街を歩く, 食べ物レポート

老舗居酒屋で池波正太郎を気取ってみた

東京のシンボルタワーというより、東京東部、下町地区の象徴という気がするスカイツリーだ。東京駅から東側を歩いていると、アレっと思うようなところからスカイツリーの姿が見える。
鶯谷の駅から歩き始めてふと見上げた先にスカイツリーがあった。スカイツリーが完成してから随分と時間が経った。おやまあ、というか、また会いましたね的な親しみも感じるようになった。街の光景に馴染んできたという感じがする。

JR鶯谷から歩いて10分もかからない、表通りから引っ込んだ住宅街の一角にある老舗の居酒屋で、友人と待ち合わせをした。住所は根岸なので、実に下町界隈に出没した感じがする。そもそも鶯谷の駅で降りたのは、これが初めてかもしれない。浅草からぶらぶら歩いて入谷を過ぎ日暮里まで歩いた記憶はあるが、鶯谷周辺には近付いていなかった。東京にぽっかり空いた未踏地区の冒険に出たような気がする。
山手線の内側を湯島から日暮里まで歩いたこともあるから、やはり鶯谷駅周辺だけ足を踏み入れたことないまま、謎の空白地帯になっていたようだ。

今風の無国籍な料理が並ぶチェーン居酒屋とは全く趣が異なる、シンプルなメニューだった。かまぼことかたたみ鰯とか、時代劇に出てきそうな食べ物が並ぶ。まさに池波正太郎的グルメ世界なのだ。というよりストイックな美食空間とでも呼びたい。
池波正太郎が今でも生きていたら、江戸風物の古典料理以外にエスニック料理や昆虫食まで手を広げていたとは思う。知性の高いグルメ探求者は、知的探訪というか興味本位で悪食になるはずだからだ。オムライスを楽しんだ翌日には、タイ飯でグリーンチリとココナッツミルクにした図済みを打つような暮らしは悪くない。池波正太郎氏にはナンプラーとニョクニャムの違いを熱く語ってもらいたいものだ。
ただ、そうした現代版拡張グルメを楽しんだ後は、やはりこの店のような古典的居酒屋で休憩するのではないかと思う。新と旧を取り混ぜ、伝統と新進気鋭を気ままに楽しむのが、正しい食い道楽のお作法であるとも思う。

最初に出てきたのはお通しというより突き出しという感がある、シンプルな「煮豆」だ。ちょうど10粒あるなと思ったが、これはひょっとするときっちり数を揃えて出しているのだろうか。そうかもしれない。ありそうな話だ、と豆をつまみながら思った。味付けはほんのりというかほとんど味がしない。ただ豆を食べたという充足感がする。

鳥もつ焼は、一人一本ずつに分けて出してくれた。一皿に盛り付けて勝手にシェアしてねという一般的な居酒屋とは一味違う心遣いなのだが、それを堪能するのは客側にもそれなりの素養というか、理解度の高さが必要だ。
ここしばらくの我が生活を振り返ってみると、コロナで在宅時間が伸び、テレビ視聴時間が増えたせいで、旅番組(過去放送したもの)と酒番組には詳しくなった。その影響で熱燗を飲むようになったのだが、確かに燗酒には冷酒とは違う旨さがあるなと感じるようになった。どうやら基礎代謝量が減ったせいで、色々と味覚にも変化が起きているようだ。まあ、普通はこれを老化と呼ぶ。ジジイ好みの味に傾いてきたというだけの話だ。だから伝統的な居酒屋、ほとんど会話が聞こえてこないような静かな店がありがたい。居心地が良い。
白鷹の熱燗で湯豆腐を食う的な池波正太郎世界が目の前に広がっているなあ。ちなみに、都内で白鷹を飲める店は本当に少ないのだよね。池波正太郎の世界で、日本酒の銘柄に言及していたかは全く思い出せないのだけれど。

街を歩く

福井城 地味にすごい

県庁所在地にお城があるとき、そこには公共施設が設置されていることが多い。あとは神社もよく勧進されている。明治政府の蛮行、廃仏毀釈の影響が大きいようだ。富山のように市民が散歩できる無料の公園になっていることもあれば、名古屋城や彦根城のように入場料を取るところもある。それぞれの自治体の考え方だから文句をつけるつもりはない。整備にも金がかかるし、文化財の保護を税金でやると文句をつける市民も多いだろう。
福井県福井市にある福井城は、お城の真ん中に県庁と県警本部がある。これは……………相当にすごいことだ。お城は堀で囲まれているので、入り口の橋が落ちたら県庁へはどうやっていけば良いのだろう、などと馬鹿なことを考えてしまった。
そして、その県庁の入り口に大きな垂れ幕がかかっていて、これはなんと感想をいえば良いのだろうと悩んでしまう、不思議な標語というかスローガンだ。今風に言えば、エモいスローガンみたいなことを狙ったのかな。

福井城は悲運の名将、結城秀康が築いたものらしい。徳川一族は、あちこちの防衛拠点に派遣され幕府の守りを担ったのだが、この家康の息子はかなり大変な人生を送った一人だ。本来であれば、二代目将軍になるはずだった……………
福井城は典型的な平城なので、堀が広い。防衛拠点というより、地域支配の象徴という観点で建てられたような気がする。

福井は地勢的に京都から日本海沿岸、越中越後にいたる北陸支配の前哨基地にあたる。重要拠点だったのだが、支配者は戦国後期にコロコロ変わった。最後の支配者、徳川政権になって大きな城が造られたのは、戦国期の終わりという意味合いがあったように思う。

北陸新幹線が福井まで延伸する前から福井駅は新幹線対応を進めていた。その気の早いとも思える駅改良工事を見たのは5年前だっただろうか。今では駅前もすっかり整備完了して、あとは新幹線の入線を待つだけと思っていたら、なんと大阪延伸を望んでいる。福井人は気が早いというか、せっかちというか、野望に満ちているというか、ちょっと意外な気がした。
確かな記憶ではないが、JR東日本の新幹線は雪対策で車両が重くて、東海道新幹線は走れないのではなかったか。大阪延伸のためには、東海道新幹線に乗り入れするのが早道だが、そこで直接乗り入れることができるのだろうか。
乗り入れができずに、米原や京都で東海道新幹線に乗り換えるとしたら、つながる意味もなさそうだが。米原で繋がるのであれば、「のぞみ」接続はむりだろうし。京都駅乗り入れだろ、どこにホームを作るかだなあ。在来線の上に立体化したホームを作るか?

このあたりは福井県庁の方にご意見を伺ってみたいものだ。地味にすごい、福井についても、色々と面白い話が聞けそうだし。はやくて、つよい決意を語ってほしいなあ。

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金沢で夜の散歩 都会の楽しみ

金沢駅の駅前改良工事が終わっていた。完成後の駅前広場は「都市美」というか「機能美」に溢れている空間に変わっていた。駅に向かう歩行者の散らばり具合が、都市としてちょうど良い。適度に賑やかな感じがする。東京のターミナル駅で見る、レミングの群れが暴走しているような猛々しさはない。
人という生物の生理的感覚として、大都市駅の密度はやはり異常というか、気に入らない空間なのだと思う。三密などというゲスな言葉とは無縁な、近代都市空間とはこういうものだと言っている気がする。

金沢駅西側はすっかりホテルとオフィスビルの街に変わっていた。不思議なことに金沢の人口を考えると、この街の賑わいは他の中規模都市、特に県庁所在地を凌駕している。賑わいだけを見ると、ほとんど政令指定都市のレベルではないだろうか。
いや、人口100万人を切る小型政令指定都市と比べてみても、金沢の方が賑わい度で上のような気がする。やはり、加賀百万石の威光というか名残というか、文化と観光の街として格の違いがある。

その影響を受けて駅ビルのなかも夜遅くまで営業しているお店が増えた。たまたま見つけた閉店時間間近のパン屋で面白そうなメロンパン?を見つけた。バナナと胡麻という組み合わせは見かけた記憶がない。おまけに好物のメロンパンなので、ついつい誘惑に負けて一つお試し買いをすることにした。
味は、バナナが強く胡麻はほんのりな感じだった。メロンパンの味は表面のビスケット生地で決まるものだと思い込んでいたが、この胡麻バナナメロンパンは、中のクリームが味の決め手だった。うーん、実に美味い。

閉店間際でもこれだけ並んでいるのは、売れ残っているのではなく、人気なので売り切ってしまうのだと思う。後で写真を見返していて気がついた。このパンはメロンパンではないのだな。どこにも「メロン」の文字は書いていなかった。見た目での思い込み……………おいしければ良いのだよ。

そのメロンパンもどきを買う時、もう一つ気になってしまったのが「加賀棒ほうじ茶デニッシュ」だった。加賀棒茶というものは、金沢名物として聞いている。お茶に詳しいとはいえないが、金沢で飲ませてもらった棒茶は美味しいものだった記憶もある。
しかし、一番惹かれたのはきな粉がかかっていることだった。揚げパンのきな粉がけは好物だ。シンプルなきな粉の味が好きなのだが、安倍川餅や信玄餅のようなきな粉まみれのお菓子も好んで食べる。

加賀棒茶よりもきな粉に引っかかったというのが正直なところだが、このパンの中身に入っているお茶クリームは上品な感じがして気に入った。パンというよりデザートに近い。お茶を使ったクリームは抹茶だけかと思っていたが、ほうじ茶で仕立てるあたりは、やはり金沢の味覚文化なのかもしれない。
夜の街をフラフラと歩き回っていると、こういう美味しい場面に出会うことも多い。適度な都会の賑わいが感じられる金沢は、さぞかし住みやすい街なのだろうなあ。
あの冬の曇り空は好きになれないんだけどね。

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秋田の街歩き

年末のニュースなどで見かける「〇〇市民の台所」と言われる市場が好きで、時間があれば立ち寄ることにしている。スーパーに取って代わられて久しい業態だが、地場の魚や野菜が並んでいるのをみて歩くのは楽しい。今回の秋田では、今まで行ったことがなかった市民市場をなんとしても見に行こうと思っていた。
ただ、行く前から恐れていたこと、あちこちの市場で起きていることが、やはりここでも起きていた。お店が歯抜け状態になっている。感覚的には1/3が空き家になっている。県庁がある町でこうなのだから、地方都市で市場がなくなってしまうのは時代の流れと諦めるしかないのだろう。(実際に弘前では小ぶりな市場が消滅していた)

秋田駅から歩いて15分くらいで、夜の繁華街「川反通り」に着く。ここはだいぶ昔に官官接待疑惑で大騒ぎになり、以降「官僚」接待が反社会的な行為扱いされ、全国の県庁所在地で飲み屋が大量に潰れていくきっかけとなったと記憶している。
秋田には何度も来ているのだが、不思議と夜の繁華街に来たことがなかった。新幹線が開通してから、北東北はちょっと無理すれば首都圏から日帰り可能になってしまったこともある。秋田で仕事をした後、青森や盛岡に移動して一泊するパターンが増えたせいもある。

街は名前の通り、川沿いに伸びていた。これはなかなかの風情がある。秋田のお城直下の場所なので、江戸時代から続く賑やかな場所だったのだろうことは簡単に推測できる。まさしく城下町の花形だったはずだ。盛岡はお城から駅が離れているが、秋田は駅が近い。同じ北東北でも西と東では街の作り方がちょっと違っているようだ。

その繁華街のメインストリートではないかと思う通りを歩いて気がついた。両脇に並ぶ店が少ない。廃業してしまったところも多いようだ。おまけに、コロナの後だけに、閉店に追い討ちがかかった感じもする。

通りの両脇を眺めながら一往復してみた。外観が賑やかな感じがしたのは、秋田名物が並ぶ居酒屋ではなく、どかーんと肉を食わせる店のようだった。秋田は日本酒と魚と勝手に思い込んでいたが、今や「肉の時代」だしな………
と改めて納得した。
接待というビジネスツールが過去の風習となる時代だから、夜の飲食店も「自分の金で自分の食いたいものを食う」という当たり前に戻ってきた。そんなことかもしれない。
秋田の老舗料亭というやつを探してみたのだが、事前に調べてもいなかったので全く見つけられなかった。まあ、料亭の時代でもないし。そういえば、東京赤坂あたりの料亭は、今はどうなっているのだろう。学習効果の足りない国会議員だから、またゾロゾロ集まっているのだろうか。

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後遺症があちこちで 秋田

秋田で夜の繁華街「川反通り」をぶらついてみた。すずらん通りとゲートに書かれているあたりが、飲み屋街のランドマークだと思うのだが、確信があるわけではない。広い通りから横に入ってくる形なので、そうではないかなと思った。

そのすずらん通りの入り口にひときわ明るい看板の店があった。焼き鳥屋のようで、外から覗いてみると比較的若い客が多い。コンビニ的な明るさだなと感心した。周りの店が実にシックというか、外観が暗いので余計に目立つ。
夜の繁華街はこういう「店外看板」で道が明るくなるものだが、秋田の街は例外のようで道が暗い。秋田スタイルは店外を明るくしないのかと思ったが、街を歩き回ると単純に店が開いていない(休業、休み、閉店)だけのようだった。
県庁所在地の賑わいがない、という気がする。ただ、駅前にホテルが多くあり旅行者向けには駅前周辺の方が使い勝手が良い。おそらく飲食店は駅前周辺に引っ越しているのだ。

そんなことを考えながら薄暗い通りを駅前方向に歩いていくと、不思議な惣菜屋があった。どうやら、洋風居酒屋の端っこをテイクアウトコーナーに変えて、惣菜販売をしているらしい。中を覗いてみたら、店内はつながっていた。
なるほど、コロナでのテイクアウト対応をしっかりとやるとこうなるのかと気がついた。秋田では冬の雪を考えると、店頭にテーブルを置いて販売するなどの、なんちゃってテイクアウトでは無理だろうなと思う。しかし、この人通りの少なさで商売は大丈夫だろうかと、他人事ながら心配になる。腹に隙間があれば、何品かは買ってみても良いのだが………満腹だったので、ごめんなさい。

その近くにクレープのテイクアウトの店があった。夜にクレープなのか? ちょっと不思議に思い近づいてみたら、そこはなんと「ステーキ屋」というか「肉レストラン」だった。これも、なんとも不思議な対応だ。最初はテイクアウトで「ステーキ丼」とか「焼き肉弁当」とか売っていたのかな。それが売上の低迷か、店主の好みかはわからないが、全く違うカテゴリーで甘いもの、クレープをテイクアウト商品に選んだのかな。ステーキを焼く技術があればクレープも上手に焼けるのかな。などあれこれと勘ぐってしまった。
これは秋田だけの現象ではなく、おそらく日本全国の中小都市で起きていることだろう。廃業するにも廃業できない苦肉の策。経済学的には採算が合わない業種は潰れて、次の新業態に置き換わった方が良いのだろうが、現実的には潰してなるものかと踏ん張る人たちは多い。こういう光景を見て、行政は何を考えているのだろうか。何も見ていないし、考えてもいないような気がした「秋田の夜」でありますよ。

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秋田駅前の朝散歩

何年か前に秋田に来た時は、駅前が大規模工事中だった。秋田駅で降りてみたら、ホテルに行く途中まで通路の上に屋根がかかっていた。駅ビルもできていた。冬にはこの屋根が役立つだろうなと思ってたら、なんと「大屋根通り」と名付けられていたので、これまたびっくりだった。
タウンマネージメントとしてネーミングのセンスは大事だ。昭和から平成にかけて、都市再開発のときにこういうアーケードや広場ができると、語源はどこだと言いたくなるようなカタカナ造語で「ナンチャラ・ストリート」とか「ペケペケ・スクエア」などと呼ばれていた。聞いた次の瞬間に忘れてしまいそうな「感動も何もない」軽薄ネームばかりだった。
しかし、この「大屋根通り」という力強さ、忘れようもないインパクト。好きだなあ。偉いぞ、秋田市民、と感動してしまった。

その大屋根通りを歩いていくとお菓子屋があった。昔からお殿様がいる街には老舗和菓子屋が多い気がする。今では洋菓子、ケーキ、パティシエのいる店に押され気味だが、和スイーツなどと呼んで人気が戻ってきている。
老舗の若旦那、若女将?が商品のリニューアルを含めて、新コンセプトに取り組んでいるからだ。こういう変化は大都市より地方中核都市の方が進んでいる気がする。特に、観光客相手、手土産需要から日常使いへ変化しようという動きが成功しているようだ。

確かに、和菓子の団子や饅頭のような固形分の高いものはテイクアウト向きだが、クリームをあしらったり、汁粉をソースに見立てたり、和洋菓子の合体モードは戦闘力が高そうだ。洋菓子から和へのアプローチより、和菓子から洋菓子にすり寄っていく方が、柔軟な対応になるだろう。
抹茶と団子は、実に巧妙な組み合わせのように思える。東京では赤坂の羊羹屋に行けば、こんな感じで和菓子を楽しめるのだろうか。銀座では無理そうな気がする。そういえば地元の百貨店(もどき)のお茶屋が、抹茶と和菓子でイートインをやっていたな。

今回、朝の散歩途中で見つけた「我が懐かしの」茜屋珈琲店。本店は軽井沢で、日本のあちこちにぽつんと支店があるようだ。地元の街にも一軒あって、たまに美味しいコーヒーを飲みに行っていたが、コロナに負けたらしく閉店していた。
この店のコーヒーが飲みたかったが、今回は日程の都合で行けなかった。着いた日に見つけていれば、夜の締めコーヒーにしたのに、残念。

この店も時間があれば行ってみたかった。秋田に着いた日は気温が30度近い暑い日だったので、きりたんぽ鍋を食べよういう発想が全く出てこなかった。アジイと言いながら、冷たいビールを一気に飲み干すような気分だったせいだ。
看板に書かれた商品ラインナップを見れば、オール秋田うまいものが勢揃いしている。駅前にあるし、向かいはホテルだし、観光客向けの店なのは間違いないが、こちらも「真正観光客」なので文句はない。これも次回の宿題かと思いながら、次に秋田へ来るのはいつなのかなあ。
そういえば、銀座に「生きたナマハゲ」の出る秋田料理の店があったが、まだ健在だろうか。そうであれば、もう少し寒くなったときに、ナマハゲに会いに行き「きりたんぽ鍋」を食すというのもありか…………
ちなみに、銀座のナマハゲは、一通り客を脅した後は、仲良く一緒に酒を飲んでくれるフレンドリーなナマハゲだ。

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弘前でモーニングコーヒー

珈琲の街と書かれてある。ちょっと意外感があったのだが、文明開化の時代に弘前は津軽の中心地として、ハイカラ文化が花開いたそうだ。太宰治を生み出した冬の雪で埋め尽くされた平野と思い込んでいたが、先進的な農業で経済を活性化させた、つまり金持ちの多い文化都市だったらしい。今でも市内に数多く喫茶店があるようだ。

8時になるとようやく喫茶店が開店し始める。そんなモーニング営業をしている喫茶店を見つけて、散歩の休憩をした。朝のコーヒーは、やはり伝統的な(笑)喫茶店が良い。現代風の立ち飲み珈琲屋は好かない。コンビニコーヒーも、朝向きではない気がする。ただ、弘前城前のスターバックスは建物が昔の官舎を改造したもので、あれは風情がある。数少ない例外だ。

外観は渋い煉瓦造りで、これは最近の壁だけレンガ貼りました的な模造品とは違っている。本物の煉瓦を積んだ外壁だろう。

歴史的建造物として認証されている由緒正しきビルだ。大正から昭和初期にかけて、こうした洋風ビルディンが全国津々浦々で建設されていた。昔懐かしのモノクロ映画でよく登場する。

同じビルの中に、これまたおしゃれなラーメン屋が同居している。ただ、ここにはコロナ前の時期によく通っていた洋風居酒屋があった。居酒屋だったのか食事ができるバーだったのかはちょっと微妙だ。ともかく、シェイカーを振って作るカクテルが飲める店だった。弘前のお気に入りだったのだが、今はラーメン屋になっている。コロナで廃業したのかどうかはわからない。おそらく全国のあちこちにある、馴染みの店も大半が閉店しているのだろう、と思わされる光景だった。
このラーメン屋も一度は行ってみるべきだろうとは思うのだ。ひょっとしたら居酒屋が変身してラーメン屋になってはいるが、相変わらずカクテルが飲める店なのかもしれない。(そんなはずはないか)

喫茶店の中はカウンター席とテーブルがふたつというこじんまりした作りだった。一度来たことがあるような気もするが、記憶には残っていない。タバコの匂いがする、昔懐かしの喫茶店だった。

ブレンドコーヒーを注文すると、砂糖壺とミルクピッチャーが出てきた。これも、今は消滅したような光景だ。喫茶店で砂糖は細長い紙包装ものに変わっている。たまに角砂糖がコーヒーソーサーに乗っている店もあるが、それもすでに発見困難な化石喫茶店だ。
シアトルコーヒーの店は、たいていが使い捨ての砂糖、クリームetcで、あれはやはり喫茶店ではなく別のコンセプト、カフェというものだろう。朝の散歩途中に、こういう魅力ある「喫茶店」に立ち寄れるのは、文化高き街の証明だ。
8時10分もすぎると何人かのお客が入ってきた。皆さん常連のようで、カウンター内の店主と親しげに話を始める。聞くと話に聞いていたら、当たり前だが弘前語(津軽弁の中でも上級らしい)で、聞き取り不能語がだいぶ混じっていた。気分は石川啄木だった。言葉の意味はわからないが、何やら懐かしく聞こえる。北海道の高齢者が使うイントネーションに似ているせいだろうか。

店を出たら目の前にカレーのポスターがあった。ラーメン屋だと思っていたが、テイクアウト用にカレーを作っているようだ。ラーメン屋のテイクアウトでは商売にならなかったのかと気がついた。コロナの時代は、飲み屋だけではなく飯屋も大変だったのだな。

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弘前の夜の恐怖体験

夜の弘前をほろよいかげんで歩いた。いっぱいやった後なのでホテルの周りをぐるっと一回り程度の軽い散歩だった。上土手町という町名に、なんと話に感動してしまった。確かに川のほとりの街だから、こんな地名があっても不思議ではないが。
冬になるとこの案内板の半分は雪で見えなくなるのだろうか。

弘前駅に続く道に、夜遅いのも関わらずベンチに座っている女性がいる。遠目から見て、不思議に思った。近づいていくと、何やら上から下まで黒っぽいモノトーンで、あれれこいつは………
やはり生き物ではなかった。石の置物で、どうやらデザイン的な街の風景をおしゃれにする代物だった。何年か前に福井の大通りでジャズプレイヤーの像が、こんな感じでベンチに置かれていた。あの時は日中だったので最初から人ではない石造だとわかったが。
その後、どこかの町で同じ像を見つけて、なんと量産型のベンチ石像があるのかと、笑ってしまった。弘前のこの女性像?は、量産型ではなく一品もののような気がする。
しかし、夜にこれと出会うと、うすきみ悪い。人によっては、冷や汗を掻くほど慌てるかもしれない。

そこからもう少し歩いたところに、小さな皮に足を突っ込んでいる女の子がいた。これは、もはや怪談的な不気味さがある。夜にはもっとしっかりライトアップしてほしい。市の観光課なのか地域活性課なのか、あるいは街の商工会議所なのか、シティコミッションなのか。どこが責任を持っているのかはわからないが、昼にはなごむ石像も夜には恐ろしげになることを理解してほしい。せめてライトアップだけはしっかりとしようよ。薄暗い中のリアルな石像は、想像を刺激しすぎる。
ほとんどウルトラQ「ケムール人の回」を思い出した。これで夜眠れなくなったらどうしてくれる。

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恐山2

入り口から中に入ると、お寺の正式ゲートが見えてくる。普通にお寺にお参りに行くと、門の上にかかっている額には〇〇山〇〇寺とかいてあるものだが、こちらは霊場恐山という、なにやらありがたげな、恐ろしげな額になっている。
この場所は普通と違うという雰囲気が大量に噴き出してくるような………

入るとすぐに気がつくのが硫黄の匂いだった。入って左側には荒地が広がる。あちこちから蒸気が漏れ出している。初めてここにきた方が、ここは尋常ではないと思ったそうだが、確かに誰でもそう思う。温泉地でたまに見かける地獄の湯みたいなあぶくぶつぶつな場所は、行ってみればお化け屋敷のアトラクション的な明るさがある。名前に地獄とつけても、「あー、なるどど。確かに地獄っぽいね。」と笑って話せる気楽さがある。
ところが、この場所では、声を出すのも控えた方が良いのではと思わせる重みがあった。中に入ったらいきなり日差しが陰って曇ってきたせいかもしれない。霊場でお天気の演出効果はいらないなあ。

その荒涼たる場所の入り口にお堂が建てられていて、ここでまずお参りをしてから荒地巡りをするようになっている。あれこれとお地蔵様にお願い事をしてしまったが、お寺は人を救済してくれる場所で、自己解決を迫ったりしない優しい仏様がいる場所だ。
他の宗教では「我を信じるなら契約をせよ。」と強面で迫る一神教の神とか、「功徳が欲しければ、貢物をせい。」などと手下であるはずの人間に脅しをかける多神教の神もいる。
解脱を目指したゴーダマ・シッタルダの知的子孫たちが作り上げてきた宗教体系では、救済の思想が他宗教と質的に違う。日本人的に言えば、下々に優しい仏様ということになる。恐山は、その優しい仏様の中でもおそらく最強に優しい地蔵尊が祀られているので、あれこれお願いしても聞き入れてくれるだろう。お願いだけでは失礼だろうと、般若心経を唱えてお参りを終えた。

確かに、この岩と小石でできた荒地は、見る人が見れば地獄の光景、賽の河原のように思えるかもしれない。全体に立ち込める硫黄の匂いが余計に荒涼感を強めている。

その白と黒で区切られたモノトーン世界に、赤い風車が置かれている。1箇所だけではなくあちこちに風車がある。この赤にはどんな意味が込められているのだろうか。全く不勉強なので、何もわからなかったのだが、おそらく宗教的な意味合いがあるはずだ。カラカラと回る風車は輪廻天性を表す、などといわれると「なるほど、そうだろうなあ」と思ってしまう。

この荒地を進み低い頂を越えると、その先には湖が見えてくる。湖のほとりにお堂が立っているのが見えた。信心深い人であれば、おそらく、そこまで降りてお参りしてくるのだろう。降りて行った後の帰り道、登りを考えると降りていく気にならなかった。不信心ものと言われても仕方がない。お地蔵様だから許してくれるよね、と心の中で言い訳した。
それでも、この荒地の中をあっちに行ったり、こっちに行ったりして30分以上うろうろしていた。5分もいれば、あたりの光景に慣れてしまう。それほど同じ景色なのだが、なぜか立ち去り難く………
周りにいた参拝客が誰もいなくなるほどだから、ずいぶん長くいたようだ。もっとここにいろ、というお告げだったのかもしれない。後になってそんなことを思った。恐山には何もない。

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JR青森駅の怪 日本的無責任

青森駅は駅舎工事が進んでいて、あちこちにフェンスが立ち、いつものJR工事中ダンジョンになっている。新宿ダンジョンは最近ようやく解消されたが、渋谷駅はあと数年続く大型ダンジョンで、JR東日本は工事中の利用者に対する迷惑について鈍感になっていると思うのだ。横浜駅も10年単位の工事で日々変貌する巨大ダンジョンだった。(笑)JR東日本はダンジョン好きな会社なのだろう。
その小型ダンジョンである青森駅で、改札から出たところにエスカレーターがある。その下りエスカレーターが閉鎖されている。去年の冬に来た時も、工事中で閉鎖していたが、今回はご丁寧に侵入禁止措置になっていた。

閉鎖の理由は、下りエスカレーターを利用するときに大きな荷物を持っている人が、事故になる?というか、通行人と事故を起こすらしい。危険防止策も取らずに、閉鎖して使えなくすれば事故は起きないという乱暴な論理のようだ。
エスカレーターの右側が階段になっていて、一階から二階に上がる部分に奇妙な囲い、フェンスがある。これが通行人を含めた客たまりスペースを塞いでいる。
上から眺めてみると一目瞭然なのだが、エスカレーター下の通路の幅が狭すぎるのだ。吹き抜けのガラス壁をあと2−3m向こう側に広げて、左右からくる乗客の通行動線を確保するべきなのだろう。設計ミスとしか思えない。駅前ロータリーの整備工事もしているが、それが完了してから外壁移動をするのかもしれないが、対応があまりに杜撰だ。

ちなみに大きな荷物を持った乗客は、階段を使い上り下りするしかない。上りのエスカレーターを使おうとすれば、左手の入り口に大きく遠回りするしかないのだが、これもフェンスで塞がれている。
階段の右手奥にはエレベータも設置してあるから、荷物持っている奴はそちらに行けよというようなことも書いてあるが、言い訳としか見えないほどの小さい字でしかない。もっとわかりやすい誘導案内を作れないのか。
おまけにエレベーターで降りたところは、出口を発見するのがなかなか難しい工事ダンジョンの奥になるのだけれど。
バリアフリーだの、事故防止だの色々な言い訳をしながら、不便の塊を利用者に無理やりに押し付ける、JR東日本の経営感覚は古すぎる。というか現場の対応力の低さなのだろう。この会社の幹部が酒パワハラで何処かに飛ばされた後だけに、もう一度現場の見直しをした方が良いのでは。この手の利用者を無視する勝手ぶりは国鉄時代から変わらないなあ。