街を歩く, 旅をする

弘前でモーニングコーヒー

珈琲の街と書かれてある。ちょっと意外感があったのだが、文明開化の時代に弘前は津軽の中心地として、ハイカラ文化が花開いたそうだ。太宰治を生み出した冬の雪で埋め尽くされた平野と思い込んでいたが、先進的な農業で経済を活性化させた、つまり金持ちの多い文化都市だったらしい。今でも市内に数多く喫茶店があるようだ。

8時になるとようやく喫茶店が開店し始める。そんなモーニング営業をしている喫茶店を見つけて、散歩の休憩をした。朝のコーヒーは、やはり伝統的な(笑)喫茶店が良い。現代風の立ち飲み珈琲屋は好かない。コンビニコーヒーも、朝向きではない気がする。ただ、弘前城前のスターバックスは建物が昔の官舎を改造したもので、あれは風情がある。数少ない例外だ。

外観は渋い煉瓦造りで、これは最近の壁だけレンガ貼りました的な模造品とは違っている。本物の煉瓦を積んだ外壁だろう。

歴史的建造物として認証されている由緒正しきビルだ。大正から昭和初期にかけて、こうした洋風ビルディンが全国津々浦々で建設されていた。昔懐かしのモノクロ映画でよく登場する。

同じビルの中に、これまたおしゃれなラーメン屋が同居している。ただ、ここにはコロナ前の時期によく通っていた洋風居酒屋があった。居酒屋だったのか食事ができるバーだったのかはちょっと微妙だ。ともかく、シェイカーを振って作るカクテルが飲める店だった。弘前のお気に入りだったのだが、今はラーメン屋になっている。コロナで廃業したのかどうかはわからない。おそらく全国のあちこちにある、馴染みの店も大半が閉店しているのだろう、と思わされる光景だった。
このラーメン屋も一度は行ってみるべきだろうとは思うのだ。ひょっとしたら居酒屋が変身してラーメン屋になってはいるが、相変わらずカクテルが飲める店なのかもしれない。(そんなはずはないか)

喫茶店の中はカウンター席とテーブルがふたつというこじんまりした作りだった。一度来たことがあるような気もするが、記憶には残っていない。タバコの匂いがする、昔懐かしの喫茶店だった。

ブレンドコーヒーを注文すると、砂糖壺とミルクピッチャーが出てきた。これも、今は消滅したような光景だ。喫茶店で砂糖は細長い紙包装ものに変わっている。たまに角砂糖がコーヒーソーサーに乗っている店もあるが、それもすでに発見困難な化石喫茶店だ。
シアトルコーヒーの店は、たいていが使い捨ての砂糖、クリームetcで、あれはやはり喫茶店ではなく別のコンセプト、カフェというものだろう。朝の散歩途中に、こういう魅力ある「喫茶店」に立ち寄れるのは、文化高き街の証明だ。
8時10分もすぎると何人かのお客が入ってきた。皆さん常連のようで、カウンター内の店主と親しげに話を始める。聞くと話に聞いていたら、当たり前だが弘前語(津軽弁の中でも上級らしい)で、聞き取り不能語がだいぶ混じっていた。気分は石川啄木だった。言葉の意味はわからないが、何やら懐かしく聞こえる。北海道の高齢者が使うイントネーションに似ているせいだろうか。

店を出たら目の前にカレーのポスターがあった。ラーメン屋だと思っていたが、テイクアウト用にカレーを作っているようだ。ラーメン屋のテイクアウトでは商売にならなかったのかと気がついた。コロナの時代は、飲み屋だけではなく飯屋も大変だったのだな。

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弘前の夜の恐怖体験

夜の弘前をほろよいかげんで歩いた。いっぱいやった後なのでホテルの周りをぐるっと一回り程度の軽い散歩だった。上土手町という町名に、なんと話に感動してしまった。確かに川のほとりの街だから、こんな地名があっても不思議ではないが。
冬になるとこの案内板の半分は雪で見えなくなるのだろうか。

弘前駅に続く道に、夜遅いのも関わらずベンチに座っている女性がいる。遠目から見て、不思議に思った。近づいていくと、何やら上から下まで黒っぽいモノトーンで、あれれこいつは………
やはり生き物ではなかった。石の置物で、どうやらデザイン的な街の風景をおしゃれにする代物だった。何年か前に福井の大通りでジャズプレイヤーの像が、こんな感じでベンチに置かれていた。あの時は日中だったので最初から人ではない石造だとわかったが。
その後、どこかの町で同じ像を見つけて、なんと量産型のベンチ石像があるのかと、笑ってしまった。弘前のこの女性像?は、量産型ではなく一品もののような気がする。
しかし、夜にこれと出会うと、うすきみ悪い。人によっては、冷や汗を掻くほど慌てるかもしれない。

そこからもう少し歩いたところに、小さな皮に足を突っ込んでいる女の子がいた。これは、もはや怪談的な不気味さがある。夜にはもっとしっかりライトアップしてほしい。市の観光課なのか地域活性課なのか、あるいは街の商工会議所なのか、シティコミッションなのか。どこが責任を持っているのかはわからないが、昼にはなごむ石像も夜には恐ろしげになることを理解してほしい。せめてライトアップだけはしっかりとしようよ。薄暗い中のリアルな石像は、想像を刺激しすぎる。
ほとんどウルトラQ「ケムール人の回」を思い出した。これで夜眠れなくなったらどうしてくれる。

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弘前 早朝散歩2

津軽、弘前は雪の町だ。生まれ育った札幌も大都市のわりに豪雪地帯だが、人口100万人を越える街なのに、あれほどの積雪量になる場所は世界中どこにもないと聞いたことがある。確かに札幌市は年間10億円単位で除雪費用がかかるそうだ。春になれば溶けてなくなる雪を排除するために、都市運営としては仕方がないとは言え、多大な金をかける。治山治水とは異なる全く無駄としか言いようのない金だろう。世界各国で雪の少ない場所(けして寒くない場所ではない)にしか都市を築かなかったのは、賢人の知恵というものだろう。
本来の北海道開拓、北方支配地域の防衛という観点からすると、旭川のような軍都、小樽のような商都を全道に分散させればよかったはずだ。それにも関わらず札幌一極集中にしたのは、昭和後半のおバカでビジョンなき政治屋たちのせいだ。
津軽の人たちはそんなおバカな都市作りはしていないようで、適度な人口集中都市が出来上がっている。弘前、青森、そして八戸と青森県下では分散化がうまくいっているようだ。

雪の多いところでは、オープンエア型の屋台村を作るのは無理だから、インドア形式になる。恵比寿で一躍有名になった都市型屋台村は、そもそも老朽化したビルの再利用が目的だった。地価の高いこともありオープンエア型は大都市では作るのが難しい。
ところが積雪地帯の屋台村は「屋外では通行客が危険」「除雪の費用負担がバカにならない」という冬対策で、最初から室内型しか検討しない。(はずだ)
弘前の屋台村は、ビル内部の照明を落としているせいもあり、疑似的に「外」にいるような感じがする。ちょっと不思議な空間だと思う。

本当は夜に一杯やりに来るべきなのだが、実は屋台村の場所は弘前駅前からかなり距離がある。夏なので、歩いてきても問題はないのだが、冬であればホワイトアウトという悪天候でなくても、路面のスリップなどを考えると絶望的な距離になる。
今回は、夜歩きをサボって手近な店で済ませたせいで、朝の散歩の時に足を伸ばしてみた。
横丁配置図を見ると半分くらい空きが出ているようだ。コロナの後遺症ということだろうか。ちょっと悲しい。

弘前の「ねぷた」はこんな形で、青森の「ねぶた」とは違いますよ、と聞かされた。このデザインを見ると「津軽飴(水飴)」を思い出してしまう。あの丸い缶に入った水飴は、子供の時の大好物だった。
青森に親戚がいたはずもないが、時々誰かにもらっていたのだろう。津軽飴は今でも自分への定番土産だ。水飴は重いので人様のお土産に買うことはない(笑)

その横丁の近くにあった居酒屋の看板がまさに不思議ちゃんで、つい写真に撮ってしまった。「石と肴」とは一体何を意味するのだろうか。まさか、石を見ながら酒を飲む「ストーン・カフェ」みたいなものだろうか。頭の中はクエスチョンマークで満杯になった。

隣のボードを見ると(読み解くと)石焼料理、要するに溶岩焼きとか石板プレートで焼くステーキみたいな料理のようだ。コンセプトはわかったが、やはり実食してみたくなる。鳥の白レバーをミディアムくらいで焼き上げるとうまそうな気がする。

そんなことを考えながら歩いていたら、100mも歩かないうちに「鮨と地酒」の店を見つけた。店名が同じだから、どちらかが本店で、どちらかがコンセプト変えの支店のはずだ。鮨屋ではないようだが、日本酒のラインナップが多いみたいで、こちらも一度行ってみたい店だ。
しかし、朝からこの看板を出していても、店が開くのは夜からなのだろうし。ちょっと困ってしまう。

食堂の窓を無理やり?テイクアウト窓口にしたみたいだ

百貨店のビルの壁にポカリと空いている窓があった。テイクアウトの専用窓口らしい。ドライブスルーならぬウォークスルーだ。コロナも2年を超えたので、冬期間も2シーズンあったはず。冬の間はどういう使い方をしていたのか、これもまた気になる。

メニューは、まさになつかしの大衆食堂的ラインナップ

メニューを見れば、デパート大食堂的なフルラインナップなので、使う方としてはありがたいのかなと思うが、冬の弘前でこの道を歩いて買い物する人がどれだけいるか、ちょっと不思議になる。東京の居酒屋で店頭にテーブルを出して弁当を売っているのとは、レベルが違うオペレーションだろう。
そんなことも含めて、日本中であれこれ怪しいことをやっていたのが、この2年間だったのだな、と改めて思い知らされた。

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弘前の早朝散歩

各駅停車の旅は、出発が朝早くになる。先々の接続を考えると、選択肢がほとんどない。始発駅を早朝に出発する便は、乗り継ぎ駅まで直行する数少ない便になる。そのため、朝の早い時間ですら街歩きをする時間がない。
たまたま弘前は、朝イチではなく午前中の出発列車を狙っていたので、少し時間に余裕があった。これまで弘前で街歩きをしたのは冬の時期だけだったので、ぶらぶら街を歩くのが楽しみだった。

街を歩くとあちこちで面白い看板にであう。とんかつ助六は住宅地の真ん中にあった。こんな場所でとんかつ屋かと思わせる。ただ、興味が湧いたのは「とんかつ」ではない。

この幻のカツ丼だった。特製カツ丼に問題があるわけではない。気になるのは美空ひばり推奨のひとことだ。この方は、あの有名な昭和の歌姫のことだろう。その方が推奨するということは、一体どんなストーリーがあるのだろう。
これを知るにはランチタイムに来て、おそらく店内に書いてあるに違いない美空ひばりストーリーを読んで確かめるしかない。もしそんなものがなければ、店員さんに尋ねることだ。などと朝からちょっと興奮してしまったが、どう考えてもランチタイムに弘前にはいない。次回にするか、と断念したのだが。日程をかえても食べるべきだったなと、今更ながらに反省している。次行く時までお店があいていますように。

この一言にもガツンとやられた感がある。強気の発言というか、相当に自分のうちのコーヒーに自信があるのだね。すごいぞ。飲んでみたいぞ。

と思ったら、お店は喫茶店ではなくピザ屋だった。なんとも不思議な、朝だけカフェらしい。これも残念ながら時間がないので次回回しだ。

そのあと、弘前のある私鉄の駅まで足を伸ばした。駅名がカッコ良いので、ずっと気になっていた。駅前ロータリーに着いて、駅舎はどこだと思わず探してしまったが、目の前に立っている平屋が駅だった。全然、駅には見えなかったのは何故だろう。「中央」と着いているから大型の駅舎があると思い込んでいたからだろうか。

駅の中は、昔の駅にありがちな広告が無造作に氾濫した整理整頓とは程遠い光景で、これはこれでなつかしさがある。いまのJRなどの洗練された駅舎や駅構内と比べると、明らかに昭和のカオスが感じられる。JRも末端駅に近づくと、こうしたカオス状態が楽しめるのだが。ローカル私鉄は、あえてその雰囲気を放置しているような気もする。

そのカオスに一層拍車をかけるのがピアノだった。駅にピアノというのは、なんとはなしにそこはかとした哀愁を感じる。駅ナカ・コンサートがあったりするのだろうか。小学生の発表会に使われたりするのだろうか。いきなりアメリカから来たジャズプレイヤーが即興で引いていたりしそうだ。などと、脳内妄想が展開する。いい光景だな。

この駅のホームだが、線路よりは切符を買った乗客が列車を待つ場所で、左側の壁際は公共の通り抜け通路になっていた。ホームの中を通り抜けるとは、これは初めてみた。すごいな、弘南鉄道。
そして、その通路を通り抜けると美術館に出る。

弘前の現代美術館はレンガ倉庫を改造したものだった。これも朝早すぎて開館時間に間に合わない。えーい、こいつも次回回しだ。ということで、朝の散歩で気になるものをたくさん見つけてしまい、今度は弘前に2・3日滞在して、積み残したあれこれをやっつけなくてはなあ。雪が降るとホワイトアウトするから、その前にするか、それとも来年の桜の咲く頃にしようか、ちょっとまよっている。

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恐山 おまけ

恐山に路線バスで行くのは、各駅停車で鉄道旅行をしているのだから当たり前だと思っていた。ただ、バスの便数が恐ろしく少ない。朝一番の便で恐山に行くと、帰りのバスが三時間後までない。バス会社の考えでは、恐山の滞在時間は普通に三時間くらいかかるものだということだろう。あの荒涼とした地で三時間もいるのかよ、とつっこみたくもなるが、実は案外その予想時間は正しい。

お寺の門をくぐると広々とした敷地の中に木造の建物がある。これがお風呂で、参詣した人は入ることができる。まわりの硫黄臭が強いので、間違い無く強酸性の硫黄泉だろう。入ればお肌すべすべは間違いないが、体に染み付いた硫黄臭がなかなか取れない。以前、福島の山間で硫黄泉温泉を体験している。硫黄泉に入った後は、すれ違うだけで匂いがわかるほどだ。帰りのバスの車内が心配になるので、温泉は諦めた。自分が運転する車で来れば、問題なく良いお湯が楽しめる。
また、自分は諦めた湖畔までの遠征をすれば往復一時間程度はかかりそうだ。きっちりと恐山の全てを散策し、湯を楽しめ三時間はすぐなのだろう。

その恐山堪能ツアーをショートカットしてしまったので時間を持て余してしまった。仕方がないから、入り口の隣にある食堂で軽くビールでも飲みながら食事にしよう、などと不埒なことを考えたのだが。やはりここは霊場だった。確か仏教だから精進ものしか出てくるはずがない。間違ってもトンカツなどメニューにあるはずがないし、酒などももってのほかだろう。
店内で出されるものは、蕎麦とうどんとカレーライスだった。おとなしく山菜蕎麦を注文した。5分で食べ終わってしまい、三時間の待ち時間を潰すのは無理だとわかった。やはり事前にもう少しお勉強してこなければいけないと反省する。

御朱印をいただいたので、それを見返していたらやはり霊場恐山と書かれている。これは、大事なものだな。

山から降りて下北駅まで戻る。この駅も駅前には店が少ない。駅前食堂みたいな定番旅のお供も見当たらない。ようこそ、ジオパークと言われても、鉄道旅ではハンディがある。基本的にジオパークとは海とか山にある「岩を中心とした風景」を楽しめる場所だ。穴であれば洞穴潜りとか、海岸線であれば船に乗って沖合から眺めるとか、アクションが伴う観光だ。徒歩とバスでは行けるところも少ないし、行けるところでも一度バスから降りると、次に来るバスが三時間後みたいな羽目になる。

案内板を見ると、レンタルの自転車で回れる距離でもなさそうだ。端っこ好きとしては大間崎がちょっと魅力的だった。ただ、このバス60分の距離は、おそらく日帰りできない。朝イチのバスで行ったら滞在時間10分で最終バスになりそうだ。これもよくよくバス時刻と運行パターンを調べておかないと、手を出してはいけない冒険旅行になってしまう。

首都圏という大都市圏での鉄道運行状況を前提に各駅停車の旅をすると、ほぼ致命的な被害を被る。それは間違いない。日本各地のローカル鉄道では、一度降りると次に列車が来るのは二時間後というのがほぼほぼ常識だ。また、鉄道路線図ではつながっていても、実際に頻繁に(一時間に一本程度)運行しているのは、その両端駅周辺のみ、みたいなケースが大半だ。
大きい荷物を抱えて観光地に行くのはしんどい。できれば駅でコインロッカーに荷物を預けたい。そう思っても、やはりコインロッカーの有無や場所は、ネットで探しておいた方が良いのも「各駅停車旅のあるある」だ。この下北では駅を出てすぐに観光案内所があるが、その脇に無料のコインロッカーがある。これを知らなければ、大きなリュックを背負って恐山に行くところだった。
最近の旅は自動車で好きな時間に好きな場所に移動できるから、こうした旅のノウハウもすっかり不要になったはずだが、鉄旅ではまだまだ昭和の知恵が生きているようだ。次回の下北ツアーは自動車でキャンプ旅行かな。

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恐山2

入り口から中に入ると、お寺の正式ゲートが見えてくる。普通にお寺にお参りに行くと、門の上にかかっている額には〇〇山〇〇寺とかいてあるものだが、こちらは霊場恐山という、なにやらありがたげな、恐ろしげな額になっている。
この場所は普通と違うという雰囲気が大量に噴き出してくるような………

入るとすぐに気がつくのが硫黄の匂いだった。入って左側には荒地が広がる。あちこちから蒸気が漏れ出している。初めてここにきた方が、ここは尋常ではないと思ったそうだが、確かに誰でもそう思う。温泉地でたまに見かける地獄の湯みたいなあぶくぶつぶつな場所は、行ってみればお化け屋敷のアトラクション的な明るさがある。名前に地獄とつけても、「あー、なるどど。確かに地獄っぽいね。」と笑って話せる気楽さがある。
ところが、この場所では、声を出すのも控えた方が良いのではと思わせる重みがあった。中に入ったらいきなり日差しが陰って曇ってきたせいかもしれない。霊場でお天気の演出効果はいらないなあ。

その荒涼たる場所の入り口にお堂が建てられていて、ここでまずお参りをしてから荒地巡りをするようになっている。あれこれとお地蔵様にお願い事をしてしまったが、お寺は人を救済してくれる場所で、自己解決を迫ったりしない優しい仏様がいる場所だ。
他の宗教では「我を信じるなら契約をせよ。」と強面で迫る一神教の神とか、「功徳が欲しければ、貢物をせい。」などと手下であるはずの人間に脅しをかける多神教の神もいる。
解脱を目指したゴーダマ・シッタルダの知的子孫たちが作り上げてきた宗教体系では、救済の思想が他宗教と質的に違う。日本人的に言えば、下々に優しい仏様ということになる。恐山は、その優しい仏様の中でもおそらく最強に優しい地蔵尊が祀られているので、あれこれお願いしても聞き入れてくれるだろう。お願いだけでは失礼だろうと、般若心経を唱えてお参りを終えた。

確かに、この岩と小石でできた荒地は、見る人が見れば地獄の光景、賽の河原のように思えるかもしれない。全体に立ち込める硫黄の匂いが余計に荒涼感を強めている。

その白と黒で区切られたモノトーン世界に、赤い風車が置かれている。1箇所だけではなくあちこちに風車がある。この赤にはどんな意味が込められているのだろうか。全く不勉強なので、何もわからなかったのだが、おそらく宗教的な意味合いがあるはずだ。カラカラと回る風車は輪廻天性を表す、などといわれると「なるほど、そうだろうなあ」と思ってしまう。

この荒地を進み低い頂を越えると、その先には湖が見えてくる。湖のほとりにお堂が立っているのが見えた。信心深い人であれば、おそらく、そこまで降りてお参りしてくるのだろう。降りて行った後の帰り道、登りを考えると降りていく気にならなかった。不信心ものと言われても仕方がない。お地蔵様だから許してくれるよね、と心の中で言い訳した。
それでも、この荒地の中をあっちに行ったり、こっちに行ったりして30分以上うろうろしていた。5分もいれば、あたりの光景に慣れてしまう。それほど同じ景色なのだが、なぜか立ち去り難く………
周りにいた参拝客が誰もいなくなるほどだから、ずいぶん長くいたようだ。もっとここにいろ、というお告げだったのかもしれない。後になってそんなことを思った。恐山には何もない。

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恐山

各駅停車の旅、第一の目的地が「恐山」だった。まだ学生だった頃から、一度は行ってみたいと思っていた場所だったが、ずっと行けないまま月日が流れ去ってしまった。このままでは行かないうちに死んでしまいそうなので、無理矢理にというか、強引に恐山ツアーを目論んだ。
恐山を訪れる旅行者の大半はレンタカーで移動するそうだ。ジジババばかりが行く場所かと思っていたら、最近は若い人が多く訪れるそうで、パワースポットとしての評価が高いということだろう。こちらは各駅停車の旅なので、当然ながら最寄駅から路線バスが選択肢になる。

下北駅に着いたのは朝の9時ごろ。それに合わせて恐山行きのバスが出る。駅からは10人くらいが乗り込んで出発。年齢はバラバラだが、女性の方が多い。大学生らしき男性4人組がちょっと異色な感じがする。残りはジジイが3人、若い女性が7−8人という感じだった。市街を抜け山道に入ると、バスの中では恐山の解説(録音したもの)が始まった。路線バスとは言え親切なものだ。

相当にくねくねした山道を登ること30分ほどでたどり着いたところは山上湖だった。湖のほとりには駐車場が広がっていた。バスで来たのは10人ちょっとだが、駐車場には30台以上の乗用車が停まっている。ナンバープレートを確かめてはみなかったが、車から降りてくる人を見ていると男一人が多かった。女性はグループかカップルで来るような感じがする。一人恐山は、迷えるジジイかオヤジが多いようだ。

下界は30度近い暑い日だったが、山上は心なしか涼しいような気がした。標高を考えると5度くらい気温が低いのかもしれない。山の上では曇りと晴れが忙しく繰り返していた。

バス停の前には休憩所があった。バス待ちの参詣者が多い時は活躍しそうだが、この日は誰も中に入っていなかった。

仮眠くらいできそうな畳敷きの休憩所は、確かに恐山という場所にはふさわしいような気がする。消毒用アルコールが置いてあるのが、いかにも今時の光景だった。

入山する前に拝観料を収める。大人500円というリーズナブルなお値段だった。冬の間は道路が閉まるので、こちらもお休みになるそうだ。高い山の上にある神社も冬は神様が山の下に降りてくるようだし、雪の間は平地に移してもと思ったが………やはり、それは無理だろうなあ。

山門前には恐山の謂れなどの説明もある。ただただ、霊場として恐れ入るばかりだ。そもそも、入り口に霊場と書かれてある場所に来たのは初めてのような気がする。

この門をくぐれば霊場なのかと気持ちを引き締めた。この門をくぐるもの、全ての望みを捨てよ、という何かで見聞きしたセリフが蘇ってきた。まるで地獄に行くような、恐ろしい場所ではないはずだ。
周りの人もおしゃべりしながら気軽に入っていくではないか。ただ日ごろの心がけが悪いものは、お山から帰るときに色々と面倒な方達を連れて帰ることになる、とも聞いているので、ここは慎重に気持ちを正しく持って入ることにしよう。
【続く】

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各停の旅 奥羽本線 弘前

JR弘前駅を正面から見ると随分と大きな建物に見える。ただ、駅の中に入ってみるとわかるのだが、2階から上は吹き抜けで天井が高い。外光を取り入れる津軽の冬向きの建物だなと思う。
冬の時期に来ると、この駅前も雪で覆われているので全く違う景色になる。やはり弘前は夏に来るのが良い。
この日の予定では、午前中に五能線を使い秋田を目指すはずだった。五能線は青森から秋田の日本海側を走る、海の見える風光明媚な路線として有名だ。何かのついでに乗る路線ではなく、わざわざ車窓の景色を楽しむために乗る、鉄オタ専用線みたいなものだと思っている。
ところが、駅に着いて駅弁を買い込み、いざ改札を通ろうとしたら、五能線の行き先が目的地の随分手前の駅になっている。不審に思い駅員さんに尋ねると、大雨の影響で五能線が各所で通行不能になり、一部路線ではバス代行をしているが、全通はできないと言われた。
おまけに奥羽本線も似たような状況で、弘前から行けるのは大館まで。その先は鉄道不通でバスが代行する区間がある。大館から東能代まではバス、東能代から先は鉄道再開とのことだった。想定していた日程は全面的に立て直し、おまけに大館まで移動する列車はほぼ昼前の発車になるので二時間待ち。慌ててみてもしょうがないし、そもそも各駅停車の旅に「急ぐ」という言葉は必要ない。(はずだ)

駅の待合室で2時間ほど待機した後、ようやく移動開始。また来て弘前の案内に「うん、うん」と頷きながら、ホームに降りると人影もまばら。

大館まではおよそ1時間の移動になる。そもそも五能線周りができれば通るはずもないルートで、おまけに代行バスの待ち合わせで30分ほど大館に滞在することになった。
大館までの風景は、「田んぼ」と「山」、以上だった。青森が米どころというわけがよくわかる。ただ、青森らしいというか津軽らしいのが、田んぼの脇のあちこちにりんごの木があること。
小規模のリンゴ畑なので、商売というよりは自家消費用みたいな感じがする。西日本に行けば、りんごの代わりにみかんや柿の木が植えられているな、などと日本の田舎風景を思い出してしまった。

大館は一度車で来たことがある。名物の曲げわっぱが欲しくて、わざわざ立ち寄った記憶がある。その時は駅に来ていないので、今回が初の大館駅だ、と喜んでいたら、なんと駅舎が全面改築中で、今は仮設駅だった。仮設駅と言いながらも待合室もあるし、キオスクもある。駅機能はコレだけでも十分かな、などと失礼なことを考えてしまった。

その大館駅前に、駅より立派な建物があった。自分の中の駅弁ランキング、おそらくダントツ筆頭の「鶏めし」製造元、花膳の食堂だ。昼食時から少し遅くなっていたが、店頭では席待ちの客が行列していた。
本店でも鶏めしが売っているはずなので、買ってみようかと弁当売り場に行ったら誰もいなかった。店内の客を捌くので大忙しらしい。弁当は諦めることにした。(駅のキオスクでは売っていたから、買うことはできる)

花善の鶏めしはパリの駅でも販売されている、などと新聞で読んだ記事を思い出した。本店だからパリの駅弁と同じフランス語パッケージなものが売っているかなと期待していたのだが……… 流石にそれはないみたいだった。
代わりに発見したのがデリバリー弁当の看板だ。鳥天丼とかガーリック唐揚げとか、うまそうな弁当(駅弁ではない)が売っている。おまけに一個からデリバリーしてくれるらしい。すごいな花善。

大館駅前の観察を終わる頃に代行バスが来た。代行バスのルートは、奥羽本線の各駅を着実に停まっていく。代行だから当たり前だというかもしれないが、駅の中にはバスが通れないような細い道でしか通じていないところもあり、そこは駅から離れた場所に停車した。よく晴れた日なので、通常のバス路線ではない細く曲がりくねった田舎道も走る不思議な行程を楽しんだ。景色は青森と同じ………田圃と山だった。

東能代駅に着くと、バスから10名くらいの乗客が降りた。途中の町では高校生が乗ってきて降りていった。通学路線として使うには奥羽本線の便数が少なすぎるだろうと突っ込みたくなる。
この交通の不便さが若者を都会に追いやるのだとずっと思っている。年を重ねて干物みたくなったオヤジやオバンには理解できないのだろう。せめて一時間に2本くらいの交通手段を残さないと、中高生は田舎暮らしから脱出することしか考えなくなるはずだ。
高校を卒業して自動車の免許を手に入れても(鉄道を使わなくなったとしても)、その思春期に形成された脱出願望はけして消えないのだよ。町おこしなどという大ボラを吹きたいなら、交通の整備が最重要だろう。

代行バスで尻が痛くなったので、ついつい過激なことを考えてしまったが、東能代の駅はなかなか見応えがあるので、駅ナカをぶらぶら楽しんだ。

この度で最大の学びがコレだ。お茶の北限が秋田なのだね。駅のキオスクでお茶が大量に並んでいるわけだ。大館のキオスクで「なぜお茶がこんなに並んでいるのか」と不思議だった。北限のお茶を売り込んでいたわけか。包装をよく見れば秋田産であることが分かったはずだが。勉強不足だった。

ホームには五能線のあれこれが展示されている。ローカル線というより観光線なので、駅全体が五能線推しになるのも無理はない。世界遺産の森もあるし。

終点駅、起点駅は日本中にたくさんあるが(例えば東京駅)、起点駅表記は初めてみた。それもホームの柱に書いてある。すごいな。

東能代から秋田までは各駅停車の旅に戻る。駅の周りは田圃と森だった。ここからは日本有数の米どころである八郎潟を通っていく。八郎潟には2度ほど来たことがある。北海道でもあまり見かけない、地平線まで田んぼという素晴らしい光景に出会える。

JRの列車の色が青かったり赤かったりするのは何か意味があるのだろうか。車両系の鉄オタ(形式番号などをそらんじている人たち)に聞けばすかさず答えが返ってきそうだが、こちらは尻の痛みをかかえても乗るのが好きな「乗り鉄」だから、モーターオンがとか、気動車のエンジン音がとか言われてもピンとこない。

秋田は奥羽本線と羽越本線の連結点で、東に行けば盛岡、南に行けば新潟になる。出羽国は古代から開かれている北方航路の中継点として栄えていたはずだ。南の酒田 は紅花が大産業だったので、小京都と言われる街になった。もっと北に行けばニシン漁の拠点が散在する。日本海航路は古代以来、日の本最大のメイン通商路だったはずだが、今はその面影もない。港といえば、海外向けに作られた神戸や横浜に取って代わられてしまった。戦前は大陸交易も盛んだったはずだが。
実は昔の東北地方はなかなか賑やかだったのだ。出羽と陸奥の抗争など中世史では一大イベントで、相当に盛り上がっていたはずなのに。出羽は北方航路で日本海系大和の植民地、陸奥は東方先住民の根拠みたいなロマン溢れるお話なのだが。

そんな歴史のあれこれを思いつつ、もうすぐ稲刈りみたいだな飛ぼうっとしていたらいつの間にか秋田に着いていた。

街を歩く

JR青森駅の怪 日本的無責任

青森駅は駅舎工事が進んでいて、あちこちにフェンスが立ち、いつものJR工事中ダンジョンになっている。新宿ダンジョンは最近ようやく解消されたが、渋谷駅はあと数年続く大型ダンジョンで、JR東日本は工事中の利用者に対する迷惑について鈍感になっていると思うのだ。横浜駅も10年単位の工事で日々変貌する巨大ダンジョンだった。(笑)JR東日本はダンジョン好きな会社なのだろう。
その小型ダンジョンである青森駅で、改札から出たところにエスカレーターがある。その下りエスカレーターが閉鎖されている。去年の冬に来た時も、工事中で閉鎖していたが、今回はご丁寧に侵入禁止措置になっていた。

閉鎖の理由は、下りエスカレーターを利用するときに大きな荷物を持っている人が、事故になる?というか、通行人と事故を起こすらしい。危険防止策も取らずに、閉鎖して使えなくすれば事故は起きないという乱暴な論理のようだ。
エスカレーターの右側が階段になっていて、一階から二階に上がる部分に奇妙な囲い、フェンスがある。これが通行人を含めた客たまりスペースを塞いでいる。
上から眺めてみると一目瞭然なのだが、エスカレーター下の通路の幅が狭すぎるのだ。吹き抜けのガラス壁をあと2−3m向こう側に広げて、左右からくる乗客の通行動線を確保するべきなのだろう。設計ミスとしか思えない。駅前ロータリーの整備工事もしているが、それが完了してから外壁移動をするのかもしれないが、対応があまりに杜撰だ。

ちなみに大きな荷物を持った乗客は、階段を使い上り下りするしかない。上りのエスカレーターを使おうとすれば、左手の入り口に大きく遠回りするしかないのだが、これもフェンスで塞がれている。
階段の右手奥にはエレベータも設置してあるから、荷物持っている奴はそちらに行けよというようなことも書いてあるが、言い訳としか見えないほどの小さい字でしかない。もっとわかりやすい誘導案内を作れないのか。
おまけにエレベーターで降りたところは、出口を発見するのがなかなか難しい工事ダンジョンの奥になるのだけれど。
バリアフリーだの、事故防止だの色々な言い訳をしながら、不便の塊を利用者に無理やりに押し付ける、JR東日本の経営感覚は古すぎる。というか現場の対応力の低さなのだろう。この会社の幹部が酒パワハラで何処かに飛ばされた後だけに、もう一度現場の見直しをした方が良いのでは。この手の利用者を無視する勝手ぶりは国鉄時代から変わらないなあ。

食べ物レポート, 旅をする

地域特化型チェーン居酒屋in弘前

弘前で晩飯がてら居酒屋に行きたいのだが、とホテルの方におすすめの店を聞いた。そうしたら、全国チェーンだが地元料理を食べさせるので面白いと言われたのがこの店だった。看板だけ見ると、あのチェーン店なのかと言いたくなる。たまたま店名が同じだけではないのか?
どうやら、そう思わせる改装をしたようだ。個人経営の居酒屋に見せかける「ワタミ忍法」らしい。全国チェーンがブランドロゴを捨ててしまうというのは、すごい時代だと改めて思い知らされる。それでも焼肉屋になるよりは、生存確率が高いという経営判断なのだろう。

店の入り口も、随分と賑やかだ。どうみても全国チェーン店には見えない。手作り感を全面に押し出している。コレはこれで、店長が大変だろうに。

店内で席に着くと接客係のお兄ちゃんが登場し、まずは型通りのご挨拶。おすすめは刺身の階段盛りだと言われた。一人で来ている客に刺し盛りをすすめるのか、とちょっと気になるが、言われるままにそれを注文してみた。シャムロックも気になるのだが、量的に一人では両方は頼めないような気がする。

サバ、イカ、ヒラメ、マグロなど地物のようだ

ドーンと出てきた「階段盛り」は、ビジュアル的にインパクト十分だ。刺身のクオリティーも全国チェーンのものとは思えない。やればできるじゃないか、と思わせる。なぜコレを全国でやらないのだろうか。個店の学びを全国に広げられるのが全国チェーンの強みではないか?
東京発の強いコンセプトを金太郎飴的に全国に広げる手法・チェーン理論は、既に崩壊したと言って良い。おそらく東京発の情報が伝播する速度が早まりすぎて、出店速度がそれに追いつかないからだ。
そもそも東京で流行も終わりにかかり陳腐化しているが、地方では伝達速度が遅れているので繁盛しているという形こそが、全国チェーンの強みのはずだった。地方の店が元気なうちに、東京の足元を立て直すべく、次のコンセプトを生み出せば、情報伝達のタイムラグを活かしてブランドと企業の安定を保てる。
ところが、今ではその情報速度が速くなりすぎ、東京のコンセプト衰退、陳腐化したという情報の方が出店より先になる。地方出店が、今までとは逆にお荷物になりやすい。
だとすると、地方を含めた個店の戦闘力を色々な実験で上げてみて、それを一気に全国化する戦略転換が必要な時期のはずだ。が、なぜか居酒屋をコンセプトごと放棄して焼肉や唐揚げに走る。それではブランド再生などできないだろうに。
刺し盛りを楽しみながら、そんな衰亡業界の失策を考えていた。東京での業態転換した店を見てモヤモヤとした疑問に思っていたことだった。それを弘前に来て解凍を見つけるとは………
確かに、首都圏にいては気がつかないことだろう。旅は時に学びをもたらすのだなあ。

小難しいことを考えているうちに、本日の大本命である「イガメンチ」が登場した。弘前に来る楽しみの一つがコレだ。ネットで見るレシピーで自作してみようかと思うのだが、なかなかやる気にならない。津軽では家庭料理らしいので、自作してみても失敗することもなさそうだが………
こちらのイガメンチ(イカではなく、イガ)は小ぶりの一口サイズだった。味付けはいつも食べているものよりも濃い味で、酒の肴向きということらしい。生姜醤油で食べよと言われ素直に試してみたら、まさに大正解だった。イガメンチ、うまし。
これは全国に広まってほしい。イカの名産地は日本全国あちこちにたくさんあるが、イカ料理サミットでも開催して、各地の名物イカ料理を普及してほしい。鳴子のイカメンチとか函館のイガメンチとか、鳥取のイカメンチとか、シュリの違うイカの料理が食べてみたい。

日本酒も青森推しだった。特に地元の豊盃をふんだんに置いてあるのが素晴らしい。蔵元がある弘前でも豊盃は手に入れるのがなかなか難しい名酒だ。個人的には、青森の豊盃、岩手のあさ開き、福井の黒龍が絶賛したい日本酒だが、どの酒も地元に行ってすら手に入りにくい。
ネットで転売される酒を買うのも腹立たしいので、ネットで酒には手を出さない。現地で2000円で買える酒を5000円で売るようなネット酒屋には全く興味がない。
だから豊盃を手に入れるには弘前に行った時に百貨店の酒売り場に行くか(一部青森市の酒屋でも入手可能)、東京飯田橋にある青森県アンテナショップに行った時くらいしかない。それが、この店では飲み比べができるという。素晴らしい。本当に全国チェーンの店なのか?

満員で入れなかったお目当ての店

実は、地元の人気居酒屋にも行ってみたのだが、予約なしでは満員で入れなかった。次回は、こちらの店に行き(予約して)、炙ったイカで熱燗をちびり、みたいな飲み方をしたいものだ。居酒屋で仕事の話を考えると、ちょっと疲れてしまうしなあ。