街を歩く

NYT おすすめのリアル

どこかでみたようなカラーリングの車体は山陽本線の列車だ。広島から岩国まではそれなりの本数が走っている。大都市圏の通勤列車だ。編成車両数も多い。ただ、この色は妙に懐かしい感じがする。今でも多少は走っている西武線の旧式車両と同じ色に見えるせいだ。
だが、同じ電車が岩国から先はほとんどローカル線扱になる。運行頻度は激減して、一時間に一本しか走らない。思い返せば、仙台を過ぎた東北本線も似たようなものだから、JRの都市近郊線以外はみんなこの程度の運行形態なのだろう。奥羽本線はもっとひどかった。
もはや鉄道は地域の主要交通網とは言えない。運転が出来ない交通弱者の限定利用しか考えられていない。すでに長距離移動は新幹線、そこから短距離移動は自動車でという分業も成り立ってはいるのだが。短距離移動用のローカルバスは、ほとんど病院に通う老人向けという扱いだ。
つまり、田舎町を旅行する者にとって、今や日本は結構不便な国になっている。すでにアメリカのように、飛行機で移動した後はレンターカーでという世界になってしまった。
世間に溢れるインバウンド客は流石にこのローカル線には乗っていないだろうと思っていたが、しっかりと数組乗り込んでいた。面白いことに西に進むにつれて、インバウンド客の人種が変わる。近さもあるのだろうが、半島からの旅行者が目立ってくる。もう一つの気づきだが、アジア系旅行者は車内でもうるさい。欧米系、インド系と思われる旅行者は大概がおとなしい。東南アジア系の集団も人数が多くなればうるさくなる。国民性なのか、乗車時のマナーが国によって違うのかはわからない。コロナの時と同じように、いきなり電車の中で殴りかかる暴力ジジイが出現しそうな雰囲気だ。飛行機で来れば東京も大阪も福岡もほぼ変わらないだろうに。なぜ、西にくると旅行者の構成が変わるのか、この辺りが実に不思議だ。

岩国での新発見は、コンビニで見つけたヨーカンパンだ。初めてみるタイプだが、高知の宿毛で作られているものに似ている。味付けはそれなりに甘い。一度、某ケンミンショーでヨーカンパン特集でもしてくれないものだろうか。

いや、某公営放送でブラ◯モリの後継番組として、珍しい食べ物行脚を仕込んでもらっても良いのだが。商品名が出せないから無理か。

延々とローカル線を乗り継ぎ、山口県県庁所在地に初めて辿り着いた。これで、日本47都道府県全ての県庁所在地を踏破したことになる。47都道府県全部に足を踏み入れたのは随分前のことだが、福井市と山口市は47都道府県達成後も行く機会がなかった。個人的な感覚で言えば、山口市は鹿児島市より遠い。そもそも元・長州には本当に来る用事がなかったせいだろう。初めて山口県で訪れた場所は大島にあるジャム屋で視察だった。福井市に行ったのは恐竜博物館を見に行くついでだったが、山口市にはついでに寄る場所もなかった。

西国武士が全盛を極めたのは平安末期から平氏勃興の時期だろう。その後、東国武士に擁立された反乱軍が、平家と共に西国武士連合を蹂躙し、しばらく軍事政権は東国にとどまった。都落ちした初代将軍は、よほど京が嫌いだったのだろうし、西国武士集団を恐れていたのだ。その後を継いだ東国武士団の首領も東国の田舎出身でありながら、一度負けた内乱を西国武士の支援を受けて制した。そのため、本拠地を京に移した。これが失敗だったのは脆弱で短命な政権だったことで証明済みだ。
それでも一時期は勢力を強め、東西で二政府体制をとった室町政権が急速に弱小化する。それにつれ、東国政権による支配から頚城を解かれた西国武士団は、大規模な地方軍閥状態を迎える。東国武士が鎌倉以来の正統性であれこれ諍いをしているうちに、西国武士集団は実力本位の争いと統合を仕掛けていた。

ただ、それも最後は東国をまとめ上げた徳川政権に臣従することになる。西国武士雌伏の時期は、また300年近く続くことになる。なぜ武家政治が続いた1000年近くの間、西国武士が東国武士に従えられていたのか、その理由を考えると面白い。おそらく要因は西国農業の生産性が東国と比べて高かったことにあると思う。中世から近代にかけて東国は常に貧乏地方だった。そのために、金の持っている西国を略奪するしかなかった。
小京都を作った大内氏のように栄華を極めた豪族は、東国の歴史を眺めてみても奥州藤原氏くらいしかいない。関東以北で強大な軍事政権ができなかったのは、戦争を続けるだけの資金を持てなかったせいだろう。
国というものは金がないと凶暴化する。いつの時代も、それこそ今の時代でも同じことで、ユーラシアの西で起きている戦争も同じ構造だ。貧乏が嫌になった国が、自分より先に金持ちになりそうな国に強奪を働く。金目当ての戦争に正義などあるはずもない。

ところが、比較的金持ち揃いだった中世日本の西国では、そんな弱肉強食的思想を持つ大名が少なかった?ようで、西国武士は文化的であったのかもしれない。

ニューヨークタイムズでおすすめの観光地指定された山口でそんなことを思っていた。しかし、この街、観光地にするならもっとあれこれ改善しないと悪評が立ちまくりそうだ。
少なくとも、JRの駅に早くコインロッカー整備してくれないか。県庁所在地の駅でコインロッカーないなんて見たことないぞ。駅前にタクシーもいないし。バスは一時間に一本やってくるみたい超間引き運転だ。せめて観光資源のある県庁付近までシャトルバス運行くらいしてくれよ、と言いたい。

うーん、やはり金持ちのお殿様の血を引く気性ののんびりした一族が多いのだな、きっと。

街を歩く

再建された城を見て思うこと

広島城は、広島の中心部繁華街から歩いて15分くらいの場所にある。この街は原子爆弾の投下により一面の焼け野原になった。当然そのときに、市内にあるほぼすべての建物が消失した。なんとか外観をとどめているものが原爆ドームとして残されている程度だろう。城も当然ながらなくなり、戦後再建された。
広島は近くに帝国海軍の拠点もあり、いわゆる軍都だった。原子爆弾投下の候補地はいくつかあったようだが、概ね軍事施設、あるいは兵器製造施設が目標になっていたようだ。
すでに、東京、大阪、名古屋といった大都市は爆撃機集団に蹂躙されていた。この時点で日本は経済的に継戦能力を失っていたし、人的資源も枯渇していた。そもそも陸軍200師団、つまり200万人の陸軍兵士にタダ飯を食わせるのだから、国力が持つはずがない。現代でもいきなりホームレスが200万人生まれたら社会保障政策は破綻する。

普通に考えてみるとわかるが、原子爆弾投下に至ったのは当時の政権がいかに無能であったか、あるいは現実逃避していたのが明らかだ。結局、二発の原子爆弾投下により継戦派の反対を食い止め、玉音放送で終戦した。
明治政府という戊辰戦争なる暴力革命により産み出された鬼子が、80年余り暴走した挙句に潰えた。鬼子が滅んだ後、つまり戦後になってその亡国集団が、われわれは国を想って行動したなどとほざけるほどの平和の社会になった。ようやくそんな時代が来て城は再建された。全国各地にある再建城をみるたびにそんなことを思う。

再建城の中は歴史博物館的に整備されていることが多い。ただ、再建の時期によっては中の展示物が鼻持ちならない「護国」思想や過去賛美になっていることもあり、基本的に展示を見る気にならない。
この日も入り口だけでおしまいにした。アートならアート、歴史遺産としてなら一方的な被害者史観を廃し事実の展示にして欲しいものだが。

広島城の中に神社があった。広島城は山陽道の要所に作られた防衛拠点であり、また威を誇る大きな平城だった。だから残された敷地の中に神社が置かれているのは納得できる。古代日本では大陸から九州経由で文物が流れる、瀬戸内高速流通網の拠点でもあった地だ。当然、大物の神様が配置されたはずだが、よく考えるとちょっと西に西国最強とも言える厳島神社があるからなあ。この神社の立ち位置はちょっと微妙かもしれない・

広い場内を一周して繁華街に戻ると軽く汗ばむくらいの距離を歩いたことになる。やはりお城の跡地は、ウォーキングやジョギングなどで平和に活用されるのが一番よろしいようだ。

街を歩く, 食べ物レポート

駅地下人工横丁の驚異

徳島駅の地下にある居酒屋横丁的な施設が、何とも中途半端というか難しい営業をしている。観光客からすれば駅ビル地下に地元の名物料理屋があれば実に便利だ。しかし、近くのオフィスから来る地元客からすると、全国チェーン店でも問題はないだろうし、その方が喜ばれるのかもしれない。たとえば、大都市からの旅行者にとってシアトル系コーヒー店はありふれた街の光景だが、地方都市で言えばまだまだ「目立つための場所」なのだ。
確かに一階は観光客と地元客のミックス需要に対応して、土産物菓子屋とシアトルコーヒー店とファッション関係が雑居していた。

どうも自分の勝手な見立てだが、新幹線駅がある県庁所在地は地域の中核商業地になっている。広域から人を集める、県内の中心地としてそれなりに人気がある場所だ。ただ、大多数の県庁所在地は昔ながらの繁華街が駅とは違う場所にある。なので市内の商業地が二極化してしまうが、旧繁華街、それも大体はお城の下にひらけた旧城下町は、駐車場対策の遅れにより陳腐化し老朽化が進んでしまう。
ただ、このモデルも新幹線が通っていない街には適用できないみたいだ。四国の4県庁都市はこの典型で、どの街も駅前がパッとしない。駅前、駅ビルの再開発をしてみても郊外に流出した地元客を取り戻すことには成功していないように見える。特にJR駅前の賑やかさがない。松山や高松では私鉄駅前がそれなりの賑わいを見せるが、それでも中途半端だ。おそらく鉄道を通した頃の政治情勢がまちづくりに影響を及ぼしたのだろう。あるいは先の大戦で空襲により街が平面化?したかどうかの差なのかもしれない。


徳島駅前にあった三越も今ではテナントビル化しているようだが、駅前の回遊性は見られない。ちょっと寂しい感じがする。ずいぶん前に訪れた時には、何だかもっと活気がある街だったような記憶がある。新駅舎が出来てもっと賑やかになるのかと思っていたのだが意外だった。

その難しい立地で、これまた集客が難しい地下階に通常の飲食店を誘致するのが困難極まるであろうことはよくわかる。地元客で賑わうのはせいぜいランチタイムの一瞬だけで、夜の時間になれば地元客は従来からある賑やかな繁華街に流出していく。
それを食い止めるべく、居酒屋業態を多種類放り込み、昼夜の二毛作ではなく、夜昼の二毛作を目指している。ただ、居酒屋と定食屋は根本的にメニューの設計思想が異なるので、これは計画通りになるかというといささか怪しい。
夜と昼と二度見に行った。客の入りが当然店によって違う。昼も夜も満席になていたのは、何と鮨屋だった。ただ、その鮨屋でも夜は酒を飲んでいる客が少ない。なかなか思惑通りに客が踊ってくれないものだ。
そんな苦労を目にしながら、あれれと思ったのが居酒屋ランチで「モツ煮込み定食」というものがあったからだ。確かに定食屋でモツ煮を出す店は見たことがない。これは意外と盲点かもしれない。
地元の埼玉県で展開している郊外型うどんチェーン店の人気メニューがモツ煮定食で、意外とおっさんだけではなく、女性や子供にも好まれているらしい。ただモツ煮定食は基本的に安い。肉料理として生姜焼き定食やハンバーづ定食より1ランク安いから成立する料理ではないか。
そのモツ煮定食が1000円弱という値付けは強気というか、すごいなと思ったのだが、隣の席(カウンター席)に来る客が全員これを頼んでいた。あれまあ、と驚いてしまうキラーコンテンツだった。
勝手にあれこれと地下の居酒屋集合体を批判していたが、やはり現場を見なければ分からないことは多い。昼間のモツ煮込みは普通の定食屋で食べられないから人気メニューになるようだ。この発想は出てこないなあ。他の店でも夜メニューが昼の裏メニューとして人気を博しているのかもしれない。いやいや、おみそれしました。

街を歩く

葉牡丹 テレビのせいで難民化

高知の愛すべき居酒屋で、軽く夕食にしようと出かけたのは日曜の夕方、それも早い時間だった。ソロ飲みする時はピーク時間をうまく外すのがコツだ。早めにいって混み合う頃には帰れのがベストだろう。
混み合ってくると食べ物の注文が多くなり、出てくる時間が遅くなる。ソロ飲みする時は注文数は少ないが、お腹の都合に合わせて一つずつ注文することになるので、時間差が出てしまう。その対応が、ピーク前に行くということだ。ピークが終わった後に行っても良いのだが、その時はお目当てのメニューが売り切れてしまったりする。
今回は、タコ酢から始めることにした。イカ刺しにタコ酢は全国どこでも同じ味だといっても間違いない。タコの大部分ははるかアフリカからの輸入ものだ。国産のタコなど瀬戸内の港町や北海道の沿岸部くらいでしか楽しめない。タコ好きだかブランドだこをありがたがるほどのこだわりもない。ちょっと厚めに切ってあり、酢がきつめであれば「我が愛しいタコ酢」と言える。

そのあとはいつもの定番、串揚げ盛り合わせにした。串焼き盛り合わせの方も捨てがたいが、その日の気分であ「揚げ」と「焼き」のどちらかを選ぶことにしている。ソース2度づけ禁止の串揚げはすっかり全国に広がって、居酒屋定番メニューとなったが、串揚げのネタは店によって微妙に変わるのが楽しい。
定番はエビと豚肉だと思うが、こんにゃくとかうずらの卵とか、時に胃はびっくりさせられるものが混じっている。ソースの味を堪能するなら、やはり焼きそばより串揚げだろうなあと思うのだが、ソースの味も店によって微妙に変わっているから、ソースこだわりの人はもう少し厳しい判定をするのかもしれない。

そして、そろそろ締めにしようかと思っていた時、何やら座っているカウンター席の周辺が忙しくなった。自分の右側の5席が空席のままになり、カウンターで予約客が来るのかと思っていた。
ところが、酒も飲まないまま通路をうろうろする人間が現れ、店主との会話が聞こえてくると、どうやらテレビ版ぶみの撮影が入るらしい。そのスタンバイのタイミングでもこもこと店に入ってきてしまったようだ。
やれやれ面倒なことになったと思っていた。さっさと飲んで帰ろう。撮影のガヤにされるのは真平ごめんだ。おまけにVTRが回り始めたら、勘定して帰るのも難しくなる。なんと、本日の主演者が座る席はレジの真ん前なのだ。
などと考えていたとこで店主が「お兄さん、気にせずゆっくりしてってね」と声をかけてきた。ご好意はありがたいが、窮屈な酒が嫌でソロ飲みしているので、一気に注文した品を平らげ退店することにした。
酢豚の一気喰いをしたのは生まれて初めてで、食べている最中に汗が出てきた。
そんな慌ただしい中、主演者は高知生まれの居酒屋愛好家だという話が聞こえてきた。うーん、高知生まれなんでしょう?もうこの店何度も来てるでしょう?なんで、今日なの?とうらにがましく考えていたのだが、この日は土佐のおきゃく開催日だった。
ああ、それに合わせたのかと納得したことはしたのだが。
俺の平安な居酒屋ライフを返せ、と言いたくなった。滞在時間、約40分。まあ、こんな日もあるか。店を出たらまだ外は明るかった。

ふと気になり営業時間を確かめてみた。なんだか営業時間が変わっているような気がする。記憶が歪んでいるのかもしれないが、以前はもっと長かったような気がする。ほとんど24時間営業みたいな感じではなかったか?おまけに定休日もある。
うーん、おそらく高知の酔いどれジジイの人口が減少しつつあるから、時短営業になったのだろうか。次回来る時は、人が飯を食べたり酒を飲んだりしない時間、午後3時くらいにすれば安全圏ではないかなと、心のどこかにメモしておくことにした。

ホテルに帰る途中で見つけた、別の居酒屋の店頭看板に目が止まった。地元の酒飲みには当たり前のメニューかもしれないが、これはかなりレベルの高い高知ローカルグルメのラインナップだった。
初級観光客にはちょっとレベルが高すぎるかもしれない。ドがつく定番のカツオがない。カツオの次といえば、うなぎ、ウツボ、シイラあたりかと思うがそれもない。マイゴという貝の選択も渋すぎる。おまけにトップはなすのたたきという、B級どころかS級グルメではないか。ちなみにSはSecret シークレットのSだ。

次回はこの店にチャレンジしてみなければなるまい。と、固く決意しました。ほとんど八つ当たりですけど。

街を歩く

大山で飲む 土曜の昼下がり

東武鉄道網の東側路線がおしゃれなカタカナ路線名に変わっても、相変わらず無骨な名前で頑張っている東武東上線だが、名前だけは聞き知っている大商店街のある「大山」に初めて出かけた。
お江戸の中にはアーケードの長さが数百メートルに及び大商店街がいくつかあるが、なぜかこの「大山ハッピーロード」にはいったことがなかった。特別深い意味があるわけではなく、なんとなく行きそびれていたのだ。
ただ、他の有名商店街には外食企業が新コンセプト業態を出店することが多く、その視察に行っていた。大山には、記憶にある限り新コンセプト店が出店していない。多分、そのせいだろう。

駅の改札を出るといきなり大きなパン屋があった。なんとも魅力的な店構えなので、ついふらふらと入ってしまったが、店内には客席がありそこでパンを食べる人も多いようだ。喫茶店的軽食の場として繁盛している。しかし、この横には日本最大のハンバーガーチェーンの店があり、そこを抑え込んだ形で繁盛しているのだから、それはすごい実力なのだ。駅前でいきなりびっくりさせられた。

商店街の駅前付近は全国チェーンの店に占拠されていたが、ちょっと離れたところに渋い店を見つけた。まだ現役のようで、中に入ってあれこれ注文したくなった。「甘味」という文字は神田の裏通りの店でも見た記憶がある。まだ現役の言葉だ。しかし、「大学芋」がメイン商品の看板は、すごいというしかない。これは日を改めて再挑戦しなければと、固く決意した。(おおげさな……………)

この日の目的地である焼き鳥屋は、東上線を挟んで反対側の商店街にある。駅から少し離れた小路にあった。長い付き合いがある友人との居酒屋巡り、それの週末昼のみ編、第1回だった。午前中から開店するようだが、店内に他の客はいない。貸切状態で申し訳ないと思いつつ、愉快に過ごさせてもらった。

メニューを見ると焼き鳥屋と言うより鶏料理屋だと思うが、なかなかユニークな品物が並んでいる。あれこれ注文してすっかり堪能した。一つ残念だったのは、ごはんものの中に発見した「伊勢うどん」を注文し忘れたことだ。多分、これは例のお伊勢参りで有名な伊勢うどんだと思う。それを、居酒屋の締めで出す、それも板橋区で出すというのがなんとも素晴らしい。
そして伊勢うどんの隣には「ハムカツバーガー」が並んでいる。実にシュールな光景ではないか。よくよく見るとハムカツバーガーの反対側の隣には、茶亀麺なるなんとも奇妙なものが載っている。
どちらも試してみたい。これは、ソロで再訪決定だな。ただ、一人昼飲みは時間を調整しないと、悲惨な目に遭いそうな気もするので要検討だ。

チューリップの唐揚げが名物らしいのだが、それ以外の定番商品がどれもこれもうまいもので、ついつい品数が増える。池袋西口周辺もディープだったが、大山も負けずにディープな場所だった。恐るべし、板橋区。

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The last night, PARCO

2月29日で閉店したパルコの最終を見届けにいった。店内にはほとんど商品がないのに、大量の客がゾロゾロと歩いている。もはや買い物をする気はないのがわかる。ただただ、なくなるものを惜しんで歩き回っているのだ。祭りの後の寂しさみたいなものだろう。

バブルな時代が始まる時期の開店だった。二つの建物をつなぐ空中回廊がおしゃれだった。その下の自由通路はトレンディードラマ(もはや死語だな)のロケにも使われていた。元気な昭和の最後の頃、パルコが文化の発信拠点を自負していた頃だ。

閉店直前には写真を撮るものが溢れていた。ちょっと異様な喧騒状態だった。所沢は西武鉄道、国土計画グループの本拠地であり、西武流通グループ(セゾン)がまだ元気だった頃、企業城下町として集中的に開発が進んだ。所沢駅前には西武百貨店、そして西武新宿線、池袋線の両方で所沢駅から二駅ほど離れたベッドタウンに日本一巨大な西友とパルコが配置された。パルコも最盛期には年商200億円近くあったようだ。
パルコ開店の年に生まれた子供が今では40歳の中高年になっているのだから、やはりこの地域のランドマークとして定着していたのは間違いない。

その閉店騒動があった翌日の朝、ごった返していた人影はあるはずもなく、朝イチで始まった撤去工事の最初はPARCOの文字看板を外すことだった。建物はそのまま健在だし、覆い壁も設置前だから今にも開店しそうな気がする。

ただ、自由通路は障壁で塞がれていた。店内では撤去作業をするテナント従業員の姿も見える。それをみて初めて、ああ、本当に閉まってしまったのだなと思った。諸行無常、万物流転。気分はすっかり琵琶法師になってしまった。

歩いて行けるパルコには本屋と電気屋とCDショップが入っていた。それがなくなってしまう。買い物がとても面倒くさくなる。いや、もう趣味の買い物は全部Amazonでいいかという気もする。これがパルコ閉店の理由だったのだと改めて気がついた。

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ザギンで天丼

銀座のど真ん中、和光の向かいにある小路に一軒の天ぷら屋がある。外見を見るとスタンドバーか小洒落たカフェっぽい。が、なんとこれが天ぷらの老舗が出している実験店?だった。実験店と書いてみたが、実際には業態拡大のパイロット店舗みたいなものではないか。
たとえば、鳥唐揚げの全国チェーンがとり天の店を出しましたというようなものだ。そういえば、昔マクドナルドも三角サンドイッチの店を出していた時、こんなふうな見栄えの店だったように記憶している。なぜ、マクドナルドがサンドイッチを売るのだという質問に、野菜を使ったヘルシー……………みたいなことを社長さんが答えていた。今はすでに消滅したブランドだ。
外食をやる連中は皆同じようなことを考えてしまうと笑ったものだ。この天ぷらの老舗も、おそらくは次世代のコンセプトを手探りで検証中ということなのか。しかし、天ぷら屋が天丼の店を作るのはわかるが、その中に豚骨ラーメンを加えるのは「???」でしかない。正直にいえば、開発者に尋ねてみたい。なぜ、らーめん? と………

店内に入ると天ぷらを揚げる独特の匂いはするが、とんこつラーメン店で感じる、あの特殊な匂いは全くしない。おそらくスープの仕込みは別のところで行なっているのだろう。
ラーメンと天丼のセットを注文した。天丼は間違い無くハイレベルで満足するべき品質だ。素直に美味いと思う。ボリュームという点では、ご飯が少なめかもしれない。が、ラーメンとセットであればこれで十分だ。たまに食べる天丼は、実に蠱惑的な食べ物だと再認識する。
ラーメンは、これが豚骨スープかと思わせるほど淡麗、スッキリ系のスープだった。塩味も控えめ、ラーメン単体として食べると物足りない感もするが、これが天丼と合わさると意味のある味付けになる。天丼の油を流し出すようなスープと言えば良いのだろうか。確かに天丼に赤だしの味噌汁は似合わない。丼とセットで販売されることが多い豚汁は、天丼とは調和し難いし論外だろう。だとすれば吸い物系かというと、これもまた天ぷらとの相性が良いとも思えない。
食べてみてよくわかるが、スープは天丼に合わせて設計されていると思う。メニューでは単品ラーメンも注文できるが、このラーメン単独ではやはり味が物足りないということになりそうだ。
カウンター席だけで十五人ほどが入る小ぶりな店だったが、土地柄のせいか外国人客が半分以上で、日本人はいささか肩身が狭い。銀座で日本人が邪魔者扱い(笑)される時代が戻ってくるとは。
ニューヨークで食べるラーメンは20ドルを超えているそうだから、銀座の天丼ラーメンセットは、その半分以下の値段になる。外国人観光客が押し寄せてくるわけだ。開発途上国レベルに落ちぶれた「日本の落日」を象徴するような銀座の光景であります。

街を歩く

バイバイ 埼玉な映画館で

自宅近くにあった(歩いて行ける)映画館が閉まった。最終日まで、このさいたまラブな映画は上映されていた。なんとなくこの映画を見てしまうと、映画館の閉館を認めてしまうような気がして、最終日まで見るのを我慢していた。
楽しく見終わった。いつもであれば空席が目立つ平日の午後だったが、満席だった。エンドロールが終わると、いきなり拍手の音が大きくなった。ちょっと涙が出そうになった。

元々のお話、コミック版原作は可愛げのないキャラたちのボーイズラブなお話だが、まあ原作を好き勝手にいじり回して、残っているのはさいたま自虐ギャグだけという感じなのだが、原作者も笑って許しているようで、実にお気楽に楽しめる。まあ、滋賀県と埼玉県の繋がりは、大都市周辺にありながら差別を受ける言われなき地方同士の共感ということらしい。それもまた納得できるが、今回は千葉が裏切り者扱いになっていて、そこにおかしみがある。千葉と同じ扱いを受けているのが和歌山だから、地域差別?が存在するという基本構造は東西で同じということだ。港区がなんじゃ、神戸や京都と威張るなやー、という映画だ。

おそらく最近の規制が厳しいテレビではできない作品だっただろう。ネット系独自制作作品でも、この手のディストピア型のお話は、良い子が見てはいけませんという扱いになるのでなかなか実現が難しい。差別の存在を認めた上で、差別している層を嘲笑うという高等技なのだがなあ。
最近はアニメなどでも暴力シーンで出血することがなくなってきた。悪キャラは斬られるとキラキラしながらチリになり消滅してしまう。性と暴力は、ハリウッドをはじめとした映画業界からすでに放逐されている。東映任侠映画のリアリズムはもはや遠い過去のものになってしまった。
最近のジェンダー関連の話題を考えると、男女の「性」をエンタメで扱うのはもはや不可能だろう。その捌け口がBLや百合になっているような気もする。だから、この作品は地域差別をネタに差別するものたちを晒しものにする喜劇として成立している。流石にさいたまネタをドキュメンタリーにすると重すぎるだろうし。
時代が経てば、非常に貴重な「The last movie」的作品として語られるようになる、そんな気がする。
BLを基本設定におき、笑いの粉を振りかけた地方と都市の格差を、さらに上位視点から俯瞰している。差別するものが一番バカだと、ニンマリ笑っている存在は、原作者なのか、映画製作者なのか。まあ、自虐ネタで笑い転げている埼玉県民の姿を見れば、諧謔こそ社会の潤滑油だと思い知らされる。「ああ、これはあるある。まさに俺達がやっていることだ。」というのが、埼玉県人の本音だろう。屈折したユーモアはいつも心の中の毒を気づかせるが、その解消にも役立つものだ。

最終日に出かけた見たら、そこにはご当地狭山丘陵の主人「巨大猫型ばけもの?」がお出迎えしてくれた。やはり、メイとさつきを見送ったように、この映画館の最後を見送ってくれるということなのか。

Last day in シネパーク お出迎えはかのキャラだった

この映画館で観た映画はいったい何本あっただろう。開店から40年間と言われると、100本くらいは見たような気もするが。館内に貼られていた旧作のポスターをゆっくり眺めていたら、名前は覚えていても見ていない芸画がずいぶんたくさんあった。今ではレンタルで手軽に見ることもできるが、やはり映画は映画館で観たいなあ。これが郷愁というものなのだろうか。40年間、お世話になりました。

街を歩く, 食べ物レポート

洋食屋 万歳

すごい大盛りで、とてもシンプルな外見

最近はオムライスを食べることが多い。たまたまで歩いた場所で、たまたま洋食屋を見つけるからなのだが、どこに行ってもオムライスはうまい食べ物だと思っていた。ただ、比較的続けてオムライスを食していると、まだ食べた記憶に残っているせいで味の違いがわかる。ケチャップライスの微妙な味付けの差が大きい要素だが、意外と卵の暑さというか焼き加減にも左右される。フワトロ・デミグラソースという平成以降主流のオムライスは食さないのでよくわからないが、昭和レトロなケチャップオムライスにはそれなりの言い分がある。
ちなみに、この店のオムライスは薄味だった。個人的にはもう少しチキン多め、味付け濃いめが好みなのだ。ただし、卵の上にかかるケチャップは大盛りなので満足感がある。飯の盛りもたっぷりで、普通盛りなのに大盛り的サイズになっている。完食するのがきついレベルだった。

メニューは洋食系の定番がてんこ盛りに並んでいる。もしもう少しお腹に余裕があったらハンバーグは食べたかった。みんちカツと書いてあるものは、おそらくメンチカツなのだろうが、それはぜひ食べてみたかった。しかし一番心残りなのはスコッチエッグだ。これがメニューにある店は、それだけで3回通う価値があると思っている。ビフカツも西国では当たり前だが、お江戸界隈ではあまり目にしない名品だ。
実に魅力的な店だが、また訪れる機会はあるのだろうか。旅先の食堂は一期一会だからなあ。

ほぼ女性客で占められる盛りの良い洋食屋という存在は、やはり街のお宝だろうなと思う。世の男性が好むボリューム重視な定食屋と対極をなす「おしゃれだけど腹一杯になる」洋食屋とは、地域の文化度合いを示すものだ。
しかし、なぜお江戸ではこのコンセプトの店がないのだろうか。浅草で人気の洋食屋は、これに近いところもあるが値段と量が全然違う。ファミレスの普及が何かの要因だった可能性はある。もう少し、西国の洋食屋を調査してみなければと食い意地優先で考えております。

街を歩く

二度目のチャレンジ

夜には入れなかった(訳あっって入らなかった)ラーメン屋も一夜開ければ行列も消えスルッと入れそうだった。あまり空腹ではなかったが、これはチャンスだと思い早めに昼飯を食べることにした。
店に入りラーメンが出てきた時には、またかなり長い行列ができていたので、たまたまの幸運だったようだ。

一目でわかる「濃い味」だった

見た目は激しく濃い。食べたら、やはり激しく濃かった。これに卵を入れて食べるとちょうどよくなるのではと思う、コッテリ濃厚味だった。今では全国のラーメン屋がこの系統に揃ってきているが、徳島が先駆者だったのだなと改めて思う。

ご当地ラーメンが進化した末に全国標準になるというのは、なかなかに素晴らしいことだ。支那そばと言われていた昭和初期のラーメンから(実際に食べたことはないが)現在のラーメンまで、その幅はあまりに広くかけ離れている。もはや同じ「ラーメン」という名で呼ぶのは間違いかもしれない。その分だけ、あちこちで独自ラーメンを楽しめる余地もあると考えるべきだろうか。ただ、名古屋の台湾ラーメンは地平線を超えた場所に届いたようにも思える。あれが、ラーメンだろうかと。

同じ国民食と呼ばれるカレーも似たようなところがある。日本におけるカレーのルーツは帝国海軍にあるらしいが、もはや海軍カレーの名を留めるるのは地方(旧軍港)都市で町おこしメニューになっているくらいのものだ。
個人的にはカレーの最終進化系?としてダムカレーを愛好しているが、立ち食い蕎麦屋のカツカレーのチープさも好ましい。やはり国民食として親しまれるものは、ありとあらゆるバリエーションが許されるのだろう。ラーメンに関しても、ご当地ラーメン的な変化は大好物だ。
次にご当地変化球ラーメンを楽しめるのは、淡路島の向こう側にある山陽本線周辺になりそうだ。関西圏のラーメンはもともと変化球多発地帯らしく、ユニークなものが多い。だから、ちょっと楽しみなのだなあ。

まず最初に試すのは姫路駅か。