街を歩く

埼玉の桜と 埼玉の残念

埼玉県ときがわ町 見事な桜

そろそろ関東圏では桜が終わる時期だが、川沿いの歩道にある桜並木というのは、やはり絵になる光景なのだろう。東京では隅田川沿いの桜が有名だと思う。確かに上野公園の宴会会場になっている桜より、川沿いを散歩しながら見る桜の方が、なにやらありがたみがあるような気がする。
全国あちこちに、そうした「散歩」用の桜並木はたくさんあるが、場所によっては桜の下に菜の花が満開という、これまた絶景スポットといべきところもある。埼玉県蓮田市で駅から10分ほど歩いた住宅地に、菜の花と桜の豪快なコラボ風景が見られる場所がある。ただ、開花のタイミングが難しいので毎年見られるわけでもないようだ。
日本全国、どこの街にもそんな桜スポットがあり、地域の人たちの楽しみになっている。まさに桜は春の訪れを宣言する「日本の花」だろう。春以外でも夏、秋、冬、それぞれの季節を代表する花は存在する。ただ、桜ほど誰にでも愛される花が存在するかというと、想像するのは難しい(多分)。
夏はひまわり、秋はコスモス程度しか思い浮かばない。花の知識が欠落している自覚はあるので、花景色について語る資格はないとは思う。だから、埼玉が桜の名所と言い張るつもりはないが、それでも桜を楽しむ場所は埼玉にもたくさんある。春が好きなのは、桜のせいだろう。

そんな春に、ちょっと残念なニュースを見つけてしまった。自分でも度々購入している埼玉の和菓子屋での事件だ。川越はさつまいもで有名な場所で、この和菓子屋もさつまいも菓子を製造している。そのさつまいも菓子(チップス)の誤表示が問題になった。南九州の他企業が製造したチップスを購入し、自社工場で再包装して販売したが、製造元(南九州)のことは書いていない。つまり、九州産を川越産と誤解するような書き方になっているというものだ。
別の例えをすれば、中国やタイの工場で製造した商品を日本に輸入してきて、埼玉の工場で袋詰めしました。袋に詰めたのは埼玉なので国産です・・・みたいなものだろう。
食品表示法の改正時には、この手の表記について随分と業界を挙げて検討していたはずで、「すいません、ちょっと忘れてました」という言い訳はどうにも怪しいと思ってしまう。
ちなみに、大手スーパーなどで販売しているPB商品、自社ブランドの商品も、今では下請けの製造工場名を表記しなければいけなくなった。例を挙げると、カップ麺では東洋水産、サンヨー食品など、下請けというには随分な大手メーカーで製造していることがわかる。それを併せて考えれば、この「お詫び」は随分お粗末なものに感じる。
この和菓子屋の名物である最中を愛用していた。知人への手土産に、「埼玉の地元では人気の名物です」と使ってきた。ただ、こうなるともはや手土産には使いにくい。食品を取り扱っているところでは、下手をすると当てつけと思われるかもしれない。自分で食べる分には諦めもつくが、それもなんだかモヤモヤした気分になる。

せめて該当商品を販売中止にしてくれればなと思ったが、この「お詫び」を読むと表示を適正に変えて販売は続けると書いてある。ブランド維持とリスク管理、どう考えているのか、他人事ながら心配になる。埼玉の「残念な春」のニュースだった。

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不思議な場所のパン屋

埼玉県北西部、キャンプ場のセンターハウスの中にパン屋がある。食堂の一角にこじんまりと設えられたベーカリーというより、パン売り場といった感じだが、なかなか意欲的なパンが並んでいる。

店名もなんだが物々しい感じがするが、看板を見ていて気がついたのが、この奴隷とはパンを買いに来る客のことのようだ。小麦らしきものを持って前を歩く農夫?に後ろから跪いて縋っているのが客だろう。おいしいパンを求めて、客が奴隷化するというコンセプトなのだろうか。諧謔、皮肉、色々と考えさせられるが、米食い民族の中でパン好きを宣言する「裏切り者」的な意味合いもあるのかもしれない。
ちなみに、日本人の主食が米であることは間違いないが、小麦の消費量は米の8割程度なので、米と小麦の差は僅差のワン・ツーフィニッシュ程度だ。米が主食なら、麦は準主食の位置にある。ただし、麦にはうどん・ラーメンなどの麺類消費も含まれるので、パンが準主食というのは厳しい。

このパン屋は北海道十勝にある小さな町に本部を置くフランチャイズシステムで、全国展開を図っている。ローカルな小商圏でも成立する日常使いのパン屋を目指しているらしい。大都市部では、有名なチェーン店が百貨店や大型食品スーパを中心に展開している。最近のスーパーでは、インストアベーカリーが常備され、惣菜部門の売上増強の絶対手段となっている。だから、都市部では焼き立てパンの需要も供給も高いレベルだ。そこから取り残されている田舎町、小さな町でもパン屋を成立させる取り組みとして、あえて地方展開をしているようだ。商売としてはありそうでなかったコンセプトだと思う。
おそらく、生地とレシピーの提供がフランチャイズ本部の仕事だろう。こういうやり方は、すでに大手のチェーンパン屋でもやっているはずだ。それを、少人口地域で成立させる仕組みとして開発したところに「新しさ」がある。
パンの種類は豊富だった。ネーミングも含め「都会らしさ」みたいなものを感じる。食パンとコッペパン、メロンパンとあんぱん、うちのパンは以上! みたいな限定メニューではない。多品種少量生産で単価を引き上げるという戦術も理解できる。田舎町だからできないと言い訳を並べ立てるのではなく、都会のパン屋とほぼほぼ同じと言い切れる業態をどう作るか。「田舎ビジネス」の教科書に載りそうな事例ではと思うが、成果は一年後の判断だろう。一年経って儲かっていれば、この近くの街にも支店が開くはずだ。アフターコロナの元気印になってほしい。

街を歩く, 食べ物レポート

究極のカレーパン あります

ちょっといけてるポスターですねえ

最近カレーパンに凝っている。自宅近くの駅は東口と西口に分かれていて、そのどちらにもベーカリーというか手作りパン屋がある。どちらもなかなか凝った商品が多く、あれこれと変わったパンを楽しんでいる。
同じ駅の構内にもパン屋があるが、そこは工場からパンが配送されている。これはどうも食指が動かない。また、西口にある商業ビルには大手ベーカリーチェーン店が、店内焼きたてパンを売っている。ここはたまにお世話になる。
それ以外にも駅から徒歩3分程度の住宅地に、40年近く営業している老舗ベーカリーもあるので、パン屋の大激戦区だ。おいしいパンを手に入れるには恵まれた環境に住んでいる。
その激戦区で新興勢力「ブーランジェリー」を名乗る店が、店頭に「究極のカレーパン」なる挑戦的な看板を上げているのに気がついた。確かに、この店のカレーパンは美味いと思う。好みでもあるし文句をつける気はない。ただ、周りのパン屋はどう思っているのだろう。と多少は気になり、ついでにカレーパン探しをしてみることにた。

2019年の優秀賞

ここの店のパンはどれもおいしい。そして、周りのパン屋と比べて2割ほど高い。高級パン屋というより、最近はやりのブーランジェリーというやつだろう。店内は照明も落とし気味でおしゃれだ。メロンパンが山積みにされていたりしない。小ぶりのパンが少量ずつ、ちまちまと並べられている。フードデザイナーとでも呼ぶべきかもしれない。その中でカレーパンだけが包装紙に包まれている。

袋の中身は丸型の揚げパンで、ちょっと濃いめの色になっていた。揚げたてを売っていたので、少し時間を置いて冷ましてから食べることにした。熱々はおいしいが、味が熱でよくわからなくなるのを見越してだ。

断面を見るとほとんど空洞がない。生地の底部が少し厚くなっているが上面は明らかに薄い。生地といいうより皮に近い薄さだ。カレーの味は濃厚で、具沢山だから、カレーを楽しむ食べ物というべきだろう。
肉まんと小籠包の差みたいなもので、中身の具を楽しむには、パン生地が薄い方が良い。特に、揚げパンにする場合は、揚げ油の吸収量が味に大きく影響するので、薄めの皮を早く揚げるというのが望ましい。おそらくこの辺りが「究極」の要因だと思う。
間違いなく高いレベルのカレーパンの一つだと理解はするのだが、「究極」とはなんなのだという疑問も残る。包装紙に書かれている「カリ、トロ、モチ」の3点セットのことだとしたら、確かに達成できているなあ。ただ、カレーパンの評価定義みたいなものに、この3点セットが当てはまっているのかはよくわからない。
庶民としては高くてうまい芸術的カレーパンを楽しむだけで良いのかもしれない。とりあえず、この究極のカレーパンを標準として、あちこちのカレーパン食べ比べをしてみようと思った次第。

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アフターコロナ 新宿靖国通りの風景

最近の個人的新宿ランドマークは歌舞伎町・靖国通り沿いにあるこのビルだ。空いている階にどんな店が入るか楽しみで、新宿に行くたびにのぞいている。依然として1−3階は空き家のままで、アフターコロナの元気な店が入るのだろうと期待している。ただ、食べ物屋ではないような気がする。

一見当たり前に見える居酒屋の営業時間表示だが、ちょっと前までここにはランチ営業の案内が貼られていた。夜の商売である居酒屋が、ランチやってるよとい悲痛な叫びをあげていたのだから、実はこの営業時間のお知らせは、俺たちまともな商売に戻りまっせ宣言という意味がある。めでたい宣言だ。
近いうちに応援に行かなければなあ、などとこの看板の前で立ち止まってしまった。それでも休日営業をするのだから、まだまだ商売は苦しいのだろう。

紀伊國屋本店の裏側にあるビルで、テナントがいなくなっていたと思ったビルに新規業態が入った。アフターコロナの仕切り直しということのようだ。ここも一度は覗きにいってみなければと思う。それも昼ではなく夕方に行くべきだろう。色々な料理がスタンド形式で食べられるようだ。同じフロアー内で簡単に梯子もできそうだ。確かに横丁っぽいし、自分的に期待が高い。

ちなみに、2月には右側のように何もなくなっていた看板枠も、今では左側のようにきっちり埋まっております。めでたしめでたし。

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歌舞伎座と弁当屋

いつも歌舞伎座の前を通りかかると、死ぬ前に一度くらいは歌舞伎を見てみたいぞと思っている。が、行動につながったことはない。いまだに切符の手配の仕方すら知らない。ましてや、歌舞伎を見るときのお作法みたいなものなど全く存じ上げない。
何かの拍子で見たテレビ番組で知ったことだが、歌舞伎の台詞回しがよくわからない人向けに「録音された現代語版の同時解説」機械を貸し出してくれるサービスがあるそうだ。明治初期まで歌舞伎は、普通の町民が楽しんでいた「現代芸能」で、古典ではなかったはずだ。つまり明治の後の百年余りで、日本語が劇的に変わってしまったということらしい。
落語の世界でも、古典落語を理解するには、往時の町人暮らしなどの社会背景がわからないと、笑うこともできない。それと似ているなと思う。
あとは幕間の休憩時間に弁当を食べたり、食堂で食事をとるらしい。映画のように一幕終わったら全員入れ替えというシステムではないようだ。(これも行ったことがないのでよくわからない)
歌舞伎を見たこともないくせに歴史的な歌舞伎のあれこれについては、ちょっとお勉強したことがある。歌舞伎の全盛期である江戸時代は、芝居小屋の中が薄暗くて照明も届かないから、あの白粉をベタッと塗ったくまどり化粧をするのだと聞いている。現代の照明がある小屋では、すでに様式美としての白粉・隈取りのようだ。(無駄な知識だ)しかし、浮世絵にもなった有名な役者の名前などは全く知らない。
歴史的な知識だけでいえば、能も歌舞伎も当時の流行演芸であり、今で言えばEXILEとかAKBみたいな物らしい。だから、あと100年も経てば、秋葉原のAKB劇場が古典芸能を保護する場所となっていて、EXILEは3代目どころか、8代目宗家とか裏EXILE流五代目みたいな感じになっているのだろうか。

だから歌舞伎座の向かいに弁当屋を発見した時、ちょっと嬉しくなった。歌舞伎見ながらお弁当を食べるひともいるんだなと。プロ野球を見る時に見かける、ビールタンクを担いだビール売りの若い衆が声を上げながらスタンドを練り歩いている姿を思い出した。江戸時代の歌舞伎小屋の中でも、幕間に弁当売りが歩いていたのではないかと想像してみた。色々な弁当屋の売子がたくさんいて競争して売っている感じだろうか。歌舞伎とプロ野球、どちらもその時代の現代演芸と言って良いから、客席では同じ光景が見られたかもしれないと思った。その当時の弁当売りの若い衆が、弁当屋の主人に成り上がったみたいな、アメリカンドリームならぬ、お江戸ドリームがあったりして。などと空想を巡らせてしまった。
大相撲でも枡席であれば、飲み物と食事がセットされている。日本的な興行では「見る」と「食べる・飲む」がセットされているのが必然なのかもしれない。


とすると、伝統的な歌舞伎を楽しむ小道具として、江戸から続く古典弁当でも売っているのだろうか、などと思って店先を覗いてみた。
なんと想像通りの豪華三段重弁当が売っていて嬉しくなった。お花見にも似合いそうだが、やはりこれは歌舞伎観覧者御用達なのではとも思う。しかし、このコロナな世界で、そもそも歌舞伎座の中でお弁当を食べる場所はあるのだろうか。江戸時代は桟敷の中で食べていたようだが、現代ではどうなのだろう。舞台近くで弁当の匂いがすると、役者もあれこれと考えてしまいそうだ。

一人前の弁当も色々とある。お値段はちょっとお高めのような気もするが、おかずも含め手の込んだ弁当であることは写真からもわかる。その中でも「東京弁当」というものが、値段も名前も含め他の弁当と別格で、どうもこれは日常使い用のような気がする。歌舞伎座周辺のオフィスビルで働いている人のお昼ご飯という感じだ。
歌舞伎を見にきた人だけでは、経営的に安定しないのかなどと勘ぐってみた。それでも、この東京弁当は一度食べてみたい気がする。
今や伝統芸能に成り果てた(?)歌舞伎を、現代演芸として楽しんでいたお江戸の人々に思いを馳せつつ、隅田川沿いのどこかで、満開にさきほこる桜の下で食べるのが令和の風情としては良さそうだ。

街を歩く, 食べ物レポート

立食いそばの老舗と名店 #1

立ち食いそばというのは、日本的ファストフードであり、B級グルメどころかC級グルメだよなと思いつつ、サラリーマン時代は実にあちこちでお世話になった。お気に入りの店の蕎麦であっても、決してうまいとは言えないのだが、何度も何度も行ってしまう妙な魅力がある物だった。
ここ2年ほど、コロナによる社会変動で立ち食い蕎麦はずいぶん閉店してしまったようだ。外出が減ったこともあり、どこかに行ったついでに立ち食い蕎麦を食べるという機会もなくなってしまった。
これでは日本から立ち食い蕎麦屋が消えてしまうという、個人的な危機感もあり、最近は外出先で立ち食い蕎麦屋を見つけると、応援と称して蕎麦を食べることにしている。おやつ代わりに蕎麦を食うというのは、ちょっと健康面を考えると「いけない」行為のような気もするが・・・。

かめやの天ぷらそば 中庸だが好みの味だ

西新宿のJR山手線沿いに広がる「思い出横丁」は、焼き鳥や中華料理や居酒屋が密集している怪しい地帯だが、その中に座る「立ち食い蕎麦」がある。どうやら立ち食い蕎麦愛好家には有名な店らしい。カウンターだけの店だがスタンド式の椅子席なので、立ち食いではない。ただし、カウンターは屋外に露出しているので、背中は風にさらされている。冬は寒いし、夏は暑い。個人的には、夏にこの店を使う気にはならない。裏路地にありジトっとした熱気がこもる場所だ。熱い蕎麦を食べるなど、なんの罰ゲームだと言いたくなる。気温が下がった秋から春にかけての限定利用だ。
蕎麦は結構まめに茹でているので、ほぼ茹でたてに近い。つゆは甘すぎず、辛すぎず「普通」レベルだ。かき揚げも店内調理のようで、ぼてっと厚みがあるタイプだ。カリカリ感はない。ちょっとふやけている感じがするが、立ち食い蕎麦のかき揚げはサクサクさを楽しむというより、蕎麦つゆに漬け込みつゆを吸ってふやけてきたものを楽しむ物だと思っている。だから、ふわふわかき揚げには何の問題mのない。
ああ、これが立ち食い蕎麦の楽しみだな、などと思いながらずるずと蕎麦を啜っていたら、隣に来たお兄ちゃんが「天そば、ネギマシ」なる注文をしていた。
「ネギマシ?」と疑問に思い、横目で隣の注文を見ていたら「ネギが山盛り」になって出てきた。つまり、ラーメン屋のネギラーメンみたいな物で、今のご時世ではネギも追加トッピングになるらしい。
自分の中の立ち食いそば世界では、ネギはカウンターの容器に山盛り入っていて、勝手に好きな量を自分で乗せていくイメージだった。丸亀製麺などもネギとりはセルフスタイルだが、西新宿では追加のネギが有料になると思い知らされた。
まあ、立ち食いそばのスタイルに標準なんかあるはずもないし、どの店も自分のやり方でやっていることに文句はない。ただ、追加トッピングに「ねぎ 〇〇円」と書くことだけはお願いしたい。ちなみに、追加かき揚げは100円で、ネギ増しは30円みたいだった。(未確認)
次はネギ増し増しで頼んでみようかな。

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今年の桜 あれこれ思うこと

何だか、今年もあっという間に桜の季節が終わってしまった。それでも、何度かは満開の桜を見ることができた。桜を見るたびに竹内マリアの曲を思い出す。二十代、三十代と年を重ね人生の楽しみ方が変わるという曲だが、その中に「あと何回桜を見ることができるだろう」みたいなフレーズがある。
これは日本人特有の感性だなと、初めて聞いた時に感じた物だが、欧米人であれば年を重ねる象徴に何を引用するのかと思ったからだ。アメリカ人であればクリスマスやサンクスギビングなどに年齢を重ねるイベント感があるのだろうか。

西新宿 高層ビル街の一角にあるお寺で

今はスマホのカメラがすっかり高性能化したので、わざわざ桜の写真を撮るために一眼レフカメラを持ち出すことも無くなった。ほんの数年前までは、春になると一眼を抱えてあちこちに桜の写真を撮りに行ったが、今年はとうとう諦めてしまった。コロナの重圧に負けたわけではない。去年も一昨年も桜撮影はしていた。
ただ、もう桜を見たついでにスマホでパチリで十分な気がしている。一眼を担いで歩き回るのが面倒な年になったのか、それとも写真はスマホで十分という当世風な感覚に若返ったのか。どちらなのだろう、自分でもよくわからない。

スマホで光量調節もせずに夜景が撮れるということは、それ自体びっくりするほどの技術革新だと思う。が、それも当たり前になってしまえば、小学生がとった写真とプロの写真家の腕前の差は、一体どこに出るのだろう。そもそも画角とか露出みたいなテクニック話で言えば、今や撮影後に写真データを切り抜いたり編集するのは当たり前なので、プロの腕前と素人との差が縮まっている気がする。
ちなみにフィルム写真時代に夜桜を上手に撮るのは、とてつもなく技術が必要だった。今や、スマホで画面を覗いてパシャッでおしまい。良い写真を紙焼きにしてみるか、画面で見るかという違いの方が大事だろう。

近くの小学校の正門前に大きな桜の木が立っている。タイミングが合えば、満開の桜で入学式ということもあるのだろうが、ここ数年は4月になると葉桜になっていることが多い。今年も、入学式には全部散っていそうだ。

花見をする時、桜は見上げる物だと思っていたが、今年は桜を見下ろす場所を発見した。見下ろす桜というのも、これはこれで綺麗な物だなと気がついた。まだあと何年かは、こうして「新しい桜」を楽しむことができるのだろうか。竹内マリアが歌う楽曲の中では100歳くらいまで生きていくことになっているのだが。

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新宿街歩き 新旧交代の景色

この「バスあいのり」という場所は、紀伊國屋本店の裏側にある。何とも不思議な施設で、同じものが銀座でも見かけた。想像するに、ビルの建て替え立地(現在隣の土地を地上げ中など)に、簡易型の建物を作り営業している業態らしい。サイトを調べてみると、高速バスの空きスペースを使って全国から地方の特産物を配送。販売するサービスのようだ。その特産物を販売する期間限定拠点ということなのだろう。

この日は、客席?にティピー型のテントを張って、そこで色々と飲食できるという仕掛けだったらしい。面白いとは思うが、いかにも東京らしい。このやり方は東京だけで通じる、全国各地の大都市ではなかなかうまく行かない仕組みのような気がする。東京人の半分以上が、全国からの流入、漂白移住民なので、だから逆に全国のあれやこれの風物に寛容だと思う。受け入れる土壌がある。
全国の地方大都市は、その地域の中心であるが故に地域住民がほとんどなので、よく言えばまとまりがある。悪く言えば排他的文化の核だ。大きな「オラが村自慢」の場所となる。
全国にある他地域の良さを肯定できるか。その寛容さがなければ、見ず知らずの土地のものを使った商売が成立しはしないだろう。沖縄でジンギスカン屋をやるとか、北海道で沖縄そばを販売するとか想像してみると理解は早い。地域性を無視した商売は地方ではなかなか難しい。ハイブリッドな東京で、それも新宿や銀座だから成立する商売なのではと思う。何十年経っても、東京は不思議な街だ。

ヨドバシカメラも、新宿を象徴する商売だと思う。個人的に大の家電好きなので、暇があればヨドバシに行ってショッピングではなくショールームとして楽しんでいる。そのヨドバシカメラ(新宿東口)で、売り場の大改造が行われていた。そもそも一階とはデパートや大型モールでも通じる鉄則だが、その店で一番売れて一番儲かる商品を並べるものだろう。だから、ヨドバシカメラで一階の定番商品は、高級カメラを中心としたカメラ売り場だった。国内メーカーの一機50万円もする一眼レフカメラやプロ仕様の高級レンズが無造作に並べられていた。
それが、コロナ感染と共にインバウンド客がいなくなると、カメラがスマホの置き換わった。まあ、それは販売の主役が変わったので仕方がないとしても、それ以外の地滑り的主従交代がすごい。
カメラは別ビルという相当に売り場的には僻地に左遷された。2階3階という比較的好立地にいたパソコン、テレビなどは最上階近くという「負け犬」立地へ飛ばされた。一時期は一階にいたこともある、ワイヤレスイヤホンも同じく僻地に転勤になった。
いわゆる情報系家電が全滅した結果、一等地に栄転してきたのが、エアコンや調理家電などのグループだ。つまり「引きこもり」「おうち時間」需要がヨドバシカメラ、家電業界ですっかり主役になったということを意味する。コロナの影響を、一番実感した光景だった。たかが家電店の陳列が世界経済を表す時代なのだなあ。

あちこちで五月雨的に変わっている新宿だが、馴染みの居酒屋で入口脇に貼られていたポスターをみて、何と20世紀のライブ告知だということに気がついた。それも、この方はすでに他界されて久しいはずで。同じ新宿でも、ここには流れが止まった時間がある。
深夜放送でよくかかっていた「ぷかぷか」を聞いてみたくなった。でも、すでにLP版レコードは処分してしまったし、どうやって手に入れようか。頼るはAmazonになりそうで、これが二十一世紀の音楽を聞くお作法なんだと、ため息がひとつ出てきた。

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岩手の旅 おまけ

岩手のアンテナショップの件でもう少し。お店は東銀座、歌舞伎座の向かいにある。銀座の中心から歩いて5分もかからない便利な場所だ。都内にある各県のアンテナショップの中でも、群を抜いて広いお店だと思う。ゆったりとしたつくりなので、陳列されている商品も多い。

おそらく新幹線を使った配送ではないかと思う「岩手の駅弁」も並んでいるのだが、ちょっと嬉しいお買い物といえばこの白石のパンだ。岩手のローカルパンメーカーだが、宮城あたりまでは販売されているようだ。仙台のスーパーで買った記憶もある。首都圏ではみかけない珍しいパンがあり、地元のスーパーであれこれ物色しては楽しんでいた。その中の一つが、この山型食パンのクリームサンドだ。青森にも似たようなものが人気商品だから、北東北の人には慣れ親しんだ食べ物なのかもしれない。食事というよりは、おやつタイムにもぐもぐ食べるパンだろう。

あとは、北海道人のソウルにも刻み込まれている豆パンだ。中身は甘納豆で、あんぱんの亜種という気がする。日本各地で豆パンは存在する。だから発祥の地がどこなのかは依然としてわからない。
存在が確認できた場所だが、四国と岡山では普通にスーパーでも売っている。九州のどこかで見かけた記憶もあるが、場所が8キロともいだせない。最近では、首都圏ベーカリーショップでも「うちの目玉商品」的に売られていることも増えた。
ただし、そうしたベーカリーショップの高級豆パンは、甘納豆の投入量が過大でパンというより、甘納豆をパン生地で繋いだ感もある。あれはもはやパンとは別の食べ物だろう。
この岩手の豆パンはバランスが良い。明らかにパンの一族だ。しかし、豆パンのルーツは一体どこなのだろうか。パン食が拡大したのは明治以降だから、明治中期に岩手のパン屋で発明され、それが北海道に渡ったと考えて良いのだろうか。
開拓期の北海道は東北を中心とした移民混成文化だったので、自分としては岩手ルーツが本命で、岡山や香川の豆パンは同時並行進化のような気がする。ただ、北海道も開拓時期に酪農が国家事業として導入され、いきなり欧米ルーツでアレコレ的な食品が定着したこともある。その一連として北海道開拓使御用達の豆パンが東北に逆上陸した可能性もありそうな気もする。ちょっとモヤモヤした気分なのだ。

岩手を代表する工芸品の一つが南部鉄器で、最近は「黒」一色ではなくカラフルなカラー鉄瓶なども作られている。それでも鉄瓶といえば、渋い黒というイメージが一般的だろう。
個人的には鉄瓶好きで何個か所収している。だから、時々鉄瓶を見に岩手に行ったりしたものだが、一時期は大陸から来た観光客に鉄瓶が買い占められていて、陳列オンリー、買うのは予約して一年先みたいな困った状況になっていた。それも最近では解消されたようだが。インバウンド消費は生産者にとっては福音だったかもしれないが、普通の日本人にとっては相当に迷惑だったことは事実だろう。
のんびりと鉄瓶鑑賞をしていたら、とてつもなくすごいものを見つけてしまった。箱に書かれた「南部鉄瓶」の字体が何やら見覚えがあるなあと思い、よくよく見てみると、なんとなんとびっくりのコラボ先。おまけにお値段が一段と冴え渡るというか痺れてしまう物だ。普通の鉄瓶とくらべてもかなりの高額作品だった。熱狂的なアニメファンだとしても、このお値段は手の届くものなのだろうか。
確かに、初コラボというのは正しいのだろうが、なぜ鉄瓶とコラボするのだろうか、?????、頭の中が疑問符だらけになった。
オリジナル機体色は紫か赤だしなあ。ひょっとすると、あのとんがった頭部が何か鉄瓶にインスパイアされていたのかとか、ブラグの一部に南部鋳造鉄が使われているという設定だったのか。はたまた、司令の出身地が南部鉄瓶の工房がある町だったのだろうかとか。疑問は尽きない。ウルトラマンと福島県須賀川のコラボ以来の「びっくり発見」だった。
でも、ちょっとこの鉄瓶、欲しいかも・・・。岩手県、奥が深いなあ。

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銀座で旅をする 広島編

銀座にある広島県のアンテナショップが改装して、売り場のレイアウトもずいぶん変わっていた。改装直後ということもあるのか、店内は大賑わいで歩くのも大変な混雑だった。商品は見やすくなったが、混みすぎて歩くのもたいへんなのはちょっと困る。
広島名物といえば、もみじ饅頭になるが実はあまり興味がない。個人的な好みでもみじ饅頭の代わりとして、洋菓子店バッケンモーツアルトの硬いクッキーをいつも買っている。クッキーのうまさというのはなかなか微妙な物で、スーパーで売っているメーカー製のクッキーより、洋菓子屋のクッキーの方が数段うまいような気がしている。その中でも広島のクッキーが1番の好みなのだ。
今回は、目新しい広島ものを探していたが、発見したグッとくる物がこれだった。おたふくソース製てんかす。関東圏では「あげ玉」というが、温かいそばに乗せるとうまい。おたふくソースのメーカーがあげ玉を売るのかとちょっと意外だったが、よく考えれば、あげ玉はお好み焼きの具材として使うのだから、お好み焼きソースのメーカーとしては関連商品ということになる。おまけに、最近の広島はなんでも辛くするのが流行っているみたいだから「辛い天かす」なのだろう。痺れる「汁なし坦々麺」や「辛いつけ汁の麺」も新広島名物代表として勢力拡大中だ。

そこまで考えて気がついた。辛いつけ汁麺のつゆの素が売っているのではないか。ともおったら、すぐに見つかりましたよ。おまけに、こいつもおたふく製だった。確かに「ソースメーカー」なのだから、つけ汁などもお手のものかもしれないが。今回は2品ともおたふく社製の広島特産物となった。

しかし、本当の目的は広島式お好み焼きを食べることだった。広島式お好み焼きは、東京のどこにでもありそうな気がするが、想像以上にお店が少ない。東京では定番の「下町のもんじゃ・お好み焼き文化」とガチンコで戦えるほどの戦闘力はないようなのだ。おそらく在京広島県人のため、各地域にポツリポツリと薄く広がっている程度だろう。
それでも「東京下町文化」に汚染されてはいない、北海道からの流れ者としては、少数派の広島式お好み焼きにはほのかな共感を覚える。異郷の地で、細々ながら首都圏民族に抵抗しているゲリラみたいなものだ。だから、広島県アンテナショップ2階に見つけた広島式お好み焼き店は、いつか行ってみようと思っていた。
ただ、この店は広島県人の人気店らしく、いつでも長い行列になっている。今回は、昼が終わった後の隙間を狙ってやってきたが、それでも20分ほど待った。

広島式お好み焼きは、お好み焼きというより焼きそばの異種というか亜種だろうと思う。東京下町風、あるいは大阪風の粉物とは全く違う。焼きそばの上に甘くないクレープが乗っているという形容が正しい。具材が多くなれば、五目焼きそばになるだけだ。ただ、うすい皮の上にたっぷりとソースを塗りたくり、それと一緒に麺を食べると、幸福な気分になるのも確かだ。白飯にふりかけをかけたうまさに近い。焼きそばを一段進化させた食べ方と言うべきかもしれない。

これまで現地で食べたのも含め、それなりに広島式お好み焼きを楽しんできたが、久しぶりに食べて気がついたことがある。麺の種類が増えている。昔は、蒸し麺(ソース焼きそば風)か、うどんが選択肢だった。今回初めて知ったのだが、それに併せて茹で麺(ラーメンの麺を茹でたもの)と辛めん(麺の中に唐辛子が練り込んであるもの)が加わっていた。
生麺を使った焼き蕎麦は神田神保町にある行列のできる店を筆頭に、それなりに広がっている。大分の有名焼きそばチェーンも同じやり方だから、その辺りの何処かから流入した文化だろう。しかし、辛い麺というのは聞いたことがない。辛いスープの有名店はたくさんあるが、「麺」が辛いといわれると・・・知らないなあ。
物は試しと辛い麺を注文したら、これはなかなかにうまい物だと感心した。広島クオリティーと称賛すべき物だ。帰りがけに気になって、一階のショップを覗いたら、「辛い麺」がしっかり販売されていた。買って帰っても、自宅でどう使うかが難しいと思ったが、広島県人であれば自宅でお好み焼きをする時に使うのだろう。
また一つ、食の異文化と出会った「広島の旅」だった。