街を歩く, 食べ物レポート

カレーパン探索日誌 小麦の奴隷

くどい話で申し訳ないが、まだ小麦の奴隷の話というか考察をする・・・。

プラごみ削減政策のため怪しい法律が施行され、小売店で買い物をするとレジ袋が有料になった。その規制外に当たる紙袋やバイオマス利用袋は無料だが、今のところ有料で従来型レジ袋を提示する店がほとんどだ。「有料袋が必要ですか」と会計のたびに聞かれるのもすっかり聞き飽きたし、いささかモヤモヤする。お前は環境保護に賛成するかと毎回踏み絵を踏まされる会話だ。新しい「気持ちの悪い」商習慣だ。
だから、なにも聞かれずに紙袋に詰められたパンを渡されると、なにやら感動的なシーンになってしまう。当然、紙袋はプラ・レジ袋よりコスト高であり、これまた当然ながらパンの価格にも反映されているはずだが、「有料」袋を買いますかと念を押され、見識を試される不快感を考えると、このやり方(無料で紙袋)が実に嬉しい。
もともと日本の文化的に、過剰包装を喜ぶ意識があるのは確かで、そこを社会的に変革し簡易包装に切り替えるのは賛成だ。ただ、そのやり方が「店頭での口頭認証」というセンスのない手法であるのが苛立たしく、それを「官」のいうままに、なんの工夫もしない「小売」側にも腹が立つ。
せめて、入口で「袋はありません」宣言をするとか、袋が必要な人は「最初に袋を買ってください」と入場時に強制するとか、なんとかならないものか。
某スーパーではレジ横に大きな表示で、「袋が必要ならここで買え、一枚3円」(表現はもうちょっと優しい)としてある。会計時にレジでは袋に関する会話がない。これでいいのだと思うのだが・・・。対面販売の店では、この袋会話が買い物の最後の気分を台無しにする。

長い前置きになってしまったが、話はカレーパンの話になる。ただし、くどいがまだ袋の話だ。パン屋でパンを買うと薄手のプラスチック袋にパンを放り込む店が多い。パンの種類によっては、トッピングがジャムやクリームであったり、脂分が多かったりするので、個別に袋に入れるのは構わない。ただ、このプラ袋がいけない。スーパーのレジの脇にある荷詰台に置いてあるペラペラのアレだ。
安いペラペラを問題にしているのではなく、パンにプラ臭が移るが嫌なのだ。高い値段のパンを売っている店はこのことに気がついていて、紙袋や匂い移りのしないプラ袋を使う。確かに袋に金をかけてもね・・・という、コスト意識があるだろう。ただ、食品を売っていて、品質劣化(匂い移り)がわかっているのに対策を取らないということが許せない。パン屋の質とは、パン自体ではなく包装・袋との合体で決まるのだと思っている。
ようやく「このカレーパン」の話にたどり着いた。紙袋に個包装されて、その袋もデザインが施された自己主張が見える。これだけで、このパン屋の評価が上がるというものだ。

袋からカレーパンを取り出すと、「おー」と歓声が出てくる(大袈裟か)イガイガというかゴツゴツというか、とにかく目立つ外観だった。大多数のカレーパンは茶色の楕円形物体で見栄えのする食べ物ではないが、このルックスであれば、カレーパン特有の「茶色問題」が解決できている。

ただ、中身を見てみると、うーんちょっと残念感がある。内部の空洞が大きい。上部生地が厚くて底が薄くてバランスが悪そうだ。食べてみると、やはり空洞と生地バランスが気にはなる。ただ、表面のぼこぼこしている部分の食感がたのしい。
カレーの中身は、ちょっとスパイス多めだった。食べているうちにスパイスの効き目でうっすら汗が出る感じだが、辛すぎることはない。見た目、カレーの味、パン生地それぞれのバランスは良くできている気がする。色々と計算され尽くした完成形なのだろうと予想がつく。これはまた買いたくなるだろう。

ザックザクカレーパンというのだね。アートなカレパン」でありました。

街を歩く

ルーティン

最近の飛行機旅ルーティンは、まず羽田空港ターミナル地下にある蕎麦屋から始まる。性格に言えば蕎麦屋ではなく、メルセデスベンツ・ショールームにあるかカフェコーナーだ。そこで、虎ノ門にあった立ち食い蕎麦港屋のそばが食べられる。温かい蕎麦もあるが冷たいそば、一択だ。以前と比べて心なしかそばの盛りが少ない気がするが、この量がちょうど良い。在りし日の港屋は満腹になるほどのボリュームだったが、今の体調を考えるとこれくらいの量がありがたい。ラー油蕎麦元祖の冷たい肉蕎麦で腹ごしらえをしたら旅が始まる。
現在の状況では機内で空弁を楽しむなど、人外の所業扱いされるので、時間に余裕を持って搭乗前に食事を済ませるのも旅の嗜みだろう。

千歳空港で降り立った後は、JRで移動する。今年、土地の値上がりが激しいことでニュースになった場所が実家があるところで、駅を降りたらいきなりドーム球場のオープン・カウントダウンでお出迎えになった。
確かに、ドーム建設が開始されてから駅構内の設備も改装され新しい雰囲気になっている。びっくりしたのは「お土産コーナー」併設のコンビニエンスストアが開いていたことで、北海道外からの野球観戦者にターゲットを当てた商売が始まっていることだ。さすが、コンビニ店舗数一位のブランドだけに、商売熱心というかあざといやり口だなと思う。ただ駅前からコンビニが消えていたので、住民にはありがたいだろう。

全く知らなかたご当地キャラも隣でお出迎え。写真は逆光になっている。これは撮影の腕前が下手くそなせいもあるが、展示の位置、高さなどに工夫が足りない。台座を高くして、ゆるキャラと並んで写真を撮るような仕組みを考えるべきだ。どうも、この辺りの詰めが甘いのは全国共通で、ローカル観光業の手抜きと言われても仕方がないところだろう。勉強不足なのか、勉強する気がないのか、などと辛辣な考えになってしまう。

駅を出たら30mでローカルチェーン焼き鳥屋が待っている。そこで、好きな串を4−5本注文し、コップ酒をあおれば、とりあえず旅のルーティンはおしまい。この焼き鳥屋を出る頃にはすっかり旅の目的を果たしてしまった気がしてくる。このまま飛行機に乗って家まで帰ってもいいかな、などとほろ酔い加減で思うのでありました。

街を歩く

東京弁当に満足した

歌舞伎座の真前にある弁当屋で、花見弁当を買って散歩をしようなどと書いてみたが、本当に花見弁当を買いたくなって、わざわざ東銀座まで行ってしまった。そして店内に入って初めて気が付いたのだが、この店は千住に本店がある和惣菜の支店だった。店内には弁当だけではなく、さまざまな和惣菜が並んでいた。随分と魅力的な商品が並んでいて、心引かれるものがあったが、初志貫徹で弁当を買うことにした。
気になっていたのは、行楽弁当ではなく普段使いと予想している「東京弁当」だ。迷わず一択・・・と思っていたのだが、なんとそこには罠があり、東京弁当は「鳥」と「豚」のに2種類がある。
これには参った。両方買って帰るという手もあるかと、一瞬考えでしまった。だが、試しに弁当を持ってみると、ずいぶん重たい。弁当としてはずっしりしている。体感的に、コンビニ弁当の5割増しくらいの手応えだった。
これは、ふたつは食えないなと判断し、豚は次回にしようと諦め「鳥」弁当を選んだ。ところが、会計をする時に、従業員の方から「鳥弁当で間違いございませんか」と駄目押しされてしまった。向こうは、鳥と豚取り違えのないようにと親切心で尋ねてくれたのだと思うが、やはり豚にするべきだったかと、心が乱れてしまう。親切さが恨めしいやら、悩ましいやら。

家に戻り蓋を開けてみて、これはびっくりだった。弁当の一面が鳥で覆い尽くされている。鰻重のルックスもこれに近いが、鶏肉は厚みがあるのでその分迫力がある。肉の下に何やら野菜らしきものが見えているが、とにかく鳥のボリュームが凄すぎる。どうやって食べようかとまとった上で、鳥をふたの方に移してみることにした。

なんというか、おやまあ・・・という感想しか出てこない。鶏肉を取り除けてみれば、その下には和装材、お麩や湯葉、煮豆など和惣菜の綺麗どころが揃っていた。ご飯はこの下にある。要するに二重の丼のような「二階建て」構造のお弁当だった。
まずは、惣菜を食べ、その下から出てくるご飯を食べる。その繰り返しで、十分満足できる。薄味の惣菜がご飯によく合う。そして、時々鶏肉に手を出す。ただ、この鶏肉は一切れが分厚いので、半分ずつ噛み切りながら食べる。相当なボリュームがあり、半分程度食べたところで満腹感がで始めた。完食した時には、弁当を食べたというより、なんとか食べ切ったという妙な満足感があった。
これは仕事の合間のランチに食べるにはボリュームありすぎだ、午後には寝入ってしまいそうだ。
しかし、家の近くにこの店があれば入り浸りになりそうな魅力的弁当で、これは早いうちに「豚」の東京弁当を試しに行かなくてはいけない。その時は、お惣菜も物色してくることにしよう。

街を歩く, 小売外食業の理論

小麦の奴隷のユニークさ

うまいパンを焼けば売れる、というのは嘘だ。売れるパンがうまいのは確かで、まずいパンは売れない。ただ、うまいだけで売れるわけではない。売るための必要条件ではあるが、売れることを保証する「十分条件」ではない。
世の中には商品の優秀性に対する過信がありすぎるといつも思っているのだが、それをとあるパン屋で思い知らされた。

チョコチップの入った硬めのパンくろわっさ

くどいとは思うが、小麦の奴隷について書き連ねる。冷凍生地を利用して甘いパン(生地に糖分が多い)を作るのは簡単らしい。高級食パンも生地がリッチなのが流行りなので適応しやすいと聞いたことがある。逆に小麦と塩だけのようなリーンな生地(ピザ生地などがその典型)が難しいそうだ。
だから、小麦の奴隷に並ぶ数々のパン、柔らかくて生地が甘くて、ふわふわで、フィリング(中身の詰め物)がいろいろ入っているパンは、対応がしやすいのだろうと想像している。
ところが、その甘いパンのバリーションを開発するのは、個人経営の小規模パン店ではなかなか難しいのも容易に想像がつく。アイデアに関してであれば、流行りのパン屋に行って、売れ筋のパンを買ってきて、それのコピーを作るくらいのことはできるだろう。
ただ、多品種少量生産をしようとすれば食材は増えるし、焼く手間も増える。そもそもコピーとはいえ試作は何度かする必要もある。
個人経営者本人であれば残業時間など考える必要はないから、自分の頑張りが全てだが、パン職人を雇って経営しているとすれば、開発に要する人件費も増加する。

クロワッサンではない

つまり、レシピー開発は手間がかかる仕事で、できればやりたくないというのが本音だろう。ただ、バラエティーこそ「繁盛の基本」要素であることも確かだ。だからこそ、そこを代行するビジネスがフランチャイズとして成立する。
世間的によく理解されていないかもしれないのだが、フランチャイズシステムとは「売れている看板」を使う権利が「売り物」主体だ。次に「独自の商品」の製造許可が来る。商品ありきではなく、売れている看板こそが売り物なのだ。
ただし、どんな分野でも商品の経時劣化というか、時間と共にありふれたものになる、飽きられるのは避け難い。だから、強い定番商品は改良を続け、第二の定番を生み出すまで新商品開発も怠けることができない。優れた商品とは、「進化し続ける商品」であり、商品開発力こそがフランチャイズビジネスの基盤となる。
残念ながら多くのフランチャイズ企業で、この原則を守らない「なんちゃって商品」ばかり投入されるのを見てきた。このブランドも長くないななどと思うことは多々ある。

カルツォーネと言っているが、外側はソフトなパン生地


この観点から、小麦の奴隷がどうなるのか一年、二年は見続けなければ答えは出せない。ただ、一つだけ確信しているのは「都会の匂い」を商品開発の軸にしていることだ。地方の小都市、田舎町をターゲットにしているそうだが、「都会の匂い」はまさにそうした立地の客に来店動機、行きたくなる気持ちをもたらす。基本コンセプトにブレがないことは重要だ。
それはネーミングのひねったセンスに現れている。そして、商品のおしゃれ感も「都会の匂い」には重要な要素だ。硬いパン、柔らかいパン、甘いパン、惣菜食事パンなどの配分も適切に見える。

誰でも知っているメロンパンであれば、形容詞で強化する。地方都市では、まだあまり知られていないようなパンは、イタリアン、フレンチのカタカナ名を濫用して圧倒する。おそらく定番の出し入れと季節商品の出し入れを頻繁に行い、常連客を飽きさせないヘビーローテンションを狙う作戦だろうと推測している。
地方都市の小商圏圏でパン屋を成立させるには、パン職人の腕前だけでは足りない。綿密なマーケティング戦略が必要なのだと、この店舗を実際に訪れて思ったことだ。
ロケット打ち上げビジネスをやりながら、田舎のパン屋を展開する、ホリエモンというビジネスパーソン、すごい人なのだね。

街を歩く

埼玉の桜と 埼玉の残念

埼玉県ときがわ町 見事な桜

そろそろ関東圏では桜が終わる時期だが、川沿いの歩道にある桜並木というのは、やはり絵になる光景なのだろう。東京では隅田川沿いの桜が有名だと思う。確かに上野公園の宴会会場になっている桜より、川沿いを散歩しながら見る桜の方が、なにやらありがたみがあるような気がする。
全国あちこちに、そうした「散歩」用の桜並木はたくさんあるが、場所によっては桜の下に菜の花が満開という、これまた絶景スポットといべきところもある。埼玉県蓮田市で駅から10分ほど歩いた住宅地に、菜の花と桜の豪快なコラボ風景が見られる場所がある。ただ、開花のタイミングが難しいので毎年見られるわけでもないようだ。
日本全国、どこの街にもそんな桜スポットがあり、地域の人たちの楽しみになっている。まさに桜は春の訪れを宣言する「日本の花」だろう。春以外でも夏、秋、冬、それぞれの季節を代表する花は存在する。ただ、桜ほど誰にでも愛される花が存在するかというと、想像するのは難しい(多分)。
夏はひまわり、秋はコスモス程度しか思い浮かばない。花の知識が欠落している自覚はあるので、花景色について語る資格はないとは思う。だから、埼玉が桜の名所と言い張るつもりはないが、それでも桜を楽しむ場所は埼玉にもたくさんある。春が好きなのは、桜のせいだろう。

そんな春に、ちょっと残念なニュースを見つけてしまった。自分でも度々購入している埼玉の和菓子屋での事件だ。川越はさつまいもで有名な場所で、この和菓子屋もさつまいも菓子を製造している。そのさつまいも菓子(チップス)の誤表示が問題になった。南九州の他企業が製造したチップスを購入し、自社工場で再包装して販売したが、製造元(南九州)のことは書いていない。つまり、九州産を川越産と誤解するような書き方になっているというものだ。
別の例えをすれば、中国やタイの工場で製造した商品を日本に輸入してきて、埼玉の工場で袋詰めしました。袋に詰めたのは埼玉なので国産です・・・みたいなものだろう。
食品表示法の改正時には、この手の表記について随分と業界を挙げて検討していたはずで、「すいません、ちょっと忘れてました」という言い訳はどうにも怪しいと思ってしまう。
ちなみに、大手スーパーなどで販売しているPB商品、自社ブランドの商品も、今では下請けの製造工場名を表記しなければいけなくなった。例を挙げると、カップ麺では東洋水産、サンヨー食品など、下請けというには随分な大手メーカーで製造していることがわかる。それを併せて考えれば、この「お詫び」は随分お粗末なものに感じる。
この和菓子屋の名物である最中を愛用していた。知人への手土産に、「埼玉の地元では人気の名物です」と使ってきた。ただ、こうなるともはや手土産には使いにくい。食品を取り扱っているところでは、下手をすると当てつけと思われるかもしれない。自分で食べる分には諦めもつくが、それもなんだかモヤモヤした気分になる。

せめて該当商品を販売中止にしてくれればなと思ったが、この「お詫び」を読むと表示を適正に変えて販売は続けると書いてある。ブランド維持とリスク管理、どう考えているのか、他人事ながら心配になる。埼玉の「残念な春」のニュースだった。

街を歩く

不思議な場所のパン屋

埼玉県北西部、キャンプ場のセンターハウスの中にパン屋がある。食堂の一角にこじんまりと設えられたベーカリーというより、パン売り場といった感じだが、なかなか意欲的なパンが並んでいる。

店名もなんだが物々しい感じがするが、看板を見ていて気がついたのが、この奴隷とはパンを買いに来る客のことのようだ。小麦らしきものを持って前を歩く農夫?に後ろから跪いて縋っているのが客だろう。おいしいパンを求めて、客が奴隷化するというコンセプトなのだろうか。諧謔、皮肉、色々と考えさせられるが、米食い民族の中でパン好きを宣言する「裏切り者」的な意味合いもあるのかもしれない。
ちなみに、日本人の主食が米であることは間違いないが、小麦の消費量は米の8割程度なので、米と小麦の差は僅差のワン・ツーフィニッシュ程度だ。米が主食なら、麦は準主食の位置にある。ただし、麦にはうどん・ラーメンなどの麺類消費も含まれるので、パンが準主食というのは厳しい。

このパン屋は北海道十勝にある小さな町に本部を置くフランチャイズシステムで、全国展開を図っている。ローカルな小商圏でも成立する日常使いのパン屋を目指しているらしい。大都市部では、有名なチェーン店が百貨店や大型食品スーパを中心に展開している。最近のスーパーでは、インストアベーカリーが常備され、惣菜部門の売上増強の絶対手段となっている。だから、都市部では焼き立てパンの需要も供給も高いレベルだ。そこから取り残されている田舎町、小さな町でもパン屋を成立させる取り組みとして、あえて地方展開をしているようだ。商売としてはありそうでなかったコンセプトだと思う。
おそらく、生地とレシピーの提供がフランチャイズ本部の仕事だろう。こういうやり方は、すでに大手のチェーンパン屋でもやっているはずだ。それを、少人口地域で成立させる仕組みとして開発したところに「新しさ」がある。
パンの種類は豊富だった。ネーミングも含め「都会らしさ」みたいなものを感じる。食パンとコッペパン、メロンパンとあんぱん、うちのパンは以上! みたいな限定メニューではない。多品種少量生産で単価を引き上げるという戦術も理解できる。田舎町だからできないと言い訳を並べ立てるのではなく、都会のパン屋とほぼほぼ同じと言い切れる業態をどう作るか。「田舎ビジネス」の教科書に載りそうな事例ではと思うが、成果は一年後の判断だろう。一年経って儲かっていれば、この近くの街にも支店が開くはずだ。アフターコロナの元気印になってほしい。

街を歩く, 食べ物レポート

究極のカレーパン あります

ちょっといけてるポスターですねえ

最近カレーパンに凝っている。自宅近くの駅は東口と西口に分かれていて、そのどちらにもベーカリーというか手作りパン屋がある。どちらもなかなか凝った商品が多く、あれこれと変わったパンを楽しんでいる。
同じ駅の構内にもパン屋があるが、そこは工場からパンが配送されている。これはどうも食指が動かない。また、西口にある商業ビルには大手ベーカリーチェーン店が、店内焼きたてパンを売っている。ここはたまにお世話になる。
それ以外にも駅から徒歩3分程度の住宅地に、40年近く営業している老舗ベーカリーもあるので、パン屋の大激戦区だ。おいしいパンを手に入れるには恵まれた環境に住んでいる。
その激戦区で新興勢力「ブーランジェリー」を名乗る店が、店頭に「究極のカレーパン」なる挑戦的な看板を上げているのに気がついた。確かに、この店のカレーパンは美味いと思う。好みでもあるし文句をつける気はない。ただ、周りのパン屋はどう思っているのだろう。と多少は気になり、ついでにカレーパン探しをしてみることにた。

2019年の優秀賞

ここの店のパンはどれもおいしい。そして、周りのパン屋と比べて2割ほど高い。高級パン屋というより、最近はやりのブーランジェリーというやつだろう。店内は照明も落とし気味でおしゃれだ。メロンパンが山積みにされていたりしない。小ぶりのパンが少量ずつ、ちまちまと並べられている。フードデザイナーとでも呼ぶべきかもしれない。その中でカレーパンだけが包装紙に包まれている。

袋の中身は丸型の揚げパンで、ちょっと濃いめの色になっていた。揚げたてを売っていたので、少し時間を置いて冷ましてから食べることにした。熱々はおいしいが、味が熱でよくわからなくなるのを見越してだ。

断面を見るとほとんど空洞がない。生地の底部が少し厚くなっているが上面は明らかに薄い。生地といいうより皮に近い薄さだ。カレーの味は濃厚で、具沢山だから、カレーを楽しむ食べ物というべきだろう。
肉まんと小籠包の差みたいなもので、中身の具を楽しむには、パン生地が薄い方が良い。特に、揚げパンにする場合は、揚げ油の吸収量が味に大きく影響するので、薄めの皮を早く揚げるというのが望ましい。おそらくこの辺りが「究極」の要因だと思う。
間違いなく高いレベルのカレーパンの一つだと理解はするのだが、「究極」とはなんなのだという疑問も残る。包装紙に書かれている「カリ、トロ、モチ」の3点セットのことだとしたら、確かに達成できているなあ。ただ、カレーパンの評価定義みたいなものに、この3点セットが当てはまっているのかはよくわからない。
庶民としては高くてうまい芸術的カレーパンを楽しむだけで良いのかもしれない。とりあえず、この究極のカレーパンを標準として、あちこちのカレーパン食べ比べをしてみようと思った次第。

街を歩く

アフターコロナ 新宿靖国通りの風景

最近の個人的新宿ランドマークは歌舞伎町・靖国通り沿いにあるこのビルだ。空いている階にどんな店が入るか楽しみで、新宿に行くたびにのぞいている。依然として1−3階は空き家のままで、アフターコロナの元気な店が入るのだろうと期待している。ただ、食べ物屋ではないような気がする。

一見当たり前に見える居酒屋の営業時間表示だが、ちょっと前までここにはランチ営業の案内が貼られていた。夜の商売である居酒屋が、ランチやってるよとい悲痛な叫びをあげていたのだから、実はこの営業時間のお知らせは、俺たちまともな商売に戻りまっせ宣言という意味がある。めでたい宣言だ。
近いうちに応援に行かなければなあ、などとこの看板の前で立ち止まってしまった。それでも休日営業をするのだから、まだまだ商売は苦しいのだろう。

紀伊國屋本店の裏側にあるビルで、テナントがいなくなっていたと思ったビルに新規業態が入った。アフターコロナの仕切り直しということのようだ。ここも一度は覗きにいってみなければと思う。それも昼ではなく夕方に行くべきだろう。色々な料理がスタンド形式で食べられるようだ。同じフロアー内で簡単に梯子もできそうだ。確かに横丁っぽいし、自分的に期待が高い。

ちなみに、2月には右側のように何もなくなっていた看板枠も、今では左側のようにきっちり埋まっております。めでたしめでたし。

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歌舞伎座と弁当屋

いつも歌舞伎座の前を通りかかると、死ぬ前に一度くらいは歌舞伎を見てみたいぞと思っている。が、行動につながったことはない。いまだに切符の手配の仕方すら知らない。ましてや、歌舞伎を見るときのお作法みたいなものなど全く存じ上げない。
何かの拍子で見たテレビ番組で知ったことだが、歌舞伎の台詞回しがよくわからない人向けに「録音された現代語版の同時解説」機械を貸し出してくれるサービスがあるそうだ。明治初期まで歌舞伎は、普通の町民が楽しんでいた「現代芸能」で、古典ではなかったはずだ。つまり明治の後の百年余りで、日本語が劇的に変わってしまったということらしい。
落語の世界でも、古典落語を理解するには、往時の町人暮らしなどの社会背景がわからないと、笑うこともできない。それと似ているなと思う。
あとは幕間の休憩時間に弁当を食べたり、食堂で食事をとるらしい。映画のように一幕終わったら全員入れ替えというシステムではないようだ。(これも行ったことがないのでよくわからない)
歌舞伎を見たこともないくせに歴史的な歌舞伎のあれこれについては、ちょっとお勉強したことがある。歌舞伎の全盛期である江戸時代は、芝居小屋の中が薄暗くて照明も届かないから、あの白粉をベタッと塗ったくまどり化粧をするのだと聞いている。現代の照明がある小屋では、すでに様式美としての白粉・隈取りのようだ。(無駄な知識だ)しかし、浮世絵にもなった有名な役者の名前などは全く知らない。
歴史的な知識だけでいえば、能も歌舞伎も当時の流行演芸であり、今で言えばEXILEとかAKBみたいな物らしい。だから、あと100年も経てば、秋葉原のAKB劇場が古典芸能を保護する場所となっていて、EXILEは3代目どころか、8代目宗家とか裏EXILE流五代目みたいな感じになっているのだろうか。

だから歌舞伎座の向かいに弁当屋を発見した時、ちょっと嬉しくなった。歌舞伎見ながらお弁当を食べるひともいるんだなと。プロ野球を見る時に見かける、ビールタンクを担いだビール売りの若い衆が声を上げながらスタンドを練り歩いている姿を思い出した。江戸時代の歌舞伎小屋の中でも、幕間に弁当売りが歩いていたのではないかと想像してみた。色々な弁当屋の売子がたくさんいて競争して売っている感じだろうか。歌舞伎とプロ野球、どちらもその時代の現代演芸と言って良いから、客席では同じ光景が見られたかもしれないと思った。その当時の弁当売りの若い衆が、弁当屋の主人に成り上がったみたいな、アメリカンドリームならぬ、お江戸ドリームがあったりして。などと空想を巡らせてしまった。
大相撲でも枡席であれば、飲み物と食事がセットされている。日本的な興行では「見る」と「食べる・飲む」がセットされているのが必然なのかもしれない。


とすると、伝統的な歌舞伎を楽しむ小道具として、江戸から続く古典弁当でも売っているのだろうか、などと思って店先を覗いてみた。
なんと想像通りの豪華三段重弁当が売っていて嬉しくなった。お花見にも似合いそうだが、やはりこれは歌舞伎観覧者御用達なのではとも思う。しかし、このコロナな世界で、そもそも歌舞伎座の中でお弁当を食べる場所はあるのだろうか。江戸時代は桟敷の中で食べていたようだが、現代ではどうなのだろう。舞台近くで弁当の匂いがすると、役者もあれこれと考えてしまいそうだ。

一人前の弁当も色々とある。お値段はちょっとお高めのような気もするが、おかずも含め手の込んだ弁当であることは写真からもわかる。その中でも「東京弁当」というものが、値段も名前も含め他の弁当と別格で、どうもこれは日常使い用のような気がする。歌舞伎座周辺のオフィスビルで働いている人のお昼ご飯という感じだ。
歌舞伎を見にきた人だけでは、経営的に安定しないのかなどと勘ぐってみた。それでも、この東京弁当は一度食べてみたい気がする。
今や伝統芸能に成り果てた(?)歌舞伎を、現代演芸として楽しんでいたお江戸の人々に思いを馳せつつ、隅田川沿いのどこかで、満開にさきほこる桜の下で食べるのが令和の風情としては良さそうだ。

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立食いそばの老舗と名店 #1

立ち食いそばというのは、日本的ファストフードであり、B級グルメどころかC級グルメだよなと思いつつ、サラリーマン時代は実にあちこちでお世話になった。お気に入りの店の蕎麦であっても、決してうまいとは言えないのだが、何度も何度も行ってしまう妙な魅力がある物だった。
ここ2年ほど、コロナによる社会変動で立ち食い蕎麦はずいぶん閉店してしまったようだ。外出が減ったこともあり、どこかに行ったついでに立ち食い蕎麦を食べるという機会もなくなってしまった。
これでは日本から立ち食い蕎麦屋が消えてしまうという、個人的な危機感もあり、最近は外出先で立ち食い蕎麦屋を見つけると、応援と称して蕎麦を食べることにしている。おやつ代わりに蕎麦を食うというのは、ちょっと健康面を考えると「いけない」行為のような気もするが・・・。

かめやの天ぷらそば 中庸だが好みの味だ

西新宿のJR山手線沿いに広がる「思い出横丁」は、焼き鳥や中華料理や居酒屋が密集している怪しい地帯だが、その中に座る「立ち食い蕎麦」がある。どうやら立ち食い蕎麦愛好家には有名な店らしい。カウンターだけの店だがスタンド式の椅子席なので、立ち食いではない。ただし、カウンターは屋外に露出しているので、背中は風にさらされている。冬は寒いし、夏は暑い。個人的には、夏にこの店を使う気にはならない。裏路地にありジトっとした熱気がこもる場所だ。熱い蕎麦を食べるなど、なんの罰ゲームだと言いたくなる。気温が下がった秋から春にかけての限定利用だ。
蕎麦は結構まめに茹でているので、ほぼ茹でたてに近い。つゆは甘すぎず、辛すぎず「普通」レベルだ。かき揚げも店内調理のようで、ぼてっと厚みがあるタイプだ。カリカリ感はない。ちょっとふやけている感じがするが、立ち食い蕎麦のかき揚げはサクサクさを楽しむというより、蕎麦つゆに漬け込みつゆを吸ってふやけてきたものを楽しむ物だと思っている。だから、ふわふわかき揚げには何の問題mのない。
ああ、これが立ち食い蕎麦の楽しみだな、などと思いながらずるずと蕎麦を啜っていたら、隣に来たお兄ちゃんが「天そば、ネギマシ」なる注文をしていた。
「ネギマシ?」と疑問に思い、横目で隣の注文を見ていたら「ネギが山盛り」になって出てきた。つまり、ラーメン屋のネギラーメンみたいな物で、今のご時世ではネギも追加トッピングになるらしい。
自分の中の立ち食いそば世界では、ネギはカウンターの容器に山盛り入っていて、勝手に好きな量を自分で乗せていくイメージだった。丸亀製麺などもネギとりはセルフスタイルだが、西新宿では追加のネギが有料になると思い知らされた。
まあ、立ち食いそばのスタイルに標準なんかあるはずもないし、どの店も自分のやり方でやっていることに文句はない。ただ、追加トッピングに「ねぎ 〇〇円」と書くことだけはお願いしたい。ちなみに、追加かき揚げは100円で、ネギ増しは30円みたいだった。(未確認)
次はネギ増し増しで頼んでみようかな。