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ローカルヒーロー再臨

自宅近くのパルコに大きな壁面広告が掲示されていた。そろそろ宣伝が活発化しそうな「埼玉だけ」大動員するだろうローカルヒーローの映画だ。第一作ではこのパルコ内の映画館(シネコン)が初回舞台挨拶に使われた。どうやら、この新作でも演者の挨拶が行われるらしい。
前作は、さいたまディスりまくりと言われていたが、実質的にはさいたま千葉決戦みたいな展開であり、一部の千葉県民にも楽しんでもらえたのではないかと思うのだが。
ニュースなどを見ていると、今回はなぜか全く地続きとは思えない琵琶湖保有県と争うらしい。前回と同様に、海なし県埼玉が琵琶湖まで地中トンネルでも繋げる計画なのだろうか。

正面の入り口を含めて、全面歓迎モードでローカルヒーローの再臨を待ち受けている。封切りの日に頑張って見に行ってみようかな。なんといっても歩いていける映画館だからなあ。お気楽の極みと言える。

ただ、このお気楽な施設も来年には閉鎖されてしまうから、この二作目が大ヒットして気を良くしたスタッフが(笑)、もし第三弾を製作するとしてもこの映画館では見ることができないのがちょっと寂しいぞ。

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朋、遠方より来たる

青山でディナーなど、何年ぶりの事だろう

学生時代に習っていた漢文は意外と好みだった。あの書き下し文は格調高い日本語だなと感じていたこともある。2000年以上前に存在していた異才が書いたものを、今の時代に読めるというのもなかなか感慨深いことだった。
もうほとんど覚えていないが、いくつかは記憶に残っている名文もある。そのひとつが「朋、遠方より来たる、また楽しからずや」だったが、気になって確かめてみたら「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」だった。
なんと記憶のいい加減なことだろう、と笑ってしまった。おまけに、これは論語の一節だった。勝手に易経の一節だと思い込んでいた。こういうのを教養がないというのだ。
いくつ歳をとっても学ぶことは多い。

10年ぶりくらいで日本を訪れたアメリカの友人と会食をすることになった。まさに遠方から来た友人と、時を超えたような会話、昔語りをする。これは確かに楽しい。人の性というのは、千年や二千年くらいでは変わらないものらしい。古代中国の才人は誠に異人の心理をよく読み取っているのだ。

最近ようやく、椀ものの旨さがわかるようになった気がする

友人夫婦(夫はアメリカ人、妻が日本人)と会話をする時には、日本語と英語がちゃんぽんになる。久しぶりに使った英語だが、やはりしっかりと錆びついていた。異国語を話すということは、自転車のように一度覚えると死ぬまでちゃんと自転車に乗れる、というものではないようだ。
話し続けていると少しずつ勘は戻ってくるが、やはりもどかしい速度でしか話せない。英語(外国語)を使っての会話は、反射神経的に話せないとなあ、などと嘆いてしまうのだが、よくよく考えれば最近は日本語ですらおぼつかない。妙に間が開いた喋り方になっている気がする。すっかり脳細胞が減少しているせいだろう。


和食を楽しみながら、最近のあれこれについて話をした。やはりアメリカでもコロナは大変だったらしいが、テレビのニュースなどで見ていた悲惨な話とは程遠いようだった。やはり日本のメディアは「盛りすぎ」で扇情的に煽りまくっていたらしい。
友人が日本にいた時には決してやらなかったゴルフを始めた話であるとか、息子さんの現代風な行動あれこれを嘆いているオールドタイマーなお父さんぶりが微笑ましい。今の若い世代・息子さん世代では、性別をはっきりさせるHeとかSheは使わず、無性別のTheyを使うそうだ。単数・複数・性別がなくなる第三人称が普通になると、日本の英語教育はどう変わるのだろうか。久しぶりに生のアメリカ社会をのぞかせてもらった。

次に会うのは東京と米国東海岸の中間点であるハワイにしようということになった。それまでに円安で爆上がりした渡航費用(古い言い方だな)を用意して、錆びついた英会話能力を磨き上げないといけないぞ、などと考えている。
ハロウィーン間近の青山は歩くのも大変なすさまじい人出だったが、平和な時代が戻ってきたのだとも実感できた。
しかし、海の向こうから来た友達と会うには、ちょっと暑い秋の日だったなあ。

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老舗ラーメン屋で衝撃

北の街でラーメン屋に入ると出てくるのはサッポロビール優先か?を確かめるため、老舗中の老舗ラーメン店に潜入してみた。そこで発見した衝撃的な事実は……………

なんと、ついにラーメン一杯1000円時代になってしまったという事実た。原宿で見かけたブティック系ラーメン店は1000円を超えた値付けをしていた。それをみた時、「ああ、ついにこの時代が来たか」と思ったことはある。が、場所が場所だけにこの値段もしかたがないかとも納得した。
新興ラーメンチェーンで、全部盛りトッピングを注文すると1000円超えることは、いまや当たり前になったのでラーメン1000円越えは珍しくない。
しかし、お江戸と比べてそこそこ物価が安い北の街で、ついにプレーンなラーメンが1000円超えとは………
時代の変化をしみじみと感じてしまった。もう一つ衝撃を受けたこと、辛味噌ラーメンが追加になっていた。老舗も変化していかなければ生き残れない。
時代の変化とは、これだろう。味噌ラーメン発祥の店ですら、味噌から辛味噌にトレンドが移っているらしい。あれこれショックだった。

普通に醤油ラーメン

この店のラーメンは、表面を厚く油が覆っているので、湯気が立たないがスープはとてつもなく熱々の一杯だ。食べると危険レベルの熱さだが、そこが良いのだ。普通のラーメンを注文してもチャーシューがたっぷり乗っているので、チャーシューメンは頼んだことがない。しみじみとこのラーメンがうまいなと思う。自分の好みでもあるが(それを押し付けるつもりはなく)、いわゆる万人受けするスタンダードな「北の街醤油ラーメン」だ。

本来の目的はビールのブランド確認だったのだが、やはりサッポロだった。クラシックは良いのだが、缶ビールというのはちょっと寂しいかも。何よりも、ラーメンのボリュームが多いので、ビールと合わせるとはち切れそうな満腹感になる。ごちそうさまでした。

追加で一つ
隣に修学旅行できたらしい制服の女子高生二人組がいた。いわゆる西国訛りがあるので地元民ではないのは明らかだ。その二人が一つのラーメンをシェアして食べていた。コロナの最中であれば、ありえない光景だろう。箸をつける前に綺麗に取り分けて食べるのではなく、一人が丼で食べているものを、小丼に時々移し替えるというやり方なのだ。
しかし、カウンターの上にはコロナの名残でパーテーションが残されている。ラーメン専門店で一杯のラーメンをシェアするという食べ方も衝撃的だが、あの狂気のようなコロナ対策は衛生観念に何の変化も及ぼさなかったことが、もっと衝撃的だった。

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文化の日なので考えたこと

ススキノの渋い炉端焼き居酒屋で飲んでいたら帰り際にビールをもらった。開店60周年なのだそうだ。店内カウンターの写真をラベルにして貼ってある。クラフトビールメーカーっぽいなと思って裏のラベルを確かめたら、なんとサッポロビールのものだった。大手メーカーがよくこんな細かい仕事をするなと思ったが、よく考えれば地元なのだから、こうした需要は多いのだろう。
お江戸界隈でもこんなサービスをやっているのだろうか。随分と昔だが、金婚式の写真、もちろん夫婦の並んだ姿をラベルにしたワインをもらったことがある。その方が支援していた、今でいう農福連携(農業と福祉)のワイナリーで作られたものだった。そこから連想してあれこれ考えてしまった。

このような記念品需要、つまり極小ロットでの生産になる特需商品は、生産効率を考えればとても間尺にあった商売ではない。大手メーカーは手を出さない分野だろう。だが、確実に需要のある隙間分野でもある。
メーカーの論理として、効率を追うために械化をするのが一番最初の経営努力だ。結果として、大量生産すれば価格も抑えられる。大量生産、大量販売が前提とされるものづくり、これが近代資本主義というものだ。
ただ、人手をかけても喜ばれるものづくりをする、商売をするというのが、大量生産の反対側に存在する。一点もののブランド品のような高付加価値商品で高価なものが典型的だ。

ただし、安くて便利な大量生産品と手作りの高額品、そのどちらとも異なる「手間暇をかけることに意味があるもの」を作り出す第三の道があるのではないか。それは安くもないし大量にもできない製品になる。
例えば宅配便会社の会長が引退した後に始めた、知的障害者を従業員とした製パン業のような事業の形がある。この事業の生み出すものは、一つではない。結果的に美味しいパンを社会に提供するのだが、一番大切なことは障害者に普通の賃金を支払う事業体を生み出したことだ。最大の製品は社会的な雇用の受け皿作りだろう。
社会全体の中で弱者も共に生きる術を生み出していく。はみ出しもの扱いされている者を受け入れる場をビジネス的に成立させる。ボランティアではなくビジネスだからこそ永続させることができる。これまで不遇な扱いを受けてきた社会的弱者に対して、自立のための手段・職を作り出すことを目的とした、第三の事業形態だ。
大量生産で作られ安いか買うでもなく、こだわりの高価な一品を買うでもなく、社会を支えるために買う。近代資本主義の進んだ先に生まれる「共生支援」事業体とでもいうべきか。農福連携はその典型的な形なのだと思う。

人口が減り社会を支える仕組みが急速に変わっていく、この先の日本では必要な考え方のように思う。働き手が減り高齢者の活用などという戯言を言う前に、農福連携のような仕組みづくりを考える政治家(政治屋ではない)はいないものだろうか。
ここまで円安が進めば、日本へ出稼ぎに来る外国人労働者は激減するはずだ。究極の人減らしにつながる多機能ロボットの開発にも、あと20年くらいかかるだろう。アトムは2000年ではなく2050年くらいに生まれるはずだ。「共生事業体」は、その隙間をつなぐことができるのではないだろうか。

一瓶のビールをきっかけに少しマジめなことを考えてしまった。

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街角の風景 あれこれ3題 

ソフトドリンク自販機の側面に描かれている

夜景文化発祥の地、とは知らなかった。他の夜景で有名な都市、例えば神戸とか函館では、この札幌の主張に対してどういう言い分があるのか聞いてみたいものだ。夜景の認定組織はあるように記憶しているが、夜景文化となると認定組織はないだろうなあ。
ただ、この推しスポットは全部行ったことがある。それも、同行者ありで。若い頃は、あれこれ煩悩に紛れて活動していたのだなあ、と遠い目で空を眺めてしまった。
ちなみに藻岩山中腹にある、夜景を見るためだけ?に存在する、照明のないバーには一度も行っていない。ぜんぜん予約が取れなかったせいだ。今更行く気にもならないからそれはそれで良いのだが………

警察署の隣で、ビルの解体工事が続いている。夏に来た時は、ビル全体が見えていたが、もう3階分くらいの高さしかない。作るより壊す方が簡単なのだな。
来年には解体終了するだろうが、その後また基礎から積み上げてビルの再建設が始まるはずだ。ここには、日本一SDGsに逆らったビル建築現場として記念碑でも残しておくべきでは、などと考えます。

これもまた不思議な表現で、今では喫煙者の中にも二種族がいるのだなと理解した。被差別者?の中にも、より差別される一族が存在するとは………
ただ、ピクトグラム(イラスト)が、喫煙者でもよく分からんのではないかというほど一般的ではないのに笑ってしまった。電子タバコの接種器?は、TVCMで見たお尻の病気の薬に見える。
ともかく、ある種の切実なニーズがあるということはよくわかった。

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ごま蕎麦と天ぷらで

北の街で都心部のあちこちにあったゴマ蕎麦屋の支店が、ビルの建て直しなどの影響でどんどん減ってしまい、ちょっと困った事態になっている。それでも、学生の頃から通っている店はいまだに健在で、そこでちょいとそばをたぐる気になった。
長めの散歩をした後なので、休憩も含めての蕎麦タイムになったが、注文するのはいつものもりそばだ。
冷たい蕎麦の王者といえば納豆そばであると信じている。昼に食べるのはこれに限ると思っているのだが、サラッと行きたい時にはやはり「もり」になる。そばを楽しむには、シンプルなものほど良い。料理としての蕎麦であれば、カレー南蛮やおかめそばだろう。豪華さを味わいたい時には、天ざるとか鴨せいろになる。ただ、もりそばはつゆと蕎麦の真剣勝負なので、店の格はここに出ると思っている。腹に余裕があれば、森戸かけを順番に頼む。かけそばの方が出汁の具合がわかりやすい。

この店は蕎麦つゆをケチらないのが良い。そばをザブンとつゆにつけても足りなくなることはない。蕎麦の名店は全国あちこちに多いが、胡麻を練り込んだ蕎麦はあまり見かけない。そういう意味でこの店は貴重な蕎麦屋なのだ。最後に蕎麦湯でつゆを割って楽しむのを覚えたのもこの店だ。蕎麦湯を飲みながらぬる燗で締める。

歳をとって覚えたのは、そばにはぬる燗という注文の仕方で、これはビジネスタイムのランチではない時にできる楽しみ方になる。流石に仕事の時の昼飯では、和風ファストフードとして蕎麦屋を使うから、酒はなしだ。
最近では、蕎麦屋の楽しみは蕎麦なのかぬる燗なのか、微妙になってきたが……………
蕎麦が来るまでチビチビと酒を舐めている時間が楽しい。

いつものゴマ蕎麦屋の後は、立ち飲み屋に寄ってみる。この店は小樽の有名食堂が出した支店で、焼き鳥とおでんを楽しめる。おでんもうまいが、おでんの出汁が染み込んだ大根を天ぷらにしたものがお気に入りだ。最初の注文をぬる燗と大根の天ぷらにして、後はのんびりあれこれ考えながら注文する。凝った料理は置いていないが、酒飲みの肴としてはよく考えられているラインナップだ。自宅の近くにこんな店が欲しい。

ちなみに歳をとったから淡白なものばかり食べているのかといえば、全くそんなことはない。枝豆に冷奴で肴は十分という「オヤジ・ジジイ」もよく見かけるが、全くそんな嗜好になることはない。まあ、好きなものを好きなだけ食べるのが幸せというものだから、枝豆に冷奴を否定するつもりはないが、決して同調はしない。
飲む時に肴をシェアするのも嫌なので、同行者が食べたいといえば一皿ではなく二皿注文する。もうあれこれ周りに気を使うのも飽き飽きしていることだし。

一人飲みにこだわるのは、案外とこれが理由なのかもしれない。わがままなのは間違い無いと思う。

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行列のできる自販機

JR札幌駅の改札口を出たところで、長い行列ができていた。気になって行列の後ろまで確かめに行ったら、何と愛用のサンドイッチ屋が駅の中に自動販売機を置いたらしい。昼のピークはとっくに過ぎただろうという時間だったが、その時点で十人くらいが並んでいた。
案内板を見ると、どうやら一時間待っても買う人がいるらしい。住宅地の外れにあるなじみのサンドイッチ屋がすごい人気者になっていた。
実はこの店の本店も、いつ行っても行列ができる繁盛店だ。普通に10−15分は待たされる。夕方に行った時には30分近く待ったこともある。だから自動販売機でも待ち時間があるのは不思議ではない。
行列の理由は、メニューの種類が多い、お値段が安い、作りたてで美味しいとまさに三拍子揃った優れものであることだ。

行列の長さを見ると、商品補充の回数が多いのもよくわかる。しばらく並んでいる人たちを見ていたが、だいたい三個ほど買う人が多い。お土産なのかもしれにない。自分で食べるのであれば3個は多いだろう。具沢山のボリューム満点なサンドイッチだ。これを食べるとコンビニでサンドイッチを買う気がなくなるほどの逸品なのだ。バッグから白い買い物袋を取り出す常連らしき人もいた。

夜も更けてくると流石に客も減るのか、商品がたっぷり入っていたが、昼頃にはほとんど在庫がなくなっている。面白いのはサンドイッチが何の法則性もなく並んでいることだ。たまごサンドやポテトサンドなどは人気商品なのだが、何段にもわたってバラバラに置かれている。上段のポテトサラダが売り切れていても最下段に残っていたりするので、よく注意して在庫を確かめないといけない。つまり商品を選ぶのに時間がかかる。この辺りは改善してもらいたいなあと思うが、そうなると売り切れるのが早くなりすぎて、補充の頻度が増えるから忙しくなりすぎるのを避けるためではと、勘繰ってしまった。売れすぎも困ったものらしい。
帰りの電車に乗る前にこの自動販売機を覗き見する癖がついた。タイミングが合えば行列が途切れていることもあり、夜食がてらに一つ、二つ買うのには都合が良い。
しかし、この行列のできる自動販売機の人気はいつまで持つのだろうか。次に見に行く時までにも、おそらく行列が途切れることはなく、二台目の販売機が設定されているような気がする。

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水族館のあるビル

繁華街にできる新しい商業ビルに水族館ができると聞いて、実はとても楽しみにしていた。博物館も好きだが、動物園や水族館も好きだ。特に水族館は哺乳類に生まれて来たことに喜びを感じる、そして異種族との差異を強く感じる場所だ。魚屋に並ぶ魚とはまた違う視点で「お魚」さんを眺めることになる貴重な場所だ。
相当に期待して入った新・水族館だったが、どうも自分のテイストというか好みとはちょっと違っていた。大人の水族館、エンタメを廃した水族館らしい。現代的な設計思想についていけない。やはり、トドに餌をやるような水族館が自分には似合いらしい。

その新・水族館は商業ビルの4−6階にある。地下2階から3階までは商業施設だ。地下はフードホールとドラッグストアで、最近の商業ビルとしては定石的構成だった。2−3階も個性的な雑貨店が入り、いわゆる都市型高感度ストアが装置されている。

問題は一階で見つけてしまった。このビルは狸小路と駅前通りの交差する場所にある。北の街では1・2を争うベスト立地だ。個人的な感覚で言えば、高級ファッションブランドが路面店を出すのであればこんな場所だろう。最盛期のアップルもこんな場所に自社ストアを開けていたはずだ。
そんな場所がガランと空いたままになっている。ビルのオープンから3ヶ月も経ち、まだテナントが埋まっていないとはびっくりだった。

どうやら北の大都会でも、まだまだ商売は厳しいのかと感じさせられる光景だった。向かいにある安売りの殿堂は、とても賑わっていたから客は戻ってきていると思うのだけれど。
出店するための従業員採用が難しいというのが、どうもテナントが埋まらない原因ではないか。人手不足の解決策は、長期的には子供をふやす、短期的にはロボットを増やすしかない。ここまで円安が進むと外国人労働者は日本で出稼ぎするメリットがないから、この先は外国人労働者も量的期待はできないように思う。対策は限られているはずなのに、サービス業では動きが遅い。バブル後の平成不況で人減らしをした企業ほど回復できないようだ。因果応報。

これまでとは違う意味で街の風景が変わっていく、その先駆けみたいな光景なのだなと思いましたよ。

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野球場観光に行った

新ドーム球場は観光スポットらしい

基本的にスポーツ観戦に対する関心が人一倍薄い。野球、サッカー、バスケットボール、陸上に水泳や体操、その他もろもろ。ほぼリアルタイムにライブ観戦することは無い。どのスポーツもそこそこルールは知っているので、テレビで見てもゲームの運び具合はわかる。野球やラグビーはルールがよくわかっていなと楽しめないものだが、そういう意味で観戦しないわけではない。学生時代は体育会系スポーツをやっていたのだが、どうもその反動なのかもしれない。エンタメコンテンツとしてライブが好きではないのかもしれない。
相当昔になるが、例外的に後楽園ドームへ何度かゲームを見に行ったことがあるが、それもゲーム観戦ではなく、中にある飲食店を視察するためという、なんとも邪道な目的だった。

実家のある街に出来た新球場もちょっと遠いが歩いて行ける距離にありながら、一度も行っていない。これはあまりに怠慢な人生では無いかと反省して、平日の夕方にぶらりと出掛けてみた。ゲームのない日でも、飲食店は営業しているらしい。ボールパークと言っているので、カリフォルニアにあるネズミの王国や映画セットで有名なスタジオ街のように、入り口まで続くアーケードや商店街がある人工的な町が出来上がっているのだと思っていた。
そんなものは存在していなかった。球場周辺はこの先も開発が進むそうなので、あと2・3年待てばそれっぽい町ができるのかもしれない。少なくとも現時点で存在しているのは、球場前の駐車場(ゲーム時は利用不可)周辺にあるドッグランとキャンプ施設、そしてフィールドアスレチック的な施設だった。成長し続ける街として期待することにしよう。でもベースボールを見に行くことはなさそうだ。テレビで映像を見る限り、スタジアムが満員にならない日はあるようなので、ゲームを見るのはあまり難しくなさそうだが。チケットをどこで買うのかもしないしなあ。

町の中は一面に球場讃歌みたいな雰囲気があり、なんと赤いはずのポストまで色が変わっていた。チームカラーが焦茶なのだろうか。これも野球を見ていないので全くわからない。F villageと書かれているが、Fはチーム名であることはわかる。
ちなみに駅の構内では大型ジョンが設置されていて、パブリックビューイングもできるらしい。(あくまで、「らしい」で詳しくは知らないが、狐ダンスの映像を見た記憶がある)
駅前はまだ賑わいが足りないが、現在建築中の駅前ビルができればレストランなども入るのだろうし、街の活性化はもう少し時間がかかるようだ。しかし、名前がVillageだから、村おこしが街おこしにつながるという、なかなか不思議な現象だなあ。

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小さな街の駅前で

実家のある街に新球場が建てられて、なんだか賑やかになったのかと思っていた一年だが、結局何が変わったというわけでもないらしい。唯一変わったといえば、ゲーム開催に伴って増えた迷惑駐車と、その対策で値上がりしたスーパーの駐車料金くらいだろうか。
秋晴れの気持ちの良い日だったので、普段は決していくことのない駅の反対側まで散歩してみた。昔は何もないところだったはずが今ではすっかりビル街もどきになっていた。ただし、建っているのは大きな病院とその周りにいくつかあるドラッグストアー(調剤薬局)、後は市民会館・ホールと図書館だ。商業地区ではなくこじんまりとした文京地区という感じだった。

駅の入り口から図書館に向かうまでの道が、この時期にもかかわらず花で飾られていた。人口5万人程度の地方小都市なのだが、文化レベルは高いのがわかる。(初めて知ったかも)
花のある街は文化度が高いと思い込んでいるだけかもしれないが、北の大都市でも大通公園だけは花が見事に植えられている。道路に落ちているゴミを拾う事と、道路や公園に花を植えることは、街の美観を高める意味で同じ価値があると思うのだが。

しかし、その文化レベルを高く評価した駅前に、実は当然存在するべき喫茶店やレストランが存在しない。これは実に残念だ。駅前のローターリー周辺をうろうろしてみて、ようやく見つけた喫茶店は長期休業中だった。

素敵なマダムか渋いマスターがやっていた雰囲気が漂う喫茶店はお休み中

駅の反対側にはスーパーと焼き鳥屋がある。ただ、コンビニもなければラーメン屋もない。高い文化レベルも大事だが、ラーメン屋は街の必需品だと思うのだ。多分、駅前ではなく、自動車で移動した何処かに喫茶店や食堂やラーメン屋やその他諸々が存在しているはずだが、散歩で行ける場所ではなさそうだ。地方都市の現実は、こんなものなのですね。