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腹ペコの朝

大阪出身のラーメン店へ一年に何度か思い出したように食べに行っていた。大阪ミナミにある人気ラーメン店が東京に進出した時、「3度食べると病みつきになる」という不思議な広告をしていた。ひねた考え方をすれば、1度目はおいしいと思わないということになる。そして、1度目の実食した結果といえば、確かにこれはラーメンなのだろうかという疑問だった。それから広告のいう通りに追加で2回食べてようやく、なるほどこれもラーメンかあ、と思うようになった。
見た目通りに薄めの醤油スープというか塩味というか、ともかく不思議なスープだった。それに炒めた「白菜」が大量に入っている。お江戸のタンメンは大量の炒めキャベツが乗っているが、白菜は新鮮だった。
お江戸の支那そば系と言われるシンプルラーメンよりも、こちらの方が洗練されているなと思うようになったが、ともかく日本を西に行くと色々なラーメン変種があるのだと思い知らされたものだ。
これに匹敵するびっくりラーメンは「久留米ラーメン」だった。あれはとんこつラーメンんの源流として、ラーメン界の地平線にある存在だ。とんこつラーメンが西の地平線にあるとすれば、これは北西あたりの地平線にあるラーメンだろう。

ルックスは茶色で艶やかさは感じられない「おいしいらーめん」

商品名は「おいしいラーメン」という。最初に見た時はふざけた名前だと思った。おいしいかどうかは食べた客が決めるものではないか。おまけに美味しいと思うには3度食べなければいけないという。食い物屋を舐めんなよ、と腹立たしく思ったものだ。
この辺りが東国と西国のジョーク感覚の違いなのかもしれないと気がついたのは、随分たってからだ。


お江戸で仕事をしていると、どうしてもお江戸の味は日本全国に通用すると思い込んでしまう。実際には、日本全国で通用するのは舶来ものの味しかない。ハンバーガーやフライドチキンがローカルな味付けにしなくても良い「全国共通」の味になれたのは、米国生まれという付加価値のせいだろう。
これが北海道の味や九州で大人気では決して許容されない。ましてや日本全国の流れものが共通社会を築いているお江戸では、お江戸の味=全国の平均(悪い意味で)でうまくもないが不味くもない、誰も文句を言わない味が支配的になる。だからお江戸の味は、全国どこに行っても人気者にはなれない。
ただし、お江戸風と称して地元アレンジを施したものへ進化する。鮨や天ぷらなどの伝統食で起こったことが、イタリアンやフレンチという渡来もの料理でも起こる。大阪イタリアンとか博多フレンチのように言われる。
戦前に流入した大陸の麺料理アレンジ品、つまり支那そばがラーメンに各地で進化したのは当然のことなのだ。


このラーメンも、大阪の客に合わせた何らかの進化圧があったのだろう。少なくとも、お江戸どころか関西圏における近隣地域のローカルラーメンとも全く異なる。奈良のスタミナラーメン、和歌山ラーメンのコッテリ系とはまるで系統が違う。京都のドロドロ系ラーメンとは別種の生物くらいの差がある。神戸付近のラーメンも西国特有の濃厚スープ系だから、これとは似つかない。関西ローカルのどれとも違う独自進化種であり、おそらく日本全国でみても類似品が見当たらない。(個人的な経験値ですが)

味変に備え付けのニラを乗せてみた 

ところが、その大阪ラーメンが今度は「日本の味」と言い始めた。ラーメンに日本の味と言い切れる標準品などあるはずがないだろうと、またまた思ってしまうのだ。が、それも言ったもの勝ちということなのか。あるいは、大阪的ジョークなのか。

やはり実に不思議な店なのだ。ちなみに、この午前中に食べたラーメンは朝の腹ぺこを満たすのには適度なものだった。そして、両隣に座っていたのはどちらも外国人カップルで、朝から餃子ラーメン炒飯セットをもりもり食べていた。確かに、日本の味を「ちょっと間違った意味で」受け入れている気がしたが、これが国際化ということなのだな、きっと。

あれこれと哲学的になってしまった、渋谷の朝飯でありました。立ち食いそばでも食べればこんな面倒なこと考えなくて済んだような気がする。

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福袋の中身

これは今年のマクドナルド新年福袋に入っていたおまけのバーガー型ライトだ。これ以外にはビニール製の巾着とか小物もあったが、メインはこのライトだろう。しばらく放置していたが、開封して電池を入れてみた。

予想外に明るい。ただ、使い道が思いつかない。キャンプに行った時、真っ暗な場内でトイレに行くときにつかうかな?などと思ったが、100円ショップであれば300円程度で同じようなものは買える。
自宅の寝室で緊急事態(地震とか)の非常照明にするかとも考えたが、結局、机の上に放りっぱなしにしてある。実は、夜に物を探す時は便利なことに気がついた。まあ、福袋の中身とはそういう物なのだから、文句は全くない。机の上にある可愛らしい置物として役に立っていれば良い。
ただ、これを市販するとすれば1000円越えのキャラクター・ブランドものになるのだろうなあ。マクドナルド3000店で100個ずつ福袋を売るとしたら、このライトを30万個用意することになる。そこいらのアウトドアグッズと比べても桁違いの数量だから、おまけで作れるのだ。まさに数は力を体現した「見事な代物」なのですよね。

その昔、おまけ商品をあれこれ開発していたことを思い出し、懐かしくなりました。

ちなみにプラスチック製品でおもちゃ仕様にすると難度が高くなるので、おもちゃの開発は避けていました。これも、子供向けのおもちゃではなく、大人向けの照明という扱いみたいですねえ。

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渋谷駅前の工事事情

確か渋谷駅再開発は246号沿いに東急ホテルがたったあたりから始まったのだと記憶しているが、その後は渋谷駅東側にあった東急文化会館がヒカリエに盾代わり、西口にあった東急プラザ、駅東口南側が整地されスクランブルスクエア、ストリームという高層ビルが立ち上がり、残るは東急百貨店東横店が解体、再建設中。あと2年も経てば再開発完了ということだろう。
今や渋谷は地下5階まで潜らないと地下鉄を含め電車に乗れないダンジョンと化したが、駅周辺の高層ビルもほぼ30-40階建となり、元々、渋谷駅は谷間にあったが今後は高層ビルの谷間となり日の射す時間が限られるダークシティーになるのだ。
JR渋谷駅は延々と工事が続き、まさに季節で変形するダンジョンだが、それもあと2年くらいだろうか。少子高齢化の進行で、昔は馴染みだったジジババが今ではすっかり行きづらい街になり(駅の高低差がありすぎる)、頼みの若者の数もすっかり減ってしまい、こんなに高層ビルが必要なほど客が集まるのか? などと呆れているのだけれどね。まあ、日本語を話さない妖しい観光客が溢れているからなんとかなっているのだろう。

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写真の撮り方と見え方

奥行きを見せるアングル 撮影を意識したらトッピングの色使いに気をつけよう

いつもの幸楽苑で今年の夏の冷やし中華を頼んだ。そして、いつものように写真を撮ったのだが、ふと思いついて2パターン撮ってみた。食べる前に出てきた冷やし中華をそのまま撮っただけだ。
たまたまテーブルが黒で、たまたま窓が左側にあり外光は左から当たっている。実は左から光を当てるのは、食べ物写真の定石なのだが、(正確には左斜め後ろ)まさにたまたまそれが成立していた。
上の写真は冷やし中華を正面にして餃子を左後方に置いたもの。撮影角度は少し低めで30度前後だと思う。ピントは前に置いて後ろが少しぼやけるような設定だ。
できれば紅生姜の赤がもう少し目立つ角度が良いのだが、黄色の唐辛子の位置とうまく調整が取れなかった。

トッピングを見せることに注力するとこのアングル 麺の山盛り感が出しにくい

下の写真はトッピングの色具合を見せるため、少し俯瞰気味にした。角度は大体60度くらいになる。餃子は右置きに変えた。実は餃子の位置が安定して見えるのは上の写真で、下の写真、つまり右置きは少しバランスが危うい。光の当たり方の関係だ。
まあ、この辺りはプロの仕事であっても、カメラマンの好みアングルやフードスタイリストのこだわりでかわったりするが、普通に見て違和感を感じない写真を撮るのはなかなか難しいものだ。素人写真とプロの写真の違いは、このなんとなく感じる違和感・不安定感があるかないかになる。

最近はインスタグラムなどのSNSでみると、素人でも写真の技術が上がっているご時世だが、上手だなと思う写真はいつもプロのテクニックが(意図しているのか無意識なのか)取り込まれている。
おまけに、今や写真とは撮影後にベタベタに改造する「素材」でしかないので、技術だの腕前だの言っても仕方がない気もする。が、それでも修正作業でアングルを変えるのはなかなか難しいので(iPhoneはそれもやってしまうが)、撮影のいろははお勉強しても損はないと思いますよ。

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福袋のクーポン

毎年12月に発売されるマクドナルドの福袋(抽選)はWEBプロモーションとして秀逸なプログラムだと思う。
まず、当選倍率はよくわからないが、個人的経験でいくと2年に一度くらいは当たる。前年に外れていると、当選確率が2倍に修正されるらしい。
割引率が大きいから人気がある。確か、この3610円分の商品券が3000円で購入できたはずだ。そして、商品券以外に細々としたおまけがついてくる。
今回はビッグマック風のライトがおまけだった。できれば夏の福袋も発売して欲しいものだと思う。


福袋に商品券をつけるのは需要の先食いだという意見も多いようだが、実は全く間違っていると言いたい。一つ目の理由は、この高額な商品券(3000円)を買いたいと思うのは日頃からマクドナルドの利用頻度が高い、いわゆるヘビーユーザー、つまり常連客だ。ヘビーユーザーはそのブランドを好んでいるから、利用回数は多い。どうせハンバーガー店にいくならマクドナルドとか、ファストフードに行くならマクドナルドとか、ブランドの選好性が高い客層になる。ただし、日頃から通うので客単価は決して高くならない。セットは頼まず好みの商品を単品で頼んだりもする。
ところが、この商品券・高額割引クーポンがあると普段は頼まない高額商品を頼む。例えばいつもはチーズバーガーを頼んでいるが、今日はサムライマックにしようみたいな商品アップグレードを行う。
自分の例で言えば、普段は決して注文しない(高額なため)フラッペを頼んでしまった。
二つ目が同伴客を連れてくる可能性がある。普段は自分一人、あるいは子供と二人という少人数での使い方をする客が、友人を連れて来たりする。「ただ券あるから、マクドナルド行こうよ」というお誘いをする。これは客単価が二倍以上に跳ね上がる。つまりクーポンを引き金にして購買数量、金額が増えるのだ。
三つ目は使用期限が6月30日、つまりほぼ6か月先になっている。ちなみに無料クーポンにバーガーは4種類設定されているので、おそらく半年で4回、平均的に使用すれば6週間に一回の利用となる。これは利用頻度促進としては相当なものだ。
その上で未使用分もそっくりと売上に乗っかる。(これが需要先食いと言われる部分のメリット、おまけ的効果でもある)

4つ目の売り上げ効果として(実は販売促進として最強なのが)、全量が事前抽選販売ということだ。当日売り出しであれば売れ残りが出る可能性がある。事前抽選販売なので、当たっても店頭に来ない客の分だけが売れ残りとして発生する。
ただ、これは何年か実行すれば当選しても買いに来ない客の発生率がわかるので事前対応が可能だし、事前にネット決済にすることで当日のドタキャン、いわゆる「ノーショー問題」はクリアされる。(来ても来なくても売れたことになる)
それを上手にやているなと思うのが、「ネット決済にすると当選確率を上げる」という抽選心をよく把握した売り方を加えていることだ。
逆に、デメリットは年に何度も実施できないことだ。まず高額商品を売り込むためには、希少性を保つことが大事だ。年がら年中売っているロト系の宝くじより年末ジャンボの売り上げが多いことがその事例になる。
だから社内的には、売り上げが不調になると「夏の福袋」などが取り沙汰されるかもしれないが、現状ではお正月限定で年1回実施、それで十分なのだろう。

そのほかのデメリットとして経理的処理をどうするかとか、販売システムの対応問題とか、技術的な課題は盛りだくさん出現するので、中小規模のチェーン店が真似しようとすると初年度はとてつもなく難しいはずだ。社内からの反対が噴出するだろうと予測できる。
結局、この福袋の売り方は、企業体力に優る大企業だけがなせる力技とも言えるので、業界の参考事例としてはあまり役に立たないと思う。

マーケティングという観点で言うと、奇襲を狙う小技は予算がない弱小が取る戦略で(それしかできないというのが真実だ)、金と体力がある企業は力技でねじ伏せるのが最良戦略となる。業界ナンバーワンのマクドナルドが体力任せに攻めるのは実に合理的なことだ。
日本人は奇襲作戦、つまり義経の鵯越とか帝国海軍の真珠湾襲撃が大好物だが、それは所詮貧乏人がなけなしの予算を全部突っ込むことでしか勝負出来ないだけだ。(そして歴史では奇襲のほとんどが失敗している)


良い子の皆さんは真似をしてはいけませんよ。

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久しぶりの一軒目酒場

一軒目酒場も平成時代から比べると5割くらう値上がりした感じがするが、相変わらず一人飲みオヤジ族には人気があるようだ。ファミレス化した居酒屋チェーンでは落ち着かないのだろうし、甘くて薄い酒はこのまんのだという頑固親父には支持度が高い。池袋西口にある一軒目酒場本店(?)にいけばそれが実感できる。
ところが、そのオヤジの巣窟も最近ではソロ飲み女性の侵略を受けだいぶ事情が変わってきている。ソロ飲みはオヤジ属性だと思っていたが、心の中にオヤジ属性をもつヤングレディーが増えているらしい。まあ、一緒に飲みたいイイ男がいないというのが一番の理由な気もするが。
その一軒目酒場は2ヶ月おきくらいの頻度でメニューを変えている。長く残り定番となるものもあれば、あっという間に消える限定メニューもある。今回頼んだのは今月のおすすめ的な、多分すぐに消えてしまうメニューだ。
鶏皮を揚げたものにポン酢で味付けしてある。熱々が出てくるので揚げたてだとわかる。個人的な好みを言えばもう少しカリカリになるまで揚げてほしいところだが、ポン酢で衣が柔らかくなっていくのを楽しむのも乙なものだ。
ちなみにこれは酒の肴であって、飯のおかずにはならない典型例だ。こういう不思議なメニューを作るのが一軒目酒場はとても上手だ。養老乃瀧で培った居酒屋魂みたいなものだろうか。過去のストックメニューが多いのかもしれない。

うまいのだが、商品としてなんとも微妙な仕上がりな気がする

そして今回発見のオドロキメニューがこちら、「つまみにするチャーハン」だった。チャーハンをつまみにビールを飲むというのは、実は町中華における隠しメニュー、裏メニューみたいなものだと思っていた。
ただ、その裏メニューを頼んで思うのだが、飯の量が多すぎ。だから、単品で半チャーハンが頼めると良いのになと思っていた。餃子の王将や日高屋はその対応を当たり前にしてくれる。さすが、町中華の王者だ。
このつまみになるチャーハンは、おそらく通常品の半量にも満たない。ご飯茶碗で一杯くらいだろうか。上にはおろし生姜がトッピングしてあるので、普通のチャーハンとはちょいと違う。
これはありがたいと思ったのも束の間で、酒のつまみにちびちび食べるはずが、一気に食い切ってしまった。普通のチャーハンより塩味が濃いめという設計のせいかもしれない。
米粒を一気喰いすれば当然腹は膨れる。すると酒を飲む気が失せていく。となるとこれは失敗作ではないかなと、薄ぼんやりと思った。味が悪いのではなく、「さけのつまみ」という名前のせいだろう。この改良品、名前が変わるのか、味付けが変わるのか、その両方か。進化形が出るのが楽しみなので、2ヶ月くらいしたらまた試しに行ってみよう。

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ラノベの話 2

空前のヒット作最新刊 完全にラノベ界の定石を外した戦闘シーンだけの駄作に陥ってしまったのが残念
 画像はGCノベルズサイトからの引用 

正確な数字は覚えていないがラノベ、それも長編シリーズを中心に乱読したので、読んだ数は200冊を超えているとは思う。それだけ読むとラノベの人気作が持つ共通性も見えてくる。それについてあれこれ考えをいじくり回してみた。
ラノベの特徴を一言で言えば「水戸黄門漫遊記」だろう。それも冴えない主人公が、あれこれ偶然な要素に助けられ勧善懲悪を完璧に達成することにある。少年ジャンプに代表される少年コミック世界と異なるのが、努力の結果ではなく偶然に手に入れた力で(チート、インチキな能力)世界を改変していくということに尽きる。

当然努力をしなくて良いので、激突を繰り返した末に固い友情で結ばれるなどという少年コミック、特にジャンプ系の鉄板ストーリーにはならない。主人公の周りを取り巻くキャラクターは、基本的に主人公崇拝型に設定される。だから固い友情で結ばれたライバルが、たまに主人公を裏切ってお話を盛り上げるという展開はおこらない。
実はこの裏切りと信頼の繰り返しこそが、ジャンプ世界の原則であり絶対的なドラマツルギーでもあり、ある意味でストーリー展開上の必須要素になっている。他の少年誌ではこの縛りが緩い。が、マガジン・サンデーであっても、「明日のジョー」のようなキャラ成長系物語では、ほぼ定番展開であることに間違いない。

ラノベのヒット長編において主人公が葛藤する相手は「ひと」「ライバル」「友人」ではなく「神」になる。そしてその「神」殺しが世界を救うための使命になる。つまり、軍全手に入れた能力でヒト世界の頂上を極めた者となることが多い。
「神」を倒したもの、「神」の超越者はすでに人ではなくなると思うが、そこは曖昧なままにされている。また、神を創造した神が登場したりもする複層入れ子世界だったりもするが。少なくとも殺される神は悪神か邪神扱いされるので罪悪感は感じないお気楽ものだ。まあ、人に滅ぼされる神というのも「概念的」におかしい。神と名乗る詐欺師的存在だろう。

ラノベとは水戸黄門のような絶対負けない悪党退治の旅、あるいは社会変革が前提にあるので、多少遠回りのルートを通ることになっても「悪」は必ず滅ぼす。「善」をなすのは自己満足のためであり、民や世界のためではない。たまに「俺はこの世界を救いたい」などと呟く主人公も出現するが、それは「世界」という単語の使い方が間違っているだけだ。この場合の「世界」は自分を崇めるたかだか10人程度の仲間達を意味する。現実のエセ政治家のようなお為ごかしの甘い言葉は吐くこともない。
その点は、書き手読み手の共通理解として、わざわざ語られることもない。だが、支配者の大半は現実世界と同じくらい悪党だらけで、その悪党を退治するのに必然性の説明はいらない。悪は滅ぶべきだが、現実社会では誰もそれをしてくれないから、悪党が滅される話が読みたい、痛快な気分を味わいたいというのが暗黙の了解事項だろう。
余談になるが、ウルトラマン世界では、初代は侵略者を次々撃退して疲労困憊してM87星雲に帰っていった。セブンは侵略者にも事情があると忖度して精神的に疲労して帰っていった。セブンが大人ウケするわけだ。ライダー世界では、初代から社会の矛盾に悩みまくっているので、韓流ドラマのような展開が多い。悪の結社にも良い奴がいたりする。背伸びをしたい子供か大人になりたくない大人に受ける話だった。ラノベは、この辺りの面倒臭さを一切切り捨てる。

だから、必然的に物語の世界は悪党が蔓延り、あるいは悪党に滅ぼされかかった困窮社会であり、衰亡国家である。その世界は異世界の魔法が支配する世界でもよいし、魔法の代わりに超科学が使われる別の銀河系であっても良い。世界設定などある意味でどうでも良いのだ。比較的魔法世界が使われるのは、悪党としてのステロタイプである「魔王」と「魔物・魔族・ヒト以外の異形のもの」の存在が使いやすいからだ。
超未来や別宇宙に普通のヒトを投入すると、最低でもその社会と現代日本・現代世界との違いは説明が必要になる。魔法の世界であれば、ここは魔界だの一言で済ませることができる。この差は書き手にとって大きい。世界設定の負担が全然違う。
また、現実世界では数多の物理法則で縛られて実現できないことが、魔法のせいで最も簡単に実現できるのも強みだ。主人公を努力なしで無限に強くさせることは重要な基本設定だろう。例えば今の自分では勝てない魔王が現れた場合、ジャンプ世界ではどこかの山奥にいる「偉いヒト」に教えを乞い特訓を受ける。努力と友情はジャンプ世界で鉄板の物語要素だ。ところが、ラノベ世界では違う。努力をする方向が違う。どこかに落ちている「魔力を究極に上げる石」を探しに行くのだ。その旅が努力といえば努力だが。
そして、その探究の旅の途中で、大抵は主人公に服属する強い奴がくっついてくる。それもスナック菓子についてくるおまけを手に入れるようなもので、本体のスナック菓子自体が簡単に手に入る。そして、おまけはタダなのだ。

水戸黄門漫遊記最終回で、スケさんカクさんが倒され黄門さんが大ピンチになるなどという展開がありえないように(そんな話を見てみたい気もするが)、ヒットラノベで主人公が解決できないピンチに陥ることはない。
黄門様の旅が深刻化しないのと同じ理由で、ラノベの中で厳しい戦闘が起きたとしても、たいていは一回で決着がつく。RPGゲームでよく使われる小ボスを倒したら中ボスが出てくるとか、大ボスを倒したら第二形態が出てきて、それを倒したら最終形態が出てくるみたいな、玉ねぎの皮を剥くような面倒な展開は珍い。

最終戦でスケさん・カクさんの手が落とされたとしても、戦闘終了後には必ず手はつけてもらえる。弥七が異世界に飛ばされても、戦闘が終われば必ず回収してもらえる。予定調和で完全平和が訪れるのが、絶対的なお約束だ。
この完全ハッピーエンドもラノベヒット作の特徴で、主人公の活躍も虚しく世界は滅びたというエンディングは見たことがない。いや、正確にいえば世界が滅びるエンディングにした書き手は、そこで作品を終了させることになる。たとえ最終ページに「続く」と書いてあっても、次巻が世に出ることはない。

ただ黄門様の旅が主人公(役)の変更はありながら延々とシリーズが続いたように、ヒットラノベ作でも物語世界が変わる(異世界になるとか隣の宇宙に行ってしまうとか)ことはあっても、同行キャラクターの性格やチーム編成ははほぼ代わりなく、永遠とも思えるマンネリの旅が続く。
それで良いのだ。読者はそのマンネリが望みなのだし、シリーズごとに「悪」キャラは魅力的にグレードアップする。前シリーズの悪役が善人に見えてくるほどの悪行を尽くし、読み手からするとさっさとこいつを退治してくれよとイライラ・ドキドキさせられる。それが最良のシリーズ作品というものだ。

だから、ヒットラノベを読む時には誰がカクさんで誰がスケさんかを予想しながら読むのが正しいお作法だろう。

だから基本的にラノベはコミック長編「俺は海賊王になる」が、もっとわかりやすくなった物語と言って良い。ところが、コミック界の偉業である「両さんストーリ」がラノベ界で生まれてこないのは不思議なことだ。その辺りも考えてみたい。

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塩叩きのタレについて

恐ろしくてまだ開封もしていない禁断の調味料

何故かカツオとは縁のない北海道のスーパーで見つけた鰹のタタキタレ。製造元はダイショーだからタレの専門メーカーだから、味はそれなりに仕上がっていると思う。ただ、一緒に売っているのが静岡産鰹のタタキ、それも富士山溶岩焼きという見慣れないものだった。炭焼きの代わりに溶岩の板を熱したもので表面を炙ったということらしい。値段がとてつもなく安いのは、例の焼津漁協関連で有名なった大量の冷凍カツオ産地ということだろう。

鰹のタタキに関してはそれぞれの地域でそれぞれの識者がご意見を述べているので、あえて触れないが、藁で焼けば燻り臭があるのでkんせいっぽくな理旨みが増す。炭焼きであれば表面の濃げ具合がうまさを乗せる。
それをポン酢で食べるのが一般的な大都市圏の食べ方だが、高知では「たたきのタレ」を使う。個人的には味も含めてポン酢の一種だと思うが、ポン酢ではなくタレなのだそうだ。北海道でも焼肉のたれとジンギスカンのタレにも似たようなこだわりがある。
そして、この塩だれなのだがいかにもな代物に思うぇう。最近では素材の味をそのまま活かすために調味料ではなく「塩」で食べるというのが流行のようだが、これは人の舌がバカになった証拠だと思っている。本当に塩だけで食べるのがうまければ、醤油や味噌に代表される超見えようが生まれるはずはない。ありとあらゆる料理と言われるものは、新しいソースを生み出すことであったと断言しても良い。塩だけで食べてうまいというのは、いわば文明以前、原始時代の貧乏な味覚を礼賛する誤った思想だと断言する。

20世紀が生み出した最大の人工調味料「グルタミン酸ソーダ」に代表される非天然由来の調味料に対する反発が生み出した素朴な幻想だろう。混じり気のない塩で食べるのが一番良いという思い込みなものだ。(良いのは体のためか、心のためかもわからないが)
そもそもエージング(肉の中のアミノ酸が死後に分解される過程)した肉がうまいというのは、肉内のアミノ酸量を多く感じるようになるからで、冷蔵技術がない時代に編み出されたものだ。エージング?を超えると肉は腐敗する。それを避けるために塩漬けや燻製(干し肉)という手法がとられた。塩味礼賛はその時からの名残みたいなものだろう。塩と胡椒が庶民でも簡単に手に入るようになった近代以降、塩味をありがたがるものなど激減したはずだ。冷蔵保管の技術の進歩とともにエージング自体が失われた手法に成りつつある。

まあ、その現代のマジックワード「塩」を、色々と混ぜ物を調合して「塩だれ」にしたというのは、ある意味で裏の裏の裏を読み解くみたいな巧妙な戦略かもしれない。粋がって「塩たたき」を食べてみたが思ったほど旨みが感じられない(当たり前だが)ので、旨味を追加した「塩だれ」で食べることにした。そんな背景がありそうだ。現代のチートな料理法としては正解かもしれない。

ただ、個人的な見解として、スーパーで安売りされている「カツオのたたき」を粋がって塩で食べるという間違いをするくらいなら、潔くこの塩だれを使う方が良いかなとも思う。カツオの本箱内でも塩たたきが浸透しているが、これは料理法としては一方的な後退でしかない。文明の退廃に繋がる(大げさだなあ)蛮行であると思っているのであります。

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最近のお気に入り

数年前まで札幌駅横にある、元・そごうの食堂街にラーメン横丁的な一角があった。そこは不人気店が退店した後、札幌周辺の新興ブランドが挑戦する面白い場所だった。その中で見つけた味噌ラーメン店がこの吉山商店だった。たまたま空いていたから入ったという偶然の出会いだったが、以来愛用している。札幌北部のはずれにある本店まで車で行ったが、中将には入れないくらいの人気ぶりだった。
札幌で人気を博す進行ラーメン店に共通する濃厚系な、ガツンとくるラーメンだ。もう一つの共通点がチャーシューのうまさで、昔の干からびたような薄い切れっぱしチャーシューとは比較にならない。
そのお気に入りの店が支店を狸小路に開けた。どうやら狸小路はコロナの前も含めて、外国人観光客が押し寄せる不思議空間になっている。空き家になっていたところはほとんどが外国人向けのドラッグストアになった。
インバウンド観光客についてはオーバーツーリズムの課題を指摘する向きも多いが、追加で生まれる飲食需要のバカにできない。この店はその典型的なインバウンド客が占拠する店になっていた。

麺とスープのバランスが絶妙 東国でありながら緑ネギを使うこだわりがすごいな

ただ、どうも客の流れが変わったというより、ラーメン店に群がっていた客層(一部特定の地域から来ている観光客)が変わったようだ。昼は相変わらず混んでいるが、店には静けさが訪れている。日本人が増えたせいなのだろう。黙々とラーメンを食べでていく。
以前は店内が大陸系の異国語で騒然としていた。それがなくなった。カウンターで食べる一人客には女性が多い。あれこれと店の雰囲気が変わっているのがわかる。オッ店にとって良い変化なのか、悪い変化なのかはわからないが、利用する自分にとってはありがたい変化だ。
あえて注文をつけるとすればコロナの時期に開店したこともあり、食券販売機がキャッシュレス対応なのだが、これが初期バージョンの機械のため使い勝手が悪い。できれば最新モデルに変えてほしいのだがなあ。いつも食券買うときにトラブルのだよね。すぐに従業員のお姉さんが助けに来てくれるけど……………

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コロナの思い出

大正浪漫から昭和レトロに流行は映っていますが、時代劇ではない和服を着たヒーローは貴重だ

確かコロナの始まりの頃、本屋まで休業していて半年ほどまともに本が買えなくなったことがあった。その頃に売り出したのは、この大ヒット作の最終巻だったような記憶がある。つまりあの大ブームからもう5年近く経ったのだ。
政府の公式(非公式なのか)見解でコロナが災害級の大疾病から普通の病気扱いになたのがあ2023年だから、3年余りコロナ騒動に踊らされていたわけだ。
その3年となぜか記憶がリンクしている「炭治郎」の話だが、北海道と関係がある話だっただろうかと首を捻った。

札幌駅は現在新幹線入れ込みのため大規模改装中で、この手のタイアップキャンペーンの掲示物など置く場所もない。だから、これを発見したのは駅の隅っこで誰の目にも止まらないような奥まったところだった。最初は、何かのパロディーかと思ったくらいだ。
JR東日本が人気キャラと組んで関東の駅を回るスタンプラりーを毎年やっている。巨大人型ロボットやマジカルパワーを持った格闘家とか光の巨人とか年によってキャラは様々だが、鉄分の多い親と子供がまわっいる姿をよく見る。どうやら、それに模した企画らしい

雷ネズミの登場する世界よりリアリティーはありますからねえ でもなぜ札幌?

個人的には、少年誌には珍しい「滅してしまうのが当然と思わせる性悪な悪役」が、まさしく消滅される物語に感動した者だ。悪は滅びるためにある、という21世紀的価値観の発露だと思うからだ。100巻を超え迷走を続ける海賊の物語は、退治された悪い奴が全員復活してくるという悪夢のような展開になっているだけに、この一切妥協なしの消滅は小気味が良い。

ゲーム世界では、悪いボスが何度も復活して退治するのに時間がかかるというのは当たり前の演出になっているが、コミックの物語でそれをやられるとうんざりする。悪の組織は壊滅された後、復活してはいけない。仮面ライダー世界では次々と新しい「悪の結社」が生み出されるが、せめてああなっていてほしい。光の巨人の世界は、どうやら平行宇宙らしく、新しく光の巨人が生まれるたびに、新しい「怪獣世界」も乱されている。科学特捜隊が第二世代や大三世代にはならないで地球防衛軍や怪獣撃退特別集団になるのと同じだ。これが昭和から平成にかけての勧善懲悪ストーリーのお約束だった。
そして令和のヒーローストリーは続編を作らず、完璧に終了する。これが良い。日本のエンタメ制作者の進化だ。明らかに生まれた時からヒーローストーリーで育った世代が、制作の責任者・統括者になり、昭和時代の制作者が抱えていた「戦争批判」「皇国史観批判」から自由になったせいだろう。

次の世代のヒット作、あるいは時代のアーキタイプは、怪獣を退治した後の死体、つまり生ゴミ処理専門家が怪獣退治のヒーローになっていく話だと思っているのだが、すっかり生ゴミ処理の話が出てこなくなって、それが寂しい。Gの名がつく巨大怪獣シリーズ、二足歩行型鯨や直立亀型では対された怪獣の処理をどうしていたのだろうか。解体し運搬する最中でも腐敗は進行するだろうし、大量に溢れ出した緑や紫の血液、体液は環境汚染物質として甚大な被害を河川に及ぼす。
怪獣退治は自衛隊の責任範囲らしいが、後処理は厚生労働省と環境省という、二大ダメ官庁の所管かあ。国土交通省も関係しそうだし。
どうやら炭治郎くんの後釜は、そんなダメダメ行政の尻拭いストーリーになりそうな気がする。となると、どれだけヒットしてもJRはタイアップしないだろうなあ。