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土産物菓子 バラ買いはうれしい

山口の駅コンビニで発見した地域の土産菓子はなかなかのバリエーション豊富な楽しいものだ。ただ、実に面白いと思ったことだが、県庁所在地である山口駅にはコンビニがない。いや、何もないと言ってもいいのではと思うくらい駅が簡素化されていた。トイレも昔ながらの薄暗いもので、ここに観光で来るというのは実に考えにくい。受け皿がないのだから、リピート客などくるはずもないだろう。手に入れた土産菓子は岩国と下関の立派なコンビニ、土産物店で手に入れた。

バターとミルク抜きで作ったマドレーヌ というか柔らかい小麦粉煎餅?

バラ売りされているものには和菓子のラインナップが多い。つまり、それはこの地で江戸時代以降砂糖が潤沢に供給されていたことを意味する。当時の砂糖原料はサトウキビが主体で、南方貿易が盛んであれば入手しやすい。戊辰戦争の薩摩、長門など西国革命軍というか反乱軍は南方貿易で戦費を稼いだから、九州、中国地方で老舗菓子屋、つまり砂糖大量使用者が多いのは納得できる理由がある。
伝統文化の継承地、京都は幕末になるまで随分と寂れた都市になっていた。それでも腐ってもタイで老舗菓子屋は生き残っていたが、虎屋のような目先の効く商人はお江戸に転出している。ある意味保守的、ある意味変化に対応できない店が京都では老舗として生き残ったとも言える。少なくとも江戸時代に京都に金持ちはいない。寺社も公家も幕府からの下賜されたあてがいで生き延びていたはずだ。貧乏遊民の街が京都だろう。
ところが政治の中心江戸と、米経済を回す大阪では、当然ながら高級遊民が多かったので老舗の菓子屋が続いている。同時期、地方都市で菓子が名物になるほど経済力のある街は数えるほどしかない。

どら焼きは驚くほどバリエーションがあるが、これはどちらも伝統スタイル

今ではスーパーで当たり前に1個100円程度で売られているどら焼き、カステラだが、ルーツを辿れば大名クラスが食べる高級菓子だ。ふんだんに使われる砂糖は、庶民に手が届くものではない。それが名物になっているということは、長門は金持ちの国だったのだ。
手に入れて二種類のどら焼きを比べてみた。中身はどちらもうまい。ただ、パッケージが全然違う。上の方が高級そうに見える。化粧箱に詰め合わせたもの4個入1000円と言われても納得する。かたや、下の方といえばスーパーのパン売り場の横に山積みにされて本日のセール1個100円 お買い得 などと書かれていても不思議ではない包装だ。
食べ比べてみればわかることだが、どちらもうまいし、菓子としてのレベルは高い。だからこそパッケージが与える印象の重要性がよくわかる。個人的には、「遅いぞ、武蔵」の方が好みの味だったが、手土産にするには包装が安っぽいのでちょっと残念だった。ただ、このネーミングが良いではないか。

そして、どうやら長門国で1番の人気者は、ふわふわ系洋風まんじゅうだ。封を開けて中身を見ると、萩の月とも鎌倉カスターとも見える。似たもの系で言えば那須の〇〇とか、〇〇カスターとか、日本随所で発見できる。
目隠しして食べるとその差がわかるかどうか。個人的には全く自信がない。中身は一緒でどこかの会社がOEMで作っているのではないかと思いたくなる。

ただ、外見を見るとこれはなかなか秀逸なパッケージで、おまけにネーミングも素晴らしい。「月でひろった卵」とある。同じシリーズ商品で味違いがある様だ。なぜダルマなのだろうと疑問に思ったが、どうやら長門国、古の領主大内氏のダルマがモチーフになっているのだろう。おまけによく見るとダルマに羽があるが、どうもこれは羽ではなく鰭の様に見える。だとすると、フグなダルマなのかもしれない。
しかし、いつから長州人は月面まで行ける様になったのだ。うさぎが名物なのは因幡だし……………

とにかく、昔は箱でしか買えなかった土産菓子が一つずつバラ売りされているのは、とてもありがたいことだ。土産の性質が、義理で持ち帰るものではなく、自分の楽しみとして使われるソロ旅仕様に変わったと考えられる。これは観光業界における画期的な進化だろう。さて、この菓子バラ売りが全国のどこまで広まっているか。機会があれば確かめてみたいものだ。

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あこがれのブランド

札幌のメインストリートから外れたところにひっそりとある

まだスノーブランドが毀損されず、世の中の憧れだった頃、一度だけ女性とこのパーラーに行ったことがある。まだ先代の店が駅前通りにあった頃だ。その女性の高校入学のお祝いに食事を誘ったら、パーラーを指定された。彼女曰く、一度で良いから大きなパフェを食べてみたかったのだという。
何となく敬遠していた洋風甘味処であるが、やはり予想通りというか、客のほぼ90%(多分、もっと高いかも)が女性だったので気後れしたのを覚えている。そのときは、確か普通サイズのパフェを頼んだような気もするが。
その店が現在地に移動した。コロナになる直前に一度、勇を鼓して一人で入ったことがある。時間は午後4時、一番客が少ない時を見計らってだ。チョコパフェの研究をしていた時期で、やはりアイスっクリームの本場で、本物のアイスクリーム屋を試すべきだろうという思い込みだった。ありがたいことに女性客はゼロ、なぜか中年男性客が二人という記憶がある。甘い物好きに性差はないのだなと、妙なことを思った。

かの女性が注文していたのは、これより二回りほど小さいものだった。それでも、このサイズのものが全部腹の中に収まるのだろうかと、思わず疑ってしまう大きさではあった。サンプルケースに入っているこの巨大パフェは、どう考えても一人で食べるものではないだろうと思う。

ちなみにショーケース上段にあるのが普通サイズだ。下にある巨大製造物は一体何人で食べるものなのか見当もつかないが、とりあえず値段はついているので頼む人(グループ)はいるのだろう。事前予約が必要とも書いていないので、ふらりと来てこの巨大なケーキの様な物体を制覇する者もいるのだろか。
次に来たときは、せめて上段にある一つくらいは注文しようと思うのだが、流石に専門店だけあって、パフェのお値段はファミリーレストランのステーキよりお高い。ちょっと気合を入れないといけない値段だが、せめてフルーツパフェは一度でいいから食べておきたい………

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名物品はうまいものか?

高速バスで長時間移動すると、2時間おきくらいに休憩がある。運転手の疲労問題対策だと思うが、それ以上に乗っている乗客が旅に飽きてしまうからではないかと勘繰っている。
高速バスの旅は本当に景色が変わらず単調だ。当たり前のことだが、高速道路は人が通りもしない(できない)不便の山の中を走っている。用地買収を考えると山の中にしか作れなかったというのが本当の理由だろう。それでも初期に作られた名神や東名はまだマシなほうだ。多少共平地を走ることもあり、景観の変化がゼロということはない。ところが建設年度が新しくなるにつれ、山とトンネルばかりの道になる。だから休憩で止まるSA/PAの大半は車線の反対側に聳え立つ山を見るくらいのものだ。例外的にビューポイントはあり、当然人気スポットになっているところもある。お江戸の近くであれば中央道諏訪SAがその筆頭だ。海沿いで言えば東名の由比PAが良い景観官承知だし、浜名湖SAのなかなかのビューポイントだろう。
四国の高松から松山にかけて走ると、ぽつりぽつりと良い景色の場所があるが、瀬戸内ナンバーワンスポットはやはり瀬戸大橋からみる瀬戸内海の広がりだろう。しまなみ海道は、その道の名とはちょっと異なり意外と山の中をはしる。通過していく島内では山道ばかりだからだ。トンネルと抜けるとちらりと海が見えてまたトンネルに入るみたいなイメージがある。

そんな山とトンネルの連続を見飽きると休憩時間が実に楽しみになる。休憩の原則「出すと入れる」だ。つまりトイレに行き出すものを出し、売店で入れるもの、食べ物や飲み物を補給する。その時に、できればご当地限定のような珍しいものを手に入れたいと見て回る。それが実にたのしい。
ただご当地ものは現地人は誰でもわかるが、余所者には全くわからないという特性があり、商品の前で「これは一体どういうものなのか」と悩むことも多い。この「とりかわ」は、その典型例だった。レジ前に名物とかかれたPOPがあり、商品が山積みにされていた。とりあえず買ってみるかと思える安価なものだったから、中身を吟味もせず一つ手に入れた。
そのままカバンの中に入れて二、三日忘れていた。気が付いたのは帰りの飛行機の中、本を読もうとカバンの中を探っていた時だ。結局、ガーリック風味というのが気になり機内で食べるのはやめておいた。自宅に戻り食べてみると、これは確かに密閉空間で食べるのは傍迷惑になりそうな強いニンニク味だった。我が常識を褒めてあげたい。
味は、軽い塩味で鶏皮のチップスとでもいうべきだろう。カリカリ揚げた鶏皮だと思う。なんとも捻りのない名前だが、その名前の通りの商品なので文句のつけようはない。ただ、自分の人生でもう一度食べる機会があるかというと微妙だ。

高速バスの旅は、こんな非日常的な一期一会もあるので、なかなか楽しいのだが尻は痛くなるのが難点だな。

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海賊の美術館

ベストセラー小説のモデルになった石油商人が作った美術館が門司港にある。アメリカでは事業に成功すると財団を作りさまざまな支援事業に乗り出すのが、一種の社会的債務とされているようで、貪欲の商売をし悪辣に金稼ぎをしたとしてもそれを還元することで許される。そんなふうな社会らしい。
この国ではその辺が上手にできない。やりたくても、下から足を引っ張るものが多いせいもある。やっかみから悪口まで、ありとあらゆる負の感情の投擲が行われる。まあ、品性が人として欠けている、あるいは永遠に発展途上にある人がやたら多いということだけかもしれない。
効果と言われる芸術作品を購入するには莫大な金がいる。ただ、その金は芸術家の生業を助け、また次の作品を生み出す元になる。誰かが高い値段で買ってくれなければ、芸術作品は簡単に生まれないのだ。制作に一年かけたとして、それが100万円でしか売れなければ、制作部材を揃えることなどの費用を考えると、その作家の年収は100万円を切ることになる。
いくら好きな道とは言え年間100万円以下で暮らしていけるものか?だから、美術品、あるいは芸術家の育成にはパトロンが必要だ。良いねで買ってくれるお客さんが必要だ。
それを社会的成功者が務めるのは、極めて当然なことだと思うのだが。なぜか一億円の壺を買う金があるなら、交通遺児にその金を渡せなどと主張をする自称正義派が出現する。それでは壺を買うのをやめて、交通維持ではなく母子家庭の支援に金を寄付しようとすると、「母子家庭支援団体ではなく、俺の応援する(俺が運営する)交通遺児支援団体に金を寄越せ」となる。もはや、ゆすりりたかりでしかない。
誰がどこに金を使おうと、その人なりの社会還元で良いはずだし、使い道は勝手に決めるべきだ。

出光美術館は芸術品に造詣が深かった創業者が集めた収蔵品を一般公開するようになったそうだが、これも素晴らしい社会貢献だろう。

世の中で金の使い道を明らかにしないでぼったくることが認められているのは、政府及びその手下の地方自治体だけだ。これほど横暴で凶暴な組織はない。反社会勢力と言われる暴力団が、この悪行を小規模にしてまねてみると、たちまち組織自体が壊滅するほどの刑罰と組織封鎖を受ける。
だから、社会貢献活動とは、官に対する民の示威行動、俺たちが成し遂げた成功の成果を見てみろ、というのが正解のような気もする。お前たちは権威と暴力で金を巻き上げる。俺たちは、商品とサービスという満足度で金を巻き上げる。どっちが偉いかは、ひとめみればわかるだろう、へん?  という感じだろうか。

出光創業者が空の彼方からそんなことを聞かせてくれた、と勝手に思い込んでしまった。良い反省の場所だった。

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空港の話

日本にある空港のほとんどは利用したつもりだったが、まだいくつか未利用の空港がある。北海道であれば女満別や稚内など道北の空港で、これはその辺りでの仕事がなかったせいだ。1日の発着便数を考えると旭川空港から車移動したほうが便利がよかった。
島根県の石見空港や秋田県大館空港も利用したことはない。離島となればそもそも行ったことがないので、まだ未利用の空港は20ヶ所以上あるはずだ。
そんな未利用空港の一つを制覇する機会があった。山口宇部空港だ。ただ、この空港が山口市と近接しているかというとかなり怪しい。空港のネーミングはリアルな地名というより、一種の商標みたいなもので冠された名前は地名とは限らない。

そしてこの空港は、我が新税の経験に照らし合わせても最貧弱なアクセス寛容にある。公的交通機関を使った場合、全く不便だ。羽田空港の利便さは例外として、大多数の地方空港では発着便に合わせてシャトルバスなどが整備されている。
この空港はそれがない。近隣の大都市下関からは、予約制の乗合タクシーがあるが、当日利用はできない。空港に隣接する宇部市の繁華街からはシャトルバスがあるが、そもそもその繁華街にアクセスする交通機関がJR西日本のローカル線で山陽本線(これも1時間に一本という低頻度路線だが)での乗り換えが必要だ。おまけに接続が悪い。
シャトルバスに乗り換えるくらいであれば、そのまま列車に乗って数駅先で降りると空港ビル入り口まで徒歩10分くらいだ。せめて駅名を宇部空港前にでもしてくれれば良いのだが、そのような斟酌は全くなく「地名」駅だ。
では、旅行者はどうするのだろうかというと、空港前に自家用車で乗り付けるのが前提となっている。確かに多くの地方空港は広大な駐車場を備えている。同県在住者にとってはそれが最大の利便性確保だろう。し・か・し・だ。観光客の足を全く無視している。レンタカーを使えば良いというのは、随分と傲慢な考え方だ。
単純に観光客を締め出そうとしている、無視しているとしか思えない。観光客誘致をインバウンドに頼るしかないほど、地元の観光振興策が貧弱、脆弱で整備がされていない。知恵もなければ努力もしないと酷評したいところだ。なぜ、こんな場所がNYTに上位で選ばれたのだろうか。不思議だ。
そんなことを考えながら、空港最寄りの駅から歩いてみた。良い天気で歩くのには気持ちが良い。空港脇の公園からは大勢の地元民があれこれと楽しんでいる歓声も聞こえてくる。せめて駅からタクシーにでも乗れれば良いのだが、そもそもタクシー乗り場すらない。やはり観光施策が変な県だと思う。

飛行機の搭乗時間と鉄道の運行時間が全くマッチしていないので、ギリギリの時間だと駅から走らなければならず、そうならないように余裕を持てば空港内で3時間待ちになる。
のんびりと食事でもしようと早めの時間に出かけたら、なんと空港での手荷物受けつけ開始が搭乗時間の1時間前という、これまた変則的に遅い対応で、空港内を荷物を抱えたまま歩き回る羽目になった。
それでも、食堂を見つけ何を食べようかとメニューをみていたら、サンプルケースの中にアニメキャラのフィギュアが置かれている。店長の趣味かと思ったが、それにしてもやたら体数が多い。このアニメの登場地(出撃地)に山口県があったか?と思い返しても記憶にない。そもそも、こいつらは富士山の麓に陣地を構えていて攻めてくる敵をギリギリ防衛する力しかなかったではないか。

不思議に思い空港内を彷徨して発見した。やはり宇部市がの街コラボみたいなことをやっていたのだ。饅頭や煎餅になっていたようだ。関係者の誰かがこの地域の出身者だったのかもしれない。

空港限定グッズも販売されているのだから、相当に力が入ったキャンペーンだっただろう。ただ、その努力は認めるが、空港で大騒ぎをする前に考えることがあるでしょうと言いたい。短期間滞在型の日本人国内旅行客に対しては交通機関の整備対応が第一で、移動の利便性を整えなければ旅行の目的地として最初に「不便」と決めつけられ落とされてしまう。
少なくとも山口県に隣接する各県では空港アクセスや都市間移動にはそれなりの利便性を確保している愛媛県、広島県、福岡県、このどこでも空港に行く足で困ったことはない。もっと高域に広げて岡山県、鳥取県、香川県、高知県全て同じように発着便と連動した都市間交通はできている。

商品が売れないのには売れないわけがある。観光地が流行らないのは、やはりそれなりのわけがあると、観光行政、業界の人は考えないものなのだろうか。

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瓦そば

瓦そばというたべものがある。戊辰戦争の頃、長州に滞在した薩摩軍のために提供された戦場食だったらしい。多数の兵隊に熱い食べ物を一気に提供するということが目的だったとか。
茹でたそばを火で熱したい瓦の上に乗せて温める。それをつゆぬつけて食べる。確かに、大量生産がやりやすい仕組みだ。そばさえ大量に用意すれば、あとは瓦の数で提供数がきまる。
テレビの旅番組で見て一度食べてみたいと思っていた。下関市内でも何店か提供しているようだが、元祖の瓦そば屋は下関から車で30分ほどの離れたところにあるらしい。ちなみに、三人前くらいまでは一枚の瓦に載せるそうだ。

せっかく下関に来たのだからとふぐ(こちらの表記はふく)の唐揚げを合わせて注文した。これはうまい。

ついでにふくの薄造りも頼んでみた。これもうまい。フグを食べるところは全国各地にある。大阪のテッサも有名だし、お江戸でもフグ専門店は多い。ただ、関門海峡のフグが日本のフグ界のスタンダードらしい。下関のフグ漁協の会長に聞いた話だから間違いはないと思う。

ただ、この瓦そばを食べたのは山口県ではなく福岡県北九州市門司港にあるお店だ。関門海峡は、海峡というほどの距離感はない。まるで川の対岸みたいな場所だから、門司港で食べても下関で食べても、関門海峡で取れるフグの味に差があるはずもないし、ましてや焼いた蕎麦の味はどこで食べても同じだろうと、自分を言いくるめた。距離的に言えば、神田の老舗蕎麦屋の銀座支店でそばを食べた程度のことだ。
ただこれでは門司で名物料理を食べたとは言い難い。まあ、それも旅の楽しみ方か。

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エンタメ2 in MOJI

門司港の名物といえば焼きカレーだと思い込んでいたが、どうやら名物は一つだけではなくあれこれがあるらしい。焼きうどんというのは北九州市全域で食されいるようだ。小倉駅周辺の食堂でも、焼きうどんが一押しされていた。

しかし、門司港といえば思い出すのがバナナの叩き売りだ。これはネタとして激しく古い。昭和の名映画作品である、フーテンの寅さんの商売が叩き売りだが、昔バナナが貴重品だった頃は、門司港に上がったバナナを街頭で叩き売る、つまりセリフで客を喜ばせるエンタメ商売が存在した。
バナナは台湾から日本まで運ばれてくるが、その外洋船(国際航路)と内航船(国内輸送)の接点が門司港だったようだ。台湾から来たバナナが国内輸送用に積み替えられ、その余が叩き売りに出回ったのだろうか。
小学校の遠足にバナナを持って行くと、バナナは弁当の一部か、おやつに入るのかという議論が熱心に繰り広げられた。バナナは甘いフルーツだが、おやつの中に組み込まれると持っていけるおやつの総量が減るので、子供達にとってはおやつの量確保問題としてかなり深刻な話題だった。
今ではバナナはスーパーに行くといつでも特売で売られている日常品だが、そのバナナが高級品だった時代、それが昭和中期だった。だから、高齢者にとっても時効のバナナはいろいろな意味で郷愁を誘う話題でもある。
門司港で出会ったバナナマン1号は、まさにその門司港バナナ伝説の体現者だ。

その隣にいたバナナマン2号は、ちょっとブラックなカラーリングできっとあまり甘くないダメバナナに違いないなどと思ってしまった。どうも、この二体のバナナマンにはもっと深い伝説?がありそうだが、わざわざ調べるほどでもないか。ちなみに漫才コンビのバナナマンは、この二体と何か関係があるのか、そんなことはなさそうだが。

そして、レトロな感覚のバナナマンからちょっと離れたところに、現代風ゆるキャラの丸々した一体がいた。マスコットキャラであることはわかるのだが、緑の頭は一体何を意味しているのか、形状の説明も欲しいところだ。だいたいゆるキャラは設定上、人ではない妖精みたいなことが多いので、これは港のどこかにいる何かが実体化したものだと思うが。
ちなみにバナナマンの写真を撮る観光客は皆無だったが、こちらのゆるキャラは写真を撮る行列ができていた。やはり現代風のアレンジは大事なのだなあ。

観光地門司港はいろいろな意味で、作り込みがしっかりとされたエンタメ観光地だった。全国の港町も、この努力を学ぶべきだろうな。北海道で言えば、小樽や函館は視察団を派遣して学ぶくらいの努力はしてもらいたいものだ。

人気のある観光地は努力の跡がしっかり見えるということでしょうね。

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エンタテイメントの作り方

波止場を歩いていると突然大きなアナウンスがかかった。これから橋が開くとのことだった。まだ門司港が全力で稼働していた時代に大型船が入港するとき、橋を吊り上げて通したものを再現しているらしい。
アナウンスの内容は事細かく、橋が上がってから元に戻るまでの時間や、橋が開いている間の通行路のなど実に親切丁寧だが、周りの観光客はそれを熱心に聞いている風もない。

それでも橋の両端が通行止めになり、真ん中から橋が持ち上がり始めると、一斉に立ち止まりその光景をながているようだった。

橋はほぼほぼ垂直に立ち上がり、立ち上がるのと同じ時間をかけて閉じていった。だいたい20分くらいだったと思う。その間、橋の上下動をながめているのだから、結構間抜けな光景に見えるのではないか。

しかし、巨大建造物が移動するというのはやはり心を惹きつけられるものがある。ビル建設の大型クレーンで資材を釣り上げたりする光景も、似たような魅力がある。やはり想像を絶するような大きいものが動くのは、心躍る光景なのだ。横浜にあった実物大(?)ガンダムも、動きはほとんどないがそれでも膨大な観客を集めていた。
そのうち実物大ウルトラマンとか実物大ゴジラの展示、それも稼働部分が多いものがあれば、大人気を博すと思うのだが。個人的な経験で言えば、一番大きなキャラは長田駅前の鉄人か須賀川のウルトラマンくらいだろう。それでも身長10mくらいだから、この橋の開閉動作はやはり現代日本ではトップクラスの移動する巨大建造物ではないか。橋が動け場、それだけで立派なエンタメコンテンツだ。

橋が閉まり始めてから、少し離れたところで見ることにした。やはり、すごい光景だ。やはり観光地作りには演出が必要なのだなと改めて思った次第。

街を歩く, 旅をする

まさにレトロなステーション

下関から連絡船で海峡を渡った。船を降りた先に門司駅がある。JR鹿児島本線の始発駅だ。下関まで伸びていた山陽本線から繋がる九州の大幹線がここから始まる。現在のJR新幹線網と高速道路の配置で日本の地理をついつい考えがちだが、実は古代日本から連綿と近代まで続いた幹線道路、幹線経路は今とはずいぶん異なっている。
日本最大の幹線経路は間違いなく瀬戸内海海運で、それに続くのが日本海を北上する北前ルートだろう。現在の東海道も歩いて移動するために使われていたが、物資輸送はもっぱら太平洋沿岸を伝う海上ルートで、これが意外と細いものだった。瀬戸内海雲の拠点である門司下関は海上ルートの一台拠点だったのだから、そこから鉄道が陸路に伸びたのは当然のことだっただろう。
お江戸で言えば東京駅みたいな由緒ただしきターミナル駅だ。

鉄道の起点駅のホームはいつ見ても感じ入ってしまう。海の道につながるターミナル駅としては高松駅も昔は似たような感じがあった。今では随分と変わってしまっているが。青森駅も青函連絡船が通っていた時代は、港と駅のホームが直結する昔ながらの駅だった。
それでも、港直結型駅としてはやはりこの門司港の駅が最も優雅だろう。四国や北海道に渡るのは内国ルートだが、門司や下関は国際港だ。江戸末期に出来上がった、いわば成り上がり者の神戸や横浜とは格が違う。古代日本から続く伝統と栄光の港なのだ。その片鱗が駅のホームにも見られる。

駅舎内は今ではきれいに再整備されてほとんど美術館のようなものだが、みどりの窓口は現役の施設だった。JRグループの中で独立独歩なスタイルを貫くJR九州らしい、自ら観光地を作り上げるという意志が感じられる。
ちなみにJR東は東京、首都圏の通勤客が払う金の再配分、JR西は関西圏の通勤客運賃の再配分では金が足りず、ローカル線を徹底的に縮小の方向。JR四国と北海道は、あとはJRグループ東西に吸収されるのを待つばかりなのだが、どちらの会社も上場企業なので赤字会社の吸収合併には及び腰だし、再建プランも持っていないだろう。JR東海は東海道新幹線の上りで食べているだけだし、本来切り捨てるはずのローカルが少ないので我が道を行ける。

そんなJR各社の経営方針の違い、事業戦略の差は歴然としているのだが、JR九州が一番鉄道事業、つまり本来の運輸事業から離れようとしているように見える。首都圏や関西圏で通勤客用の住宅地供給を主力に路線経営を進めた東急グループや阪急グループと似た、鉄道+不動産業+生活産業による総合収益事業を目指しているように見える。

博多駅や鹿児島中央駅の取り組みを見れば、そのあたりはあきらかだ。おまけに子会社は九州だけでなく東京でも支店(レストラン)を出店して広域営業活動をしている。それも駅の外だ。
東京駅や大阪駅の改装後の姿を見れば、JR九州との違いは明らかだ。鉄オタとしてはその辺りがちょっと嬉しい。ちなみにこれは撮り鉄や乗り鉄から派生した、事業鉄とでもいうべき分野で変わった楽しみ方だろうな。これを楽しむものは極めてレアだと思うけれど。

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波止場の風景

JR門司駅付近は昭和レトロをテーマにしたテーマパークのようだ。タウンマネージメントがうまくいっている事例だと思う。
そういう場所であれば、観光地の鉄板施設、顔穴の空いた写真スポットも実に似合っている。
朝早くだったので家族連れ観光客がいないので、これを使って異写真を撮っている人はいなかったが、昼近くになれば順番待ちの行列ができそうだ。

その大陸航路、国際港であった門司港は、当然のことながら税関が置かれていた。どうも港の入り口で一番目立つところに立っていたらしい。この煉瓦造りの建物は中が資料館になっている。税関の資料館など普段お目にすることもないのでノコノコと出かけて見たが、これはなかなか見応えがある。展示の内容は笑ってしまうようなものだが、ともかく建築物の資料的な価値が素晴らしい。港の反対側から写真に撮ると実に絵になる。

が、この写真は「切り取り」の典型で、同じ場所からもう少し周りの風景を取り込むと、実は赤煉瓦のすぐ隣にタワマンが立っている。最初はオフィスビルなのかと思ったが、どうも高級コンドミニアムらしい。
過去と未来のコントラストといえば確かにそうとも言える。しかし、レトロな街の風景を売り物にする観光地としてはいかがなものだ、という気がしないでもない。
旧港(波止場)は景観を守って整備されている感じがする。パッと見た感じはサンフランシスコのフィッシャーマンズワーフにも似ている。日本各地で港の再開発、観光地化が進んでいるが、このレトロ門司港が一番上手に仕上げていると思う。だが、画竜点睛というか、このタワマンがちょっと不満だなあ。
勝手な勘繰りだが、港の地権者は旧財閥系企業も多いはずだ。おそらくその中の一社が景観条例などが整備される前に、抜け駆けしてタワマンを作ってしまったのだろう。わざわざ調べる気も起きないので、実態はわかっていない。
確かに京都駅で降りて駅前バスロータリーにある京都タワーを見たときも同じようなことを思った。まあ、美しい風景というのは時代によって変わるものなのかもしれないし、その街に住む人たちには、景色より重要なものもあるはずだ。旅行者がぶつぶつ言っても仕方がない。

門司港についてはもう少し続く。