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書評・映像評

銀河帝国を継ぐもの アメリカン正統ジュブナイル

表紙 by Amazon

どうやら文庫版は絶版らしく、Kindleか、中古での入手

時々、無性に海外SFが読みたくなる。特に、ハインラインやマキャフリーのような、ジュブナイルが読みたい。日本作品ではライトノベルという分類の中に埋もれているジュブナイルだが、アメリカSFではハードな設定ながら、主人公を10代の少年少女に置いた名作が多い。ニーブンやホーガンのようなガチガチのハードSFの対極にあるのが、ジュブナイルだろう。同じように宇宙を背景としても、ハードSFが世界の仕掛けを語ろうとするのに対し、ジュブナイルは少年少女の成長を描こうとする。
だから日本のライトノベルでは、アメリカ的ジュブナイルものが少ない。世界を語りたがる傾向が強いからだと思う。私の作ったこの世界、すごいでしょう的な話がどうしても多くなる。それは、それで楽しめるのだが、主人公たちの成長を描こうとすると、どうしてもはじめの一歩的なスポ根になるか、ワンピース的なキャラの能力増強的な話になっている。どちらも100巻近いボリュームでありながら主人公たちはあまり成長しているとは言えない。

後書きで、作者がハインラインやノートンが好きだと言っているそうだが、確かに正統アメリカジュブナイルSFの匂いがする。主人公が何度も困難に遭いながら、少しずつ大人としての理解をしていく過程を描くものがジュブナイルだ。物語の前半は、まさしくハインラインの「宇宙の戦士」のリコと同じだ。教育担当の軍曹もしっかり登場する。
後半は、主人公のテーマが異文化をもつ人たちとの交渉であり、自分の経験値では推し量れないものとの共存を学ぶステージとなる。これも、アメリカSFではよくあるパターンで西欧文明とアジア文明の衝突と理解のような形で語られることが多い。その類型が、未知との遭遇的ファーストコンタクト、人類と非人類知性体の接触と理解になる。簡単に言えばナイフとフォークの文化で育ったものが、箸の文化に出会ってびっくりということだ。その後、箸使いが上手くなるものもいれば、箸は文化的ではないと拒絶するものもいる。

この作品では、前半はひとりよがりな選民意識に凝り固まった主人公が、世界の見聞を広め、後半では「人」の多様性とそれに対する共感を得るまでを描く典型的なジュブナイルだ。銀河に広がった人類社会も、恒星間航行を可能にする技術も背景としてしか描かれない。作者にとって宇宙や物理世界はどうでも良いのだ。差し迫った人類に対する脅威も存在しない以上、スペースオペラにはならない。ただただ主人公の権力闘争の中での変化を連ねていく。
まさにアメリカSFの本道だろう。

余談だが、こうした少年主人公の成長の物語が日本で語られるのはTVアニメが多い。そしてTVアニメ特有の事情で(放映打ち切り、放映中の方針変更など)、成長の途中で放り出されて物語が終わることも多いのがよろしくない。機動戦士ガンダムはその典型例で、アムロたちは成長途中でほうりだされ、その後の続編でようやく大人になっていることが語られた。(物語としては片手落ちだったと今でも思う)
もっとひどいのがエヴァンゲリオンのシンジくんで、彼は世界ごと放逐された。かわいそうに。
まあ、このアニメ界におけるジュブナイルの酷い扱われようは作り手の欠陥だと思う。そのうち、もう少し真っ当な感性の持ち主たちが「正統ジュブナイル作品」を作り出してくれることの望みたい。

旅をする

クリスマスイブなんて嫌いだ という人のために サッポロミュンヘン市

ボッチクリスマスという言葉の毒

今年もまたやってくるクリスマスイブ。なぜか聖夜はカップルでという、愚かな信仰というか習慣ができたのはいつの頃だろう。聖夜とは正しく家族とともに神に祈りを捧げる火であるはずなのに。なぜか家族を放り出した逃亡者が、二人で過ごす夜になっている。昭和30年代には、たった十数年前まで「鬼畜米英」などと新聞に書かれていた外国の習慣を受け入れ、夜の繁華街で馬鹿騒ぎする風景がニュースに登場していた。おそらくここ50年くらいの風習だろう。
そして、逃亡者二人になれない独り者をボッチと呼ぶ習慣が生まれたのは、この10年くらいだろうか。クリスマスの差別の度合いは進行しているのだ。

この写真は11月末のもの

そんなボッチを救済してくれるイベントが北国にある。
札幌で冬のお祭りといえば雪まつりと言いたいところだが、実は11月からクリスマスにかけて行われる「ミュンヘン市」は、なかなか綺麗で楽しい。

11月はまだ雪が少ないので、この時期の方が見物に行くのは向いている。12月の後半、クリスマスが近づく頃には雪が積もり、地面がツルツルになるので、地元民以外は相当足下に気を付けることになる。

ボッチのどこが悪い

夜になると会場内はライトアップされ、イルミネーションで幻想的と言いたいくらいな美しさになるが、これまた地元民は寒さのためかあまり出没しない。観光客が震えながら?写真を撮っているのが目立つくらいだ。
それでも、多少なりとも雪が降り地面が白くなれば、地元民喪主ツボうつを始める。
12月に入れば、ローカルニュースでデートスポット扱いになり紹介されるのは、全国各地のライトアップ観光地と同じだが、雪のある梨が「絵」の出来を変えてしまうのが、札幌らしいといえばらしい。

会場では、この寒さにもかかわらず屋台や立ち飲みができる広場(テント)もあり、クリスマスイブは随分にぎやかになるだろうけれど、おそらく地元民カップルはちょっと歩き回るだけで、すぐいなくなるはずだ。(デートと言うには寒すぎる。北海道民は屋外の寒さには決して強くない)だから、綺麗なイルミネーションを一人でゆっくり見ながらの寒中散歩は、意外と充実する可能性が高い。(と思う)どこかの暖かいレストランなどで周りのカップルを眺めるよりはよほど良さそうだ。
夜の一人散歩は、寒さが身に染みるが・それもまたボッチの醍醐味だと言い張ろう。

ミュンヘン市のサイトにあるマグカップの写真をリンク

毎年絵柄が変わる「イヤーマグカップ」を集めるのが、実は密かな楽しみなのだが、なぜか去年だけは早々と売り切れてしまい手に入れられなかった。会場では過去のマグカップ(売れ残りなのだろうけれど)も売っているので、淡い期待を持って買いに行ったが、2018年版は売っていない。
やはり毎年、開幕時期にちゃんと現地に行って買い付けなければならないのだな。

ミュンヘン市のサイトは下に↓

https://white-illumination.jp/munich/

食べ物レポート

ピザの食べ歩き ジャンク編

もともとピザというものは(と少し大げさに言いたい)、貧乏なイタリア南部で生まれた食べ物で、だから小麦粉の生地に、トマトのソースで、チーズをかけて焼いたものという、最低限の食材で作られたものだ。まさしく貧乏人の食べ物と言うしかない。その頃イタリア北部は金持ちだったので、肉や魚をたっぷり使ったイタリア料理が完成していた。それが王族の婚姻のためフランスに伝わってフランス料理の原型となった。
つまりピザとはヨーロッパの宮廷料理からはるかに取り残された貧乏庶民の食べ物だった。その後、貧乏人の食べ物が多少金持ち風にアレンジされて、トッピングに肉や魚が乗るようになった。日本的に言えば最初は素うどんやかけそばの類の食べ物で、後になって上に天ぷらや揚げなど色々と乗るようになっただけのことだ。そんな貧乏人の食べ物をありがたがって高級食品に仕立て上げるのは、日本人の悪い癖だと思う。
そもそも高級蕎麦など、語義矛盾と言いたいくらいだし、ピザの高級専門店などと言われると、「立ち食い蕎麦の高級店みたいなものって何かおかしくないですか?」と言いたくなる。ピザ(ピッツァ)なんて、昔っからジャンクフードだったんだと。だから「マルゲリータ」をありがたがって食べてもね・・・、とへそ曲がりなことを思うのだ。

ヨークマートのパン屋の照り焼きチキンピザ

こうした想いから、スーパーのパン屋(インストアベーカリー)でピザが売っていると、うんうん、これが本物的なピッツァだなどと言っているのだが、実はピザとパンは生地が違う。脂や砂糖や牛乳を使い仕立てたのがパン生地でリッチな生地という。逆にピザの生地は貧乏人御用達だったから、小麦と塩とイーストのみ、リーンな生地。(リーンは薄いという意味、リッチの反対語なので貧乏な生地と言えば良いか?)
だからスーパーのピザはピザ専用生地を作っていない限り(ほぼ作っていないはず)パンの生地を流用するからリッチな生地のピザになる。つまり生地が甘くて柔らかくなる。リッチな生地の場合は、マルゲリータのようなストイックさが必要ないので、甘味たっぷりのソースや脂たっぷりの肉をトッピングにするとよく合う。

ロピアのテイクアウトピザ ポテトベーコン

結論として、パン屋のピザは照り焼きチキンがおすすめだ。マヨネーズ味もトマトソースより合うはずだ。ただし、見た目は照り焼きの茶色が前面に出た、なんともビジュアル的とは言えないピザになるが、味はとても日本人好みになる。宅配ピザチェーンでも、売れ筋ピザが日本的なトッピングやソースになるのは、生地がリッチになっているからだ。
ヨークマートのピザは20cm程度の大きさで480円、一人前としてはお手軽価格だ。

これも見た目はイマイチだが。ヒョかの分かれ目はポテトサラダの好き嫌いかもしれない。

スーパーでテイクアウト用のピザはだいたい25ー26cmサイズで千円を切るぐらいの値付けが多い。ところが、近くに開店したロピアでは、なんと500円という破格値だったが、一番売れていたのがポテトサラダが乗ったピザだった。これも惣菜パンの一種だと思えば納得だが、それにしても500円というのはすごい値段だ。本場アメリカではスーパーで売っているピザは40cmサイズで一枚千円ぐらいなので、日本のピザもそれに追いついてきたということかと思いながら食べていた。イタリア人が見たら気絶しそうなピザだが、それなりにポテトサラダのマヨネーズ味が良い。
開店特別売り出し価格と思っていたら、オープンセールの後でも590円で売っていた。ほか弁の焼き肉弁当と同じくらいの値段だ。

ああ、これはピザの新時代が来たのかもしれないと、ひとりで感動していた。

旅をする

城を旅する  郡上八幡城は山の上

郡上八幡の町は、高速道路のインターからすぐそばにある。というよりもあまりの山間地なので、街の隣にインターを作るしかなかったのだろう。インターから降りて国道沿いに街に入ると途端に対向車線のない道路になる。あちこちに道路の脇が広がっていて、そこで対向車をやり過ごす。昔ながらの街並みを残しているところでは、こうした交通のブラックホールが残っている。
そして、郡上八幡城の下にある駐車場まできてみたら、ほぼ満車。だが、なんと城の下にある駐車場が空いているというので進入した。これがまさかの歩行者と共用の一車線で、カーブを切るときには切り返しが必要なほどの山道。その曲がるところに歩行者が車を避けていると、まったく進めなくなる。ちょっと大きな車では通行するのも難しいなと思うが、そこをなんとか10分以上かけて山頂近くまで登り切った。休日だったこともあり、人と車でごった返す山頂駐車場で一息つく。これは歩いて登るのもしんどいが、車で登るのも神経的に厳しいものがある。

平日だあれば空いているかもしれない山頂駐車場

駐車場から歩いて10分程度でお城につくのだが、これがまずまずの坂道で、山城登城のしんどさを再確認。

石垣は野面積みなので戦国前期以前の築城だろう。

お城に上がる道もクネクネ通り曲がっているし、アップダウンすらあるから、確かに攻城対策は万全だっただろう。


天守閣は小ぶりだが、山頂に立つので流麗とでもいうべきか。

郡上八幡城 天守

ここから見下ろす郡上八幡の町は眼下に広がるが、木曽の河川を使った交流の元締めみたいな場所なので、さぞ昔は商売繁盛だったのだろう。しかし、毎日ここに登ってくるサムライ官僚たちはさぞかし大変だったと同情する。

郡上八幡の夏はとても暑いので、夏の登城登山は避ける方が良さそうだ。

書評・映像評

散歩エッセイではない うひょ!東京と北区赤羽

https://www.amazon.co.jp/dp/4575944696/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_8GB7DbBP3P9WC

北区赤羽

最近の住みやすい街ランキングで赤羽とその隣町の川口が上位に入ったようだ。確かに、埼京線と京浜東北線が交差する赤羽は、都心に出るにも便利だし、駅前のごちゃごちゃ感がなかなか良さげで、山手の小洒落た町より良いかなと個人的には思っている。

天井のかかったアーケード街というのが昔から好きで、地方都市の旧繁華街でアーケード街を歩くと、今はすっかり寂れていますという感じが悲しいなと思うことも多いが、赤羽はまだまだ人の賑わいも多く元気なアーケードだ。
赤羽のアーケード街に似ていると言えば、熊本とか鹿児島の南九州系アーケードか。人の元気さが似ているような気がする。仙台は駅から繁華街一番町に向かう一方的な流れが他の街とは違っているが、やはりちょっと赤羽っぽい気もする。逆に北国札幌や小樽のアーケード街は、実に寂しい。特に小樽のアーケードは寂寥感すら漂う。札幌のアーケードは、すでに外国人観光客に占拠されてしまったので、異国の地だ・・・。

赤羽がテレビの町歩き番組で紹介される時は、決まって飲み屋街、それも朝からオヤジとジジイが飲んだくれている店が紹介されることが多い。これは大阪の南部、通天閣界隈と同じ扱いだなあ、などと思っていたが、それを描き出していたのが初期の作品。今ではそうした飲んだくれ街の紹介はとうの昔に終わっていて、怪しげスポットもネタが尽きたようで、現在はほのぼの系な店を、それも1話完結ではなく複数回掲載という感じになってきている。初期の怪しげな店紹介が面白かったのだが、ほのぼの系もなかなか味があって良い。描き手の力量が上がったということなのだろう。シーンを「切り取る」ではなく、シーンを「描く」ようになったということだ。

Amazonで調べてみたら、「東京都北区赤羽」第1巻は、2009年6月発売だからすでに10年前の作品で、おまけに「印刷」された本は版切れらしく中古本は買えるが、電子出版Kindle版は見当たらない。この初期第1巻だが、たまたま本屋で「表紙買い」して面白かった記憶がある。ただ、その後、本屋で見かけることもなく、古本屋で見かけて続きを1−2冊買った。だから、初期の「東京都北区赤羽」は、今ではすっかりレア本だと思うが、1巻目から読む必要もないので(連続した登場人物がいるわけでもないし)、手近なところから順不動に読み進めても良いだろう。描き手の赤羽を面白がる視線にはブレがないし(面白い話とつまらない話は混じっているが)、赤羽って面白そうな町だなと思って読めば実に楽しい。実際に足を運べばもっと楽しい。

エッセイ漫画は、日曜午後の暇つぶしには最高のお供だ。これと合わせて読みたいのは「百姓貴族」。その話はまた別稿で。

食べ物レポート

日高屋とみそら 味噌ラーメンバトルin所沢

日高屋の味噌ラーメン

日高屋の味噌ラーメン

日高屋は、埼玉が誇るB級中華チェーンで大宮を本拠地に埼玉県と東京北部一円に店舗展開している。元祖ちょい飲みやでもあり、価格の安いことから昼でも夜でも混んでいる。とてつもなくうまいものを作らないという、食い物屋としては不思議なポリシーがあるようで、値段に合ったそこそこおいしいものを目指しているそうだ。だから、定番のラーメンも手抜きをしているわけではないだろうが、そこそこのうまさに落ち着いている。
同じ埼玉県で中華料理店を展開する餃子の満洲(ルーツは所沢)と比べると、ちょっと負けていると思うが、駅前に揃って出店していることはないので、競合状態もそこそこでやっていこうとしているのだろうしかし、餃子の改善はもっとしっかりやるべきだろうと思う。今の感じでは餃子の王将より落ちる。さて、日高屋の味噌ラーメンだが、もやしがたっぷり乗っていて、お得感はある味噌ラーメンだが、スープがおとなしいので、濃いめの味噌汁でラーメンを食べているような気がしてくる。東京周辺では、一帯にラーメンスープはあっさり目なので、こんな感じになるのか。札幌や博多のギットリと言いたいくらいの濃厚系ラーメンから比べると、大変おとなしいさらっと系というべきだろう。麺も札幌系のもちっとした歯応えはなく、歯切れも良い。埼玉のラーメンというより東京(首都圏)のラーメンの代表感がある。

みそらの味噌ラーメン

入間のみそら

「みそら」はイオン入間の中にある。実に薄暗い店なので、ショッピングモールでは珍しいと思う。こちらは麺を札幌から送ってきていた。麺の味がラーメン全体の味の半分以上を決定するかなと思うだけに、これはポイントが高い。東京の製麺屋も優秀だが、札幌西山製麺的な面にはお目にかかったことがない。
濃い味の味噌スープは、最近は標準となった豚骨ベースなので、口の周りはコラーゲンでねっとりとする。
奇妙な言い方だが、これは東京味噌ラーメン現在進行形なのだろう。札幌の昔からある味噌ラーメンは既に時代遅れなのだ。北海道全体でも、既にラーメンベースは豚骨が主流となっている。「山頭火」に始まり「白樺山荘」「けやき」などの行列ができる店は、みんな豚骨だ。

だから、この「みそら」のラーメンは現代の本流味噌ラーメン、しかも北海道風として認めよう。(偉そうに)
とりあえず所沢周辺では、この店が一番お気に入りだ。イオンの中にあるので混み方にはムラがある。土日の昼は行列ができるが、平日であればスッと入れる。

個人的には、日高屋は味噌ラーメン食べにいくには向いていないと思う。やはりみそらが良い。近くにある嘉藤も良いが、昼は行列必至だし。所沢周辺は意外と旨いラーメン屋探すの難しいのだね。

食べ物レポート

池袋 玉川の蕎麦

JR池袋駅東口、昔は三越だったビルが今はヤマダ電機に変わっている。その一角の小路にある蕎麦屋が玉川。立ち食い蕎麦ではないが、スタイルは食券でセルフサービスだから、座れる立ち食い蕎麦とでもいうべきなのか。実は、この業態は貴重だと思う。例えば、約束の待ち合わせ時間に少し間がある時など、喫茶店で時間を潰すことが多いが、そんな時に小腹が空いていたら、軽く蕎麦でもと思うのだ。しかし、普通の蕎麦屋に入るとガッチリ食べてしまいそうで迷ってしまう。そんな時の「座れる立ち食い蕎麦」はありがたいとは思わないだろうか。

この店では、そばは茹でたてが出てくることが多いので、値段の割に高品質なものが期待できる。そして、チャチャっと食べるならもりそばに限る。つゆはお江戸風のすっきりとした醤油が立つ辛めのもので、蕎麦の盛りかたもスッとたぐるのに向いた綺麗な並べ方。最近の町の蕎麦屋は、こうしたところを手抜きすることが多いので、もりそばを注文してもそばがぐちゃぐちゃに絡まっていたりする。そんな蕎麦屋には二度と行かない方が良い。新潟のへぎそばまでは行かないにしても、つまみやすく蕎麦を盛って欲しい。

また、ここの名物の一つが「肉そば」。いわゆるラー油蕎麦で、つけつゆは甘辛、ラー油が入って辛い。丼に盛られた冷たい蕎麦に牛肉の茹でたもの、胡麻と海苔がたっぷりかかっていて、長ネギも大量投下。いわゆる「みなとや」インスパイア系という奴だ。だが、これはいただけない。そばが「普通の蕎麦」を使っている。ラー油そばは基本的に、山形の板そば、冷たい鳥蕎麦などで使われる太めで歯応えがあるもの、もちっとした食感があるものが定番だ。普通の蕎麦のように細くて歯切れが良いのは、やはりラー油入りのつゆには合わないのだ。それでも何度か試してみたのだが、やはりこれは好きになれない。普通の蕎麦とラー油蕎麦用の太い蕎麦と、2種類持って欲しいと思うのは、自分だけではないと思うのだが。

ちなみにこの店は夕方になると、テーブル席で蕎麦宴会を始める人たちもいるので、夜にちょい飲みに来るのも良さそうだ。
天抜き(天ぷら蕎麦のそばを抜いたもの)や親子丼の頭(鶏肉の卵煮)などでいっぱいやるのも楽しそうだ。

蕎麦屋はもともとそういう飲み屋使いが本当だったらしい。

書評・映像評

三多摩原人とは何か 「東京都三多摩原人」   

表紙 by mason

https://www.amazon.co.jp/dp/4022513187/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_XJB7Db3ZFTK6P

三多摩原人

「孤独のグルメ」の原作者のエッセイで、東京都三多摩地区(東京23区の西にある市町村部)をあちこち歩いた記録。

基本的に散歩をして、たまに銭湯に入り、大体は締めに蕎麦屋でビールを飲む話などと書くと身も蓋もないということになる。が、実際には散歩を道具というか口実にして著者の過去にあった三多摩の原風景というか心象風景を語っているので、特別にグルメや名所旧跡を語るわけでもない。だから、ガイドブックとしてはあまり役に立たないし、著者の歩いた場所を追体験してみたいと思わせるようなものでもない。
逆に昭和30年代に生まれ、人生の半分が昭和、残り半分が平成という系譜を辿るには、こうした生まれた場所、そして育った場所の変遷を自分の目で確かめるというのが良い手法だと思わせる。
文体は簡潔で、わかりやすい。著者の本音語りが心地よい、肩肘張ってもいないし、人生を語るような高いところから視点でもない。東は田無、吉祥寺あたりから西は奥多摩の果ての旅館まで、電車と徒歩で歩き回った記録なので、東京西部はこんな場所だという理解の手助けにはなる。しかし、それなら「旅のガイド」を読めと言う話なので、やはり、ここは著者が育った昭和40ー50年代の武蔵野を一緒に感じてみるということなのだろう。24本の短編でかたる武蔵野あるあるみたいなものか。

お散歩エッセイとは、大方そんなものかもしれない。

食べ物レポート

ラーメン  北海道対決

北海道の変わり種 カレーラーメンはスープカレーのルーツだ

またラーメンの話だが、これは季節的偏差というもので気温が高いうちはラーメンの試食がしんどいので蕎麦や中華料理を食べている。夜の飲み会では魚が多いし、季節や旬の食べ物に手を染める。だから、気温が下がった時こそ集中的にラーメン。と言ってもせいぜい週に二回も食べれば立派なものだ。

千歳ラーメンのカレーラーメン

さて、千歳と苫小牧の間にカレーラーメンの有名店がある。最近は観光客がバスで押し掛けるようになり、店内は改装されセルフサービスになった上に値上げしていやがった(と文句の一つも言いたくなるくらいサービスレベルは低下した)ので、もう行かないぞと見限ってしまった。千歳にはこのカレーラーメンを提供する店が何軒かあり(コピーだろうけれど)、まあ、あまり困りはしない。
一番お手軽なのが千歳空港フードコートの千歳ラーメンで、ここのカレーラーメンはまあ標準的なレベル。見た目は、あまりカレーっぽくないが、食べればボンカレーっぽさがあるマイルドカレー味だ。トッピングも含め、何一つ尖ったところはない。が、これで良いのだろう。そもそも千歳空港でラーメン食べるときに、カレー味頼むのも微妙におかしい気がする。まあ、空港で最後に食べるラーメンということであれば、やはり有名店が立ち並ぶラーメン道場のほうに行くだろう。このフードコートでラーメン食べているのは、空港内で働いている地元従業員くらいではないのかな。
カレー味にしたラーメンスープが、スープカレーのルーツだと聞いたことがあるが、まさしくそんな感じの味がする。北海道では相当変形の部類に入るカレーラーメンだが、期待を裏切らない程度にはうまいと思う。

北海道味噌ラーメンの系譜 純蓮の拡散

高田馬場 羅偉伝 醤油ラーメン

高田馬場がラーメン激戦区だった頃(今はだいぶラーメン店が減ったような気がするが)、札幌味噌ラーメンの名店「純蓮」が支店を出した。横浜のラーメン博物館出店の後だったような気がする。どちらにしても、当時は珍しかった札幌味噌ラーメンが手近な街で食べられるということで、随分重宝した。純蓮の味噌ラーメンは、地元でも小一時間の行列待ちは当たり前の人気店だが、いわゆる老舗のラーメンとはちょっと違う。冷めないようにと、スーウの表面を厚く油が覆う。だから、湯気が出ない。それを舐めてかかって一気に食べようとすると、油の熱さで火傷する危険ラーメンだ。要は、普通のラーメンとは違う。観光客どころか地元民泣かせの「特殊ラーメン」なのだ。
そんな純蓮高田馬場店に、しばらく行かないまま、気がついたら改装されて店名が変わっていた。これはもう残念至極だったのだが、どうやら味噌ラーメン屋らしいので入ってみたら、なんと札幌味噌ラーメン、純蓮の暖簾分けだったらしい。だから、ラーメンは純連的正統性を保っている。麺はサッポロ風の中太縮れ麺、スープは豚骨ベースでコッテリ系の味噌味。これでもう少し油膜が張るほど油が入って入れば、オーソドックス純蓮と言っても良い。濃い味付けと歯応えの残る麺がマッチしている。こんな濃い味の店にもしっかり女性客(おまけにソロ)はいるので、札幌ラーメンも東京に定着したことがわかる。

九州系の白い豚骨スープも良いが、やはり味噌や醤油で黒くなったスープが好みだ。自分のルーツを再確認させてくれる食べ物であり、出来れば月に1回くらいに我慢した方が良さそうな代物でもあるのだよね。

食べ物レポート

札幌ラーメン 老舗対決

満龍といえば・・・なんだろうか?

満龍はススキノの南のはずれ

札幌のススキノにある満龍は、実に長い歴史がある(はずだ)。今でこそ、辛味噌ラーメンなどという時代迎合風のラーメンも売っているが、基本的に味噌か醤油にチャーシューという豪腕ラーメン店だった。東京恵比寿ガーデンプレイスに店が出ていた時は、随分とお世話になった。東京の支那そばにルーツを持つ東京ラーメンにはどうしても馴染めず、かといって札幌ラーメンどころかご当地ラーメンが、今のように隆盛を極めている時代でもなく、ラーメン不毛の地東京と嘆いていた。だから、満龍は本当にありがたかったのだ。池袋や銀座に札幌ラーメンを名乗る店はあったが、個人的にはみんなエセ札幌だった。麺が違うことが最大の原因。

なので満龍には足を向けて寝てはいけないっくらいのありがたさがあり、ついススキノで締めラーメンという時には足を運ぶ。今回も久しぶりで、漢人王しながら帰ってきたのだが、なぜか周りの客はほぼチャイニーズという異様な状況で、これも時代だなあなどとため息を一つ。万流の味噌ラーメンはシンプルの極みというか、最低限のトッピングしかない。これをさみしいとみるか、オーソドックスと見るかは年齢の差から来るものだ。スープは昔ながらで化学調味料たっぷり。これが嫌いな方には向かない。夜に食べるのは、歳を考えると控えめにねという感じで、麺を半分残して諦めることに。

大公といえば・・・醤油のはずだが

大綱は南2条通り 5丁目の角

「大公」も古い。昔、この辺りには東映の映画館があり、ヤクザ映画・カンフー映画全盛の頃は実に賑わう場所だった。すぐそばの狸小路にも何軒か映画館があり、周りには飲食店、ラーメン屋などが軒を連ねる昼の盛り場だった。今はすっかりビジネスホテルが立ちならび、怪しげな店は消え去り悲しい限りだが、大公の周りの一画だけはまだ店が残っている。隣の喫茶ZAZIは、今でもお世話になっている。

ここの味噌ラーメンは、ちょっと色が薄く、もやしと挽肉炒めが乗っている伝統的な形だ。チャーシューは乗っていないが、これは味の三平も同じだったと思う。この店は、ビジネス街の端っこあたりなので、さすがに外国人環境客はいないかと思ったら半分がチャイニーズだった。どうやら、狸小路でお買い物とラーメンはセットになっているようで。
本当は醤油ラーメンの方が好きなのだが、現在は味噌ラーメンの比較研究中なので仕方がない。この店も(というか札幌の老舗ラーメン屋は全てだろう)化学調味料で舌が痺れるくらいの昔懐かしい味がある。無化調をありがたがる人も多いが、所詮ラーメンは脂質、糖質、塩分の三拍子が揃った大人の嗜好品だ。健康を気にしながら食べるようなものではない。うまいものは体に悪いという言葉を実践しているのだから、もって瞑すべきだ。
せめてラーメンライスはやめよう、せめて餃子を頼むのはやめよう、くらいでよろしい。

老舗の味噌ラーメンは、きっぱりと罪悪感を感じながら食べる悪徳なる美味。それのどこが悪い。ちなみに、味噌味の濃い目が好きなら満龍がおすすめ。