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手近なお城

2019年夏 川越城の御殿で綺麗な庭を見てあれこれ考えていた

2019年のアーカイブ写真を見ると、一番近所にある100名城を川越まで見に行ったらしい。それまではダムカードを集めてみたリア、関東道の駅全制覇などと車であちこち動き回っていたのだが、新しいスタンプラリー対象を見つけて喜んでいた時期だ。

単に田舎の隣町だと思っていた川越が、江戸幕府治世化では交通の要衝、その前は関東に派遣を唱える北条氏と上杉氏の決戦地として政治上の要所だったと知ったのは、これ以降しばらく経ってからのことだ。
学生時代にうろ覚えにしていた日本史を改めてお勉強し直すきっかけにもなった。これまた不思議なことだが、学生時代に大嫌いだった日本史が室町戦国期を中心に実に面白いと思うようになった。明治政府が、西国諸藩の下級武士が抱く「恨み」が具現化した欠陥政権だと理解したのは、その後のことだ。
歴史をうごかすのはいつでも「飢え」と「恨み」と「怒り」なのだと、教科書に書いていないことが分かり始めた。川越城のお殿様の部屋を見ていて気がついたことだと、これは自前ののが覚えていた。
それ以外に覚えていたのは、この日川越の老舗鰻屋で鰻重を食べたことだけだ。食い意地の記憶は、本能的で強いものらしいぞ。

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コロナ前の風景

仙台に数受けんある十割蕎麦の店に初めて行ったのは2019年だった。コロナが押し寄せてきて外食企業に大打撃を与えることなど想像もしていなかった平和な時代だった。

この蕎麦屋はいつ行っても混雑している人気店だったが、今でもまだ営業しているのか確かめてもいない。もしもう一度仙台に行くことがあれば、ぜひ立ち寄ってみたいものだ。あまり語られることはないが、仙台には美味い蕎麦屋が多い気がする。ただ、ネット上での露出が少ないだけだろう、どの店も混雑しているがデジタルに「目にすること」はない。

ライブラリーの写真を辿ってみるまで、この店のことはすっかり忘れていたが、一度思い出すと蕎麦の香りや出汁の効いた蕎麦つゆの味が蘇る。脳の記憶というのは不思議なものだなあ。しかし、もし仙台に行ってもこの店にどうやって辿り着くか思い出せるだろうか。やはりグーグル先生のお世話になってマップとナビに頼ることになりそうだ。こうして、脳の外部化が止まらない。

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AIスピーカー

これも8年前のライブラリーに寝ていた

AIスピーカーが世に登場したのは2018年ごろだったらしい。それ以来ずっと同じモデルを使っているが、最新版は画面が見られるスクリーンモデルが主流らしい。ただ、古いマシンだが稼働部分がないせいだろうか、個食など一度もない。たまに雷の後、沈黙していることがあるがそれもしばらく放置すると勝手に回復してくる。
声の認証制度も上昇しているのは、背後のシステムの進化だろうが、最近では「わかりません」と言われることがほとんどない。すごいものだ。目覚ましをセットしろとか、熱前に翌日の天気予報を聞きたいかとか、なかなか細かい気配りをするようになった。

グーグル先生も使っているが、こちらはハードウェアの仕様のせいか音声認識が悪く、おまけにしょっちゅう切断して復旧できなくなる。ただ、これも放置すると繋がっていたりする。アップルのSiriはどうやらちょっと違う進化方向を目指しているらしいが、一番面白い答えを返してくれる。一人遊びの相手としてはSiriが一番良い相手だろう。

などとあれこれ思い出せるのが、脳の記憶能力を外部かしたせいた。8年前の日記など、昔のスタイルで日記量に書いていたとしても、そこに記述したものが思い出せないだろうと思う。写真の切り抜きやスクラップ記事をやっていたのは、手書き日記の不便な部分を補うためだったが、それも数年前に辞めてしまし全て廃棄した。
少なくとも1970年代程度まであればネットの検索で探り出せることに気がついたからだ。記録はデジタル化するに限ると思い、当時は大袈裟なパソコンとスキャナーであれこれやっていた。が、今ではスマホ一つで記録も保存も検索も十分だ。最近では電話番号を覚えることもなく、Siriに頼めば電話を勝手に繋いでくれる時代だ。人の脳は、お猿の祖先から進化をし始めて、初めて記憶容量を増やさなくて良い時代に到達した。この先は脳の記憶領域(メモリー)は減少する一方だろう。

あとは、感覚の脳内投影、つまりVR技術の進化で、人は根底からそのありようを変えるのだと思う。SFの世界はあと一歩先に来ていて、Siriやアレクサがその入り口を開いてくれているのだろうな。

少なくとも、デジタルーカイブ無しでhあ8年前の4月にどこでラーメンを食べたかなんて思い出せるはずもない。

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古い写真

8年前に拾ってきたらしい 野良?写真は怪しく美しいな

これは自分の撮った写真ではない。ワードプレスに記録されている自分のライブラリーの一番古い写真だ。どこからか拾ってきたものらしい。原盤はおそらく公共のライブラリーないにあるはずだ。
ネット上での著作権に関して、現在進行形で制作、アップされたものについては法的整備がなされていて、境界線上に残るのは制作物における「引用」の判断になる。例えば、太宰治「人間失格」の評論を書こうとして、その一節を引用する。これが、一般的な引用の例だろう。さて、この一節が本体の1/3もあったら、それは引用になるのか。全文引用したとしたら、それhじゃ評論になるのか。みたいなお話なのだと思う。
商業的な出版物であれば、あれこれ許諾の範囲など確定し、金銭で処理をするので良いと思うが、非商業的であった「同人誌」はすでに商業出版物扱いだ。おそらく商業出版物で引用などの例外にされるのは、使い捨ての広告文案くらいだろう。不動産屋にチラシに書いてある、例のポエムに対して権利主張をするような人間がいるだろうか? (いるかもしれないが、かなり面倒な法廷闘争になりそうだ)

それと同じで、昭和初期に撮影された写真や動画(それも商業的ではない、いわゆる趣味の世界)は、撮影時から100年近く経ち、撮影者(権利者)が死亡して70年を過ぎれば、著作権自体は消滅するはずだ。ベートーベンの楽曲に権利主張するものがいないのと同じだ。ただし楽曲の演奏、およびその録音物は新しい権利が発生するが、楽曲自体には及ばない。(はずだ)
時間経過により、個人の権利物から公共財へ変化するといった考え方なのだと思う。
建築などのデザインも同じで、誰かが松本城のデザインをパクったとしても、すでに築城時代の責任者?殿様?は死滅しているから、誰も権利を主張できない。

同じことが昭和初期前後の写真や動画で起きつつあり、それがネットの世界で登場、展示、保管されるようになると完コピが商業的に可能になるのではないかなあ、と考えている。過去のデータが野良化したまま、著作権フリーな素材としてネット空間の中に散乱する、というイメージだろう。たかが自分のライブラリー、それも7年程度の昔であれ「野良化」は起こる。sy界全体で、特にSNSの勃興機から世界中に溢れ出した「素人画像」は、この先どういう整理や淘汰や廃棄されることになるのかとなると気が遠くなる。まあ、それは人のお仕事ではなく、辛抱強く効率の良い専門AIが対応するのだろうけれど。現時点では世界にとってノイズでしかない素人画像が、どこかで臨界点を超えたら人類の「ライブラリー」にまで進化するのかなあ。

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小樽水族館のオムライス

この季節になると狼ウオに会いたくなる。小樽にある水族館に行くのは、決まって冬の始まりだった。なぜなのかはよくわからない。雪が積もると水族館には行きたくならない。熱い夏もダメだ。
さて、おたる水族館に行って狼ウオと対面すると、もうすることがない。たまに気合を入れてトドの餌やりに挑戦してみたりもするが、百々の世界は序列制度が厳しいようで、全ての餌を大きなトドが独占してしまうのが、なんとも腹立たしい。わざと小柄なトドに向けて餌を放り投げても、大きなトドが押しのけて取り上げてしまったりする。狼ウオで癒された心が、またささくれ立つ。これではなんのために水族館に来たのか訳がわからなくなる。

なので、大抵は開店仕立てのレストランに行き、ビールと天ぷらそばみたいな大人の休日メニューを楽しむのだが、興が乗ると亀のオムライスを頼む。どうもこれはキッズメニューであるはずなのだが、大人が注文して問題はない。亀の形をしたチキンライスにカレーとエビフライとポテト、ケチャアプをドバッとかけてしまえば実に素晴らしいブランチのつまみだ。
全国のあちこちでオムライスは食べ続けてきたが、やはり好みの点ではおたる水族館のものが最高であると思う。これに続くとしたら、秩父にあるパリー食堂のゴージャスなオムライスが。おたる水族館、今月中になんとか行かねばなるまい、狼ウオとオムライスに会いに行くのだ。

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行者にんにく

夏の終わりに買ったものだが、ようやく食べる気になって開封した。その瞬間、室内の匂いが変わったが、そこは気にしない。熱いご飯の上に一掴みの行者ニンニクを乗せ、その上に鰹節をかけてかき込んだ。実に満足のいく昼飯になった。

翌朝、トイレで昨日何を食べたのか思い知らされた。匂いは消化されても残るものらしい。

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ラーメン評伝

画像はアマゾンからの引用です

グルメ漫画は数多くある。大体の原型は例の怪しい諸策「おいしん〇〇」にある、権威者と反抗者の対決という構造で蘊蓄を語るものだ。権威者は伝統の味の根源を語り、反抗者は新しい手法や食材の組み合わせでこれまでの限界とされていた固定概念を打ち破ろうとする。調理、料理の世界を学ぶにはわかりやすい教科書だった。ただし、科学的根拠に薄い理屈も散見し、元ネタは魯山人がほとんどだとの指摘も受ける。まあ、業界先駆者はいつも酷い目に遭うという典型だ。
ただその後、対決モードではなく、蘊蓄ひけらかしではないグルメ漫画というより評論に近い作品も生み出されるようになった。ジャンルとして成熟したのだ。「うまいもの」は味だけで決まるのではなく、社会情勢やメディアとの関係性で「生み出される」ようになったという指摘だ。もちろん、その根底には「一般人の舌はグルメの微妙な差異を嗅ぎ取れるほどの精度はない」という悲しい現実であり、それを理解した上で売れるものを作り出す、商売としての調理技術者・外食経営者という概念だった。
その典型例が、このラーメン業界を扱った、実に冷ややかな評論だ。美味いラーメンの話ではなく、昔行列を作ったラーメン屋がいかにして没落していくのかを淡々と描く。その没落を止めるには〇〇が必要だ、という教訓があるわけではない。が、味と組織の新陳代謝を図らなければ、どんな人気店も必ず没落するのだと説いている。

外食企業関係者には是非一読してほしい、目から鱗が落ちる教科書的存在だろう。個人的には、「美味いから売れるのではない。売れるものがうまいのだ。」とずっと語り続けているのだが、この話を理解できる外食経営者はほとんどいない。うまいものを作れば売れると信じている、いや、信じたいのだろうが……………それはすでに昭和に時代に壊滅した亡国理論なのだと思う。

うまさを磨き上げることも大事だが、売れるように物語を仕立て上げることもサボってはいけないのが令和の時代のお作法だろう。味の職人から外食企業の経営者として成功した、芹沢さんの人生回顧録の体裁をとっているが、これは生の現実だよねえ。

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パンの食べ放題

店内で焼き上げたパンが食べ放題というレストランはあちこちのイオンモールで見かけていたが、パンに興味が薄いこともあり入ったことがなかった。今回初めて入ったが、意外と老若男女に人気があるらしい。週末の日曜ということもあり、店内には色々な客が溢れていた。
満席の客数なので、一斉にパンを撮りに行くとすぐに欠品してしまうのが難点だが、パン好きには良いのかもしれない。いわゆるリーン系のパンが多いが、食事にはそちらの方が向いていると思う。

料理が出てくる前にパンを食べてみた。まあ、普通に美味いので文句はない。が、個人的にはこれがヒキになるほどの魅力ではない。やはり、パン好きのための店なのだ。

出てきた料理は、明らかにジェットオーブンで加熱したもので、それは現在のファミレスのほぼ全店がそうなのだから不満はないのだが、やはり肉の調整配合に改良の余地があるようにも思う。メニューのライン名っっぷも明らかにジェットオーブン対応ばかりなので、幅が少ない。まあ、この店の売りは焼きたてパンであり、肉は添え物だと考えれば、このレベルで良いのかもしれない。
日曜昼に満席になる人気店だから、下手にいじくり回すのも得策ではないだろう。あえて注文をつけルルとすれば、これはイオンモール全体に言えることだが、店の区割りが狭すぎて客席数が密集しすぎなことだ。これはまさに大家の問題なので、イオンモールは考えを変えた方が良い。無理やり狭い店を10店詰め込むより、余裕のあるスペースを使える8店にした方が全体売りげは上がるし、家賃も増える。顧客満足も上がる。良いことばかりなのだが、そこに気が付かないの、企業体質の課題と考えるべきなのだろうなあ。
ともかく通路が狭くてびっくりした。バリアフリーという言葉が脳裏を掠めたくらいだ。

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勘違いしていた

最近吉野家が複数のラーメン店を買収していて、自社ブランドではないラーメンチェーン店軍を指向するという荒技に出ている。この店もその一環だと思い込んでいたが、実は全然違っていて、つけ麺チェーンの別業態だった。店頭のファサードがファストフード風だったので誤解してしまったようだ。

中にはいいて見ても、吉野家的オペレーションフレンドリーな店作りになっていないので気がついた次第。企業にはそれぞれ匂いというか、クセというものがあり、それが別業態であれ反映されるものだ。良くも悪くも、同じ会社の人間が業態開発をする以上、似通ってくるのは仕方がない。

ラーメンは一番スタンダードなものを頼んだ。いわゆる東京背脂ちゃっちゃ系の復刻版を目指しているらしい。1980年代に前世を極めて背脂たっぷりのラーメンは、今では見かけることもすっかりなくなった。ホープ軒や香月といった有名店が行列を作る人気店だったが、今ではどこに行ったのか、というくらい見かけない。
濃いめの味だが、味の濃さ、背脂の多さ、麺の湯で加減など調整可能なので、部分的なカスタマイズもできる。普通に美味い、近くに店があれば年に数回は食べに行くかもしれない。値段もこなれているし、店数は増やせそうだ。
怒涛の吉野家ラーメン攻勢にどこまでラーメンチェーンが対抗できるか、ちょっと楽しみではあるなあ。

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神田屋という一人飲み居酒屋で

ピーマンの中にポテトサラダが入っている 予想外に旨い

お江戸ではもはや老舗級に成りつつある居酒屋チェーン「天狗」が平成後期から令和にかけてコンセプトの一大整理を行い、大型店の天狗大ホールと小型店の神田屋に収束させたようだ。天狗大ホールはランチ需要を取り込んだ、酒も飲める居酒屋的食堂になった。昭和レトロを平成生まれに売り込むというスタンスで設計された業態であり、店舗だと理解できる。
そして神田屋は、もともと焼き鳥主体の天狗小型店だったものを、大胆にメニュー整理をして「高齢者の一人飲み」として縮小再生したもののようだ。そのメニューは天狗大ホールの縮小版であり、独自性は薄いがオペレーションが優しい。言い換えると簡易版店舗として出店しやすい業態への転換だ。
だから酒の単価は安い。つまみも提供量を減らし(小皿化して)低価格に抑えるというのが焼き鳥天狗時代からの修正点だろう。
昼飲み・一人飲み需要を取り込めば、客層の違う居酒屋二毛作になる。客層が限定される朝食などに手を出すよりよほど合理的なのだ。ただ、そこに手を出して火傷したのがガストであり、早期に居酒屋併用から脱出したのが吉野家だ。
また、この昼飲み需要は比較的人口の多い地域でしか成立しない。ジジイの人口が多いからといって地方都市・田舎町では機能しない気がする。大都会のジジイのように人目を気にせず昼から酒を飲める豪傑が存在しにくいようだ。

その神田屋で面白いメニューを見つけた。生のピーマンにポテトサラダを詰めているだけなのだが、これをピーマンごとぼりぼり齧る。旨い。これはアイデア料理だなあ、などと感心した。

たまたま店の前を通りかかって、ふらりと入ってみる気になったのは、この赤い酒のせいだ。バイスサワーという、お江戸の下町界隈で飲まれている「バイス」の炭酸割りのせいだった。バイスは割材としてたまにスーパーの酒売り場などで見かける。どこにでもあるわけではない。お江戸を離れると、途端に見かけなくなる。
割材としてホッピーはすでに全国区になりつつあるが、バイスは実にお江戸ローカルなのだろう。下町が発祥の地であるIY、ヨーカドー系列の店では売っていることが多い。このバイスを飲み干す頃にはカウンター席がほぼ埋まった。客はもちろんジジイばかりだった。

天狗系居酒屋は意外と肉料理の質が高い。下手なファミレスよりグレードが高い時もある。神田屋はもともと焼き鳥主体の店だったのだから、焼き鳥、串焼きは期待できるかなと思って注文してみたが、普通に旨い。焼き加減がちょっと火の入れすぎという感じもあるが、レアで出されて腹が痛くなるよりマシだと、そこは諦めることにした。

自分でもたまに作るカツオのニラまみれがメニューにあったので、それも注文してみた。とりあえずカツオを切って、こま切れのニラとタレをかけるだけのシンプルメニューだが、酒の肴としては十分な質だろう。少なくとも提供時間は早い。チャチャっと飲んでちゃちゃっち帰る客には、実に使い勝手の良い店だ。

まあ、一人で居酒屋に入って、こんな面倒くさいあれこれを考えているのだが、これが正しいジジイの時間の過ごし方かもしれないなあ。