小売外食業の理論

コロナの後の居酒屋戦線考察

具の見当たらないソース焼きそばが酒の肴には向いている

コロナの第七波などとメディアが騒いでいた夏が、おそらく外食の復活期だった。半年近く経ち振り返ってみると、ああそうだったなあとわかる。メディアも視聴率が取れないせいか、コロナ報道は下火になっていた。オリンピックが終わり一年が経ってみれば、予想通りというか当たり前というか、汚職の摘発が始まり大手広告代理店がまな板の上で処分を待っている。おまけに談合疑惑も発生し、公取が出動する事態にまで発展した。市民感覚的にはオリンピックの熱狂もすっかり冷め、一年も経てば、「悪い奴」退治のニュースをネタにオリンピックを小馬鹿にする風があっても不思議ではない。まさに、居酒屋のオヤジネタにぴったりだ。居酒屋復活を祝うが如き、オリンピック汚職ネタで大いに盛り上がったことだろう。
オヤジ族と言えば、ひっそりと昼飲みに移行していたジジイ層を含め、居酒屋が昼営業を縮小し通常モードに移行すると、当たり前のように夜活動に戻ってきた。あの周りを無視したような大声というか喚き声も復活した。やはりオヤジ族には学習能力がない。孤食だの黙食だのという言葉は記憶にさっぱり残らなかったようだ。
ただ、コロナが終わって(?)、行動変容しないオヤジたちを置き去りにして、居酒屋は様々な変化をしている。生存戦略と言っても良いのだろう。基本的に「値上げ」を行い、省力化を進めている。意外なことにオヤジ対応の低価格居酒屋である「一軒目酒場」が、その変化の先頭を走っている。そこで見つけた重要な変化を二点あげてみたい。
一点目が、「具なし焼きそば」推しにあらわれる、低単価維持を見せかけるメニュー再構築だ。値上げごまかしのフェイクメニューというと言い過ぎかもしれないが、目眩し作戦であることに間違いはない。酒類の大半が1-2割の単純値上げをしている。その値上げ感を和らげるのが、定番商品の価格維持と新商品として肉系商品(ただし少量化している)の導入だ。揚げ物を中心に、値上げはしていない定番品もある。値上げの主力は、冷製の肉料理、つまり手間要らずですぐ出せるものを、高価格帯400-500円台で提供し始めた。
そして、腹を膨らませる膨張剤としてのつまみが、焼きそばやマカロニサラダといった炭水化物系の食べ物になる。これを壁面の「メニュー札」を使って推しメニューにそている。マカロニサラダに至っては価格を上げずに増量したようだ。
濃い味付けにした炭水化物系のメニューを価格上げずに増量するというのが、値上げ感を和らげる基本戦略となっているようだ。これは他の居酒屋でも同じようだし、ファミレスの昼飲み用サイドメニューも同じような傾向がみられる。まあ、オヤジ対策に考えることは皆同じということだ。

豚のタンの冷製 なかなかうまいが、お値段はそれなり

二つ目の転換点は、メニューに「人間」が登場してきたこと。低価格居酒屋が値上げをしたくなると最初にすることが、素材の品質を訴えかけ価格価値を上げようとすることだ。要するに「高くても、美味しい」路線に変更するという宣言なのだが、大方これは失敗する。低価格居酒屋に集まる客のニーズに、高くてもうまいものはない。安くてうまいものが望ましいが、それも難しいのは客も理解している。だから、安くてそれなりな味のもので十分だと思っている。高くて、それなりのものは論外としてしまう価格圧力だ。
では、素材訴求が失敗すると何をするか。次は「人」の宣伝をする。料理長を登場させてレシピーのユニークさを語ったり、有名シェフとのコラボを自慢したりする。最近のコンビニ弁当も同じ手法をとっている。要するに、誰かの権威に寄りかかる「ちゃっかり値上げ戦略」だ。これが意外と効き目がある。特に、ヘビーユーザー、つまりその店の常連客には評判が良くなる。
金があればもっと高い店に行くのにな、とは思っていないのがヘビーユーザーだ。この店は、安くて適当にうまいと思う「俺のお気に入り」「自分の店」意識があるからだ。だから、その常連客にターゲットを絞れば、「人間商標」は意味がある。看板に使われる「ヒト」が、自分達の代表に思えてくる。著名人や有名人に同化できる。あるいは、自分たちが飲み食べしているものの「正統性」が担保される(気がする……)からだろう。
ただ、この店はオヤジたちに心情的に寄り添ったふりをしながら、注文のデジタル化を進めている。それも全席にタブレットを設置するかわりに、個人所有のスマホからQRコードでアクセスさせる。タブレットというデジタルギアを置くことで、デジタル拒否層を刺激しないようにした。オヤジの心証をよく汲み取ったものだ。
しかし、デジタル許容層にはスマホで注文させるという進化は取り入れた。店内にはデジタル感を出現させない「あざとさ」だ。スマホが使えず、デジタル注文に抵抗があるジジイ層には、従来通り従業員が注文を受ける。このあたりの匙加減が絶妙だろう。この店を安い酒場として使っている20代から40代の層にとっては、スマホ注文が主流になっている。
結果として、店内に「すいませーん」と従業員を呼ぶ声は少なくなった。残ったのはジジイとデジタル非対応オヤジの声だけになった。今や居酒屋も体感的には半分くらい静かになった。

紙製のグランドメニューもしっかりテーブル各席に置いてある。コロナ前のメニューは商品写真もなく「字面」だけしかない、素っ気のないものだった。カードケースに入っていて、裏表をひっくり返して見ればそれが全てというシンプルさだった。メニューの中身もほとんど変化なしで、日替わりメニューが別添で置かれているくらいだから、オヤジでも注文に苦労することはなかった。
それをファミリーレストランのような商品写真入りの「面倒臭いもの」に変えた代わりに、同世代のおっちゃん写真が登場している。共感を強める手法と考えれば、これはなかなか革新的な変化だ。ファミレスが変化の方向を見失いのたうち回っているのと比べると、アフターコロナの居酒屋は、なかなか強かなのだ。

食べ物レポート, 旅をする

金沢駅でパン屋に感動

帰りの新幹線に乗ろうと、金沢駅を歩いていて見つけたポスターは、西国に暮らす人を羨ましいとおもわせる。ちょっとだけだが、西国に住みたい気分にさせる。西日本にはこんなに「ネームド特急」が走っていたのだなあ。生まれた場所が北海道で、いわば独立島国、青函海峡で本土とは分断されていたから、広さと鉄道網の充実した地であったにもかかわらず、特急列車は意外と少ない。おまけに学生当時は貧乏で、特急に乗る金などなかった。多少金が使えるようになった時には、特急どころか路線が廃止されてしまい、慌てて乗りに行ったりもした。
世間では「撮り鉄」の暴走を非難する声で溢れているが、「乗り鉄」はまだあまり迷惑をかけていないせいか、ひっそりと「乗り鉄魂」を刺激する企画がローカル鉄道を含めあちこちで出ている。その中でも、この入場券ゲットしようぜラリーはすごい。JR西日本限定の24駅であれば、達成できそうだ。来年の春・夏の青春18きっぷで完全制覇してみようか、とポスターの前に立ち止まって動けなくなった。
これは、金沢駅の魔力に巻き込まれてしまった。なぜ「帰り」に見つけてしまったのだ。

そのポスターを見つける前、以前にも利用した美味しそうなパンを売っているパン屋さんが、これまたすごいパンを売っていた。このパン屋さんが金沢駅の魔力その2だ。
まずは、このPOPでガツンとやられてしまった。メロンパンは全国あちこちで様々なバリエーションを見てきた。覚えているのは富士山型のメロンパンで、名前も富士山パンだった(確か……)
しかし、このかぼちゃパンのルックスは、富士山を越えると思う。これまでの人生で、パンのルックスにやられた気がするのは、福島駅で見たカメパン以来、人生2回目の快挙だ。
おまけに見た目だけでなく、中身もカボチャっぽい。これは、買わずに通り過ぎることはできない。POPというのは、こういうふうに通り過ぎてしまう通行人をゲットするのが至上目的なのだが、このPOP制作者は天才的だな。まんまと引っ掛かってしまった。

陳列代に並ぶ、イミテーションカボチャの数々。おまけにこだわりはカボチャの皮部分ではなく、ヘタの部分にあった。すごいぞ、金沢駅のパン屋さん。ただただ感心する。これがステージだったら、スタンディングオベーション間違いなしだ。パチパチパチ!!

家に帰ってきて写真を撮ろうとしたら、ヘタが怪しい状態になっていた。が、全体的には麗しいカボチャ風メロンパンだった。まずはヘタれたヘタを食べた。うましだ。そして、残りを一気に食べた。中身のカボチャクリーム?も、皮の甘さによくあっていた。また、買いたいと思ってもパンを買うために金沢に行くわけにもいかないだろう。いけないこともないが、そうなるとパンの値段が一つ1万円を超えてしまう。(笑)

ついでと思い買ってきたドライフルーツと胡桃の入ったパンも、超絶的に美味かった。このパン屋さんが全国チェーンであってくれれば、毎日とは言わないまでも週に2-3回は買いに行くと思うのだが、金沢付近にしかないみたいだ。
旅先でうまいものを発見するのは幸せとは限らない。簡単には行けないところの食べ物を、また食べたくなるとしたら、それは不幸の始まりなんだよね。
うーん、金沢は困った街だ。性悪な魔女的魅力に溢れている。今度はいつ行こうか。

街を歩く, 旅をする

能登国一宮 気多大社

能登国の一ノ宮が、今年の一宮巡りの最終になる。東日本で残るのは佐渡国だけになるので、これはもうしばらく先になる。西日本になると沖縄、対馬、壱岐という強豪(離れ島になる)が残っているし、日本海側はこれから雪の季節になる。桜が咲く頃にまた巡礼(笑)に出かけたいが、その時期は西日本の花粉大爆の季節になる。それがうっとうしい。5月の連休明けくらいが良さそうだ。

気多神社は実に神社らしい神社だった。能登国の中心だった羽咋の平野部には田んぼが広がる。その平野が山地になるあたりの低い山上にある。まさにオヤシロという感じがする。拝殿までの道は実に綺麗に掃き清められている。これこそ、我が心にある「神社」の風景だ。そして人気のないところが、また神社らしい。

学生の頃、奈良に行ったときに見た春日大社の朱色を「けばい」と思った。侘び寂びなどわかる歳でもなかったが、寺社仏閣にはけばさが似合わないのではという漠然とした感覚があった。実際には、寺の中の御本尊は金ピカであったりするので、それなりに「けばい」といいうことに気がついていなかっただけだ。
その神社の朱色が、なんとなく良い色に見えてきたのは人生を半分以上過ぎたオヤジになってからで、厳島神社の海上にそびえる鳥居の朱色が瀬戸内海と調和して見えたのもその頃だ。
ただ、やはり神社は少し古びた落ち着いた木造が良いなと今でも思う。このちょっと古びた感じの加減がなかなか難しいのだが。
北陸にある神社は、どれもこれも良い具合の古い感があった。その中でも、鳥居から拝殿までの距離というか広さというか、そのバランスが良いのは、この氣多神社が一番だろう。

能登国は、今の日本、太平洋岸中心世界から見ると随分と辺境の地に見える。東京からの移動距離、時間で考えると島根県中央部と能登半島は東京から最遠隔地にあたる。不思議なことに、どちらにも人口に見合わないと思う空港が設置されている。一つの県内に複数の空港があるのは、秋田と石川、鳥取、島根くらいで、地理的な問題と地盤政治家の力の結果だと思う。大都市部である東京、大阪、名古屋にも二カ所空港があるが、大阪と名古屋は新空港ができた後の旧空港利用であり、メインとサブ的役割り分担がある。羽だと成田はまた別のストーリーになるが。北海道は別格で、千歳をメインに、函館、旭川、帯広、釧路、稚内、女満別、中標津、紋別、丘珠とたっぷりあるが、これは昭和中期の冷戦構造が生んだ落とし物だ。それだけ軍備としての空港が必要とされていただけだ。今では商業的に成り立たない、すっかりお荷物な交通インフラになりつつある。
閑話休題。しかし、古代日本では日本海航路は大陸との貿易ルートとしても重要だったから、能登国は日本海航路中継地として重要拠点だった。賑やかしい場所だったはずで、その名残が氣多神社にある。

メインである本殿を取り囲むような分社というか、周りにはべる神々がある。主神と取り巻く神々とは、その地域の政治勢力の盛衰に関わりがある。勝ち組が封じる神様が、主神となる。この複数神の関係性は、大和朝廷の日本海統治と繋がりがあるのは間違いないのだが、それを調べようとするとなかなかの力技というか、我が手に余るというところもある。
明治期に起きた国家神道のため、そしてその前の神仏習合時期を含め、どうにも古代の神社のあれこれを探るのは難しいようだ。古事記伝を元に古事記を読み解くという手もあるのだろうが、歴史好きの素人程度では手におえない。

神社には秋の日差しが似合うと思う。夏の強い日差しと蝉の声は、神社には似合わない気がする。だが、お寺の境内であれば良さげな気がする。この神社と寺の感じ方、というか捉え方の違いは自分でもよくわからない。
信心深いわけでもないので、深く考えることもなかったが、宗教とか信心とかとは離れて、日本人の源流的文化を考察をしてみても良さそうだ。それにふさわしい歳になった気がする。なぜ日本人は神社の静けさが好きなのか。なぜ、日本人は神社に初詣に行き、葬式は寺でやることが多いのか。その類の、何気ない日常行動の中にある、誰も気にしていない「古代から続くこの島国で暮らすものの精神」みたいなことだ。

そんなことを神社の境内であれこれ考えていると、昔読んだ司馬遼太郎のエッセイ的な論考を思い出した。小説を書くより、論文的なものを書くようになってから、司馬遼太郎の思考は変わっていったと思うのだが、五木寛之も同じ道を歩んだ。おそらくそれが歳をとるということなのだろう。
自分も同じようなジジイになってきたので、もう一度、司馬遼太郎論文を読み返してみようか。もしかしたら、昔と違い司馬思想に同意できるかもしれない。
静かな境内で思ったことだ。

街を歩く, 旅をする

パンとマラソン

ちょうど金沢マラソンが開催される時に、金沢にいた。駅前を含め大混雑というか、マラソン走者とその関係者、そしておそらくそれに便乗して金沢観光に来た応援者がごった返していた。その駅中にある、某コンビニエンスチェーン店で、どう見てもその店限定のPOPは貼られていた。これがなかなかユニークで………
POPを見てパンコーナー担当者に会いたくなった。小学校の頃はマラソン嫌いだったんだろうなあ。それでも、今はマラソンを応援するようになったのだから、人は成長するものだなあ、などとパン売り場の前で遠いところを見つめてしまった。うるうるするとはこのことだ。
ただ、その横のPOPにある黒船来航とは、一体何?と突っ込みたくなる。金沢人には理解できる歴史的逸話でもあるのか。面白いお店だなあ。

面白がって店の中を歩き回ってみた。マラソン関連商品だらけだった。走りながらなのか、休憩の時なのか、ともかく甘いものでエネルギー補給というのは理解できる。走る前にはバナナが良いという話も聞いたことがある。しかし、さすが和菓子の街、金沢だけあって、マラソン推しはどら焼きだった。どら焼きは口の中の水分を持っていく食べ物だと思うので、もぐもぐやると水分補給が必須だろうなあ。
走りながら左手にどら焼き、右手にスポーツドリンっ苦みたいな姿が思い浮かんできた。それも………ちょっと凄すぎるシュールな光景だ。隣に並んでいたらしいカステラは売り切れだったので、どら焼きよりカステラがランナー的にはエネルギー補給に向いているのだろうか。あれこれ考えさせられるし、人生の参考になる。個人的にはつぶあんのどら焼きが好みだが。

最高に素敵だと思ったPOPは、コンビニの横にある駅弁専門店だった。全力応援すると言っています。補給食取り揃えてますと書いてある。
日本のあちこちで、こんなふうに3年ぶりのイベントを楽しむようになったのだなと嬉しくなった。マラソンを終えて自分の街に帰る時、この店で駅弁を買って帰ると、幸せな気分になりそうだな。

街を歩く, 駅弁

金沢駅の駅弁 本物?

金沢の駅弁で、個人的にはこれが一番ではないかと思うのが、「金沢三昧」だ。これは豪華な駅弁だが、幕の内弁当系の絢爛な煌びやかさではない。よその土地であれば、このうちのどれかを主役にして一本勝負に出そうな役者を、贅沢に三人使いするのが百万石金沢らしさなのかもしれない。いや、実に贅沢。

中身は北陸名物を使い、カニとノドクロと和牛の3本建だった。比較的濃いめの味付けだが、これは冷めてから食べる駅弁特有の味付けなので文句はない。カニや牛の弁当はあちこちで見かけるが、両方が一つの弁当箱に入っているのは見たことがない。
その2トップに加えて、スーパーサブ的なラインが、「ノドクロ」だろう。最近メキメキと力をつけてきた日本海における魚の王者だ。従来のキング、ブリを押し除け、今や帝王級に上り詰めたノドグロを駅弁の上に乗せてくるとは、さすが金沢というしかない。
まあ、うちが本気出せば、こんなものよ………という金沢さん(誰だそれ?)の声が聞こえてきそうだ。おそらく京都を凌ぐ勢いの観光都市金沢では、熾烈な観光業界の競争が繰り広げられているのだな。駅弁も進化するはずだ。

旅をする

富山にあるもう一つの一宮

高岡と富山の関係は歴史的に見比べてお勉強しなければならないと思っているのだが、ついついサボってしまい、いまだによく理解できていない。越中国は、元は能登国の一部だったらしい。それがある時に分離独立して越中国になった。その時の中心地は高岡北部にあり、国分寺や役所が置かれていたようだ。
だから、高岡城が街の中心になったのは中世以降になる。では、越中国一ノ宮の一つである「射水神社」の位置付けはどういうものだったのかが気になる。そもそも越中国には、一ノ宮が4つあるのだから、そこには古代から中世にかけて、怪しい闘争があったと見るべきなのだが。
高岡城の跡が公園になっていて、そこに射水神社がある。高岡城は平地から少し高くなった小高い場所に建てられていて、深い堀で守られていたようだ。現在では博物館や市民会館(解体工事中)などが城址公園の中にある。訪ねた日には、広場で小学生が野外学習(多分、どんぐり拾い)をしていた。子供の声を久しぶりに聞いた気がする。そういう長閑な場所だった。

高岡の街中にあるので、当然お参りする人も多い。秋の時期には七五三のお祝いにやってくる人も多いだろう。城址になるので、実は参道が曲がりくねっていて直線にはなっていない。これは余程の高い山の上にある神社でなければ見られない珍しい構造だ。

神社らしい端正なお姿

端正な神社という感じがする。この日は朝早いこともあり人影はまばらだった。ゆっくりとお参りを済ませて境内を歩いていたら、二人ほど女性が撮影に来ていた。本格的に一眼レフを持ち込んでの撮影で、これは珍しい光景だ。一人は三脚も使っている。
神社で三脚撮影などするアマチュアカメラマンというのは、だいたいがジジイと決まっているのだが、最近は若い女性が撮影しているのをチラホラ見かける。お城巡りをしていても、女性が大型カメラで撮影しているのを見かけるようになった。スマホで自撮りをする女性はもはや観光地で当たり前の風景になっているが、一眼レフで(それもミラーレスの小型カメラではなく、重量級の大型上級機種で)撮影するのは珍しい姿だと思う。長い間、神社や城巡りをしているが、最近になるまで見かけたことがない。
おまけに被写体が神社だからなあ、などと自分のことは棚に上げて感心してしまった。確かに神社を撮影するには、光の加減を考えると秋から冬にかけての時期が良さそうだ。夏は、暑すぎることもあるが、湿気が多いせいか空の色が神社と合わない気がする。(個人的見解です)

新潟(越後)と富山(越中)の関係も含めて、もう少し歴史のお勉強をしなければ、なぜ富山に一ノ宮が4つもあるのかの謎は解けそうもない。おまけに、神社を撮影する女性カメラ愛好者が増えたわけはなんだろうか。二つ、宿題が残ってしまった。

余談として補足的にいうと、カメラマンという言い方は、ジェンダー問題とポリコレ的には危うい言い方で、メディアなどではもはや使われないのではないか。おそらくカメラー・パーソンというのが現代的には正しいようだ。歴史的に使われてきたカメラマンとの対比でカメラ・ウーマンと書いてみようと思ったが考え直した。
英語を含め西欧系言語には、マンが男性と人間という意味を持ち合わせているので、発生していいるジェンダー問題だと思う。マン・ウーマン問題は宗教的な側面もあるので、欧米では根が深い話題だろう。が、日本語では男性女性の差を含まない、いわば中性的な人間を表す単語があり、「撮影者」「職業撮影員」とでも書けば、男女の差はなくなる。「記者」や「筆者」などは「ライター」に対応する中性的な単語だろう。
ジェンダー問題を言葉の言い換えで済ませるのであれば、カタカナ外来語を捨てて、日本的漢字利用単語に変えていくというのも「あり」だと思うのだが。看護婦が看護師となったのは、意味ある変化だろうなあ、と思っております。ただ本当の問題はその先にあるのですけれどね。

駅弁

金沢駅の駅弁 観光戦争の引き金

金沢駅の駅弁の中で、頭一つ飛び抜けて高額なものが「越前朝倉物語」弁当だ。そもそも金沢は加賀国なので、なぜ隣国、隣の県の駅弁が売られているのか微妙な感じもする。東京駅で横浜名物のシウマイ弁当が売られているようなものか。その違和感はあるが、見るからにうまそうな弁当で、これは挑戦しなくてはならない、マストバイだと意気込んで購入した。
しかし、食べてみると越前朝倉氏と弁当の中身は、あまり関係がないような気もする。だが、福井県が誇る歴史的遺物としては、滅亡した朝倉氏根拠の一乗谷と現存する永平寺が二大巨頭だろう。福井県が誇る永遠の2トップだから、朝倉氏の投入は仕方がない。そもそも現存する永平寺は「刊行物名称」として使いにくい。「永平寺〇〇弁当」などとネーミングして駅弁を作れば、お寺の法務部?からクレームがつけられ知財訴訟に巻き込まれそうだ。少なくとも、お偉いお坊さんからやんわり説教されるのは間違いない。

弁当のふた?を開けると下から出てくるのが、九つに分かれた「ちまちま系」の松花堂弁当的な品々だった。その一つ一つにメニューの解説付きという、いたせりつくせりの心配りがある。これは、全国でもあちこちに見られる、少わけにした幕内、松花堂弁当系を販売する駅弁屋は、みんな見習ってほしい。素晴らしいアイデアだ。
青森の駅弁にもこれと似た、少区分の説明書きがついたちまちま弁当があった。ただ、青森版はメニュー名が印刷された別添のものだったので、わかりやすさから言えば福井版の方が上手にできていると思う。

お品書きを取り払うと下から出てくる、小料理の数々。ああ、これは絶対うまいやつだと見ただけで思う。ビジュアル的にも優れている。駅弁は見た目が茶色っぽくなりがちだ。煮物と揚げ物では色が出しにくいこともある。生物が使えないせいもあるだろう。だから、にんじんや卵焼きが色付け要員として多用されるのだが、この朝倉氏弁当は、色使いにも果敢に挑戦している。お値段以上の価値がある。(笑)
個々の料理の完成度も高いが、全体で構成した時の味の満足、量の満足、など駅弁界の至宝のようなものだ。肉だけ乗せた、蟹だけ乗せた、豪速球一本勝負的な駅弁が主流になりつつある駅弁業界で、製造効率も悪い幕の内弁当系で勝負しようという、越前福井県の意気込みには惚れ込んでしまう。
ただ、一乗谷に行っても、朝倉氏ゆかりの名物食べ物があるとは気が付かなかった。福井名物といえば、カニとサバ(へしこ)と油揚げくらいしか思い出せないのだが(勉強不足だな)、それが弁当の主力になっている感じもしない。
とても美味いが、浅倉氏との連携が今ひとつピンと来ない。まあ、それでもこの弁当の旨さに変わりはないのだが。ということで、この駅弁はマイベスト駅弁でトップ5認定とした。ちなみにトップ5は秋田県大館のとりめし、山形県米沢の牛肉ど真ん中、横浜の崎陽軒シウマイ弁当、長野県横川の釜飯。惜しくも次点が、青森の「ひとくちだらけ」になる。

ちなみに、以前購入した加賀「百万石弁当」も、九つに分かれたちまちま系駅弁だったが、どうもこちらが先行していたのではないかと思われるのだ。加賀百万石に対抗するべく、後発の朝倉氏弁当が開発され、おまけに値付けも百円高く設定するというにくい戦略をとったと推測できる。現代の越前国対加賀国、駅弁戦争勃発というストーリーが思い浮かんでしまった。

観光大国である加賀国が、越前国が仕掛けた駅弁戦争、そしてこの先の全面的観光侵略にどう対応するのかについての考察は、また別稿で考えてみることにしよう。北陸観光戦線勃発だな。

食べ物レポート, 旅をする

金沢の居酒屋 おでんとへしこ

金沢でおでんが有名だ、という記憶は全くない。金沢には何度も仕事で行っているし、それなりに金沢名物など食べてきたつもりだが、その中に「おでん」という単語はなかった。たまたまテレビ番組でやっていたおでん特集の中に金沢おでんがあったので、あーそうなんだと思ったくらいだ。
それが、今では冬の金沢を代表する料理扱いになっている。天むすは名古屋の伝統料理ではなく、創作料理だと聞かされた時もびっくりしたが、金沢おでんもその手の新造名物なのかもしれない。
まあ、とりあえず実食してみなければと駅のおでん屋に入ってみた。金沢駅の中で長年居酒屋をやっていて、駅が改築されたことで現在の場所に移ったとのことだが、やたらと長い行列ができている。居酒屋に入るのに30分以上も待つ事などあり得ないと思うのだが、今回はしっかり我慢することにした。繁華街のおでん屋に行っても、おそらく同じように待たされるに違いないと自分に言い聞かせて、ようやくゲットした金沢おでんだった。
結論を言えば、薄味のおでん。出汁が効いていると言えば、それはそうだと思う。関東風の「がつん」とした濃い味ではないから、全体的に優しい仕上がりになっている。金沢特有のおでんネタもあるので、それを中心に頼むという楽しみ方もある。

おでんよりもワンダー体験だったのが、この店の名物だという「どじょうのかばやき」だった。想像を超えるものだった。うなぎとどじょうのサイズを考えれば、この串に刺さったどじょうはうなぎの蒲焼きのミニチュア版として納得できる。ただ、よく手間をかけてどじょうを串に刺すものだと、そこが感心したところだ。
味は、今一つどじょうっぽさみたいなものがわからなかったのだが、おそらく3-4本注文して、一気に食べるとどじょう「らしさ」がわかるのではないか………浅草あたりのどじょう鍋と比べてみるのも良い。ともかく、珍しい食べ物としては挑戦する価値がある。

白味噌仕立ての「どて焼」は、ふんわりとした歯応えとあっさりとした味付けだった。これも、できれば10本くらい頼み、一気にワシワシ食べる方が良い食べ物だ。名古屋のどて煮が原型だと思うが、それと比べてみると食文化の変化というかご当地アレンジが楽しめる。

北陸の名物といえばこれでしょう、と言いたくなる鯖の「へしこ」は、日本酒に合わせると最高の肴だと思う。ただ、金沢アレンジというべきなのか、微妙に上品な仕上がりなのだ。へしことはサバなどの糠漬けのようなもので、極めて塩味が強いという印象があった。おまけに強い発酵臭がある。味は全く違うが、ほやの塩辛のような独特の匂いと塩味が特徴だと思っていた。
だが、この日食べたものは、塩味がだいぶ控えめで、おまけに身が柔らかい。まるで刺身を食べているかのような柔らかさ(ちょっと大袈裟か)だった。以前食べたものとは随分変わっている。「へしこ」概念が根底から変わってしまった。良い意味で、洗練された旨さだった。
次回は何軒か居酒屋を回って、「へしこ」の違いを試してみたくなった。そうしたら、マイベストへしこが見つけられるのではないか。次回、金沢のテーマは「へしこツアー」だな……

ソロキャンあれこれ, 街を歩く

ソロキャンプ 何をする?

ソロキャンプの何が楽しみかというと、誰にも気を使わずに自分のしたい事をする。それに尽きる。それが料理であれ、昼寝であれ、誰にも何も強制されないことが重要だ。ファミリーキャンプとの違いは、あるいは友人とのキャンプと異なるのは、その「一人でわがまま」できることにある。
そして、自分がしたい事と言えば一択で「焚き火」になる。火遊びといっても良い。3時間でも4時間でもただただ薪を燃やし続ける。それだけだ。
ただ、陽が落ちて暗くなってくると、焚き火の灯りしかない暗闇の中で、ヒト族が原始の時代に刷り込まれた「火の記憶」が戻ってくる気がする。ひ弱だったヒト族が強靭な捕食動物から逃れる術、「火」を手に入れた。そんな時代の記憶がDNAに刷り込まれているのではないか、などと焚き火をしながら考えている。

その焚き火の脇に置くか細い照明がオイルランプだ。現在のキャンプギアであれば、もっと明るい照明はたくさんある。LEDライトなどは簡便でかつ明るい。ただ、照度の足りないオイルランプの、揺らぐ灯りが焚き火によくあう。生理的に心地良い。このあたりはソロキャンプ達人の受け売りに近いが、楽しみ方は達人から学ぶのが一番効率良い。遠慮なく真似をさせてもらう。

シンプルなキャンプギアしか持っていかない

カセットコンロはキャンプギアとしては邪道のような気もするが、防災用にやたらと買い込んだカセットボンベが余っているので、スタイルなど拘らずに使っている。登山用のプロ仕様ギアに憧れたこともあり、コンパクトなガスストーブも道具としては持っているのだが、あまり使う気にならない。徒歩でキャンプに行くのであれば、ガスストーブも小型化を考えるのだが、車で行くお気楽キャンプしかしないので、最近は埃をかぶっている。
あとは、焚き火台とガス照明がキャンプギアの全て。簡素というか怠慢というか、道具にこだわりがないというか。

100均ショップで買った簡易型のボール(鍋ではないと商品説明には書いてある)で湯を沸かし、カップ酒を温める。ソロキャンプを楽しむのには、これだけあれば十分だ。こった料理をする気もしない。この日は、小型のスキレットで作ったコンビーフのアヒージョと、魚肉ソーセージをケチャップで炒めたものでおしまい。翌日の朝は、その残りをパンに挟んでホットサンドにした。コーヒーもドリッパーなど持っていかない。瓶入りインスタントコーヒーで十分と思うようになった。

もう少し幅が広ければ、80年代SFの傑作、リングワールドに見えるかもしれない。

サイトの上に荒川を渡る歩行者専用の橋がかかっていた。橋を下から見上げていると、「荒川アンダーザブリッジ」を思い出した。あの物語に出てくる、元気なホームレス住人になったような気がしてきた。確かにキャンプをしているつもりではあるが、周りから見るとホームレスぐらしとほとんど同じことをしているような気もする。
このキャンプ場も荒川沿いにあるから、「荒川」アンダーザブリッジという意味では同じだ。キャンプ場があるのは、荒川でも相当な上流に当たるが、荒川を流れ流れていけば東京と埼玉の境目くらいで、あの物語の場所にたどり着く。「荒川上流アンダーtheブリッジ」と「荒川下流アンダーtheブリッジ」みたいな違いしかないなと笑ってしまった。

日が暮れると、たかが歩道橋なのに、なにやら切ない景色に見えてくる。写真には写っていないが、背景には綺麗な星空が広がっている。そして、反対側の川岸には秩父鉄道が通っているので、列車が通過する音が聞こえてくる。都会であれば騒音にしか聞こえない通過音が、妙に心地よく聞こえてきたりするのが不思議だ。

キャンプ場の受付はハロウィーンの飾り付けでお出迎えだった。いつの間にかすっかり定着したハロウィーンだが、キャンプ場にお化けが出るとは思わなかったなあ。

ハロウィーンの後は、一気に冬キャンプになるのだが、この日からライトアップが始まったようだった。自分のサイトで焚き火の準備をしていた時に、工事の人たちがトラックでやってきてなにやら作業をしていた。木の伐採でもしているのかと思っていたが、ライトを設置していたらしい。

これはこれで綺麗なものだが、夜でも明るいキャンプ場というのは不思議な気がする。アウトドアは自然のままの暗闇を楽しむものだと思っていたが、どうやら最近のアウトドアは外で「明るい文明」を楽しむようだ。それも時代の変わり目に立ち会っていると思えば、一緒に楽しむべきだろう。おそらくクリスマスや大晦日も、ここは結構賑わうのだなと気がついた。

秩父には、今風のファッショナブルで楽しいキャン場もあれば、昭和中期で時間が止まったようなワイルドキャンプ場もあるようなので、次回はワイルド路線を楽しんでみようか。ワイルド路線は得意のつもりだが、課題はトイレだろうなあ……………

旅をする

越中国 一宮はたくさんある

高岡の北にある「氣多神社」は、富山湾を見下ろす山の上にある。海沿いの道から山に登る途中が、昔の国分寺が置かれていた一角にだった。その古代・中世の行政地に氣多神社は分祀されたようだ。もともと越中国は能登国の一部だったのが独立して、この高岡北部を行政地にした。そこに、能登国一ノ宮である気多大社の「支店」が開設されたということのようだ。となると、この神社は大和朝廷行政府の一部として新設されたのだから、元々の越中国の神様とは言えないのだろう。
越中土着の神様は、山側にある雄山神社と平野部にある高瀬神社におわすというべきか。古代朝廷の日本海沿岸統治の跡が、この氣多神社という理解で良いのだろうか。古代富山の謎は深い。(自分の勉強不足のせいだとも言える……………)

駐車場から拝殿まではかなり厳しい登山になる。国分寺は山の麓につくられ、神社は山の上というのは、なにやら大和朝廷の陰謀かと恨みたくなる。勘繰ってみれば、便利の良い一等地は「寺」に、山そのものや大樹を御神体にすることが多い「神社」は山の上に。そんな古代行政の「忖度」があったのではないかと、山登りをしながら八つ当たり的に考えていた。当時は国家仏教が前世になっていく時代だ。寺重視政策が取られていて不思議はない。
初詣には、この急な坂道を高岡市民が行列して登るのかと思うと、気の毒な気もする。古代の陰謀が現代に及ぼす影響だ。

山の中腹にまで登ると(おそらく中腹だろうなと思っただけだが)、拝殿にたどりつく。ただ、中腹のあちこちに平らな場所を作り、そこを階段で結ぶような格好になっているので、境内が平たいわけではない。斜面に配置された分譲別荘地のような散らばり具合だ。

お参りをしてから御朱印をもらうには、また山道を降りて駐車場の下にある社務所にいかなければならない。社務所がこれだけ離れた場所にあるのも珍しい。志摩国一宮「伊射波神社」ほどではないが。越中国には色々微妙な事情がありそうだなあ。