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秩父のトンカツ

2017年の記憶 #26 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

秩父の名物といえば蕎麦だと個人的には思うが、一般的には「味噌豚」と「わらじカツ」の方が有名かもしれない。安田屋は開店前から行列のできる有名店で、このときもずいぶん早めに行ってなんとか席を確保できた。この頃は、コロナの影も形もなく、なぜか秩父にすら外国人観光客が増加を始めていた頃だから、開店1時間前でもすでにずいぶん人が並んでいた。昨今の外食危機など想像もできない良き時代だった。このわらじカツ丼の本店は秩父市の隣町、小鹿野にある。本店に行っても良かったのだが、この日は本店が休業日だった。お店の外見は何やらレトロで老舗感も漂う。店内に入るとカウンター席に案内され、目の前でわらじカツ丼の製造過程が拝見できた。店内もそれなりにレトロで、典型的な昭和の食堂感があふれている。

秩父名物わらじカツ丼とは、カツが草鞋のような大きさであることからのネーミングらしい。丼から大ぶりのカツがはみ出し、蓋が閉まらないが、それでも蓋がついてくる。カツの枚数を選ぶことができるが、この時は二枚(最小?)にした。いわゆるソースカツ丼系で卵とじにはなっていない。昼前からこのボリュームかと、かなりチャレンジ気分になったが、隣席の方達は強者揃いで三枚乗せの注文がほとんどだった。
カツ丼というのは時々無性に食べたくなるが、食べ終わると過剰なまでの満腹感で、本当にもう勘弁してよという気になる罪深き食べ物だ。普通のカツ丼でそうなのだから、このわらじカツ丼は悪魔級の罪悪感だった。一度食べると、次に食べるのは来年かなあ?くらいのインパクトだ。それでもあれからもう3年以上経っているので、今年はぜひ食べに行きたい。限界まで腹を減らして強者級の三枚乗せにチャレンジだ。

秩父のグルメ旅はお手軽で楽しい。パリー食堂もご無沙汰してるしなあ。

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たまにおきる人生でのささやかな驚き

2017年の記憶 #25 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

浜松の植物園で初めてみた狐の顔の実。調べてみたら、フォックスフェイスというそうだ。まんまのネーミングだ。系統的にはナスの一族らしいが、食用にはならない。全くの観賞用だが、これが自分のうちの庭に生えていたら結構楽しいかも。小さな狐の顔がだんだんと大きくなっていくのは、タイムラプスで撮影しておきたい。人が作った建造物を見ても、ここまでびっくりすることはないから、やはり自然は偉大だな。

浜松フラワーパークという大きな植物園みたいなところで見たもので、この公園はのんびり花を見ながら散歩するには良いところだった。
ご興味があればどうぞ ↓
https://e-flowerpark.com

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坂東札所巡り19番

2017年の記憶 #24 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

秩父札所参りと同時並行で坂東札所参りもしていた。関東全体にお寺がばら撒かれていて、鎌倉が一番札所で、ぐるっと関東平野を時計回りに周り千葉県館山が最終になる。西国札所を関東でもということで、鎌倉時代に始まったようだ。ゴールの地、館山は鎌倉幕府に縁が深い三浦半島の反対側に当たる。坂東札所巡りはこちらの都合で、1番から巡ったわけではない。四国88カ所のように回る順番に厳密ではなくても良いらしい。

札所巡りは、そのお寺の御本尊の観音様をお参りに行くものだが、御本尊にはお目にかかれないことが多い。ただ、この大谷観音の外には、大谷石を刻んだ大きな観音様もいるので、何やら普段よりもありがたみがあった。人は現実に目にすることで、納得するものなのだと実感した。宗教によっては偶像崇拝を禁止する教義もあるが、やはり、大きなものを目にしてありがたがるのは人間の本性みたいなものなのだろう。古来、宗教的な建造物や神像が巨大化するのは、この辺りが理屈なのだなとおもった。しかし、東大寺の大仏には工芸的なもので感心したのだが、この石仏はそれとは違う感銘を受けた。金属加工よりもっと原始的な石を削るみたいな手法の方が、よりありがたみを感じてしまうらしい。この辺りは理屈ではなく動物的な感性みたいなものかなあ。

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秩父の札所巡り 昔から観光客はバカたっだ?

2017年の記憶 #23 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

秩父札所巡りを始めたきっかけは、ずいぶん前に録画していてそのままにしていたアニメをみたことだった。秩父を舞台にした高校生たちのストーリーで、遊び場として使われていた17番札所が妙に気になったせいだ。サクッとネットで調べた後、札所の解説本を買いに行って、どれどれと始めた札所巡りだった。お約束通り一番札所から回り始め、お目当ての17番札所にたどり着いたのは、1ヶ月くらい後だったと思う。34カ所ある札所巡りのお寺も、中盤は住宅地の真ん中にある場所ばかりで駐車場を見つけるのが大変だった記憶がある。この17番札所も駐車場を見つけるまで苦労した。
あちこちのお寺で札所巡りをしている人には会ったが、17番札所は特別で、若いカップルが何組もいた。おまけにそのうちのひと組は外国人観光客だった。札所巡りの国際観光地化だな、と妙に感心した。

札所に行くには車のナビにお世話になったので、あまり迷うことはないのだが、古いナビのせいなのかお寺の裏側に連れて行かれて、行き止まりの道をUターンするのに15分以上かかったこともある。それ以来お寺の近くに行ったらナビは信じないことにした。寺の山門前にたどり着けば、たいてい駐車場の案内がある。親切なお寺の場合は、山門前が駐車場になっている。

それにしても、有名な神社や仏閣に行けば見かけることになる「千社札」なる張り紙が気になっていた。有名観光地の落書きもどきで、バカどもの存在証明だなどと憤慨していた。ところが調べてみると、許可をとって貼ることが多いらしい。禁止されていることもあるようだが、お参りに来て千社札を貼ると功徳が長持ちするという風習のようだ。おそらく貼らせてもらうには、なんらかのお布施もするのだろうから(札貼り単体にではなく、お経を上げてもらって、写経して、納札してと色々お願いした上での千社札はり)宗教的な商売だとも言えるのか。この汚らしい古びた紙札と思っていたが、意味があるのだと知ってからはちょっと見方が変わった。

観光地の落書きは日本人だけではない。Kilroy was hereと落書きするアメリカ人も有名だったし、今で言えばバンクシーもアートの顔をした落書きだろう。きっと落書きの類は人類共通の悪戯なのだ。しかし、わざわざ「札」を印刷し、ご丁寧に糊付けして貼っていく、この日本人の執念は一体なんなのだろうか。やはり宗教的信念なのかなあ。

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浜松の居酒屋で乾杯を叫ぶ

2017年の記憶 #22 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

静岡県浜松市、特別な思い入れがある街ではない。出張で関西に行く時に通過するだけのたくさんある街の一つだった。20年以上前に所用があり行ったきり、その後は全く訪れることもなかった。静岡県静岡市も同じようなもので、静岡県全体が関わることのない場所だった。ところが、100名城巡りを始めると俄然と静岡県の重要度が上がる。戦国三傑の徳川家本拠だったこともあるが、尾張、三河、遠江と続く東海3国が北条・武田・松平の主戦場だったせいだ。あちこちに名城が多い。関東や甲斐のように北条支配・武田支配が早くから確定した地域では、戦闘防衛拠点である城が少ない。東海地域では伊豆から岐阜にかけてずらっと城が続く。浜松にも徳川家第一拠点として浜松城がある。そこで、浜松に泊まることにしたのだが、浜松名物ってなんだっけ?状態になった。

ネットで探し出した良さげな居酒屋は、入店後の従業員と客が合わせてコールするらしい。本当にやるのかと思ったら、本当にやらされた。たまたまその日は客が少なかったせいか、妙に寂しい感じもしたが。これが週末の満席状態だったら、けっこう盛り上がりそうな気もする。この夜は浜松名物を色々と堪能できたし、良いお店だった。

メニューを見て「浜松といえば×××」を思い出したのが、うなぎと餃子だ。これはとりあえずキープした上で注文したのが遠州焼きという変わり種だった。タクワンが入ったお好み焼きだ。滋賀県にもタクワンのみじん切りが入ったコッペパン「サラダパン」があるが、それと関係があるのかどうか。東海地方はタクワン好きな場所なのだろうか。
このご時世でお店は大丈夫かと気になってホームページを覗いてみたら、元気に営業しているみたいだ。また、この遠州焼きを食べに浜松に行ってみたいなと思う。東日本でまだ行きそびれている100名城、設楽が原、長篠城が残っているし。

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熊野詣であれこれ考えた

2017年の記憶 #21 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

熊野古道のブームがあった頃は、行きたかったけれど混雑していると嫌だなと後回しにしていた。その熊野詣でを、ようやく果たしたのが2017年だった。高速道路が途中までしか通っていなかったのも理由の一つだが、それもほぼ全通した。伊勢は七度、熊野は三度などというらしい。お伊勢参りはすでに4回ほどしているので、残り3回。熊野詣ではあと2回頑張ると良いのだが。
熊野奥地にある那智大社は神仏習合の地で、敷地は一緒だが入り口は別々みたいな、ちょっと楽しい空間だった。鳥居をくぐって、山門を抜けるというのはなかなか珍しい経験だと思う。

那智大社から那智の大滝を望むと、青岸渡寺が目に入る。確かにこのアングルで大滝を見るために作った神社仏閣なのだろうなと納得する位置関係だった。車でくればすぐ近くに止めることもできるが、歩いて登る時代は、実に大変だったろうな。このありがたみの差が、ちょっと気になるが、歩いて登るかと問われれば、首を横に振るしかない。修験道の行者の場所だ。

その熊野の平地にある寺で「補陀落渡海」に思いをはせた。船に乗って南にあるという楽園「ポータラカ」にわたるための儀式だ。宗教的儀式は、無宗教な人間から見ると、なかなか理解し難いものだが、人が信ずるもののために行う情熱というか意気込みの凄さは胸を打つ。この情熱が金儲けに向かえば大資本家、大経営者になるのだろうし、宗教で発揮されれば聖人名僧となるのだろう。ただし、この情熱が政治に向かうとこれは害悪にしかならず、悪代官などは良い方で、独裁者級になれば人類の災厄というしかない。
民主主義は最良の政治家を選ぶことはできない。元々が腐った人間しか政治をやろうとしないから「よいもの」は選べない。悪いものの中から最悪を避けるための必要悪みたいな制度だ。ただ、民主主義が機能していれば災厄級の独裁者は防げる。少なくとも任期が終われば解約できる。
悪い奴を選んで補陀落渡海を強制できないものかなどと考えながら、民主主義に思いを馳せた記憶が蘇る。

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熱田神宮のそばでうまい鰻を食す

2017年の記憶 #19 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

名古屋の話が続く。熱田神宮に初めて行った時は随分と感動した。たまたま地下鉄を使っての移動だったので、駅からちょっと歩くのがよかったのだろう。車で行くと駐車場の位置の関係で、脇から入る格好になる。これはよろしくない。参詣者も地元の方であれば脇からはいって行っても良いだろうが、観光客としていくのであれば、やはり正面から入っていきたいものだ。出雲大社の本殿に至る参詣道は実に立派なものだが、個人的には熱田神宮の雰囲気の方が好みだ。
山の上にある神社は参道がクネクネと曲がり登るものが多いが、平地の神社はスッキリと真っ直ぐな道になっている。そのせいだろう。熱田神宮では、信長にあやかるサラリーマンの出世守りを手に入れた。斬炎ながら信長にあやかれたとはいえそうもないが。

熱田神宮のそばに、有名な鰻屋がある。名古屋名物ひつまぶしを求めて朝から大行列ができていた。その半分くらいが外国人観光客だったのが印象的だったが、今ではどうなっているのだろう。地元の人も延々と並ばなければならないとしたら、営業的にはマイナスだったのではないかと思ったものだ。2時間ほど待ち、ようやく店内に入れたのだが、たまたま隣の席にいた客がチャイニーズで(おそらく大陸系)注文に苦労していた。が、言葉も通じないので手助けすることもできない。ひつまぶしの食べ方なんて、日本人でも説明されなければわからんぞ。

注文したのは当然ながらひつまぶしだった。店員さんに丁寧な食べ方の説明を受け、言われた通りに美味しく食べた。最後の茶漬け風の食べ方で感じたうまさは、若い頃にはわからなかった「加齢」による舌の変化というか鍛錬の賜物だろう。歳をとるのは悪いことばかりでもない。
たまに食べる鰻は、本当に感動するうまさだ。ステーキの旨さとは違う。うまい鮨を食べることとも異なる感動だ。たぶん、調理技術に支えられた文化の味なんだろうと思っている。だから、「うなぎ」は外国人観光客にはあまり向かない食べ物かもしれない。同じような長い魚だったら、ハモの湯引きのほうがわかりやすいかな。味は全然違うけどね。そのうなぎ料理の中でも、やはり名古屋のひつまぶしが一番好みなのであり、今年はぜひ名古屋飯ツアーをしてみたいものだ。

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名古屋城の片隅に

2017年の記憶 #18 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

名古屋城は先の大戦の空襲で焼け落ち、その後再建された。全国に残る多くの城も、戊辰戦争終了後に廃城となったものが多い。だから外見だけは再現されているが、中身は鉄筋コンクリート建という城の方が多い。それをハリボテというか、文化財の再生というかは「理屈を言ったもの勝ち」のような気がする。あえて言えば、リアルサイズのガンダム製作(ただし歩けない)とか、恐竜化石の実物大再生展示みたいななものだろう。立てた時のまま現存している城、例えば松本城などで場内見学するのと、名古屋城の見学はちょっと意味合いが違う気もする。(どちらも好きだけど)

ただ、名古屋城に関しては城そのものよりも、城の横にある城主の居住館を再現したものの方が、見る楽しみは多いような気がする。安土桃山文化の絢爛豪華さと比較して地味な感じがする江戸期文化だが、江戸初期はやはり煌びやかだったのだなと思う。男性の平均身長が150cm程度だった戦国期としては、この天井はずいぶん高かったはずだ。実用性よりも威圧感を目指した建物だったのだろう。内装も金で虎とくれば、この広間での応接は今流で言うところの圧迫面接だったはずだ。相手を威圧するという目的の豪華さは武家仕様というべきか。
名古屋城は家康存命の時に築城された、徳川サイドの西日本監視施設であり、威圧機関だったのだから、「圧倒的な圧迫感」を与えるべく設計されていたはずだ。おそらく江戸城よりも脅迫感を重視していたのではないか。
お城廻りの裏の楽しみは、こんな風にあれこれと妄想を広げることだ。徳川政権は名古屋城築城とほぼ同じ時期に大阪城決戦、そして大阪城廃城で埋め戻しという膨大な土木工事を連続して行っていた。徳川政権というのは、なかなかに強大であったことがうかがえる。ただし、それも戦国期終了による景気対策だった側面もありそうで、裏読みの楽しみは尽きることがないなあ。

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お伊勢参りでラーメン食べた。ラーメン食べにまた行きたい。

2017年の記憶 #17 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

伊勢神宮にお参りに行ったら、必ず立ち寄る門前町「おかけ横丁」は、お土産物と飲食店がぎゅっと詰まっているありがたい場所だ。お参りが終わり腹が減ったと思えば、この中で好きなものを食べれば良い。土産物では伊勢茶とか伊勢醤油とか、微妙に購買欲をそそるものもある。
お伊勢参りの名物と言われれば、伊勢うどん一択しかない、ということにはならない。個人的には伊勢うどんは一生に一度食べればそれで十分という気がする。相当な麺食い、麺好きを自認するものだが、伊勢うどんだけは好みの食べ物とは言い難い。漁師料理らしい「カツオの手ごねずし」もなかなか捨てがたい。しかし、個人的な好みを押し出せば「横丁そば」がイチオシだ。蕎麦と言っているが、日本蕎麦ではなく中華そばのことで、スープが牛骨という変形ラーメンだった。これがなかなかのスマッシュヒットという感じに仕上がっている。次回のお伊勢参りでもきっとこれを食べると思うくらいの「好み」の仕上がりだった。

メニューというより品書きと言いたいアーティスティックなメニュー表を見て、ああ、この店はセンスがいいなと感じたが、味のセンスも良かった。すっきりとしているがコクがあるという若干矛盾した表現になるスープが、このラーメンの完成度を高めていた。関西圏は薄味という先入観があるが、実は関西圏は「濃い味」で色が薄いだけ、味は薄くないものが主流だと思う。
東京でもずいぶん店が増えた大阪 神座(カムクラ)のラーメンも、スープの色は薄いが味は濃厚だ。伊勢神宮前という日本屈指の門前町で食べるラーメンも、メニューを見ると和風で味が薄めの仕上がりのように見えたが、実際にはガツン系ラーメンと言いたいくらいの味の強さ、美味さだった。仏教とは違い肉食もありの日本神道だから、門前町でもこんな濃厚味もありだよなと思う。長野の善光寺前門前町でこのラーメンが出ていたら、坊さんたちが目を向いて怒るかも?というくらいストロングなケモノ味だった。(まあ、最近の坊さんたちは肉食妻帯制限ないみたいだから、アリなのかもしれないが)
できれば関東圏に進出して多店舗展開してくれないかなあ、と素直に思ったうまさだ。伝統にあぐらをかかず、新規なものをとりいれる。お伊勢参りが廃れない最大の理由がそこにあるような気がする。エンタテイメントビジネスは、昔から変わらない定理で動いているのだね。

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神社と酢豚の微妙な関係

2017年の記憶 #15 昔に撮ったiPhone写真から引っ張り出してきたあれこれ

神社巡りは昔から好きだった。出張や旅をしたときには、時間が取れる限りその地の神社にお参りに行っていた。ただ、奈良の神社は高校生の修学旅行で、かなり嫌な体験をしたこともあり、基本的に「NO」としていた。これだけを歳をとれば時効にしても良いだろうと思い直し、「あおによし」南都の神社に行ってみることにした。大和朝廷がどこで誕生したのかの議論はさておき、成立した当時の大王の一族は、この奈良の南部を中心に勢力を張っていたのだろう。だから三輪神社は朝廷の主流一族の氏神として、最高権威を持っていたはずだと思っている。現在の奈良中心部は仏教勢力によって締められているが、平城京の時代に起きた神仏の勢力争いの結果だから仕方がない。そのため奈良中心部から奈良の南の外れにある三輪神社に行くのは、なかなか大変なのだ。神社勢力が勝てば、この三輪神社周辺が都の中心になっていたはずだ。それも6−7世紀の政治の影響なのか、などと感慨深く思った。

この写真

三輪神社の周辺は駅前に多少飲食店がある程度で、賑やかな門前町という感じはしない。平日午後となれば、実にのんびりした気配になっていた。名物三輪そうめんを食べてみたい、などと考えていたが、それらしき店も見つけられないまま奈良中心部まで戻ることになった。
結局、昼飯は近鉄奈良駅近くのアーケードを歩いて、あおによしな和食店を物色してみたが、いつもどおりに町中華の店にふらりと入ってしまった。賑やかな店で活気があるのは良いが、奈良らしさみたいなものはまったく存在しない。注文したのはこれまたいつも通りの酢豚定食だった。
なぜか神社に行った後、中華料理屋に入る確率が高い。そして大体は酢豚を頼んでいる。何やら神様が酢豚を食べることを推奨しているような気もするが。きっと日本にいらっしゃる八百万の神様の中に、大陸中国起源で豚の守護者みたいな方が存在するに違いなく(恵比寿様とか福禄寿がそう言う外来帰化系ですねえ)、その方に付き纏われていると言うか、背中にずっと乗ったままにされているような気がする。酢豚の神様だから南方系、つまり広州あたりから海を渡ってきたのだろうか。まあ、これは酢豚の呪いというより福音と考えるべきだろう。

【訂正】この酢豚の写真を大阪みなみで食べたと勘違いして、先日使ってしまいましたが、奈良の中華料理屋でたべたものでした。訂正します。あまりにあちこちで酢豚を食べ過ぎたため、記憶が混乱していました。弁解してもしょうがないのですが、酢豚のルックスは日本全国どこに行ってもあまり変わらないので・・・。すいませんでした。