街を歩く

始まりと終わり

全国一宮参りを始めたのは、御朱印帳を見ると平成29年11月だ。鹿島神宮と香取神宮を回ったのがわかる。それから、東日本を中心にのんびりと旅をしながら回っていた。自宅から車で行ける範囲を終わった後は、東北を何度かに分けて周り、その後は東海地方から伊勢にかけ小旅行を繰り返した。東日本完了するまで、コロナの3年間の中断期があり6年近く経っていた。
西日本は仕事に行く機会を利用して、一気に回るスケジュールを立てた。近畿圏、四国、中国圏、九州は南北に分けて回った。最後に残っていたのは離島で、これは日数がかかった。

2024年には完了する予定だったが、あと一つを残したところで止まってしまった。2025年は個人的な都合でほとんど時間が取れず、のびのびになっていたが、ついに今年5月に無事完了した。
2017年開始から2026年完了。9年かかったことになる。実質的にはコロナによる中断期を除くと5年ほどだから、やはり日本全国一周するのは時間がかかる。

一宮の所在地は旧・国府にあるので、現在の県庁所在地とは異なる場所が多い。対馬、壱岐、隠岐、佐渡などの離島ではなぜこんな場所と言いたくなるほどの山の中だったりする。当時は国府ではなく神聖な場所を選んでいたのたのだろう。
一宮の近くに国分寺が置かれていたところもある。越中(富山県高岡)や飛騨(岐阜県高山)などだ。当時の国府は政庁・宗教権威が一体化していた街だったことがわかる。・

西国では古代ヤマト王権と地方王国との権力争いも垣間見える。旧・国府と一宮所在地が一致しない。例えば吉備国や出雲国は明らかに地方王国の旧首都と征服政権の出先事務所、国府が別の場所にある。まさに新旧勢力の対比が見て取れる。併合した国の神を時刻に都合の良いようにアレンジしながら、自国の神体系に取り込むというのがヤマト王権のやり方だった。その結果、神様が八百万もいるゆるい宗教になった。
九州の一宮はまさに旧国の国都だったのだろうという場所が多いが、ヤマト王権はそこを嫌って新国府を置いたのだろうなとわかる。

日本神道のユニークさはそこにある。
絶対神が唯一の存在という砂漠の民の宗教とは、思想的に根底から違う。砂漠の民の神は、我を讃えよ、さもなくば滅びよという峻烈さがある。
インド亜大陸生まれの仏教は、東に伝播する途中であれこれ変化し体系化されたが、基本はヒンドゥー教の輪廻転生思想にあり、神様の数も多いが、流石に八百万はいない。
神様が職能により多様化するとiうのは、砂漠の民の思想にはない。絶対神は万能であり、唯一の存在である。苦手なものなどないというのが教義だろう。
仏教の影響を受ける前から古代ヤマト神道は、多数の神があれこれ職能に分かれて共存するが、神の国である高天原に集合しているわけでもなく、各地にある神社に分離・独立して居住?していた。中央集権とは程遠い地方分散型の神々だ。
そんなことを考えながらの一宮巡りは、古代日本史を振り返る旅でもあった。

人生で最大・最後のスタンプラリーだったなと、振り返ると感慨深いものがあるが、若い方にはお勧めしない「渋いアクティビティー」だ。特に、公共交通機関では辿り着けないところも多く、自動車移動、それもレンタカー利用は必須だし、離島となれば弾丸ツアーもう難しい。

スケジュール的に最悪なのは離島で、場所にもよるが一泊二日でも一ヶ所だけお参りするのが可難しい。フェリーのでる街で前泊し、朝イチの船で島にわたり、レンタカーを借りて参拝する。その後、午後のフェリーで戻ってきても、その日のうちに東京行きの交通連絡はつかない可能性が高い。からだ。
中国山地山の中や福島の山中にある神社は、最寄りの特急駅から車で行っても往復で半日は潰れる。最低前泊が必要だ。九州の各地も空港からレンタカーを借りて、日帰りが可能なところもあるが、ちょっと外れになると一泊必須となる。

一月に一ヶ所ずつお参りしても9年かかる計算だから、ご利用は計画的にだなあ。やはり若い方向けの趣味ではないなあ。

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