街を歩く

沖縄 記憶に残る旅

沖縄に久しぶりに行ってあれこれ感じたことがある。仕事できていた時は、仕事の目的地だけを跳んで歩いたせいか、あまり印象に残る土地ではなかった。個人旅行できた時も、観光地を駆け抜ける弾丸旅行だったからやはり記憶が薄い。
今回は街中を歩き回ったせいなのか、かなり記憶に残ることが多かった。秋の終わりの温暖な季節ということもあり、こういう土地でしばらく過ごしてみたいなと思った。那覇空港はどこかホノルル空港に似ているななどと思ったのは、空港を出た瞬間の空気感、匂いのせいだろう。

今回は、乗り鉄の根性を発揮して沖縄唯一の鉄道を端から端まで乗った。この鉄旅が一番印象に残っている。といっても、片道一時間程度だから、旅というにはおこがましいが。

お江戸ではダウンジャケットをきる季節に、半袖のシャツで街歩きをするのも楽しいものだった。気分は街ごとリゾートで、ハワイに行った気分に近い。まあ、日本語が通じるハワイというと言い過ぎかもしれないが。赤い花は記憶に残る。花の記憶が残るなど、人生初めてのことかもしれない。

沖縄の城は琉球石灰岩でできている。加工のしやすさのせいだろう、石が綺麗に整形されて積み上げられている。日本各地に存在する城跡を見ればわかるが、このように整形された石を整然と積み上げるようになったのは、戦国期の終わりから江戸時代初期にかけてのことだ。沖縄に残る城は戦国期のそれよりも技術的に進んでいた。
当時は独立国だった琉球王国の文化遺産であり、独自の様式美がある。無理やり日本の文化の型に当てはめて説明するものでもない。そのあたりも城に併設されている記念館、博物館などで強調しても良さそうなものだが。

アメリカには数多くのハンバーガーチェーンがある。その中のいくつかを試したこともあり、お気に入りのチェーンもあるが、その有名バーガーチェーンの中でA&Wというブランドは実にユニークだ。基本的にチーズバーガーの店なので、濃厚・重厚・ボリューム志向のバーガーが出てくる。大口を開けてあんぐりと食べるバーガーだが、食べる途中で肉汁が垂れてくるのが嬉しい。
ちなみにバンズはアメリカンというか、安っぽいというか、これに文句あるか、嫌なら他に行け的なチープさがある。日本のバーガーチェーンはバンズにこだわって、超高級化しているが、バンズはあくまでバーガーの脇役でしかない。バーガーの主役はバンズに挟まっている肉なのだから、バンズはチープな方がいいと思う。 沖縄らしさとは関わりないかもしれないが、沖縄でしか食べられないアメリカンなファストフードは貴重だ。

豚汁定食も町の定食屋で食べてびっくりした。この強烈な鰹出汁の味噌汁は、もはや並の豚汁を遥かに超えている。これもお江戸界隈で、誰か販売してくれないものだろうか。沖縄そばも鰹出汁だが、これほど強烈ではない。
この沖縄版豚汁に小皿2・3品をつけた定食は、定食チェーンで採用されないのが不思議なくらいだ。この味は現在のラーメン業界における大潮流、「豚骨・魚介系Wスープ」に通じるものがある。野菜たっぷりのスープはもはや副菜ではなく主菜だろう。沖縄でまた食べてみたいものの代表になった。

そもそも料理というのは、出される店によって味が違うのは当たり前だが、それでも沖縄の料理店で出されるジーマミー豆腐のバラエティーは素晴らしい。どこのどれが一番うまいといえないくらいのバリエーションで、どうやら同じ店でも同じ味にならないこともあるようだ。それが楽しい。宝くじを引くようなものであり、ロシアンルーレット的な楽しみ方と言える。ただ罰ゲームではない。やはりご褒美だろう。
中華料理屋の杏仁豆腐も似たような感じがあるが、ジーマミー豆腐の方がなお楽しい。ちなみに、スーパーでも売っているが、こちらはだいぶハズレが多いのは何故だろう。

ライトアップされたもみの木ではなく椰子の木というのも、南国的なクリスマス感があるなあ。この人工的な風景は日本特有の文化なのだろうか。トロピカルリゾートの本場、ハワイでは椰子の木のライトアップが実施されているかどうかは知らないのだが、ワイキキは別にして郊外の住宅街に行けばライトアップハウスはありそうだ。

今回は、ずいぶんと沖縄に惹きつけられてしまった。また機会があれば、今までずっと避けていた死ぬほど暑い時期の沖縄に行ってみたい気もする。汗だくになった後のブルーシールアイスクリームは、人生観を変えるほどうまいような気もするのだが。

街を歩く

ちゃんぽんへの想い

20代前半からずっとお世話になっている好物だ たまに浮気もするがいつでもここに戻ってくる

ちゃんぽんの大チェーンであるこのブランドで、ちゃんぽん(普通味)の調理工程をテレビの情報番組で見て感心したことがある。職人の手作業を排除することで味の平準化を果たし、温度のばらつきを排除した上で、調理時間短縮も達成するというストーリーだった。
同じ業界に働く身としては実に感銘を受けるお話だったが、一般人からすると機械化された料理はどうも感覚的に味気ない、ついて行けない気がするらしい。ただ、冷凍食品をレンジで加熱することが「料理」と認識される現代の常識からすると、このちゃんぽん製造システムは少なくとも家庭ではできないはるかに高度な調理形態とも考えられる。

専用調理器具の開発もさることながら、原材料の標準化(大きさやカット形状に至る)まで突き進む必要がある。おまけにこのブランドでは全ての原材料を国産化するという快挙まで成し遂げている。コロナの後に何度か値上げをしたようで、今ではあまりお買い得な価格とは言えないが、それでも麺業界の中では破壊的な価格設定をしているとも思う。
ちょっとだけ文句をつけたいのは、新商品の投入の仕方がまるっきりハンバーガー屋と同じになって染まったことだ。
新商品=高単価商品=客単価増をねらうという図式は、ある意味業界標準となったやり口だが、実はこれは危うい罠なのだ。表面張力で目一杯盛り上がったコップの水が最後の一滴で溢れ出すように、10円刻みで値上げしたとしても最後の10円がどこになるのかは失敗しなければ気が付かない。「まだ行ける」と思い込むのはマーケティング担当者のわがままでしかない。そして、最後の一滴で溢れ出した水、つまり客数は当分戻ってこない。ダメージ度合いにもよるが、長い時には年単位で客数回復が遅れる。(そして、だいたい社長が首になる)

そうなると、値頃感を再度探るために値引き、低価格価格商品投入、バリューセット開始となる。この業界、真似をするのも簡単だから(笑)「きせつげんてい、誰もが同じ失敗を繰り返すことになる。バーガーの失敗はちゃんぽんでは起きない、起こさないと思うのだろう。他者の事例は十分に学習したと言い張るかもしれない。まあ、一年後の結果を見ればわかることだが。
コロナの後の強烈な値上げ、インフレの中で外食企業のほとんどがこの罠にどっぷりハマっている。好調だったバーガー企業、鶏唐揚げ企業はすでに罠に嵌った後の修正作業に入っているというのになあ。

好物のちゃんぽんが1000円の壁を越えたら、おそらく年に一度くらいしか食べなくなると思うのだ。普通のちゃんぽんより200円も高い「季節限定 変わりちゃんぽん」には手を出す気にもなれない。
どうやら日本の外食企業も米国風のマーケティング施策を取るようになり、人事も米国風に「失敗したらクビ」という時代になったようだ。ただ米国風マーケティングをすると、前職の失敗を転職先でも同じように繰り返す、結構業界的には迷惑な人材を生み出してしまうのだよね。これもあまり知られていない業界あるあるだ。まあ、自戒の意味も込めて……………

こんなことを考えながら食べるちゃんぽんはちょっとウェットでぬるい感じがしてしまう。

街を歩く

名物店の味噌ラーメンで思うこと

安定の味噌ラーメン

ラーメンの街札幌というと、札幌はラーメンだけではないとか、ラーメンの街といえば旭川だとか、あれこれ反論が返ってきそうだ。ただ、50年以上続く老舗も生き残りつつ新興勢力が攻防を繰り返している新陳代謝の激しい街だとは思う。まあ、札幌で新陳代謝というか、開店閉店が多い業態はラーメンだけに限らないが。


北海道はケーキの主原料である、小麦粉、砂糖、牛乳、バター、チーズの主産地であり、ケーキ屋も多い。和菓子でもあずきを含む豆製品、米粉なども全国屈指の生産量なので、和洋菓子合わせての激戦区だ。
前職の上司に北海道で菓子の研究をすると言ったら鼻で笑われた。菓子といえば東京だという。ヘイヘイと文句も言わずに引き下がったが、原材料の供給地も知らず品質に至っては知識もなく、おまけに大多数の有名パティシエは東京生まれでもなければ、東京育ちでもなく、修行先はヨーロッパの各地だったりする。修行を終えたパティシエが地元に狩る時代でもある。原材料調達の理を考えると、北海道に安くて美味い洋菓子・和菓子店があるのは当たり前なのだ。まあ、菓子店の後継が東京で修行をしているということもあるから、東京を悪様に言うつもりもない。
ちなみに、札幌市近郊を含めた有名パティシエの店で売っている商品は、東京の著名店と遜色はないが価格は半分程度(個人的感覚ですが)であり、神戸と並ぶ二大洋菓子都市ではないかと思っている。


東京は菓子市場として大きいが、そこにいるのはたくさんの「客」でしかない。お江戸に老舗羊羹屋は京都から引っ越してきたから、東京では古手だが京都の屈指たる老舗の中に入れば並の歴史だろう。
菓子といえば東京だという、まさに東京というブランドに振り回された浅薄な理屈でしかないと、暗い薄ら笑いを浮かべたものだ。どうも地方から東京に出てきた成功者は二通りに分かれるようだ。一つは故郷を含めた地方を切り捨て東京礼賛するもの。もう一つは東京を罵り地方を信奉するもの。どちらもどっちだと思う。それぞれの土地に誇るべき名物・名産品があり、それは何処かと比べて相対的に良いとか美味いとか言い立てても仕方がない。うまさや好み、嗜好はそれを手にしたものの絶対評価で良いのだと思う。
お江戸至上主義は京都至上主義とぶつかった時に正邪をつけたがる。(その反対も成立するが)
自分と他人の比較をして自分が正しいと信じる性癖こそ人類に備った根源的な欠陥であり罪悪であると思うのだ。全国で展開する企業、ブランドは、その地域の独自性や価値観を消化吸収できる度量が欲しいものなのだが………


まあ、東京モン(それも移住者や移住者の子孫)の鼻持ちならないのは今に始まったことではなく徳川期のお江戸もそうだったから、知ったかぶりの宝庫であり半可通の老舗都市だ。
東京界隈に流れてそのまま住み着いたとしては、この悪癖に染まりたくないものだ。味噌ラーメンを食べながら、そんなことを思っていた。ただ、確かに東京で食べる味噌ラーメンは、換骨奪胎が下手くそななんちゃって味噌ラーメンだからなあ。

東京で食べて美味いと思うのは、九州系豚骨ラーメンをベースに札幌味噌ラーメンのエッセンスを取り込んだ、豚骨味噌ラーメンというハイブリッド商品だ。全国から流れものが押し寄せるカオスな街、東京でこそ生まれる「ハイブリッド」。それを生み出す力こそが、東京の誇るべきものだろう。全国に大都市は数々あるが、そのカオスな力は東京に敵わない。そのうちハイブリッドのハイブリッドが「東京発」として定着する。そんな「東京味噌ラーメン」と元祖味噌ラーメンを食べ比べてみたいものだ。

街を歩く, 食べ物レポート

蕎麦屋のカレーはうまい

蕎麦屋のカレーはうまい、と言うのが個人的な経験に基づく信念だ。当然、たまにはハズレもあるが……… 山形県では蕎麦屋のラーメンがうまい。と言うか、蕎麦屋の看板を上げながら実態はラーメン屋というほどラーメンの売り上げが多い店もあるそうだ。有名な冷たい鶏そばを食べに行った時も、店の中にいる客の半分くらいが蕎麦ではなくラーメンを注文していた。
お江戸の老舗蕎麦屋に行ってカレーを注文することはないが(置いていない店も多い)カレー南蛮は当たり前にメニューに載っている。街の蕎麦屋であれば、間違いなく天丼やカツ丼の隣にカレー丼が並び、そのちょっと横にカレーライスがある。サラリーマン時代にはもりそばと半カレーライスのセットはよく頼んだから、蕎麦屋のカレーは美味いと知っている。
しかし、この高知県西部の町にある蕎麦屋に連れて行かれて、生まれて初めて蕎麦屋で蕎麦以外のものを頼んだ気がする。いや、厳密にいうと蕎麦屋でカレー丼を頼んだことはあるが……………
そもそもこの店は蕎麦屋と言って連れてきてもらったが、店頭でよくみると「うどん屋」っぽい。街中によくある蕎麦もうどんも出す店で、極めて昔懐かしの蕎麦が中心の大衆食堂という感じだ。ただ、高知県は蕎麦よりうどんの方が勢力が強いようで、うどんも出す蕎麦屋ではなく、蕎麦も出すうどん屋のように見受けられた。そして、店内に入って周りの注文を見渡すと、あれまあ、ほとんど定食ではないか。つまりこの店は、うどんも蕎麦も出す大衆定食食堂だったのだ。
となるとカレーは絶対に美味いはず、と確信を込めてカレー、それも奮発してカツカレーにしてみた。

出てきた料理のルックスはまさに想像通りだった。カツも厚過ぎず、肉料理というより衣を食べる料理として完成している。よしよし。
まずはカツの端をカレーにつけて食べてみた。恥の部分は肉が少なくほとんど衣だけに、カレーによく合う。どろっとしたカレーが衣に絡み、やはり想像通りの味だった。蕎麦つゆをベースに使っている甘めのカレーだった。白飯とだけ食べても美味いが、脂のたっぷりなカツの衣と合わせると絶妙な濃厚さを醸し出す。おまけにカレーはあまり辛くない。何度でも食べたくなる出しの効いた味だ。
同行した友人は蕎麦と丼を書き込んでいる。すごい食欲に圧倒されるが、こちらはカツカレーで定量オーバーだから、そばは次回に回すしかない。
ファミレスでも和食っぽいメニューが出されるようになったが、和風で出汁の効いたカレーまでは手が回っていない。だから、こういう大衆食堂っぽい店はもはや天然記念物あるいは文化遺産に指定して食文化財保護の一環としたいくらいだ。

今度また食べるときは、無理を言って福神漬けを大盛りにしてもらおう。目黒の秋刀魚ならぬ須崎のカツカレーは美味いと結論づけることにした。

街を歩く

新宿三丁目の鮨屋

新宿三丁目に足繁く通っていた時期がある。東京最大の歓楽街である新宿歌舞伎町は騒々しすぎてあまり好みではないので、靖国通りを渡ることなくアルタ裏や新宿3丁目の飲み屋を好んでいた。中でもよく通ったのが老舗の鮨屋で、いつの間にか本店は立て直しになっていたが、本店工事中は支店に通っていた。
近くにある末廣亭で落語を聞いた後にぬる燗で一杯………みたいな気分の時に使うのが多かった。お値段もお手軽で飲み屋遣いのできる鮨屋だったが、最近はいささか調子が違う。どうもインバウンド対応に軸足を移したようで、すっかり足が遠のいてしまっていた。この日も入り口手前まで行ったのだが、なんだか入る気にならず、昼飯を握り鮨にしようと決めていたので他の店を探すことにした。

明治通りを新宿駅側に渡り伊勢丹の裏手にあるビルにもう一つのよく通った鮨屋がある。こちらは主に昼飯に使っていた。ランチの時間を少しずらすとのんびりと鮨をつまみにビールを飲むというような使い方だった。いつも一人で来る店で、友人と連れ立って来た記憶はない。
チェーン店の鮨屋の良いところは、誰とも話をせずにのんびりと鮨をつまめることだ。回転寿司は一人で楽しめるが、のんびり時間が過ごせる気はしない。食べたらさっさと出ていくのが流儀だろう。個人店では大将お任せのコースでも頼めば別だが、カウンターでぽつりぽつりと鮨を注文するのは、なんと話に気が引ける。
デパートにある鮨屋も比較的のんびり過ごせそうな気がするが、実はこの手の店は店内の会話がそれなりに騒々しい。隣の席から響いてくる甲高い声の会話には食欲が失せる。

ランチの鮨屋はセットメニューを頼むことが多い。お好みで注文すると、実は出てくるのが遅くなることが多いせいだ。二、三品注文すると、出てくるのがバラバラになることもある。現代資本主義の本分である合理性は伝統食の鮨屋ですら追求される時代だ。ピーク時間帯の回転率勝負であるランチタイムは、職人が分業制でランチメニューの大量生産にはげむ。
カスタマイズ注文する客など客としては論外、嫌なら出て行けくらいの嫌われぶりだろう。(勝手な想像です)
例外として許容される面倒な注文を考えてみた。ウニと鮑と大トロを10連続くらいで注文する客だろうか。某ハリウッド俳優、未来から来たロボット役で人気だった方は、新宿某所の鮨屋で鮑とウニを40貫づつ注文してそれを食べたらさっさと帰ったそうだ。
その話を聞いてから一度この真似をしたいと思い、食べ放題鮨屋でウニを10貫注文したことがある。元気に食べられたのは6貫目までで、そのあとは胃袋に押し込むのが苦行だった。一般ピーポーが著名人の真似をしてはいけないという教訓になった。

この日はセットメニューの鮨をゆっくりつまみ、少しぬるくなったお茶を飲み干して退散した。この歳になって鮨とアルコールは必然のカップルではなくなったのだと初めて気がついた。締めのお茶がうまいと感じるようになったとはなあ。今度は夕方にでも行って注文しながら好きな鮨を注文してみようか。

ちなみに座った両サイドは日本語を解さない国の方達だった。グローバルフードという単語が頭に思い浮かんだ。蛇足だが、松竹梅について英語で説明しているのを聞いて、なんとも間抜けな感じがした。レストラン向けに英語のメニュー説明マニュアル作ったら売れそうだな。
The best recommendation, The better choice, Good meal for you くらいな感じかなあ。

街を歩く

新宿花園神社 酉の市 忘年会の夜に

忘年会に呼ばれることもめっきり少なくなった。こちらの歳のせいもあるが、コロナ明けから忘年会をやる人が減っている気もする。飲みたくない酒を飲まされる忘年会の「怪しいルール」が崩れ去ったせいだろう。良い話だと思う。酒は飲みたいやつだけで飲めば良い。飲みたくないものを巻き込むのは、一種のハラスメントだ。
だから今年の忘年会は3回限り。それもごくごく少人数でのこぢんまりとしたもので終わった。実に良いことだ。第一回目は西新宿の焼き鳥屋で久しぶりの焼き鳥と焼酎の組み合わせだった。ふと気がつくと、周りの客はほとんどが30代くらいで、なんとなく客層が若返った気がする。うるさいオヤジ連中がいなくなったのと、感染症を恐れる高齢者がいなくなったのだと気がついた。おそらくおっちゃんたちは家飲みに転向しているのだと思うが、家族に迷惑をかけていないかと心配にはなる。

店を出て歩き始めたところで、本日は酉の市だと気がつき、なんと西新宿から歌舞伎町の端まで大遠足をすることになったのだが、区役所通りから先の歩道が恐ろしいほどの大渋滞を起こしている。金曜の夜という条件も重なっているのだろう。やたらと若い衆が多い。
酉の市は宗教的行事というより、庶民のイベントという色彩が強いから若い世代が集まってくるのは不思議ではないが、それにしてもこれほどの混雑を見たのは初めてだ。歩きながら缶入りのアルコール飲料を飲んでいるものも多い。お祭りに御神酒はつきものだが、飲み歩きというのはちょっとどうかなとも思う。なんだか渋谷のハロウィーン大集合と同等の扱いにされてしまったのかもしれない。

行った時間も遅かったせいで、熊手もほとんど売り切れていた。験をかついで熊手を求める人、商売人はもっと早い時間にお参りに来るのだろう。
こんな混雑している時に足を向けたのが間違いだったと後悔したが、この辺りにたどり着くまで一時間ほどかかっている。神社のお参りに並ぶといいうのもすごいことだが、明治神宮の初詣みたいなものか。結局、這々の体で逃げ出した。

花園神社の裏手には新宿ゴールデン街があり、こちらも人で溢れていた。ただ、歩いているものの大多数が日本語を話さない観光客で、実に不思議な感じがする。ゴールデン街の飲み屋はどこも小さく狭い。カウンターだけの店も多く、カウンター内の従業員と会話を楽しむというのが、この町の楽しみ方であり、ある種独特なお作法だと思う。だが、日本語が不自由では会話の楽しみが成立するのだろうか。カタコトの日本語や英語、身振り手振りで楽しむということなのか。それはそれで新しいゴールデン街の作法なのかもしれない。楽しく過ごして金さえ払えば誰でもお客さん、でいいのだろう。まさかゴールデン街が世界文化遺産として継承される……………そんなことあるわけないし。

そういえば神社の参詣客にも少なからず外国人観光客が混じっていた。明らかにイスラーム系な団体も見受けたのだが、確か砂漠の一神教では、唯一神以外の神を認めないのではなかったか。では、神社に何をしにきたのだろうとあれこれ不思議に思う新宿歌舞伎町の夜だった。

街を歩く

ミュンヘン市の不可思議さ

北の街で冬の風物となった感があるミュンヘン市は、すでに20年近く続いている。コロナの間はお休みしていたが、また元気に開催されるようになった。北の街で最大の冬イベントは知名度の高い雪まつりがメインとなっているが、観光客の過剰増大(オーバールーリズムというやつ)とか、大型雪像の制作依頼先である自衛隊との関係悪化とか(自分としては、どうも市役所の対応がタカビーなのではと疑っている)、あれこれ運営方法も含めた問題があるようだ。
ごくごく個人的な話をすると、雪まつりは夜に行って10分眺めて、あとは居酒屋に転がり込むためのイベントだと思っている。北の街では厳冬期であっても居酒屋の中は常夏の温度環境だ。

大通り公園全体を使う雪まつりとは異なり、ミュンヘン市は2丁目だけを使うこぢんまりとしたイベントだが、その分飲食施設が大量出店するので、冬の屋外立ち食いという何とも奇妙というか、よくやるよねという、摩訶不思議なイベントになる。
ただ、さすがに雪国育ちの面々はとりあえず屋外の寒さには強い。そして、わざわざ厳冬期に訪れる物好きな観光客は寒さこそがご馳走らしいので、これまた屋外耐寒飲食を我慢強く楽しんているようだ。

平日昼でこれほど人が出ているのは実に不思議な光景だ。北の街の繁華街は大半が地下道で結ばれていて、当然のことに地下道を歩けば雪で滑る危険もなく、暖房が入ったぬくぬく快適な地下通路を歩くものが多い。駅から大通りをつなぐ「チカホ」は、どの時間帯も通行人で溢れている。屋外を歩いているのは、寒さ体験が目的の観光客くらいだろう。

つまり、このイベント会場に登場する客を考えると、かなりの割合で「非・雪国」居住者がいるはずだ。一般的に雪の上を歩いて転ぶ人間はほとんどいないが、雪が圧縮されて固まる、つまり氷板状になると実に滑りやすい。スケートリンクを普通の靴で歩くと簡単に滑って転ぶが、この会場のように圧雪の結果で氷板になった場所は、スケートリンクのように平ではなく微妙な凹凸があり、スケートリンクより明らかに、そして余計に滑りやすい。
雪国居住者は冬になると「冬靴」に履き替える。冬靴の特徴は防寒性もさることながら、裏面ソールに滑り止め加工がなされていることだ。車で言えばノーマルタイヤとスタッドレスタイヤの違いみたいなものになる。
だから、氷板上の道路でもそれなりにスタスタ歩く。ところが、非居住者の中には、なんと「夏靴」のまま無防備状態で、この危険な場所に挑むものが多いらしい。

ちなみに圧雪状態のツルツル道路で滑ると、まるでアニメに出てくるバナナの皮で滑った状態になる。滑ったあと、体は水平になり空中に浮かぶ。足は空に向けて上方45度くらいまで跳ね上がり、視線はまさしく空を見上げることになる。そこからほぼ垂直に落下して背中を地面に直撃させる。尻から落ちればまだ救いようがある。尻の打撲はそれなりに痛いけれども、その後の歩行は可能だ。ただ、だいたいの人は受け身が取れないので、背中を強烈に打撲する。運が悪いと反動で後頭部も打ち付ける。失神するほど痛いらしい。
昔、東京の知り合いがすすきのの盛場と真ん中で転び肋骨を3本ほど折った。だから、写真に写っているようなツルツル路面には近づいては行けないのだ。危険が危ない。

ただ、真剣に思い悩むのだが、なぜ観光協会や市役所の観光担当の者たちは、この会場をロードヒーティングにして根本的な安全対策を取ろうとしないのだろうか。今年初めてやるイベントであれば費用対効果とか、来年やるかどうかわからないとか、非対応の理屈は通りそうだが、すでにこのイベントは20年近く続いている。おまけに、その間には東京オリンピックのマラソン開催を押し付けられて、公園周りはあれこれいじりまわしたはずだ。その時についでに改良工事をすれば、あの金に汚いオリンピック委員会(JもIも)ですら資金援助してくれたのではないかなあ、などと思ってしまうのだ。

誰かが転倒事故で死ぬまで何もしないのかな。雪の降らない南の国から来た人が事故に遭えば、深刻な国際問題にもなりそうな気がする。官の世界は狂気のワンダーランドに違いない。

ちなみに、北海道で最初にコロナが公式に発生(認定)したのは、雪まつり会場の管理事務所だったと記憶している。暖房のため密閉、乾燥、混雑、例の三密条件を完全に満たしていた環境だ。今の管理事務所がどう変わったのかみてみたい気もするが、窓開放で極寒地獄になっているはずもなさそうだ。
それに、雪まつりの混雑に乗り込むのは気が進まない。今年はインフルエンザが大流行しているそうだが、転倒事故と感染症拡大、どちらが怖いのかねえ。少なくとも転倒事故は人災だと思う。

街を歩く

小料理屋と居酒屋の違いとは

小鉢ではなく一口サイズを何種類かというのも洒落ております

古い友人と年に3-4回、気になる居酒屋巡りをしている。有名どころ、老舗、新進気鋭の店など、その時々でお当番が店を選ぶ。参加者の歳も歳なので洋風居酒屋とか肉系居酒屋みたいな選択はほとんどない。どちらかというと渋めの店が多い。
そうした渋めの店、特に料理自慢の店であればコスパが良いとまではいえないが、みたことのない料理が出てきたりするので、大抵は満足して変えることになる。個人的に思うことだが、「良い店」の条件はお通しの質の高さだ。
しょうもない居酒屋ではもやしの茹でたのがお通しとして出てきたりする。あるいは工場で大量生産された業務用ひじきの煮付けだったりする。それには実に落胆する。もう2度とこの店に来るものかと思う。お通しなど出さずに個別料理の料金をあげれば良いのだと思う。


居酒屋業界で一般的な利益増収法がお通しだ。客単価3000円の店でお通しという名のサービス料を取り、利益率を10%引き上げるという姑息な営業形態は一体いつの頃から定着したのだろう。
ファストフードやファミレスでお通し代とかサービス料とかいう名目で、同じようなことをしたら間違いなくその店は潰れると思うのだが。ハンバーガーを注文したら自動的にピクルス三切れがついてきて、料金は300円取られたという事態を想像してみると良い。三日も営業すればSNSで大炎上するだろう。その乱暴な詐欺的商法が通用しているのが居酒屋だ。
そもそも居酒屋のおよおしというのは、注文した料理が出てくるまでの場つなぎ的な小鉢だったはずで、店主のうでの店どころだったはずだ。それは料金を取るようなものではなく、店側からの心遣い・サービスだったのだろう。手の込んだ技の光る小品が、いつの間にかぼったくりの象徴になってしまうとは嘆かわしい。
だからこそ良い居酒屋ではお通しに金を払う価値があるものが出てくる。お値段に見合った価値がある逸品ということだろう。

さて、そんな価値ある居酒屋と、これまた街でよく見かける小料理屋との違いがよくわからない。酒に重きを置けば居酒屋、、料理に重きを置けば小料理屋なのだろうか。小料理屋といえば寡黙な板前と愛想のいい女将みたいな連想をしてしまう。ただ、経験的にブスッとした板前・店主の店に入ったことはあるが、愛想の良い女将のいる店に入った記憶がない。きっと小料理屋とはどこかに隠れている都市伝説的名店なのだろうな。
今回の居酒屋は味も素晴らしいが、見栄えに重きを置いている感じがする。日本の懐石料理がフランス料理に影響して革命を起こしたのは有名な話だが、いまではそのニューベルキュイジーヌが日本料理に影響を与えている。懐石料理の様式美がフランスで拡散解放され、日本に里帰りしてきたら、和風の発想を離れ自由奔放な新・和食が生まれたという感じだろうか。この一皿、豚角煮なのだがまさにフレンチだった。

油淋鶏風の鶏唐揚げもすっかり日本では定着した感があるが、鶏唐揚げに緑をアレンジするのはかなり斬新だろう。甘酢系のタレとネギはよくあうが、味のバランスより彩りの効果が高いように思う。
器と料理の関係をしっかりと追い詰めるのが小料理屋で、大皿料理をすくって出すような無頓着さが居酒屋の良さなのかもしれない。見栄え重視か味重視か、はたまた価格重視かによって居酒屋から小料理屋の色合いが決まるのだろうか。
ぼてっとした陶器の器は親しみやスサや気軽さを演出するし、多彩の色を施した磁器であれば流麗とか洗練といったシャープなイメージになる。シンプルな白い磁器プレートであれば、まさにフレンチ的な料理の彩りを映すのキャンバスといったイメージになる。器と食べ物の色は強い関係をもつ大事な要素なのだ。
そう考えると、この店は洗練された居酒屋っぽいということになる。居酒屋と見せながら、小料理屋的な質の高い料理を出す。人気店になるはずだ。

この店は高田馬場駅からそこそこ坂を登ったところにあるビルの地下にある。飲食店には不向きな立地だが、この日も予約で満席だった。飲食店の売り上げは立地8割とよく言われるが、たまには立地の悪さを跳ね除け「店の力」で繁盛する。素晴らしい店主の力量であり努力の賜物だ。
ただ、こういう素晴らしい店は「俺でもこれくらい簡単にできる」と素人に勘違いさせてしまう魔力がある。プロの力量はさりげない部分の合体として隠されている。それに気がつけないから素人なのだが、勘違いして完コピすれば繁盛店を作るのくらい簡単だと思うのだろう。そこがそもそも間違っている。素人は完コピすらできない。似て非なるもの、似てはいるが決定的に三流なしろものしかできない。
飲食店の廃業率が高いのは、そういう無自覚な冒険者というかお馬鹿さんが多いからだ。アマチュア野球で地区予選敗退程度の実力しか持たないのに、プロに挑む者はいないだろうが、飲食業界ではそういう無謀が罷り通る。開店即閉店という高い授業労を払ってようやく学ぶ。脱サララーメン屋、脱サラ蕎麦屋など死屍累々の荒野だ。


自戒の意味も込めて申し上げる。立地の悪さを跳ね除ける力の持ち主は千人に一人くらいしかいません。そういう店主はほとんどが100店を超える大企業に成長していくものです。決して「素人」は真似をしないように。

街を歩く, 旅をする

セルフサービスの居酒屋

たたきのタレもまで 魚屋自家製特選タレ

足繁く通う高知県の漁師町で、魚屋の大将と二人で酒を飲むプチ忘年会をした。いつもはそれなりに混み合っている行きつけの居酒屋が、さすがに忘年会シーズンだけあり大人数パーティーがいくつも入っていて、店主が料理の注文を取れなくなっていた。とりあえず酒だけ頼のむと、魚屋の大将が何やら店主と交渉している。どうやら料理の手が回らないので、魚を持ち込むと言っているらしい。それなりの持ち込み料は払うということで決着がついた。
そして5分後、魚屋大将が自分の店からカツオ、大庄五人前を持ち込んできた。鰹の刺身と鰹のたたきのコンボだ。この一皿、居酒屋で注文すると軽く3000円は超えると思うが、とりあえずのつまみとしてはあまりに豪勢な「お通し」だった。二人で食い切れるはずもなく、最後の数切れは白飯に乗せてかってドンにしようと思ったくらいだ。これが、去年の12月、鰹のくい納め儀式となった。

おでんは大将のこのみで決まり 猟師町だからと言っておでんに鰹が登場したりはしない

鰹とお通しを食べながら、簡単に頼める料理としておでんが出てきた。というか、魚屋の対象がおでんの鍋から勝手に自分でとってきた。セルフサービスの極みだった。この日は大人数パーティーの料理が出揃ったのが二時間後、そこから自分たちの注文ができるようになったが、すでに鰹の食べ過ぎで満腹状態となり、腹にたまらないような簡単なつまみだけ注文した。これだったら、さっきでもすぐに出せた世、みたいな会話があったが、それはそれ。
セルフサービスの居酒屋というのは、案外楽しいものかもしれない。

街を歩く

忘年会 パート2 時代の変化

昔々、サラリーマンをしていた頃の仕事仲間と忘年会をすることになった。忘年会パート2になるが、会場は古巣のオフィスがあった渋谷区恵比寿の飲み屋街だった。確かこの店は定食屋だったと思っていたが、今では昼は定食、夜は居酒屋の二毛作になっているらしい。
少なくともコロナの後に生き残ったのだから人気店なのだろう。この町でも、馴染みの店はコロナの影響でだいぶ閉店してしまった。

定食屋ということで気軽な料理が出てくるのだとばかり思っていたが、なかなか都会的なアレンジの料理、つまり手は混んでいるが量は少ないという小洒落たコースになっていた。確かにコロナ時代から生き残るために、「映え」がする料理に転身したらしい。
元々この店の売り物は肉じゃがのような煮物と秋刀魚やサバの焼き魚だった記憶があるので、出てくる料理全てが目新しいというか、びっくり仰天してしまうレベルの変身だった。そして、締めは土鍋ご飯という洒落のめしたものだった。店も客層もここまで買われるとは驚きだ。
飲み放題付きコース料理というのが平成で定着した都会スタイルの飲み方だとすれば、そこに懐石風なアレンジを加えた和洋中折衷料理、特にビジュアル重視というのが令和の標準になったようだ。面倒くさい会社の上司が混じったの宴会はすっかり拒否できる時代になり、自分の気のあった仲間・友人と楽しむのが目的となれば、当然記録に残せる、SNSに投稿できる食事スタイルが重視される。
シェアする鍋料理の人気が落ち、一人鍋に変わる。刺し盛りが消えで銘々分をとりわけする「見栄えの良い」カルパッチョに変わり、一匹まるごとの焼き魚ではなく骨がない切り身が焼き物になる。出てくる料理を見ながら、変化の意味を考えていた。
時代に迎合するということではなく、こういう変化を無意識に取り入れた店がコロナの時代の後に生き残ったのだなと改めて思った。

最後に一言申し上げると、土鍋飯を出すのであれば事前にお米にはよく水を吸わせておいてほしい。土鍋飯は芯の残った炊き上がりになりやすいのだ。日本の米飯にアルデンテは成立しないと思うそ。