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札幌のごま蕎麦

蕎麦屋の楽しみの一つが、蕎麦を食べ終わった後に飲む蕎麦湯だと思う。その蕎麦湯を出してくる器、湯桶がその蕎麦屋のステータスを決めるとし信じている。店主のこだわりみたいなものだろうが、これがプラスチックの丸い筒みたいなやつだと、どんだけ美味い蕎麦を出しても個人的には失格扱いだ。2度と行かないとまでは言わないが、まちのなんでもある蕎麦屋認定をしておしまい。さすがに神田の老舗蕎麦屋ではそんな無様なことはないが、上野から浅草、深川あたりでは結構な数の店がプラ容器を使っている。縁のかけたどんぶりで蕎麦を出すようなものだとは思わないのだろうか。あくまで個人の嗜好の問題でありますが。札幌のお気に入りの蕎麦屋では、立派な湯桶に蕎麦湯がなみなみと入って出される。これが蕎麦屋の標準ではないか。

札幌では名前が知れた蕎麦屋の代表の店だが、その店にも店頭にサンプルが並べられている。ただ、このサンプルが全店同じではない。各店オリジナルのそばメニューがあるようで、時間があるときはこのサンプルをゆっくり眺めるのが楽しみだ。個人的な好みで言えば納豆そばなのだが、最近は人気がないようで、サンプルケースの端に押し込められていることが多い。伝統的な天ぷらそばよりさまざまなネタが載ってそばの方が人気筋のようだ。

入口の暖簾より前に消毒液が置かれているのが、まさに今風の世界を感じさせる。時代の変化は大袈裟なことではなく、こうした細々としたところに現れるものらしい。

胡麻そばとは高級なそばのことだとずっと思い込んでいた。どちらかというと茶そばのような蕎麦粉に練り込んだ蕎麦だから、高級蕎麦というより変わり蕎麦なのだろう。自分の舌が変化したのか、そばが変化したのかはわからないが、どうも最近は麺の太さがマシ、ツルッと啜るよりもっそりと噛むタイプに変わってきたような気がする。ただ、これはそばの吸引力が落ちたせいかも知れないので決めつけてはいけないが。50年も続いていれば蕎麦もツユも味が変わってしまうものだろう。
東京のお蕎麦とは違う、お蝦夷のお蕎麦として長く続いてもらいた。

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「4丁目」のあれこれ

渋谷といえばセンター街や道玄坂が代名詞になる。新宿と言えば歌舞伎町、銀座といえば三丁目の和光だったりする。札幌で繁華街の代名詞といえば、「4丁目」になるだろう。駅前通りが3丁目と4丁目の境界線だが、大通公園の南側、つまり南1丁目周辺を指して「4丁目」という。その4丁目の交差点、北東側に三越がある。全国の三越にあるらしいライオン像からマスクが外れた。コロナ感染拡大防止のお役目は終了し、火災予防を宣伝中だった。街角の風景から世相を見るとすれば、これは結構象徴的なモデルチェンジだと思った。

その三越の反対側にあった「4丁目プラザ」通称4プラが解体工事に入った。大袈裟にいえば、札幌の若者トレンドをひっパテきたファッション型雑居ビルで、これまた向かいにあるパルコと並び、街に来たらとりあえず覗く場所だった。ちなみに札幌市民の大多数は、4丁目界隈に買い物などに出かけることを「街にいく」と言っていた。今では、変わっているかもしれない。国鉄時代は汽車に乗ると言っていたが、今ではJRで行くみたいな言葉がわりもある。札幌駅も巨大繁華街になり、街へ行くでは大通りに行くのか札幌駅に行くのか区別がつかない。

その「街へ行く」時代から続いている店が、4丁目のハズレというか、5丁目にある。このコロナの荒波にも負けずよくぞ続いていてくれると言いたい。もはや創業以来半世紀を超える老舗ラーメン店だ。味は昔から変わらない気がする。知らないうちに調理場のメンバーも変わっているなと思ったのが、平成中期だった。
ガツンと化学調味料が効いた味噌ラーメンは、たまに無性に食べたくなる。醤油ラーメンに至っては、ススキノの宝龍とならぶ伝統芸的なものだ。今風の「濃厚」系ラーメンとは別物だが、味が濃いのが特徴で具材は少なめ。こういうラーメンで育った舌は、いわゆる関東の支那そばに馴染めない。今では全国豚骨濃厚ラーメン、鶏白湯泥理系ラーメンが主流なのでローカルさなど無くなっているが。

その隣にあるzaziもすでに50年近い歴史がある。札幌のオシャレ系喫茶の先頭集団にいたはずだが、そもそも喫茶店がほとんど消え去る時代になっても、いまだに頑固に営業中というか生存中だ。まだファミレスが少ない時代、喫茶店は街中にある「小粋な食べ物屋」として貴重だった。なぜかスパゲッティ(当時はパスタとは言っていない)よりも、カレーやピラフといったライスメニューが多かった記憶がある。今のシャレオツなカフェ飯とは随分異なっていた。喫茶店の具の少ないカレーは、それぞれの店でアレンジが異なっていて、店によって好みが分かれた。
4丁目界隈にあった「若者向け」の店はほとんどなくなり、生き残った店はジジイな常連がひっそりと生息しているらしい。今や、若者はどこに行っているのだろう。

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パルコにスシロー

吉祥寺でふと思いつき、回転寿司に行こうとネットで検索してみたら、スシローが見つかった。場所をよくよく確認してみるとパルコの中らしい。おやまあ、時代が変わったものだと感心してしまった。パルコの飲食店といえば、それなりにおしゃれなブランドだったような記憶があるが、そこに堂々と回転寿司が入る時代になったのだ。
パルコの飲食店は小降りの店がごちゃっと入っているイメージがあったので、スシローみたいな大箱店舗が入ったら他の店はどうなるのかも気になった。
そして最上階の飲食フロアーについてみると、なんとスシローしかない。パルコという商業ビルは、こういう変化をしてしまったのかと思い知らされた。
外食に限らずパルコの中では群雄割拠というか、小さな店が「わいがや」的に競い合っているというのが魅力だったと思う。いわゆる尖った店の集合体みたいなものか。それが、ワンフロアー独占の一強百弱な「勝ち組」が支配する世界になってしまったのだ。最近、時々こんな感じで時代の変化を思い知らされる。

みたいなことを入り口で感じてしまい、注文がおかしくなってしまった。最初にフライドポテトを頼んだのは、ちょっとした抵抗みたいなものだ。揚げたてであつあつのポテトを食べると、微妙な気分になる。うまいけど、悲しいみたいな感じだろうか。ちなみにケチャップが欲しかったのだが、レーンには回っていないし、パネルにケチャップがあっただろうか。

気を取り直し、キャンペーン中の蟹のほぐし身とウニの包みを注文した。まずまずのビジュアルで、こおすすめメニューとしては「アリ」だった。この海苔を巻かない海苔巻き?も、スシローメニューとしては、すっかり定着した感じがする。ただ、一口で食べるのがちょっと面倒くさいサイズだ。そこの改善はどうなっているのだろう。ネタ単体で勝負ではなく、アレンジメニューでバラエティーを作り出すのは、まさに創作だと思う。ただ、豪速球ではなくかなりスピードのゆるい変化球みたいな感じがする。

相変わらずの「魚レス」注文で、巻物主体のまま注文終わり。平日の昼下がり、店内がら空きだからのんびりできたが、週末だとファミリー客でいっぱいになるのだろう。
昔は7−8軒の和洋中レストランがひしめいていた空間で、スシローが単独でバラエティーを提供する時代かあ、などとため息をついてしまった。回転寿司でラーメンやうどんが注文できる時代だ。すでに回転寿司はファミリーレストラン化している。
最後に締めはアイスにしようかななどと考えていたのだから、もはや回転寿司は「デパートの大食堂」に近いところまで進化しているのだ(きっと)。

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パン屋のPOPが秀逸すぎる

吉祥寺のパン屋で思ったことだが、繁盛店はPOP作りがうまいということだ。「本日のおすすめ」的メニューが昼前に売り切れてしまうというのは、確かに人気店の証明だと思うが、それを目当てに来た客にとってはちょっと残念な気分になるはずだ。
そこを「工場で只今作っています」とあれば、つい尋ねてしまいたくなる。「何時に次はでてくるのかな?」
10分くらいであれば待ってみようかななどと考えてしまう。

POPの二重化というのも荒技だ。クリームパンの説明の上に、「とろける旨さ!」と追い打ちをかける。まさに言葉の力というものだ。ついふらふらと手が伸びる。いつものクリームパンのはずなのに、なぜか今日は特殊なクリームパンに見えてくる。

北海道ローカル名物であったちくわパンを、最近首都圏のあちこちで目にする。豆パンもすっかりポピュラーになってきた。北海道文化が広がったと言い張るつもりもないが、やはり研究熱心なパン屋さんは全国あちこちの「うまいパン」をさがしてくるのだろう。ただ、ちくわぱんがヘルシー扱いされるようになるとは、これまた東京的進化なのかもしれない。北海道では「小さいがこってりうまい」的な評価だったと思う。

全国どこでも人気のメロンパンをどう差別化するのかは、パン屋さんにとって大きな課題ではないか。メロンパン好きとしては、そこがいつも気になる。パン屋に入って最初に探すのはメロンパンだし、どの店でも売上人気ランキングではメロンパンがいつも上位にある。
こちらの店の推し文句は「GOLDリッチ」だが、意味がわかるようで実はよくわからない「不思議」ネーミングだ。実食した感想は、普通においしいメロンパンだった。それでも、買う気になったのは、この「何やら旨そう感」溢れるネーミングのせいだったので、パン屋さんの作戦勝ちだった。いまだに、何がGOLDで何がリッチなのかは理解できていないが。
この店が自宅近くにあれば、週一で通うのは間違いない。ただ、電車に乗ってバスを乗り継ぎ1時間という距離は、かなりつらいかなあ。吉祥寺に住みたい、と久しぶりに思わせてくれるパン屋でありました。

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琴似で酒を飲む

駅から100mも離れていない至近立地

札幌の繁華街といえば、昼は大通り公園付近、夜はすすきのと決まっている。それ以外のプチ繁華街といえば、地下鉄の元・終着駅であった琴似(東西線)や北24条(南北線)があたる。地下鉄が延伸するまでバスセンター機能があり、地下鉄からバスへ乗り継ぐ客相手にそれなりの繁華街ができていた。
琴似の地下鉄駅周辺には当時の名残も含めて、居酒屋やレストランが多い。すすきのと違うのは飲食主体の店がほとんどで、接待主体の店はススキノでお楽しみくださいという棲み分けになっていることだろう。
昔は接待主体の店もあったようだが、今ではすっかり駆逐され住宅地の飲み屋街となっている。近くにオフィスがあるサラリーマンの、わざわざススキノまで飲みに行くのも面倒臭いね的な需要を満たしているようだ。
帰りのタクシー代も安いし・・・という世知辛い懐事情もありそうだ。

刺身が売りの店なので、店頭の看板も「サカナ推し」だ。大手チェーン居酒屋で出てくる刺身とは正直にいって一段二段はレベルが違う。最近不調が伝えられる居酒屋業界だが、やはり質と価格をバランスさせている店は強い。大手居酒屋チェーンが提供していたサービス・商品は、結局のところ食べ物ではなく「場所の時間貸し」だった。食の楽しみを無視していたとまではいわないが、商品に力が入っていなかった。だから、大手居酒屋の不調とは、コロナの時代には「食事を求める客」はいても「時間貸しの場所」は必要とされなかったというのが原因だろう。
今では「おいしい食べ物を」「少人数で」というのが客の求める形だ。店舗運営するものが、その意識変化を十分理解して店舗運営をどう変えられるかが、生き残り条件となった。大人数の宴会が復活するには、この後何年もかかるだろう。それまで待ってもいられないだろうし。

真ん中の白身はサメガレイ これがうまい

地元の魚が中心の刺し盛りが良心的な価格で提供される。マグロやイカが入っていないのは、このご時世で立派なものだ。個人的な意見だが、海なし県以外では自分の周りの海で採れたものを食べていれば良いのではと思う。群馬や長野でマグロの刺身を食べたいと思わないが、そもそもマグロも近海で揚がったものを地域名産として食べていれば良いのではと思う。サーモンも大西洋から空輸して食べなくてもよい気がするのだが。

最近ではすっかり漁獲量が減ってしまった、元・大衆魚?のイカ加工品、「イカペン」というらしい。イカのすり身を棒に巻いて焼いたもの、というか「イカのつくね」みたいなものというか、形容が難しい。
イカのハンバーグっぽい感じがする。マヨネーズをつけて食べるのがおすすめらしい。イカ好きにはなかなか嬉しい食べ物だった。お値段は微妙で、焼き鳥串の2倍程度だから高級串になる。
ススキノの真ん中でこういう「当たり」の店を探すのはなかなか難しい。おまけに「当たり」の店は大体混雑していて予約が取れないこともある。だからススキノを外してちょっと札幌市の郊外に寄れば、まだまだ隠れ名店は多い。グルメランキングには出てこない「口コミ」の世界も捨てたものではないのだよ。

街を歩く, 食べ物レポート

カレーパン探索日誌 札幌

カレーパンは東京発祥の食べ物で、それが津軽海峡を渡って来たのは何時ごろだろうか。少なくとも昭和中期にカレーパンを食べた記憶はない。うろおぼえだが、TBSラジオの深夜放送でカレーパン論争みたいなものがあり、一度食べてみたいと思ったのが最初のカレーパンにまつわる記憶だった(ような気がする)
キン肉マンに登場していた牛丼と同じく、東京にはあって札幌には存在しないものの代表だった(もはや薄ぼんやりとしたもので・・・)
そのカレーパン不毛の地で、どうやら日本一になったカレーパンがあるらしいと知った。これは実食してみなければなるまい。

札幌の中心地から路面電車で10分程度のところにある、まさに町のパン屋でございます、といった雰囲気のお店だった。札幌市内には何軒か支店があるらしい。その店頭に力強く置かれている「日本一宣言」。まあ、確かにすごいことは期待できる。

カレーパンの包装は紙袋だった。これは大事なポイントで、揚げパンの特性だと思うのだが、ビニール袋だと匂い移りがしやすい。スーパーの荷詰め台に置かれているペラペラの袋に入れると致命的だと思う。
袋を開けると小判型で表面は細かいパン粉がついているタイプだった。見た目が奇抜ということではないようだ。
二つに切って中身を覗くと、おやまあという感じ。空洞がやたら大きい。生地は薄めだからフィリングとの相性は悪くなさそうだが。隙間が多いのが気になる。
実食してみると、なんだかカレーの味がしない。というか、味は濃厚なのだが量が少ないせいだろう。生地が薄めなのでバランスをとっているという見方もある。
しかしだ、カレーの味がしてこない。フィリングも食感が感じられるものではなく、カレー味がするソース的なものだった。名前がカレーパンフォンデュだから、チーズフォンデュのようにカレーソースにつけて食べるものをイメージしているのかもしれない。そういう食べ物だと思うことにした。
カレーパン道を極めるのはなかなか大変なのだと思い知った。

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カレーパン探索日誌 三鷹??

最近の自分勝手に盛り上がっているカレーパンめぐりは、パン屋巡礼みたいなものかと思う。三鷹の人気パン屋を目指して久しぶりにJR三鷹駅で降りた。が、駅前の風景に全く記憶がない。おそらく三鷹と言えば北口周辺にしかいったことがないのだろう。南口でおりても初見の街という感じしかしない。ただ、JR中央線は、もう数十年もの間、延々と改良工事をを続けているので、駅前風景が変わってしまっただけなのかもしれない。
その三鷹駅から住宅地を歩いて15分でたどり着く。こじんまりしたベーカリーは、確かに町のパン屋さんの気配が濃厚にする。

当然ながら、カレーパングランプリ推しのポスターが店頭にかけられていた。売りは「サクサク」らしい。

オレンジデーというのがあるのは知らなかった。確かに、オレンジマーマレードとチョコの組み合わせはうまいぞと思う。オレンジの皮のチョコは大好物だし。
ついでに気になったのが、今月のおすすめ「ちくわパン」だ。北海道のベーカリーのヒット作がじわじわと全国区商品になっていくのは、長年のちくわパンファンとして、なかなかうれしい。ただ、ちくわパン本家である「どんぐり」を超えるものにはお目にかかったことがないのだが・・・。

さて、カレーパンだが、形状は小判型で確かに表面はサクサクしている。揚げたてを買ってきたので家に着く頃にはだいぶ萎んでしまったが、フィリングと薄い生地に大きな隙間はない。明らかに生地とフィリングのバランスが良いのがわかる。
食べた感想を言えば、これまでで一番お気に入りのカレーパンだ。カレーがちょっと大人めというか、程よいスパイシー感があり、薄めの生地とのバランスが絶妙なせいだろう。肉まんを食べる時によく感じる、生地が多すぎる、肉はどこいった?感がまったくない。
中にフィリングが詰まったパンでよく起きる現象、最後の一口はパン生地だけという位がっかり感もない。最後のひとくりまでカレーと生地の調和が楽しめる。
底面についている網目の跡から想像すると、このカレーパンは油の中に深く沈めて浮き上がらないように網で押さえつけられているのだろう。上下左右から均一に加熱されているから、生地に薄いところ厚いところができていないのだと推測する。
普通のカレーパンはぷかぷか油面に浮いているので、相当丹念に上下を裏返して調理しなければ底面が加熱されてしまう。生地厚の不均衡ができる原因だ。
この店のカレーパンはそれがない。技術と商品進化の賜物だと感激した。

こういうパン屋がある町は幸せだろうなと思いつつ、また15分かけて三鷹駅まで戻るのかと心が折れかけていたのだが、店の前を頻繁にバスが通っているのに気がついた。道路の反対側にバス停もある。試しにバス停を確認してみたら、なんと吉祥寺駅行きだった。迷わず次に来たバスの乗って、わずか5分ほどで吉祥寺駅に着いてしまった。道すがら確認したら井の頭公園の横を通っていた。どうもこの店は三鷹というより吉祥寺のパン屋なのだな、と最後に認識を改めた。
が、場所がどこであろうとうまいパンはうまい。こういう時は吉祥寺に住んでいたらよかったと思ってしまう。

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神田の不思議空間

店名と入り口テントに描かれた店名は違う

昔の仕事仲間である友人と不定期で開催している私的OB会というか飲み会をコロナ前には年3−4回程度でやっていた。気が向けば共通の知人友人も招き、結構規模が膨れうこともあったが、コロナになってからすっかり会う機会も減っていた。これまた社会情勢に個人生活が負けるという典型例だな、などと一人で考察していたのだが。
ようやく下火になったこと、お互いの社会環境が変わったことなどもあり、ぼちぼちと再開することになった。開催地選択はお当番制(自分はなぜか免除特権があるらしく)なので、普段行ったことのない目新しい場所を紹介される。実に楽しみな飲み会で、今回は神田の奥まった場所に集合した。

日本酒の品揃えが素晴らしいと聞いていたので楽しみにしていた。いくつかは飲んだことがあるが、ほとんどが初見ものだった。半合売りとのことだが、最近はそれくらいがありがたい。正一合で売って欲しいのは立ち飲みのコップ酒くらいで(一合とかきながら8勺(しゃく)くらいしか入ってないことも多い)、居酒屋で美味い酒を楽しむ時ははんごうで十分だろう。

店内は、元々の喫茶店をテーブル席に変えただけのようだが、変に内装をいじくり回していることもなくシンプルで小綺麗な囲碁ごちの良い空間だった。昔は小上がりのある伝統的な店が好みだったが、最近は足の楽さを考えると小上がりがしんどい。日本人の畳の上に直に座ると言うお江戸以来の伝統・習慣はたった50年で破壊されたことになる。まあ、戦後長生きするジジババが増えたことも原因だと思うが・・・。生活習慣の変化は居酒屋に現れる・・・と断じて良いものか定かではないが、居酒屋が面倒な約束事を嫌う本音の場所であることは間違い無いから、小上がり、畳席が消えたのは、あの座り方がやはり嫌われているのだな。

料理をいくつか注文して気がついた。品書きに書かれている名前と出てくる料理がどうにも一致しないというか、当たり前の居酒屋メニューがどれもこれも一手間ふた手間かけた良質のものなので、「〇〇です」と言って出された料理を、「えっ、えっ?、えー!」と見直す羽目になる。すごい技があるものだと、箸をつける前によくよく見なければと思う。

友人に先んじて入店した時に、今日は混み合っていますのでと断りを入れられ、フーン、そうなんだと思っていたが、出てくる料理を見て理解した。
兎にも角にも神田に店を開けて繁盛店にするというのはこういう事なのだ。神田と言えばお江戸から続く老舗も多いが、やはりそうした素養のあるものしか店を出さないというか生き残れない土地柄なのだろう。新宿や渋谷などの大繁華街にあるチェーン居酒屋がお上り新米東京人のためにある安心な店(名前を知っている、自分の故郷の街にもあるなどなどで)だとすれば、神田の奥まった路地にある看板と店名が異なる店は東京に居付いて長い土着化しつつある東京人のためのものというところだろうか。生まれも育ちも東京よという、固定種の行く店はまた他にあるかも知れない。
ただ、自分の友人知人で「固定種」専用の店に連れて行ってくれたものはいないので、実は「固定種」専用店は、合言葉を言わなければ入れない秘密クラブで、地下鉄銀座線0番ホームから入るのだ、みたいな世界なのかななどと、神田の帰り道に妄想しておりました。

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吉祥寺をぶらり

吉祥寺の町はいつの時代も若い人たちに人気があるようだ。自分が若かった頃から人気の町だった。駅前の比較的狭い所に飲食を含めた店舗がごちゃごちゃと存在し、アーケード内では地元の老舗が存在感を示している。大手百貨店や専門店ビルも存在する新旧、大小ブランドの混在が魅力なのだろう。JRで新宿へ、井の頭戦で渋谷へ直通しているという地理環境も後押ししている。
その吉祥寺のアーケード街で、古手のチェーン寿司屋がイメチェンしていた。コロナで大被害を受けた外食産業では規模の代償に関わりなく事業再編が全力進行中で、この寿司屋も「親会社」が変わった後、店名も変えさせられてしまった。旧店舗はなかなか好みだったので、名前が変わっても使い続けたくなるような店であって欲しいと、ちょっとだけ応援しようかと・・・。

そのアーケードの片隅でお茶を買いに入ったコンビニで見つけた「0秒」商品。この分野は既に有名な「ベビー」が存在していたと思うのだが、それと真っ向勝負的な新商品だ。そもそも、ベビーな方は、この黄色い奴に対するニッチ商品みたいなものだと思っていただけに、本物というか大物がニッチを叩きにくるという構図にはちょっとびっくりだ。
国内最強のインスタント麺ブランドが手を出すには、あまりにニッチな・・・すきま商売だと驚いてしまった。それをまた、コンビニ最強ブランドが「全面推し」らしい。コンビニにあるまじきエンド陳列で上段二段抜きとは、これまた何ともえげつないパワー商法だ。コロナで時代は本当に変わったらしい。弱肉強食どころか弱小殲滅の時代がやってきた。
街角で見る「死闘」の光景だった。吉祥寺も優雅なだけの街とは言えない。ライオンとハイエナで完全にしゃぶり尽くされる捕食状らしい。

それでも、アーケードを抜けて百貨店の裏手の隠れレストランがあるあたりに行けば、何やら優雅さが戻ってきて「吉祥寺らしさ」みたい看板が目立つようになる。ワイン食堂とは、これまたずいぶん昔に流行った気がするが、たのしい店内と素敵な料理が想像できる。これが夕方だったら間違いなく飛び込んでいたと思うのだが、あいにくランチタイムでちょっとのぞいた店内は女性客で満席。どうにもオヤジが一人で入る雰囲気ではなかった。

ただ、その看板を横から見れば、ワイン持ち込みOKということで、ここにもコロナの後遺症を発見した。レストランは基本的にワインを売って儲ける商売なので、そこを放棄したということは、どれだけディナーの商売がうまくいっていなかったかという証明だと簡単に推測できる。客からすれば、店内で注文すれば1万円を超えるワインが、半額以下で飲めることになる。自分で利用するとしたら、最低でも赤白1本ずつを買い込んでいくだろうなと思う。
店側からすれば、ワインを安くした分だけ料理に金を使って欲しいとか、月に2回来てくれないかとか、淡い期待は抱くのだろうけれど。確かに徒歩圏に住んでいれば月2回はありかもしれない。ただし、一人で行くことの方がはるかに多くなりそうだ。
やはり次回は夜の吉祥寺にしよう。

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サッポロの街ハズレ

サッポロの地下街が誕生したのはオリンピック開催の頃だからすでに半世紀が経つ。その後もじわじわと増殖が続き、今では怪しいダンジョン一歩手前になりつつある。元祖ダンジョンの大阪梅田地下街にはまだちょっと敵わないとも思うが、増殖の機運が続いているので世紀をかけて100年ダンジョン計画だと言い張れば良いのかも、などと思っている。この地は、またゾロオリンピックをやりたがる馬鹿者政治屋とその一味がいる街なので、本当に100年計画化しそうなのが怖い。
そのダンジョンの東の端にあるサインというか看板が散歩の途中に目に止まった。オーロラタウンというのは札幌の名物、大通公園の地下にある地下街の公式名称だ。この「名称」が金のネタになる時代に、いまだにネーミングライツ販売されていないらしい。
まあそれはいいのだが、公式名称の下に有名チェーン書店の店名が書かれている。おそらく看板のスポンサーというか設置をしたのが書店なのだろうと想像できるが、今の時代で考えると何やら権利関係も含め怪しい気がする。どちらかというと書店より地下街運営団体の怪しさだ。きっと何十年も続いている習慣で誰も気にしていないのかも知れない。TMも©︎もないから、地下街公式名称は利用し放題ということかも知れない。権利関係に鷹揚な昭和の看板なのだろう。だとしたら、この看板は何十年ものだ?

その看板のすぐ近くに、さっぽろテレビ塔の地下入り口がある。テレビ塔の地下入り口というのもなんだか不思議な感じがするが、テレビ塔が先に建設され、その地下にあった食堂街に地下街が接続されたということだろう。
こちらの看板は、さすがに権利関係があちこちに現れている。この髭を生やした赤い存在はさっぽろテレビ塔のゆるキャラで、フィギュアなどの商品化もされている。
看板を見れば、出店しているブランドもそれなりに渋い玄人好みの銘柄が並んでいて、観光名所というより地元民優先の隠れグルメスポット的な雰囲気だ。やはり運営団体の商売観みたいなものが見え隠れする。
たった20m程の距離で見つけた散歩の楽しみだった。

その後、オーロラタウンを東から西に歩き切ると地下鉄大通りの改札口に当たる。そこを左(南)に曲がれば、札幌一の繁華街である4丁目界隈を抜けて薄野まで続く「ポールタウン」になる。右(北)に曲がれば、札幌駅まで続く通称「チカホ」(正式名称は知らない)に分かれる交差点だ。その交差点を地上に向けて登れば、バブルの時代に最初に潰れた都市銀行の本店跡地に経つ商業ビルに出る。その2階にあるのが最近お気に入りの喫茶店で、例の東京オリンピック出張マラソンを眺めるにはベストポジションだったはずだ。窓際の席に座って大通公園を眺めながらぼうっと過ごすのが好きなのだが、ここ2年ほどはコロナのせいか客もまばらだった。
ところが、今回はほぼ満席でようやくテーブル席が確保できた。ここ二年間は店内で大声の会話など聞いたこともなかったが、久しぶりの店内では中年のおっさんグループ(黒のスーツにネクタイ)が、地元政治屋の生臭い話をしているのが筒抜けだった。どうにも中年男には学習機能が備わっていない奴が多いのだと思っていたら、そのあと女性3人組がこれまた大声会話で参戦し、コロナで何も学習しないお馬鹿さんに男女差はないことを理解した。さっさと退散したのはいうまでもない。我が愛しの喫茶店はもはや「低学習能力者の巣窟」になったらしいので、当分行くのはやめることにする。ここのドリップコーヒーは本当に美味いのだが。

散歩の後の至福の時間は、やはりアルコールではなく珈琲に限ると言うのは、昭和生まれの感傷でありますね。