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2020年2月の写真 その3

カレーかハヤシのルーを選べる盛り盛り定食だあ なんとこれが1200円(多分)

新宿の老舗洋食屋というか大衆食堂で昭和の復活メニューというゴージャスなセットメニューを食べた時の写真だ。これでも確か1200円くらいだったはずで、コロナ前とコロナ後では価格が3割ほど違っている。今では同じものを注文すると税込2000円に近くなる。困ったものだ。

おそらく平成の30年間、ずっとお経にように唱えられていた「緩やかなインフレ」による経済回復みたいなものが、コロナの結果で木っ端微塵肉焚かれたのだが、当時の積極財政論hじゃの理屈は完璧に間違っていたことの証明にもなった。制御されたインフレなど机上の空論、御用経済学者の馬鹿げた暴論だった。瀬金者出てこいと言いたくなるが、当時の首相も今はいない。生きていたらかなり辛辣な追求を突きつけられたはずだ。

自分たちでコントロールできると思っていた円ドルの為替レートも、コロナを契機に暴落し結果的には日本の輸入に課題な負担をかけただけだ。輸出企業は円安で大儲けした格好になるが、それで国内インフレが進めば内需減少でまたデフレに突入する。貧乏人が限界を超えて貧乏になれが、その先に待つのは革命が独裁政治しかない。つまり、経済界にとっては破滅的事態を迎えるのだが、それを憂う経営者はいない。平成に育ったボンクラ経営者は実は頭が悪いのだと思う。
まあ、洋食屋のランチセットの写真を見て政治をかたるのもむなしいはなしだが、政治の階とはこうした庶民の食卓の上に現れるものではないか。こんなメニューがちょっとした贅沢だった時代と、こんなメニューは高くて手が出ないという時代は、明らかに後者が社会的に病んでいる時代と言えるだろう。

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昔の写真 2020年2月 続き

これはとあるラーメン屋の店内風景で、昭和30年代の茶の間(懐かしい響きだがもはや死語か?)を再現したもの。個人駅には瓶入りのファンタが、特にデザインが懐かしい。デンエアきが白くいえるが、これは黒電話に着ぐるみを着せているからだ。(多分)
昔は電話機にそれぞれの衣装を凝らした「外套」を着せるのが流行っていた。今の「かわいいー」につううじる感覚なのかもしれない。
テレビのチャンネルはリモコンで操作するのではなく、つまみを右左に回すものであり、ガチャガチャと音を立てて回す。どうもこれが例のガチャガチャの発端ではないかとも思う。人は子供の時の記憶を懐かしみ再現しタックなる生き物らしい。ガチャガチャ開発者はこのテレビのチャンネル回しに深い郷愁を感じていたのだろう。

手前にあるのは石炭ストーブで、この鋳物製のストーブは当時としては高級品だったはずだ。ヘナヘナの薄っぺらい鉄板で作られたルンペンストーブというものがより一般的だったような記憶がある。ルンペンという言葉も死語だろうが、今風に言えばホームレスに近いのだろうか。屋外で暮らすルンペンが使うような安物というニュアンスだったような気がする。
石炭ストーブの上には必ず蒸発皿、大きな鍋やボウルに水を入れて下垂機能を持たせたもの、つまり今で言うところの加湿器の先祖みたいなものだ。

個人的には昭和30年代40年代に郷愁は感じない。当時は思いおしなかったが、かなり経済的には低いレベルで暮らしていたはずだが、周りがみんな同レベルだったのでそれに気がついていなかっただけだ。昭和30ー40年台は日本人が全体的に貧しかったせいでの、平等社会が実現できていたのだろう。そこから昭和50年台のバブルが生まれていくのだが、貧乏人がみんな金持ち幻想を抱けた幸せな時代だった。そしてバブルが始まる頃には、この写真のような光景は日本中から姿を消していたのだな。ちゃぶ台はなくなりダイニングテーブルになった。石炭ストーブは灯油ストーブの温風ファンヒーターにかわり、テレビはカラーになりリモコンが当然になった。

良き昭和というのはやはりこう言う光景が消え去った昭和50年代後半だったと思うのだなあ。

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昔の写真 2020年2月

2020年の1月にマスクが売り切れる騒動が起きた。最初はインバウンドの大陸チャイニーズが大量に買っていたせいだったが、海の向こうのビュきだったcovidがインバウンド客と共に襲来してきた。札幌では雪まつりが感染の契機になっていたに違いないと思う。初発は雪まつり会場の運営事務所だったはずだ。そこから3年にわたる「コロナ怖い怖い病」が始まったわけだが、まだ当時はこんな感じで人気の食堂に人が表列していた。
これから2ヶ月もすると、まるで外出禁止令が出たかのように街から人は消えた。当時の首相が生きていれば、あの時期を振り返って話をしてもらいたいものだが。

思えば、この時期から日本企業が大陸から撤退する契機だったチヌ手にy言うビジャにしれない。コロナが引き金となり、大国が大義なき侵略戦争を始める時代となった、と後世の歴史家は書くのかもしれないなあ。

ヨーロッパの中世はペストの大流行と共に終焉を迎え、戦争と覇権争いと植民地争奪戦に突入していった。疫病はいつの世でも経済の弱体化と戦乱の引き金なのだ。日本でも応仁の乱と疫病の大流行はセットだった。
コロナの時期から始まったインフレと大国の暴力装置発動は、それを思い起こさせる。徳川の知恵、国を閉ざすと言うのはある意味内国治安維持のため有効な手段であるような気もする。コロナの落とし子として直接合わないネット商談というビジネスインフラを手に入れたのだから、人の交流を止める令和の鎖国というのは、案外と正しい選択ではないのか。

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どうした 初代

小樽の初代は味噌ラーメンの名店だと思っていた。ちょっと不便な場所にあるので最近入っていなかったが、閉鎖れた札幌駅ビルの中にあった店は度々訪れていた。個人的には小樽ラーメンの代表だと思っていた。札幌の純蓮や桑名と並ぶ豚骨系味噌ラーメンの店で、一度は訪れたほうが良いととお勧めできる店だった。
その初代が、千歳空港のラーメン道場内に新店を出していた。味噌ラーメンの店が置き換わったようだ。前の店はトッピング全乗せ2000円みたいな売り方をしていたので、ちょっと危ないかなと思っていたが。

さて、いそいそと店に入り込み注文して出てきたラーメンは、なかなかビジュアルが優れている。断熱ステンレスのどんぶりというの都会のスマートさが感じられる。ラーメンの進化を感じさせるビジュアルではないか。
では、実食。すかさず脳内にクエッションマークが浮かんできた。何か微妙な違和感がある。おそらく油だ。スープに足すであろう香味油系の何かが変質しているらしい。食べ進めるうちに疑惑は大きくなるばかり。ラーメンを完食しないという経験を久しぶりにした。
遺憾である。まさに如何ともし難い。度し難い。など、脳内にあれこれ浮かんでくる。
今回だけのことだと思いたいが……………大丈夫か?初代。ちなみに、この時は店内がほぼ満席だったから、人気はあると思うのだが。

うーん、もう一回だけ試して見るか。長いお付き合いのあるブランドだし。それとも小樽の本店に行って、自分の味覚がぶれていないことを確かめようか。
千歳空港に限らず空港の家賃は歩合制で、それもかなり高めなので、普通の路面店より10-20%ほど価格が上がるのは仕方がない。おまけに、千歳空港は人口の少ない千歳市から採用するアルバイト従業員の取り合いで、時給も札幌より高かったりする。だから、この店で価格のことは言っても意味がない。ただ、1日の注文数は路面店の比ではないのだから、品質管理はとても重要だと思うのですけどね。

客数の多さに負ける、ということは飲食業ではよくあることなのだけれど……………

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もう一つの五十番

新宿で老舗町中華の五十番に行ってすぐ、もう一つの五十番に行った。札幌では、これも老舗の東京五十番だ。なぜ東京が頭についているのか不思議だったが、なんとなくわかった気がする。きっと、札幌の東京五十番初代店主が東京にあるどこかの五十番で修行したのだろうな。
ちなみに、五十番と言う屋号は新宿だけではなくあちこちにあるらしい。この店の本店はもはやなくなってしまったが、学生時代からお世話になっていた札幌の格安中華代表選手だ。

店頭のサンプルケース前に置かれた「日替わり」メニューを見てあれこれ考え込んでしまった。記憶の中にある日替わりは、確か380円、おまけに消費税など払わなくて良い頃だから、払うのは額面通りだった。
この店は実に正直なお店なので、税込価格で行事しているから払うのはこの金額で良いのだが、消費税がなければあと100円ほど安い。何が言いたいかと言うと、およそ昭和後半から平成にかけての値段は変わりがなかったのだが、令和になってほぼ倍に値上がりしたと言うことだ。
食べ物の価格が上がると革命が起きる。革命は思想で起きるものではなく胃袋で起きるものだと言うのは過去の歴史が証明している。ところが、世界中のボンクラ政治屋はそれを理解しようとしない。そして、ボンクラ政治屋は最後に粛清され消滅するが、また性懲りも無く生えてくる。人類社会の害虫ナンバーワンだが、まだ自分の番ではないと思いたがる。
食品価格が二倍になったとすれば、革命の危機はその倍以上に跳ね上がると言うものだが、自分はマリーアントワネットではないと思いたがるのが、バカ政治屋の特徴だから、令和の日本は実に危ういタイミングになっているとおもうのだよねえ。中華料理屋の値段を真剣に検討する総理大臣なんていないだろうし。

本日のサービスメニューは美味しくいただいたが、この量を食べる切るのは二十代くらいまでではないかと思う。昔はこんな量、へっちゃらだったのだなと、また別の感慨を抱いてしまった。

ちなみに立地乗せかもしれないが、この店には女性の一人客が多い。およそ半分くらいがソロ女性だった。これもなんだか時代の変わり目のように見えてくる。結婚5文字働く女性がほとんどの時代だから、当然のように飲食店でも女性客が増えているはずだ。ただ、なぜオシャレなカフェ飯ではなく、ちょと賑やかで手狭な中華料理店にくるのか、と言うあたりは考察すると面白そうだなあ。隣の女性が天津飯とラーメン(フルサイズ)を食べていたので、あれこれ考えてしまった。

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速度半減の冬道

去年の夏は暑い暑い夏だった。温暖化と騒ぐから冬もアタたくなればいいのにと思うのだが、そうはいかないようでやはり雪は降り積もる。それでも12月中は路面も出ているほど雪が少なかった。北海道の冬、特に積雪に関しては1月と2月だけが昔と同じくらい厳しいが、3月には雪が無くなるほどだから、やはり気温は上がっているのだろうなあ。
これくらい雪が積もっていると北国の冬という感じがするが、これも前日までは感覚的に半分程度しか雪がなかった。
ちなみに、歩道にも小型除雪車が入るので、雪が降っても歩行者が困ることはない。

ただし、道路の幅は明らかに狭まる。夏場では三車線規模の広い道なのだが、雪が積もれば1.5車線程度になってしまう。これも雪道あるあるだ。そして、車の速度は夏の時期の半分程度まで下がる。別に法規制があるためではなく、冬未知の怖さはみんな知っているので、じそく30Km程度が事実上の制限速度になる。速度があると止まらないから追突する危険もあるが、実は冬道では自爆が一番怖い。道路脇の除雪された塊に突っ込む程度であれば、せいぜいバンパーやフェンダーが凹む程度だが、雪道では軽く横転する。こうなると自力脱出は非可能で、場所が悪ければ救助が来る前に凍死する。
ちょっとスピーを出しすぎると、普通は運転していては経験することはないであろう360度回転とか720度回転とかにしピン技を交差点内でやってしまう。素人ドライバーがスノボの世界選手権みたいな難度の技を体験することになる。当然、交差点内ではそのスピンに巻き込まれる可哀想な人と車も存在する。歩行者にとって交差点を渡るのも命懸けだ。ああ、怖い。

冬には市役所のお仕事として除雪が充当なのだが、市が担当するのは、いわゆる幹線だけなので、それに接続する支線(脇道)は住民が頑張るしかない。そんな私設脇道は、なぜか幹線に対して斜めに接続されることが多い。少しでもショートカットしたいと言う気持ちなのだろうか。いつも不思議に思う。直角に繋ぐほうが除雪の量は少ないはずなのに。雪国の不思議あるあるだ。

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老舗ラーメン店での文化考察

冬本番のススキノで何日か滞在することになり、ふと思い立ち晩飯に老舗のラーメン屋に行こうと思った。普段であればもう少し都心寄りのホテルに泊まっているので、ススキの南部にあるこの老舗ラーメン店に来ることは稀だ。というより20年ぶりくらいかもしれない。
学生時代には飲んだ帰りにたまに酔っていたので、味の記憶はある。いわゆる昔ながらの醤油ラーメンを中心とした、昨今のニューウェーブ・ラーメンとは一線を画するの武士的なラーメンであるという認識だった。
すすきのという立地特性上、夜の7時や8時はガラガラだと思い込んでいたのだが、なんと満席で店先には席待ちの客が溢れている。
その姿を見る限り、どうも南方イスラーム圏からの来日者らしいとわかる。あれれ、と思った。基本的にラーメンのベース食材は豚が多い。鳥や牛はほとんど使われない。イスラーム圏の方が歯大丈夫なのか。
少なくともこの手の老舗ラーメン店でハラルなメニューがあるとは思えないのだが。

店内に入ってみそラーメンをチュモンした。どうも記憶にあるより濃厚系になっている。おそらく豚骨ベースのブレンドスープに変わっているみたいだ。これはこれで美味い。文句はないが、昔のあの「札幌的なみそラーメン」はどこに行ってしまったのだろう。
半分懐かしがり、半分あれこれ考え込みながら食べていた。店内から日本語は聞こえてこない。どうも南方チャイニーズ・南方の諸島国、そして南方イスラーム圏の人たちらしい。ようやく聞こえてきた日本語の注文もよく聞くとなんだかちょっと発音が合う怪しい。注文が終わった後の会話は半島語になっていた。
要するに従業員以外は、自分しか日本人がいない。なんとなくニューヨークでラーメンを食べた時のことを思い出した。すすきのグローバルナイトだった。

メニューブックには昭和中期らしいすすきのの風景が写っている。まさにはるかに遠き時代の風景だ。この頃の店主は自分の店が国際社会の縮図になるなどとは思っていなかったに違いない。ましてやラーメンが日本を代表する和食になるとはね。

個人的には、「僕の時代を返せ」と言いたくなる気分だが、日本人だけが客で店の経営が成り立たなくなるのであれ、積極的に外国人客を迎え入れてお店を続けてほしいとは思うのだ。ただ味だけは、日本人仕様を残してほしいのだけれどね。

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新宿のパワーとは海から来るのだ

どう見ても海鮮居酒屋風なのだが

新年会を新宿歌舞伎町でやると誘いがかかり、週末の昼過ぎにのこのこと歌舞伎町のど真ん中にある店に出かけた。店名を見る限り海鮮居酒屋と思うではないか。目の前は新宿歌舞伎町名物のゴジラヘッドホテルだ。

友人曰く、焼き鳥の評判がいいのだと。ネットでの店舗評価らしい。なので焼き鳥盛り合わせを頼んだら、ゴロンと一皿で出てきた。なんとも単調なビジュアルで、まるでテイクアウトの焼き鳥をさらに盛った感じだ。
たいてに焼き鳥屋であればこの手の盛り合わせはもう少し大きめの皿に出して、体裁を整えるのではないかと思うのだが……………
びっしりと隙間なく詰まった焼き鳥はちょっと窮屈そうに見える。おまけに、店員が品物の説明をしない。何がないやらわからぬまま当てずっぽうで食べる。

天ぷらも評判だというので注文したら、なんと衣がたっぷりの海老天が来た。この系統の天ぷらは米国あたりに行くとよくお目にかかる。天ぷらという名のフリッターだ。魚のフライに関する認識、つまり衣のカリカリ感を好むというのは日本人特有のものらしく、海外に行って現地のフライ料理を食べても大概はこのフリッタータイプ、衣が厚いものしか出てこない。日本的なトンカツやその一族であるコロッケなどの食感は、実は洋食ではなく近代和食特有のものだ。それは持ち帰り弁当屋ですら守っている絶対のきてだと思うのだが、この店ではなんとも面妖な海外仕様だった。

ネットで予約するとサービスで出てくる唐揚げ。これもネットコメントでは評価が高いのだそうだが、よくいえば普通。厳しくいえば、油の匂いがきついか。まあ、タダで出てきたサービス品に文句をつけても仕方がないだろう。
しかし、本当に見栄えに気を使わない店なのだなと感心してしまった。

海外資本のなせる力 と読み替えるべきでした 
日本人にはこうした店作りはできないでしょう 多分ですけど

店内の様子を見ても、メニュー構成を見ても「海」の気配は全くない。どうやら外国人観光客向けに特化した店らしい。だから日本人客はおまけというか、空いている席を埋める要員的な八曽が感じられる。
おそらく大陸系の外獄人が経営しているのではないか、という疑いを持った。確かに新宿歌舞伎町でリピート客を期待せず、一過性のインバウンド客を相手にしようとしたら、日本風のものをそこそこの値段で出し高速回転させるという商売モデルは成立しそうだ。二階・三階は大人数客をセットメニューで一気に回すという仕掛けになっているのだろう。
歌舞伎町周辺は一気に外国人向けのホテルも増えているし、自分の記憶にある限り外国人客は長居をしない。おそらく二軒・三軒とあれこれ店を試したいからだと思う。だから回転率が良い。あまり注文もせず長居をする日本人よりよほど良質な客であり、ネット情報さえ完備しておけば(それも非日本語対応で)繁盛するのだろうなあ。

店名の「海」の力ではなく、「海外資本」の力ということなのだと、歌舞伎町で思い知らされました。ちなみにレモンサワー、一杯50円という低価格だが、何倍飲んでも酔わない低アルコーツ?(微アルコール)というのもインバウンド向け仕様みたいだ。五杯飲んだらほろ酔い気分になれるかも。

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アッパーな居酒屋で一休み

あれこれ面倒な仕事を片付け、久しぶりに美味しい居酒屋に行っていようと思った。札幌駅前通にある本店はいつも予約がいっぱいで、おまけに客足ライがいささか雑なのが玉に瑕だ。コロナの時は流石に閑散としていて、必死に営業を続けていたが予約もなくふらりと入れたのが懐かしい。
そんな混雑を避けるべく、琴似にできた支店をたまに使っていたのだが、全く知らないうちに札幌駅北口にも新しい店ができていた。こちらの店もなかなか盛況だが本店ほどの混雑でもないので、しばらくはこちらの店の使い勝手が良さそうだ。
開店間もなくに入店し、まずは刺身をいくつか注文した。鮮度、品質、申し分ない。お値段はちょっと高めだが、ハズレがないのはありがたいことだ。チェーン居酒屋では頼む気にもならない刺身を楽しむには、ローカル回転寿司に行くしかないのだが。この店は比較的低廉な価格で刺身を楽しめる。種類も多い。某全国チェーンでよくあるイカ・タコ・マグロの3点セットみたいなものは存在しない。

初めて食べたのが、お店のおすすめ「スペアリブ」だった。これは美味い。炙り加減がちょうど良い。骨付き肉特有の旨さがある。おまけに食べやすくカットしてある。まさに居酒屋仕様なのだ。

そしてラーメンサラダは、酒のアテとして十分な力がある。こちらは野菜少なめの冷やし中華的な仕上がりだが、このラーメンサラダは店ごとに仕立てが違うのを楽しむものだと思う。比較的シンプルな設計だが、これにチャーシューがトッピングされていたり、あるいは温玉が乗っていたりという変化は冷やし中華よりずっとバリエーションがある。飯ではなくつまみだから、料理としての自由度が高いせいだろう。

会計は普段使いの居酒屋の3割マシというところか。食べ物は全体的に高めの設定だが、これもこのご時世であれば仕方がない。
札幌駅北口から徒歩3ー4分ほど、ビルの一階にある「ふるさと」、おすすめです。

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老舗大型居酒屋にて

札幌でつぼ八が産声を上げた頃、すでに地元では大型居酒屋として有名だったこの店が、今でもしっかりと営業していることに驚いた。昭和後期の居酒屋ブームが起こる前に、すでにテレビコマーシャルをしていたような記憶がある。耳にこびりついていた、あのフレーズが思わず脳内で繰り返された。「グランド居酒屋、ふじでーすよー」となんとも哀愁を帯びたマイナーなメロディだった。
学生時代は大人数のコンパであれば、よくここが選ばれた。値段はどうあれ30-40人が入る伊勢となれば、その選択肢は自ずから限られてしまう。大座敷がある居酒屋の走りだったのかもしれない。

商談の終わった後の打ち上げということで、わずか3名でこの店に入った。札幌在住の方のおすすめで、おまけにこちらはやたら懐かしい気分になったから文句は全くない選択だった。ただ、なんとなく賑わいが感じられないのは宴会席ではなかったせいだろうか。それとも、いまではすすきの定番の外国人客が海芋のせいだろか。確かにインバウンド客には使いづらい店なのかもしれない。が、現在の日本において外国人ゼロという店は貴重な存在だと思う。
あれこれと、北海道的メニューを頼んだのは元・札幌駐在員であった東京出身者だった。メニュー選択が面白い。
忘れてはいけない一品としてラーメンサラダが出てきた。これは締めでも美味いが、スターターとしても優れものだ。珍しく野菜多めの醤油味ドレッシングだった。うまい。

そして、これまたど定番のザンギ、鶏の唐揚げだが、50年続く秘伝のレシピーなどと書いてある。50年とは大袈裟なと思ったが、それは自分の勘違いでしかない。確かに昭和後期から続いている店では50年越えのメニューは当たり前に存在する。これも脳内記憶の歪みというか、昭和がそんな昔だという意識がないせいだ。このザンギもうまい。おまけに大ぶりなのが昔懐かしい。(最近のザンギはすっかり小型化している)

そして不思議メニューが追加された。なんとお好み焼きで、なぜ札幌でお好み焼き?という疑問は湧いてくる。が、これはこれでなかなか美味い。炭水化物系で酒を飲むのはちょっと邪道な気がするが、甘めのソースとマヨネーズのコンビは、日本人にとって鉄板の味。酒に合わないはずはない。
ちなみに札幌圏でお好み焼きといえば、十中八九「風月」という答えが返ってくるはずだが、これは大阪のお好み焼き屋とは全く関係のない屋号だそうで、いわばパクリらしい。だから、北海道人が大阪に行って「風月」(本物)の看板を見ると「おお、大阪にも風月がある」というとか。都市伝説みたいなものかもしれないが、自分はまさに大阪の風月に行って、相覆ってしまった。

札幌の風月がなければ、札幌の居酒屋にお好み焼きが登場することはなかっただろうなあ。50年続く居酒屋が100年続きますように