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食べ物レポート

懐かしのスパゲッティ チロリン村

「チロリン村とくるみの木」と言っても、なんのことだかわからない人がほとんどだと思うが、これは遥か昔にNHKが放送していた番組名だ。高齢者の郷愁の中にしか存在しない。その「チロリン村」を店名にしたスパゲッティチェーン(パスタではない、スパゲッティ。ここ重要だ)が札幌にある。確か(おぼろげな記憶モードであるが)札幌地下鉄東西線円山駅にあった小さな店が始まりだったような。サイトを調べて見たら現在9店あるらしい。しかし地下鉄駅の店はなかった。

店名に冠された、ゆであげスパゲッティの意味は、実に懐かしい話だ。当時(昭和40-50年代)のスパゲッティは、大量に茹でおきした麺を炒めて仕上げる「ナポリタン」的なものが大半であり、いわば焼きそばの洋風版的な提供がほとんどだった。だから、麺にアルデンテなど求める方が間違いだった古き良き時代。ところが、注文が入る度に麺を茹で、時間がかかるが麺の質感の良いスパゲッティを出す店が出現した。同時に、イタリアンというか洋風以外の味付け、醤油や明太子といった和風味の提供も始まった。おそらく渋谷の「壁の穴」あたりが発祥で、全校区に広がったものだと思われる。それの札幌版が「チロリン村」ということだったのだろう。だから、この店は喫茶店のスパゲッティとは違うんだよという意味で、ゆであげスパゲッティと言い始めたのだと思う。

当時の高校生や大学生がこぞって押し寄せていた、いわばトレンド感度が高い店で、そこで注文するのは「箸」を使って食べる「納豆スパゲッティ」だった。(くどいようだが、パスタではないし、スプーンを使いフォークでくるくる麺を巻きとるこじゃれた?食べ方でもなかった)
言い訳ではないが、手垢のついた古びたメニューであるナポリタンを注文することはほとんどなかった。ナポリタンならどこの喫茶店でも食べられたからだ。

長い前置きはここまでで、実に何十年ぶり(大げさだが)かで、チロリン村のナポリタンを食べることにした。今やすっかりオヤジ化しているので、まずビールなどを頼んでみる。当然、サッポロクラシックとなる。

ビールで時間を潰すこと暫し、ナポリタン登場。海苔がかかっているのがユニークだ。ベーコンと玉ねぎというシンプルな具材で、おそらくトマトケチャップで味付けされたもの。小洒落たニンニクベースのトマトソースなどではないトマトケチャップ。ただ、油分が少ないので麺にケチャップが吸収されてしまい、なんだかもたついた食感がする。団子化しているのだ。うーん、期待とちょっと違うぞ。トマトチャップをソースがわりに使うときは、これでもかと油を入れて乳化の手助けをしておかないとこうなってしまうのだよね。ケチャップと油をケチると、家庭版ナポリタンになってしまい麺と麺がくっついてしまうのだ。まあ、それでもワシワシと食い切るのが、オヤジの食い方だが、麺を食うというより噛みしめるような食べ方になるのは仕方がない。スルスルではなくモグモグだ。そして、フォークなぞ使わず箸で食うのだ。最後に残ったビールで一気に口の中の麺を流し込む。

確かにこうした野蛮な食い方は学生の頃はできなかったなと、食べ終わってから周りの席を見渡したらやたら女性客が多。みなさんクリームソースやオイル系のイタリアンなパスタを召し上がっていた。どうやら誰も納豆スパゲッティなど注文していないようだ。あーあ、そろそろ店名変えた方が良いのではないか? 北海道産小麦を使った創作パスタの店とかにね。

食べ物レポート

えん ふたたび

最近の新宿のお気に入りが、「えん」という居酒屋で席と席のスペースが広く、居酒屋特有の話し声が反響してワーンといった煩さをあまり感じないのが良い。そして料理も手の込んだ一品というより、きちんとした手順を踏んで料理した感じがするのが好ましいところだ。大振りの皿で出てくる料理は一人前と言うには少し大きかったり、多かったりするのだが、それを二人で分け合うとちょっと物足りないと言う絶妙なバランスだと思う。だから、この店では基本的に料理は独り占めすることにしていて、注文の時に同席している知人や友人に、〇〇頼むけど、食べたいかと聞く。食べたいと言われれば二皿注文する。シェアはしない。それで量が多いと言うのであれば、それまでだ。

鉄板ではなく溶岩で焼くと肉はうまいそうだ。溶岩は熱をよく内部に溜め込むので、じっくり焼けると言うような理屈だったと思う。確かにうまいような気がするので、ずいぶん昔に富士五湖近くの道の駅で溶岩プレートを買ってきた。溶岩プレートは割れやすいと聞いたので予備を含めて3枚買ったのだが、今だに三枚とも現役だ。たしかに溶岩プレートで一人焼肉をすると、鉄板で焼くより時間がかかるがうまいような気がする。そんなことを思い出しながら、溶岩プレートで焼いた鶏肉を岩塩で食べる。大葉が良いアクセントだが、これが洋風の香草でもうまいだろうな。

また、いつも注文するのが魚のカブトだが、煮魚では頭のところが一番うまいのではないかと常々思っている。ただ、実は兜煮で一番うまいのは、魚の出汁がでた甘辛つゆで仕上がったゴボウだろう。家でこれをやれば翌朝には、つゆの残りが固まって煮凝り風になり、それを熱々ご飯にかけたものが楽しみなのだが、居酒屋ではそうもいかない。ガーリックトーストがあれば頼んでみるのだが・・・といつも感じる。魚の煮物で、魚は主役ではないなと思う今日この頃。
そもそも旨い煮魚を出す店は絶滅危惧種認定しても良いくらいだから、この店は貴重だ。ちなみに池袋やなどの大型ターミナル駅周辺にも支店はたくさんあるようだが、好みは新宿店。上の階が外国人観光客に人気の食べ放題店なので、エレベーターはちょっと混み合う。予約してから、待ち合わせの時間より少しは早めに行くのがお勧め。

書評・映像評

横浜駅SF  日常の非日常化

表紙 by amazon

横浜駅sf

ロードムービーという映画のジャンルがある。要は旅をする主人公を描く物語で、少年が旅で成長する、青年が旅で世のほろ苦さを学ぶ的なストーリーと理解している。主人公の性別は問わないが、男の子が登場することが多いと記憶している。

SFでも旅を背景にした物語は多い。「ポストマン」が典型的な名作だ。あえて言えば戦争SFの名作と言われる「宇宙の戦士」も、兵隊があちこちに出張っていく物語といえば、そう言えないこともない。日本SFで言えば筒井康隆の名作があるが、なんと言っても旅作家椎名誠の「アド・バード」が、旅SFでは屈指の名作だと思っていた。

この本も読んでいるうちに、なんだか「アド・バード」に似ているなあと思っていたら、後書きで著者が「アド・バード」が好きで、その影響が・・・みたいなことを書いていたので納得した。

作品世界は横浜駅が全国に膨張していく時代の話で、そこに聴き慣れた単語「スイカ」「自動改札」「青春18キップ」「JR」などが頻出するのだが、自分が理解記憶している単語と作中単語は似ているようで異なっている。このズレ感が楽しい。また様々な世界事象を説明する造語、例えば「構造遺伝界」や「JR統合知性体」、「N700系電気ポンプ銃」などドキドキものの単語が並ぶ。正統SFではこの怪しい造語とガジェットが必須備品なのだが、これが実に楽しく散りばめられている。

主人公が、自分探しの旅に出て、意図せずに巻き込まれた事件が、既存社会を崩壊させる引き金を引くことになったという話なのだが、世界を救うような使命感を最後までもたないまま怪しい世界を彷徨うという、まさに王道的ロードムービーで完成度は高い。悪役も出てこない、敵役も出てこない、淡々とした話の流れが逆に心地よい。

サイバーパンクと言われた諸作もガジェットと造語の嵐だったが、それよりもはるかに分かりやすい。ただ、できればもうすこしこの横浜駅に占拠された日本を覗いてみたいという欲求に駆られる。続編ではその辺りが書かれているようなので、2冊合わせて異世界を堪能することにしよう。

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食べ物レポート

一番館 ジャンクなうまさか?

東京の都心部で見かけることの多い、中華食堂一番舘。たまに入ってみて「ああ、確かにこういう質の店だった」と若干後悔することになる。ところが、しばらくするとその記憶が飛ぶのか、また入ってしまい、またちょっと後悔する困った店だ。
価格は果てしなく安い。おそらく牛丼チェーンより安い。サイゼリヤの下を潜る価格帯だし、マクドナルドで食べるよりも安い。だから、店内には若い客が多いし、皆元気にもりもり飯や麺をかき込んでいるという印象がある。最近安い店にはいつの間にかジジイ連中が集まってくることが多いのだが、それもこの店ではあまりない。
サイゼリヤが昼と夜で客層がわりするのは、昼の主婦高校生から夜のジジイのちょい飲みに、まさしく業態転換してしまうからなのだが、この店は昼も夜もガツンと飯食おうぜというファイティングスピリット旺盛な客に占拠されているという印象だ。

さて、安いメニューの典型は、揚げ餃子。甘酢の餡掛けになっているのだが、コスパが良いとは言い難い。単品ではお値段相当の価値というところか。餃子は中の餡の質でごまかしやすい商品だから、ここは素直にごまかされておこうという理解をしておく。ただし、これがラーメン¥290に追加で頼むサイドとして考えれば、立派に役目を果たしてくれる技能賞的商品だ。

酒のつまみにネギチャーシューというのも、中華料理屋では定番だが、町中華ですらネギチャーシューは餃子よりも高かったりする不思議なメニューだ。ところがこの店では、なぜかふっきたような安さで、餃子とネギチャーシューを頼んでも懐がいたまない。ただし、コスパが良いかと言われるとまた疑問符がつきそうだ。ひょっとして、これは白米を注文して、上にかけてネギチャーシュ丼にでもするべきだろうか、などと考えてしまうある種バランスの悪い味なのだ。ところが、これも揚げ餃子と同様に、ラーメンのお供とすればなかなか良い役を果たしてくれる敢闘賞的サイドメニューなのだ。

一番シンプルな黒ラーメンを頼み、サイド二品を頼んでも1000円でお釣りが来る。広東麺や天津麺などのお高いラーメンを頼むより、サイドとセットで注文するのがお得な中華料理屋と考えれば良いのだろう。ちなみに新宿の店は、昼前から餃子でビールを飲んている若者グループがいたが、これが場所柄で深夜勤務明けの飲み会だったようだ。なんだか、その横でラーメンを食べているこちらが申し訳ないような気がしてくる。

一番安いシンプル黒 ラーメン

元気な街に元気な中華料理店、ここに入るには少し歳を取りすぎたということかと、またちょっと後悔しながら店を出ることになった。

食べ物レポート

蕎麦屋でちょい飲み ゴマそば八雲

この蕎麦屋で飲むという行為だが、なんとなく東京ローカルな習慣ではないのかという疑問がつきまとう。全国紙であるグルメ雑誌で特集される高級蕎麦は、どこも夜のつまみで一杯的な話が描かれているが、実際にはこういうことをする蕎麦屋はごく少数ではないかという疑いだ。
「立ち飲み」と「蕎麦屋で一杯」は、貧乏なお江戸のサラリーマンの風習という気がしてならない。

だから出張先で蕎麦屋の前を通るたびに「ちょい飲み」的な広告を探す癖があるのだが、なんと札幌で駅近の蕎麦屋がスタンプカードまで発行して「ちょい飲み」需要開拓を図っているのには驚いた。この店は駅地下にあるので、夜でも蕎麦を食う客で混雑している。お江戸の蕎麦屋は夜が空いてしまうので、ちょい飲みで対策しているのだから、昼も夜も混み合う繁盛店で「ちょい飲み」やる意味はどこにあるか?とは思うが。オフィスビルの地下だとありそうな話だが・・・。

まあ、能書きはこれっくらいで。札幌駅地下のレストラン街 paseoの繁盛店といえば、このゴマ蕎麦「八雲」と鮨「はなまる」が双璧で、いつでも行列ができている人気店。その八雲のちょい飲みセットが、¥1800で、アルコール2杯、つまみ二品、締めの蕎麦というまあ気持ちの良い組み合わせなのだ。スタンプカードで10回たまると、一回無料サービスというおまけもある。酒の種類も多い、つまみも蕎麦屋的つまみから居酒屋風までたっぷりある。

まずは居酒屋でもあまりお目にかからない、焼きなすを注文。最近、ナスの焼き浸しみたいなものを含めて、居酒屋のメニューでは絶滅したかと思われるナス料理だが、確かにナスとキュウリは季節感がなくなってしまったからなあと諦めていた。焼きたての熱々のナスをふうふう言いながらだし醤油と生姜で食べる。いやいや、子供の頃は全くうまいと思わなかったものが歳をとると妙にうまく感じるようになっていくのはなぜだろう。イタリアンではよく口にするナス、中華料理でも麻婆茄子はほぼ定番メニューだが、なぜか居酒屋からだけ消えかかっているメニューをありがたく頂戴した。

次は、オーソドックスに鳥の唐揚げ。前は仕事柄、どこに行っても鳥の唐揚げとピザは「必ず頼んでいた」ものだが、今はそういうしがらみもない。ただ、久しぶりにかつ単純に熱々の揚げたて唐揚げを食べたくなった。もも肉の唐揚げは、やはり酒のつまみとしては絶品だななどとおもいつつ、熱い油で口の中を火傷しながら食べる。北海道名物ザンギと微妙に違う、鳥唐揚げが妙に日本酒にあうな。個人的趣向でレモンは唐揚げにかけない、そのまま食うことにしている。口の中がレモンの酸味でさっぱりするのがよろしい。

盛りは普通の半分くらい

そして、締めに盛りそばとなるが、この分量はほぼ通常のセイロの半分なので、締めとしては適切な量だ。正一枚出てくるとちょっと重い。この店「八雲」の売りは、そばにごまが練り込んであるゴマ蕎麦。そしてそのクセのあるそばに負けない、つゆの濃さ、強さだ。
蕎麦屋でちょい飲みを自分流「孤独のグルメ」とおもうか、侘しい一人酒と思うかは、人それぞれの思いだが・・・。個人的には「孤独のグルメ」派を気取っていたい。
補足しておくと、札幌の都心部では蕎麦屋が少ないこともあり、蕎麦屋でちょい飲みがむずかしいことも事実なのだ。

食べ物レポート

札幌ローカルパン

日本あちこちを旅していると、ローカルグルメ、地域の名物にお目にかかることは多い。駅弁などはその典型的なローカルフードだと思うが、実はパンも相当にローカル特化したものがある。生まれて初めて東京で暮らし始めた頃に気がついたことが「なぜか、東京には豆パンが売っていない」だった。某テレビ番組「ケンミンショー」でのお決まりのセリフ、この〇〇は、この地域でしか・・・。まさしく、豆パンがそうだった。北海道ローカルパンだった。その後、四国の一部や北九州の一部で似たような豆パンを発見したが、それは北海道の豆パンとは関係なく並行進化したものだったらしい。岩手発祥のべこ餅が北海道で広く知られるようになったのとは違うようだ。

ニチリョウという札幌のパン屋が製造元
山崎にヨーカンパンは見たことがない

さて、北海道しかないのだと言われて、ああ、なるほど、そりゃそうだろうと思ったのが「ヨーカンパン」で、柔らかめのコッペパンに薄く羊羹がかかっているというものだ。味はまさしく羊羹そのもので、価格が安い場合は羊羹コーティングだけ、高いものになると中にクリームが入っていたりする。なぜパンと羊羹が合体したのかと推理すると、おそらくアンパンからの異系統進化なのだと思う。水羊羹を作る時の要領で、羊羹をソースのようにかけてみたということではないかと思うのだが、真相はわからない。
「久留米ホットドッグ」や「青森のイギリストースト」みたいなローカルでは超有名なパンの一種に該当する。

期間限定 ローソン・コラボパン

もう一つは北海道では圧倒的な知名度を誇る「水曜どうでしょう」コラボのミートパイを発見した。これは2019年秋に行われた公開イベントに合わせて発売されたローソンコラボ商品で、味はなかなかのものだったが、なんといってもコラボの相手が北海道ローカル番組というところが良いなあと・・・。季節限定商品だけに、たまたま買えたらラッキー的な代物だった。

旅をしたらスーパーでパン屋に行こう。

旅をする

ショコラティエ・マサールでソフトクリーム

目的が仕事であれ、趣味であれ、旅行の帰りに空港や駅でちょっとしたおいしい発見をすることがある。わざわざそれを買いに行くほどでもないが、帰りのついでだったらぜひ寄って行こうという感じか。

札幌にある、有名ショコラティエが千歳空港に出店している。空港待合室の中と外両方に出ているらしい。ANA側の待合室にあるイートインコーナーで、お土産用にも売っているのだが、実はここの一押しがパン・オ・ショコラだ。札幌駅の店では開店同時に消えたなくなるという幻級の品物だが、なぜか千歳空港店では夕方まで潤沢に買える。おひとつで三百五十円くらいするので、超高級パンともいえるが、これが本当に旨いので、機会があればこれを買って買えるのだが、決してお土産にはしない。また買ってきてくれと頼まれても困るのだ・・・。
うまいものは独り占め。

それで、パン・オ・ショコラを無事ゲットできたら(たまには売り切れていることもある)、次にソフトクリームを注文する。これも超高級なソフトクリームだと自分では思っているが、甘さが控えめでチョコレートの味が実にがつんとくる名品。おまけに糊成分が入っていないのか、滑らかで実に溶け出すのが早い。だから、せっせと食べなければいけないが、慌てるのが嫌な人はカップにすれば良いだけだ。スーパーのフードコートなんかで売っている量産品とは桁違いの高品質だ。

空港へ15分早くいけば、この至福のソフトクリームが食べられる。千歳空港8番スポット周辺(?)でお楽しみあれ。

食べ物レポート

福鳥本店 焼き鳥屋ってこうなんですよ

焼き鳥という業態は一体何時ごろからあるのだろう。
とりあえず知っている焼き鳥屋で一番古いのはこの店だろう。狸小路とススキノに挟まれた南三条通(札幌)は、昔から小体な店が開いては消えする不思議ストリートだ。消滅する店も多いが、アップグレードして引っ越して大店になることもある。そんな三条通の老舗焼き鳥屋福鳥の横は、札幌最強の焼き鳥チェーン「串鳥」が並んで営業中。若い人は串鳥派が多いようで、高齢者は福鳥へ。客層の棲み分けと言えば聞こえは良いが・・・。

昭和21年創業か、闇市があった時代

福鳥の焼き鳥は一皿の量が多い。一人で行って二皿注文したら持て余す量だ。もつ焼きやであれば「タン」を頼むのも良いが、札幌ではもつ焼きと焼き鳥の区別は明確ではないので、福鳥のタンはあくまでも焼き鳥屋のメニューということだろう。もつ焼きやのタンといえば、厚さ5mmくらいに薄切りにしたタンが横から串が刺さっているというイメージがある。(要はペラペラな焼肉状だ)福鳥のタンは、串焼きという形状ではない。なんというか、一番近いのはバーベキューの串?だろうか。厚みのある肉をもぐもぐと食うのは良いのだが、どうも調子が狂う。

豚のタンを金串で

この時期にうまいのはニシン漬けで、キャベツとにんじんと大根と麹の漬物だが、アクセントというか味付けで身欠ニシンが入っている。昔はどこの家庭でも冬になる前には漬物をつけらていたものだが、今や絶滅危惧種で、ジジイたちが懐かしがって食べる滅びゆく郷土食だ。昔は金持ちのうちでは野菜と同じくらいたっぷりと身欠ニシンが入っていた。貧乏人のうちでは身欠きニシンは探しても見つからないくらい少量しか入っていない、階級差の目立つ食べ物だった。漬物としては生臭く、かつ、麹のせいで発酵が進み急激に酸味が増していく。最後は漬物樽の表面があぶくでブクブクしていた。

懐かしのニシン漬け ニシン少なめモード

そんな野蛮な食べ物はスッカリ消滅して、今や工場製で安全管理のしっかりしたニシン漬けしか売っていない。自家製だと酸味が増す過程が楽しみなんだがなあ。北海道の秋の風物詩、漬物漬けももはや見ることができないから、せねて焼き鳥屋で食べることになる。

工場製のニシン漬けを賞味期限無視で冷蔵庫内で保存しておくと、実は酸っぱいニシン漬けの再現が可能なのだよ。ただし、発酵と腐敗は紙一重、自己責任でね。

食べ物レポート

味噌ラーメン 初代とよし乃

札幌駅前にある専門店ビルESTA(旧そごう)の最上階にあるレストラン街、そこの一角にラーメン共和国というラーメン屋の屋台村のようなものがある。定期的にテナントが入れ替わるので、飽きがこないのが良いところだろう。

詳しくは看板を読めばわかる

小樽「初代」は、小樽の町外れの一軒家ラーメン店で、そろそろ20年近くになる。不便な場所でありながら昼は行列のできる名店だが、札幌豚骨系スープの初期の開拓者でもあった。初代に行けば醤油と決めていたが、ラーメン共和国に出店していたのを思い出しふらっと寄ってみて、たまには味噌ラーメンも食べてみるかと。

このラーメン共和国は、仲が昭和レトロというか映画「三丁目の夕日」的な設定なので、ともかく中が暗い。写真を撮りづらい環境だ。とぶつくさ言いっているうちに「味噌ラーメン」が登場した。豚骨系スープに味噌というのは、これがなかなか難しい。相当濃い味付けにしなければスープに負けてしまうが、味噌味を強くすると豚汁になってしまう。豚骨スープの流行始めに味噌味がなかったのも当然だ。この初代でもその難点はやはり存在していて、醤油と比べるとちょっと味が弱め(十分濃厚ではあるがバランスの問題だ)。麺をもっと細めにしてスープの絡みを増せば良いのかもしれない。全体的な評価とすれば、やはり醤油味がよろしいかな。

札幌の味噌ラーメンといえば元祖「味の三平」と言いたいところだが、「よし乃」も捨てがたい。札幌の老舗ラーメン屋は、当然ながら昔風のスープの取り方なので、鶏ガラ+野菜というシンプル系が多い。それでは味が弱いので、化学調味料を大量投下(個人的にはこれを否定しない)して、味噌味に負けないように仕上げるという手法だ。

これぞ味噌ラーメンのルックス

「よし乃」は、この昔懐かし系の店よりも濃厚だと思うが、何せノスタルジックな味なので、舌がこれを喜んでしまう。麺も硬めのチャーシューも、もやし炒めも全てがありし日のバランスなので文句はつけがたい。札幌に観光できた人がイメージするのはこちらの味付けではないか。札幌ラーメンでは定番の中太縮れ麺がよく合うラーメンという感じだ。こちらは札幌駅地下街にあるので利用しやすい。

ちなみによし乃本店は旭川らしいので、正確にいうと旭川味噌ラーメンということだ。

書評・映像評

明治維新という過ち

表紙 by amazon

この本の主題は、二つあるのだと思う。
一つ目が、「明治維新」という言葉は、昭和初期の軍事クーデター(226,515事件)を図った連中の造語であり、昭和維新を語るために「明治維新」という言葉で美化したというものだ。そして、テロリストが昔のテロを美化するとはとんでもない思想だと断罪する。
二つ目が、「司馬史観」が、明治新政府を賛美するのは間違いだと、これもバッサリ切り捨てる。確かに司馬遼太郎作品は戦国期ものと、明治の前後のものに大別されるが、徳川政権をバッサリ切り捨て、明治政府を無条件に賛美する風がある。そして、自分が巻き込まれた昭和の戦争期前後については、沈黙したままだ。

「明治維新」をどう捉えるかについては、勝った官軍が自分たちを美化したという指摘は正しい。そして戊辰戦争後の明治政府が薩長同盟から長州単独政権になっていく過程で、徳川体勢=悪、薩摩=初めは仲間だが、悪になった、長州勢力=正義の味方、と書き残されたのだろう。そして生き残った長州勢力が陸軍を仕切り、大陸進出から世界相手の戦争へと突き進む構図だというのだ。これもああお胸正しいだろう。
だから、戊辰戦争とは西国下級武士の藩政クーデーターによるテロ組織創出、そして西国での広域連携した上で、現政権たる東国への反乱であると規定する。西日本出身者には、自分達が正義と思っていた歴史を否定されるので、甚だ面白くないかもしれないが、東国出身者、特に東北諸県では強いされるしそうだと思う。昨年も鹿児島で見たのは明治維新150年記念展示で、仙台で見たのは戊辰戦争150年展示だった。いまだに同じ歴史事象の捉え方が日本の西と東では大きく異なっている。

「司馬史観」についての論評も厳しい。ただ、司馬作品が中国戦争から太平洋戦争まで(著者は大東亜戦争と呼ぶ)の前後について、全く書いていないのは度々他の評論でも見る。小説以外でも、司馬氏は明快な論評を避けているテーマであったようだ。徳川体制を嫌い、戊辰戦争前後の(著者いうところの)テロリストを、次の時代を切り開いた若者と描くことに反発があるのだろう。「竜馬が行く」では、「龍馬」と書かなかったことで逃げを打っていると指摘する。吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など教科書に異人扱いされている長州出身者を、バッサリとならずもの、小物扱いで、昭和に続く悪しき時代を作った元凶と言い切っている。司馬作品を好んで読んでいたが、確かに著者の指摘する英雄偶像化があるようだ時がついた。確かに竜馬が行くの主人公は爽やかすぎるのだ。歴史小説はあくまでも小説であり、ファンタジーなのだろう。実際に、竜馬が、西郷隆盛が、大久保利通があれほど爽やかでいいやつだったはずもないのだ。京都であれだけのテロがくりかえされる中で生き延びたということは、それだけで「良い人」だけではなかったという証明だろう。「いい人」や「軽率でおバカな人」はテロの嵐の中では生き残れない。

論の後半は、戊辰戦争で東北諸藩、奥羽越列藩同盟とならず者官軍(自称)との話になるが、ここはかなり情緒的な話になる。ただ、明治維新ではなく戊辰戦争と言い切る東北人の恨みは、それこそ千年かかる課題であり、加害者視点では理解できない重さなのだということも納得がいく論点だ。ましてや、東日本大地震での福島原発事件がある以上、明治政府対東北諸藩という構造が、平成の世で蘇った感もある。山口県出身の首相が、福島県に行って融和を求めても、なかなか同意は得られないことだろうとも思う。

少なくとも歴史教科書に対する様々な議論がある中で、この本の訴えかける「長州=官軍が作った歴史観に反対する」ということについては、歴史記述の公平、標準化を言う時に、ぜひ考慮しなければいけない論点だろう。

テロリストが作った明治政府を、いいように利用した昭和軍閥が描いた明治維新という歴史。そして敗戦により戦勝国寄りに書き換えられた近代史。少なくとも150年前と70年前の戦争による大混乱で、歴史が歪められたのは(勝った方が自分は正義で、負けた奴は悪い奴だったから退治されたという論理を通した)否定できない。
思想的には偏っているかもしれないが、近代史を再考するには良書だと思う。

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