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札幌シリーズ 大通り公園周辺

テレビ塔前で開催されている冬の市

12月の前半は例年雪が少ないことが多い。年によってはクリスマス直前まで路面が出ていることもある。今年もそんな冬なのかなと思った。雪が少ないと除雪の手間も省けるので、地元民にとっては快適な冬になる。去年が爆発的な降雪で腰を痛めるほど除雪に追われたようだから、今年は雪の少ない年になればいいな、と思っている札幌市民は多いようだ。
そして、コロナの間は「ネット開催」になっていた冬のイベントがようやく再開されていた。この「市」では、イヤープレートならぬイヤーマグが販売されていて、例年楽しみにしていた。再開の今年はなんと特別記念なのかデザインが二種という大盤振る舞い?だった。おまけに(残念なことだが)、マグの値段も値上がりしていた。それにしても、とにかく再開はめでたい。

寒い大通り公園を散歩した後、徒歩2分(北寄り)のビル地下にある旭川ラーメンの店に行った。これも半年ぶりくらいになるので、お店が開いているかちょっと心配だったが、予想に反して店内は大盛況。それも、観光客らしき姿もなく、地元民に愛される普通の人気ラーメン店として繁盛していた。これもまた、めでたしめでたし。一時期は外国人観光客も多く、店内はインターナショナルな風景になっていたが、いまはビジネス街の人気ラーメン店だった。

今回はちょっと浮気して、定番の塩ラーメンではなく醤油ラーメンにした。塩ラーメンだと、丼の真ん中に紅一点、小梅の赤が美しいのだが、醤油ラーメンでは小梅がない。その分、チャーシューが目立つ。この店の醤油ラーメンの売りポイントは、やはりチャーシュー(二種)だろう。わしわしと食べるガッツリ系ラーメンだが、旭川ラーメンは濃いめの味付けなので、ビールによく合う。
町中華のラーメンでビールを飲むのは、ちょっと頼りない感じがするが、ここではラーメンと冷たいビールがベストマッチだ、と考えながらビールではなく水を飲んでいた。

その後で、大通公園を挟んで南側にある古い居酒屋に行った。やはり寒さを感じる徒歩5分だったので、まずは湯豆腐という注文になった。ラーメンで腹が膨れているというのもあるが、前回食べた湯豆腐のシンプルさが冬の寒さによく合う気がした。ちなみに店内はコート、ジャケットをぬぎたくなる「冬の南国」的室温で、湯豆腐を食べているうちにうっすら汗が出る。これが、札幌的冬の贅沢だろう。
湯豆腐は典型的な一人鍋だと思うが、これはシェアして食べてはいけないと思う。昆布出汁が出た「お湯」を最後に付けつゆで割って飲むために、一人で独占したくなる。湯豆腐を食べながら次の注文をすると、食べ終わる頃にちょうどのタイミングで出てくる。その辺りの呼吸が、居酒屋飲みの楽しみでもあるかな。

メニューは居酒屋定番中心にお手ごろ価格が並ぶ。札幌でも生き残りの少なくなった戦前からの老舗だが、東京によくある高級化した料亭気取りの居酒屋のような敷居の高さは全くない。だから開店直後から、オヤジ族の一人飲みが多いのだが、最近では女性の一人飲みも増えているようだ。
それに絡みつくような変な奴もいないので、居酒屋の品格とは客筋を含めたものだろう。ちなみに隠れ名物?と思っているのは串カツ。最近、大阪系串揚げの店以外で、串カツを食べられる店が少なくなった。昔ながらの串カツは貴重品だ。
串カツは2本出てくる。ちなみに、串カツも一人で食べる独食メニューだと思っている。シェアして1本だけ食べると、2本目が欲しくなるからだ。そこを我慢するくらいなら、二人前頼むか、一人で飲んでいる方が良い。

ビールを飲みにきたはずが、普通に熱燗を頼んでしまった。ただ、一人飲みで熱燗を頼むと、銚子(ガラス瓶?)の数で飲んだ量がわかる。お銚子が酒量メーターになる優れものだ。ただ、途中で銚子を下げられてしまうと一気に迷走してしまうが。
冬の大通公園周辺で、フラフラ彷徨っていると寒と暖の繰り返しになるので、体にはあまりよくなさそうな気もするが、運動不足になりがちな冬の散歩と割り切って元気に歩くのがよろしい……………と思いますよ。

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成田で博多ラーメン

LCCを使って旅をしようとすると、成田空港に行くことになる。羽田空港に行くのと比べ、地上の移動時間は1時間ほど増える。ただ、飛行機に乗った後の移動時間は変わらないので、長距離旅行であれば経済性は良くなる。手荷物の重量制限があるので、結果的にスリムな荷物選びを迫られる。軽装な旅になるのもメリットだ。
その成田空港LCCターミナルに、しばらくぶりに行くと改装完了していた。フードコートもお店が増えていて、一時期の閑散とした雰囲気もどこにいったやら。ほぼ全席満席の盛況ぶりだった。そこで新しく開店した店の一軒をお試ししてみた。

店名は記憶にないが、とんこつラーメン推しらしい。ところが、一番おすすめは「博多らーめん」ではなく、「和風とんこつ」のようだ。それではと、和風とんこつを試すことにしたのだが。

確か博多ラーメンは、高菜、明太子、紅生姜の三将軍が脇に控えているはずだ。そう記憶している。しかし、それが全く存在しない。ひょっとして「和風」に転換するときに、置き去りにされたのかもしれない。紅一点である紅生姜の色気がないのは実に残念だ。
スープは最近周流のマイルド系とんこつ醤油らしい。麺は細麺なので、九州系ラーメンの特徴は残っている。最近は博多に行っていないので、令和の博多ラーメンはこういう展開になったのかもしれないが。

LCCでの国際線も続々再開しているので、外国人観光客向けということなのだろう。フードコート内には全国チェーンの店が並ぶ中、ちょっとユニークなヌードルショップということで人気が出るのかもしれない。
店内は明るくて、最近の気取ったラーメン屋(店内が薄暗く黒基調の内装、ゴミが落ちていてもよく見えないという利点がある)とは違い、掃除も行き届いていた。
券売機がクレジットカード対応でないあたりが、外国人向けにはどうだろうという気もするが、アフターコロナの時期に開店するという大冒険を決行したのだから、そこは優しい目で見てあげたい。
やはり、空港での人気筋は鮨ではなくラーメンなのだろうなあ。

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金沢駅でパン屋に感動

帰りの新幹線に乗ろうと、金沢駅を歩いていて見つけたポスターは、西国に暮らす人を羨ましいとおもわせる。ちょっとだけだが、西国に住みたい気分にさせる。西日本にはこんなに「ネームド特急」が走っていたのだなあ。生まれた場所が北海道で、いわば独立島国、青函海峡で本土とは分断されていたから、広さと鉄道網の充実した地であったにもかかわらず、特急列車は意外と少ない。おまけに学生当時は貧乏で、特急に乗る金などなかった。多少金が使えるようになった時には、特急どころか路線が廃止されてしまい、慌てて乗りに行ったりもした。
世間では「撮り鉄」の暴走を非難する声で溢れているが、「乗り鉄」はまだあまり迷惑をかけていないせいか、ひっそりと「乗り鉄魂」を刺激する企画がローカル鉄道を含めあちこちで出ている。その中でも、この入場券ゲットしようぜラリーはすごい。JR西日本限定の24駅であれば、達成できそうだ。来年の春・夏の青春18きっぷで完全制覇してみようか、とポスターの前に立ち止まって動けなくなった。
これは、金沢駅の魔力に巻き込まれてしまった。なぜ「帰り」に見つけてしまったのだ。

そのポスターを見つける前、以前にも利用した美味しそうなパンを売っているパン屋さんが、これまたすごいパンを売っていた。このパン屋さんが金沢駅の魔力その2だ。
まずは、このPOPでガツンとやられてしまった。メロンパンは全国あちこちで様々なバリエーションを見てきた。覚えているのは富士山型のメロンパンで、名前も富士山パンだった(確か……)
しかし、このかぼちゃパンのルックスは、富士山を越えると思う。これまでの人生で、パンのルックスにやられた気がするのは、福島駅で見たカメパン以来、人生2回目の快挙だ。
おまけに見た目だけでなく、中身もカボチャっぽい。これは、買わずに通り過ぎることはできない。POPというのは、こういうふうに通り過ぎてしまう通行人をゲットするのが至上目的なのだが、このPOP制作者は天才的だな。まんまと引っ掛かってしまった。

陳列代に並ぶ、イミテーションカボチャの数々。おまけにこだわりはカボチャの皮部分ではなく、ヘタの部分にあった。すごいぞ、金沢駅のパン屋さん。ただただ感心する。これがステージだったら、スタンディングオベーション間違いなしだ。パチパチパチ!!

家に帰ってきて写真を撮ろうとしたら、ヘタが怪しい状態になっていた。が、全体的には麗しいカボチャ風メロンパンだった。まずはヘタれたヘタを食べた。うましだ。そして、残りを一気に食べた。中身のカボチャクリーム?も、皮の甘さによくあっていた。また、買いたいと思ってもパンを買うために金沢に行くわけにもいかないだろう。いけないこともないが、そうなるとパンの値段が一つ1万円を超えてしまう。(笑)

ついでと思い買ってきたドライフルーツと胡桃の入ったパンも、超絶的に美味かった。このパン屋さんが全国チェーンであってくれれば、毎日とは言わないまでも週に2-3回は買いに行くと思うのだが、金沢付近にしかないみたいだ。
旅先でうまいものを発見するのは幸せとは限らない。簡単には行けないところの食べ物を、また食べたくなるとしたら、それは不幸の始まりなんだよね。
うーん、金沢は困った街だ。性悪な魔女的魅力に溢れている。今度はいつ行こうか。

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能登国一宮 気多大社

能登国の一ノ宮が、今年の一宮巡りの最終になる。東日本で残るのは佐渡国だけになるので、これはもうしばらく先になる。西日本になると沖縄、対馬、壱岐という強豪(離れ島になる)が残っているし、日本海側はこれから雪の季節になる。桜が咲く頃にまた巡礼(笑)に出かけたいが、その時期は西日本の花粉大爆の季節になる。それがうっとうしい。5月の連休明けくらいが良さそうだ。

気多神社は実に神社らしい神社だった。能登国の中心だった羽咋の平野部には田んぼが広がる。その平野が山地になるあたりの低い山上にある。まさにオヤシロという感じがする。拝殿までの道は実に綺麗に掃き清められている。これこそ、我が心にある「神社」の風景だ。そして人気のないところが、また神社らしい。

学生の頃、奈良に行ったときに見た春日大社の朱色を「けばい」と思った。侘び寂びなどわかる歳でもなかったが、寺社仏閣にはけばさが似合わないのではという漠然とした感覚があった。実際には、寺の中の御本尊は金ピカであったりするので、それなりに「けばい」といいうことに気がついていなかっただけだ。
その神社の朱色が、なんとなく良い色に見えてきたのは人生を半分以上過ぎたオヤジになってからで、厳島神社の海上にそびえる鳥居の朱色が瀬戸内海と調和して見えたのもその頃だ。
ただ、やはり神社は少し古びた落ち着いた木造が良いなと今でも思う。このちょっと古びた感じの加減がなかなか難しいのだが。
北陸にある神社は、どれもこれも良い具合の古い感があった。その中でも、鳥居から拝殿までの距離というか広さというか、そのバランスが良いのは、この氣多神社が一番だろう。

能登国は、今の日本、太平洋岸中心世界から見ると随分と辺境の地に見える。東京からの移動距離、時間で考えると島根県中央部と能登半島は東京から最遠隔地にあたる。不思議なことに、どちらにも人口に見合わないと思う空港が設置されている。一つの県内に複数の空港があるのは、秋田と石川、鳥取、島根くらいで、地理的な問題と地盤政治家の力の結果だと思う。大都市部である東京、大阪、名古屋にも二カ所空港があるが、大阪と名古屋は新空港ができた後の旧空港利用であり、メインとサブ的役割り分担がある。羽だと成田はまた別のストーリーになるが。北海道は別格で、千歳をメインに、函館、旭川、帯広、釧路、稚内、女満別、中標津、紋別、丘珠とたっぷりあるが、これは昭和中期の冷戦構造が生んだ落とし物だ。それだけ軍備としての空港が必要とされていただけだ。今では商業的に成り立たない、すっかりお荷物な交通インフラになりつつある。
閑話休題。しかし、古代日本では日本海航路は大陸との貿易ルートとしても重要だったから、能登国は日本海航路中継地として重要拠点だった。賑やかしい場所だったはずで、その名残が氣多神社にある。

メインである本殿を取り囲むような分社というか、周りにはべる神々がある。主神と取り巻く神々とは、その地域の政治勢力の盛衰に関わりがある。勝ち組が封じる神様が、主神となる。この複数神の関係性は、大和朝廷の日本海統治と繋がりがあるのは間違いないのだが、それを調べようとするとなかなかの力技というか、我が手に余るというところもある。
明治期に起きた国家神道のため、そしてその前の神仏習合時期を含め、どうにも古代の神社のあれこれを探るのは難しいようだ。古事記伝を元に古事記を読み解くという手もあるのだろうが、歴史好きの素人程度では手におえない。

神社には秋の日差しが似合うと思う。夏の強い日差しと蝉の声は、神社には似合わない気がする。だが、お寺の境内であれば良さげな気がする。この神社と寺の感じ方、というか捉え方の違いは自分でもよくわからない。
信心深いわけでもないので、深く考えることもなかったが、宗教とか信心とかとは離れて、日本人の源流的文化を考察をしてみても良さそうだ。それにふさわしい歳になった気がする。なぜ日本人は神社の静けさが好きなのか。なぜ、日本人は神社に初詣に行き、葬式は寺でやることが多いのか。その類の、何気ない日常行動の中にある、誰も気にしていない「古代から続くこの島国で暮らすものの精神」みたいなことだ。

そんなことを神社の境内であれこれ考えていると、昔読んだ司馬遼太郎のエッセイ的な論考を思い出した。小説を書くより、論文的なものを書くようになってから、司馬遼太郎の思考は変わっていったと思うのだが、五木寛之も同じ道を歩んだ。おそらくそれが歳をとるということなのだろう。
自分も同じようなジジイになってきたので、もう一度、司馬遼太郎論文を読み返してみようか。もしかしたら、昔と違い司馬思想に同意できるかもしれない。
静かな境内で思ったことだ。

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パンとマラソン

ちょうど金沢マラソンが開催される時に、金沢にいた。駅前を含め大混雑というか、マラソン走者とその関係者、そしておそらくそれに便乗して金沢観光に来た応援者がごった返していた。その駅中にある、某コンビニエンスチェーン店で、どう見てもその店限定のPOPは貼られていた。これがなかなかユニークで………
POPを見てパンコーナー担当者に会いたくなった。小学校の頃はマラソン嫌いだったんだろうなあ。それでも、今はマラソンを応援するようになったのだから、人は成長するものだなあ、などとパン売り場の前で遠いところを見つめてしまった。うるうるするとはこのことだ。
ただ、その横のPOPにある黒船来航とは、一体何?と突っ込みたくなる。金沢人には理解できる歴史的逸話でもあるのか。面白いお店だなあ。

面白がって店の中を歩き回ってみた。マラソン関連商品だらけだった。走りながらなのか、休憩の時なのか、ともかく甘いものでエネルギー補給というのは理解できる。走る前にはバナナが良いという話も聞いたことがある。しかし、さすが和菓子の街、金沢だけあって、マラソン推しはどら焼きだった。どら焼きは口の中の水分を持っていく食べ物だと思うので、もぐもぐやると水分補給が必須だろうなあ。
走りながら左手にどら焼き、右手にスポーツドリンっ苦みたいな姿が思い浮かんできた。それも………ちょっと凄すぎるシュールな光景だ。隣に並んでいたらしいカステラは売り切れだったので、どら焼きよりカステラがランナー的にはエネルギー補給に向いているのだろうか。あれこれ考えさせられるし、人生の参考になる。個人的にはつぶあんのどら焼きが好みだが。

最高に素敵だと思ったPOPは、コンビニの横にある駅弁専門店だった。全力応援すると言っています。補給食取り揃えてますと書いてある。
日本のあちこちで、こんなふうに3年ぶりのイベントを楽しむようになったのだなと嬉しくなった。マラソンを終えて自分の街に帰る時、この店で駅弁を買って帰ると、幸せな気分になりそうだな。

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富山にあるもう一つの一宮

高岡と富山の関係は歴史的に見比べてお勉強しなければならないと思っているのだが、ついついサボってしまい、いまだによく理解できていない。越中国は、元は能登国の一部だったらしい。それがある時に分離独立して越中国になった。その時の中心地は高岡北部にあり、国分寺や役所が置かれていたようだ。
だから、高岡城が街の中心になったのは中世以降になる。では、越中国一ノ宮の一つである「射水神社」の位置付けはどういうものだったのかが気になる。そもそも越中国には、一ノ宮が4つあるのだから、そこには古代から中世にかけて、怪しい闘争があったと見るべきなのだが。
高岡城の跡が公園になっていて、そこに射水神社がある。高岡城は平地から少し高くなった小高い場所に建てられていて、深い堀で守られていたようだ。現在では博物館や市民会館(解体工事中)などが城址公園の中にある。訪ねた日には、広場で小学生が野外学習(多分、どんぐり拾い)をしていた。子供の声を久しぶりに聞いた気がする。そういう長閑な場所だった。

高岡の街中にあるので、当然お参りする人も多い。秋の時期には七五三のお祝いにやってくる人も多いだろう。城址になるので、実は参道が曲がりくねっていて直線にはなっていない。これは余程の高い山の上にある神社でなければ見られない珍しい構造だ。

神社らしい端正なお姿

端正な神社という感じがする。この日は朝早いこともあり人影はまばらだった。ゆっくりとお参りを済ませて境内を歩いていたら、二人ほど女性が撮影に来ていた。本格的に一眼レフを持ち込んでの撮影で、これは珍しい光景だ。一人は三脚も使っている。
神社で三脚撮影などするアマチュアカメラマンというのは、だいたいがジジイと決まっているのだが、最近は若い女性が撮影しているのをチラホラ見かける。お城巡りをしていても、女性が大型カメラで撮影しているのを見かけるようになった。スマホで自撮りをする女性はもはや観光地で当たり前の風景になっているが、一眼レフで(それもミラーレスの小型カメラではなく、重量級の大型上級機種で)撮影するのは珍しい姿だと思う。長い間、神社や城巡りをしているが、最近になるまで見かけたことがない。
おまけに被写体が神社だからなあ、などと自分のことは棚に上げて感心してしまった。確かに神社を撮影するには、光の加減を考えると秋から冬にかけての時期が良さそうだ。夏は、暑すぎることもあるが、湿気が多いせいか空の色が神社と合わない気がする。(個人的見解です)

新潟(越後)と富山(越中)の関係も含めて、もう少し歴史のお勉強をしなければ、なぜ富山に一ノ宮が4つもあるのかの謎は解けそうもない。おまけに、神社を撮影する女性カメラ愛好者が増えたわけはなんだろうか。二つ、宿題が残ってしまった。

余談として補足的にいうと、カメラマンという言い方は、ジェンダー問題とポリコレ的には危うい言い方で、メディアなどではもはや使われないのではないか。おそらくカメラー・パーソンというのが現代的には正しいようだ。歴史的に使われてきたカメラマンとの対比でカメラ・ウーマンと書いてみようと思ったが考え直した。
英語を含め西欧系言語には、マンが男性と人間という意味を持ち合わせているので、発生していいるジェンダー問題だと思う。マン・ウーマン問題は宗教的な側面もあるので、欧米では根が深い話題だろう。が、日本語では男性女性の差を含まない、いわば中性的な人間を表す単語があり、「撮影者」「職業撮影員」とでも書けば、男女の差はなくなる。「記者」や「筆者」などは「ライター」に対応する中性的な単語だろう。
ジェンダー問題を言葉の言い換えで済ませるのであれば、カタカナ外来語を捨てて、日本的漢字利用単語に変えていくというのも「あり」だと思うのだが。看護婦が看護師となったのは、意味ある変化だろうなあ、と思っております。ただ本当の問題はその先にあるのですけれどね。

食べ物レポート, 旅をする

金沢の居酒屋 おでんとへしこ

金沢でおでんが有名だ、という記憶は全くない。金沢には何度も仕事で行っているし、それなりに金沢名物など食べてきたつもりだが、その中に「おでん」という単語はなかった。たまたまテレビ番組でやっていたおでん特集の中に金沢おでんがあったので、あーそうなんだと思ったくらいだ。
それが、今では冬の金沢を代表する料理扱いになっている。天むすは名古屋の伝統料理ではなく、創作料理だと聞かされた時もびっくりしたが、金沢おでんもその手の新造名物なのかもしれない。
まあ、とりあえず実食してみなければと駅のおでん屋に入ってみた。金沢駅の中で長年居酒屋をやっていて、駅が改築されたことで現在の場所に移ったとのことだが、やたらと長い行列ができている。居酒屋に入るのに30分以上も待つ事などあり得ないと思うのだが、今回はしっかり我慢することにした。繁華街のおでん屋に行っても、おそらく同じように待たされるに違いないと自分に言い聞かせて、ようやくゲットした金沢おでんだった。
結論を言えば、薄味のおでん。出汁が効いていると言えば、それはそうだと思う。関東風の「がつん」とした濃い味ではないから、全体的に優しい仕上がりになっている。金沢特有のおでんネタもあるので、それを中心に頼むという楽しみ方もある。

おでんよりもワンダー体験だったのが、この店の名物だという「どじょうのかばやき」だった。想像を超えるものだった。うなぎとどじょうのサイズを考えれば、この串に刺さったどじょうはうなぎの蒲焼きのミニチュア版として納得できる。ただ、よく手間をかけてどじょうを串に刺すものだと、そこが感心したところだ。
味は、今一つどじょうっぽさみたいなものがわからなかったのだが、おそらく3-4本注文して、一気に食べるとどじょう「らしさ」がわかるのではないか………浅草あたりのどじょう鍋と比べてみるのも良い。ともかく、珍しい食べ物としては挑戦する価値がある。

白味噌仕立ての「どて焼」は、ふんわりとした歯応えとあっさりとした味付けだった。これも、できれば10本くらい頼み、一気にワシワシ食べる方が良い食べ物だ。名古屋のどて煮が原型だと思うが、それと比べてみると食文化の変化というかご当地アレンジが楽しめる。

北陸の名物といえばこれでしょう、と言いたくなる鯖の「へしこ」は、日本酒に合わせると最高の肴だと思う。ただ、金沢アレンジというべきなのか、微妙に上品な仕上がりなのだ。へしことはサバなどの糠漬けのようなもので、極めて塩味が強いという印象があった。おまけに強い発酵臭がある。味は全く違うが、ほやの塩辛のような独特の匂いと塩味が特徴だと思っていた。
だが、この日食べたものは、塩味がだいぶ控えめで、おまけに身が柔らかい。まるで刺身を食べているかのような柔らかさ(ちょっと大袈裟か)だった。以前食べたものとは随分変わっている。「へしこ」概念が根底から変わってしまった。良い意味で、洗練された旨さだった。
次回は何軒か居酒屋を回って、「へしこ」の違いを試してみたくなった。そうしたら、マイベストへしこが見つけられるのではないか。次回、金沢のテーマは「へしこツアー」だな……

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越中国 一宮はたくさんある

高岡の北にある「氣多神社」は、富山湾を見下ろす山の上にある。海沿いの道から山に登る途中が、昔の国分寺が置かれていた一角にだった。その古代・中世の行政地に氣多神社は分祀されたようだ。もともと越中国は能登国の一部だったのが独立して、この高岡北部を行政地にした。そこに、能登国一ノ宮である気多大社の「支店」が開設されたということのようだ。となると、この神社は大和朝廷行政府の一部として新設されたのだから、元々の越中国の神様とは言えないのだろう。
越中土着の神様は、山側にある雄山神社と平野部にある高瀬神社におわすというべきか。古代朝廷の日本海沿岸統治の跡が、この氣多神社という理解で良いのだろうか。古代富山の謎は深い。(自分の勉強不足のせいだとも言える……………)

駐車場から拝殿まではかなり厳しい登山になる。国分寺は山の麓につくられ、神社は山の上というのは、なにやら大和朝廷の陰謀かと恨みたくなる。勘繰ってみれば、便利の良い一等地は「寺」に、山そのものや大樹を御神体にすることが多い「神社」は山の上に。そんな古代行政の「忖度」があったのではないかと、山登りをしながら八つ当たり的に考えていた。当時は国家仏教が前世になっていく時代だ。寺重視政策が取られていて不思議はない。
初詣には、この急な坂道を高岡市民が行列して登るのかと思うと、気の毒な気もする。古代の陰謀が現代に及ぼす影響だ。

山の中腹にまで登ると(おそらく中腹だろうなと思っただけだが)、拝殿にたどりつく。ただ、中腹のあちこちに平らな場所を作り、そこを階段で結ぶような格好になっているので、境内が平たいわけではない。斜面に配置された分譲別荘地のような散らばり具合だ。

お参りをしてから御朱印をもらうには、また山道を降りて駐車場の下にある社務所にいかなければならない。社務所がこれだけ離れた場所にあるのも珍しい。志摩国一宮「伊射波神社」ほどではないが。越中国には色々微妙な事情がありそうだなあ。

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もう一つのうまいものin金沢

金沢駅の正面に立つと、一際目立つ華麗な門に出会う。日本の駅で一番美しいと感ずる金沢駅の入り口だ。同じような観光都市であっても、新幹線を降り立った場所は実にがっかりすることが多い。その典型が京都駅で、南北どちらの入口も「らしさ」などかけらもない。
東京駅は、オフィスビルこそ首都の景観だと言い張れば、なんとなく説得ができそうだ。特に丸の内は、丸ビルなどの風景こそ首都のあり方であり、お江戸風情など全く昔語りのノスタルジーと切り捨てている。そう思えば良いことだ。改装後の東京駅丸の内側は、その首都のあり方を伝えている「名所」だろう。たった150年前の建物すら保存しようとしない、近代日本の潔さだ。
逆に中途半端なのが、新大阪や新横浜、新神戸などの「新」がつく駅で、これはいわばどうでも良い駅の象徴だ。昭和中期の文化とは、こういうものだったという反面教師なのかもしれない。東北新幹線の駅は、どこの駅も同じ見栄えだし、九州新幹線では駅舎が街から浮いている気がする。
だから、やはり、金沢駅はすごい。

そのすごい(と想う)駅の近くにあるホテルで会食をする機会があった。レストランの入り口には、ドーンと大皿が飾られている。この皿には実用的価値はない(と思う)。美術品として作られたものだ、この皿の上に料理を乗せたりしないはずだと思うのだが………
それにしても、この状態をなんといえば良いのだろうか、言葉を選ぶのに困る。皿を陳列している、では正しい意味にはならない。飾るというのとも違う気がする。訪れた客に美しいものをお見せする、ということだろう。押し付けがましさはない。美しいものは、隠してしまうのではなく、見せるものだという意識だろうか。
やはり、古都というものが作り出す文化は、たかが100年程度では仕上がらないということがわかる。お江戸でも江戸文化が完成するまで200年余りかかった。そのお江戸を継承していない文化強奪都市「東京」は、強奪後150年経ったいまでも古都を名乗る貫禄はない。

ビルの中隔に庭園を作ろうとする試みは、文化強奪都市東京でも見かけることはある。ただ、規模で見ると箱庭程度の貧相さだ。京都の町家改造レストランで見かける小ぶりのものがよほど立派にみえるものだ。設計思想の根底に、あざとい経済効率が入り込むから東京の箱庭は貧しく見える。それなら盆栽でも並べておけば良いのにと思う「なんちゃって箱庭もどき」がほとんどだ。
この金沢のホテルでは、レストラン面積の1/3程度が空中庭園になっていた。席効率だの回転率だのという、レストラン経営の公式からすると、無駄の極みというしかない。その不経済な代物が平然と存在することが、古都の古都たる所以なのかと思いしらされる。

おいしく懐石料理をいただき、ゆったりとした時間を過ごした。おそらく、贅沢というものは、こういうことを言うのかと思う。レストラン、飲食店、外食産業、いろいろな言い方はあるが、食べ物を提供することを生業とする者にとって、味という無形のもの、雰囲気という無形のもの、過ごした時間の満足度合いという計量できないものをどうしつらえるのか。その一つの答えが、ここにあるなあとぼんやり感じていた。

味の嗜好は個人差がある。万人がうまいというものは無い。それでも、見た目や盛り付けや器で楽しませることができる。料理は舌で味わう前にも目で楽しむものだ、というのは人類にとって不変の事実だ(と勝手に思っている)。
それは日本料理だけのものでも無いので、日本料理文化礼賛論者とは一線を画しておきたい。なんでも日本が一番という文化的狂信者はどうにも好きになれない。
どこの国の料理にしても、器と料理のバランスこそが、美味しさの秘密であることは確かで、家庭料理とプロの料理の一番の差は味付けではなく「豊富な器」が可能にする美なのだと思う。

最後に出てきたいちごのシャーベットの器に一番驚かされた。シャーベットの出来栄えは素晴らしい。甘さ控えめなのが、和食の締めとして調和している。ただ、この華麗な皿が伝えてくるものが、金沢のご飯を「目で楽しんで」いただけましたか、と言うメッセージのような気がした。すごいな金沢。
金沢発のファストフードチェーンができれば、なんだか日本食文化の革新になりそうな気がしている今日この頃。金沢カレーが進化すると、何か革命的なことになりそうなのだけれど。

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金沢の知らなかった旨いもの

金沢駅で土産物を探していたら、目に飛び込んできた看板だが、思わず何度も読み返してしまった。「ブリのたたき」と書いてある。「タタキ」といえば、まず思い浮かべるのは「カツオ」であり、その高級品は藁で焼いている。焦げ目がびっしりついた鰹のたたきは大好物だ。
もう一つのたたきといえば、「アジのたたき」になる。これは刺身の変形番みたいなもので、火で炙っているわけではない。なぜ、この料理形態が叩きと言われるのかは分からないが、千葉あたりで食べる「アジのたたき」は極めてうまい。細かく包丁でたたいて(細切れにして)香味野菜と味噌で混ぜた「なめろう」もアジの食べ方としては絶賛するが、どちらにしてもアジは大ぶりに切りつけた刺身より細かく切った「たたき」の方がうまいような気がする。
という「常識的たたき感」をぶち壊す?鰤のたたきとは、一体なんだ。初めて聞いた言葉だ。写真を見る限り、鰹のタタキのように表面を炙っている感じがする。

ということで、ノコノコと土産物売り場に行って「鰤のたたき」を探してみた。簡単に見つかった。魚コーナーで山盛りになって売られていた。人気No.1らしい。値段を見ると、それなりにお高いものだが、金沢の鰤なのだから一級品だろう。

見た目は、鰹のタタキによく似ている。おそらく、製法は同じだろう。カツオより鰤の方が脂が乗っていそうなので、焦げ目もつきやすいかもしれない。味は、実食してみないと分からないが、やはりブリはぶりだよねという気がする。
おそらく西日本のブリ好き人種にとっては、北陸のブリが至高の「鰤」に思えるのではないか、と勝手な想像を巡らせてしまった。東国で鰤料理といえば、ブリ大根一択みたいなところがある。ブリ後進地帯という自覚もあるので、ブリのうまさなど語る資格もない。
から、やはり金沢観光の主格層は西日本からきているのだろうから、「ブリ」推しは効き目がありそうだ。

そんなことを考えながらスーパーの魚屋を覗いていたら、これまでみたことのない「ぶり大根」を発見した。ぶり大根寿しと書いてあるから、糀で漬け込んだ甘酸っぱい食べ物だと想像がつく。これの方が、北陸伝統食という気もする。金沢からもう少し北に行けば、鰤と鮭の食文化境界線になり、新潟にいくと、このブリ大根も「さけ大根」が主力に変わるだろう。

ぶり大根の隣には、これまた北陸定番である「鯖」がいた。個人的にはぶり大根よりサバ大根の方に惹かれる。やはり、日本海沿岸は発酵食文化圏なのだ。
北海道の飯寿司のルーツは、この北陸辺りにある「魚の麹漬け」なのだと改めて思った。しかし、ブリ、サバ、鮭、どれもうまそうだった。