街を歩く, 旅をする

金沢で夜の散歩 都会の楽しみ

金沢駅の駅前改良工事が終わっていた。完成後の駅前広場は「都市美」というか「機能美」に溢れている空間に変わっていた。駅に向かう歩行者の散らばり具合が、都市としてちょうど良い。適度に賑やかな感じがする。東京のターミナル駅で見る、レミングの群れが暴走しているような猛々しさはない。
人という生物の生理的感覚として、大都市駅の密度はやはり異常というか、気に入らない空間なのだと思う。三密などというゲスな言葉とは無縁な、近代都市空間とはこういうものだと言っている気がする。

金沢駅西側はすっかりホテルとオフィスビルの街に変わっていた。不思議なことに金沢の人口を考えると、この街の賑わいは他の中規模都市、特に県庁所在地を凌駕している。賑わいだけを見ると、ほとんど政令指定都市のレベルではないだろうか。
いや、人口100万人を切る小型政令指定都市と比べてみても、金沢の方が賑わい度で上のような気がする。やはり、加賀百万石の威光というか名残というか、文化と観光の街として格の違いがある。

その影響を受けて駅ビルのなかも夜遅くまで営業しているお店が増えた。たまたま見つけた閉店時間間近のパン屋で面白そうなメロンパン?を見つけた。バナナと胡麻という組み合わせは見かけた記憶がない。おまけに好物のメロンパンなので、ついつい誘惑に負けて一つお試し買いをすることにした。
味は、バナナが強く胡麻はほんのりな感じだった。メロンパンの味は表面のビスケット生地で決まるものだと思い込んでいたが、この胡麻バナナメロンパンは、中のクリームが味の決め手だった。うーん、実に美味い。

閉店間際でもこれだけ並んでいるのは、売れ残っているのではなく、人気なので売り切ってしまうのだと思う。後で写真を見返していて気がついた。このパンはメロンパンではないのだな。どこにも「メロン」の文字は書いていなかった。見た目での思い込み……………おいしければ良いのだよ。

そのメロンパンもどきを買う時、もう一つ気になってしまったのが「加賀棒ほうじ茶デニッシュ」だった。加賀棒茶というものは、金沢名物として聞いている。お茶に詳しいとはいえないが、金沢で飲ませてもらった棒茶は美味しいものだった記憶もある。
しかし、一番惹かれたのはきな粉がかかっていることだった。揚げパンのきな粉がけは好物だ。シンプルなきな粉の味が好きなのだが、安倍川餅や信玄餅のようなきな粉まみれのお菓子も好んで食べる。

加賀棒茶よりもきな粉に引っかかったというのが正直なところだが、このパンの中身に入っているお茶クリームは上品な感じがして気に入った。パンというよりデザートに近い。お茶を使ったクリームは抹茶だけかと思っていたが、ほうじ茶で仕立てるあたりは、やはり金沢の味覚文化なのかもしれない。
夜の街をフラフラと歩き回っていると、こういう美味しい場面に出会うことも多い。適度な都会の賑わいが感じられる金沢は、さぞかし住みやすい街なのだろうなあ。
あの冬の曇り空は好きになれないんだけどね。

旅をする

加賀国 白山比咩神社 

神社の名前は難しい。「しらやまひめじんじゃ」 と読むのだそうだ。主祭神が白山比咩大神なので、日本海沿岸に広がる大国主系とは別系統の「越国」神社だ。調べてみると菊理媛尊(くくりひめのみこと)とも呼ばれるようだ。高天原神族の中では古手の神なので、やはり越の国でも大物の神様だったのだろう。
ナビの指示通りに辿り着いたた大きな駐車場から、鳥居をくぐり境内に入るとわかったのだが、こちらは表参道ではない。表参道はずっと下の方から続く階段だった。
足弱な人のためには坂道を登らないでお参りできるのはありがたいが、なんとなく裏口から入るようで申し訳ない気がした。
グーグル先生のナビロジックはちょっと変わっている。こちらがもう少し使い方を考えないと、裏口を勧めるらしい。本殿に近いからだろうな……………

神社によってさまざまな対応だが、 そのお社の由緒を説明してくれる掲示があるところが半分くらい。お祀りしている神様の名前が書かれているくらいの簡素なものも多い。さすがにこの神社は一ノ宮だけあり、かなり詳しく説明されている。日本海沿岸部、北九州、瀬戸内などの古代大和王朝に吸収された地方王国では、神社の由緒をよく読まなければいけないと思う。征服王朝と滅亡した王国が祀っていた神様が、一つの神社の中で融合合体しているのがほとんどなので、それを読み解くのが神社巡りの楽しみの一つだからだ。
長野における諏訪大社のように、大国主命を担ぐ一族が亡命してきたような地域もある。東日本は日本武尊の統制伝説にあるように、比較的後の時代に征服されたので、神社と主祭神の読み良き方は別になる。それは、また別の機会に………

樹齢1000年のケヤキがあった。これだけ長生きしている古木はすでに神様の領域に入っているような気もする。まさに御神木だ。一ノ宮は長く続く神社ばかりなので、あちこちに樹齢500年、700年などの長寿な木はたくさんある。伊勢神宮内宮であれば、境内にあるすべての木が超長寿に見える。100年や200年くらいでは、まだまだ若いねえ、と言われそうな貫禄あるものばかりだ。それでも1000年越えはやはり少ない。思わず手を合わせてしまうありがたさがある。

こちらの鳥居が表参道を上がってきたところにあるもので、確かにこちらから入っていく方が正しいお参りのお作法のような気もする。

比較的小ぶりな神社だなという感じがするが、端正な姿だった。大きなお社も良いが、やはり小体な方が好みではあるのだ。加賀国一ノ宮は美しいな。

食べ物レポート, 旅をする

高級で回らない回転寿司

金沢、富山では回転寿司のレベルの高さが違うと何度も聞かされた。実際に、金沢でも富山でも回転寿司を食べてみて、その質の高さは納得している。そもそも回転寿司なのに皿がほとんど回っていないのが現実で、「まわる寿し」と書いてあっても、「たまに」の一言が抜けていると思う。
ここも人気店対応で、店頭に順番待ちの発券機がある。そこで席待ち予約をしてあとは呼ばれるのを待つ仕組みだった。呼ばれるまで10番くらいの番号差がある。30分くらい待つことになるかなと思ったが、もう少し時間がかかり、それでも40分程度で入ることができた。

本日のおすすめのメニューがカウンター席に置いてある。同じものは目の前にあるタッチパネルでもわかるのだが、一覧で見るにはこちらの方が圧倒的にみやすい。デジタルとアナログの融合として、なかなかありがたい仕組みだった。外食産業のDXとは、こんなふうにデジアナ合体策になるのだろうなあ。

まずは一番食べたいものを注文する。鮨の順番のセオリーというか理屈はいろいろあることは知っているが、そんなものを守ったことはない。自分のやり方は「食べたいものを食べたい順に」だ。特に、回転寿司などはすぐに腹一杯になるので、その前に自分の食べたいものを食べないと、とても後悔する羽目になる。
だから、最初はあわびにした。それも腹の膨らみを抑えられる「一貫」で注文できるのが嬉しい。

続いて日本海でご当地ネタといえば「ノドグロ」を忘れてはいけない。これは普段口にすることがない魚だけに、期待度は高いし、期待を裏切らない脂の乗った旨味だった。

そして、ご当地ネタとしては初見参の「たら」。能登沖で獲れたマダラとのことだが、鱈を刺身や鮨で食べるのは初めてだ。北海道では「たら」と「ほっけ」の生食は珍しい。
これは柔らかめの身がねっとりとした食感でなかなかに逸品だと思う。

その後はいつもの好物で、しめサバ(自家製)、イカゲソ、光り物セットを連続して食べ、締めはずわい蟹だった。ついつい勢いで頼んでしまったが、これは明らかに注文しすぎで、満腹中枢が限界になった。うまさに負けたということか。
100円回転寿司にはそれなりの良さやうまさがある。まさにコスパの良い「寿司」だろう。うまい「鮨」という言い方をするのであれば、やはり金沢の回転寿司はおすすめだ。
ただ、個人的経験で言えば、札幌の人気回転寿司もこれに負けない質の良さはある。が、ネタのバラエティーでは金沢が勝っているというところだろう。金沢の夜はまわらない回転鮨で満足した。

旅をする

金沢城の風格 そこで見た夢

金沢には何度も訪れた。仕事で行ったことも多いが、観光にも行っている。金沢の名所はだいたい見て回ったはずだ。ところが、なぜか金沢城だけは行ったことがない。隣の兼六園には何度も行ったのだが。お城に興味がなかったと言えばそれまでだ。
今回は石川門という兼六園よりの入り口からお城を見に行った。

金沢城の全体を見るには半日かかりで歩き回る必要がありそうだ。よく広さを東京ドーム何個分みたいな表現をするが、この全体図を見る限りドームの2個や3個では足りない気がする。昔、真夏に兼六園を見に行って暑さで死にそうになって退散した記憶が蘇る。兼六園ですら見切れなかったのだから、金沢城全体を見て回るのは大冒険だろう。

お城の門は、ある意味侵入者の防御施設なので、小ぶりな城でも門は大仰なものだ。特に復元したお城では、門が大きめに作られている気がする。ただ、この金沢城の石川門は石垣と合わせるとほぼ原寸に違いない。門扉をしみじみ眺めてみたが、厚みといい頑丈さと言い、破城のための専門道具が必要だというのがよくわかる。

おまけに門を攻め落とそうとすると、門扉の上にある白壁に開いている矢間から、弓矢や鉄砲で撃退される。時には大きな石を投げてきたり、煮えた油や熱湯をかけたりもするから、攻めようとしてもそう簡単にはいかない。
攻城戦では、守備方の兵に対し3倍以上の人数で攻めても、城は簡単に落とせないというのは本当だなと思う。門の上から矢を射かけてくる弓兵一人を倒すのに、こちらは三人やられてしまうという計算だ。勝つためには二人やられる前に弓兵を仕留めなければいけない。
これは難しい算数だし、ほぼミッション・インポシブルのような気がする。おまけに門の脇にある石垣は、現代コンクリート建築のように表面がなだらかで、ロッククライミングの達人でも、このすべすべな石垣を登るのが難しそうだ。

あちこちで城を見てきたが、これほど石垣表面が平らな城は珍しい。江戸城の石垣を除くと、この金沢城くらいではないだろうか。ジグソーパズルのようにパーツを磨き上げてはめていくのは、もはや実用技術というより美術品に近い。
石積み職人の数も必要だろうし、さぞかし金がかかったことだろう。金持ち大名だけができる金満築城術であり、最高品質、プレミアでゴージャスなお城だ。さすが戦国時代の最後を信長、秀吉、家康と三代に渡りあい、そして生き残った前田家の産物と感嘆する。すごいな利家。長生きもしたし、すごい武将だったのだね。

門内はただただ広い。今では広場になっているが、当時は御殿の一部が立ち並んでいたのだろう。内堀もあるので、攻め込まれた時には防戦拠点として、第二次防衛線にあたる場所だ。この広場に立ち並んだ陣地は、縦深防衛拠点として脅威だっただろうなあ。

内堀に面する石垣も、それなりに表面を加工された手がかりのない石垣になっている。矢間も二層になっているし、内線防御になると兵密度は上昇するから、攻城戦を仕掛けてみても、一段抜けばまた一段見たいな「もう勘弁してよ」と言いたい状況になる城だ。
この第二線を抜いて本丸に辿り着くには、また一段レベルアップした仕組みが待っているのだから、金沢城攻めは一年かかっても攻め落とせないのではないかと思う。
戊辰戦争の時に福井と金沢で松平、前田が西軍に抵抗したら、そして冬季戦にまで持ち込まれたら、西国反乱軍は負けていたかもなあ、と思う。
おまけに福井から金沢に向かう山越の道は、兵站維持のためにはとてつもない障害になるだろう迂回路として海路による兵站維持を考えれば、金沢に近い港を制圧しなければならない。
他の陸路としては、中山道から富山に抜ける陸路、新潟から富山に至るルートも考えられるが、どちらも山越えの難路で、おまけに日本海側は有名な親知らず子知らずが待っている。
考えれば考えるほど、金沢城は日本海沿岸部を侵攻する軍にとって、とてつもない障壁になる。やはり徳川政権は最後の将軍が武断派でなかったから滅びたのだろう。

金沢城防衛戦を妄想しながらあちこち見ていたら、この内堀の底は深い泥で、入り込むと1mくらい体が沈むようになっていて、足が取られて動けなくなった兵に上から大きな石を投げつけるみたいな想像をしてしまった。そうして倒れた兵士を足場にして押し寄せる敵軍、そこに上の矢間から……………
金沢城で前田家1万人が籠城戦を始めると、西国軍は4−5万人を投入しなければならないので、兵員不足で東国戦線が形成できない。そのうち徳川系諸藩があちこちで呼応して反抗戦を始める。
そうなると京都にいる天皇・公卿を防衛するため戦線が琵琶湖周辺まで後退し、第二次関ヶ原勃発。そこへ英仏がそれぞれ西国連合、徳川に加担して欧州利権の代理戦争に発展し……………

金沢城ですっかり歴史IFを楽しんでしまったが、その妄想を引き起こすくらい金沢城は巨城だった。夢のまた夢であることには間違いないのだが、戊辰戦争の時に前田の殿様はそんな夢を見なかったのだろうか。

旅をする

金沢駅のぶらり歩き

金沢駅の西側は、すっかり整備工事も終わっていてオフィス+ホテル街に変貌していた。駅前に大きな屋根がかかっているのは、やはり冬の雪対策なのだろう。東側の入口とは全く趣が異なる現代風なデザインで、ここは東京駅とか大阪駅と言われてもデザイン的な違和感はない。

その駅の中をぶらぶら歩いてみた。土産物屋の店先になにやら大男の写真が三人分。これはなんだと近づいてみたら、地元出身の力士の実物大(多分?)のパネルだった。この前に立ってみると力士のデカさがよくわかる。
地元の町にも相撲部屋が移転してきて、場所開幕中の昼下がりにはたまに力士を見かけるが、彼らも大きい。背が高いだけではなく肉体の厚みが一般人と違う。
しかし、石川県人は相撲好きなのだろうか。有名人ということであれば、元ベースボールプレイヤーの方が知名度は高そうだが。

駅ナカの飲食店が固まっているところに、おでんのカウンターがあった。金沢おでんは、知る人ぞ知る金沢名物だと思うが、すごいなと思ったのがおでんの1100円セットだった。おでん3品と酒付きのセットがランチタイム限定で販売中になっている。
金沢の人が特別な嗜好(おでんで昼酒)を持っているとも思えないから、これは観光旅行客向けなのだろうか。あるいはビジネス出張者を狙っているのか。全国あちこち行ったが、昼の酒付きセットは初めてみた。

その向かいにあった牛丼屋もなにやらシックなデザインで、これは金沢限定メニューがあるのではと期待して店頭を覗いてみた。おでんセットと同じように、金沢牛丼+金沢の日本酒みたいなものを期待したのだが、ごくごく普通のメニューのようだった。残念。こちらは地元のヘビーユーザー向けなのだろう。

駅ビルの上階に登り飲食店を探し回っていたら、これまたうまそうなラーメン屋を見つけて、近づいてみたら「あれあれ」となった。なぜ「札幌濃厚味噌」なのかな?金沢白味噌ラーメンとか金沢城金箔ラーメンとか加賀百万石もりもりラーメンとかを期待していたのだが。
金沢の人が異文化の札幌味噌ラーメン好きなのはかまわないが、地元の最強ラーメン店はこういう場所に出店しないのかとがっかりしていた。ところが、あちこちさまよっていたら、駅一階に北陸ラーメン界の王者「8番ラーメン」の店を発見した。当たり前のように、そこは満席で行列ができていた。地元客対応だろう。
その向かいも金沢カレーの名店があり、同じように空席待ちだった。なるほど、地元客対応の店は一階なのだなと納得した。次回からは一階をメインに歩き回るべきだなあ。

駅弁

加賀百万石で駅弁

駅弁とコンビニ弁当を同列に語ってはいけない、といつも思う。駅弁、特に幕内系のおかずいろいろ盛りだくさん弁当を、コンビニ幕内弁当と比べるのは失礼だという気がする。幕内駅弁に近しいものとは、やはり歌舞伎観劇の時に幕間で楽しむ真正・幕の内弁当ではないか。
あるいは和食惣菜店のちょっとお高い幕の内弁当(松花堂弁当などという懐石系の弁当も含む)でも良い。ただ、最近の駅弁の傾向として、ヒット商品は「一芸達成型」が多い。牛肉が一面に載っている焼き肉系や、イクラとサーモンが全面に敷き詰められている海鮮系が駅弁ランキングにトップを占めている。幕の内弁当は旗色が悪い。しかしだ、自分の好きなのはゴージャスな幕内であるのも間違いない。米沢の「牛肉ど真ん中」も好きだが、弘前の「津軽のうまいもん」とか、京都駅で買った「近畿味巡り」みたいなちまちまおかずたっぷり弁当が好物なのだ。
確かに、駅弁とは冷めた時にうまく食べる工夫がされている弁当だ。コンビニ弁当のようなレンジアップを前提とした弁当とは、そもそも料理法や味付けからして異なる。別の種類の食べ物と言って良い。
冷めた白飯をおいしく食べるには、濃い味付けの肉や魚を白飯と一緒にかき込むスタイルが正しい。それはわかる。ただ、駅弁の楽しみ方として(最近はちょっと難しい感もあるが)、車窓の光景を眺めながら、幕内弁当のような「ちまちましたおかず」を肴に一杯やる、という古典的な旅のお作法があるではないか。それが肉だけ弁当だと、あるいはいくらだけ弁当だと、ちょっと辛い。

駅弁で美の極み

そういう旅を満喫する名脇役として、この加賀「百万石弁当」はパーフェクトだ。上段中段にならぶ6種のおかずは、ほぼ完全に酒のつまみだった。右上段に入っているあんころ餅がデザート的に見えるが、酒の肴の箸休めとしては秀逸すぎる。
崎陽軒のシウマイ弁当に入っている杏のようなものだ。駅弁に入っている甘いものは、小ぶりで一口サイズだ。どの駅弁でも似たようなものになっている。駅弁界の並行進化というか収斂進化というか。「駅弁甘味の法則」と言いたいくらいだ。このあんころ餅もサイズ、味共に実に納得できる。
下段には三種類の飯グループがそれぞれ独自な主張をしている。炊き込みご飯、押し寿司、そして梅干白飯と米ですらバラエティーを楽しませる。作り手の哲学、味のエンタテイメント性重視がよくわかる。
まさに美食の国、加賀の駅弁だ。感服した。と思っていたら、これより売り上げランキングが上の幕内系駅弁を発見してしまった。なんと「朝倉氏」にちなんだもので、これは金沢駅弁ではなく福井駅弁では?とも思ったので、今回はパスした。が、次回は是非にも金沢駅ナンバーワン駅弁に挑戦してみたい。

旅をする

富山城で歓声が響いていた

全国百名城を巡る旅、というか名城スタンプラリーは、本編、続編を合わせて200城が対象になっている。北は根室から南は沖縄本島まで、コンプリートすると認定証がもらえるというのが唯一のご褒美。(それだけ、と言えばそれだけなのだが)
その城巡り、東日本分も残すところ残りわずかになった。東日本の定義は、自分で勝手に京都より東と決めているので、北陸三県と滋賀、岐阜、三重が東西の境界になる。コロナのせいで2年半以上活動中止していたがようやく再開できた。(コロナ期間中はお城の閲覧自体が中止になっていることもあったせいだ)
今回の城巡り旅で最後に訪れた城は「富山城」。城址は公園になっている。都心部でこれだけ広々とした場所は貴重だ。あちこちで年代性別を問わず、散歩をしたり野遊びをしている。
だから、城址の前に立って写真を撮っていると、いきなり若い女性の歓声が聞こえてきた。なにごとだとあたりを見渡してみたら、チアガールズの大集団が練習中で、やたら元気が良い。周りの散歩客も立ち止まってみていた。よくよく観察してみると、チア集団以外にカメラクルーがいる。どうやらチアガールの「応援パフォーマンス」を撮影をしているらしい。ひょっとすると観光客向けPVでも撮っているのだろうか。どうも声が小さいというような注文がついているようだった。お城の前で若い女性の大歓声を聞いたのは初めてだった。すごいな富山。ふと疑問に思ったのが、富山にはチアダンがいるのだろうか……………

全国に残る城址の大部分は、公園になっていることが多い。都市部であれば貴重な開放スペースになっている。人里離れた山の上にある場合は、ひっそりと石碑が残るくらいだが、それでも展望台くらいは置かれている。
県庁所在にある場合は、入場料をとって観光名所になっていたりもするが、富山は誰もが使える普通の公園だった。北陸で比べると、石川県では金沢城が完全に観光施設になっている。福井県はお城の中が県庁と神社になっていた。同じ「越の国」でありながら、この三県の差が面白い)
現在の富山城は復元されたものだが、その下部にある城壁、石垣は昔のものが保存されている。全国にある復元されたお城もほとんど石垣は建設当時のままだ。よくもまあ、人力だけでこんな大きな石を積んだものだといつも感心する。
富山城石垣には人の背丈を超える巨石もいくつか使われていた。築城当時の城主が金持ちだったのだろうな、と別の部分にも感心した。端正に形を揃えた石が積まれている積み木細工のような城壁は建築美の極みと言って良いだろう。

ところが、富山城の石垣には、もう一つの面があり、こちらは大きさがまちまちの石をゴテゴテと盛り上げたように見える。素人目にも崩れやすいのではと思うのだが、当時の職人がそれなりの経験で作り上げたのだろうから、これはこれで大丈夫なのだと納得することにした。
しかし、大きな地震がくると崩れそうな気もする。あの熊本城でも石垣が崩れていたしなあ。

城郭を見る時、石垣の美しさは独特のものだ。そして、このお堀に面して立ち上がっている「角」の曲線こそが美の極み。なだらかなアーチ型の角、稜線はいつみても感動する。これも石垣の高さが関係するのだろうが、お城によって微妙にカーブが異なっている。それを見るのが、城めぐりの楽しみの一つだ。
江戸城(正しくは?千代田城というらしい)の石垣は、流石に天下統一した最高権力者が作ったものだけあって、巨大で荘厳なカーブだが、個人的には富山城くらいの石垣が好みなのだ。

石垣の上は歴史博物館のようになっていて、昔使われていた鬼瓦や屋根瓦が展示されていた。瓦を使うのは「火攻め」の防御策だったなあ、と美的感想とは全く異なることを思いだした。それもまた、城めぐりらしい……………

旅をする

越中 一ノ宮はいくつある? 

雄山神社の鳥居 

律令時代から続く日本の旧国名称がある。現在ある県の行政地域とほぼほぼ重なる。ただし、戊辰戦争の後、明治政府に停滞した勢力では懲罰的に地域を変えられたりもしているので、全く同じではない。
そして、それぞれの国にある神社にも朝廷によるランク付が行われていた。神社が国家統制機能を担っていたからだ。宗教と政治が不可分だった古代日本の政治の遺物とも言える。
当時の律令政府が公式認定して「一ノ宮」とされた由緒正しき神社(あるいは政治的に有力だった神社)が、それぞれの国には一つある。それぞれの地方のまとめ役だから、大任だっただろう。中央から派遣される国の行政長官とは別の、地方政治の要役だったのではないか。
ところが、なぜか一ノ宮が複数ある国もある。手近なところでは武蔵国で。一ノ宮は複数あり、それも対立しているようであちこちにある。よく聞く本家と宗家の争いみたいにも見える。
越中国(富山県)もその一ノ宮複数擁立地域の一つで、これは古代日本で日本海沿岸王国が建国されていた名残だろうと思う。今の福井県から新潟県にかけての領域で、統一「越の国」ができるまでは、対立していた地域の神様が、それぞれに「俺がこの国の一番」と言って生き残ったみたいな話ではないだろうか。

越中「雄山神社」は山岳信仰系の本山みたいなもので、本社は立山山頂にある。足の強い元気な人は夏にそこまで登っていくのだが、足弱なもの向けに平地に分社が立てられている。神社の中には、頓宮と呼ばれる分社(仮設支店?)を置く場合がある。冬など季節により本宮に詣ることが困難になるため便宜を図ってくれる。日本の神様は親切だ。残念ながら山登りをする元気はないので、こちらでお願いしてきた。

ナビの言う通りに走っていたら、着いたのはどうにも裏側の駐車場のようで、お参りが終わってから正門に気がついた。巫女さんに聞いてみたら、ナビの指定で表側につかない(つけない?)人は多いそうだ。地図会社はもう少し勉強してほしい。
今回はグーグル先生のお世話になったので、あわせてGoogle 日本地図スタッフにも注文したい。明らかに神社や寺の駐車場の設定は誤っていることが多い。正答率は、個人的な経験で言えば2−3割なのだ。

本殿は屋根が平らで寺院的な感じがする。唐招提寺を小降りにしたような簡素なデザインだ。やはり「越の国」には独特の神社様式があるのだろう。少し勉強が足りていないなと反省した。

高瀬神社の鳥居

越中でもう一つの一宮は富山県南部の山際にある。ここは周りが田んぼで囲まれている平野の神社だ。こちらは日本海沿岸に多い大国主命が主神で祀られている。どちらかと言うと「越の国」では、大国主命系神社がメジャー系ではないかと思う。
八百万も神様がいるが、日本の神社は主神の系統でいくつかに分かれていて、それが古代日本の勢力分布と重なっている。その辺りを一宮巡りで考えていくのが楽しい。統一大和王朝が成立するまで、諸国が統合、征伐された過程で、それぞれの国の神様がファミリー化したのが八百万の神様ということだろう。

この時期は七五三のお祝いで、どこの神社も賑やかしくなっていた。結婚式はキリスト教会で、葬式はお寺で、節句のお祝いは神社でと、あれこれ神様を使い分ける日本人はさすがというしかない。柔軟というか緩いというか宗教観に関してはユルユルの国だろう。八百万の日本神さま+1のキリストの神様+1のお釈迦さまくらいで考えているのだ。800万と800万2ではほぼ差はない。どちらもたくさんという意味で同じだ、的な日本人の宗教観はインド・ヒンドゥー的な感じもする。
一神教を信ずる人々からするととんでもない暴挙なのでは………

この太いしめ縄は出雲大社の系統と言うか、大国主命ファミリー神社のスタイルなのだろう。個人的には、これが一番モダンで力強い気がする。

古事記の原本は完全に漢字のみで書かれた本だ。これは大陸王朝正史に倣った書き方だから仕方ないだろう。時代ごとに超・文明大国、先進国の真似をして文化を吸収消化してきた日本文化の源流だ。この当時にカナ文字はまだ発明されていない。(現代で言えば英語で書かれた政府公文書といったものにあたる)だから、古事記を読み解くのは実に難しい。
今回は旅の途中でたまたま現代語訳、つまり漢字とひらがなとふりがな混じりのものを見る機会があった。ホテルの備え付けテーブルに置いてあった。よく見かけるのはキリスト教聖書だが、古事記が置いてあるのは初めてだった。これは一度読んでみなければなと思う。
一ノ宮巡りの基礎知識として、古代王国の歴史を反映した古事記は、ぜひ読んでおくべきだろうと改めて思った。旅をすると学ぶことは多い。

食べ物レポート, 旅をする

新潟県で中華そば @中野

上信越道 中野PA 脇のハイウェイオアシスで見つけた

長い車旅の帰り道は新潟経由長野というコースで、その途中でラーメン屋に入った。ご当地ラーメンを食べようと思いながら、とうとうラーメンを食べる機会のないまま旅は最終日になり、頭の中では「ラーメン」がリフレインしていた。(蕎麦ばかり食べていた気がする)
新潟県は県内のあちこちに独自なローカルラーメン勢力圏があり、長岡や三条など本家争いをしている感じもある。ガイドブックなどでは五大ラーメンの競演などと書かれていたりする。
しかし、今回発見したのは昭和の中華そばと銘を売った店で、ラーメンではなく中華そば。まあ、よいかと中に入ってみたら煮干し蕎麦があるのを見つけ、すかさずそれにした。

海苔を追加すればよかったなと後から反省した

煮干し蕎麦は、だいたいどこで食べてもスープが透き通っている。豚骨+煮干しのWスープであれば、白く濁っている場合もあるが、透明感あふれるスープの方が一般的だろう。トッピングは、太めのめんまと長ネギという、これまた普通の組み合わせだが文句はない。チャーシューが厚切りと角切りの2種盛りだったようだ。ただ、角切りチャーシューはすっかり丼の底に沈んでいたが。
煮干しスープは、山形や青森のような「極濃い」ものではなく、比較的あっさりしている。うまいラーメンを食べたなという気がした。新潟系であれば、長ネギの代わりに玉ねぎというアレンジもあるのだろう。看板商品のあっさり中華そばも食べてみたい気がするが、この場所にまた来る機会があるかどうか。うまいラーメンも一期一会だからなあ。

食べ物レポート, 旅をする

新潟の超B級グルメ

東北ぐるっと各駅停車の旅で、目的地はいくつかあった。一つ目は「恐山」で、ここはしっかりとお参り?ができた。二つ目は五能線の鉄道旅だったが、これは豪雨による通行止めのため失敗。おそらく復旧に数年は時間がかかるはずで、今後の達成見通しは立たない。
三つ目が、新潟名物カレーライスだった。新潟ではラーメンとソースカツ丼も有名だが、今回はパスした。

バスセンターの立ち食いコーナーで販売されているカレーが「B級グルメ」としての名を轟かす最強人気商品だという。その理解で、バスセンターに行った。ただ、バスセンターがビルの一階に隠れているので、なかなか見つけられず、あちこち彷徨ってしまった。
看板を見ると明らかに店名はない。屋号もない。立ち食いコーナーというのが、店名と言えば店名になるのか。そば・うどん・カレーの順番だから、やはりメインは蕎麦だろう。カレーは、あえて言えばおまけ商品にあたる気がする。

食券販売機で確かめると、カレーはご飯の量も選べる。そば+カレーを頼む人向けに、カレー小盛りが設定されている。そばにも興味は惹かれたが、ここはカレー一筋を貫くことにして、普通盛りを注文した。
見た目は「黄色い」。現代カレーの色はもう少し茶色がかっている気がする。昭和中期以前に大衆食堂で出ていたカレーが、このような黄色だったとぼんやり記憶している。
味は辛味が控えめで、どちらかというと甘口だ。ところが、半分ほど食べ進んだところで、額から汗が出る。見た目以上にスパイスが効いているということだ。おまけに普通盛りのはずが、ご飯がやたら多い。首都圏立ち食い蕎麦屋であれば、これは大盛りに該当する。小腹が減った時では多すぎる。ガツンと食いたい人向けだった。
それでも、隣にいた若い女性は普通盛りとそばのセットを食べていた。これは………新潟スタンダードだろうか。

その立ち食い蕎麦屋の隣に屋号がある店「ラーチャン家」もあった。ラーメンとチャーハンの専門店のようだ。新潟の有名ラーメン各店の影響を受けているようで、煮干し中華そばや平打ち麺や背脂や、あちこちにある新潟ラーメン有名店の特徴が入り乱れている。これも試してみたい店だったが、カレーの後ではラーメンだけでもきつい。炒飯は半量でも無理だ。

新潟市民は幸せだなあ、とつまらない感想しか出てこないが、蕎麦とラーメンとカレーと炒飯が1箇所で楽しめる。これでは、和風・洋風ファストフードの出る幕はない。素晴らしい食文化だ。

そのバスセンターの二階には、これまた新潟が誇るローカルファストフードの店がある。その名品の名前は「イタリアン」という。これは名前と商品のリンクが理解できない。長崎のトルコライスも、これがなぜトルコ?と言いたくなる不思議さだが、新潟のイタリアンもそれに近しい。
金沢のハントンライスとか、福井のボルガライスなど、全国あちこちに存在する謎メニューの中でも、新潟イタリアンは筆頭の怪しさだ。
その実態は、焼きそばの上にミートソースがかかっている。これも見た目からして怪しい。
ただm今回は満腹のため実食はパスしてしまった。腹ペコ絶好調であれば、一階でカレー、2階でイタリアンというハシゴ飯をしても良いのだが……………
やはり新潟市民は幸せな食文化をお持ちのようだ。うらやましい、と思いつつ各駅停車の旅、第三目標は見事達成できた。