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高知の鮨屋

高知の繁華街帯屋町のアーケードの中に鮨屋がある。昔から気になっていたが、河内でわざわざ寿司を食うこともあるまい。河内名物のあれこれを食べたほうが良いと思っていた。が、今回は「土佐巻き」の研究をするべく、街中の鮨屋を物色してみた。不思議なことに鉄火巻きはあっても土佐巻きを置いていない鮨屋ばかりだった。
ふと思い立ち、ひろめ市場に行ってみたら、さすが観光客相手の飲み屋名所だけあり、持ち帰り用も含め3件で土佐巻が売っていた。
ちなみにスーパーでも鮨コーナーではなく、惣菜コーナーに置いてあった。どうやら土佐巻は寿司ではない何か扱いされているらしい。

この寿司屋の入り口で見つけたサンプルによると、元祖らしい。確かにあちこちの飲み屋で見かけた土佐巻はこんなルックスをしていた。太めのカツオと薄切りニンニクが撒かれた太巻きだ。鰹の味もさることながら、薄切りニンニクのガツンとくる味が酢飯を合わさると、鮨業界の常識を上回るミラクルな味になる。飯というより、まさに酒の肴であり、正しい鮨道を具現化している。

さて点何で席につき「土佐巻」を注文した。他の巻物は概ね400-500円だが、土佐巻は別格で1000円越えしている。
出てきた元祖土佐巻はどうも店頭のサンプルとは異なるように見える。カツオとニンニク以外に青シソの千切りのようなものも入っている。料理としては一段高いレベルだろうか。ただ、自分の持つ土佐巻のイメージである野鄙さに欠ける。洗練されすぎというか、まあ、単純にニンニクが少ないということかもしれないが。

鮨は全国でかなりバリエーションがある食べ物で、使用する米の品種や合わせ酢によって全然別物になる。個人的な感想で言えば、大阪の鮨飯は甘い。お江戸を中心とする関東では塩と酢がきつめなことが多い。米は比較的ぱらりとする旧ササニシキ系の米が多いようだが、西国に行くと東日本の米の流通が減ることもあり、ちょっともっちりとしたブレンドになっているようだ。

土佐巻は、そんなあれこれをぶっちぎるほどの野鄙さが魅力だと思うが、さすがに元祖の店ではそれなりに洗練された方向に進化したようだ。やはり食べるとしたら居酒屋の方が向いている食べ物かもしれないな。

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高知で焼き鳥

いまだに屋号がわからない。暖簾の端に書いてあるようだが、よく読めない。夜の高地散歩をしたときに気になっていた店に、今回は潜入してみた。予想通り、店内では白髪の渋い対象が鳥を焼いていた。若い衆も元気に働いているので、繁盛店なのだと思う。焼き鳥のメニューは豊富であれこれ試してみたいものもあったが、残念ながら体調が万全ではなかったため、ちょっとだけお試しして今回はおしまいにした。

焼き鳥屋ではセセリと砂肝を頼めばその店の鮮度管理がわかると思っている。匂いのある砂肝が出てきたら、その場で退席することにしている。自分の腹を守るには自分の鼻を信じるしかない。ダメな砂肝を食べるとダメージは三日以上喰らうことになる。
匂いを嗅いで一口も齧らず出てきた店もあるくらい、実は砂肝はかなり危険な食べ物なのだ。焼き鳥屋は火を通すから安全だなどと過信してはいけない。砂肝の管理ができない店主に、衛生観念など期待していけない。
この店は、実に安心できる店だ。予想通りとはいえ、しぶい焼き鳥屋はこうであってくれなくてはなあという、我が期待値を大きく超えてくれる。

個人的に好物としているのは鶏皮の酢の物だが、これも鮮度感良し。川のコリコリ感良し。上等な食べ物だった。酒は地元の普通銘柄を頼んだが、これまた適切なぬる燗が出てきた。どうも最近は機械で感をつける店の大半で、缶の温度が高すぎる。まるですし屋のお茶のような高音の熱燗が出てくるのには閉口する。焼き鳥はぬる燗が良い。酒の味が柔らかくなる気がする。
お江戸ではすっかり撲滅種となった「赤提灯の焼き鳥屋」が河内ではしっかり生きている。葉牡丹の中華で一杯というのも良いが、ぬる燗で焼き鳥をのんびりとという昭和の伝統も捨てがたい。
次回は屋号をしっかり確かめてこなければなあ。

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海の街とは

JR須崎駅前にあるオブジェがよく理解できないが、そもそもあちこちにあるオグジェやら彫刻やらは理解不能なものばかりだからと諦めるしかない。そう思っている。そもそもアートなるものに対する感性が低いせいもあり、立体造形を理解する審美眼など持ち合わせていない。それでも工業デザインに与えられるGマークのついた製品くらいはすごいなあと感心することも多い。
交通車両とか航空機となると、たちまち細部に至るあれこれの蘊蓄を語りたくなるのだから、やはり趣味の違いというか志向の違いなのかもしれない。ほとんど世界的には知られていないだろうが、日本製ロケットの一部で噴射ノズルの先が折りたたまれていて、その部分がブワーと拡張されて推力を上げる「進展ノズル」というものになっている。パワーで押し切る米国式ロケットとは一味違う国産技術だが、そんなものを知って実に感動している。
サンダーバード2号のずんぐりした胴体をリフティングボディーと言って翼ではなく胴体で揚力を得る形状となっているが、それはスペースシャトルも同じ原理で作られているのを知って、これまた感動した。SFの中の航空機がリアル世界とシンクロしているからだった。

須崎の駅前になる「海のオブジェ」も船舶とか海洋工学とかにもっと造詣があれば感動するのだろうなあ、などと思いつつ10分ほど眺めていたが全く理解できなかった。アートは……………むりだな。

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まひまひモーニング

また食べたいマヒマヒバーガー 真ん中にあるデミカップが味噌汁

高知県四万十町にある道の駅は、高知らしく朝の「モーニングセット」が充実している。当然、トーストにゆで卵みたいな定番もあるが、今回はシイラバーガーのセットにした。シイラのことをハワイではマヒマヒと呼ぶ。油の乗った白身をステーキにして食べるのが一般的だが、四万十町では地元で上がるシイラを使ったフィッシュバーガーが売り物らしい。
バンズからはみ出る大ぶりのシイラフライは朝飯にはちょっと大きすぎるみたいだが、タルタルソースとの相性は抜群で、勢いをつけて完食した。
ただ、高知のモーニングのすごいところは全体のボリュームもあるが、コーヒー(他の飲み物もあり)を頼むと味噌汁とお茶とサラダがついてくる。名古屋の有名な喫茶店モーニングもなかなかのものだが、高知もそれに負けてはいない。ただ、喫茶店の場合、お茶は後出しなのだが。道の駅ではワンプレートで一気に出てきた。トレイの上に汁物三点というのは、これはなんともメガテンになる光景だった。

四万十町といえば山の奥にある街という勝手な思い込みがあったのだが、実は町は太平洋岸まで広がり漁港もあるのだそうで、確かにカツオの漁師町からも車で15分ほど。山の中でマヒマヒが名物でも不思議ではないのだな。

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鍋焼きラーメン

高知県須崎市の名物といえば鍋焼きラーメンと日本カワウソ。カワウソは最後の目撃例から随分と時間が経っているそうで、今でも山奥に生存していてほしいものだが。鍋焼きラーメンは市内のあちこちで健在だ。その中の老舗の名店に連れて行ってもらった。

土鍋で煮込んだラーメンに白飯追加は定番だそうだ。ラーメンライスというよりスープをおかずにメシを食う汁物定食みたいなことらしい。

ドンべの蓋を取るとぐつぐつと煮えている。これを口に入れて良いものかと思うくらいの沸騰加減だ。スープ自体はシンプルな醤油仕立てだが、ともかく味が濃い。火傷しそうになりながら麺をフーフーと吹いて食べる。その後、一口白飯。麺、白飯、麺、白飯、時々スープというローテションで淡々多完食した。具材は硬めの親鳥と竹輪にニラ。シンプルな料理ほど美味さに奥があるなあ。寒い冬の日には絶好の一品だが、30度を超える夏日でも行列ができるというから、鍋焼きラーメンは体感温度とは関係ないのかもしれない。

いやーうまかった。

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太刀魚のあぶり

高知の漁師町でいつものように魚屋の大将を話をしていたら、この時期は良い太刀魚が入っているので晩飯を食べに来いと誘われた。1-2月は記録的カツオの不漁で商売もののカツオはまっったくないと笑っていた。
夜に仕事を終え魚屋の向かいにある食事どころ(背でに閉店していて貸切だった)に行くと、ドンと刺身が出てきた。太刀魚を炙ったもの、腹の部分の刺身、そしてイサキが出てきた。これを二人で食べるという。なんと贅沢な食事であることかとホクホクしていいたら、ハラミの柔らかいところは塩焼きにしてくれるという。まさに太刀魚三昧だが、どんなゴージャスな料亭料理より、こういう簡素というか素材のうまさで推しまくる料理には敵わない。
締めは白飯を丼で書き込むという豪快な晩飯は、魚や夫婦との会話も楽しく、実に生きている楽しみとはこういうことなのだなあとしみじみ思った。
次に来る時は初鰹があがり始めていると思うが、焼きたてのたたきと刺身のコンビが今から楽しみだなあ。

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練馬の駅前中華

牛丼屋の中華形態が寿司屋の二階にあった。隣は牛丼の店なので、松屋業態勢ぞろいという感じがある。西武練馬駅が目の前の絶妙な立地だけに繁盛していた。さて、中華業態のお試しをしてみた結果は、町中華として完成度は高いと評価できる。二階に階段で上がるというハンディもあるが、まあ、若者が中心の客層であれば問題もないだろう。

つまみも豊富で夜は日高屋的な居酒屋利用も商売にしているようだ。個人的には、町中華チェーン店のメンマはどこの店もダメダメだと思っていたが、この店はレベルが違う。チェーン店のせいではなく仕入れ担当のせいなのだなあ。うちの近くの某中華チェーンも是非見習ってほしい。ちなみに、その某チェーンのメンマは残念だが、ザーサイはレベルが以上に高い。あの落差はなんなのだろうなあ。

いつもであれば初見の店でもあり、定番の醤油ラーメンあたりを注文するのだが、今回はチャーハンにしてみた。塩加減も適当で良い仕上がりだった。出来の悪いチャーハン特有のべたつく油っぽさはない。ぱらりとした仕上がりで懐かし系あっさりチャーハンだった。
自宅近くにあればせっせと通いそうな店だった。練馬区民は幸せだなあ。

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牛丼により美味いか

牛丼屋のやっている寿司屋が気になっていた。週末のランチにお試ししようと出掛けてみた。そもそも牛丼御三家の中で松屋ほどあれこれと色々な業態に手を出しているところはない。思いつくだけで中華、ステーキ、そば、とんかつ、カレーなどを絶賛展開中だ。選択と集中などよいう経営用語は聞く耳を持たないらしい。
ただ、個人的にはカレー業態は優れていると思うし、とんかつは味について好みの分かれるところだが価格と味のバランスというファストフードの特徴を見失わない良い業態だと思っている。ファストフードのスペシャリストが寿司屋をやったらどうなるのかと楽しみだった。

結論から言えば、大都市住宅地向け、つまり人口密度が高い駅前で回転寿司をやろうと思ったらこうなるなというスペシャルな回転寿司だった。ちなみに寿司は全て一貫から注文する「回らない寿司」だ。ねたは比較的上物狙いで単価は郊外型回転寿司の倍程度だろうか。
提供速度は速いから、自分の好きなものをささっとつまみさっさと帰るよいう都会的スタイルなので回転率は高い。地方都市のロードサイドには向かないだろうが、大都会で子供の数が減少している高齢者商圏を想定しているようだし、これはかなり成功確率が高そうだ。ちなみに土曜ランチで客層のほぼ8割が70代以上の女性であるように見える。そこに50-60代の男性がパラパラ。

おそらくファストフードの主客層が音を立てながら激変している真っ最中なのだが、その最先端がこの寿司屋であるような気がする。ファストフードの高齢会に潰えは、10年以前に浅草で商店街のマクドナルドが老人ホーム化していたので気がついたのだが、自宅近くの郊外型マクドナルドも平日昼間は、ご隠居さんというにはちょっと荒んだ独居老人(おそらく)の巣窟になっている。市立図書館で一人静かに読書はしたくないが、かといって行き場のないものが貯まる場所。それが今のファストフードなのだろう。ちなみにファミレスはすでに一人客の長時間滞在を嫌う傾向にある。(コロナの頃は一人客を大事にしてくれていたのになあ)

行政が気がつかない街の変化なんてこんなものだよ。

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チョコ

生チョコをいただいた。日本酒が練り込まれた柔らかい食感のチョコレートだった。甘さが程よい。チョコの味もさることながらすごいと思ったのが、桐の箱に入っていたことだ。これはまいったなあ、一本取られた気分だ。

最近、仕事で包装とかパッケージの話をすることが多い。サラリーマン時代はまさに当たり前に考えていたことが、世の中の人には「非常識」的に見えるらしい。特に包装に金をかけるとなると論外の無駄遣いにみえるようだ。地域のものの作り手ですらデザイン意識がその程度であれば、まあ、当然商品が売れるはずもないのだと、改めて思い知らされる。
都会と田舎のビジネスは違うという議論もよく聞くが、それは「いなか」のサボりたがりビジネスマンの勉強不足に尽きる、ダメダメな言い訳だなと思う。しっかりと都会風のビジネスモデルを田舎で実践している人は多いのだから、成功と失敗の境目は勉強をサボるかサボらないかの違いでしかない。

ちなみにこのチョコの販売者は神奈川県横浜にあり、製造者は兵庫県尼崎で、使用された日本酒ブランドは長野県諏訪の有名蔵元だ。なんだかなあ……………あれこれ考えるのがすっかり嫌いなった。

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海浜幕張 怪獣に殲滅された街

コロナを挟んで5年ぶりくらいに幕張メッセの展示会にやってきた。流石に5年も経つとあちこち変わっているかと思ったが、意外と街の景色に変化はない。変わっていたのは駅前にある商業ビルが飲食テナントを含めほぼ総入れ替えになっていたことだ。
バブル期に開発された千葉幕張新都心だが、愛読していた椎名誠氏のエッセイには「幕張の浜」と描かれていた。椎名少年が過ごした幕張はどうやら相当な田舎だったらしい。そこが埋め立てられ大規模なオフィス街に変わった頃、サラリーマンになりはじめて幕張を訪れたのだから、「浜」の時代は全く知らない。
幕張メッセに初めて足を運んだのは展示会ではなく、子供向けのゲームアプリの配布会だった。当時小学生だった息子が遊んでいたゲームの追加ダウンロード版が、抽選に当たったものにだけ限定で入手できるというイベントで、息子とノコノコ幕張まで出かけた。今思えば、別棟である9-11ホールを打ち抜いた大会場で、中に入りきれない親子がホールの周りをぐるっと行列していたような記憶がある。
親バカと言われればそれまでだが、子供と一緒に遊ぶのが好きな時代だったのだ。土曜・日曜は子供と遊ぶと決めていたので、ゴルフなど一切する気がなく、おまけに休日出勤も極力避けていた。土日の仕事が気にならなくなったのは、子供が週末に塾に通うようになったからだ。そんなことを第9ホールの入り口で思い出した。

もう一つ幕張でおぼていることは、ここが大怪獣Gにやられた街だからだ。Gに破壊された街は銀座・霞ヶ関を皮切りに西新宿の高層ビル街まで、都内だけでも廃墟の嵐なのだが、なぜかGの新作が出るたびに、TOKYOは奇跡の復興を遂げている。Gの破壊が街に残されているのはビオランテ編の時くらいだろう。

幕張はバブル期の象徴だったので、怪獣の戦闘に向いた広大な空き地(笑)であり、壊すビルの数も少なくて済むという制作サイドの経済的な理由なのだと思うのだが。

怪獣映画で破壊された街は数多くあるがき記憶に残る戦闘場所は意外と少ない。もう一つのGである平成ガ◯ラシリーズは、その場面設定が秀逸だった。東京タワーがへし折られ怪獣の産卵場所になった。札幌ではススキノが壊滅した。仙台では自衛隊と激闘した。渋谷の街はとばっちりで壊滅した。京都駅構内での決闘シーンは怪獣映画で屈指の一幕、名場面中の名場面だ、京都駅に行くたびに、ここにガ◯ラが立っていたとサイズ感を実感する。

そんな幕張の記憶ではあるが、今ではすっかり落ち着いたオフィス街になっていた。やはり街というのは出来立てよりも時間経過したほうが味があるというか落ち着いてくるものなのだな。今の幕張で暴れる怪獣はいそうにもない。もし今年怪獣映画が撮られるとしたら、大阪の臨海地区だろうなあ。工事中のカジノビルが廃墟になり計画中止になりましたとか、博覧会会場の解体費用が浮きましたとかいうブラックネタで。