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各停の旅 青い森鉄道 野辺地から

野辺地の駅前に出て辺りを眺めてみた。ごく普通に地方都市の駅前だ。ビジネスホテルというより旅館が似合いそうな風景だった。振り返って駅舎を眺めていると気がついた。駅名看板が、青い森鉄道だった。JRの二文字が入っていない。ちょっと不思議な感じがする。共用駅のはずだが………

駅のホームで見ると「青い森鉄道」の看板は青い線で、JRは緑の線で路線名が書かれている。微妙なこだわりというか違いだが、改札口は一緒なのだ。このあたりの曖昧さがなにやら嬉しい。「昔は同じ家族だったのにね、今では違ううちの子になっちゃったんだよ、兄さん」みたいな感じだ。

ホームから外を眺めると、これまたちょっと嬉しい看板があった。「俺たち、頑張ってきたよな、弟よ」「そうだね、兄さん」と兄弟が呟く日本最古の誇りだ。野辺地は風の強いところだと聞いたことがある。だから、防風林はよく耳にするが、防雪林とは初めてみた。おまけに鉄道の二文字が追加された防雪林だ。なんとなく冬の厳しさが想像できる。
昔のことのだが、その寒風の中で育つコカブがうまいんだと、農協にすすめられた。当時、担当していたレストランで野辺地コカブのサラダを出していた。東京のスーパーではあまり見かけない野辺地のコカブは、週に何回か直接取り寄せていた。野辺地コカブは生食が一番うまい。防雪林で思い出した。

駅舎の中で待合室に立ち喰い蕎麦屋があった。着いた時にはすでに営業終了していた。あと30分早ければなあと、実に残念な気分だった。どうも、この旅では立ち食い蕎麦屋にふられっぱなしだ。
お品書きを見ていると、三食そばという見慣れないメニューがある。これは天ぷらそばよりお値段が高い。たぬきときつねの合体みたいなもののようだ。ちょっと魅力的だが、狸と狐だから化かされそうな気もする。
そして一番下にある超合体メニュー「北前駅そば」がすごい。価格が立ち食いそばの限界を超えているような強力さで、朝からこれを食べる野辺地市民は東北の強者というしかない。

青い森鉄道のキャラがドーンと描かれた車両が、全国私鉄の中で最高峰のデザインだと(ごくごく個人的に)思っている。東京圏にある私鉄の野暮ったさとは雲泥の差だ。流行りキャラとのタイアップでラッピングするのも悪くはないが、やはり自前のキャラ電を走らせるのが良いのになと思う。西武鉄道の旧型(黄色い車両)は、全部キャラ電にしても良い。(個人的な思いこみです)

世界遺産になった縄文遺跡群をモチーフにとした「車両「現代壁画」はすでにアートだ。ただし、あれこれ突っ込みたいところもある。メガネをかけたおっさんは遮光土偶がモチーフなんだろうか。たくさんいる白兎はどういう意味があるのだろうか。などなど脳内に刺激を与えてくれる。

車体に書かれたロゴもなかなか美しい。細部までデザインの手抜きをしないのは、とても素晴らしい。美の神は細部に宿るのだ。

青い森鉄道終着駅が青森駅だ。ホームの駅名表示にまた出現する緑のJRライン。この駅は駅自体を共用化しているので、ホームを変えるだけでJRに乗り換えができる。奥羽本線で新青森まで行けば、そこから新幹線に乗り換えができる。

その奥羽本線に乗り換え、旅は南下を始める。青森駅が今回の旅の折り返し点だ。青森では乗り換えに40分ほど空き時間ができた。駅ビルの中をぶらぶらしてみる。お目当ての駅弁は、やはり売っていない。新幹線の乗り換え通路で青森の駅弁のほとんどを販売していた記憶がある。
やはり駅弁を食べるほどの長距離移動は新幹線になるので、各駅停車の旅では駅弁調達が難しい。結局、青森駅では立ち食い蕎麦屋も見つけられなかった。駅舎改良工事前には立ち食い蕎麦屋があったのだが、消滅してしまったのだろうか。

青森から弘前までは1時間もかからない。弘前は通勤通学圏と言えなくもない。ただ夕方の時間帯だったが、高校生の姿は目立たない。青森、弘前は文化的に独立圏ということだろうか。元・城下町と新興・港町の違いがあるようだ。これは地元の人に聞いてみないとわからない。ただ、弘前の博物館で聞いた話だが、青森と弘前では発音の違い、「ねぶた」と「ねぷた」の違いがある。港町の発音の方が強い音だ、ということだった。津軽の文化は深い。

弘前の駅に着くと、ホームから階段で改札口に上がる。その階段にある歓迎の看板だ。弘前の誇るお城、桜、りんご、岩木山がデザイン化されている。弘前はお気に入りの街の一つで、ぶらりと散歩をしたくなる。ただし、冬には散歩をすると遭難しそうになる。津軽は市街地でもホワイトアウトする場所だ。雪の日の視界は100mを切る。

北東北各県には難読地名が多い。すらっと読めない駅名の方が多いような気がする。弘前の一つ先の駅も、一眼で読める人がいたら、その方は青森県人だろう。なでるウシの子とはなんだろう、その姿あるいは光景を脳内で想像してみた。再現不可能な気がする。北海道に多数あるアイヌ語起源の地名と同じで、発音に対しての当て字なのだろうか。混迷は深まるばかりだ。津軽の謎だなあ。

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八戸 夜の散歩

八戸で夜の繁華街?をぶらぶら歩いてみた。おそらく夜の八戸最大のランドマークはみろく横丁のような気がするが、それはあくまで観光客視点でのものだ。地元民からすると、この提灯が共通ポイントになっているのではないかと思った。道路や鉄道のゼロキロ・ポストみたいなものだ。

その小路の両側にはずらっと飲み屋が並んでいる。が、時間が早いせいか人通りは少ない。最近の地方都市では金曜の夜以外はどこもこんな感じで、人よりも看板が多い光景が当たり前のようだ。特に、アフターコロナではそれが加速している。そんな夜の街を彷徨っていると、あちこちで面白い看板に出くわす。夜の散歩がなかなか楽しい。昼の間は目立たなかった看板が、夜になると存在感を発揮するからだ。

この店は、ここ数年で見た看板の中で最高峰だと思う。想像することが多すぎる。昔のバスガイドとは母のことか、それとも娘もバスガイドだったのだろうか。昔とはどれほど昔だろうか。もし母が50年前、娘が30年前バスガイドをしていたということであれば、店内は相当に昭和懐メロワールドだろう。
ひょっとしてリクエストで、母や娘がどこかの観光地ガイドをしてくれるかもしれない。それも今は無くなってしまった30年前の名所だったりするかもしれない。などなど、妄想は止まらない。ドアを開けて店内を覗いてみればよかった。

居酒屋で「すすきの」という名の店があった。看板にはお茶漬け、すいとんなどと書かれている。仙台で見た「うどん居酒屋」に匹敵するくらい、面白そうな店だ。店名は札幌のススキノと何か関係があるのだろうか。しかし、店頭に置かれている狸はススキノとは関係なさそうだし………
店主が札幌生まれだとか、札幌で修行したとかいうことなのか。それとも札幌の飲み屋街とは全く関係なく店主が「薄野」さんという名前だったりするのかも。これも扉を開けて中を覗いてみればよかったなあ。

ぶらぶらと歩いた後、ホテルに戻ろうとしたら何やら木造りの内装が目立つ大きな建物があった。中を除くとステージっぽい感じもある。大きなテレビでニュースが流れていた。一階は扉もなくオープンスペースだった。天井までが吹き抜けで、まるで大寺院とか教会のような感じがする。何に使う施設だろう。ホールでは椅子とテーブルが置いてあり、何人か座っていた。待ち合わせか暇つぶしか………

外から見ると体育館というかアリーナスペースというか、なかなか使い方の見当がつかない。最近よくある多目的空間施設とかいうやつだろうか。まあ、夜の散歩で見つけたものに無理やり意味を探す必要もないのだけれど。不思議な空間だった。

そして八戸市街で1番のびっくりは、パルコがあったことだ。ただ、コレは元西武系のファッションビルとはちがうパルコのようだ。わざわざ中に入って確かめることもしなかったが、間違いはないだろう。ビルの外観が、あのパルコっぽくない。なんとなく良いものを見つけた気分になり、ニコニコしてしまった。八戸にはまた一度来てみたいものだなあ。その時はパルコでお買い物にしよう。

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各停の旅 大湊線

青い森鉄道を1時間半ほど乗ると下北半島南端の駅、野辺地に到着する。この駅も青い森鉄道とJRが同居する。新幹線と並行する在来線(旧幹線)は青い森鉄道に移管して、旧東北本線に接続する支線はJRがそのまま運営するという変則的な運用のようだ。これは東北や北陸などの新幹線施設地域あちこちで見られる。
そのため、全国JR共通の青春18切符では別料金区間(移管私鉄部分)が随分と存在する。これも青春18切符あるあるだが、乗り鉄組には常識かもしれない。野辺地の駅からはJRに再度乗り換える。

車両の色が青から薄緑に変わった。ここから乗り継いで行く先は下北半島縦断して大湊になる。大湊はあまり知られていないが帝国海軍時代から続く軍港だった。今も海自の根拠地になっている。
北海道に海軍鎮守府ができなかったのは、寒すぎるせいではなく(大きな港は函館、室蘭、釧路などが存在する)兵站線の問題だったのだろう。大湊は陸奥湾の奥まったところにあるため警備も楽だったはずだ。大湊線も、そうした軍政上から必要とされた補給路線だったはずだ。広島から伸びる呉線と同じ意味合いを持つ。

今回の目的地は大湊ではなく、その一駅前で下車する。むつ市に来るのは初めてだ。冬であればかなり厳しい寒さの土地のような気がするが、この日は30度近い暑い日だった。北国も夏は暑い。

下北の観光案内板を見ていたら、あちこちにキャンプ場の印がある。最近のキャンプブームに合わせて追加したようにも見えないので、青森県民にはキャンプが重要なのかもしれないなと思った。次に来る時があれば、車でキャンプ旅も良さそうだ。
不勉強で観光案内板を見て初めて知った景勝地もたくさんある。

目的の後、ちょっと時間があったので隣駅、大湊線の終着駅まで行ってみた。本州最北端の駅は、下北半島ではなく反対側の津軽半島にある。北海道に渡る手前の駅だ。ただ、鉄道としては青函トンネルでつながっている(いや、繋がっていた)ので、終着駅感は大湊が上だと思う。

この北のはずれの駅でもスイカが使えるようになったと初めて気がついた。なんだかJR東日本は、すごい会社になったな。

鉄道路線終端の光景が好きで、これを目的地に旅をしてみたいとよく思う。北の果て稚内、東の果て根室など観光そっちのけで駅のホームに行きたくなる。どちらも車で行ったので、まだホームのエンドは見ていないのが寂しい。

青森函館という津軽海峡共通文化圏で、わざわざ観光に行ってみたいものだろうかと、圏外のものとして思った。が、やはり海を越える旅は楽しいのだろうか。南部と津軽は青森県内でも別地方・別ルーツ・別言語なので、八戸から函館というのは案外アリなのかもしれない。料金もだいぶお得だし。

大湊の駅前にあった観光客向け看板にある「みそ貝焼き」は、今回食べられなかった。店ごとにちょっとずつ味が違う気がするので、あちこちで食べ比べしてみたいと思うのだが。次回はなんとか挑戦しよう。

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八戸の夜

八戸で夜の名所といえば、観光案内にも乗る「みろく横丁」ということになるだろう。屋台村の元祖的存在だ。帯広の屋台村は、北海道内では有名だと思うが、この八戸みろく横丁はもう少し広域で知られているような気がする。
東京恵比寿の屋台村や松本にあるつなぐ横丁が、インドアの代表屋台村だとすると、こちらはアウトドア系の筆頭だろう。八戸は青森県内でみると雪の少ない地域だということなので、冬の時期でも営業できるようだ。
同じ青森県でも弘前の屋台村はインドアだし、北海道では札幌を含め降雪地域でアウトドア系屋台村は見当たらない。(ススキノの飲み屋ビルは立体的な屋台村だとも言えるか)

こちらは飲み屋街に向いた入り口

みろく横丁の中は比較的広い通路が通っている。お店は大小の差があるが、基本的にカウンターだけで十人も入れば満員になる規模だった。小体な店で店主との距離が近いのが屋台の特徴だろう。店主との会話が魅力という店も多いはずだ。

夏の終わりでどの屋台も扉は全開放だったが、不思議と虫が飛んでいない。蚊取り線香の匂いもしない。何か屋外営業の秘密があるのだろうか? 衛生管理は長年のノウハウがあるのかもしれない。 
満席に近い店もあれば、店主が新聞を読んでいる店もあった。コレも屋台村ではお決まりの光景だ。

やはり雪が降ると滑りそうな道路だなと、北国育ちとしては気になるポイントがちょっと違う。冬になり除雪をしても薄く氷は張っているだろうし、飲んだ後に扉を開けて無造作に踏み出した一歩は、「危険が危ない」レベルだと心配になる。それともロードヒーティングが入っているのだろうか。

こちらは広い通り側の入り口

みろく横丁入り口にある世界遺産認定のお話が、ちょっと微妙な気がする。北東北で世界遺産統一キャンペーンでもやらないと、地場の遺跡だけ宣伝してもわかりにくい。観光客にとって知名度が上がらないという危惧がある。
それとも、どこかに北海道と北東北3県の統合オフィスでもあるのだろうか。Jリーグ発足後から、日本もイベントマーケティングが上手くなったと思っていたが、地方自治体の壁が立ちはだかっているのだろうか。旅から戻ったら調べてみるかな、などとちょっとだけ真面目なことを考えた。

名物料理の一覧表

地元料理の店先で便利なものを発見した。八戸名物の一覧表になっている。この中から何を食べようかとあれこれ考えていた。一番気になったのは「どん肝刺」で、メニューの並び具合からすると魚介類らしい。「どん」という魚が八戸にいるのだろうか。
二つ目に気になったのが「塩辛やきめし」で、コレは料理が想像できる。多分、理解も間違っていないと思う。ただ、実食してみないと、想像が正しいかどうかはわからない。謎メニューは大好物だ。

とあれこれ店先で考えた後、実はそことは違う店に入った。店の入り口周りを見て直感で勝負というやつだ。この店頭観察で当たりの店を引く確率はおおよそ6割くらいだろうか。逆にいうと5回に2回は失敗したと思うことになる。
どちらかというと負けと感じる時は、ダメージ回復のため二軒目に挑戦する。しかし、深刻なダメージを負った時は、スゴスゴとホテルに引き上げる。旅先で夜のギャンブルはあまりお勧めできないし、2連続KOを喰らうと、その街のことが嫌いになってしまう。だから、名誉ある撤退にする。
かと言って、ネットで調べた高得点店舗が良い店かというと、意外とハズレが多いのが実感だ。居酒屋と町中華は自分の間を信じる方が勝率は高いと思っている。

店に入りメニューをあれこれ物色する前に熱燗を頼む。このときに出てくるお燗の温度とお通しが最初の認定課題だ。最近のお燗酒は機械式が主流のせいもあり温度設定が高すぎる。お茶より熱い酒を出してはいけないと思うのだが。そしてお通しが冷たいもやしのおひたしみたいなガッカリ系手抜き料理が出てくると、それだけで店を出たくなる。
こちらのお店では、お燗がちょっと熱めだったが、お通しはイカとさつま揚げの煮物。ああ、コレは美味いぞ。思わずおかわりを頼みそうになった。イカの味がよく出た濃いめの味付けは、熱燗の肴にぴったりだ。どこからか演歌が聞こえてきそうな組み合わせだ

鯖旨し イカ旨しだった 満足

自家製しめ鯖とイカの刺身を頼んだ。刺し盛りもうまそうだったがひとりで食べるには量が多いようで、好きなものを好きなだけ原則を貫くことにした。正解だったと思う。ちょっとだけ期待していた「どん刺し」は見当たらなかった。いや、そもそも「どん」が魚の名前ではないのかもしれない。
焼き鳥屋で鶏のくびを「せせり」と呼ぶように、何か当たり前の魚のどこかの特定部分なのかもしれない。謎は謎のまま置いておく方が、次に来る時の楽しみになる……と思うことにした。まあ、痩せ我慢というか意地を張っているだけのような気もするが。

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各停の旅 青い森鉄道 野辺地まで

本八戸の駅は、街の中心部から徒歩圏にある。というか、元々の城下町の近くに駅を作ったのだろう。八戸駅は、本八戸駅から二駅の距離で、市街地とは言えない離れた場所にある。東北本線を施設する際に、当時の中心部、お城の近くには駅を作らなかった時代の名残だと思う。全国にある旧城下町で駅とお城が近いのは東京駅と姫路駅くらいではないか。それにしても「八戸駅」と「本八戸駅」の距離は一体どういう意味があるのだろうか。

改札を出てあたりを見回していたら、美味しい代物を発見した。これは大好物だ。国鉄からJRになって随分と経つが、こういう上手な広告を見ると、本当に民営化されてよかったなと感じる。良い広告を作るセンス、許すセンスというのは「官」にはないと断言する。元・国営企業でセンスの良いのはJRとDOCOMO。逆にセンスないのがJTとJP日本郵政と常々思っている。旧所管官庁とは関係なさそうだし、民営化後の経営者の資質であるような気がする。

「八戸人らしいよ」と言われても、ちょっと困るかなと思いながら、心情的には「八戸人になれるらしいよ」と読み取っていた。確かに共通語にならないニュアンスというか言葉はあるよね、と心の底から賛同した。
ちなみにもう一つの大好物、某県民事情某暴露番組では、インタビューに答えた県民が「ひょうじゅんごでは・・・」と発言すると、テロップが「共通語では・・・」と書き換えられている。これはスタッフの見識が高いと感心している。
そうなのだ、日本には標準語は存在しない。イギリスのキングズイングリッシュのように、皇室の方が話す日本語が標準というわけでもない。(個人的に、あれは上級日本語会話体だと思う)
強いて言えばNHKアナウンサーの話し方だろうか。あれが今の日本の話し言葉共通語だろう。ただ、イントネーションとか語彙によっては、民放とお作法が違うらしいので、やはりNHK会話体も放送界の一方言(差別語ではないと思うのだが)なのかもしれない。

八戸駅でJRから青い森鉄度に乗り換える。朝の時間帯は高校生のバス待ち行列が伸びていた。微妙に行列の間隔が空いているので、これがコロナ後遺症の一つだろうなと思う。

駅の改札近くにこれまた「南部」的な飾りが展示中だったが、在来線と新幹線が同居しているせいか、どうも駅の中に統一感がない。というかバラバラな感じがする。それともJR対青い森鉄道の、密かな対抗心でもあるのだろうか。
そもそも駅弁を買いたいと思って駅ナカをうろついていたが、駅弁は新幹線駅構内でしか売っていないようだった。それも理解はできるが納得できない困った現象だ。駅弁ファンとして新幹線駅優遇はすごく反対したい。在来線の駅売店でも駅弁打ってほしい。あるいは駅弁買うための無料入場券を発行してほしい。
ちなみに松本駅で駅弁を買う時に入場券を買ったことがある。あれは、心のダメージが大きい。

青い森鉄道の車両はなかなか自分好みで、車両全体が広告になっているラッピング形式より好ましい。特に木をかたどったキャラが良いなあと思う。

青い森鉄道の中間点、野辺地までは一時間くらいだった。

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マルカン食堂 アゲイン

花巻に廃業した百貨店がある。耐震対応の改築費が捻出できない(改築すると儲からなくなる)ので廃業するというのは、ここしばらく全国で続いている。百貨店という設備産業はもはや儲からない「レガシー」でしかなくなったということだろう。
人口が30万人程度の地方都市、県庁所在地でも百貨店の存続は「無理事業」になっている。その廃業した百貨店の最上階にあった食堂が、百貨店廃業後に有志の手によって再建された。ありし日のデパート大食堂の復活だ。これが最近では人気の名店になっている。わざわざ行きたい店になっている。

営業時間はほぼランチのみだが、昼時には食券を買うための行列ができる。コロナの間は「密」対策もあり大変だったようだ。それでもなんとかビジネスを続け、夏休み期間中は大混雑だったらしい。良いことだ。コロナ不況に喘ぐファミリーレストラン業界は、この大食堂を再学習すべきだろうなあ。昔は流行っていて今は無くなっているものを、現代風に再生するというのは立派なビジネス戦略だ。

箸立てが、圧倒的なレトロ感 今ではここ以外で見ることも少なくなった

テーブルの上の調味料群がたまらなく懐かしさを感じさせる。醤油とソースに加えてタバスコと粉チーズがあるのは、この店最大の人気商品のせいだろう。周りを見渡すと四人に一人くらいは、そのスパゲッティ料理を注文している。パスタではなく、スパゲッティだ。
ただ、今回はスパゲッティは注文するのを諦めた。コレまで何度か訪れて、積み残しの宿題になっていたメニュー、普通のラーメンを頼むつもりだったからだ。

世の中のラーメン屋では濃厚豚骨系スープが主流となって久しいが、それでも昔懐かしあっさり系ラーメンを売りにする店もある。ただ、その平成風あっさり中華そばも昭和のラーメンと比べると、それなりに濃い味付けになっている。
このマルカン大食堂では、「濃い」ラーメンではなく、実に本当にあっさりしたラーメンが出てくる。麺も細めで、ツルッと食べるとはこういうことだろうと実感できる。トッピングも海苔になるとにチャーシューとメンマ(シナチクといいたい懐かしさがある)の組み合わせだ。The昭和と言って良い。完食するまで3分もかからない。

本当はラーメンだけにするつもりだったが、食券を買うときにどうしても誘惑に勝てなかったオムライス。コレはまさに食の造形美と言いたい黄色と赤のフォルム。料理としては完成形だ。銀座あたりの洒落た洋食屋で出てくるものとは異なる。中身のチキンライスはケチャップ味でチキンも少なめなのが良い。オムライスはご飯料理だし卵料理だ。
たっぷりかかったケチャップを楽しむ料理でもあるので、コレを肴に酒を飲むことができるくらいだ。その時は、黒ビールの小瓶がよろしい、などとこだわるのが昭和生まれのいじらしさだ。

ラーメンとオムライスに餃子を追加するという無謀な注文をした。花巻の名物餃子店「夜来香」が廃業することになり、マルカン大食堂でレシピーを受け継いだそうだ。この餃子はは満腹であっても挑戦すべき食べ物と思い、あえて注文した。
腹はきついが餃子は美味い、という困った状態で泣きながら(笑)完食した。皮の焼き目が強く、カリッと仕上がっている。具材はシンプルで肉餃子というより野菜餃子に近い。最初は浜松式に酢と胡椒で、途中から酢醤油とラー油に切り替えて食べた。まさに名店の味というものだった。

そして、マルカン大食堂マストバイアイテム、ソフトクリーム。甘いものは別腹という人がいるが、個人的にそれは嘘だと思う。満腹でデザートは、やはり御辞退申し上げる。ただ、今回はそこを曲げて食べてしまった。
ソフトクリーム自体はあっさり系で、昨今の主流である乳脂肪たっぷりの濃厚ソフトではない。コレが救いだったなと今更ながらに思う。
このソフトクリームの特徴は、味というより高さにある。そして、固形分が少なめなのですぐ溶ける。さっさと食べなければ上からドロドロと流れ落ちる。
そこで?、箸で摘んで食べるという「花巻式」の食べ方になる。周りでソフトを箸で食べる客が大半だ。迷わず箸で食べる。
相変わらずの「旨し」だった。このソフトの高い盛り付けは、ほとんど職人芸だなと味とは別のところにも感心した。

お約束の記念写真撮影用の穴あき看板も、箸を持ったソフトクリームなのだから、この店のソフトクリームがどれだけ人気者なのかよくわかる。

しかし、花巻に来てソフトクリームを食べて、それで帰るというのも、いささか寂しいものがある。次回は、温泉と宮沢賢治ゆかりの場所に行かなければなあと反省しつつ、花巻市の滞在は3時間だった。

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各停の旅 IGR+青い森鉄道

IGR いわて銀河鉄道の略

盛岡駅にはJR専用入口とIGRの入り口がある。JR改札口から直接の連絡口は見当たらなかった。2階にあるJR改札を出て一階のIGR改札へ移動する必要がある。多分、各駅停車で盛岡駅を跨いだ移動をする人はあまり多くないのだろう。

改札口もJRのものと言われれば見間違えてしまいそうなほどだ。わざわざ入口を分ける必要があるのだろうか。なんだかなあ、という気もする。

駅のホームはJR時代のものがそのまま使われている。だから0番ホームがある。このゼロ番ホームは鉄道オタクの方に蘊蓄というか説明を受けるとなかなか面白い。駅ができた後に追加ホームが造られたりすると、ある種の法則で命名されるらしい。鉄オタではないので、何度説明されても忘れてしまう。笑うしかない記憶力の低さだ。

駅名表示を見ると、盛岡が始発駅なので右側は空欄になる。JRの支線でも終点駅は似たような表記になっている。支線マニアというか終着駅好きとして、この片方空欄の駅名表記にはドキドキしてしまう。

JRから移籍させられた私鉄の車両は、なかなか派手になる傾向がある。ラッピング広告というか走る看板というか………時間がある時には、ゆっくりと車両全部を眺めてみる。
各駅停車の旅をしていると、鉄オタらしきジイさんと同行することがよくある。自分も含めて、停車中の車両の写真を撮りまくるという特徴があるのですぐわかる。また、始発駅から終点まで乗っているので、何度も同じ人をホームで見かけることになる。コレも各駅停車の旅の学びだ。
青春18切符はすでに高齢者専用になっている感がある。JR各社もネーミングを変えて新しい「高齢者向け各駅停車切符」を売り出した方が良いと思うのだが。「大人の休日」を使える金持ちジジイより、各停旅をする貧乏ジジイが多いと思います、ハイ。

コロナのせいであまり情報露出されていないと思うのが、東北・北海道の縄文遺跡の話だ。これも広く点在している遺跡群なので、ここを見に行けば良いという、一点豪華主義観光地ではないせいもあるのだろう。コロナが落ち着けば広域旅行が再開するので、という地域の思惑もありそうだが。
世界遺産認定後は観光資源として3年間しか持たない。それが、過去の認定地の実態だ。早く観光資源化した方が良い気もするのだが。

IGRの終点は青森県に入った最初の駅までで、そこから先は青い森鉄道の路線になる。ただ、八戸までは直行できる。なので、終点八戸ではIGRではなく青い森鉄道の駅名表示になっていた。

そして、ここからはJR八戸線で本八戸まで移動する。東北はJRと旧JRな私鉄路線があちこちで入れ子になっている。普通の青春18切符では乗り継ぎがややこしい。JR路線以外は、通常の切符を買わなければならない。事前に路線をよく調べておかなければならない。
これは新潟から北陸でも似たような状況になっている。

車両を眺めていて、ふと気がついた。「鮫」という駅名は、相当にユニークだろう。鉄道駅名には難読文字が多いが、駅名が動物という駅は他にもあるのだろうか。犬とか猫は思い出せない。鳥の名前であればどこかにありそうな気もするが、それでも一文字というのはあるのか。などと考えていたら「燕」があるなと思い出した。「鶯」とかもありそうな気がする。二文字になれば朱鷺とか大鳳など立派な漢字の駅がありそうだ、あるると嬉しい…… 
「鮫」以外では鮭とか鰊、鯛や鮃など鮨屋の湯呑みに書かれた魚ヘン漢字の駅も記憶にない。こんなことも旅先での発見と楽しい妄想だ。

本八戸はJR線なので駅名表示が緑色の帯になっている。この辺り、よくよく見ないと気がつかないが、鉄オタにとっては初級知識らしい。ちなみに八戸駅周辺は市街地から相当遠い。鉄道で二駅の距離、タクシーだと2000円以上かかる。なぜ、これほど離れた場所に駅ができたのだろうか。

本八戸駅の改札を出た目の前に蕎麦屋があった。夕方に着いたのだがすでに閉店していた。煮干ラーメンもメニューにあるので、ぜひ賞味してみたいと思ったが、次の日も朝早くから移動なので食べる機会がなかった。次に八戸に来ることがあるかは微妙なのだが、このそば&ラーメンの店は挑戦したいな。

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仙台 ぶらり2

夕方の仙台をぶらぶら歩いていたら、あちこちで面白いものに出会った。一つ目は居酒屋の看板で、こき使われるサラリーマン応援店。こき使われるのは今でも変わらないが、コロナの最中は自宅勤務の人も多かったのではと、あれこれ思ってしまう。大衆酒場という言葉は、懐かしいやら物悲しいやら。平成生まれの世代には新しい響きらしい。大衆という言葉自体がほぼ死語だと思っていたが………

店構えがかっこいいなと思い、よくみたらうどん酒場と書いてある。思わず入りかけたのだが、入り口に閉店とある。店内は明るいので、どうしたのかなと不思議に思った。貸切で閉店かな。

よくよく見ると完全閉店で、改装して違うお店になるようだ。おやまあ、という感じ。次は串揚げの店になるのか。でも、うどん酒場のうちに来てみたかった。1週間早く旅をすればよかったのだなと残念に思う。どうにも諦めきれないが、これも旅の運次第だったのだ。人との出会いもそうだが、お店との出会いも一期一会だ。

東北で初の優勝はなかなかすごい賑やかさだったようだ。仙台は地元だけにさぞかし盛り上がったことだろう。しかし、「東北初」と書かれているが6県はまとめて一家のような感覚があるのだろうか。旧称国名で言っても陸奥、出羽、津軽、磐城、会津とバラバラな国だったような気もするが。戊辰戦争で負けたせいで一体化したのか?

仙台は和菓子屋が多い。そのためか、老舗の有名店でもバラ売りをしてくれるのがありがたい。ふと思いつき最中とどら焼きを一つずつ買い込んだ。

仙台の繁華街の中心、一番町にあったお茶屋さんが店を閉じていた。ここはお茶もうまいがお菓子もうまいという名店で、かれこれ20年以上仙台に来るたびにお世話になっていた。実に悲しい。コロナはお茶屋も潰すか、と憤慨していた。

と思っていたら、懐かしの看板を発見した。どうやらお引越ししただけのようだ。仙台市民であれば、閉店前から移設の告知看板などでしっかりと理解していただろう。こちらは久しぶりの仙台なので、それを知らなかっただけだ。お菓子の新作も増えていた。めでたしめでたし。

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仙台でぶらり

仙台に新幹線以外で来たのは初めてだった。各駅停車の長時間移動でお尻が相当ダメージを受けている。各停の旅をすると、毎回初日にこの手厚い歓迎を受けて思い出す。軽量の座布団を持ってくるべきだと…普通列車のシートは長距離移動向けには設計されていないことを、すぐに忘れてしまう。
ホームを登ってコンコースに出たら特急の看板があった。この列車だったら、尻ダメージは少ないのかもなあ。

仙台の晩飯は、昔よく通った居酒屋にした。本店は閉店したようなのでホテル近くにある支店に行く。その途中で街見物をしたのだが、あちこちでランドマークにしていたお店がなくなっていたのは残念なことだ。

お目当てにしていたマグロ刺身盛りは休日のためかおやすみ。当てが外れてしまった。そこで、第二の選択として楽しみにしていた「カツカレーのライス抜き」だが、これはメニューごと消えていた。実に悲しい。
とりあえず時間稼ぎにガリ鯖を注文した。これでちびちびやりながら、メニューを確認しようという作戦だ。チビチビ飲むうちに気がついたのだが、メニューが半分くらい変わっている。

自分のお気に入りメニューがほぼ全滅していた。時間が経つのは早いものだなどと感慨に浸ってしまう。自分にとってのコロナ禍とは、まさにこういうことだ。気を取り直して新メニューに挑戦した。
「酢豚のうまいところだけ」というものだ。ネーミングはセンスあるぞと思いつつ実食した。要するに酢豚から野菜を抜いて肉だけにしたようなものだ。これはこれでうまい。串カツから串を抜いたようなものだと思った。一口カツの変形とも言えそうだ。
ただ、酢豚は中に入っている玉ねぎが好きなので、これではちょっと物足りない。できれば「玉ねぎたっぷりの酢豚」が食べたいものだ。久しぶりにあれこれと楽しませてもらった。次回来るときはカツカレーのライス抜きが復活していますように。

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各停の旅 東北本線終着 盛岡

常磐線で仙台まで来て、とりあえず早めにホテルに入ることにした。久しぶりの仙台の街はあちこち変わっているはずなので、夕方は仙台街中の散歩をするつもりだったあ。荷物を置いたら晩飯の場所を探しがてらのぶらぶら歩きだ。
予想通りというか、残念ながらというか、何軒かのお店がしまっていた。ビルごとなくなっている店もあった。コロナはまちの姿を変えるというか、破壊したのだ。ちょっと物悲しい仙台の夜だった。

仙台から東北本線を各駅停車で北上すると、最初の乗り換え駅(乗り継ぎ駅)は、小牛田になる。ここから海岸を目指せば気仙沼に着く。前回の各駅停車の旅では気仙沼から小牛田に来た。

小牛田を超えるとすぐに岩手県になる。岩手県内はただただ北上するだけなので、車窓からの景色が変わらない。基本的に山と畑が続く。途中で世界遺産の平泉もあるが、今回は素通りだ。

一関が岩手県の玄関口というか、北上してきた時の乗り換え駅になる。新幹線も止まるので、駅自体は随分と大きい。東北本線では大きい駅の一つだ。ただ、東北本線で最大の駅は仙台駅で、他の駅とは別格の大きさだから、それと比べてはいけない。

一関から盛岡まで

一関は、なぜか理由はわからないのだが「黄色いモンスター」にお出迎えされた。スタンプラリーが開催されているらしい。夏休みには子供向けの人気キャラスタンプラリーで乗客ゲットというのは鉄道各社でよく行われている。北東北限定のスタンプラリーのようだ。

ご丁寧に等身大?のモンスターもご挨拶している。子供だったら通り過ぎるのが難しい関所だろう。と思って見ていたら、幼稚園くらいの子供が、この場に立ち止まっていた。祖母らしき年配の女性は諦めたように、何も言わず待っていた。子供連れの家族が何組もいたら、場所取り写真取りで忙しいだろうな。

改札口には古典的なお出迎えのパネルがあった。個人的には、こちらの方が何やらホッとするというか、懐かしいし安心する。

駅正面を見ると最近の近代化改装されたJRの駅とは趣が異なる。やはり懐かしの「観光地の駅」のイメージがある。温泉に行く時には、こういう駅が良いなと思うのは、既に昭和ノスタルジーでしかない。一関で駅弁を買おうかと思ったのだが、駅弁は新幹線の売店で売っているらしい。

ここから盛岡までJR東北本線はつながっている。ただし、今回は目的があって盛岡に直接は向かわず途中下車することにしていた。

一関から盛岡行き

途中で降りたのは、あの有名な花巻駅だ。ちょっと前まで花巻といえば宮沢賢治の駅のはずだった。今でも宮沢賢治の記念館を訪れる人も多いだろう。ただ、最近の花巻スターは大リーグで二刀流の大活躍をするベースボールプレイヤーだろう。まだ現役選手だけに、駅に彼の「顔」が登場していないようだが。

花巻からは海岸に向けて乗り換えると釜石に着く。初めは、そのコースを通り海岸沿いの三陸鉄道で北上するつもりだった。ただ、接続が悪く行程上でもう一泊しなければならないようで諦めた。

花巻から盛岡までは短い移動で済む。ちょっと予定が早く終わって駅に戻って見たら快速が発車直前で、あわてて飛び乗った。車内はほとんどが高校生で通学専用車みたいな雰囲気がした。

1時間もかからずに盛岡に着いた。ここがJR東北本線、各駅停車での移動の終着駅になる。盛岡から北は、新幹線が開通した後にJRから分離されて、岩手県部分と青森県部分がそれぞれ私鉄になっている。盛岡駅では乗り換え口はなく、一度駅の外に出て別の入口から乗車するようだ。

盛岡駅は新幹線駅でもあり、北東北では最大規模の駅だろう。駅前広場を延々と工事をしていたが、3年ぶりに着て見ると工事が終わっていた。駅前のホテル建設も完了したようで、工事のフェンスなどはすっかりなくなっていた。

その工事の終わった広場は、どうやらイベントスペースになっているようで、お決まりの記念写真用パネルが置いてあった。さんさ踊りのパネルは、夏の終わりにちょっと悲しいが、この日の気温は30度を超えていたので、まだ夏の終わりというには早い感じもする。

盛岡駅での待ち時間は1時間ほどあった。駅ナカを彷徨い回ってみたが、一番気になったのは山盛りにされた福田パンだった。3年くらい前はこの1/3くらいの品揃えだった。いつの間にかスタンド台が二台、他にもう一面の陳列棚がある、堂々とした盛岡を代表する「土産物」になっていた。確かに福田パンは美味しい。自分の好みで味を選べるのが良いのだが、これだけ並んでいれば一つやふたつはお気に入りのものがあるだろう。

あれこれ迷ってしまい、結局この日は福田パンを買うことにならなかった。もし天気が悪かったら、この福田パンを2種類くらい買って、ホテルで晩飯にしたような気がする。
盛岡の隠れ名物と思っていたが、いつの間にかすっかり表舞台の人気者になっていたのだね。