街を歩く

札幌的な風景

ベタな写真だが、札幌大通り公園の景色だ。相変わらず札幌の空は曇っていることが多いが、雪も溶けようやく遅い春がやってきたという感じがする。空気はとてつもなく冷え込んでいて、これでも春かと言いたくなるのだが、街のあちこちでは桜が咲き始めていた。
大通公園で解体作用中だった、東京オリンピックの迷惑施設というかマラソンのスタート地点付近のアレやこれやがようやく姿を消した。あのガラクタが残っている間は、オリンピックの負の記憶がなくなるはずもないと思っていたが、ようやく雪解けと共に消え去ったようだ。

札幌の春の話題としては、日ハムの球場がオープンしたことだろう。なぜか札幌市から出て行った日ハムの思惑は、ビジネス的になかなか面白いのだが、新球場のレギュレーション違反など開幕前から話題が豊富で、人気と期待は高まる一方らしい。あとは、日ハムがリーグ優勝まで何年かかるかみたいな話題もあるようだけれど、ベースボールビジネスとしては優勝前から大成功しているかんじがする。
ただ、今日のネットニュースで動員数が少ないと指摘されていた。満員御礼のプラチナチケットだと思っていたのだが、まだまだ空席があるらしい。それでは、一度くらい見物に行ってみようかと思い始めた。

最近の札幌的な話題として(個人的には)興味があったのが、地下街の休憩施設が閉鎖されたというニュースだった。冬でも暖かい地下街の休憩所が、無料「街飲みスペース」として騒ぎになったらしい。コロナも収束して飲みに行くのも普通な時代になった気がするこの時期に、なぜ街飲みだったのか不思議で仕方がないが。まあ、SNSでの暴走動画と似たような、世間を騒がせて楽しむという試みだったのか。それとも、単純に貧乏な酒飲み会だったのか。

ぶら下がっている警告板を読むと、なるほどと思う説明になっている。ただ、この白い布で覆われた設備は、現代アートのオブジェのように見えるから、札幌市の担当者は美的センスがあるのかもしれない。こういう白覆いのあれこれが地下街のあちこちに並んでいると、ひょっとしたらSapporo地下街が美的空間、歩く美術館みたいなものに変身できるのではにないかなどと思うのだが。
相変わらず札幌の街は、あれこれ賑やかなことだと感心してしまった。街歩きは発見と仰天にあふれていて、なかなかやめられない。

それにしても桜の季節だというのに寒いのはなんとかならないか。

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アンダーグラウンドな立ち飲み屋

札幌のメインストリートである駅前通から10mほど入ったところのビルに、ひっそりと美容室の入り口がある。その美容室の入り口を地下に折れて潜っていくと、鉄の厚い扉の向こうに日本酒の立ち飲みバー(実際には座席があり座れる)がある。冷蔵庫に入っている日本酒の一升瓶を取り出し、会計をして一杯の日本酒を購入する。注文するのではなく、購入する。酒をグラスに注いでもらうと、その日本酒の一升瓶を自分で冷蔵庫まで戻さなければならないルールだ。
よくある酒屋の角打ちとはちょっと違うスタイルだが、文句をつけるほどの不便さはない。飲みたい酒を飲みたいだけというスタイルだから、立ち飲みフリースタイルとでも名付けるべきなのだろう。酒の種類は一定ではなく、その時その時で仕入れた「旨い酒」が並んでいる。

酒のつまみとしてはお通しがつけものなどセルフサービスで食べ放題だ、ガリをつまみに冷い日本酒を飲むのは、なかなか乙なものだ。酒飲みの心を掴むつまみも販売している。定番は北海道らしく、ニシンの切り込みだ。ニシンを細く切った物を塩辛にしているのだが、麹が入っているので甘辛くなっている。イカの塩辛よりも酒の肴には向いている気がする。
アンダーグラウンドな店(物理的に)の割に、店内は明るく清潔な雰囲気なので、日本酒を少量ずつ楽しみたいという方には向いている。場所がものすごくわかりにくい(他人に説明するのが難しい)ので、ネットで検索して事前調査するのが重要ですね。「裏・たかの」で情報は出てくると思う。一人のみには最適な場所かも………

街を歩く

飲みに行ったはずなのに

北の街では立ち飲み屋は珍しい。おそらく座って飲んでも安い店が多いせいだろうと思う。ふと思いついて立ち飲み屋をたずねてみたら、まだ昼の営業中だった。仕方がないので辺りをぶらぶら散歩してからもう一度と思ったのだが、それまでの暇つぶしに本屋に併設されているカフェで本を読み始めたら、おやまあ………なことに一時間以上も本を読み耽ってしまい、待ち合わせの時間に遅れそうになった。当然ながら立ち飲み屋に行く時間は無くなった。
どうも最近、こう言うしょうもない失敗というか、時間管理のミスが多くなったような気がしている。まさに、前期ボケ症候群みたいなものではないかと我が脳髄を疑ってしまう。

こんな感じものを肴に一杯やりたかったのだが。結局、そのあと待ち合わせた友人とぶらぶら歩きつつ店を探し、いつもの焼き鳥屋に突入した。なぜか焼き鳥は一本も注文せず、酒とサラダと唐揚げで最後まで。焼き鳥屋で焼き鳥を注文しないというのも初めてだった。なんだか調子の狂う今回の旅だが、これからはこんなピントハズレな行動を楽しむべきなのかもしれないなあ。
おまけに今回はしめパフェを堪能するつもりだったのに、すっかり忘れて帰ってしまった。うーん、なんだかなあ。

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カップ麺の話

左上 co-op 右上 イオン 左下 西友 右下 ヤオコー(ライフ)

小麦製品が値上がりしているのは明らかでパンや麺類が一斉に1−2割値上げしている。典型的な安売り麺であるカップ麺の低価格版を比べてみようと、近くのスーパーやコンビニで買い集めにまわってみた。
改めて売り場を回って理解したのだが、いわゆる丼型のカップ麺は高額ということだ。ご当地ラーメンコラボ製品であれば三百円を超えるものもある。逆にスタンド型のカップ麺は比較的安価な品揃えになっている。一番安価なものでは百円(税別)を切る。
いわゆるPB製品なのだが、販売者が流通側になっているのはイオン製品だけど、他は製麺メーカーが販売者で、それぞれのスーパーは特殊銘柄の製品を仕入れて売っているという体裁だ。このエセPB的な手法はなかなか面白い。推測するに全製品を全量買い取ることが前提で製造するのがPBだと思っていたが、買取責任を持たない(つまり販売者になっていない)一般商品、ただし行面のラベルだけは自社ブランドの体をしてみせる、不思議な製品が主流だということがわかった。製造業との駆け引きで、このあたりが決まるのだと思う。買い手の力が強ければ、こういう便宜的なPBも成立するらしい。
元々、自社調達の原材料化を進めることでコスト削減を業務として行った経験からすると、なんだか反則っぽい気もする。まあ、それが流通の支配力というものだろう。ちなみに、写真の4社の製品は百円前後だった、

左 ローソン 右 セブン

コンビニ大手3社を比べようと店を回ってみたら、ファミマは自社カップ麺(低価格版)は販売していない。ローソンは百円商品だった・そしてセブンはなんと二百円近い高額品しかなく、これではN B品である日清カップ〇〇より高い。なんともおやまあという気分になった。セブン強というべきか。ただ一般的にはPB品が廉価品であるという認識があるだろうから、セブンに行ってNB品より安いと思い込んだまま、高いPB品を買ってしまうといううっかり消費者もそれなりにいそうだ。
ネーミングは醤油ラーメンが2社、賞ヌードルが4社だから、やはり業界の元祖製品にそれなりの敬意が払われているのかもしれない。

製造メーカーを確かめると製麺メーカーの品もあるが、こんなメーカーがカップ麺を作るのかと初めて知ったところもある。本当は全6品を食べ比べて味の品評会でもしてみなければいけないとは思うのだが、それはちょっと別の機会にしたい。多分、味はどれもこれも同じような気がする。
ちなみにNBのカップ〇〇はスーパーの特売でも138円、通常であれば150円を超えるので、100円を切る値付けのPBは確かにお安い感じがする。
たまには、こういう目的意識を持った価格比較調査をやるのも、インフレ時代の腹いせには面白いかもしれない。ただ、買い回った6個のカップ麺は明らかに無駄遣いをしたと言う気もする。心して昼飯の友として完食しよう。

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ようやく出会えた新潟麺

コロナの最中に行ってみたいと思っていた店が何軒か積み残しになっている。ダラダラと続いていたコロナ騒動の間は、こちらの都合が悪かったり、お店が休業していたり、なかなか出かけるタイミングが取れないまま放置してしまっていた。
そんな中の一軒が、新潟では有名な中華チェーンの関東進出一号店だった。自宅からは比較的近いのだが、埼玉県は県の東西をつなぐ交通機関が壊滅的に微弱なので、なかなか行くのが面倒くさい場所「大宮」地区にある。ふと思い出したのが良い機会だと1時間ほど運転して訪店することにした。
ネットで調べた場所は、鉄道高架下の空間で、駅からの距離が遠いこともあり、通常であれば駐車場になるような場所だ。効果の下にお店が一軒、すっぽりと収まっている不思議な作りだった。昼時ということもあり外には席待ちの行列もできていた。

看板商品らしい 五目うま煮麺

新潟はローカル・ラーメン激戦区で、地域ごとにご当地ラーメンが乱立する戦国時代らしい。その激戦地のラーメンチェーンだけあり、どこのご当地ラーメンとは書いていないが、新潟各地の有名麺はしっかりと押さえている。周りの注文を聞いていると、煮干しラーメンが優勢な感じもするが、ここは初志貫徹で「五目うま煮麺」にした。メニューにはこのチェーンの最高傑作と書いてある。
首都圏の中華料理屋では広東麺と呼ばれるあんかけ麺だ。
熱々な餡の下には中細のストレート麺とあっさり系の醤油スープが収まっていた。普通にうまい。スープのあっさりめな感じが、最近ではすっかり見かけなくなった端正な麺料理という印象を強くする。
気温の低い時期であれば、このラーメンが人気である理由もよくわかる。一杯1000円越えのラーメンが当たり前になりつつあるインフレなご時世で、これまた随分コスパの良い価格設定だった。首都圏で限定しても、二桁の店舗はすぐに出店できそうだなとは思うのだが。

餃子3個セットというのが、この店の標準メニューらしい。周りの注文もほとんどが餃子3個セットだった。ラーメンに餃子という組み合わせは、ラーメン店で単価引き上げ策として絶対条件だが、それを一皿5ー6個で500円というような売り方をする店が多い。これも店と客の知恵比べなのだが、個人的には一皿の単価を抑えて、注文率を100%に近づけるという方策が正解のような気がする。ラーメン激戦区出身のせいか、このあたりのマーチャンダイジングがお上手のようだ。
この餃子だが、久しぶりに食べた「ニンニクガツン系」で、3個食べたら口の中がニンニクで占拠されてしまった。ラーメンと合わせて食べるにはちょっと強烈だが、マイルド系のスープとはこれくらいでちょうどよいのかもしれない。

次は煮干し系を試してみたいのだが、お店が遠すぎるのだよねえ。

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昭和は遠い日の誘惑

赤提灯は昭和の象徴?

最近、恵比寿での用事が頻発?して何度も通っている。コロナの間にはほとんど出向かなかった夜の恵比寿に久しぶりに出没してしまった。恵比寿の街のあちこちで、昔用通っていた店がなくなっていた。それは仕方のないことだとは思う。店主が年配者どころか後期高齢者みたいな老舗が多かったから、そろそろ代替わりをするか、それとも店をたたむかというタイミングだったのは間違いない。街の新陳代謝と考えるべきだとは思う。閉店して残念だなとは思うが、これまでお疲れ様でしたと感謝したくなるような閉店の仕方でもあった。
しかし、依然として元気に営業中の店もある。その何軒か存在する「元気に営業中」の店にちょい飲みしに行ってみようかと、街をぶらついてみた。結局選んだ一軒は駅前に近い、おそらく恵比寿でも一番の老舗に近い焼き鳥屋だった。生まれて初めて恵比寿に来た頃から、すでにこの店は存在していた。今の恵比寿駅ビル「アトレ」ができる前は、恵比寿とは実に鄙びたまちだった。この街にはまともな本屋がないのかと嘆いていた頃だ。昭和中期のテイストが、その頃からまるっきり変わらない。
というか開店当時は、それなりに現代的な店だったのではないかと思う。昭和中期には、木材を多用した山小屋風の内装とか、お蔵を改造しました的な和風デザインが多かった。共通するのは照明の暗さだ。昭和中期とは、薄暗い店がスタンダードだった時代とも言える。

一人で入ると、たまたま焼き場の前のカウンター席が空いていた。見慣れた店長(多分)の顔を見てホッとしたが、初めて来た頃は若くて元気だった店長も、今ではすっかり落ち着いて店を仕切っている。むかし焼き場にいたおじじは、やはりもう引退したのだろう。
普通に焼き鳥を4本注文し、普通に酒を頼む。飲み食い終わったらさっさと勘定して帰る。一人飲みを始めて身についた習慣だ。昔は、終電間近まで延々と騒いでいたこともあった。それを思えば随分変わったものだと、我ながら感心する。この店本来のスタイルに自分の歳がようやく追いついたということなのか、とカウンターで飲みながら気がついた。

あれこれ考えながらカウンターの上に置かれている調味料を眺めていたら、なんだか色々と注釈がしてある。コロナの間は卓上の調味料類撤去がルールだったから(これも誰が決めたことなのだろう)、営業を元に戻してみたら客が調味料の使い方をわからなくなったのかと笑ってしまった。
コロナで起きた変化が元に戻る、あるいは新しい形にもう一段変わる。今はそんな時期のようで、ふらりと一人で飲み屋に入ってみるとなかなか楽しい発見がある。2-3人の小集団だったグループ客も、最近では5-10人で飲んでいるのをよく見かけるようになった。
そういえば、路上飲みの話もすっかり聞かなくなったし、あれは貧乏人の路上パフォーマンスみたいなものだったのかもしれない。どこで飲んでも酔っ払いとは、世間様に迷惑をかけがちなのだなと思いながら店を出た。

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味噌ラーメン@恵比寿 再訪

恵比寿での所用が終わり、昼飯の時間になった。昔よく行っていた食堂の何軒かを思い出していたが、ふと思い立ち味噌ラーメン専門店に行くことにした。この店はコロナの最中に見つけた比較的新しい店だが、もともとこの場所には長く通っていた居酒屋があった。ビルの奥まった場所で、通りからは見つけにくい隠れ家的な場所だった。その店の看板が変わっていたことに気が付かなければ、おそらく訪れることもなかったような気がする。

味噌ラーメンの専門店が増えているなと思ったのは-8年前だっただろうか。千葉初の濃厚味噌ラーメンが急拡大しているのを視察に行って気がついたことだ。以来、コロナの時期を挟んで入るが、味噌ラーメンの新店が目につく。創作料理風のラーメン店が増えているなか、濃厚味噌ラーメン系の店は「がつん」と来る味を売りにしているので、好んで試しに行っている。ただ、濃厚ガツン系だけあった麺・スープともに量が充実しまくっているのが、ちょっと困ったところだ。もう少し全体的に量が少なめでも良いのにというのは極めて個人的な感想だ。

前回食べたときは普通の味噌ラーメンにしていた。所見の店はいつでもシンプルにその店の定番的なものを選ぶことにしている。その定番が気に入れば、変化形である「味変わり」を試してみる。なので、今回は変化形の「辛い味噌」にしてみた。つけ麺やまぜそばにするのはまた次回ということになる。
辛い味噌は辛さを選べる。普通レベルの辛さにしてみたが、もう1段階辛くても行けそうだ。半分くらい食べたところで、額から汗が出てきた。それでも舌が痺れるからさではないから、発汗作用の多いアレンジなのだろう。辛さは個人差がとても激しい味覚なので(厳密には味覚ではなく触覚らしい)、どの店に行っても普通を試してみる。その上で、自分の好みとの調整を図らなければ、好みの辛い食べ物にはならない。たまに行くタイ料理屋などでは、店が言うところの普通レベルの設定がかなり高いことが多く信長になる。だが、ラーメン店の辛さであれば、こんなもんで行けるかと過信して自爆することが多い。特に最近開いた店の辛さレベルは、全体的に高めになっているので(時代の辛さの許容度というか中庸度がどんどん辛い方にシフトしている)、普通レベルでもかなり冒険的になっている気がする。
この店の辛さ普通レベルは、ありがたいことに本当に普通だった。味噌味の濃厚スープと相まって体温上昇する感じがする。太めの麺もスープの味に負けない強さがある。ひき肉ともやし炒めは味噌ラーメントッピングの古典的な役者たちだが、これもシャキシャキ・コリコリと食感を広げている。実に味噌ラーメンらしい、と表現するべきなんだろう。
ラーメン一杯1000円時代の定番といったところか。ただ、恵比寿は今でもラーメン店の開店が続くオーバーストア・エリアなので、次にこの店に行くのはいつになることやら。

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朝うどん コスパの悲しさ

キャンプ場帰りの途中に埼玉県民熱愛らしい山田うどんの店がある。このチェーン店は牛丼屋と同じで営業時間が朝早くから夜遅くまでと長い。朝の客層はネクタイをしたサラリーマンというより、作業着を着たガテン系が多い。郊外幹線道路脇という立地もあるだろうが、駐車場にも大型の作業車や軽トラが目立つ。ベンツやレクサスが停まっているのは見た記憶がない。
そのせいなのか、朝飯だというのにそれなりというか、朝飯とは思えないボリュームのメニューが並んでいる。その中でも、これは控えめだろうと思うカレーライス小と半うどんのセットを頼んでみた。うどんは味噌汁代わりみたいな感覚なのだろう。提供時間はやたら早い。そして完食すると満腹感がすごい。カレーのスパイスのせいか軽く汗が出る。これくらいはぺろっと平らげる体力というか代謝量があった時代もあるなあ、などど情けない感想しか出てこなかった。
たまたま、この日は朝起きてから寒すぎて動き回る気がしないまま、インスタントコーヒーをい一杯だけ飲んで撤収してしまったのだが、キャンプ場を早く出過ぎたせいで朝の通勤ラッシュにハマってしまい、それを避けようと立ち寄った。空腹感満載で気合を入れて入店したわけでもなく、素うどんで良いかなくらいの軽い気持ちだった。トーストとゆで卵のモーニングメニューがあれば間違いなくそれを注文していた。
それでも、朝からスパイス入りの食べ物を腹に収めると、何となく体温が上がり活性化されたような気がする。だとするとこのカレーライスとうどんのセットではなく、カレーうどんを注文すればよかったのだろうか。
たまには、朝飯を外で食べるとあれこれ考えることがあるから、頭の活性化には役立つのだが………

店の入り口に置かれていた日替わりメニューのポスターをみて、しみじみすごいぞと思った。この超ボリュームなランチセットは注文しても絶対完食できないような気がしてくる。うどんと丼飯という組み合わせは相当に凶暴だと思うし、プラス100円でうどんがラーメンに変わるのだから、普通であれば二食分たっぷり食べて1000円でお釣りが来るということだ。コンビニ弁当が600円台になっているご時世で、この大盛り二食セットはコスパ最高だろう。
ただ、自分にはあまり関わりのないコスパの良さに気がつくと、なぜかちょっと悲しくなる。鮨の食べ放題に行けば絶対に払い負けすると思ったのはいつの頃だっただろう。あれが、我が凋落の始まりだったな。

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花見とキャンプ

今年も桜を見ることができて安心した、という楽曲を歌っている女性シンガーのアルバムを毎年この時期には聞き返す。歳をとることを肯定的に歌っているのだが、100歳まで頑張って生きていくのよと歌われてもなあ………とずっと思っていたが、年々その感覚が強くなる。
ただ歳をとるとその分だけ桜の楽しみ方が変わるという点には同意する。若い頃より、明らかに桜を見るのが楽しくなってくる。まあ、桜の散り際の良さに憧れるというのもあるのかもしれない。満開の桜の下で桜餅を食べるのは、とても楽しみだ。目で楽しみ舌で楽しむ。春爛漫とはこのことだ。

などと考えているのだが、世の中には桜の下でキャンプをしたいという方もいるようで、よくいく近場のキャンプ場では、桜の花散る中で賑やかなデイキャンプをしていた。週末の午後でもあり、夕方には宴会を終了してお帰りになっていたが、皆さん車なのでノンアル宴会だったようだ。時代は変わり、宴会でアルコールが不要になったとは、これまたすごい時代の変わり目なのだろう。タバコの次はアルコールが社会的に息の根を絶たれるかなと思った。
ちなみに、このキャンプ場はワーケーション仕様で、キャン場内完全にwifeが対応している。これもまたすごい時代だなと思う。

ただし、その現代仕様のキャンプ場の外は、昔のまま、武蔵野の雑木林が残っている。雑木林の中は、まさに雑木なので色々な種類の樹木が生えている。整然と整備された公園の並木とは異なる、懐かしいというかホッとする感覚がある。里山が近くにある場所で育った「田舎育ち」であれば当たり前の光景だろうが、大都市圏で自然とは整備された公園と錯覚している子どもたちには、トトロの森のような場所なのかもしれない。
雑木林の中では様々な鳥の声も聞こえてくるが、支配的なのはカラスのカーカーという声だ。それと、鶯がたまになく。カラスの声は……………あまり風情がない。

組み立て式の焚き火台とテーブル、カトラリーセットで設営完了

そんなキャンプ場で、ソロキャンプのおっさんたちは、なぜかキャンプ場周りの植え込みに向けてテントを張る。人や車の姿を視界に入れたくないということらしい。テントのお尻が全部自分の方に向けられているのだから、その意図は明らかだ。
だから、このキャンプ場は夜になっても他人様の明かりが目に入らない。

湯沸かし用にカセットコンロを設営置けば完了 そのあとはのんびり読書

今回は、駐車場に停めた車の中で寝るつもりなので、テントは貼っていない。ワンタッチで設営できる日除シェルターの中に、ユニット化したキャンプ道具(プラスチック箱に用途別に整理したもの)をおろし設営完了。椅子と焚き火台を組み立てるまで、所要時間はほぼ10分だ。撤収時も多少手間取っても30分程度で完了する、時短キャンプに挑戦してみた。
お湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲む。ゆっくり歴史小説を読む。夕方が近づいてきたら焚き火で飯を作る。時間の使い方が変わったなと自分でもわかるのだが、限られた時間の中で何かをどれだけできるのかと考えるのをやめるてしまった。すると、新たに見えてくるものがある。
ほとんど何もしないで、ぼーっと過ごすのも良いものだという感覚だが、これは単純に脳細胞が死滅してものを考える能力が低下しているだけかもしれない。焚き火の火を見ながら、しょうもないことを考えている。美味い飯も美味しい酒も、最近ではどうでも良くなってきた。「人間は退行する生き物だ」という言葉が何の脈絡もなく浮かんできて、思わず自分のことだと苦笑していた。
花見の時期は物憂げになってしまうので(主に花粉のせいだが)キャンプとはあまり相性が良くないらしい。案の定。この日はやたら花粉が多くて鼻水が止まらなくなり、やはりおうちにいればよかったかとちょっと反省してしまった。

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団地の花見

長屋の花見という古典落語の演題がある。これはなかなか楽しい話で、この季節であれば寄席で聴く機会もありそうだ。ただ、最近の寄席はコロナのせいで客席での飲食が禁止となり、それがちょっと寂しい気がする。ただ、客席の飲食も、演者が一生懸命話している時に、煎餅の袋を開けるガサガサとした音がすると興醒めするので、やはり飲食禁止で良いのかもしれない。
個人的には平日の午後、のんびりとした演目とのんびりとした客がまばらにいる寄席で、いなり寿司を食べながらビールを飲むみたいなのが好きだったのだが。まあ、そんな時は演者ものんびりしていたというか、明らかに手を抜いているとわかることもあるのだが。そこが寄席のよいところで、演者と客の距離が近いからできることだった。最近は、どうなっているのだろうか。

近くの団地、昔で言えば公団住宅、いまはテレビのCMで盛んに宣伝しているURの敷地に、見事な桜の木がたくさんある。コロナの間は誰が集まることもなくひっそりとしていたが、今年は久しぶりにお花見大会?が開催されるというのでノコノコと出かけてみた。週末は気温が上がり、一気に満開どころか花が散り始めていた。

いわゆるお祭りの出店が出ていた。町内会主催の焼きそば(地元名物を目指している醤油焼きそば)や酒の販売もあり、そこそこお祭りムードがあり、祭りの屋台も何軒か出ていた。チョコバナナとかリンゴ飴の屋台などココ何年も見ていなかった。お祭り感が出るのは、やはり屋台のポイントが高い。綿菓子の袋が一つ600円になっていたのは、高いのか安いのかよく理解できないが、とりあえず子供が買っている気配はなく、ちょっと残念だった。
地元の学生のブラスバンドなど、出し物もたくさんあるようで、なかなかの盛況ぶりだった。主催者が町内会ということで、ほんわかとした手作り感もあるのだが、町内会の行事は夏祭りに強制ボランティア(年ごとの持ち回り)に呼び出されている経験があり、あれはなかなか大変なんだよなと、焼きそばを焼いているおっちゃんたちに同情してしまった。
地元で商売をしている方達には、まさに地元の商店街を上げてのお祭りになるのだが、団地に住むサラリーマンオヤジにとっては何年かに一度回ってくる強制労働みたいな感じもあり、そのアウト感が焼きそばを焼く慣れない手つきに現れている。哀愁をそそる、団地の花見なのであります。
それとちょっと気がついたのだが、祭りにつきものの子どもの姿より、圧倒的にジジババが目立つのも、現代日本の縮図であるようだ。高齢者への慰撫としての祭りとは、ゾッとしない光景ではあるなあ。