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仙台 ぶらり2

夕方の仙台をぶらぶら歩いていたら、あちこちで面白いものに出会った。一つ目は居酒屋の看板で、こき使われるサラリーマン応援店。こき使われるのは今でも変わらないが、コロナの最中は自宅勤務の人も多かったのではと、あれこれ思ってしまう。大衆酒場という言葉は、懐かしいやら物悲しいやら。平成生まれの世代には新しい響きらしい。大衆という言葉自体がほぼ死語だと思っていたが………

店構えがかっこいいなと思い、よくみたらうどん酒場と書いてある。思わず入りかけたのだが、入り口に閉店とある。店内は明るいので、どうしたのかなと不思議に思った。貸切で閉店かな。

よくよく見ると完全閉店で、改装して違うお店になるようだ。おやまあ、という感じ。次は串揚げの店になるのか。でも、うどん酒場のうちに来てみたかった。1週間早く旅をすればよかったのだなと残念に思う。どうにも諦めきれないが、これも旅の運次第だったのだ。人との出会いもそうだが、お店との出会いも一期一会だ。

東北で初の優勝はなかなかすごい賑やかさだったようだ。仙台は地元だけにさぞかし盛り上がったことだろう。しかし、「東北初」と書かれているが6県はまとめて一家のような感覚があるのだろうか。旧称国名で言っても陸奥、出羽、津軽、磐城、会津とバラバラな国だったような気もするが。戊辰戦争で負けたせいで一体化したのか?

仙台は和菓子屋が多い。そのためか、老舗の有名店でもバラ売りをしてくれるのがありがたい。ふと思いつき最中とどら焼きを一つずつ買い込んだ。

仙台の繁華街の中心、一番町にあったお茶屋さんが店を閉じていた。ここはお茶もうまいがお菓子もうまいという名店で、かれこれ20年以上仙台に来るたびにお世話になっていた。実に悲しい。コロナはお茶屋も潰すか、と憤慨していた。

と思っていたら、懐かしの看板を発見した。どうやらお引越ししただけのようだ。仙台市民であれば、閉店前から移設の告知看板などでしっかりと理解していただろう。こちらは久しぶりの仙台なので、それを知らなかっただけだ。お菓子の新作も増えていた。めでたしめでたし。

食べ物レポート, 旅をする

仙台でぶらり

仙台に新幹線以外で来たのは初めてだった。各駅停車の長時間移動でお尻が相当ダメージを受けている。各停の旅をすると、毎回初日にこの手厚い歓迎を受けて思い出す。軽量の座布団を持ってくるべきだと…普通列車のシートは長距離移動向けには設計されていないことを、すぐに忘れてしまう。
ホームを登ってコンコースに出たら特急の看板があった。この列車だったら、尻ダメージは少ないのかもなあ。

仙台の晩飯は、昔よく通った居酒屋にした。本店は閉店したようなのでホテル近くにある支店に行く。その途中で街見物をしたのだが、あちこちでランドマークにしていたお店がなくなっていたのは残念なことだ。

お目当てにしていたマグロ刺身盛りは休日のためかおやすみ。当てが外れてしまった。そこで、第二の選択として楽しみにしていた「カツカレーのライス抜き」だが、これはメニューごと消えていた。実に悲しい。
とりあえず時間稼ぎにガリ鯖を注文した。これでちびちびやりながら、メニューを確認しようという作戦だ。チビチビ飲むうちに気がついたのだが、メニューが半分くらい変わっている。

自分のお気に入りメニューがほぼ全滅していた。時間が経つのは早いものだなどと感慨に浸ってしまう。自分にとってのコロナ禍とは、まさにこういうことだ。気を取り直して新メニューに挑戦した。
「酢豚のうまいところだけ」というものだ。ネーミングはセンスあるぞと思いつつ実食した。要するに酢豚から野菜を抜いて肉だけにしたようなものだ。これはこれでうまい。串カツから串を抜いたようなものだと思った。一口カツの変形とも言えそうだ。
ただ、酢豚は中に入っている玉ねぎが好きなので、これではちょっと物足りない。できれば「玉ねぎたっぷりの酢豚」が食べたいものだ。久しぶりにあれこれと楽しませてもらった。次回来るときはカツカレーのライス抜きが復活していますように。

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各停の旅 東北本線終着 盛岡

常磐線で仙台まで来て、とりあえず早めにホテルに入ることにした。久しぶりの仙台の街はあちこち変わっているはずなので、夕方は仙台街中の散歩をするつもりだったあ。荷物を置いたら晩飯の場所を探しがてらのぶらぶら歩きだ。
予想通りというか、残念ながらというか、何軒かのお店がしまっていた。ビルごとなくなっている店もあった。コロナはまちの姿を変えるというか、破壊したのだ。ちょっと物悲しい仙台の夜だった。

仙台から東北本線を各駅停車で北上すると、最初の乗り換え駅(乗り継ぎ駅)は、小牛田になる。ここから海岸を目指せば気仙沼に着く。前回の各駅停車の旅では気仙沼から小牛田に来た。

小牛田を超えるとすぐに岩手県になる。岩手県内はただただ北上するだけなので、車窓からの景色が変わらない。基本的に山と畑が続く。途中で世界遺産の平泉もあるが、今回は素通りだ。

一関が岩手県の玄関口というか、北上してきた時の乗り換え駅になる。新幹線も止まるので、駅自体は随分と大きい。東北本線では大きい駅の一つだ。ただ、東北本線で最大の駅は仙台駅で、他の駅とは別格の大きさだから、それと比べてはいけない。

一関から盛岡まで

一関は、なぜか理由はわからないのだが「黄色いモンスター」にお出迎えされた。スタンプラリーが開催されているらしい。夏休みには子供向けの人気キャラスタンプラリーで乗客ゲットというのは鉄道各社でよく行われている。北東北限定のスタンプラリーのようだ。

ご丁寧に等身大?のモンスターもご挨拶している。子供だったら通り過ぎるのが難しい関所だろう。と思って見ていたら、幼稚園くらいの子供が、この場に立ち止まっていた。祖母らしき年配の女性は諦めたように、何も言わず待っていた。子供連れの家族が何組もいたら、場所取り写真取りで忙しいだろうな。

改札口には古典的なお出迎えのパネルがあった。個人的には、こちらの方が何やらホッとするというか、懐かしいし安心する。

駅正面を見ると最近の近代化改装されたJRの駅とは趣が異なる。やはり懐かしの「観光地の駅」のイメージがある。温泉に行く時には、こういう駅が良いなと思うのは、既に昭和ノスタルジーでしかない。一関で駅弁を買おうかと思ったのだが、駅弁は新幹線の売店で売っているらしい。

ここから盛岡までJR東北本線はつながっている。ただし、今回は目的があって盛岡に直接は向かわず途中下車することにしていた。

一関から盛岡行き

途中で降りたのは、あの有名な花巻駅だ。ちょっと前まで花巻といえば宮沢賢治の駅のはずだった。今でも宮沢賢治の記念館を訪れる人も多いだろう。ただ、最近の花巻スターは大リーグで二刀流の大活躍をするベースボールプレイヤーだろう。まだ現役選手だけに、駅に彼の「顔」が登場していないようだが。

花巻からは海岸に向けて乗り換えると釜石に着く。初めは、そのコースを通り海岸沿いの三陸鉄道で北上するつもりだった。ただ、接続が悪く行程上でもう一泊しなければならないようで諦めた。

花巻から盛岡までは短い移動で済む。ちょっと予定が早く終わって駅に戻って見たら快速が発車直前で、あわてて飛び乗った。車内はほとんどが高校生で通学専用車みたいな雰囲気がした。

1時間もかからずに盛岡に着いた。ここがJR東北本線、各駅停車での移動の終着駅になる。盛岡から北は、新幹線が開通した後にJRから分離されて、岩手県部分と青森県部分がそれぞれ私鉄になっている。盛岡駅では乗り換え口はなく、一度駅の外に出て別の入口から乗車するようだ。

盛岡駅は新幹線駅でもあり、北東北では最大規模の駅だろう。駅前広場を延々と工事をしていたが、3年ぶりに着て見ると工事が終わっていた。駅前のホテル建設も完了したようで、工事のフェンスなどはすっかりなくなっていた。

その工事の終わった広場は、どうやらイベントスペースになっているようで、お決まりの記念写真用パネルが置いてあった。さんさ踊りのパネルは、夏の終わりにちょっと悲しいが、この日の気温は30度を超えていたので、まだ夏の終わりというには早い感じもする。

盛岡駅での待ち時間は1時間ほどあった。駅ナカを彷徨い回ってみたが、一番気になったのは山盛りにされた福田パンだった。3年くらい前はこの1/3くらいの品揃えだった。いつの間にかスタンド台が二台、他にもう一面の陳列棚がある、堂々とした盛岡を代表する「土産物」になっていた。確かに福田パンは美味しい。自分の好みで味を選べるのが良いのだが、これだけ並んでいれば一つやふたつはお気に入りのものがあるだろう。

あれこれ迷ってしまい、結局この日は福田パンを買うことにならなかった。もし天気が悪かったら、この福田パンを2種類くらい買って、ホテルで晩飯にしたような気がする。
盛岡の隠れ名物と思っていたが、いつの間にかすっかり表舞台の人気者になっていたのだね。

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各停の旅 常磐線制覇

青春18きっぷという各駅停車限定で5日間乗り放題のptp区な切符があり。学生の休み時期に合わせて春・夏・冬にそれぞれ発売される。時間に余裕があれば割安で旅ができるので、若者向けに発売された経緯があるようだが、今ではすっかり高齢者用の格安切符になっている気がする。その18切符のJR東日本限定版が、7日間乗り放題で発売されている。試用期間も全国版より長いので、東日本旅をしたい時にはこちらがお得だ。
特に、新幹線開通によって私鉄化された路線、旧東北本線など18切符では使用できない路線もJR東日本系ということで乗ることができる。18きっぷのようにバラバラの日程にして使用することができないので、連続旅をするのが制限としては一番厳しい。
それでも東日本を旅するのであれば、使い勝手は良い。各駅停車の旅は、時刻表を見てダイヤを調べて接続を考える。スケジュールを立てるのが一番の楽しみだと思うが、長旅になると荷物が多くなるのでそのあたりの調整も考えに入れて旅程を決める。

今回の目的地は青森県下北半島の果てなので、行程的には調整の余地がある。東京周辺を早い時間に出発すれば、八戸まではギリギリ行ける。ただし、八戸に着くのはだいぶ遅くなる。おそらく1日乗り詰で到着したら寝るだけという「移動旅」になる。今日行軍するほど日程に余裕がないのであれば、この切符を使う意味もない。新幹線を使えば八戸往復は日帰りでも可能だからだ。
ということで、八戸までにどこかで一泊することにする。そうすると仙台から盛岡までであればどこで泊まっても良い。観光するところもないので、多少時間はかかるが常磐線まわりで仙台を目指すことにした。常磐線は大地震以降しばらく運行できなくなっていたが、最近全線開通したので海沿いを走る路線を楽しめる。

常磐線で水戸まで

常磐線は日暮里から乗り継いだ。日暮里駅から水戸までは一気に行ける。正確には勝田まで行けるのだが、そこから先は「いわき」行きになる。始発駅は水戸なので、水戸で乗り継ぐことにした。待ち時間は30分ほどあるので駅前周辺をぶらつく余裕がある。

鉄板モデルの御三方

水戸といえば思い出すのは「黄門様御一行」と納豆くらいだ。とりあえず銅像を見に行った後で駅弁を買い込むことにした。水戸駅では駅弁専用売り場がないようで、改札内のキオスクで買うことになる。あまり風情がないなあ、などと文句を言っても仕方がない。

水戸からいわき

水戸から岩木に行くまでの間は、里帰りなのか観光なのかよくわからないが、明らかに遊びに行くのだという感じの乗客が多かった。水戸から先は常磐線に乗ったことがなかったので、多少期待感はあったのだが、なんとも普通の通勤電車っぽい感じがする。よく考えれば旧ハワイアンセンターがあるから、やはり観光地なのだろう。

岩木の駅で降りると待ち時間がまた30分ほどある。駅の外に出てみたが、駅前は予想を超えた商業地区で、思い出して見るといわきは人口が30万人近くある福島県で第二の都市のはずだ。と、気になって調べたら、いわき市が福島の人口第一位だった。お見それしていました・

改札の中には不思議な猫キャラがいた。どうやら電車のキャラらしい。鉄道に乗るのは好きだが、車両の形式を覚える体の鉄オタではないので、型番を聞いても何も思い出せない。仕方がないのでネットで調べてみた。新型「ひたち」の車両のことだった。でも、なぜ猫キャラなのだろう。

各駅停車の旅でよく指摘される問題?が、トイレの使用と食事の時間になる。各駅停車での移動を効率的にしようとすると、待ち合わせ時間の最優先事項はトイレになる。行きたかろうが行きたくなかろうが、ともかくトイレに行って出せるものは出す。乗車中で催して途中下車すると、次の列車が車で2時間待ちなどザラだ。下手をすると午後早くに終電になる可能性もある。また。昼飯をどこかで食べようよ思っても、駅前に都合よくファストフードの店があることなど稀で、食堂すら開いていない駅の方が多い。となると、移動中に列車の中で駅弁を食べるというのが旅情をそそる美しいプランに思えるが、各駅停車の場合、ちょっと周りの目を気にする感じもある。特に、コロナの後では車内飲食が憚られる雰囲気もある。昔懐かしの駅弁にワンカップでのんびりと車窓を楽しむというのも、相当難度の高い技になってしまった。だから、改札内待合室などでコソコソと駅弁を食べる。ただし、その後で、構内ではすっかり減少したゴミ箱を探しにいかなければならない。各停旅の難度が上がっている。

常磐線北部は10年近く普通になっていた。ようやく最近になって再開運行が始まった。ただ、駅前の風景を眺めて見ると、やはり10年間の停止時期が駅前の商売を破壊したのだという気がする。ここに着くまでの途中駅は、あちこち新築になっていた。駅前も再開発が進んでいる。ただ、町の人たちがみんな戻ってきたわけではない。駅前がきれいになっても、街が復興したわけでもない。まだまだ解決まで時間がかかることは車窓から見ているだけでもわかる。

原ノ町から仙台まで

この辺りが有名な相馬の馬追をやるところだったのかと、駅に降りて初めて気がついた。

改札を出て辺りを見回したら、やはりいたぞ、駅キャラ。と思ったが、どうもこちらは相馬馬追のキャラみたいだ。最初は犬耳娘かと思ったが、どうも尻尾と合わせて見ると馬むすめみたいだ。しかし、待て待て。ひょっとすると美少年キャラかもしれない。最近はキャラの世界もジェンダーフリーだからなあ。

横には、お馬さんのモックもあった。今度は時間をゆっくり撮って馬追を見に来たいものだが、その前にもう少しソウマのことを研究しなければなと反省した。

新幹線に乗れば2時間を切る移動時間で仙台まで辿り着ける。そこを5時間以上かけてのんびりと移動するのも楽しみだと思うのだが、どうもこののんびり移動の楽しみはあまり理解してもらえないらしい。
この話をすると周りの感想は「暇だねえ」だし、「時間の無駄遣い」と言われることも多い。言っている意味はわかるが、のんびり旅行が時間の無駄遣いであるとすれば、クルーズなどその最たるものだろう。クルーズ旅行をする人に「暇だねえ」という人は少ないだろうと思うのだが。「贅沢だねえ」という人が多いのではないか。それと比べれば各停の旅は「貧者の陸クルーズ」だと思う。

仙台からもうひと頑張りすれば、盛岡くらいまでは行けるのだが、夜汽車になると窓の外は真っ暗になり景色も楽しめない。各停の旅は日没前までとするのが良いと思う。仙台到着は午後4時。ちょうど良い時間だった。

街を歩く, 旅をする

帯広タウンウォッチング哀歌

最初は電気屋なのかと思った。昔のホーロー看板が貼り付けれれた古びた建物だったせいだ。よくよくみたら、古びた外装にわざと仕上げをしているようで、昔の飲み屋小路を演出しているらしい。昔の看板も演出だった。

小路の中を覗いてみれば、いまにも昭和演歌が聞こえてきそうだが、建物自体はしっかりとして現代ものだ。消防法的にはどうだろうと思いつつ、こういう小路は夜になるとやたら怪しく魅力的になるのだ。昼にはその魅力が見えてこない。飲食ビルの1階から10階まで全て飲み屋というススキノと比べるとこじんまりしているが、酔客にはこの方が「魅力」が溢れている・・・かもしれない。夜になればだが。

市中心部、商店が固まる繁華街の核が百貨店のはずだが、どうもこの町でも百貨店は消滅するらしい。無くなる前に見ておこうと店内にはいってみたら、全国のあちこちで見かけたのと同じ光景があった。
売り場の一部が公共施設に転換されている。売上減少で不要になった販売スペースの引き取り手がなく、しぶしぶ地方自治体が借り上げるのは、もはや全国各地で当たり前の都市衰退の象徴だ。それがこの中核都市でも起きている。
ちなみに県庁所在地、つまり地方の中心地で、人口が30万人前後の都市は多い。東北、北陸、中国地方にあるこのサイズの街では百貨店の維持が困難になっている。北海道で言えば、旭川、函館、釧路、帯広といった町でも百貨店が生き残れなくなっている。
アメリカではどこの州に行っても当たり前になっていた、旧市街のゴーストタウン化が日本でも急速に進行しているというわけだ。

そんな百貨店の中で見つけた。フードバレーという言葉は、シリコンバレーのもじりなのだろう。しかし、十勝平野はバレー(谷間)ではないだろう・・・。あえていうなら、文化の谷間、あるいは文明と辺境の谷間みたいなことか、と皮肉まじりに考えてしまった。
言いたいことはわかるが、造語としてもおかしいぞと、ちょっと腹立たしい気分になる。この公共スペースのどこかにフードバレーの由来は書いてあるのだろうが、探す気にもならなかった。

ところが、この町を代表する菓子メーカーの本社ビルが百貨店のすぐ隣にある。その菓子屋本店を訪ねてみると、とてつもなく「文化的な香り」がしている。やはり「知」とは官にはなく民間にあるものなのか。自分の稼いだ金で自分たちの誇る文化を維持する、民の気概があらわだ、と思った。本社ビル前の大きな木はまるでオブジェのようだが、京都や奈良にある古刹のように美しい。

そこから数分歩くと、さぞかし昔は繁盛しただろうと推察できる、映画館と思しきビルがあった。映画館ではなく、レストランだったのかもしれない。当時は優雅で文化の最先端をいくビルだっただろう。これまた全国どこにでも存在する、取り壊されていない映画館の跡は、街の衰退の象徴だと思う。
有効利用もされず、外観はほぼ放置されたまま、昔の栄華の跡というのは、街が新陳代謝の力を失った象徴だからだ。

街の中に新旧が入り混じり、奇妙な不協和音がある。ノスタルジーではなく、滅びの歌を感じる街だった。それでも、まだ滅びていないだけよいとも思うのだが、その最後の生き残りをコロナが叩き潰した。やはり時代の変わり目ということなのだろうか。
本来はもう20−30年前に訪れるはずだった都市崩壊が、バブルの後に放置されていた。おそらく世紀末に起こるはずだった「街の滅び」が、いま急速に進行している。東京や大都市ではまだゆっくりと起きていることが、地方都市では最終段階に加速された。そんな気がする。
この街は他の諸都市と比べて、まだまだ元気だと思っていたのだが、どうも錯覚だったようだ。街中を彷徨い歩くと見えてきた衰退のあれこれだった。タウンウォッチングはたまに悲しい事になる。
北海道に関していえば、函館、旭川、帯広、釧路など地域の中核都市は全部同じ症状になっていて、実に寂しい。もはや都市再生は官製事業としては無理で、民間事業にしたほうが良いのかもしれない。

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北海道芦別 三段滝という景色

今年の夏は四国と北海道の旅をした。北海道は長逗留したので、車で遠出もした。その時に立ち寄った、ちょっと変わった場所の話をしようと思う。

北海道には180近い市町村がある。その中には北海道生まれの自分ですら名前も思い出せない町もある。名前は覚えていても場所がわからないことも多い。道北、道東にはそんなうろ覚えの場所がたくさんある。
島根県と鳥取県の位置関係がよくわからないとか、北関東三県の東西関係がわからない人が多いという話をたまに聞く。小中学校の社会や地理の授業が役に立っていないぞ、反省しろよ文部科学省!! といつも思っているのだが、こと北海道の地理では、恥ずかしながら自分も同じような状態になる。
利尻・礼文島の島の形は思い出せる。稚内の西方海域に存在することも覚えている。ただ、どちらが北でどちらが南にある島なのかは、すっかり思い出せない。その度にグーグル先生のお世話になる。
この芦別という町も、他人様に説明するときはちょっと難しい。北海道人であれば、おおよそ地理的なことは理解しているから、滝川から富良野に行く途中といえばわかる。少し古い人であれば、でかい観音様が立っているところで話は通じる。
が、北海道外の人に説明するとなると難度が高い。よく使う説明は、旭川と富良野の間にある町という大雑把な言い方だ。ただ、このアバウトな説明でも困ったことはない。誰もが、ああそうなんだ、で納得してしまう。
正確にいうと、旭川も富良野も確実な場所は思い出せないが、その間にある町ということであれば、正確に記憶する必要もないという感じらしい。広島市の位置を説明する時に、大阪と福岡の間にある町という程度の乱暴さだ。同じ言い方で岩国、広島、福山、岡山、姫路、神戸あたりまで説明できてしまう。ひどい話だ。(笑)

その芦別という町に至る札幌からの幹線は国道12号線経由での国道38号線であり、滝川から道東方面に向かう老舗国道だ。昔は街中を通り抜けるため渋滞しやすい道路だったが、最近では市街部を避けたバイパスがあちこちに出来たため、国道38号線は予想外に流速が早い。北海道特有の「高速不要な一般道」に近くなった。
その国道38号線を使わずに、芦別から札幌方面にショートカットする道が、完全舗装されたのは平成の中期だった。実はこの道が、夏には渋滞知らずの抜け道になる。札幌方面からの移動では、途中に富良野への分岐があるため、観光バスにもよく使われる迂回観光ルートだ。
芦別ー札幌の移動をするとき、滝川から高速道路を使っても、この抜け道を使っても所要時間はほとんど変わらない。ただ、山間部を走るため、くねくねした道が続くのも確かだ。運転初心者には苦手な道になるかもしれない。
おまけに、かなりの距離がある区間だが、トイレの施設がほとんどない。ほぼ唯一の駐車場付き公衆トイレがあるのが、この場所「三段滝」になる。

トイレ休憩のついでに景観を楽しむという贅沢はできる。渓流の近くにまで遊歩道は整備されている。さすがにハンディキャップ対策までは出来ていないが、少なくとも小学生くらいであれば、滝の近くまで普通に歩いて行ける遊歩道が続いている。
首都圏近県であれば、峠の茶店的な場所にあたり、休憩するには絶好のポイントなのだが、なぜか商売の気配がしない。この近くが国定公園になっていて、環境保護などの課題が多いことも理由のようだが、最大の難点は冬に大雪が降ると除雪が間に合わないことだろう。
まあ、雪対策の進んだ北海道でも、冬の大雪は主要国道や高速道路ですら閉鎖されるのだから、バイパスに使われる支線では復旧が遅れるのも仕方がない。そんな場所にある「景観スポット」が、冬でも人気があるかという問題もありそうだ。

この景色も、雪に覆われたとしたら、雪舟の水墨画のような幽囚な風情になるだろうか。個人的には雪一色で濃淡はほとんどないような気もする。凸凹すら消える真冬には、何か違う楽しみ方が必要だろうか。おまけに、この川沿いにあるビューポイントに近づく遊歩道は閉鎖されそうだし。
北海道という地域では、こんな「夏だけ行ける」絶景ポイントがあちこちにある。ただ、冬の景色の楽しみ方や冬の活用法についてはもう少し研究が必要のようだ。
北海道と沖縄は、国防上の理由もあり、なぜこんな場所にというところに高規格の道路が整備されている。その道路設備をどう活用していくか、国土防衛問題から経済活性問題へ道路利用の視点をずらしてみる。そんな時期なのだと思うのだけれどね。
ちなみに北海道で山間地にある僻地であっても、舗装道路が出来上がっている。そして、戦車が移動できる幅がある。四国の山間地にある三桁国道と比べると、驚くほどの差だ。道路整備も防衛産業、北海道のリアルだ。

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北の屋台と長屋が対決?

帯広名物と言って良いと思うのが、繁華街のど真ん中の空き地を使った屋台村「北の屋台」だ。初めて行った時は、確か零下20度近い極寒の時期で、こんな気温で屋台で酒など飲めるのかと感心した。それから随分時間が経ったが、今ではもはや屋台と言えない耐寒耐熱仕様で外囲いが完備している。おそらくコロナ感染対策もあるのだろうが、屋台の解放感はすでにない。衛生環境としては、改善されているのだから文句を言ってはいけない。

北海道の短い夏に対応するより、半年以上続く寒冷期への対策が優先するのは仕方がないことだと理解できるが、なんだかモグラの巣穴的な閉鎖感があるか。しかし、夏では熱がこもるような気がする。それでも常連客は通ってきてくれるらしい。

一軒ずつ覗き込んでみたら、夕方ですでに満員の店があると思えば、客一人居なく店主が暇そうにテレビを見ている店もあった。この屋台村のシステムは小投資で自分の店を持ち、繁盛すれば卒業して一軒の常設店を構えるということなので、屋台の店主は一国一城の主人を狙う「砦の親玉」みたいなものだ。店主が親玉的雰囲気を持ち合わせているかも重要そうだ。

どうも柳の下の二匹目のドジョウを狙ったような気がする施設「十勝の長屋」は、北の屋台から道路を挟んだ向かい側にある。「屋台」と「長屋」で二つの小路が続いた形になっている。だから、呑んべいオヤジがぶらぶら歩いてはしご酒をするにはとても便利だ。こちらは仮説の屋台ではなく、常設の建物「長屋」なので、同じカウンターだけの店にしても、ちょっと安定感がある。都会の片隅には、こんな小体な店が並ぶ小路はどこにでもありそうだが、もはや昭和の遺物だろう。消防法や改正食品衛生法やらでいじめられ役を一手に引き受けている存在だ。なんとか、合法的に新設を図るには、地方自治体の町おこしにでも縋るしかない。
ちなみに西新宿や渋谷の一角に残る昭和の遺跡、飲み屋小路・横丁は火災で焼けたら2度と再建できないだろう。

この新設横丁には酔っ払いの通行を邪魔する、道に置いたスタンド看板などはない。自転車が放置されていることもない。店頭に鉢植えの植物やプランターが置いてありもしない。整然とした雰囲気があるというか、生活感がしない。
これは好みが分かれそうなところだが、冬の時期を考えるとタウ・ンマネージメントとしては「通路の安全確保」は重要な管理項目だろう。札幌や旭川の裏小路で、凍結した道で滑った記憶は大量にある。路上転倒で何度も死にそうな目にあった経験は豊富だ。北国育ちだからと言って、酔っ払っていれば、それなりに転ぶものだ。それを考えると、冬でも非凍結の路面を維持するのは「北の飲み屋小路」では最重要案件のような気がする。看板は間違いなく除雪の邪魔だ。

ただ、どの店にも立ち寄る気にならなかったのは、小ぶりな店だけに常連が多いだろうこと。この2年余りで一人飲みにすっかり慣れたこともあり、常連客の賑やかさみたいなものに、抵抗感ができてしまったせいだろう。コロナ後遺症の一種なのかもしれない。令和とは困った時代なのだ。

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高知空港 改装していた

今年の夏旅は3年ぶりの高知から始まった。などと書くとちょっとカッコ良い。それでも多い時には年に4−5回行っていた高知だけに、あちこちの細かいところも記憶に残っている。だから、空港から始まる旅の中で、変化している部分にはどうにも目がついてしまう。
もし龍馬がマスクしていたら嫌だなあ、と思っていたので、素顔の龍馬にホッとした。あちこちで見た三越前のライオン像は、座布団のような大きなマスクをしていた。あれはどうにもいただけない絵面だったが、高知県人は常識を無くしていなかったようだ。

高知空港は典型的な地方空港で、2階に土産物屋と食堂、レストランが並んでいる。その中の一軒が模様替えしていた。高知の名物料理もあるが、どちらかというと定食屋的な雰囲気で、それも軽めに仕上がっている。ちょっと大きめの空港であればファミレスもどきな店が多いが、高知観光の帰りに最後のご飯を食べるのであれば、これくらいがちょうど良い。

店頭のサンプル・ショーケースをのぞくと軽食と酒のつまみが並んでいる。自分の利用動機にぴったりの店だ。実は、この店が開くまでは、隣にある土佐料理の有名店で最後のかつおたたきを食べることにしていた。ただ、有名料理店だけあって質量共に立派で、おまけにお値段も立派だから、高知の最後の一飲みとしてはちょっと懐に厳しいのも正直なところだった。
この新しい店は、どうやら同じようなことを考えるオヤジ客向けにできている、しめしめと思って入ったら、店内は若い方でいっぱいだった。なんとなく意外な気がしたのだが、軽食といえばハンバーガーみたいな短絡思考をするのは、もはや昭和中期生まれのおっさん、おばさんだけらしい。学校給食の米飯メニューが30年かかって達成した若い層の米飯回帰なのだと思う。

結局、注文したのはご当地の牛を使った煮込みとご当地の日本酒を熱燗でという、なんともオヤジ感満載のものだった。鰹のタタキは、次また来る時に取っておこうと思った。駆け足の高知旅行だったが、空港で最後の一息ついた時に、しみじみ高知に来たんだなと思った。好きな時に好きなところに行けるのは、数ある自由の中でも大切な一つだ。自由とはなくした時に気がつく、空気みたいなものだった・・・というのが、高知空港での学びでありました。

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ローカルパン 2軒

帯広の中心部にある老舗のパン屋だが、この界隈は随分と歩き回っていたはずなのに、一度も入ったことがない。というより、このパン屋の存在自体を知らなかった。お勉強が足りないと反省するしかない。
今風のブーランジェリーなどとは違い、まさに街のパン屋さんという風格がある。店内に並ぶパンを見ると、納得のラインナップというか、普通に食べたいパンが並んでいる。名前を見て中身が想像できないような難しいパンは一つもない。

また食べたい

その中で、この店一番の名物パンが、この白いスパゲッティが入ったサンドイッチだそうだ。マカロニサラダが入ったパンはどこかのパン屋で見た記憶がある。このお店では、マカロニの代わりにスパゲッティが入ったものになっていた。食べてみるとマヨネーズの酸味はほとんどしない。何といえば良いのだろう、表現が難しい。あえて言えば優しい味ということになるのか。ひどい言い方をすれば、ぼやけた味というのか。ポテトサラダが入ったサンドイッチでもたまに体験する。コンビニサンドは味が尖っているので、酸味や甘みが強い。街のパン屋でよくある自家製ポテトサラダではふんわりとした柔らかさを感じる。それと同じだ。まずいと言うつもりはない。むしろ個人的には好みだ。これに自分仕様としてブラックペッパーをふりかけて食べれば最高だと思う。
焼きそばパンのマヨネーズ味という言い方が、ふと思い浮かんだ。表現として正しいのかはわからないが、そんな感じの食べ物だった。ポテトサラダが入ったサンドイッチが好みであれば、このサンドイッチも美味しく食べられる。

こちらは、札幌にあるおしゃれっぽいお店だ。この界隈はずいぶん昔に住んでいた。何やら懐かしい街のはずだが、今ではすっかり街の風景も変わり都会的な感じがするストリートの中にできていた。もはや商店街というかんじではない。
まさにパン屋さんというよりベーカリーという感じで、商品は都会的というか、現代的というか、昔ながらのクリームパンやメロンパンと今風の創作パンが共存していた。
近くにこんなベーカリーがあれば、日々の暮らしが豊かになるな、とも思う。

この店の「推しパン」はカレーパンで、賞取りパンがドカンと大量に並んでいる。良いベーカリーというかパン屋の条件は、パンのラインナップもさることながら、このPOPというか値札というか、商品説明が魅力的なことだと思う。
見た目ではすぐにわからないパンの特徴をおいしく説明するのは、買い手の気をそそる大事なテクニックだし、ついつい2個3個と追加してしまう。
まあ、個人的にはツッコミどころも満載だなとは思ってしまったが。兎にも角にも強烈な「北海道」推しの商品が並んでいる。ここはどこ?東京?と言いたくなるくらいだ。

今回も買いそびれてしまったザンギ・バーレルだが、次回こそ買いたい、熱烈に買いたい。いや、絶対買う。
しかし、相変わらず気になるのが、札幌の高級住宅地?円山でザンギの説明いりますか?ザンギという単語を理解しない人が、円山に住んでいますか?これだけは担当者の意図がわからないなあ。

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黒潮本陣に泊まった

今年の夏旅で泊まった、一番豪華なお宿の話になる。海の見える宿はいつ泊まっても嬉しいものだが、やはり東に水平線が見える太平洋岸の宿が好みだ。黒潮の宿ということになる。

久礼湾

ご存知の通り黒潮は日本の太平洋岸を流れる大潮流で、それに乗って南から魚がやってくる。北太平洋から南下してくる千島海流と三陸、宮城県沖あたりでぶつかるので、三陸沖では魚種が豊富になる。鮭とカツオが同居する場所ということだ。
高知県の土佐湾はその黒潮が直接影響するところで、カツオの一大漁場になっている。当然、カツオは黒潮に乗ってくるので、南は沖縄から北は千葉・宮城まで季節によってカツオは釣れる。ただ、高知はカツオ大好き人間が多いから、うまい鰹が集まってくるらしい。
北海道内では美味しい鮭やホッケが食べられるが、北海道外には二級品が出ていくみたいなイメージだろう。当たり前だが、北海道に行って「高いホッケ」を食べると人生が変わるくらい味の違いがわかる。高知のカツオもそれと同じことで、高知で食べるカツオは高くてうまい。本場だから安いはずと思っていては、うまいカツオは食べられない。

黒潮本陣 本館

その高知人が認めるカツオの街、久礼にある高級旅館が黒潮本陣という。久礼の街を見下ろす小高い山の上に建てられて、太平洋を水平線まで見渡せる。それも風呂に入ったままというから、ゴージャスな風景の楽しみ方というしかない。山の上の方にはコテージというか離れの一軒家もあるので、グループで泊まることも可能だが、やはり海の見える本館が良い。

これまた海の見えるレストランが本館内にあり、少人数のグループであれば夜景を見ながらの和食ディナーがおすすめだと思う。などと言いながら、自分は夕食をここで食べたことがない。夜となると、いつも久礼の町で友人たちと居酒屋で飲んだくれてしまうせいだ。一度はロマンチックなムードで、夜の太平洋を眼下においてディナーなどしてみたいものだ。多分、一生できないと思うけれど。

そこで、今回は朝食を食べてきた。最近のホテルではほとんどがビュッフェスタイルになり、朝から何だかもりもり食べなくてはならない気にさせられる。それはそれでビジネス旅行であれば、朝からパワーという感じで良いのだが、のんびりと旅をするときには、ちょっと豪華な朝ごはんにしてみたい。この旅館の朝ごはんは、その希望にぴったりと会っていた。
美味しいものを少しずつ食べると幸せな気分になる。たとえそれが朝食であれ、うまいものは美味い。ただ、ちょっとだけ残念なのが、少しずつ食べてもやはり量が多いのは間違い無くて、朝からとてもお腹が膨れてしまうこと。食べ残さないように頑張ったがそれでも完食は厳しい。
朝から優雅すぎて申し訳ない気分にもなったりするが、それぞ旅行の醍醐味だ。おまけに、食後でも露天風呂(海水)に入ることもできるので、久礼の町でお泊まりするのも良いものだ。高知観光の穴場かもしれない。