街を歩く

コロナの落とし子

これは本当に有効だったのか ただ、コロナ以外の一般的な衛生常識として啓蒙するつもりであれば、それは素晴らしいと言わざるを得ないが、単純にアップデートをサボっているだけのような

立川に久しぶりに行った。いつもは車で行くので駅前の商業施設に立ち寄ることはない。立飛にある外資系家具店やアウトレットで大体用事は済んでしまう。
JR立川駅を降りてペデストリアンデッキが縦横無尽に張り巡らされているのにびっくりした。立川は何だかすごい街になったのだ。
人口50万人程度の地方都市、県庁所在地よりはるかに活気がある。立川は中央線で吉祥寺と八王子に挟まれた中途半端な街だという記憶しかなかったが、駅前再開発の規模が違う。ちなみに、駅の反対側は何やら怪しげなディープ・ゾーンに変化しているので、立川駅では東西ゾーンを別々に楽しむことができる。

さて、その立川のショッピングモールに入ってトイレを使用した。何とコロナの時の怪しい注意書きがまだ貼ってある。コロナの主たる感染要因は飛沫感染と名付けられた空気感染だったはずだ。排泄物からウイルスが飛散するというのは正しい情報だったのか?
コロナの3年間で色々な医療従事者が、あるいは医療のど素人が怪しい説を唱え、おまけにそれをメディアが煽り「誤った常識」を刷り込んでいた。あのコロナの女王は今頃何をしているのだろう。
それが、コロナが落ち着いてから誤情報の訂正をしないまま、いわゆるデマ、嘘、インチキが今でもそのまま残っている。トイレにあったドライヤーも手を乾燥させる時にウイルスを撒き散らすみたいな変な理屈で使用禁止にされたが、その後、ドライヤー業界が正式にドライヤーの使用は問題がないという旨の発表をしたにも関わらず、駅や商業施設のドライヤーはずっと封鎖されたままだった。

集団免疫なる怪しい言葉も暴走していた。全国民の何割かが感染すればコロナ耐性がつくみたいな話だったが、これまでのコロナ罹患者累計数を統計的に処理して分析したものはいるのか。そもそも統計を弄び危機を煽った医療関係者、学識経験者は何の反省もしていないのではないか。

コロナ恐怖で視聴率を稼いでいた朝の番組(テレ朝系)は、一度しっかりした分析をして上で自分たちが虚報に近い情報操作をした可能性を反省し総括して欲しいものだ。まあ、やるはずもないか。社内事件ですら隠蔽するテレ朝だからなあ。親会社は謝罪記事でも自分たちの正当性を叫び開き直る新聞社だし。

ちなみに最近では大型商業施設、店舗入口の消毒用アルコールも撤去が進む。どうせ、社内で無駄なコストをカットしろという勢力がいて、安全安心は後回しにしても良いと思っているのだろうと邪推している。

街を歩く

春一番の闇

札幌郊外のベッドタウンというべき街にプロ野球のホームスタジアムができて一年がたった。週末のデイゲーム開催日には、この駅構内に溢れる人で通行が難しくなり、電車に乗り遅れそうになる。ただ、試合のない平日の夕方となれば人通りもめっきり少なくなり夜8時を過ぎれば駅構内には柵が巡らされ、24時間営業を標榜するコンビニも閉店する。この会社は加盟店と営業時間でよく揉めているので、電車が運行している時間は店を開けていろよと言いたい。

ちょっと特別感のある味噌ラーメン

その駅近くに一軒のラーメン屋がある。昼には席待ちの客がいるくらいの人気店だ。駅から歩いて行ける距離にあるほぼ唯一の飲食店というか、ラーメン店と言っても良い。実は数万人の観客を集めるスタジアムがある拠点駅ですら飲食店が営業できないほど、北海道の街は体力がなくなっている。
原因は明らかで、公共交通機関を使って移動する人数が足りないのだ。朝夕の通勤時にはそれなりに利用者がいる。ただし半分は学生、それも高校生が多い。成人すると、皆自動車を使った移動が中心になる。当然、食事をしに行くにも車移動で駐車場があるところを選ぶ。
これが、人口200万人を超える政令都市周辺で起きていることだ。日本全体で考えれば、鉄道不要論がもっと前面に出てきても不思議ではない。
確かに感覚的には、国内旅行をする時でも交通手段はレンタカーと考えるようになった。最近、あえてバスや地方鉄道を使った旅をしようと各地の時刻表を調べてみると、運行本数が驚くほど少ない。実用的に使えるとは言えない。ほとんどアメリカで旅行している気分になるのだ。
お江戸周辺で暮らしていると、その辺りの交通事情みたいなものが感覚的に鈍っている。だから、旅先で飯の場所にやたら困ったりもする。駅前に食堂がない場所が多くなっているからだ。

ただ、車で移動しているとどうしてもできないことがある。それは一杯のラーメンを食べながらチビチビとビールを飲むという悪徳だ。ぐびぐび飲むのではない、チビチビだ。ラーメンを啜り、次にビールを一口。そしてスープを飲んで、またビールをちびり。見るだけで「オヤジーな風景」だが。

野球を見にくる観客は、駐車場が不足しているので渋々JRを使うらしい。昨年は初年度ということもあり我慢していたようだが、今年からは不満が一気に吹き出しそうだ。個人的には、みんなJRとシャトルバスを使って、行き帰りには地元の食堂で一杯やってほしいと思うのだが、そもそもその受け皿の食堂がないのだよね。北広島市の政策は、何ともチグハグなのだな。

街を歩く

美唄焼き鳥

ひさしぶりに美唄焼き鳥の店に入った。多分、3年ぶりくらいだろう。最後に入ったのはコロナの自粛直前で、店内には客がほとんどいないという感じだった。
それが、今回は「予約はおありですか」と最近よく聞かれるフレーズで、まず入店を防御される。予約なしの客は入れないぞという意思が強く見える。
そこでこちらも、予約なしで二人だけど……………と押してみる。帰ってくる返事はカウンターで良ければという強気なものだ。客がいなければ「お好きな席にどうぞ」と言っていたものだ。今ではテーブル席が空いていてもカウンター席を押し付ける。この辺りの、客の入り状況に合わせて接客応対を変えるというのが、嫌われる飲食業の原因だろう。少なくとも客の足元を見た対応をするのは、よく通ってくる客ほど見抜くものだ。
ちなみに、この美唄焼き鳥の店だけがそういう下手な対応をするわけではない。少なくとも、札幌圏全体ではどの店に行っても似たようなものだ。コロナ前後で比較して、明らかに接客応対の技術が低下している。やる気も……………落ちているらしい。


お江戸でも老舗と言われる店の一部を除けば、似たようなものだから仕方がないと諦めるしかない。だらしない対応しかできない店が増えたのは、優秀な店長や店舗スタッフを、コロナの時に切り捨てた経営者の責任というしかない。飲食業、外食業の経営者は記憶力に重大な欠陥があるらしく、苦境の時に学んだことをすぐに忘れる。おそらく脳内メモリーが2kくらいしかないのだ。

さて、最初に頼んだのはラーメンサラダた。北海道ではもはや居酒屋の絶対定番と言って良いが、いまだにラーメンサラダと野菜たっぷり冷やし中華の違いがわからない。この皿ではラーメンの麺が野菜の下に完全に隠れているというステルスバージョンだった。見た目では野菜サラダというのは、盛り付けとしてどうだろう?
ちなみにラーメンサラダはビビンパのように、上下をぐしゃぐしゃに混ぜて食べるものだと思うので、こういう平皿よりはサラダボウルのような混ぜやすい容器にしてもらえるとすごく嬉しい。

美唄焼き鳥は鳥を捌いた部位、内臓肉も併せて一つの串にミックスしてさしてある。一口ごとに味が違うといえば良いのだろうか。開店前の串打ち作業を効率化(サボりやすくした)したという点で画期的だ。
よく焼き鳥屋で盛り合わせの皿を注文して、それを串からハズしてバラバラにして食べるという方がいる。食べ方は人それぞれなので強制はしないが、違和感を感じることもある。つまり、バラしてしまうと「嫌いなパーツ」が混じり込んでしまうことだ。例えばレバーやモツは嫌いという人は、相当注意して各ピースを確かめなければならない。色々なものを少しずつ食べたいというニーズもあるのだろうが、この辺りは居酒屋の使い方みたいな定番ルールがあるわけでもなく、何とも難しい。似たような居酒屋あるあるをあげると、鍋奉行、焼肉奉行のような料理を仕切る人たちのこだわりだろう。鍋奉行Aと鍋奉行Bがたまたま同じ席にいたりすると、仕事の関係も含めた暗闘が始まる。居酒屋のメニュー選択は、時には争いを生み出す「武器」にもなる。気おつけましょう。


ちなみに、仕事で会食をするときは、そう言った面倒臭い問題が発生しないように、絶対的に「コース料理」、それもシェアしないものにする。だから、仕事飯で鍋料理など論外だ。どうしてもということであれば一人前仕たて鍋にしてもらう。

そう言った面倒臭い考えをしなくて済むのが美唄焼き鳥だ。理屈から言えばどの串を食べても違う味だし、シェアする必要もない。
金曜の夜の焼き鳥屋は大繁盛だった。コロナの時の厳しさを知っている従業員もいないだろうし(大半が首斬りになったハズだ)、またバブルの時のように横暴な接客が横行する時代が来たらしい。バブルの時期は飯を食べに行くと不快な思いをすることが多く、一時期は弁当を愛用していた。そんな、気が萎える嫌な時代がまたくるらしい。そこまではあと一息か。やれやれ。

街を歩く

桜と野菜炒め

桜の季節になると、晴れた日であれば2kmほど散歩して大きな公園に桜を見に行く。昔はビールを買って花見酒などと洒落込んでいたが、ここ最近はノンアルでふらふらと歩き回るのが良いと思うようになった。
お天気が良ければ、そんな桜散歩を何日か続けることができる。朝に行ったり夕方に行ったり、時間を変えれば光の差し方、光線の具合が変わるので、何度でも桜を楽しめる。ひらひらと舞い散る桜吹雪の中を歩くのも、これまた別の楽しみだ。

うまいのだが 春っぽいかと言われると

そして、その桜の季節に、春らしさをほとんど感じさせないのが「我が愛しの満洲」の凄さだろう。青菜と卵の炒め物は、ここ数年続く春先の季節商品だ。確かに青菜は早春に旬を迎えるものも多い。が、春をイメージするにはどうなんだろうねと思う。
最近では満洲の味付けがどんどん薄味になってきているので、野菜の味ははっきりわかるが、これは行き過ぎると家庭料理と違いがなくなるのではないか? 強い火で一気に煽るという「料理屋の中華料理」の顔が見えにくくなってしまうのが気にかかる。たっぷりのキクラゲは、個人的に嬉しい。厚めのにんじんも好みだ。ただ、これはクックドゥで作る野菜炒めとの差が……………

安定の味の味噌ラーメンと思っていたら、今回は味が薄い。いや、調理がブレたというより味付けを薄く変えたのかもしれない。確かに満州の客層は、平日を見るとすっかり高齢者施設になっている。独居老人が昼に集まる場所と言われても不思議ではないくらいだ。それに対応したメニュー変化・レシピー調整だとすれば……………

初めの頃はほとんど注文する客がいなかった「白飯・玄米」選択の玄米指定だが、最近では玄米を頼む客が目立つ。おまけに炒飯を玄米で頼んでいたりする。それを耳にすると、玄米の炒飯とはどんな味になるのか、などと気になってしまう。
何だか満洲は「餃子屋」から違う世界に飛び立とうとしている気がする、今日この頃。

街を歩く, 食べ物レポート

春のちゃんぽん

世間では大型連休の真っ最中だが、我が人生ではもはや週末、連休とは外出を避け(混雑しているので)家で大人しくしているものとなった。だから、全くウキウキしない。逆に早く終わってくれないかなあなどと思うようになった。人生も時期によって過ごし方は変わるものだとおもいしらされる。

多すぎると、ありがた迷惑的になってしまうコーン・マシマシ

さて、ちゃんぽんの全国チェーン店に、たまたま続けて行くハメになった。どちらもフードコートの店で、ラーメンを食べようとしたらラーメン店がなくなていたり、凄まじい行列ができていたせいだ。
これを業界用語(笑)ではセカンド・チャンスという。例えばフードコートで大人気のラーメン店(他の業態でも良い)があり、そこでは待ち時間が30分かかるとする。すると、そこに「待たずにすぐ買えるラーメン店」を出店すると、まさに漁夫の利を得て、そこそこ繁盛するというものだ。超繁盛店のおこぼれをもらうコバンザメ商法と言って良いかもしれない。今回のちゃんぽんは、まさにそう言った利用動機で食べることになった。何が何でもちゃんぽんが食べたいという、エッセンシャルなモチベーションが(ちょっと偉そうにカタカナ連ねてみました)存在したわけではない。


個人的にはちゃんぽんが好きだし、このチェーン店もよく利用している。だから商品に文句はない。だが、今回の春向け商品はちょっとすごかった。
たまたま「味噌味ちゃんぽん」を食べたことがなかったので試してみようと注文してみたのだが、従業員が「あと〇〇円で、コーンたっぷりの季節商品になりますよ」とセールストーク。マニュアルに忠実な良い従業員だ。基本的にセールストークは断らないことにしているので、言われるままにコーントッピングの味噌ちゃんぽんに変更した。
そして、手に入れた商品を見て絶句する。ビジュアルが……………凄すぎる、黄色すぎる。おまけに食べてみたら、味噌の味がしない。普通のちゃんぽんと違う味だということはわかるが、何だか思っているものと違う。とんこつラーメン店ではよく起こる現象で、スープと味噌のバランスが取れないことが多いようだ。どちらも主張の強い味噌と豚骨スープがケンカしているというところだろう。
おまけに、コーンが多すぎて食べるたびにコーンの味が混じりこむ。騙されたとまでは行かないが、ちゃんぽん世界の北の果てに飛ばされた、みたいな気分になった。

おそらくこれが、ちゃんぽん界の全国標準

次の機会には、真っ当なオリジナルを注文しようと、ちゃんぽん(並)、何のサイド追加もなしで頼んでみた。食べてみれば、ああ、これぞまさにちゃんぽん的な安心感がある。
ただ、どうもコロナの時期にあれこれと商品改良をしてテイクアウト対応可能にしたせいか、何とも言えない違和感というか微妙な味の違いを感じる。これは物理的な変化というより、情報を入れたせいで味の判断に予断が入っているということかもしれない。たとえばスープの温度は同じであっても、油を変えると舌にまとわりつく感じが変わるので、熱さぬるさの判断が変わってしまうみたいなことだ。炒め油にしても動物油と植物油による味の違いは、そんなところに出てくる。
食べて感じる熱さや温度は物理的に変化がないのだろうが、舌が感じる体感温度みたいなものは異なる。だから、知識や情報が味に影響するというのは、些か悲しいものがあるのだが、それも脳の機能というものだ。職人がフライパンを振る調理法と、専用機械で均一に加熱する自動調理の間には、やはりまだまだ差があるらしい。
それでも機械化された方が、出来上がりのブレが少ない。職人芸に至らない素人もどきが作る素人芸(不味い商品)にぶち当たるよりは機械が作る一定品質の方が数段上だろう。


最近では我ながら呆れるくらいなので、もう少し事前の情報を無視して、単純にうまいまずいで物を食べた方が、人生幸せな気がする。

春の桜を見るたびに、あと何回桜を見ることができるだろうと思い始めたらジジイらしい。(ババアの定義はちょっと違うと思うし、よくわからない)今年の桜を見ながら、うまいちゃんぽんの未来に思いを馳せることになったが、それは残りの人生の過ごし方としてあまり面白いものではないような気が……………

街を歩く

山菜そばとトースト

ひさしぶりに朝、駅の立ち食い蕎麦屋に入った。この朝の蕎麦を注文するときにはいつも迷う。馴染みの富士そばであればモーニング蕎麦一択だが、駅そばでは場所によって多少アレンジというか「推し」が異なっている。しかも、気がつかないうちにトッピングあり立ち食い蕎麦は五百円時代になっていたのだ。記憶しているきつねそばは350円くらいだから、コロナで外出自粛を強制されているうちに、何と200円ちかく値上がりしていたのだな。政府の支持度合いというか首相の人気度は、立ち食いそばの値段と反比例するらしい。(独断と偏見です)
大衆の一般色である立ち食い蕎麦や牛丼の値段が安定している時は、なんだかんだ言いながら政権の支持率は高止まりする。安倍政権が長持ちしたのは、この物価に対する肌感覚が良かったせいだろう。それでも消費税を上げて、いったんズタボロになった。現政権は、この肌感覚がない。きっと重症な皮膚病にかかっている。不人気なはずだ。まさに政権交代のチャンスなのに、野党も含めみんなダメダメらしい。政治屋が劣化したときは、必ず革命が起こるものだ。維新などと名乗るエセ革命派は論外だが、動乱の季節は近いような気がする。それを立ち食いそばから嗅ぎ分けるのは、至難の業だが(笑)

別の日に大手ファミレスチェーンで朝飯を食べた。トーストにゆで卵というシンプルの極みだが、なぜか朝にトーストを食べると胃もたれするという厄介な体質なので、バターなどは使わない。いちごジャムを薄く塗ってたべる。このトーストと茹で卵とコーヒーのセットは、とても長らく380円だった。感覚的には20年以上変わらない、物価の優等生だった。
それが何と500円を超えていた。値上がりをするのに文句をつけるほど常識がないつもりはない。ただ、値上がり幅がすごい。増税メガネのやつ……………成敗してくれる。と思うくらいには八つ当たりしたくなる価格だ。
朝から物価問題でヒートアップしてもなあ、と思っていたら連続で「値上げ」にぶち当たりあれこれ腹立たしく思ってしまう。この首相は歴史の教科書に、たった1行だけ書かれるに違いない。

「書き残すべき実績は何もないが、増税めがねと憎しみをこめてののしられた凡人政治屋だった」と。

街を歩く

久しぶりの狸小路散歩

誰でもわかる立体感版

桜の季節にはまだ早い札幌で、外国人観光客が溢れると思っていた狸小路ががら空きだった。どうも、インバウンドな観光客は桜を求めて南下しているらしい。街の中が静かでありがたい。
以前も書いたことだが、札幌駅周辺が新幹線乗り入れのための改良工事と称して大閉店している。昼も夜も飲食店が超満員だ。そこから玉突きで狸小路界隈まで外国人観光客がうろついているのだが、英語メニューなど置きもしない「堅物」店舗も多いので、ちょっと渋めの店だと外国人がいない(入れない)ことも多い。
オーバーツーリズムに関して、現場の意見を拾うメディアは少ないが、店主からは基本的に歓迎勧される。単純に客数が増えるからで客に日本人も外国人も関係ない。払ってくれる金が円である限りだが。
マナーや接客の面倒から、現場の従業員は否定的な意見が多い。要は、面倒臭い客で、たまにキレてくる厄介者が多いからだろう。できることであれば「日本人限定」と張り出したいくらいの肌感覚の従業員も多いようだ。経営者と従業員の意識ギャップを放置して置けるほど、飲食業は人手が足りているとは思えないのだが。
狸小路を歩きながらそんなことを考えていた。たまたまなのか、何とびっくりな立て看板を見つけた。日本人向けではないらしい。日本語は僅少だった。何というか、中途半端な……………
個人的にはこの店には入りたくないぞ。とも思わせる不思議看板だった。

カフェといえば、その近くには最近閉店してしまった老舗のクラシック喫茶、名曲喫茶店があったのだが、音楽系の喫茶店として再興したらしい。名前が何だか微妙な感じもするが。六本木にあるかの有名店と……………関係はないよなあ。以前の名曲喫茶時代の音響システムが残っているのなら、一度行く価値はある。ここは、日本人以外配送もないと思うのだが。

エスニック系食堂といえば良いのか、コロナの間に開いた店が模様替えをしていた。確か最初はタイ料理の店だったような記憶があるが、ベトナム料理の店だったかもしれない。コロナの間は一度も開店しているのをみたことがなかったせいだ。
どうもタイ+ベトナムで再調整するようだ。タイとベトナムは隣同士の国だが、料理は微妙に違っているような気もする。大丈夫だろうかと思うが、そこはエイヤっと乗り越えるのだろうか。東南アジア的エトスで健闘を祈る。ただ、この店はどうみても日本人向けの気がする。

昔アルバイトをしている時に、よくお使いで買い出しに行かされた「市場」だが、当時も市内繁華街では食料品店がなくなっていて、貴重な買い物場所だった。その市場がどんどん変わっていった。肉屋がなくなり、そこが蕎麦屋になり、八百屋が消えた後はおでん屋になる。みたいな変化を続けて、今では個性的な居酒屋、食堂が並ぶ飲み屋横丁に変化してしまった。
ここもコロナの間は死んだふりをしていたようだが、今ではふらっと入るのも難しい人気店になっている。狸小路のあちこちが似たような変化を起こしているが、街が生まれ変わるにはどうやら30年くらいかかるらしい。

確か夏祭りにはライブ演奏ステージになっていた空き地が、ついに正式に「空き地」になったらしい。札幌都心部では珍しいまとまった広さの土地だが、狸小路はすでに大量のホテルが出来上がっているので、この場所がどうなるか興味深い。少し中心部からは外れているので(400mほど)、下北沢の芝居小屋集合体、小さめのライブスペース複合体みたいなものができないかなと思う。

鳴物入りで開いたススキノ角のビル、狸小路駅前通り角のビル、どちらも驚くほどつまらないビル、商業施設になった。どうも、この街の商業施設デザイナーたちはもう少しお勉強が必要なのではないか。
狸小路の活用は、全国的に見ても都心部再生として面白いプロジェクトだと思うのだが。ビルを建てるのではなく、その場所を活用して人を集める、楽しませる空間づくりとしてプロデュースする。そんな感じだろうか。やはり天才が必要なのだろうね。

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三軒 並んで身内合戦

札幌狸小路4丁目、それなりに人通りは多い場所だが、そこに山岡家が三軒並べて店を作った。もともとのオリジナル山岡家は札幌で豚骨ラーメンを広めた立役者で市内の各地に店舗がある。知名度も高い。
その山岡家が、冬の間にゴソゴソと工事をしていた店は隣にある味噌ラーメンの店になった。隣のテナントが空いたから拡張してみました的な、小ぶりな店だった。開店したら行ってみようかと思って工事を見ていたのだが、すでにしっかりと客が入っていた。人気店になったらしい。
ところが、何とその隣にもう一つ違う店が開いていた。煮干しラーメンの山岡家だ。看板もトレードマークの赤地ではない、白黒バージョンだ。確かに、世の中には魚介スープ+豚骨スープのW仕立てラーメン屋は多い。それをやってみたくなったのだろうか。しかし、わざわざ別系統のブランドを立ち上げる必要があるのだろうかとは思う。それも並べて建てるとは……………

この光景はなかなかすごいものがあるなあ。牛飯松屋ととんかつ松屋が並んでいるのはたまに見かける。しかし、この3軒並びというのは吉野家とすき家と松屋が並んでいるのよりインパクトがある。

なんか好きだなあ。次回は、順番に試してみよう。

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歴史的建造物の使い道

旧門司港税関を博物館として再利用していた。この国は先の大戦であちこちの街が焼かれ失われた歴史的建造物は多い。昭和の戦後時代、復興の名の下にやたら安っぽい新築物件を濫造したせいで、そもそも歴史的に存在できるような建物がなくなってしまった。東京駅前にある中央郵便局の建て替え騒動を思い出せは、歴史的建造物を保存しようとすると膨大なエネルギーが必要とされる。政治的なパワーまで発揮しなければ止まらないこともある。
まあ、その逆のケースとして、みんながやめようと言っているオリンピックを強行してクビになる首相もいるし、そのオリンピック施設の恒久利用を約束していた都知事も、維持条件が厳しすぎて追及を受ける羽目になっている。まあ、いくらいじめられても逆ギレするか、🙈こと言いましたっけととぼけるだけだからなんの効果もないのかもしれないが。
同じように、もうやめようと言われると意地になって強行開催しようとする万博推進知事もいるし。東西二大自治体首長が、シンクロしたようにあほまる出しの政策推進をするとは、この国の先が知れる。首相も馬鹿なら知事たちはもっと阿呆なのだ。
馬鹿なイベントやら建物ばかり作るのであれば、せめて歴史的建造物の活用くらいしっかりやってくれと言いたくなるのも無理はないだろう。その稀有なモデルが旧門司港税関ビルだと思う。

建物の中にくどくどとした展示物はほとんどない。屋根まで吹き抜けの空間を楽しむだけの施設だ。これが良い。採光と照明のバランスが考えられているのだろう。おそらく夜に来るとまた違った印象があるはずだ。久しぶりに良いものを見せてもらった。

それでもスポンサーである「税関」のアピールも多少なりとはしたいようで、隅っこの方にこじんまりとした展示があった。官製ゆるキャラもいるに入るのだが、これはどこかでみた記憶が……………いや、官製なのだ。違法コピーというはずがない。他人の空似だろう。ただ、名前がカスタム君とある。税関だからカスタムなのか、税関向けに「カスタム」したせいで、他人の空似状態になったのか?
ちなみに、一気にリアルになってしまうのが押収した不正コピー品(偽ブランドもの)の実物展示で、これはもっと別のところで晒し者にしたほうが良いような気もするが。

街を歩く, 旅をする

まさにレトロなステーション

下関から連絡船で海峡を渡った。船を降りた先に門司駅がある。JR鹿児島本線の始発駅だ。下関まで伸びていた山陽本線から繋がる九州の大幹線がここから始まる。現在のJR新幹線網と高速道路の配置で日本の地理をついつい考えがちだが、実は古代日本から連綿と近代まで続いた幹線道路、幹線経路は今とはずいぶん異なっている。
日本最大の幹線経路は間違いなく瀬戸内海海運で、それに続くのが日本海を北上する北前ルートだろう。現在の東海道も歩いて移動するために使われていたが、物資輸送はもっぱら太平洋沿岸を伝う海上ルートで、これが意外と細いものだった。瀬戸内海雲の拠点である門司下関は海上ルートの一台拠点だったのだから、そこから鉄道が陸路に伸びたのは当然のことだっただろう。
お江戸で言えば東京駅みたいな由緒ただしきターミナル駅だ。

鉄道の起点駅のホームはいつ見ても感じ入ってしまう。海の道につながるターミナル駅としては高松駅も昔は似たような感じがあった。今では随分と変わってしまっているが。青森駅も青函連絡船が通っていた時代は、港と駅のホームが直結する昔ながらの駅だった。
それでも、港直結型駅としてはやはりこの門司港の駅が最も優雅だろう。四国や北海道に渡るのは内国ルートだが、門司や下関は国際港だ。江戸末期に出来上がった、いわば成り上がり者の神戸や横浜とは格が違う。古代日本から続く伝統と栄光の港なのだ。その片鱗が駅のホームにも見られる。

駅舎内は今ではきれいに再整備されてほとんど美術館のようなものだが、みどりの窓口は現役の施設だった。JRグループの中で独立独歩なスタイルを貫くJR九州らしい、自ら観光地を作り上げるという意志が感じられる。
ちなみにJR東は東京、首都圏の通勤客が払う金の再配分、JR西は関西圏の通勤客運賃の再配分では金が足りず、ローカル線を徹底的に縮小の方向。JR四国と北海道は、あとはJRグループ東西に吸収されるのを待つばかりなのだが、どちらの会社も上場企業なので赤字会社の吸収合併には及び腰だし、再建プランも持っていないだろう。JR東海は東海道新幹線の上りで食べているだけだし、本来切り捨てるはずのローカルが少ないので我が道を行ける。

そんなJR各社の経営方針の違い、事業戦略の差は歴然としているのだが、JR九州が一番鉄道事業、つまり本来の運輸事業から離れようとしているように見える。首都圏や関西圏で通勤客用の住宅地供給を主力に路線経営を進めた東急グループや阪急グループと似た、鉄道+不動産業+生活産業による総合収益事業を目指しているように見える。

博多駅や鹿児島中央駅の取り組みを見れば、そのあたりはあきらかだ。おまけに子会社は九州だけでなく東京でも支店(レストラン)を出店して広域営業活動をしている。それも駅の外だ。
東京駅や大阪駅の改装後の姿を見れば、JR九州との違いは明らかだ。鉄オタとしてはその辺りがちょっと嬉しい。ちなみにこれは撮り鉄や乗り鉄から派生した、事業鉄とでもいうべき分野で変わった楽しみ方だろうな。これを楽しむものは極めてレアだと思うけれど。