席のほとんどが女性だった。両隣にいたかなりお若い女性も快調にくら寿司名物のルーレットゲーム音をさせていた。一回のゲームは5皿が必要なので、少なくとも10枚、多分15枚は注文していることになる。若い女性にも健啖家は多いのだなあと思いつつ、昔に流行していた肉食系という言葉が脳裏をかすめた。回転寿司の大食い女子のことはなんと表現するのだろう。多皿系とでもいうのだろうか。令和の時代の多皿系女子、頼もしい限りだな。

ガジェット

ダイソーのBTスピーカー

ネットのニュースサイトを、新聞の朝刊を読むのと同じように、朝イチで巡回している。コロナの環境下で身につけた新しい習慣だ。以前は業界紙も含め三ー四紙を購読していたが、偏向報道やら趣向の違いやらの事情で購読をやめた。新聞を読まなくなっても、ニュースサイトを巡回するとだいたい世の中の情報にはついていけるようだ。
ただ、ニュースサイトの記事の選別ロジックにはずいぶん偏りがある。もともと政治経済記事を中心に読んでいたので、選択されたリストのお尻まで読んでもすぐに終わっていた10分程度だったと記憶している。ところが、いつの間にか選択記事が3倍くらいに増え、おまけに記事の大半が外食ブランドの新商品情報、100均のお目玉商品、そしてキャンプ道具が占めるようになった。
政治経済の記事が減ったのではないようで、政治欄、経済欄を見て確認すると上位の記事は全て選別されて網羅されている。逆にエンタメ、スポーツ情報はほとんど出現しないので、見出しから呼び出した記事・トピックスが抽出ロジックの基礎になっていることは理解できる。しかし、朝イチの10−15分で読み終わっていたものが、今や1時間を超える量になってしまった。これは、まずい。想像するに政治経済記事ではものが売れないが、外食新商品、100均の目玉商品などの記事は、実購買につながるので広告効果が高いというバックロジック、大人の都合があるのだろう。今回は、その広告記事もどきにころっと引っかかってしまった。

だいたいの寸法 縦7cm 横10cm 奥6cm

我が購読ニュースサイトにおいて現在進行形で記事量が急拡大している、100均商品情報もなかなか役に立つ。ダイソーのBT(ブルートゥース)スピーカの新作770円が絶賛売り切れ中で、見つけたら即買いましょう的な宣伝記事だった。妙に記憶に残った記事だった。そして、たまたま入ったダイソーで現物を発見してしまった。即買いにはならなかったが、しばし悩んであれこれ考えた末に買い込んでしまった。迷った原因は、すでにBTスピーカーを二台ももっていたからだ。色は、青と白とピンクの3種類がある。当日は白が売り切れていた。小型のラジオ、それも昭和初期的な風合いで可愛らしいというのが記事のおすすめポイントだった。

スピーカーは直径が3cm程度なので、抜群の音質というわけにはいかない。ダラダラと音楽を流しっぱなしにする程度であれば問題ない。ノイズもないし音割れもしない。お値段以上・・・と考えて良いと思う。スイッチは左からオンオフ、楽曲を進める、止める、戻すと極めてシンプルだ。下に空いている二つの穴はUSB充電とマイクロSDの差し込み口になっている。BT接続で音源接続するのが基本だが、マイクロSDにいれたMP3でも再生ができる。ボリューム調整は右側のツマミを回す。
実は、ダイソー製スピーカーはこれが3台目になる。1台目は外遊びをするときに使おうとして買った。手のひらよりも少し大きいもので、昔のカセット式ウォークマンを思い出させる。愛用していた二代目ウォークマンに感じが似ているので気に入っている。2台目はお風呂で使える防水スピーカーで底面に吸盤がついているというもの。そしてこの三台目がベッドサイドに置くとか、机の上に置くといったちょい使い用という感じになる。スマホに入れた楽曲をさらっと聴くにはちょうど良い。
最近では、iMacで仕事をしながらamazonミュージックをかけることが多く、コンポでCDを聴くことは稀になった。ラジオであれば専用機を使っているし、音を聞く環境が全く変わってしまった。音響メーカーが次々と消えていくわけだ。

久しぶりに良い買い物をした。ニュースサイトのロジックのおかけというべきか。今回の1番の学びは、テレビのCMにのせられて購買していたのと、webニュースにのせられて購買するのと、時代の流れにあわせてメディアは変わっても、自分の行動は歳をとったにもかかわらず軽薄で変わらないのだと認識させられたことでありました。

食べ物レポート

普通にうまい 富士そばの話

最近はすっかり使っていなかった富士そばのお話だ。つまらないこだわりの話でもある。所用で渋谷に朝早く行った時、今日は絶対に朝そばにしようと決めていた。渋谷には何軒も立ち食い蕎麦屋があるが、会社勤務時代にはずっとお世話になっていた「富士そば」にいくことにした。生まれて初めて富士そばを使ったのは、二十代前半に上京してきた時のことだから、ずいぶん昔になる。正直にいうと、とてつもなく美味いと思ったわけではない。ただ、普通に美味いから、いつでも便利使いしてきた。朝早く、夜遅く、イレギュラーな時間帯での食事にはとても重宝した。首都圏には大手立ち食いそばがいくつかあるが、山手線西側では富士そばがメジャーだ。大手町、虎ノ門あたりに行くと小諸そばとかそば太郎などが多い。駅の立ち食い蕎麦は沿線上に系列店が並ぶため、利用する私鉄によって店が異なるのも首都圏アルアルだろう。西武線は狭山そばだった。個人的には東横線の蕎麦が好みだが、市内にある立ち食いそば店と言えば「富士そば」一択に近かった。

その富士そばが、時々面白い相手とコラボする。PSゲームソフトの「龍が如く」とのコラボは楽しみだった。コラボ商品が実にユニークでいつも笑ってしまう。実食をしたこともあるので正直モードで言えば、名前はすごいが中身は普通というのが感想だった。それでも、日常食の立ち食い蕎麦をネタにできるというのは密かな楽しみだと思う。どうやら今回はコラボ相手がテレビ番組らしい、と店頭のバナーを見て最初に思った。ただ、この絶叫しているとおぼしき女性が誰だかわからない。ひょっとして、富士そばの従業員か?などと考えていたら、どうやら主演女優のようだ。そしてコラボ商品を確かめると、この方とはなんの関係もないようで、老後の資金がなくても食べられる安心価格ということのようだ。うむ、謎は解けたが、悩みは解消されていない。なぜ、このコラボ?相変わらず富士そばは謎が多い。

結局、このコラボ商品であるワンコインプライスの「そばとハーフ丼のセット」を注文した。最初から完食できるか怪しいぞとおもいつつ食べ始めたが、やはりごはんは完食できずに終わった。上に乗った辛い豚肉はそれなりに美味く、ミニ丼としてはバランスが良いものになっていた。丼の具材としては少なめなので、どちらかというとご飯のお供、ふりかけを肉トッピングに変えたというかんじだった。そばは普通のかけそばだが、これが今日食べたかったものだから文句はない。

お安いご飯セットを頼みながら、どうしても諦めきれずに注文してしまったのが紅生姜のかき揚げだった。カロリーが・・とか、脂が・・、とか色々と思うことはある。しかし、紅生姜の天ぷら・かき揚げはそうした健康常識を押しのけるほどの威力と魅力がある。大阪南部で生まれて初めて、紅生姜の天ぷらを食べた時の衝撃は忘れられない。大阪南部は、大阪北部とは違うスーパーローカルフードが存在すると学習するきっかけになった。
立ち食いそばのかき揚げの凄さについては色々と語るべきポイントがある。が、特に強調したいのが、蕎麦を食べ進め後半になる頃に、衣がつゆを吸い込みぐずぐずに溶け出していった状態のことだ。丼の中がオートミール状態になったあたりが一番うまいと思う。たぬきそばでも似たような現象は起こるが、とろけてぐずぐずになった衣の絶対量が足りない。やはりかき揚げが優位だ。
そして、そのお粥状になったそばつゆをおかずに白飯を食べる。今度は米がうまい。ほぼ禁断の食べ物だ。イカ天もこのノリで食べることがある。立ち食いそばのイカ天は例外なく衣が分厚いので、はっきり言って衣のぐずぐずを楽しむための食べ物だ。これが、ゲソ天になると衣の絶対量がさらに増えるので尚よろしい。仙台とか山形ではげそ天が立ち食い蕎麦屋のデフォルトアイテムで、ずいぶん楽しませてもらった。東京周辺ではイカ天がメインでゲソ天はサブどころか控えのメンバーに入れてもらえないことが多く、今後の活躍を期待したい若手扱いだ。がんばれ、ゲソ天。
結局、この日は立ち上がるのも苦しいほどの満腹感を、朝一から抱えてしまい、どうにもならない1日のスタートになってしまった。おまけに、お安いはずのコラボ商品を頼みながら散財してしまったという後悔も残り・・・。それでも久しぶりの立ち食いそばはうまいなあと思った朝でした。

街を歩く, 食べ物レポート

神田 まつや・・・粋に和む

所用で神田に行った。この街はたまに行きたくなる。老舗の食べ物屋が並んでいるせいもある。神保町から散歩がてらぶらぶらと歩いてこの街にくるのがちょうど良い距離だということもある。神田は東京駅近くのオフィス街だが、下町の風景が点在している。大阪で言えば天満や福島もこんな感じかもしれない。

さて、神田といえば、直感的に思いだすのは蕎麦屋だ。それも江戸時代から続く不良のたむろする怪しい店としての蕎麦屋で、食事処ではない方の蕎麦屋だ。神田で言えば薮とまつやが代表格だと思うが、松屋は表通りに面しているせいかオフィス街の飯屋的な見え方もする。ランチの時は特にそうだ。ただ、ランチが終わった2時くらいから、どこからともなく怪しいオヤジとオバサンが集まってくる。一人か二人でひっそりと酒を飲んでいるのが共通点だ。逆にいうと若い方は普通にそばを食事として食べてさっさと帰っていく。

コロナですっかり昼酒対応が当たり前になったが、ちょっと前までは昼酒は相当難度が高い飲み方だった。居酒屋でも定食を肴に酒を飲むという光景はほぼほぼなしだったはずだ。それが、夜の営業を止められて昼にはみ出してきた昼酒飲みは、店側と客側の阿吽の呼吸という感じで広まっていった。ただ、そのコロナ前の平和な時期でも、例外だったのが蕎麦屋と鮨屋だろう。特に、蕎麦屋は混雑時を避けて昼下がり的な時間であれば、それなりに平気で酒を飲めた。軽くつまみを注文して、その後ささっとざる蕎麦ひとつみたいな感じで帰っていく。お江戸の不良の飲み方だろう。

だから、ビールを頼むのはちょっと野暮かななどと思う。まあ、気分の問題なのだけれど、蕎麦屋で飲む酒はぬる燗の日本酒と決めている。夜であれば、ビールでスタートというのもありかなとは思うが、昼酒はぬる燗一択だ。夜飲みの時はぐい呑みが良い。大振りの器でグビグビ飲みたい。だが、昼酒の時は猪口に限る。小ぶりな猪口に半分くらい酒を注ぎ、ちびりちびり飲むのが昼の蕎麦酒のやり方だと思っている。店内では、たまに他の客の会話が聞こえてくるが、基本的には静かなものだ。昼酒で酔っ払って大声で喚き散らすのは格好が悪いと思う。まあ、そんなダメオヤジも多いことは確かだけれど。蕎麦屋の昼酒は、一人で静かに、スタイリッシュに飲んで欲しいものだ。

さすがの老舗だけあって、席を仕切る板もアクリル板という無粋なものではなかった。店内と調和しているので、まるで昔からこういう仕切り板があるような気がしてくる。記憶に定かではないが、昔はメニューが紙の閉じた帳面のようなものだった気がするが、今はスタンド式になっている。これも非接触対応の一つなのだろうか。まあ、孤食で默食は危険度が低いそうだから、蕎麦屋の昼飲みがもう少しオヤジとジジイの間に広がるかもしれない。ただ、ジジイの大半は命惜しさの臆病者が多いはずだから、あまり家から出てこないかもしれない。コロナが終わっても飲食店の苦闘は続くのだろう。だから昼飲みでお応援だ。

食べ物レポート

日高屋でちょい飲み復活

好物イカフライ 居酒屋でありそうでないメニュー

中華料理屋日高屋がようやく常態帰した。元々は全国ご当地ラーメン屋だった日高屋が、中華食堂に代わった後でチョイ飲み屋になった経緯は色々とあるのだろう。多店舗展開が一気に進んだのは日高屋ちょい飲み業態になってからだと思うので、変化を続けることは大事だ。ただ、成功コンセプトとして一度確立すると、そこからの変化がまた難しくなる。成功体験が進化を縛る。その縛りを解き放つには、一度手痛い失敗というか逆境に会う必要がある。成長の第二ステージというのは、そういう苦しみが養分になるようだ。たまには、その痛みに耐えかねて枯れてしまうこともあるが。今回のコロナ禍というものは、居酒屋を含めた夜の酒商売に手痛い教訓を与えた。これが第二の成長の引き金になることを願いたい。

爆弾炒め ネーミングが不思議だが、キムチ入りの辛い肉野菜炒め

去年の自粛制限・時短が緩んだ時には、昼飲みが増えていたような感覚があった。それが今回の禁酒・時短解除で、その流れが変わったような気がする。昼飲みするオヤジが減っている。当たり前だが、昼飲みは夜飲みの代替品だったので、みんな夜飲みに戻って行ったのかも知れない。
しかし、夜の街を歩いてみても、あの夜の猥雑さというか、酔っ払いが盛り場で賑やかに歩いている感じが全くしない。結局一年半にわたる禁欲生活は、社会から「酒を飲む楽しみ」をとりあげてしまった。確かに、酒は飲まなくても生きていける。飲まない人から見れば、酔っ払いの気がしれないというのが本音だろう。飲酒とは、馬鹿げた散財で、時間の無駄遣いで、おまけに体に悪いダメな習慣としか見えない。
タバコは煙が直接にかかってくるので、禁煙対策が先行しただけだ。次は禁酒が待ち構えている。ただし、人類にとって飲酒は喫煙よりはるかに古い習慣で、あまり信じられない伝説では猿の時代から酒を飲んでいた(らしい)。
だから、社会的禁酒はだいぶ時間がかかるだろうが、1970年代は禁煙大国アメリカですら、いたるところでタバコが吸えた。飛行機の中でもタバコが吸えた。それが50年経ってみたら、喫煙者は依存症扱いになり、タバコを吸う場所を探すのは都市伝説級のダンジョン攻略に似た困難さがある。だから、今から50年も経てば「飲酒は禁止」どころか「酒を製造、所持したら」犯罪になる時代か来るかもしれない。
そうなると日高屋も非合法飲酒施設になるので、ちょい飲みは廃業して、第3の進化が必要になる。とすると今のうちに、好物のイカ唐揚げと爆弾炒めを肴に、せいぜいたっぷりと酒を飲んでおこう、と言い訳をしながら遅い昼酒を楽しみました。