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食べ物レポート

カレーラーメン 定点観測幸楽苑

カレーラーメンとは、北海道とマコ宮室蘭のローカル名物だと思っていた。全国津々浦々で、日本蕎麦屋に行くとおいては置いてあるカレー南蛮とは違い、ラーメン屋でカレー味を見かけることはほぼ皆無だ。
そもそもラーメンスープは濃厚系が多いのでカレーとうまく調和しないということもあるよ思う。札幌ではローカル名物かしたスープカレーもその原型はラーメンスープをベースにカレー味に仕立てたものという花足を聞いた。発祥の地であるカレー屋で生まれたスープカレーがインスパイア系料理として広まる過程であれこれ進化していった過程で起きたことのようだ。
さえ、この後楽園のカレーラーメンだが、札幌のスープカレー的な「締めにはライス」を提案している。が、スープカレーとはだいぶ趣が違い粘度の高いスープだ。が、出汁があまり強くない。一番近い味はなんだろうと考えていたら、某カップ麺のカレー味に似ていることに気がついた。
どうやらこのラーメンのルーツは北海道のローカルテイストではなく、全国どこでも買える有名なカップ〇〇カレー味みたいなのだ。二口ほど食べて、それに気がつき納得してしまった。後楽園のテリトリーは東日本になるので関西系の味付けは評価されないらしい。であれば、青森の煮干しだしラーメンとか秋田の有名店(京都系インスパイア濃厚ラーメン)のコピー品でも出せば良いのになあ。などと思ってしまう。

カレーラーメンだけではちょっと見た目がアレなので、追加トッピングにネギとチャーシューを足してみたのだが。これはカレー味とあまり足しょうが良くなかった。まあ、失敗の経験から次の成功が生まれるのさ、と嘯きつつちょっとだけ後悔してしまった。来年出るだろう(多分)改良版カレーラーメンにきたいしておこう。

街を歩く

喫茶 えんじぇる と読むらしい

よく行く高知の漁師町は朝飯を食べる場所がほとんどない。朝からバリバリ飯を食うタイプではないので、それは別に構わない。腹が減るのであれば前日にパンでもカップ麺でも買っておけば良いのだ。
ただ、かの高知で有名なモーニングセットを出す喫茶店は7:30から営業している。晴れた日には散歩がてらその喫茶店を目指すこともある。ただ、ずっと店名が分からなかった。というより読めなかった。
地元の友人との会話の中で出てきた店名とこの難しい店名がなかなかリンクしないので、会話がおかしくなった。あれこれ話をしているうちにえんじぇるというらしいことが朧げにわかってきた。20世紀の終わり頃、まだバイクに乗り集団で移動する若者文化が成立していた時代、こんな難しい漢字を集団名につけていたりしたなあ、などどおっちゃんの感覚で懐かしくなった。

自分の街にこんな喫茶店があればせっせと通うだろうなと思わせる端正な一戸建てのお店だ。喫茶店でコーヒーを飲むのと、カフェでカフェラテを飲むのは似たようでいて全く異なる文化だと思う。由緒正しき喫茶店ではクラシックかジャズがかかっていて、濃くて苦めのコーヒーが出てきて、たまにおまけでクッキーが一個ついていたりする。そんな文化こそ自分が所属すべき空間だという思いがあり、由緒正しき喫茶店が残る土地は文化地だと信じている。
人口100万人を超える大都市では、その良き文化は壊滅の危機にあり、人口一万人に満たない地方都市で生き残っているのを思えば、人口以外に文化を図る別の尺度が必要なのだとも考えてしまう。

モーニングを楽しむ地元のおっちゃん・おばちゃんの言葉は聞き取るのが実に難関な高知言葉なのだが、それもお江戸で流れるラジオの英語放送よりはよほど耳に優しい。
朝から文化について考えられる「喫茶店」に感謝だな。

食べ物レポート

えび玉ちり 満洲の冬メニュー

あまり辛くないというか、全然辛くない

エビチリを最近よく食べる。加齢による海老信仰みたいなものとは関係ない。辛いものとエビが好きになっただけだ。
満州というチェーンは時々面白いことをする。キャンペーン商品で当たりが出たら定番化するというのが通常の外食企業が取る常套作戦なのだが、満洲はどのキャンペーン商品も潔く捨てる。翌年の同じ頃にリバイバル出品することもあるが、大抵は使い捨てメニューになる。
おまけに、メニューを絞り込んでいるので町中華の絶対定番とも言える「酢豚」「エビチリ」が存在しない。「青菜炒め」もない。
だからエビチリ発売とニュースで見かけて、これは食べに行かねばならないと本店まで出かけてみたら、なんとも不思議なことに「エビチリ」ではなく「エビ玉チリ」だった。エビチリに卵の炒めたものが入っている。だから甘めの味になっている。味付けに文句があるわけではない。世の中には甘いエビ理知もあれば、これは食べるのが無理と言いたくなるほど辛いエビチリもある。どちらもうまい。ただ、卵を入れた意図がよくわからない。ひょっとしてエビ好きの子供向けに「大人の階段」を上らせるみたいなことを社長が考えたのか、と疑いたくなる。

最近の満洲はメニューが健康志向なので、それもどうやらよく食べにくる一人暮らしの高齢者のために、いろいろと考えてくれているようだ。銘柄豚を使ったり、米は白米と玄米を選べたり、麺が少量のラーメンを提供したりする。ただ、卵入りのエビチリにはその高齢者志向というか、健康フレーズが見当たらないので、やはり新客層として子供に目を向けたのではないか。

そんなことを考えながら、次回は玄米チャーハンにしようと思った。確かに町中華で玄米を食わせてくれるところはないよなあと……………

街を歩く

夜散歩 in 高知

高知の夜に街中を彷徨い歩いてみた。南国高知の夏場であればうんざりするような暑さでとても歩く気にはなれないが、冬は高知であれ凛とした厳しさはあるが歩けないほどの寒さでもない。ただ、夜も早い時間であるのにほとんど歩いている人を見かけない。寒いからか、町外れのせいなのか。
随分と長い間工事をしていた橋がいつの間にか囲いも解けて完成したのに気がついた。ライトアップされているが、決して高知市内の繁華街とは言えない場所なのだ。これが「はりまや橋」であれば、さぞ観光客が撮影に群がっているだろうに。市内を流れる川は江戸時代の高知の街が作られた時に水運の要として整備されたもので、それにつながるように城下に運河がて張り巡らされていたそうだ。(某国営放送の旅番組で解説していたものを受け売りしてます)
その運河も今ではすっかり埋め立てられてしい(暗渠化している)、例のガッカリ名所「はりまやばし」がそのなれの果てになっているそうだ。運河都市は大阪や江戸といった大都会を始め、その景観をすっかり変えてしまっている。今の時代に運河が残っていれば、車の往来には困るのだろうが、観光地としては空前の人気ぶりになっただろうなあ。

時代の流れは外食企業にも押し寄せている。高知市民であれば(年配者に限る)誰も知らないものはいないと言われる屋台餃子の店は、いつの間にか営業形態を変えていた。川沿いにあった本当に屋台だった店は、いつの間にか近くの駐車場に大きな屋根をかけた擬似屋台営業に変わっていたのだが、どうも改正食品衛生法の基準を満たすためにはもう一息の変身が必要だったらしく、新たにできたものは完全なる密閉空間に閉じこもった屋台村もどきになったようだ。確かに、餃子とラーメンとビールだけでは現代の客層には対応しきれないのかもしれない。単店でメニューを広げるより、複数業態で広げるのは良い策だと思う。

正面は別の店だった


初めて高知で屋台餃子を食べたのは15年ほど前だった。地元企業の社長に連れて行かれたのだが、その頃でもほぼ観光地化していたらしい。それよりも随分と前のことだgあ、思い返せば初めて高知に来た夜は、まだ市内中心部にたくさんの屋台があり、そこの中の一見で酒を飲んだ記憶もある。屋台のおばちゃんからは、いかに高知が大きい街で飲み屋が多いか力説されたのを覚えている。同行者は大阪と神戸から来ていた。自分も含め高知より大きい街から来たのだがなあと心の底で思いながら、うんうんと頷いておばちゃんの話を聞いていた。


屋台は道路交通法や食品衛生法の規制、というか弾圧で消滅しつつある江戸期以来の文化であるのだが、行き過ぎた規制は文化を破壊する。これはどこかの国の宗教弾圧に名を借りた異文化抹殺に近いものがある。行き過ぎた宗教独裁、あるいはバカな独裁者のいる国ではよく起こることだが、「この国」のような独裁者のいない国でも官僚が独裁者になり代わり自分たちの利権のために暴走する。文化圧殺とは官僚の金儲けと天下り先の創生を意味する。

店名の下に(仮)とあるのは、官僚の弾圧が覆った時、本来の屋台に戻るのだという強い意志の現れ……………ではないかなと勘繰ってみた。もしそうであれば、官僚による文化圧殺打破のための「革命」に参加するぞ、と鼻息を荒くしておりました。

この国は本当に革命前夜なのではないかと思う今日このごろ。歴史的に振り返ってみると、日本の歴史では概ね70年ごとに政変、革命、敗戦などで政権がひっくり返る。先の大戦で負けて大勢の大変換が起きてから80年たった。歴史から見るとそろそろなんだよね。

屋台復活の狼煙をあげようかなあ。

街を歩く

新宿御苑の新年会

昔馴染みの友人たちとの定例居酒屋飲み会は新年会も兼ねたものだが、一月下旬開催とは新年会というにしてはちょっと遅い。だが、飲み期のピークをずらしてのんびりやるのが、時間だけは融通がきくおっさんたちには向いている。
今回の会場は新宿御苑駅近くだったが、よく考えれば新宿三丁目から歩いても大した距離ではない。ただし表通りを歩かなければだ。3丁目と御苑駅の間には難関地帯が待ち構えている。行きは一人なので地下鉄利用し安全対策をとり、帰りは集団下校?だから「狩」に合うこともなく3丁目まで歩いた。
繁華街で怪しい店の客引きは随分と減ったが、「怪しい地帯」では裏通どころか地域ぐるみで警戒が必要と思うのは、歳をとった証拠だなあなどと歩きながら思っていた。

この店は鶏料理のがメインなのだが、その中でも中心的存在が半身揚げだ。ゴロンと半身がそのまま出てくると思っていたら(札幌ではそのスタイルが一般的なので)、なんと綺麗にカットされていた。お皿に収まりも良く端正に見える。おまけに小ぶりで食べやすいとメリットだらけなのだが……………なんとなくボリューム感に欠けて見えてしまう。豪快さは消えているなあ、などと感じるのは北海道育ちの野蛮さだろう。料理には都会的洗練が求められるのがスタイリッシュなお江戸の作法だ。
一口食べると、あたりまえだが普通に美味い。美味いのだが、塩味が薄めでそこもやはりスタイリッシュというかヘルシー志向というか。いえいえ、文句をつけているわけではありません。北海道の半身唐揚げとは違い揚げ油の管理もしっかりされているみたいだし。

ピーマン肉詰めが面白い形で出てきた。セルフで最終工程をしてねということらしい。同行者の説明を受けて納得した。まあ、店側からすると一手間省けるということだし、ピーマンのフレッシュ感が良いので、個人的には大変好ましい食べ物だった。

お好みで味の調整もしてくれということかもしれない。塩加減はちょうど良いと感じたが、人によっては追い塩とか追いコショウが欲しくなるかもしれない。いや、きっと一番欲しがられるのはマヨネーズだろうなあ。追加100円で明太マヨとメニューに書けば人気がでそう、などと商売的な考えもしたりして。

なぜか最近の飲み会で定番のように登場するだし巻き卵だ。単純に注文する同行者のこのみかもしれないが、加齢による嗜好の変化なのではないかと勘繰っている。だし巻き卵を自宅で作ると、出汁を取る手間とか、焦げないように弱火で丁寧に焼くとか、面倒ごとが多い。仕上げを巻き簀で締め上げるなど面倒の極みだしなあ。自分でやるときは出汁の代わりに味の素、四角い卵焼き器ではなく小ぶりの丸いフライパンでスクランブルエッグもどきなど手抜きをしてしまうから、こうした本格派のだし巻き卵、それも甘みの薄いものはありがたいのだが。
もぐもぐと卵焼きを食べながら、やはりあれこれ考え込んでしまった。卵料理が好きになるというのは、還暦を過ぎて子供にかえるということを実践しているのではないかと。
美味い居酒屋ではいろいろと哲学的な考察をしてしまうものだ。

街を歩く

ジミーズ

沖縄にある菓子屋、ケーキ屋、パン屋の合体したレストラン?がちょいと気になる。以前一度訪れたことがあるが、ファミレスのようだったレストランがカフェみたくなっていた。コロナの影響もあったのかもしれない。
売っているものはアメリカンなケーキと沖縄の伝統菓子の両方があり、店内はいかにもハイブリッドな沖縄テイストが感じられる。

誕生日ケーキの定番らしい大型で四角いケーキは、昨今の流行である「パティシエ」が作るオーバーデコレーションなものとは違い、実にシンプルなデザインだ。それが妙に懐かしい。昔々ホノルルの老舗ケーキ屋&ベーカリーに行ったときに感じたアメリカンな雰囲気が、なんだかそのまま再現されている感じがした。
ケーキもアメリカ風に物凄く甘いのかななどと想像するのだが、一人でお試しするには大きすぎる。
ケーキは諦め手土産に手頃なクッキーの詰め合わせを買うことにした。

トロピカルクッキーという2種のクッキーくを詰め合わせたものだ。この日本語が一つも見当たらないボックスはいかにも、いかにもなのだ。60’sという見栄えが妙に懐かしい。

箱から中身を取り出してみると、意外と小ぶりなクッキーだ。食べてみたら想像していた激甘とは違い、なんだか日本的甘さだったのにちょっと拍子抜けしてしまった。まあ、でも普通に美味しい。
パティシエが作ったお高くてデコデコした焼き菓子と比べると随分とシンプルだが、焼き菓子はこれくらいがちょうど良いと思う。個人的には「成城石井」で売っているアメリカンクッキーも好きなのだが。あれは、やはりアメリカンな甘さでびっくりするほど大きいから良いのだが、それとは違ってこのジミーズクッキーは小さくて甘さ控えめなのが良いのだな。

那覇空港でもジミーズのお店はあるはずなのだが、とうとう見つけられなかった。あらかじめ郊外店で買っておいて正解だったが、次に行くときは遅めのランチを食べに行きたい。アメリカンとオキナワンの折衷料理が食べてみたいのだよね。

街を歩く

辛い麺二題 雑感と考察

前にも触れたが、鮨と中華のミックスレストランで頼んだ「辛うま麺」、その正体は海鮮麻婆豆腐が乗った辛いスープ?の麺だった。マーホー麺というのはたまに見かける。仙台ではご当地麺として有名だが、個人的にはちょっと苦手とする。
麺の上にあんかけ炒めが乗った広東麺やあんかけもやし炒めの乗ったもやしそば(これは関東ローカル麺だろうか)はたまに食べる。寒い時期になると無性に食べたくなったりする。
が、このあんかけ炒めはスープと合体しても味が馴染むので文句はない。ただ、麻婆豆腐はどうもスープとの相性が悪い気がする。
この店の名物料理、人気メニューが麻婆麺なので、それの辛いバージョンという位置付けだと思うのだが、個人的には酸辣湯麺のようなストレートな辛さが好みだ。ただし、麺の上に乗っている辛い麻婆豆腐の量がすごい。下にある面が見えてこないほどだから、実は上の麻婆豆腐を半分くらい食べて、残りをちょっと伸び気味の麺と混ぜるという味変的な楽しみ方もできる。
なかなか独創的なメニューだと思うし、あと二、三回は試してみたい気もする。これがとりあえず最近のイチオシラーメンであることに間違いはない。

12月限定ということで販売されていた幸楽苑のカレーラーメンは、これがまたなんとも中途半端な仕上がりになっていた。まずカレー味はするが、あまり辛くない。カレーを食べるとスパイスの効果で額にうっすらと汗を書くが、このラーメンでは汗量ゼロだった。
味付けは若干とろみのあるカレー醤油味という漢字だろうか。スープカレーのような出汁の効いた感じがしない。寒くなるとカレーというのはわからなくはないが、まだまだ味の改良が必要みたいだ。最近の夏の流行である冷麺のように何年か続けていると進化していくのだろう。
ちなみに日本側のカレー南蛮は出汁とカレーのマッチングが良いが、あれも延々と改良が続いた結果だろう。
たまに食べるカレー南蛮は美味い物だが、それのアレンジメニューであるカレー丼こそ、日本蕎麦屋がたどり着いた至高の頂点ではないか。個人的な経験で言うと、街の片隅にある小ぶりな大衆蕎麦屋でカレー丼の大当たりに巡り合うことが多い。老舗蕎麦屋ではカレー南蛮ですら高級化しているので、注文は避けた方が良いと思う。
記憶に残るカレー蕎麦といえば、石巻「もりや」のカツカレー蕎麦と、小樽にある名店「薮半」のカレー丼だろうか。

冷麺も初年度と3年目では随分と差が出ていたように記憶している。
ぜひ来年もチャレンジしてほしいが、少なくともみ口食べたら汗が出るくらいの強スパイスに仕上げてほしい物だなあ。カツカレーラーメンをていばんにしたててほしいぞ。

食べ物レポート

お江戸の回転寿司事情

鯖は日本近海どこでも獲れると思うが、回転寿司では輸入物の鯖なのだろうか 地域によって味が極端に違う

自宅からお江戸に出かけていくときのJR乗り換え駅は学生街のある。ただ、その学生街が最近はすっかり多国籍タウンになり、看板にかかっている字が読めないことも多い。特に、日本語ではない漢字の店が増えている。内装も異国風というか東南アジアを旅したときによく見かけた軽食堂的なイメージがある。店内を覗くと異国情緒もあると言えばある。
だから、回る寿司の店を見るよホッとするのだが(いかにも日本的で機能的な店内だからだろう)、そこにいる客の半数くらいがこれまた日本語を解さない旅行者であったりする。店内にこだます異国の言葉になんとも奇妙な気分になる。日本人安住の地は路地の奥のこじんまりした店蔵しかなくなってしまった。お江戸の国際化とはこういうことかと思う。
そんなあれこれを思いながら、久しぶりに回転寿司を食べてみた。
ネタは熱くなった気がする。食べこだ絵がある。が、値段は三倍くらいになった。昔の回らない大衆鮨屋の値段を超えている。コロナの影響で日本中の飲食店が整理され過当競争が減った。生き残った店はコスト転嫁を堂々とできるようになった。平成の価格に対する常識はもはや過去のものだ。ただ、価格上昇にスライドして賃金が上がったわけではないので、外食総需要は、金額的に伸びても、利用者層は減少する。より安価なテイクアウト食品、それもが一色企業の製品ではなくスーパーなどの流通業に支配権を譲ることになるのだろう。

最近の好物で、注文するたびに中身が違うびっくり箱状態が良いのだな

そんな価格高騰と全体競争の鈍化により、業態によっては寡占化の最終ステージになったりする。回転寿司業界は外食として規模が大きいが、二大チェーンとその他大勢の弱小という構図に収束しつつある。だから、大手二社以外の店に行くと、意外とアイデア商品というか掘り出し物に出会うこともある。
このネタの端をミックスした軍艦巻きなどは、その際たるものだろう。お値段お手頃で、実は酒の肴に向いた逸品だと思う。このミックス軍艦とサラダ軍艦を食べ比べると、現在のチェーンの立ち位置が見えてくるとまで思うほどだ。
北海道や北陸の質実剛健、ネタの高品質と低価格で勝負している姿を見ると、お江戸の回転寿司屋はもう死に体なのだなと思う。だからこそ、その最後の時まで付き合ってやろうとも思うのだけれど。チープな寿司(鮨ではない)を食うのであればお江戸に限ると思う今日この頃であります。

街を歩く

居酒屋に物申したく候

おそらく繁忙期以外ではコスパの良い店なのだと思う

北の街のオフィス街にある居酒屋で地元の友人と会うことにした。いつもであれば空いている店を適当に探してはいるのだが、師走では流石にむずかしかろうとネットで探した店を予約した。これが間違いだった。駅からの距離、地下歩道からの距離で決めたのだが、やはりネットの内容だけで店の良し悪しを見抜くのは難しい。
ホテルの一階にあるので、朝食会場として使われているのだろう。店内の作りに問題はない。夜は居酒屋という二毛作も今では当たり前であり文句のつけようはない。
では、何に文句があるのかというと……………まずネットで席だけ予約をした。普通であれば「予約料」などは取られないと思う。最近は不埒な客が多いのでキャンセル料を設定する店は増えたが、それも仕方のないことだ。この店はそのどちらも問題ない。

問題だったのは、年末年始特別料金を取るということだ。つまり繁忙時の席料を上乗せするという「昭和のバブル期」にはよく見かけた横暴なシステムを導入していることだ。平成時代は席だけ予約は受け付けず、コース予約しか受け付けないというのが繁忙期のスタイルに変わった。これはある程度定着していたと思う。少なくともこの仕組みでは、払う金と料理の対比で、高いとか安いとかぼったくりだとか、あれこれ評価してきた。ぼったくりの店は2度と行かないという、極めて辛辣な評価を受けるもので、そういう店は何年かすると潰れていた。
しかし、この昭和的な特別料金には対価を払うべきものが何も提供されない。座れる権利が付加されるだけだ。だから、昭和以降は廃れてしまった仕組みなのだろう。
そして、その席料追加徴収の告知は、入り口に貼られたA4用紙程度の紙に書かれたとても読みにくい告知文だけだ(暗くてよく見えない)。
席に座って注文をしようとすると、そこでいきなりこう切り出される。「本日は年末特別料金を頂戴するが、それでよいか?」とくるのだ。払うのが嫌ならそのまま出て行くしかない。
ネットの予約の時にはそんなことは書いてなかったように思うのだが、どこかページの隅っこに小さく「特別料金」払ってもらうからねー、とか書いてあったのかもしれない。
結局、席料を払うのが嫌になり外に出ても忘年会シーズン真っ最中だし、飛び込みで入れる店があるとも思えないから、渋々と追加席料を払うことにした。

世の中には外食の教科書みたいなものがあるわけではないから、必ずこういう失敗を犯す経営者は現れる。誰かが「外食時事業あるある」「やってはいけない13の事例」みたいな物をまとめて教えてあげれば良いのだが、それを教えられるのは失敗して破産した元経営者だけだから、存在するはずのない幻の教科書だ。
まあ、この店が何年続くのか見ているしかないが、おそらく同じ間違いをしている店が今年は何軒もあるのだろう。接客の良さだとか、料理のうまさだとかで解消できない、経営者としての勘違いで閉店して行く店が多いことを知る人は少ない。
この昭和の廃れたシステムについて、今の外食企業経理者の大半は知るはずもない。そもそも、その頃はまだ小学生だったり、生まれていなかった世代が現在の経営者になっているからだ。

出てきた料理はコスパが良いものだった。格別の目新しさはないが定番をしっかり押さえるという居酒屋の王道ではある。ただ、なぜ札幌で馬肉推しの店を作るのかはよく理解できない。おまけにホテルの宿泊客向けらしいメニュー、つまりThe 北海道 的な料理も押しまくっている。熊本と北海道が混交する不思議空間だった。

最近はこの街の居酒屋のどこでも置くようになった「ラーメンサラダ」もあった。ただ、このラーメンサラダについては大多数の居酒屋が解釈を間違っていると思う。野菜サラダの上に茹でたラーメンを乗せたものがラーメンサラダではないだろう。そもそも発祥の地であるグランドホテルに行って、元祖を試してみてから自己流アレンジをして欲しいものだ。
個人的に思うことだが、冷やし中華に野菜を足したものと大差がないラーメンサラダは、大体においてまずい。そういう店は麺の茹で加減もいい加減だし。一口食べて、あー失敗したと思うことも多い。この店のラーメンサラダはそこまで低レベルなこともなく、値段相応で納得できる品質のものだとは思う。ただ、最初に聞いた特別料金上乗せのせいで料理の評価にフィルターがかかってしまう。

せっかく料理長が腕を振るっても、料理が力を発揮できないこともある。居酒屋に限らず飲食店は「総合的な体験値」で満足度が決まるものだ。なぜ口コミが集客に威力を発揮するかを、経営者は再確認するべきだろう。口コミは決して表に現れてはこない事象だったが、現代の口コミはSNSという形で表沙汰になる。SNSで風評被害を受けたと反論する者も多いが、現代の口コミを封じる術はない。おまけにミシュランの星が取れた取れないで大騒ぎもする矛盾ぶりだ。それが嫌なら会員制の店にでもして、口コミを封じ込めるしかない。

美味しい料理だけでは商売にならない「エンタテイメント・総合体験空間」が現代の飲食業のあるべき姿だと思うのだがなあ。長文になってしまった。

街を歩く

鮨とおでん 冬の居酒屋で楽しむ

色気は悪いが味は最高 上:貝づくし した:漬けシリーズ

札幌駅が新幹線開業工事中のため、駅地下にあった飲食店が閉鎖されてしまった。煽りを受けて駅前周辺の居酒屋、飯屋が混み合っている。おまけに、そこに日本語を話さない客がなぜか大量に押し寄せるようになり、実は大変迷惑している。(個人的見解です)
よく使う大衆鮨屋(まわらないやつ)も、平日昼ですら行列ができるようになった。こうなるとお店の方には申し訳ないがコロナの頃が懐かしくなる。
鮨もすっかり値が上がり、感覚的には5割増しから倍くらいまでになった。軽く寿司をつまんで酒を飲んだら3000円くらいという感覚だったが、今では5000円札でもおつりは来ない。まあ、消費者はそれなりに対抗策を立てるしかない。
握りを一人前頼むのではなく、5貫盛りを二皿頼むというのもその対応の一つだ。好みである貝握り盛り合わせと炙り5貫と組み合わせる。これに追加するとすれば、イカ・タコの軟体系とサバくらいだ。うにやいくらなどの高級ネタは不要だし、マグロのトロ・赤身にも興味はないという変形嗜好だから、まさに邪道な組み合わせだがこれに大変満足している。
隣の席にいた日本語を解さない二人連れはスマホ片手にうにだ、とろだ、サーモンだと高い値段の握りを爆食いしていた。うーん、貧乏な日本人という言葉が頭の中でこだましている。いや、好きなものを好きなだけ食うのが正しいグルメ道だと自己弁護してみるが…………

別の日に、出汁がうまいので有名というおでん屋に行った。この店は予約客で満席で、ふらりと入ってくる客全てが断られている。1時間に十組以上断られていたような気がする。おでんだし、寒い時期になると予約しなければ入れないほどの大人気になるのはわかっている。それでも入店を断られる人が多すぎて、食べているこちらが申し訳なくなる。
最初の注文は定番の大根、最近すっかりお気に入りの車麩だ。お麩は生でもうまいが、こうして煮物にするともっと旨さが増す。山形県の東部にお麩丼が有名なところがあり、そこは一度わざわざ「お麩」を仕込みに行った。肉よりうまいお麩という言葉が身に染みた。お麩は出汁との相性が抜群に良い。出汁の味を楽しむおでんネタとしても秀逸だ。
札幌の大繁盛おでん店は、ほかにも珍しい具材があるのだが、やはりお麩が一番だ(きっぱり)と思う。ただ、この日はお麩に引きずられていつものガンモやハンペンを頼むのを忘れてしまった。
次に行くときはしっかり予約をした上で、ガンモを食べに行こう。あとは昆布巻きに油揚げに入った巾着かなあ。