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今年の 満洲冷やし中華

今年の満洲における冷やし中華はあまり進化していなかった。去年と変わったのは紅生姜とカラシが別添えになったことくらいだろうか。たしかにこの辛い薬味は苦手な人が多いのだろう。自分は、この2店を大盛りにして欲しいほど好みなのだが。
満洲が進めている健康食指向はだいぶ進化しているので、冷やし中華も何らかの改変があるのかと思っていたが、定番でないとあれこれいじり回すことはしないみたいだ。
個人的な要望を言えば、ゆで卵ではなく錦糸卵の方が良いのだが。

追加で、前々から気になっていいたカジキマグロのチャーシューも頼んでみた。どんなチャーシューになるのかとおもていたが、普通に醤油煮にした魚ではないか。黒い粒々は胡椒だが、あまり胡椒感はない。何というべきか言葉に迷うが、缶詰のカツオ醤油煮みたいなものだろうか。フレークになっていないから「煮カジキ」と言われた方がピンとくる。
満洲で時々登場する「謎商品」と認定しておこう。
これの代わりにできることなら、昔の生姜味とり唐揚げを復活して欲しいのと、酢豚の定番化を頑張って実現して欲しいのだがなあ。

今年の冷やし中華は「普通」に美味しいです。

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久礼で散歩したら

午後1時、明らかに日差しが夏になっていた

高知県中土佐町久礼、昭和中期に育った人間には懐かしい「土佐の一本釣り」というコミックの舞台になった漁師町だ。高知県の中でもカツオは久礼などと呼ばれるらしいカツオのビッグネームタウンだ。
その駅前は昔はさぞ賑やかだったのだろうなと思わせるように、飲食店が立ち並ぶ場所だが、今では営業している店もまばらになっている。
駅から徒歩10分程度のところに、大正町市場という商店街がある。昔懐かしな市場の雰囲気がたっぷり残っているが、そこに全国から美味い鰹を求めて人があつまる。先日もBSの鉄道番組を見ていたら、友人である久礼の魚屋社長がいきなり登場してびっくりした。
そんなのんびりとした田舎町を度々訪れている。小さな宿に泊まった次の朝、早く起きて天気が良ければ町内をぶらぶらと散歩することがある。朝は人通りがほとんどないはずなのだが、散歩をしている高齢者にはよくすれ違う。こんなに歩いている人がいるのだと感心もするくらいだ。みなさん、お気に入りの散歩コースはあるのだろう。そのコースを余所者がぶちぶちとぶつかるように歩いているわけだ。

その散歩コースの途中で見つけた道標だが、どうやらこの古の道はお遍路ルー路であるらしい。お遍路旅に詳しいわけではないのだが、どうやらこの久礼の町は、前後にお参りする寺の中間点付近にありお遍路さんがよく泊まるらしい。七子峠というのは、確かに歩いて峠越えをしようとするとそれだけで1日かかりそうな難所だ。

海沿いに立つ八幡様は町の規模の割に随分と広い。つまり、昔は漁業の街として金持ち漁師たちがぶいぶいというほど栄えていたことを意味する。大きな神社仏閣を維持するには、大口スポンサーが必要なのだ。
人っ子一人いない境内で八幡様をお参りすると、神様を独り占めしたような気分になる。朝の散歩の功徳というものだろう。
車移動ではわからない街のあれこれを探すには歩きが一番だ。

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モラルハザードに男女差はない

先入観というべきだが、世間様に迷惑をかける身勝手な振る舞いをするのはおっちゃんばかりだと思い込んでいる。酔っ払って絡んでくるオヤジなどを見ると、こんな人間になってはいけないと固く心に近ったものだ。最近はそんなオヤジと見られないよう細心の注意を払うようにしている。(まあ、個人的感想です)
ただ、行列に割り込んでくるモラルのかけらもない奴らを見ていると、どうやら年齢や性別による差はないみたいだ。そこで社会正義に盛り上がり、割り込むなとご指導してやろうかとも思うのだが、どうやらそういう行為は守るモラルザードの対象にされそうな世の風潮もある。あれこれ考えてみて、スポーツ動画を撮るビデオカメラを装着して(アメリカの警官のように)証拠として画像を残すのはどうかと考えたが、これもよく考えれば一時期はやった「告発系ユーチューバー」みたいなものだ。

そんな具合に妄想を巡らせていたりするのだが、たまたま町中華の店で隣に座ったおひとり様女性客が冷やし中華を頼んだ。女性の非癒し中華は珍しいななどと思った程度で、特に何の興味があったわけではないから、かをも姿もろくに見ていない。
こちらも冷やし中華を頼んでいたから記憶に残ったくらいのことなのだ。が、その女性はものすごい勢いで圧倒間に完食して店を出て行った。ほぼ同じ対明げで出てきた冷やし中華をこちらはまだ半分くらいしか食べ終えていない。すごい早さだなと、つい気になり隣の席を見てしまった。ひょっとしたら食べ残しているのかもなどと思ったからだ。
完食していた。そして、その店では売っていないはずの空き缶を見つけた。何か事情があり水が飲めないので特殊なドリンクを代わりに飲むということでもないみたいだ。そこいらの自動販売機で買える一般製品だ。

飲食店では持ち込みしたものを食べたり飲んだりしないのは、法律として「明文化」されてはいないが大人の常識というものだろう。おまけに持ち込んだ飲料の空き缶を持ち帰りもせず、卓上に放置するとは……………
法を厳密に解釈して、営業妨害で民事訴訟することも可能だろうなあ。自分が経営の立場にいたら、今後の見せしめのためにあえて加害者を特定しないまま訴えるかもしれない。少なくともSNSで、「○月○日 〇〇時 弊社〇〇店をご利用された女性客、当店に放置された空き缶を回収いただけるよう要請いたします。3日以内に回答がない場合は法的な対応をいたします。」くらいは皮肉混じりで書いてやるかもなあ。

それで思ったのだが、日本的なSNSとしてこのような法令では問われないが、道徳的・社会通念的に許されない迷惑を「告発」するチャンネルみたいなものを作れば、他のSNSなど目じゃないくらい利用者が増えそうだ。
万引きは犯罪だが、レンタル本屋での立ち読みはどうなんだとか、電車待ちの行列に割り込んでくるやつはどうなんだとか、罪人とは言えないが迷惑な悪人は多い。
社会正義と個人のプライバシー論争は起きるだろうが、デバカメ大好き日本人だから、プライバシー意識は後退するだろうと思う。「悪人に同情はいらない」という風潮はいつの世も大衆が支持する黄金律みたいなものだ。おまけに大多数のものが、私はこんな悪いことをするダメ人間ではないと思っているから正義の断罪をお気楽にする。
すでに新作が作られなくなった水戸黄門の代わりに大ブームを起こしそうな気もするのだがなあ。

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高知県中土佐町 久礼の海岸

高知県中土佐町 久礼は鰹で有名な港町だが、初めて訪れたのは10年以上前のことになる。高知出張のついでに立ち寄ったのだが、カツオを使ってツナトッピングを国産化できないかと思いついた挙句、唯一記憶にあった「カツオの町」の商工会議所を調べてに電話をかけた。そこで町おこしを企画する組織に紹介いただいて以来、長いお付き合いが始まったわけだ。結局、国産ツナの計画は中止になったのだけれども。

青柳さんは龍馬と同じで太平洋を見ているのだ

その時の記憶にあった「カツオの町」とは、80年代に連載されていた「土佐の一本釣り」というコミックで得た知識だった。よくよく考えればカツオの水揚げの多い町とかカツオ加工の産出額が多い町も調べて見るべきだったのだが、カツオ=高知=土佐の一本釣りという単純な連想でこの町に来てしまった。
約束の時間より早めに来てあちこちを散歩して回った時に見つけたのが、海岸沿いの道に立つ著者の像だ。当時のビッグコミック(小学館)掲載のコミックは作画に独特の画風があるもので、同じ時期に発行されていた青年誌の中では異色だったと思う。
マガジン系(講談社)は絵の上手い作家が多かった。ジャンプ系(集英社)は少年誌と同じで下手くそだが迫力のある描き手が主力だった。ビッグコミックは構図は上手だが、キャラ絵が独自で少年誌とは一線を画すという感じだったと思う。(今では青年誌の描き方に雑誌ごとの大きな差はないみたいだが)
その中でもこの土佐の一本釣りは独自感が超絶していた。だから記憶に残っている。カツオの町はすぐに思い出せたが、ストーリーやキャラはほとんど記憶にない。やんちゃな10代男子がわあわあ騒ぐ話だった、くらいしか覚えていなかった。

隣に立つカツオの供養碑 カツオの町らしい

この町を訪れて改めて土佐の一本釣りを読み返してみたら(絶版本なので買い集めるのが大変だった)、中卒でカツオ船に乗り込んだ半グレっぽい男の子のあれこれで、10代特有の性に対する揺らぎだったり、年長者に対する突っ張りだったり、この歳になれば微笑ましいエピソードばかりだった。が、当時は同時代を生きている同世代?に対する共感みたいなものを感じていたのだろうなあ。
現代の社会規範からするとパワハラ・セクハラ・ジェンダー意識などたっぷりと問題ありで掲載不能になるほどの中身だが、当時は許されていたのだな。

この描きての作品は他にもたくさんあるはずなのだが、やはり漁師の少年を主人公にした話が一番だろう。久しぶりに押入れの奥にしまっているのを取り出して読み返してみようか。

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卸売市場の食堂でカレー

高知の知人に最近よく食べているものは何かと聞かれて、カツカレー、それもご飯少なめと答えたら、面白い場所に連れて行ってくれた。普段であれば決して辿り着けないカレー屋があるのだ。
場所は高知市にある卸売市場にあった。築地の場外市場で有名になった市場飯だが、実は全国の卸売市場には食堂が併設されていることが多い。朝早くからの仕入れをする人たちには専用の食事をとる場所は必須だ。普通の食堂であれば、営業時間外の早朝だからだ。
市場関係者にとって一般人の朝食時間は仕事が一段落した昼飯的な食事時間にあたる。当然ながら、鮨、蕎麦、ラーメン、丼など手軽に素早く食べる料理店が多い。
その市場の食堂で「土佐赤牛」という希少牛のハンバーグが乗ったカレーを食べた。ルーはサラッとした感じで、辛さは中庸。特徴がないのが特徴とでも言えば良いのだろうか。「普通」のカレーであることが嬉い。
個人的な好みの問題なのだが、スパイスなどにとんがっている店は、カレー自体はうまいがカツカレーになるとバランスが悪くなることが多い。普通のカレーと薄いカツの組み合わせが大切だ(個人的な主張です)。

店名を見るとあまりインドっぽい感じはしない。やはりごくごく普通のカレー屋なのだ。それが市場には似合っている気がする。

店頭のメニューを見るとファミレス風だが、喫茶店のナポリタンと同じで、すっかり和風化しているカレーメニューが頼もしい。朝8時から営業開始のようなので、朝カレーを食べに来るのが良いかもしれないと思いついたが、この場所、市内のハズレにあり来るのがちょっと面倒かもしれないなあ。でも、また挑戦したい店でありますよ。
ちなみに隣の隣が鮨屋で、そちらもちょっと魅力的。

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今年の冷やし中華@王将

町中華チェーン店の冷やし中華を、毎年食べ比べをする。年々、冷やし中華の解禁日が早くなっているような気がするが、個人的な希望としては年中、通年で、販売して欲しいくらいの好物だ。
気温が下がってきても部屋の中をガンガンに暖房をかけて常夏気分になる北海道的住宅環のであれば、夏よりも冬に食べるアイスクリームがうまいと思うし、当然、外は零下であっても冷やし中華は食べたいものだ。(ちょっと変なやつの気配もするが)

比較的低価格帯の町中華チェーンでもここ数年は商品の値上げが続いているので、冷やし中華もあれっと思うくらいお高くなった。それでも好きなものは好きなので、出始めの時期に食べ比べをして、その年の「推し」を決める。夏の間は、その推しブランドにしかいかないようにする。

今年の王将冷やし中華は、また一段とビジュアル系になっていた。お値段は税込で800円台となっている。これは冷やし中華としては限界に近い高値だろうなあ、などと思うのだが、来年は1000円超えるのかもしれない。
さて、冷やし中華とは直接関係ないが、外食産業の経営者に言いたい。もう客を騙すような二重表記(税なしと税込)はやめ流時期だ。お目溢しされているだけで法令上も危うい。そのうち誰かがSNSで告発(?)して炎上すると、消費者庁による名指しの指導が入るぞ。法令を勝手な解釈で自己弁護するどこぞの知事のように。抗がんな知事は辞める気配もないが、外食企業は風評一発で業績などすっ飛ぶので注意しなければいけないのだがなあ。

店頭の看板広告と実際に店舗で提供される商品は、そこそこ似ているというか、ニアリーイコールというか、ギリギリの線だった。麺の具合も良いしトッピングも多いから、他のチェーン店より今年の作品は優秀な感じがするが。やはり厨房に広告写真を貼っておいて、実物と比較して注意するくらいのオペレーション力はあった方が良いのになあ。
気になることはあるが、それでも今年の王将冷やし中華は美味いな。

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雨の日はサイゼリヤ

ひさしぶるに注文した小エビのサラダ 某ファミレスで頼めばお値段2倍になる

サイゼイリヤは昔から愛用してきた。まだ、千葉県内にしか展開していない時期からだから長い付き合いだ。うまくても安いというか、安くてもうまいというか、人によって評価は違うようだが(よくネット上で炎上する話題だ)、自分としては「安さ(価格)は正義」だと思う。当たり前に提供すれば1000円になる料理を、あれこれ工夫して500円で提供することこそ大衆を相手とする外食産業の王道だろう。
そもそも、調理人が作る料理は王侯貴族の専用だった。それが多少の金に余裕がある大衆層が形成されると、「金をとって料理を出す」商売が成立した。だから、食堂とはそもそもが安く料理を食わせるためのものだったはずだ。
その変形亜種として、大金持ちにお殿様が食べるような料理を食わせるという、成り上がり向けの「狭い」サービスが生まれたのであり、金持ち相手の高級店は商売としてはあくまで派生物であり、食文化形成にもたらす意味では狭小なものだと思っている。
現代日本(少なくとも昭和中期以降)において正義の外食業とは、外圧で生まれた洋風ファストフードが嚆矢となっている。最初はそのファッション性が含まれる高額商品だったが、大衆化、店舗数増加とともに低価格化が始まる。ブランド形成時は高額で、普及機は低額でという2段階展開だった。平成期には外食業界における低価格ビジネスのモデルにすらなった。
だが、それを超える存在がサイゼリヤと吉野家という国産二大ブランドだ。ファミリーレストラン業界では最大規模のスカイラークがここ20年あまり迷走を続け、今では訳がわからない変な商売になってしまった。低価格指向を追求した吉野家も、いまではその轍をふもとしているが、サイゼリヤだけはぶれがない。
特にアメリカ的なマーケンティング主導経営のマクドナルドと一線を画しているサイゼリヤは、ある意味で最強のマーケティング戦略をとっている。
「安くてうまい」だ。だからコスパが業界最強という評判を作る。実践しているのはそれだけだ。クーポンなど使わない。宣伝費もかけない。出店立地は地下や2階フロアという外食企業にとっての二級立地だ。それでもサイゼリヤの看板だけで客が集まってくるのだから、宣伝も不要だろう。

と長い前説を書いてしまったが、週末のサイゼイヤは混み合い過ぎで利用しにくい。特に学生を中心とした熱烈支持者が圧倒的で、朝から晩まで混雑するのでパスすることにしている。では、平日ならば良いかというと、これもランチを中心に高齢者軍団が座席を占拠している。歳を取ったら肉を食わないなどというのはもはや都市伝説だろう。自分よりも歳が上と思われる後期高齢者ですら、もりもり肉を食べている。なので平日昼もこれまた混雑している。
ところが雨の平日になると、これが面白いように高齢者客がいなくなる。雨が降った日はサイゼリヤ日和だと思っている。
ということで先日かなり激しい雨降りの中、いそいそとハンバーグを食べに行った。注文したのはミックグリル。同じものを居酒屋で頼めば間違いなく2倍以上の値段になる。

ああ。うまかった。コスパ最強、安さは正義だ。吉野家ももう一度ブランド・キャッチコピーを見直した方が良いと思うよ。ランチで一番満足度が高くお値段が安いのはサイゼ入りやで、吉野家もマクドナルドも値段では敵わないのだよね。

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土佐焼き 完食した

これが土佐焼き

冬の時期からずっと気になっていた焼き鳥屋のメニューがあった。名前が「土佐焼き」という。高知に行けば土佐巻という鰹とニンニクの巻物に出会える。田舎寿司と合わせて高知の名物だろう。鰹のたたきがメジャーリーグプレイヤーだとしたら、土佐巻は日本リーグの主力選手くらいだろう。それに続くのが、この土佐焼き……………問ほど著名かどうかはわからないが、とりあえず気になる。

店頭にある商品説明を見ると、ニラ(これも高知名物)と鶏皮の炒め物とある。実食してみると甘塩っぱいので、焼き鳥のタレを使っているのかもしれない。
確かにこれは酒の肴としては優れものだった。ただ、何故『土佐』なのかは最後までわからなかったが。

一緒に頼んだのはおすすめ通りの焼き鳥盛り合わせで、これもレベルの高い良品だった。高知で焼き鳥屋があるのは当たり前だが、この店と同じような店が多いのであればその水準はなかなか高いようだ。
ちなみに、ビールのところに書いてある「たっすいが」は、中途半端とか最後までやりきらないとかいう意味合いらしい。面白いのがこの言葉の意味を乞おう知人に尋ねると、誰もが何やら違う説明をする。どうも共通語に同じニュアンスの言葉がないようなのだ。
それで、このビールの宣伝文句を解釈すると「しっかり、たっぷり、後悔することなくビールを飲め」というようなことだと勝手に理解している。悪い言い方をすれば、泥酔手前くらいまではビール飲めよなということなのだろうか。これに敬意を表し、高知ではいつもキリンビールを飲む。

通い始めて三度目になるのだと思うが、時間が早く他に客だ誰もいなかったせいだろうか、店主に話しかけられた。「高知の人か」と聞かれた。出張中だと答えると、あれこれ高知の天気の話が始まった。帰り際には高知に来たらまた寄ってねなどと言われた。焼き鳥屋の付き合い方としては上等だろう。

冬の間は看板の店名が読み取れなかったが、初夏に夕方であればしっかりと読み取れた。そうか、店名あったんだあ、などと間抜けなことを考えていた。酒は男の子守唄とあるが、女の子守唄も書いておかねば現代のジェンダー問題に対応していないといじめられそうだ。
またふrっと入ってみたい良い店だったなあ。これで高知には葉牡丹とせいわ、二軒のお気に入りの店ができた。

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昔は好きだったのに

コロナ前のことだが外食業界の新興チェーンとしてぶいぶいいけいけな感じで急成長していたいくつかの企業の中でも、出店速度が一番だったのがこの濃厚ガツン系ラーメン店だった。ラーメン業界で豚骨・魚介のWスープが主流に躍り出た時期だった。平成の後期に勃興した大盛り文化のラーメン版でもあった。
一時期はどの店も行列ができるほどの人気ぶりだったが、コロナの時期に失速したようでだいぶ店舗数も減ってしまったようだ。コロナの時期に店舗数を維持できたチェーン店は少ないから仕方がないだろう。
ファストフードであれば洋物のハンバーガーやフライドチキンはテイクアウト特性があり逆に成長したが、和物チェーンは苦戦していた。ラーメンも同様で、麺類チェーンはコロナの3年間、試行錯誤を繰り返つつ消耗していたようだ。
そしてコロナが終息した後のインフレにより、息の根を絶たれた感がある。なんといっても、外食企業の主力商品はその特性としての固有の「値頃感」があり「天井価格」が存在する。
例えばハンバーガーは単品価格が500円越えすると明らかに買い控えが起きる。牛丼も同じで平成時代は300円-350円が限界値だった。それを超えると露骨に客数減少が起きる臨界点みたいなものだ。
ラーメン業界では1000円の壁と言われていたが、コロナ後は1000円越えが当たり前となり、当然のように客数減少に襲われるチェーンも増えた。飲食店が日常的に繰り返し使われるためには「ある価格」帯で押さえ込む必要があるのだが、コロナで体力消耗している企業群には、その耐性がなかった。

個人的には濃厚な味付けで油たっぷり、野菜たっぷりのボリューム感を好んでいたのだが、量に対するコスパの良さが、このチェーンの売り物だったはずだ。味は二の次とまではいかないが、価格帯は1000円の壁に近い限界だった。
味よりも量というコスパを押し出した戦略だったと思う。逆に量を増やすより値段を下げてコスパをよくする戦略をとったチェーンもあるが、繁華街では若者層が多いせいもあり、「量」指向が「価格指向」より強かったようだ。
さて、数年ぶりに食べたボリュームラーメンだったが、どうやらあまりよろしくない変化をしている感じだった。昼時なのにワンオペで回しているのと、客席がまばらにしか埋まっていないのが気になっていたのだが、ラーメンを食べてみて納得した。
見た目通りのボリューム感は維持しているが、価格が1000円の壁を超えているメニューが多い。しかし、価格のこと以上に問題なのは、「スープがぬるい」のだ。これはラーメンでは致命的な問題だろう。味よりも量的な指向にも限界はある。ぬるいラーメンは冷めたピザと同じくらい評価が下がる。
たまたま作り手が不慣れだったということも原因として考えられるが、ワンオペを任せられる力量が足りていないだけなのか。それとも恒常的にオペレーション力が落ちているのか。
もう一度食べて比較した方が良いかとも思ったが、次もぬるいラーメンに当たると心が折れてしまいそうなので考え中だ。

なんか人気のラーメン店って、みんな同じパターンで閉店していくのだよね。個人店でもチェーン店でも同じ具合にだ。客の期待値を見誤ると簡単に苦境に追い込まれるのが外食業なのだが、それが見えなくなるのは何故なのだろうか。不思議だな。

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黒い醤油ラーメン

個人的な思い込みかもしれないが札幌の醤油ラーメンは白い丼に入っているものと思っていた。スープの色を考えると色付き丼はしんどいかなあ、ということなのだが。ただ、最近の新興ラーメン店では、そのカラーマッチングみたいな考え方は廃れつつあるようだ。
そもそもスープの形状と色が変わってきている。新店では豚骨系やWスープを売り物にする店がほとんどのため、スープは白濁している、あるいは茶褐色であることが多い。従来型の透明感のあるスープではないから黒や赤の丼を使う。まあ、味噌ラーメンであれば色付き丼も問題なさそうだ。
ところが、透明系スープでありながら黒いどんぶりに入っているのをみてギョッとしてしまった。スープが真っ黒に見えるせいだ。
そもそもスープが真っ黒なブラック系ラーメン(富山とか郡山)は、スープに透明感がない。だから丼の色は選ばないといえば選ばない(多分)。しかし、透明系のスープはちょっと驚かされる。
写真に撮ると茶色っぽく見えるスープだが、現物は真っ黒に見えた。見た目で驚いただけで、食べてみるとなかなか好みのラーメンだった。そもそも味噌ラーメンが売り物の店で醤油ラーメンを頼むと、ストレートではなく変化球的な醤油ラーメンが出てくるはよくあることなのだが、今回の変化球は落ちるカーブというよりフォークボール的な凄さだった。
まあ、これだけの変化球を出す方も出すほうだが、受ける方も受ける方だと思う。それくらい札幌市民のラーメンに関する懐は深いということだろうか。ラーメン界では極北にあたるような激辛ラーメンも存在するし、行列のできる「カレー」ラーメンもある。何故か担々麺専門店も人気だし、ラーメンよりもチャーハンが売れるすごい店もある。

この店主はどこで修行をしたのか聞いてみたい気がする。それがわかれば、ああ、なるほどねと納得できるのかもしれない。