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ハワイ雑記 その2 食べたものを覚えていない?

ワイキキの浜と言ったのは、一体誰だったか。ハワイにいた時に遊びに来ていた誰かだったはずだが、世界に冠たるビーチを「浜」呼ばわりするとはと、記憶に残った迷言だった。そんな日本からの訪問者をもてなす?には定型パターンがあり、「サークルアイランド」と言う島一周のドライブだった。ワイキキを起点に時計回りにオアフ島をぐるっと一周すると大体4時間から5時間かかる。フリーウェイで西のパールハーバーあたりまで行き、アロハスタジアムを見て、そこからH3、北行きの高速道路でドールのパイナップル畑で休憩。その後、オアフ島北端の街に行って「ここがビッグウェーブの場所だ」とサーフィン話を少々。この北の街は確かに鄙びた田舎町風(今ではすっかり観光地だが)で、そのあと島の東側を周りながら、映画に出てきそうな断崖とジャングルを見る。時間があれば水族館(シーライフパーク)や民俗村(ポリネシアンカルチャーセンター)などを見物。そしてダイヤモンドヘッドの裏側から、オアフ島の高級住宅街を抜け、ワイキキに戻ると言うコース。バスツアーでも同じような行程があるようだ。そのオアフ島北部、そして東部が実に風の強い場所で、椰子の木が斜めに生えているわけがよくわかる。

そして、ハワイ訪問者を連れて行くのは、高級レストランだったことはない。普段使いしている「カジュアルレストラン」がほとんどで、ドレスコードなどありはしないお気楽さだった。Tシャツ、短パン、サンダルで平気で入ってて行くような店だった。そんな昔を懐かしみ、久しぶりに入ったダイナーで注文したもの。
多分これは春巻きだったと思うが、なにぶん数年前の記憶のためはっきりしない。スプリングロールと言っても、レストランによってはトルティーアを使っていたり、なんと言うか自由奔放に料理を改造する土地柄なので(これをパシフィック・リムなどと格好つけているが)、「・・・のようなもの」と言う表現が正しいだろう。特にアメリカ料理と言うよりハワイ料理と言った方が良いのは、とにかく何にでもセロリを入れたがる。日本料理でいわば椎茸とかたけのこ的な位置づけだろうと思うが。スープだろうが、サラダだろうが、肉料理だろうがお構いなしのセロリ攻撃だ。
当然、春巻きもどきにもがっつりセロリ。それを怪しげなマヨケチャップ風なソースか、ブルーチーズ風味のこってりソースにつけて食べる。やはりこれは日本人的な常識の斜め上に行くハワイアンテイストだろう。ただ、これもハワイ滞在時間が伸びると、昔の感覚が戻ってくるので「これはありだな」とか「結構気にいってきた」などと思うようになる。残念なことに、そう言う気分になったあたりでハワイから帰ってくることになるのだが。

世界中のリゾート地はどうなっているかは知らないが、アメリカ合衆国の中で、安心して夜遊び、夜歩きができるのはワイキキのメインストリートくらいではないかと思う。大都市では夜遊びは危険以外の何者でもないが、ワイキキの夜のテラス席で一杯やるのはそれなりに安全というか危機感は持たなくても良さそうだ。おそらくビーチに面したホテルのバーラウンジやビーチに点在するダイニングバーでは、日本の繁華街、新宿や難波やススキノ程度には安全だろう。
それでも陽気なアメリカ人の酔っ払いに声をかけられて、意気投合したりするのはお勧めしないけれど。

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ハワイ雑記 その1 人のいないビーチが良いね

3年ほど前に行ったハワイの話をあれこれしてみようと。

オアフ島は、当たり前の話だが周りが全部海で、ビーチだらけ。良い景色を探して海沿いに車を走らせると、あちこちに人のいないビーチが現れる。ハワイで1年間くらい暮らしていたのが、今から30年以上前のことだが、その頃とあまり景色に差がないのは不思議なことだ。津波を避けて海沿いに町がないというわけでもなく、それでは山の中に人が住んでいるかというと、そうでもない。海岸と山の中間にバラバラと町が点在する。東京23区くらいの広さに100万人くらい住んでいるから人口密度は東京の1/10くらいなのだと納得はしているのだが。それでも何十年も経てばいろいろ変わるものだ。

オアフ島は雨が多い。虹がよく出るから州のマークも虹だ。太平洋の真ん中にある島のせいか曇りの日も多い。島の南から来る風がオアフ島中央部の山に雨を降らせる。だからオアフ島では水不足になることはないそうだが、曇りの日、小降りの雨の日が多い。南の島はいつでも晴れと思い込んでいたがそれは間違い。

ハワイに住む人の人種ミックスがすごい。当時の知り合いで一番多かったのが、フィリピン系の人たち。あとはサモアンと言っていた、ハワイ原住の人、チャイニーズやコリアンやジャパニーズの4世、5世と言った顔だけアジアで中身はアメリカンな人たち。インド亜大陸から来たインド、パキスタンと言った国の人たち。そして彼らハワイ在住者が言うメインランド、大陸本土から来るヨーロッパ系の人は意外と少なかった。
そのため食事もなんでもありのごちゃ混ぜで、マクドナルドの朝飯には白飯がついていたし、天ぷらという名のフライや、キムチがついた骨付き牛カルビ弁当がBBQビーフBENTOだったりした。英語を学びに来たと言ったら、「それはハワイでは無理」と言われたが、確かに発音も単語もだいぶ訛っていたようだ。最初に覚えた言葉は英語ではなく、ハワイ語?でパオハナ。パオは終わり、ハナは仕事。要するに今日の仕事はこれで終わりと言う時の常套語だ。

まあ、そう言う、今風で言うと「ゆるふわ」な場所なので、普通のカジュアルレストランでもイカのゲソフライが頼める。ただし注文する時にはイカゲソが通じるはずもなく、カラマリとかスキッド(発音はスクイッド?)フライだった。衣が厚くて、これを辛めのトマトソースみたいなもので食べる。ハワイのレストランではたいてい置いてあるキッコーマン(醤油)をたのめば、イカフライ定食をお気楽に手に入れることができる。面白いのは日本で当たり前のフライにかけるウスターソースは、ほとんどの店でおいていないようだった。何度説明してもソースのことは理解してもらえなかった。ウスターソースはなにか違う使い方があるのだろうか。
あとは、オニオンリングは(ポテトフライも)注文すると山盛りで出てくるが、これはオニオンリングというよりも、ほぼ衣のみで商品に偽り有りと言いたくなるレベル。ただ、これがうまい。具のないかき揚げみたいなものだろう。

ハワイのレストランで出てくるボリュームといえば、何を頼んでも日本的には特盛を超えているので、なれてくるとサイドアイテムのみしか頼まないという酷い注文の仕方になる。さすがに炭水化物に炭水化物という注文はないが、チキンウィングとスプリングロール(春巻き)とか、追加でチャウメン(塩焼きそば?)みたいな頼み方が多かった。ハワイ名物のパンケーキとか、ロコモコはあまり頼んだ記憶がない。おそらくグレービーソースが苦手だったからだ。

ワイキキのホテルに泊まるときは、いつもパッケージツアーだったので立派なホテルに滞在することが多かった。さすがにビーチに面した高級ホテルには泊まったことはないが、それなりのメインストリート沿いのホテルには泊まっていて、これがワイキキのホテルだと思っていた。それが、なぜか突然仕事で行ったワイキキで、日本で言えばビジネスホテルに泊まることになったが、なんとも暗くて質素な部屋だった。おそらく観光型の大型ホテルより3−4割安いのだと思うが、泊まっている客は大半がヨーロッパから来ているようで、英語ではない言葉が氾濫していた。こういう泊まり方もあるのかと感心した。ちなみにあてがわれた部屋は二階で窓のない(防犯上の理由らしい)角部屋。なんとなく牢獄に監禁された気分だったが。ワイキキの真ん中で便利は便利だったから、個人で行くときはまた使ってもいいかなと思っていたら、現地の知り合いに、もう少し便利な場所のホテルがもっと安いのでネットで探せと言われた。

確かに自分の旅行の手配くらい自分でやる時代なのだ。

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熱田神宮で食らう

熱田神宮は、名古屋市でいえば南部というか元は海の近くというか。名古屋へは仕事で何度も行っているが、なかなか参拝に行く機会がなかった。織田信長とか豊臣秀吉とかいう戦国期の有名人が参詣したのだし、一度は入ってみたいと思いながらなかなか行けなかったのだが、この数年で何度かたて続けて行ったのだから、単純に怠け者の言い訳だったということか。

熱田神宮の周りはすっかり住宅で囲まれているが、境内は相当に広い。東京で広い神社といえば、明治神宮に靖国神社ということになる。ただ、ここは明治新政府が作った新型神社だから、伝統ということでいえば江戸幕府開府以前からの日枝神社がややひろめ。でも都会型神社の典型でもあり今は随分と狭い感じがある。伊勢神宮は別格としても、熱田神宮に匹敵する広さといえば、体感的に春日大社、大神神社くらいだろう。そして不思議なことに大きな寺社には必ず存在する門前町というか、参拝客目当ての店が見当たらない。同じ名古屋の中でも大須観音あたりの賑わいとは随分違うものだ。

とりあえずお参りを済ませたら、神宮から程近いうなぎの名店に行く。ただし、ここはとてつもなく時間待ちになるので、順番としては、まず鰻屋の順番取りをして、それからお参りをして、戻って来て呼ばれる順番を待つという格好になる。
この当時(2年ほど前)はインバウンド観光客全盛期で、順番待ちの半分以上がチャイナな人たちだった。今では見当たらない人たちというか、コロナが収束しても当分この国にインバウンド客は来ないだろうから、順番待ちの行列は減るのかもしれない。

さて、2時間待った名古屋名物のうなぎだが・・・。なんというか、うなぎひとつで三度楽しむという名古屋人的合理性は、実に好ましいと思う。蒲焼で食し、グチャまぜにして食し、お茶漬けにして食す。間違いなくうまいやつだ。いいなあ、名古屋の人。うなぎのタレはお江戸と比べても濃いめの味付けのような気がするが、最後のお茶漬けにするとこれがまたぴったりくる。
うなぎの蒲焼で酒を飲むのは、実に贅沢で大好物なのだが(普段は、スーパーで売っている冷凍ものだ)、ここのひつまぶしは酒なしで、ムシャムシャと白飯の旨さを味わうべきだと思う。
これに匹敵する白飯うまさ満喫おかずといえば、塩がきつ目のベニ鮭の焼いた物か、新鮮なイカで作った塩辛か。米文化圏の東アジアのあちこちで食べたもの、うまいものがあるが、「白飯」に合うおかずというのは意外と記憶にない。台湾には日本のホカホカ弁当屋みたいなものがあり、そこは米を主体にして米にあったおかずを食わせる設計だったような気もするが。

まあ、どちらにしても「名古屋ひつまぶし」は行列しても食べる価値がある。
個人的には、名古屋めしが好物なので、名古屋に行くのは楽しみなのだ。鉄板ナポリタン、味噌煮込みうどん、どて焼き、大アサリ、手羽先、台湾まぜそば、某喫茶店のサンドイッチ。

名古屋メシは偉大なりだ。

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エアーパーク 航空自衛隊広報館  って・・ 

エアーパーク についてもう少し話をすると・・・。
この看板を見て、どのような施設が想像できるだろう。プレハブの平屋で、6畳くらいの小部屋が2−3個あって、なんだか古いものが適当に並べてあるみたいなイメージしか出てこない。広報するなら、もっとしっかりした看板作ってアピールしようぜと言いたくなる。

ちなみに、これは航空自衛隊、空自の広報施設なのだが、陸自、陸上自衛隊の広報施設は練馬の陸自第一師団(首都防衛のため一番えらいのだね)の隣の朝霞の陸自施設にある。愛称は「リッくんランド」。あれれっと言うネーミングだが、これが陸自センスらしい。海自、海上自衛隊の広報施設は、帝国海軍の本拠地だった「呉」にある「てつのくじら館」と、やはり軍港佐世保にある「セイルタワー」。いちばん派手な?な施設は空自のエアパーク。すごさでいえば「てつのくじら館」。これは潜水艦を高さ10mくらいのビルの上に持ち上げ、中に入れるように改造した凄い施設。ただし隣が大和ミュージアムなので、ちょっと負け気味。大人しいのは佐世保の「セイルタワー」だが、歴史のお勉強にはここが一番よろしい。リッくんランドは、なんと言うか、良いプロデューサーを入れて構成し直した方が良いと思う。展示物が「物置に放置されたいらないもの」感が強く台無しだ。昔のデパートの屋上の遊園地状態というか、単純に展示品がかわいそうだぞ。

話を戻すと、エアーパーク も外見だけ見れば大型機の格納庫みたいだから、たいしたことないといえばそれまでかもしれない。でも、「私、実は中がすごいんです」ってことなのだ。この大型格納庫の中にどれだけ航空機が収められているか。

SFアニメファンの方は是非ここに来て実機モデルを愛でるべきだなと思う。質感と重量感を味わい、そして自分の体と比べての大きさを体験すべきだろう。カタログスペックで覚えた全長とか翼幅とか高さとかは、実機(展示機)の横で体感すべきだ。
ちなみネットで探索してみたが、三菱F1とコスモタイガーはほぼ同サイズで、翼幅がコスモタイガーが少し長いようだ。ただ、そうなると全長300m弱のヤマトに一体何機コスモタイガーが搭載できたかという謎は深まるのだが。3機載せたら、波動エンジン置く場所がなくなりそうだ。

F1機体解剖図なども、この施設にこなければ見られない。少なくともネットで見つけられるのは、この写真だけだった。好きな人はみんなここに来て写真を撮っているのだね。

ただ正直にいえば、この施設でも他の海自や陸自の施設でも、いちばんたのしいのはミュージアムショップで面白グッズを探すことかもしれない。特に陸自は首都圏にあるせいなのか、実に奇妙なものが売っている。陸自推薦のクッキー(キャラ付き)など、相当レア度も高いし、ネタにするにも楽しいと思うのだが。入場無料なのでお暇な時にちょっとよってみるのも良いと思う。お出迎えは制服自衛官だ。ただ現在はコロナ騒動のせいで休館中。おそらく6月になれば開くとは思うのだけれど。

言っておきますが、ミリオタではありません。カタログスペック、詳しくありません。61式戦車(多分)と海自観艦式で護衛艦に乗った経験ありますが。本当にそれだけです。

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浜松エアーパーク 日本の誇りになれなかった航空産業の無念が・・・

2年ほど前に行った浜松エアーパーク は航空自衛隊の基地のそばにある。ここに日本の最初の航空自衛隊基地が置かれたからのようだ。このエアーパーク は航空自衛隊の広報施設ということで現役自衛官が運営している。つまり国営施設で航空に特化した博物館ということだ。そもそもで言えば、航空機の発達は民需というより軍需で進んだわけで、今も昔も日本の商業路線で飛んでいた民間飛行機はほぼ輸入品。戦後になり、はじめて国産商業機が飛ぶようになったが(YS11)、今でも全日空や日本航空で国産機は飛んではいない。だから、民間機の航空博物館はできるはずもないだろう。所沢にある航空記念館では軍需、民需、ごちゃ混ぜの展示になっているが、国産機には関係ない。

先の大戦であれだけ他種の航空機(軍用機)を設計製造したにもかかわらず、敗戦後には航空機製造が許されなかった為、日本の航空機製造技術は断絶したと言ってよい。現在、ビジネス航空機製造に乗り出している三菱は戦前の流れを辿れる航空機メーカーだが、ホンダはもともと二輪車メーカーだし、当時の三菱と並ぶ中島は自動車メーカーに分解されてしまった。(それでも日産系の会社が日本のロケット製造の一翼を担っているので、なんとか航空屋の血は受け継がれたと考えるべきだろう)だから、日本の航空機開発の歴史といえば、軍用機が主体にというのも無理はない。などと考えながら、正面にあるセイバーを見上げてちょとお複雑な気持ちになった。これは戦後の最初の主力ジェット戦闘機だったはずだ。もちろん米国製。世が世であればジェット式震電がここにいたかもなあなどと思う。

普通の大きさの体育館(中学校とか高校にあるサイズ)でいえば10個分くらいの広さがありそうな屋内展示館に入ると、やはり一番良居場所にあるのは、日本の名機、零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦だった。三菱の設計ではあるが造機数は中島の方が多かったという記述を見たことがある。あとは、機体が完成した後の移動が牛車だったという解説を読んで、当時の日本の工業力のアンバランスに笑ったこともある。何にせよ、零式艦上戦闘機の実機を観られる場所は日本の中でも数少ない。アメリカ合衆国首都にあるスミソニアン博物館でも見ることはできる。保存状態は非女王によろしいようだ。が、あそこは日本人にとってはずいぶんと居心地が悪いところでお勧めしない。ワシントンで第二次世界大戦の説明文を読んだら、それは当たり前のような話だと思うが、日本はアジアの悪の帝国扱いされていた。だいぶ気持ちが落ち込む記載なのだ。

零式艦上戦闘機に匹敵する戦後の国産軍用機の傑作は三菱F1だが、その製造に至るまでの同盟国からの輸入機の数々も展示されている。F86、F104、F4、F15と続くファイター系。その他支援機、警戒機、ヘリコプターなどなど。コックピット内をのぞける機体もあるので、いくら時間があっても足りない。もしも、の話で妄想するのだが、現時点で欧州勢のエアバスと合衆国のボーイングの一騎打ちになっている大型旅客機も、ひょっとしたら三菱中島航空製造社製の「さくら」とか「ふじ」とかいう機体が対抗していたかもなあ・・・。日本製の機体はやはり空気が優しいねえ、とか、トイレの作りにきめ細かさが出ているとか、脱出時のスロープの手触りがなんともいえないとかいう評判があったりして。これぞ日本の誇り「第三世代さくら 34式改2型」なんて航空オタクが騒いでいる時代があったかもしれない。

学生の団体見学に使われることも多いようなので、曜日と時間によっては結構混雑するのかなとは思うが、航空機ファンにとってはまさしく羨望の場所だろう。実際の機体の大きさは、やはり隣に行ってみなければわからない。アニメでよく登場する空対空ミサイルも、機体の下にぶら下がっている絵だけではよくわからないが、展示機のダミー弾を見ればなるほどと思う大きさだし重量感がある。
ミリオタと言うには知識が足りないが、この機体に乗って飛び回っている人たちがいたことはよくわかる。

虫歯があると航空自衛隊に入ってもファイター乗りにはなれないと知って諦めた元航空少年としては、まさしくエアーパーク は楽園に一番近いところだった。ちなみに、虫歯はしっかり治療すればファイター乗りになれると聞いたのは30歳過ぎてから。遅すぎるんだよね。

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伊勢で食らう 伊勢神宮周りはグルメどころ

伊勢神宮は、日本の神社の元締めというか、本拠地というか。昔は「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言われていたそうだから、あと3回はいかねばならないなどと思いつつ内宮詣をして来たのは2年まえだが、実はお伊勢参りの楽しみは、その手前に広がる門前町のブラブラにあると言いたい。

どうやら伊勢神宮の起源は征服王朝の苦労話にあるようだ。古代の騒乱期に西から遠征に来た古代王国の軍団が、現在の大阪方面から大和に攻めきれず、それでも諦めずに紀伊半島をぐるっと東に迂回して伊勢側から大和に攻め込んだ、みたいな話を読んだことがある。確かに奈良の地形を読めば、侵攻路は現在の東大阪周辺か、三重県から伊賀を越えてと言った選択肢になるだろう。だとすると伊勢神宮は敵前上陸の記念地みたいなもので、第二次世界大戦でいえばドーバー海峡越えのノルマンディーにあたるのかなどと「赤福」を食べながら考えていた。(伊勢といえばもちろん赤福だ)

そして赤福の次といえば、「伊勢うどん」ということになる。しかし、名物にうまいものなしというが、確かに「伊勢うどん」は何度食べても苦手だ。それなのに懲りずに注文するあたりが、我ながら悲しい。なんとなく、これをうまいと思うまで食べ続けなければ、お伊勢様に申し訳ないみたいな気がしているからだ。
ただ、やはり田舎者の舌のせいか、コシの無い麺類、うどんはとにかく苦手で、博多のうどんも性に合わない。伊勢うどん、見た目は本当にうまそうなんだけどねえ。でも、きっとあと3回は食べるんだろうな。

カツオの手こね寿司も伊勢?名物で、こちらはカツオ好きにとっては天の恵みのような食べ物だ。ただただ、うまいなあ、美味しいねえ、と言って完食する。ただ、カツオ好きなので、「追いカツオ」というか追加でカツオトッピングをお願いしたい。もうちょっとビジュアル的に乱れても、ご飯とカツオがぐちゃぐちゃになっていて欲しい。などなど勝手な想いはあるが、とにかく満足度の高い食べ物だ。

あと伊勢で食べるべき物といえば、松坂牛なのだろうけれど、これはちょっと度胸がいる食べ物なので、また別のお伊勢参りの時にでも・・・と言いながらいつもパスしている。
次回は食べようか、松坂牛。

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浜松フラワーパークでサボテン

浜松に行った時に立ち寄ったフラワーパーク、本命はエアーパークだったのだが。

浜松市郊外にあるフラワーパークは広大な敷地の中に点在する特別展示館みたいなものがあり、花好き、植物好きな方にはたまらないのだろうが。どうにも花の名前もよく知らない、花の名前知ってるかランキンで言えば小学校低学年レベル(わかるのは桜とチューリップとひまわりとアサガオくらいだなあ)の人間には、難度が高い場所だった。それでも、これは知っているぞと言うのがサボテン館で勢揃いしてお出迎え。

なんだか西部劇で見たような、ヒョロヒョロと背の高い奴もいれば、その昔実家の窓際に転がっていた丸々したやつやら、あー、これ見たことあると言う連中が揃っていて、これはお見事と言う風景だった。しかし、名前は何一つ知らない。丸いサボテン、長いサボテン、小さいサボテン、葉っぱみたいなサボテン・・・。恐竜をとかけの親玉とでも括るようないい加減さだ。(ちなみに恐竜の名前は人様に威張れるほど覚えているが・・・)

そもそもサボテンにトゲがある意味は、ステゴザウルスやアンキロサウルスと同じで、つまりいろんな奴から食べられるので、ト身を守っているのだと思うのだが、それはサボテンってうまいってこと?

この丸いサボテンたちは実はスイカやメロンのように、とてつもなく美味いのではないか?中はジューシーで糖度15度などと言う天国の味なのでは・・・ズルっとよだれが出てくる気がし始めた。薄ぼんやりした記憶では、伊豆あたりでサボテンの天ぷらを食べさせるお店があったような気もする。いや、アロエのような刺身だったかなあ。

この浜松フラワーパークは、広大な敷地の中でもかなりの高低差があり、季節が合えば良いお散歩ができる。ただ、気温の高い夏場だとサボテンのように、酷暑に耐性を持っていないと日干しになって半死半生になると思うので注意しましょう。

街を歩く

コロナ対策の日々 札幌で張り紙あれこれ

1月も終わり頃は、まだコロナ騒動が今ほどになっていなかった。怒涛のように中国人がマスク買い占めをしていた時期でもあったのだね。それからしばらくして、日本に入国制限が始まったが、あまりにも遅かったとうことだ。忘れてはいけないのが、これがたった3ヶ月前だったことだ。

それにしても中国頑張れという、どこか高みの見物的余裕だったのだな。

まだ春節観光客が来ていた頃の表示 日本にも余裕があったのかな

確か先週まではマスクが買えていたと思ったドラッグストアの光景。それくらい一気にマスク買いたい人が押し寄せて対応に追われたということだ。店頭でのマスクありません掲示は、この時はまだ珍しかった。

このあと、ドラッグストアは酷い目に遭うことになる。日本人客からの暴言という、サービス業では想像できなかった事態。

マスク在庫ありません  これが悲痛

チェーン店では一番対応が早かったスタバだが、結局このあとはすべての飲食店が休業と閉店の嵐に巻き込まれていった。

東日本大震災後の当時の政府の対応もひどいものだった。あれは一生忘れないが、その時の政府を批判して成立した現政権も、コロナという大災厄に対応しているかと言えば、ほぼ失格。どんぐりの背比べというとどんぐりに失礼なレベルだ。

今回は、東北地方だけではなく日本全国にわたる大騒動だけに、もたないだろうな。

お得意の公共事業もオリンピックで無理しすぎてもう何も残っていないし。あとは、「めざせ、世界のマスク工場」くらいかな。

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Stay Homeでネタが切れた

あちこちに行って撮ってきた写真をネタにぶつぶつと書いてきたのだが、全く外に出ない暮らしが続くと、家の窓から覗く隣のうちのことぐらいしかネタがない。それではあんまりなので、昔撮った写真を使って、5月はあれこれと凌いでみようかと。まずは2016ー17年当たりのネタで

フォックスフェイスというのだそうだ。狐の顔みたいということで、ナスの一種。黄色いのでかぼちゃの仲間だと思ったが、なす。おまけに毒性があり食べては危険だそうで。

まったく、現在のハワイとは関係ないのだが、イリカイ付近のビーチでこの時でもsocial distanceだったじゃないか。などと振り返ってみれば面白い。ワイキキのビーチはさすがに密集しているが、オアフ島のほとんどはこんな感じだったような記憶がある。

ただ、今年はコロナが終わった後はハワイは行けないだろうな。とりあえず国内旅行で、経済協力だ。瀬戸内あたりで城巡りでもするか。高知に行って太平洋を満喫するか。

ハワイは来年だなあ。でも日本人入れてくれるか、それも心配。世界で収束が一番最後になりそうな気もする。

食べ物レポート

シウマイ弁当 駅弁完成形とは

最初から結論めいているが、駅弁の完成形だと思うのが「崎陽軒のシウマイ弁当だ。これに並ぶと駅弁いえば、碓氷峠の釜飯くらいだろう。全国で海鮮系の駅弁も多くあり、蟹やらエビやらが舞い踊りしているのもうまいとは思うが、やはり究極形態というものはある。駅弁はどうあるべきだという理論があるわけでもないが、この白飯とおかずのバランス、甘いと辛い味付けの比率は駅弁として最上のバランスだと思うのだ。

食べたことのある人には無駄な説明かもしれないが、一応の能書きを書くと。
まず、崎陽軒には横浜工場と東京工場があるそうで、横浜港情勢は放送に紐がかかっている。羽田空港で買うと紐付きなので横浜工場製ということだろう。
白飯は、俵型で8個、ごま塩と小梅が嬉しい。おかずは焼売が5個。この5個というのが微妙で、俵ご飯2個につき焼売1個のペースで食べ進むと、最後に焼売が一個残る。この余韻が楽しめる一個が重要なことは言うまでもない。しゅうまいのでダンに並んでいるのが、左からたけのこの煮物(個人的にはこれが最高に好みで、たけのこだけ入れた弁当を売って欲しいくらいだ)、マグロの煮物、蒲鉾、卵焼き、鳥の唐揚げ、そして刻み昆布と生姜が斜めの区画の中にひっそり収まっている。真ん中にあるのが杏で、これがいわば最後のデザートということになる。
食べる順番は、それぞれ好みはあるだろうが、焼売、マグロ、焼売、鳥から揚げ、焼売、箸休めに生姜、竹の子、焼売・・・と焼売の前後にサイドを間イメージがよろしい。弁当箱がすっかり空っぽになったところで、最後に杏を食べると、実に幸福感が押し寄せてくる。

仕事が終わった後であれば、これにビールのひと缶もあれば、人生そんなに悪いことばかりでもないよなあという、小市民的幸福をしみじみと感じる。

そんなシウマイ弁当だが、バブルの後毎年のように着実に値上がりしていて、来年には900円になってしまいそうなのがちょっと残念だが。焼売減らして値段据え置きはやめて欲しいので、そこは我慢することにしよう。