旅をする

一乗谷 栄華のあと

一乗谷といえば、戦国期に花開いた徒花というか、北陸入り口の強豪「朝倉氏」の居住地であり、滅びた場所だ。地図で見るとわかりやすいが、福井平野から山の中に向かってしばらく行ったところで、川沿いにひらけている南北を山に閉ざされた狭隘な土地だ。
一乗谷の名の通り谷が開けた場所であり、右も左も山に囲まれている。防衛拠点としては、西側である川下方面だけ考えれば良いので(山越えをしようにも、山の広がりが南北に深い)、優れた場所だろう。実際の核として、城は南側の山上に建てられていたから、備えは万全ということだった。
それでも、織田氏との北陸戦争で負けた後は、焼き払われ廃墟と化した。その遺構が発掘されて再現されているのをテレビ番組で見て、これは一度行ってみなければと思っていた。滅んだ文明?には、なぜか好奇心を煽られる。

当時の街並みを再現している施設があった。その街並みで土塀沿いの道を歩く。門をくぐると武家屋敷があった。当時の様子を再現している。
石垣の上に土塀を作っているのは都市防衛戦を意識したものかなと思った。しかし考え直した。おそらくこれは戦争ではなく、当時はやたら存在した野盗、つまり傭兵としての足軽予備軍みたいな悪党集団との戦闘を意識しているのだろう。

再現された武家屋敷を見ると、思っていた以上に狭い。2k+sみたいな間取りだった。居室と寝室の外に小さな茶室が一つ。キッチンは土間で、カマドが大きい。あかりとりの窓はない。障子が大きく開放的で、日中は明るい部屋のようだが、冬は寒そうな作りだった。
三畳の茶室が一番日当たりの良い場所にあるというのが、当時の一乗谷文化は高いレベルにあったことを表している。

しかし、一番文化的にレベルが高いと思ったのは、戸外にあるトイレだった。扉はないが展示よのためだろうか。実際にはムシロくらいはしきりに使っていたのではとも思う。あるいは、トイレで尻を出していても恥ずかしくない風俗だったのか。

土塀の外は、全部に武家屋敷が再現されているわけではない。野原のまま放置されているが、当時の区画や井戸(給水口)の跡がわかる。山際まで街が広がっているように見えるが、戦国時代から江戸時代は、里山がほぼ禿山になっていた。燃料として、伐採できるかぎり山の木は刈られていたので、当時の一乗谷は意外と解放感がある谷間だったのかもしれない。

この発掘され再現された場所を見ると、一乗谷の城下町は町割計画に沿って作られた人工的な都市で、おまけに給水網もあるのだから、明らかに当時の京都を越えるレベルではなかったか。応仁の乱から逃げ出してきた公家や坊主たちが、一乗谷に持ち込んだ文化の高さと相まって、この地は地方権力者の居住地というレベルを超える繁栄ぶりだったのだろう。

それにしても感心するのは、ここまでの大規模都市が数百年に渡り、田んぼや畑の下に埋もれていたということだ。織田軍により朝倉氏が滅亡し、町が焼き払われた後、誰も住もうとしなかったということだ。
確かに織田氏による朝倉氏殲滅以降、戦国期は急速に終わりに近づく。江戸期に入り戦争がなくなれば、山間部にこもっている必要もない。交通の便が良い平野部に街を築いた方が良いのは明らかだ。一乗谷は滅びたまま静かに400年近く埋もれていたと思えばなかなか感慨深い。

武家屋敷の他に民家というか商家も復活再現していた。これは、武家屋敷と違い小さな窓があるだけのワンルームなので、中は相当に暗い。昼でも作業ができるのかと思うほどだ。あんなに暗い中で作業をしていたのだろうか。戦国期の人間は、暗闇特化型の視力を持っていたとも思えないのだが。それとも猫族のような夜向け視力があったのか。

商家の跡は、専業店舗と専業工場ができるくらい分業が進んでいた文化都市の証として考えられる。ただ、この家で冬を越すのは考えたくもない。毎年冬が来るたびに、死人が出そうなくらい寒そうな家だ。寒さは人を殺す。それに耐える生活は勘弁してほしい。本当にどうやって冬を越したのだろう。

そして最後に発見したこのアニキャラパネルが、一乗谷の異世界感をマックスにしてくれた。うーん、これはご当地キャラでもなく、町おこしキャラでもなく、聖地巡礼向けキャラなのだろう。
ただ、あちこちのお城にいる違和感を感じる武将キャラと比べても、このキャラと朝倉遺構とのギャップはありすぎのような気がする。
歴史遺跡でギャップ萌えというものがあるのかどうかはわからないが、福井市の関係者の方々には展示場所の再考を願いたいものだなあ。せめて武将キャラ、朝倉義景くんあたりで勘弁してほしい。

食べ物レポート

最近食べた変わりもの

石焼チゲではない

北陸を旅している途中で駅前のホテルに泊まった。地方都市ではありがちなことだが、繁華街が駅から離れた場所にある。居酒屋や食堂などはそちらにあるのだが、駅前にはほとんど店がない。駅ビルらしいものもあるのだが、ほとんどの店が休業中らしい。コロナの影響は地方都市の方が大きいようだ。
そこでホテルの近くにあるチェーン居酒屋に入った。店内にはそれなりの一人客とグループ客がいて、会話の様子から想像するに自分と同じホテル宿泊者で、夕食難民のようだった。チェーン居酒屋だから「地のモノ」など期待もできず、東京と同じメニューが並んでいる。旅行者にはなんとも辛いモノだが、地元の人にとっては東京のメニューで問題ないだろう。
その見慣れた?メニューの中から、なんとか見慣れないものを探し出して注文してみた。豆腐チゲと言われればそうだろうなあというルックスの料理だが、メニュー名は辛い肉どうふだった。
中にはキムチも入っているのだが、全体的には甘い味噌仕立てという感じで、これが予想をはるかに超えていてうまい。自分で作ってもできそうな気がする。冷蔵庫に入っている豆腐と豚肉とキムチを石鍋で煮込む。野菜はニラや長ネギ、白菜など適当に投入する。味付けは中華鶏ガラスープと味噌で仕上がれば良さそうだ。甘さ強調のため黒砂糖を放り込むと一段と上手くなりそう。
これは旅先での「みっけもの」だった。東京にいたら、まず入ることはないチェーン店だけに貴重な経験になった。

回転寿司ネタの極北?

回転寿司の軍艦が好きで、特にトッピングが代変わっているものを「お試しチャレンジ」と称してよく食べる。マヨコーンやツナが乗っている軍艦巻はもはや定番になってしまった。ハンバーグや牛カルビが乗っていて驚いたのは10年以上前だが、今ではイベリコ豚や炙り焼肉も定番になった。生ハムなど変わりメニューにもならない。
ところが、最近の原材料高騰のせいか、軍艦巻から海苔が消えた「変なトッピングにぎり」がのさばってきている気がする。せめて海苔で巻くという「変わりずし」のお作法は捨てないでくれ、と言いたいのだが、変わり者のくせに我はスッピン勝負なりみたいな乱暴者が増えている。
その筆頭がこれ、チャンジャ乗せだった。イカの塩辛が乗った軍艦巻きは好物だし、寿司の領域を守っていると思う。少なくとも和食のカテゴリーには収まっている。ところが、イカの塩辛が韓国風鱈の塩辛に変形し、周りを守る海苔を放棄してストリップ状態になる。これは、和食から卒業したインターナショナルな The sushiの世界だろう、とあれこれ考え込んでしまった。
この先に待ち構えているのは、海苔の代わりにチーズで巻いたヘビー級な新軍艦巻きだったり、シャリを握りではなく円盤状に伸ばしたカナッペ風寿司みたいなものだ。(多分)
それを回転寿司大手が取り組むのか、海外から侵攻してきた寿司チェーンが取り組むのかの違いはあれ、グローバルな展開を考える「日本発」の寿司屋は、そちらに進化していくのだろう。
逆に香港発や台湾発の海外発祥寿司屋が「正しい懐古趣味の鮨屋」に進化していくような気もする。食のグローバル化とはそんなこと、つまり本家日本が怪しげに変化して、イミテーションで始まった海外勢が本格和風に進化する。それが、食の世界の平行進化ではないのだろうか、とチャンジャを味わいながら考えていた。ちなみに、チャンジャの臭みは寿司のシャリに結構あっていて予想外にうまいのだ。次回からはマイ定番候補に昇格決定。

旅をする

雲の上の城 大野城

越前大野城という名前だけは覚えていた。天空の城という、どこかで聞いたアニメの題名みたいなキャッチフレーズだけが記憶に残っていて、誰のお城だったのかとか具体的にどこにあるのかとか、全く知識がなかった。この城のある大野から程近い勝山にある恐竜博物館の方がよほど知識があった。城巡りを初めて、一度行ってみたいと思いながらも、不勉強のままだった。
お城の前に立って改めて戦国の城だなと感心した。小高い山の上から領地を全てを見渡し、他国からの侵略に備えるという、まさしく山城の名にふさわしいものだ。最終防衛線である本丸の石垣もやたらに高い。城が立つ山の下から見上げると、あそこまで攻め上るのかと嫌になる。岐阜城ほど高い山の上ではないが、攻め手をうんざりさせる効果はあるなと思った。

お城の下には大きな観光施設と駐車場がある。そこから登山開始するのだが、お城巡りガイドによると登りに20ー30分ほどかかるとある。お城の下にある案内板で見ると800mなので、それなりの山道だとわかる。
今回のお城回りの旅では、これが何度目の登山になるのか。ジジイになってから城巡りをするのは肉体的にハンディがありすぎるなと改めて思う。四国の金比羅さんも絶望的な登山参詣だったが、山城巡りもほとんど苦行みたいなものだ。途中まで車で上がれるお城はまだ良い。麓から山道を登れと言われたら、逃げ出したくなる城も多い。郡上八幡城などまさに修行登山だ。

苦行の予感とは裏腹になだらかな坂がダラダラと続く。思っていたほどきつくはない。途中で何組かの高齢者カップルとすれ違ったくらいで、高齢者にも優しい登り道だった。要所要所にショートカットする階段がある。ぱっと見では五十段から百段くらいかだが、それは遠慮して坂道を登り続けた。

お城周りの全体像はこの案内板でわかるのだが、麓からお城までの直線距離は非常に短い。おそらく100mくらいだろう。ただ、そこを十重二十重につづら折りになった坂道があるということだ。登りながら下界を眺めると意外なほど高低差が感じられる。登ってきて高さが増した感じが体感できるのは嬉しい。

観光施設にあったポスターを読むと、大野城のあらましがよく理解できる。越前の王者だった朝倉氏を滅ぼした後、越前の中心は平野部に移った。防衛戦が必要なくなり、経済中心の治世が始まったからだ。その時に、越前山間部の押さえとして大野城が築かれたようだ。信じられないことだが、この大野の盆地に対して山越え(現在の岐阜県、富山県方面)の侵攻があると想定されていたということだ。戦国時代の雑兵は、なんと健脚だったことか。現代であればハイキングのレベルを超え、重登山に近い山道を何日もあるいて行軍したのだ。

山頂に着いた頃には日も高くなり、雲海が消え始める時間だったようだ。それでも街の半分を覆う雲が見えた。街に着いた時は空が雲で覆われていたから、そのときに山頂にいればまさしくポスターのような光景が見えたのだろう。

土産物とトイレを兼ねた観光施設は、正直にいうと「道の駅」より立派だった。越前大野の名物はなんであるかも知らなかったので、ちょっと時間をかけて店内を見て回った。どうやら「けんけら」という干菓子というか煎餅のようなものが名物らしい。これは一つ買ってみて試食した。甘さ控えめでやたら硬い。京都の生ではない方の八ッ橋みたいな感じだたった。

この手ぬぐいをぶら下げている?ディスプレイはきれいなものだったが、越前は手ぬぐいの染め物が有名なのだろうか。加賀の有名な染め物くらいは自分でも知っているが、越前で木綿手ぬぐいの染め物とは、全く知見がない。反省した。

天守閣の下にあった築城主金森さんの銅像を見て、これまた頭の大きい人だったのだなと思った。限りある戦国武将知識の中で「金森長近」の業績はほとんど記憶にない。大好物の戦国趣味レーションゲーム「野望シリーズ」でも、能力は平均以下の文官で戦闘向けではないくらいしか覚えていない。放置しておいらたら彼の領土からよく侵攻開始されたという要注意人物程度の記憶だ。
ところが、この白にきて色々と見てみると、なかなかの優秀な知性かだったようで、認識を改めた。良い殿様だったようだ。

などと思いながらお城の一番上に上がったら、お約束のお城武将キャラがいて、おやまあ、この方が銅像と同じ方だとは……… キャラ作成に関わる方たちの、なんというか、すごい想像力に、感銘したというか、呆れてしまった。お城も若い人を観光客として惹きつけなければいけないから、色々と大変なのだろう。あの銅像を感心してみるのは、やはり城好きジジイくらいだろう。

食べ物レポート

町中華でアレンジメニュー

いつものお気に入りの中華料理屋で「ネギチャーシュー」を注文して、ちびりちびりと酎ハイを飲んでいた。このネギチャーシューという料理?は、店によってチャーシューの比率がずいぶん異なる。
だいたいの店ではネギ8対チャーシュー2くらいの割合で出てくる。ネギが値上がりする時期になるとネギの量が減る店が多いような気がする。簡単なつまみとしてお手軽価格で提供されていればネギ中心で良いのだが、中には単品料理としてもかなり高額な値段を取る店もあり(酢豚より高かったりする)、そうなるとぼったくりメニューだなと敬遠してしまう。
この店はラーメンやチャーハンよりお安い「適正価格」なので安心して注文できる。しかし、ネギの量が多いので、これだけを完食するのはちょっとな、ということにもなる。そこで、半分ほど食べたあとで、おもむろにシンプルな味噌ラーメンを注文する。

この店の味噌ラーメンはシンプルにもほどがあると言いたいくらい、トッピングが少ない。炒めもやし、That’s all !!という潔さなのだ。お値段が味噌ラーメンとしては破格にお安いので仕方がないが、メニューには味噌チャーシューメンとか味噌スタミナ麺などというアップグレード版はない。
そこで、その簡素な味噌ラーメンに半分残したネギチャーシューを乗せると、あら不思議。あっという間にネギチャーシュー味噌ラーメンというゴージャスなラーメンに大変身する。
同じようなことを、塩味のタンメンに海苔(ラー油をかけて味変したもの)とメンマ追加とか、醤油ラーメンに餃子+大量の胡椒など、セルフアップグレードで楽しんでいる。
普段から料理は創意工夫だと威張っているのだが、調理人からすると「出したものは、そのまま食えよ」と言われそうだ。町中華の味変はこっそりやった方が良いのかもしれない。

食べ物レポート

帰ってきた鳥唐揚げ@満洲

いつもの満洲へ、いつものように味噌ラーメンを食べに行った。満洲の味噌ラーメンは、野菜炒めしか乗っていない。そこがちょっと物足りないのだが、味噌チャーシューメンとか味噌焼肉ラーメンとか作ってくれないものだろうか。
ちなみに満洲のチャーシューはテイクアウト用も売っているので、自宅でお気楽にチャーシューメンを作ることができる。スーパーで売っているお手軽値段のチャーシューは、チャーシューという名のハムみたいなもので、どうにも頼りない。満州では、ハムではない力強い系のチャーシューを売っているから、ちょっと贅沢をしても買う価値はあると思う。餃子もうまいがチャーシューも美味いだ。
満洲の味噌ラーメンは、自分でトッピングを追加して作り上げるアレンジメニューのベースと考えるべきなのだろうな。

その満州で、お気に入りだった鳥唐揚げがメニューから消えていた。お値段が安かったせいで原材料費高騰に対応できなかったのだろう。3−4ヶ月ほど唐揚げがなくなり、その間はよだれ鳥(冷製の鶏肉)だけになっていた。
それがいきなりというかモデルっチェンジというかして復活してきた。今回は油淋鶏(ユーリンチー)としての登場で、揚げた鶏肉の味自体は昔と同じような気がする。唐揚げの上にかけられたソースが、今回のモデルチェンジ最大の目玉だろう。甘酢ソースは、確かに美味い。バージョンアップと言っても良い。ただし、お値段もバージョンアップした。
それでもこれはめでたい。満州で餃子を食べたい日と唐揚げが食べたい日がある。(両方という日は、ほぼない)唐揚げとネギチャーシューと回鍋肉でローテーションが組める日が戻ってきたのだ。
油淋鶏導入は唐揚げの単純値上げを避けるための苦肉の策という気もするが、とりあえず唐揚げが戻ってきたことを素直に喜びたい。満洲の商品開発チームの皆様、次回は酢豚の投入をぜひ検討ください。

街を歩く

福井城 地味にすごい

県庁所在地にお城があるとき、そこには公共施設が設置されていることが多い。あとは神社もよく勧進されている。明治政府の蛮行、廃仏毀釈の影響が大きいようだ。富山のように市民が散歩できる無料の公園になっていることもあれば、名古屋城や彦根城のように入場料を取るところもある。それぞれの自治体の考え方だから文句をつけるつもりはない。整備にも金がかかるし、文化財の保護を税金でやると文句をつける市民も多いだろう。
福井県福井市にある福井城は、お城の真ん中に県庁と県警本部がある。これは……………相当にすごいことだ。お城は堀で囲まれているので、入り口の橋が落ちたら県庁へはどうやっていけば良いのだろう、などと馬鹿なことを考えてしまった。
そして、その県庁の入り口に大きな垂れ幕がかかっていて、これはなんと感想をいえば良いのだろうと悩んでしまう、不思議な標語というかスローガンだ。今風に言えば、エモいスローガンみたいなことを狙ったのかな。

福井城は悲運の名将、結城秀康が築いたものらしい。徳川一族は、あちこちの防衛拠点に派遣され幕府の守りを担ったのだが、この家康の息子はかなり大変な人生を送った一人だ。本来であれば、二代目将軍になるはずだった……………
福井城は典型的な平城なので、堀が広い。防衛拠点というより、地域支配の象徴という観点で建てられたような気がする。

福井は地勢的に京都から日本海沿岸、越中越後にいたる北陸支配の前哨基地にあたる。重要拠点だったのだが、支配者は戦国後期にコロコロ変わった。最後の支配者、徳川政権になって大きな城が造られたのは、戦国期の終わりという意味合いがあったように思う。

北陸新幹線が福井まで延伸する前から福井駅は新幹線対応を進めていた。その気の早いとも思える駅改良工事を見たのは5年前だっただろうか。今では駅前もすっかり整備完了して、あとは新幹線の入線を待つだけと思っていたら、なんと大阪延伸を望んでいる。福井人は気が早いというか、せっかちというか、野望に満ちているというか、ちょっと意外な気がした。
確かな記憶ではないが、JR東日本の新幹線は雪対策で車両が重くて、東海道新幹線は走れないのではなかったか。大阪延伸のためには、東海道新幹線に乗り入れするのが早道だが、そこで直接乗り入れることができるのだろうか。
乗り入れができずに、米原や京都で東海道新幹線に乗り換えるとしたら、つながる意味もなさそうだが。米原で繋がるのであれば、「のぞみ」接続はむりだろうし。京都駅乗り入れだろ、どこにホームを作るかだなあ。在来線の上に立体化したホームを作るか?

このあたりは福井県庁の方にご意見を伺ってみたいものだ。地味にすごい、福井についても、色々と面白い話が聞けそうだし。はやくて、つよい決意を語ってほしいなあ。

ソロキャンあれこれ

長瀞でソロキャンプ

今は空前のキャンプブームだという。確かに週末のキャンプ場はどこでも満員で予約を取るのも難しい。が、コロナの終息というか一般化が進んできたせいか、「おそと」で密集を避けて遊ぶというのは、トレンド落ちしてきているらしい。すでにアウトドア用品(キャンプ用品)業界では売上減少が始まっている。おそらく今年の冬から秋にかけて、ほとんど未使用のアウトドアギアがリサイクル店にどっと放出されるだろうという読みをしている。
人は易きに流れるものだし、自分で色々と支度をしたりするキャンプより、上げ膳据え膳の温泉旅行の方に人気が戻りそうな気がするからだ。ただ、それが嫌だとか困るとかいうつもりもない。晴れた日にはソロキャンプという、我が趣味の世界を楽しめるようになるのありがたい。

夏の終わりというタイミングで、秩父にあるキャンプ場に行ってきた。比較的サイト数の多い川沿いのキャンプ場だが、平日であれば利用客も少ない。(ちなみに土日は全く予約が取れない)
川沿いサイトが人気なので、そちら側には5組ほどがテントを貼っていた。ただ、どの組も男一人のソロキャンプだった。自分のことをすっかり棚に上げ、この男だけの世界は「人類絶滅後の生き残り難民」みたいだなと笑ってしまった。
もう一つすごいなと思ったのだが、こっそり周りのサイトを観察してみると、ソロキャンプなのに重装備なことだ。なんだか、荷物の積み下ろしだけで1時間以上かかりそうだ。テントを貼るにも、あんなに大きなテントとタープとなると……………やはりソロキャンプというのは、買いまくったキャンプギアの展示会みたいなことをしたいのだろうと納得した。

さて、自分のサイト周りだが、そもそも車中泊の延長でキャンプを考えているので道具は少ない。テントは一人用で中にはマットと寝袋だけ。照明は電池式LEDという明るくて便利なものができたから簡素にできる。
折りたたみ式の椅子もローチェアという小型化が進んでいて、あとは焚き台と小物を置く折りたたみテーブルがあれば十分だ。オイルランタンはテレビで見て欲しくなったので通販で買った。昔使っていたコールマンのガソリンランタンは明るさが取り柄だったが、それも子供連れファミリーキャンプだから必要だった。今ではソロキャンなので明るさはそこそこで良い。
一人バーベキューなどもしないので、調理器具は家で使わなくなったカセットコンロがあれば十分だと思っている。もっとシンプルにするのであれば、100円ショップで買ったアルコールランプか固形燃料でことたりる。
暇つぶしには読みかけの文庫本一冊とBT接続できるスピーカーがあれば十分だ。(これでスマホに入れたお気に入りの楽曲をBTで飛ばして聴くことができる)
焚き火台の横にある銀色の筒は100円ショップで買った火付け器だが、この中へ周りに落ちている枯れ葉を放り込みひをつける。簡単にたきびの火種ができる。予想以上に便利で役立つ道具だった。ただし、すぐに壊れそうなので、戻ってから追加で買ってきた。

夕方になり焚き火を始めた。これがやりたくてソロキャンに来ている。最近では自宅で焚き火をするなど考えられない時代になったから仕方がない。昔からキャンプでは焚き火をするのが楽しみだったが、最近は焚き火が目的になっている。
ただただ薪を燃やすだけで一晩が終わる。そんな時間が楽しい、という人は多いようでネットでは「焚き火」を目的にキャンプ場を選ぶこともできるようになっている。

夜になり暗くなると、ちょっと多めに薪を投入し炎を大きくしてみる。おー、ファイヤーだ、と実感できるのが嬉しい。夏であれば、これはちょっと暑すぎませんかという気分になるのだろうが、秋ともなれば夜の焚き火で暖を取るのが本望というものだろう。

薪がすっかりおき火になった状態で、これまた100円ショプで買ってきた足つきの網を載せる。ここで、事前に密封袋に入れて味付けをしておいた鶏肉を取り出しじっくりと焼く。夕食はすでに済ませているので、この鳥モモ焼きは家に持って帰って食べるために焼く。焼き上がりにケイジャンスパイスをたっぷりふりかけ、あら熱が取れたらラップで包みクーラーボックスに放り込む。
ソロキャンのお土産というか、次の日の肴を仕上げるというか。長い夜を楽しむのは時間がかかるズボラ料理がよい。

ちなみにこの日の夕食はプレスサンドメーカーで焼いた生餃子で、まだ陽があるうちに焼き始めた。陽が落ちた後であたりが暗くなると焼き目を確認するのが大変だ。プレスサンドメーカーは、当然だが朝食用プレスサンド作りにも使う。その他に簡易型のフライパンや蒸し器としても使える。ソロキャンでは活用度が高い調理道具だ。
ちなみにカセットコンロが油だらけになっているのは、この直前にコンビーフのアヒージョを作ったせいで、アウトドア料理は匂いや油をあまり気にしないでできることがありがたい。

昔使っていたガスランタンを取り出してみたらまだまだ使えた。最近ではガスボンベ直結型のランタンは少なくなっているようだ。ホヤがガラスではなくステンの網で囲われたランタンもなかなかレトロで良いななどと思いながら、のんびり星を見ていた。5mも離れれば聞こえなくなるくらいの小さい音量で聴いていた楽曲は、キングトーンズのファルセットボイス。これぞソロキャンの醍醐味というものでしょう。

翌日の朝は5時起床、コーヒーを飲み陽が昇るまでしばらくボーとした後、テントをたたみ始めて1時間で撤収完了。ソロキャンはお手軽に、が大切ですねえ。

食べ物レポート, 旅をする

一筆啓上 丸岡城

お城巡りをしていると、時々びっくりするような「あれやこれや」に出会うことがある。丸岡城の駐車場で見つけた「一筆啓上」には、「ああ、あの有名な一文は、このお城の殿様が書いたものだったのか」と気がつかされた。
旅を終えた後であれこれ調べてみると(全くの不勉強ぶりだが)、徳川配下の本多氏が戦場で書いた手紙だそうだ。確かに、簡潔でありながら、お家の大事をもれなく書いている。手紙の手本と言われる意味がよくわかる。

丸岡城はこんもりとした小さな丘の上に立っていた。周りが平野なので、これだけの高さ(30mくらいか)でも、周囲を見渡すには問題ない。城の守りとしては手薄な気もするが、ここも戦国後期に築城され、反乱や諍いが制圧された後の城なので、やはり穏やかな時代における治世の拠点ということだったのだろう。

城としてはおとなしい部類だ。百名城に選ばれたのはお城の見栄えというより、この一筆啓上手紙が重要なポイントだったのではなどと思う。

しかし、今や日本全国どこに行っても、それもお城巡りで、ご当地キャラというかお城キャラがいるのにはびっくりする。戦国時代の武将を題材にしたゲームでイケメン武将が大量出現したので、それぞれの居城に「イケメンキャラ」がいるのは理解できる。
ただ、有力武将、著名武将がいない場合は、おとぼけ気味のユニークキャラがいるようだ。この丸岡城も、本多のお殿様キャラではなく、「城丸くん」はどんなキャラなのかちょっと興味がある。目元の赤ともみあげを見ると、随分と歌舞いたモデルがいるようだが。

駐車場の脇には茶屋があり、観光客向けに食堂もある。昼飯を食べようと中に入ってみたら、食堂というより蕎麦屋だった。それも、注文を受けてから蕎麦を茹でる本格派のようで、良い意味で驚いた。
当然ながら、出てくる蕎麦は正統越前そばだった。カウンターで受け取るセルフ方式だが、そんなことは問題ない。そう思わせる仕立ての蕎麦で、大盛りにしておけばよかったかなと食べ終わってから思った。
カウンターで食券を置くときに、普通盛りで良いですか、と念を押された意味がよくわかった。蕎麦つゆと蕎麦の強さがよくあっている上に、大根おろしがうまさを引き立てる。越前そば旨しだ、まだまだ勉強が足りんなあ、というのが丸岡城での最大の感想だった。城を見に来て食べ物を知るというのも、アレレという気もするが。いや、城巡りで学ぶことは多い。

駅弁

米原で駅弁の本社を見つけた

城巡りでうろうろしていたらナビと違う道に進んでしまい、あれっと思う間もなく米原駅前に出てしまった。東海道新幹線は散々使ったので米原駅を知らないわけではないが、そこで降りたことはない。各駅停車の旅でも、米原は西行き列車の乗り継ぎポイントだが、やはり乗り換え時間が短いため駅改札を出たこともない。
ただ、駅前に駅弁屋がある珍しい場所だという知識はあり、迷い込んだついでに駅弁屋さんを探してみるかと思ったら、目の前の駐車場の向こうがその会社だった。
ここの駅弁「湖北のおはなし」は、実に素晴らしい幕の内弁当だ。駅弁大会でも、機会があれば手に入れる。秋田の鶏めしに並ぶマイベスト駅弁のひとつだ。

ただ、今回はその名作ではなくオーソドックスな駅弁を買ってみようと思い「近江の味」を選んだ。駅弁は包装紙で包まれて中身が見えないことが多い。パッケージが素通しで中身を見せる駅弁というのは、なかなかありそうでないものだ。食べてみて気がついたのだが、幕内系駅弁としてはちょっと変わっているような気がする。ただ、メニューで駅弁を選ぶ時に、中身の写った写真が乗っていたから中身に驚くことはない。変わっているなと思ったのは、あの名作と比べると地方色が見当たらないことだった。

蓋を開けて食べ始めてみると、実にオーソドックスな幕の内弁当だった。おかずは煮物中心で甘めの味付けだが、これが駅弁では重要なポイントだ。冷めた白飯をうまく食べるには、甘味が強めの煮物が一番よく合う。その甘味の強いおかずの合間、箸休めに卵焼きや蒲鉾などのあっさり系おかずを食べる。自分なりの味ローテションを考えられるのが、幕内駅弁の良いところだろう。トンカツとか海老ぐらいなどの揚げ物駅弁は、その点で多少ハンディがあるように思う。ご飯を美味しく食べたければ幕内系と勝手に決めつけている。
こちらでの会社では「おかかごはん」という一芸突破型の駅弁もある。どうやらこれも白飯のうまさ重視型のようだ。次回はそれにしてみたい。ただ、この駅前のお店には食堂というか蕎麦が食べられるイートインが併設なので、蕎麦も食べてみたい。各駅停車の旅の休憩ポイントして、しっかり記憶しておこう。ちなみに、米原からは西行きの快速が頻繁い運行しているので、待ち時間を気にすることのないありがたい駅だ。駅前探検をするには良い場所だ。

食べ物レポート

夜の神楽坂で復活した賑やかさ

先輩に誘われて夜の神楽坂に出動した。この歳になっても先輩は先輩であり、ましてやこの業界での至宝というべき生き字引き的存在のお二方なので、最大の敬意を払いつつお話を聞きに行く。そんな時に業界の先立としていつも感心するのが、「良いお店」を選択されることだ。
今回も神楽坂の奥まったところにある蕎麦屋を指定され、のこのこと出かけたみたら、これはもはや蕎麦割烹とでもいうべき高級店だった。

店名でわかる通り福井の料理を出す店で、懐石ルールにならったコース料理という感じだった。お店に来るまでは、下町的蕎麦屋で天抜きを肴にして蒲鉾と卵焼きで日本酒を冷できゅうっとね、などと思っていたのだが、良い意味でまるっきり予想と違っていた。ちなみに下町の蕎麦屋も高級化しているところは多い。自分のイメージにある蕎麦屋できゅっと飲むスタイルは、神田のまつやとか浅草並木の藪みたいなところなのだが。

日本食の本質は見た目ではないかと最近思うようになってきた。だしと醤油、味噌という和食調味料基本セットでは、一定幅以上に味の領域は広がらないのではないかと思うからだ。一部の発酵調味料を取り入れた地方料理もあるが、あくまで地方で愛されるレベルに留まっている。
昭和の時代に地方発信で全国区に成り上がった「味」は、豚骨ラーメンの豚骨スープくらいではないだろうか。江戸後期から明治初期に広がった肉食(牛肉)ほどのインパクトをもたらす「味」は、その後の1世紀では見当たらない。食文化という意味であればチキンラーメン・カップヌードルに代表される「インスタント麺」は昭和の食文化大革命だと思うが、味という点で言えば少し違う気がする。あえて言えば、グルタミン酸ソーダ(化学調味料)が及ぼした影響は世界的だったが、これが味の変革かというとちょっと違う気がする。
和食がフレンチに与えた影響はビンジュアル要素が強かった。同じようにイタリアンの影響でバルサミコ酢やオリーブオイルが和食に取り込まれていけば、一皮剥けた和食が産まれそうな気がする。古典的フレンチのバター、チーズをたっぷり使った濃厚味は取り込みにずっと時間がかかりそうだ。
残念ながらアメリカンなハンバーガーとコカコーラみたいな取り合わせは、和食とは相性が悪そうだ。アメリカン和食も食べてみたい気はするが、せいぜいアボカド巻くらいで満足しておくべきだろう。

日本以外の国の人たちから見れば、出汁の中に「野菜の根」をすりつぶして投入したものということになるのかもしれないが、おろし餡はいつ食べても美味いと思う。これは調理人の技術で味の差が雲泥ほどに出てくる和食の華ではないかとまで思う。
チェーン居酒屋の悪いところは、こういう技術の必要な料理をなんちゃって再現(再現度は最低最悪なまま)して売り出すことなんだよな。などと考えながら食べていた。
ちょうど話題がチェーン居酒屋衰亡論だったせいもある。

お腹いっぱいになりそろそろ帰ろうかなと思うタイミングで、締めの越前そばが出てきた。これも蕎麦というより蕎麦料理だろう、と変なセルフツッコミを入れながら一口食べてすっかりありがたくなってしまった。
よくしまった蕎麦と大根おろしとの調和、これはまさしくすすって手繰る蕎麦ではなく、素材の特性を生かした一品の料理だった。
神楽坂の蕎麦屋は奥が深い。蕎麦屋と侮ってはいけない。参りました。全部うまかったです。