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旅をする

高知駅前で楽しむ

高知駅前はかなり大きな広場になっている。イベントなどもたびたび行われているようだ。その広場の真前に立っているのが幕末の土佐を代表する方々。どなたも天寿をまっとしないうちに世を去った。生き急いだ方達だった。動乱期とはいえ切ないものがある。土佐出身者で明治政府と関わりを持ち長生きした方も多いが、長生きした方達はどこかでひっそりと銅像になっている。ものの哀れという言葉が浮かんでくる。

その銅像の裏側に高知の幕末イベントを開催していた館を改造した観光案内施設がある。中には、土産物屋や高知各地の見どころの紹介など、高知を楽しむための情報がたっぷりと用意されている。

館内には坂本龍馬の実家を再現した日本家屋が設置されている。昔の武家屋敷などとはちょっと異なる、町屋の武家屋敷というか、商家と武家の合体屋敷というか、面白い作りになっている。
来年の朝ドラでは高知出身の植物学者がモデルになっているから、その辺りの宣伝もさりげなく幕末武家屋敷に・・・というのが高知らしさか。観光立国を標榜する高知県だから、これくらい頑張らなくてはねと思った。

そんなことを思いながら出口を出たところに、最新ヒットアニメの舞台もさりげなくアピールしていた。歴史的な名所旧跡めぐりだけではなく新・聖地巡礼対応もさりげなくというのは観光地として重要だ。アニメ・ツーリズムは周辺グッズの販売を含め今や成功ビジネスモデルだし、アニオタのほうが下手なインバウンド客より金使いは荒い。(はずだ)
少なくとも幕末もので興味を引くより、新アニメに協賛してヒットを狙う方が、若い世代には響く企画になるだろう。アニメで高知に引き込み、高知に来たら美味しいものもあるし、楽しいところもあるしと、二重三重に畳み掛ける立体型マーケティングの仕掛けが欲しいところだ。
某公営放送の大河ドラマや朝ドラの観光客吸引効果はそろそろ見直しが必要だろうと思う。そもそも某公営放送の年代別視聴率を見れば、誰をひっぱれて、誰をひっぱるのは無理というのが明白だろう。
最近の高齢者は旅に出ても土産を買わないという調査結果を見たことがある。要は高齢者も昔ほど購買力がないのだ。「推し」に対しては金を惜しまない若者世代(一部中高年を含む)にターゲットを当てた「観光マーケティング」が必要なのは高知県だけではないのだろうけれど。それでも幕末コンテンツに寄りかかりすぎでは・・・。
個人的な思い込みで「がんばれ、高知」と言いたいのでありますよ。

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日曜市での獲物

田舎寿司

日曜市で必ず調達するのが田舎寿司だ。日曜市のあちこち、だいたい4−5箇所で売っている。地元の人にはそれぞれ贔屓のお店があるらしい。売り切れごめんなので人気店は午前10時くらいには完売する。味付けも店によって随分と違っているので、できれば2−3箇所を食べ比べしたいところだ。お値段は一折り400−450円とお手軽な価格設定だから二つ三つ買うのも無理はない。
おまけに中身の組み合わせが、同じ店で売っていてもひとつ一つ違う。よーく確かめないと、自分の好みの寿司が入ってなかったりする。これが迷いどころというか、楽しみの原因だ・
基本的な具材は野菜で、薄切りにした酢漬けの野菜や筍がマグロやヒラメの代わりになった握り寿司と思えば間違いない。特徴的なのはこんにゃくで、甘辛く煮たこんにゃくを乗せたり巻いたりしている。卵焼きを海苔がわりに巻いたものは、田舎寿司の中でも贅沢品だろう。

田舎寿司で、魚入は珍しい?

店によっては酢漬けの魚(サバとかアジ)を乗せていることもあるが、基本はきつめの酢飯に野菜オンリーだから、ご馳走というよりも握り鮨のコピー料理のような気もする。今のご時世ではビーガン専用食と言っても通りそうなので、時代がひと回りして最先端料理になっていくのかもしれない。東京で創作寿司として売ればヒットしそうな気もする。
高知の町中の寿司屋では、この田舎寿司を作ってくれるところもあるようだが、いつでも買えるわけではないだろう。予約もいるだろうし、値段もそれなりに高いものになるはずだ。

押し寿司は高級品

珍しくアジや鯖の押し寿司を売っている店があった。この店も開店時間が遅いようだが、店を開けると常連さんが3個4個とまとめ買いするので、それなりに早く店じまいになるらしい。押し寿司としては小ぶりなので、飯というよりは酒のつまみのような気もする。

これはひろめ市場で手に入れた

高知特有の巻物、土佐巻は、間違いなく酒のつまみだと思う。鉄火巻がマグロを使うのは高知でも同じようだ。ただ、鉄火巻よりこのカツオを巻いた土佐巻の方が、なんとも偉そうに見える。中身のカツオが大きいこともあるが、実はニンニクの薄切りがわさびがわりにカツオとあわせて巻かれている。
食べると、ニンニクのがつんとした味が口の中で爆発する。海苔巻とは思えない暴力的な力強さだ。これとくらべると鉄火巻きが実にお上品な食べ物に思えてくる強烈さだ。
これをバクリと一口がじって、冷たい日本酒で流し込むというのがおすすめだと思うが、やはり「普通の人」には抵抗がある食べ物かもしれない。全国あちこちで鰹を食べてきたが、この鰹の巻き寿司は高知独特のものみたいだ。ひょっとすると鹿児島や宮崎のカツオ漁港では存在するのかもしれないが・・・。

テント屋台でパンを売っていたのはびっくり

帽子パンは帽子のつばに当たる部分が、メロンパンの皮というかビスケット生地で、真ん中にあるこんもりとした部分は、なんの味もない丸いパンだ。だから、縁の部分を先に食べてしまうと、なんとも情けないというか、味のないパンが残る。パンの部分と唾の部分を交互に食べるべきだ。これも食べ方は要注意だろう。
お土産に帽子パンを買うと、持ち運ぶ時につばが折れないよう、とても気を使う。だから、これはお土産向きではない。それでもルックスはそれなりのインパクトがあるので、小さいお子さんがいるお父さんであれば、我が子のびっくりする顔が見たくて買ったりするんだよなあ(自己体験です)

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高知の日曜市

高知は公道を使った「市」が市内各所で定期的に開催される。その中でも日曜市は中心部を通る主要道路の片側二車線を封鎖して開かれるので、店舗数も多区賑やかだ。高知を舞台にした映画では、アジアンなストリート・マーケット的雰囲気があるとまで言われていた。確かに人通りも多いし、店のおばちゃん達も元気だから、とても賑やかだ。スーパーには並ばないような野菜や果物が売っているのも魅力だろう。

その日曜市の端っこの方は、刃物や古道具店の店頭で露店商売が楽しめる。店の前に置かれた怪しげな物品はまさに掘り出し物とガラクタの混在で、ひとつひとつじっくりと眺めたくなる。そして、ここでしか見られない光景もたくさんある。
骨董道具屋の店頭にあった「刀買います」の看板は、色々と感慨深い。少なくとも今の法律で、刀は武器では無く美術品として登録されている。それを売ろうとすると、なかなかハードルが高い法的手続きが必要だと思うのだが。
家に帰ると土蔵の中に刀がゴロゴロしているようなうちはあまりないだろう。押入れから父親の形見の日本刀が出てきた、というのも想像し難い。そんな品物を「古着買います」的なノリで書いてあるのだから、やはり高知はすごい。ひょっとすると幕末のどさくさの時に、ごっそり刀を仕舞い込んだ庄屋さんみたいな方がいたのかもしれない。しかし、誰に向けて言っているんだろうなあ、と不思議な気分になった。

なんだか古びた帽子が洗濯ものを干すようにブラさがっていた。値段はひとつ300円らしい。衣料品店の倒産品・質流など色々と考えてしまった。
この店はJRで忘れ物として保管されていたものが放出されたあれこれを売っていた。世の中面白い商売があるものだと感心した。しかし、忘れ物であれば仕入れ値は無料ではないかと思うのだが、それを洗濯したり選別したりという手間賃が300円なのか。

日曜市では、多分一番行列ができる店の「いも天」。これは一度食べてみなければ旨さがわからない、高知の隠れ名物だと思う。さつまいもをざっくりと乱切りにして、それに衣をつけて揚げただけだ。衣は甘めだ。例えていえばホットケーキミックスみたいなもので、普通の天ぷらとは違う。揚げたてを売っているので、紙袋に入った「天ぷら」は手で持つのも難しいほどの熱々だ。これをハフハフ言いながら食べる。手が油でベタベタになるが、そんなことを気にしてはいけない。
コロナの最中は嫌がられた歩きながらのつまみぐいも、どうやら復活したみたいだ。

コロナが流行る前は、道の両側に隙間なく屋台というかテントがびっしりと並んでいた。今回確かめてみると1/3くらいが空き家になっている。たまたまこの日は休んでいたのか、あるいはお店の免許を持った方達が廃業してしまったのか、定かではない。あてにしていた高知特有の野菜売りのおばちゃんの店、自家製の布袋など小間物を売っていたおばあちゃんの店も無くなっていた。

隙間が多いせいか思っていたよりあっさりと全部のお店を見終わってしまって、いささか拍子抜けしてしまった。お天気のせいもあるが客が少ないようだった。特に観光客が全然いない。年内にはなんとか昔の賑わいを復活して欲しいものだなあ。日曜位置を冷やかして回った後は、ひろめ市場で一休み。

ソロキャンあれこれ

ソロキャンプ飯 プレスサンド

ソロキャン飯にゴージャスな食材はいらない。缶詰や瓶詰めに食パンがあれば、もう十分ではないかと思う。特に、生物である肉とか魚はこの季節では扱いにくい。そんなこんなで、冷蔵しなくて良い材料だけ持ってきた。
ちなみにオリーブだけは自宅の冷蔵庫に入っていたものを密封袋に入れて持ってきた。基本的にソロキャン道具には金をかけないと決めているので、よく使われているアルミテーブルの代わりに、ニトリで買ってきたキッチンシンク下につかうキッチン棚を用意した。
これで十分だと思うのだが、キャンプの楽しみには道具集めもあるので無理強いはしない。ブランド物のアルミテーブルを買う金額の1/10で手に入るニトリ製品は優れものだというだけだ。持ち運ぶときには足をバラして折り畳めるし便利だ。

今日のお試し道具はセリアで買った固形燃料の燃焼台、110円なり。組み立て式の燃焼台は安定が悪い気がしたので、新作を手に入れ挑戦してみた。前方には大きめの穴が空いているので空気の流入も問題なさそうだ・

有効だった100円ストーブ台

ニトリのキッチン棚の上に100円ストーブを置くとこんな感じになる。棚の上面は隙間が広いので置く場所には多少注意する。

本日もプレスサンド一択だ。食パン二枚を取り出し、この上にフィリングを乗せる。これも最小限手順でなんとかしたい。

オリーブの代わりに自家製ラッキョもうまそうだ

コンビーフの缶を開けて、ナイフでテキトにパンの上に乗せる。厚みが偏らないようにコーンビーフを広げるが、あまり気にしないことにする。その上に塩胡椒、そして今回のスペシャルでケイジャンスパイスを大量にふりかけた。コンビーフの凸凹にオリーブを適当に乗せる。オリーブ好きなので量はケチらない。手間をかけたくないのでホールのまま置いたが、手間をかけても良いという人はオリーブを半分に切るなり、細かく輪切りにすると、歯触りも含めて改善されると思う。味は・・・あまり変わらないのでは?

油は多めが重要

パンを重ねて、プレスサンドメーカーに入れる。ここでサンドメーカーの両面に多めのオリーブオイルを注ぐ。オリーブオイルがわりにバターやマーガリンを使う人もいると思うが、夏場のキャンプでは高温で溶けるものは使いたくない。公人的にはオリーブオイルが好みだというのもある。ただし、サラダオイルは向いていない気がする。焼き上がった時の風味というか香りの問題だ。

実際に、風覆いの先っちょが固形燃料に近すぎて燃えた

固形燃料ストーブの周りに、これもセリアで110円で買った風覆い(段ボール製)を置く。どうも手前部分がきちんと停められないので、内側に向かってしまう。テープやピンを使い丸まってしまうのを止めるようにしなければならないと思う。次回はWクリップでも持っていくことにしよう。

ニトリのキッチン棚は抜群の安定性で二重丸評価だった

マッチで固形燃料に火をつけプレスサンドメーカーを火にかける。2−3分おきに上下を裏返す。たまに蓋を開けて焼け具合を確認する。だいたい3回ほど裏返して、固形燃料を使い切る前に完成した。

表面は程よく焦げ目がついている。おそらく固形燃料の火力がガスほど強くないため、黒々と焦げるほどの熱量にはなっていないのが好都合だった。

皿代わりのパーパーナプキンはソロキャン必須グッズだ

二つに割って中身の厚さも探ってみる。手に持てないほどの熱々ではないが、中にもしっかりと火は遠ているようだ。

中身が気になって、半分をひっくり返してみた。中のコンビーフも熱が入って柔らかくなっていた。実食した結果として、味付けは申し分ない。(自画自賛)
パンを開いて、中身の部分にオニオンチップを入れると、カリカリ食感が生まれてなおうまい。
次回はケイジャンスパイスを入れる代わりにカレー粉とマヨネーズを試してみよう。仕上げにガラムマサラをかけると、ピリピリして旨くなりそうだ。

所要時間は10分程度。夏でも冬でも簡単に熱々飯と酒の肴が兼用でいける缶詰サンドはソロキャン飯の救世主だな。

旅をする

高知で鉄道旅

鉄道旅をするのは久しぶりだ。コロナの前は「青春18きっぷ」を使いのんびり旅をした。鉄道オタク、鉄オタという種族の中では「乗り鉄」と言われる種族らしい。ビジネス出張では、どうしても時間効率を考え特急、新幹線利用ばかりになるが、自分の楽しみであれば各駅停車・普通列車、鈍行での移動が楽しい。特に青春18切符のような乗り放題では、気ままに途中下車をできるのがありがたい。
そんなノリ鉄だけれども特急列車に乗るときはついついヘッドマークの写真を撮ってしまう。記念というか習慣みたいなものだ。
JR四国に乗るのも久しぶりで、特急あしずりが新型になっているのも知らなかった。

移動先は高知県中西部の漁師町なのだが、特急で行くと1時間ほど。首都圏で言えば宇都宮、高崎、静岡あたりの移動になる。ただし、それは新幹線での移動なので、距離は100km近い。この特急あしずりでの移動は、新幹線ほど高速ではないが「旅気分」は遥かにこちらが上だ。

特急というと10両くらいの大編成を想像してしまうが、なんとこの特急あしずりは2両編成で、指定席は1号車の半分だけ。なんというか、首都圏周りのロング編成を見慣れていると微妙な感覚がする。コンパクトというか、ちょっと寂しいかも。

たまたま、あしずりを待っていたら、高松方面から来るアンパンマン列車が到着した。降りてきた乗客には子供連れが多い。内装が相当にというか、ほとんどテーマパーク状態なので、小さい子供を連れたファミリーに人気なのは当たり前だ。だから当然のように、降りてきたらアンパンマンのヘッド車両で親子揃って撮影会になる。その間は駅員の方も写真に写り込まないように活動は控えめだ。
ところが、ファミリー撮影会が終わっても、明らかに大人の一人旅の皆さんが帰らない。どうやらアンパンマンと自撮りをしたいようだ。これも微妙な鉄オタの撮影シーンかとも思うが、誰も一眼レフカメラを持っているわけではなく、スマホや携帯でパチリという感じ。だから「鉄分」は限りなく低く、「アニオタ」的なレベルのようだ。個人的には車体のベースカラーが黄色なので、自宅周りの私鉄を思い出してしまった。うーん、旅の風情が消えていく・・・。

その後、出発した特急あしずりに、次々と通学する高校生が乗り込んできたのは、この路線特有の事情らしいが、鉄道旅と高校生というのは不思議な組み合わせだった。それにしても女子率が高いのは、何か高知特有の原因があるのか。高知県では男子の列車通学が軟弱男子撲滅のため禁止されていると言われたら信じてしまいそうだが。都市伝説というか土佐伝説がありそうだ。

街を歩く

高知駅で一休み

高知駅 高架になっている駅ホームを覆う木造の屋根が美しい

高知空港からJR高知駅までは連絡バスで20分ほど。昔は40分くらいかかっていたが、高速道路と接続したバイパスができたせいで時間短縮した。高知の繁華街であるはりまや橋付近にも停車する便利の良さだ。初めて高知に来た時は国鉄時代で、旧高知駅はほとんど印象に残っていない。それからしばらくしてJRになってから駅の高架化工事、改装工事が行われて、今の美しい高知駅になった。
JRのあちこちの駅を見てきたが、ここ高知駅と金沢駅が美しい駅のワン・ツーだと思う。復活した東京駅丸の内側のレンガ建も趣があるが、現代美術的な造形美は高知駅だと思う。

鯨の尻尾

その高知駅の改札内には、これまた高知らしいというか、なんとも駅には不似合いなオブジェがさりげなく置かれている。昔だったら改札口を出たあたりにガラスケースに収められて飾られていそうなものだが。「歓迎」ではなく「歓鯨」なのだから、高知に来たら鯨を見に行けよということか、鯨を食べろということか・・・。

ホームに登る階段のアート

高知市内はあちこちにアンパンマンのアート作品がさりげなく置かれている。境港のように鬼太郎一族オンパレードにはなっていないが、市内のあちこちにある〇〇パンの皆さんを探すのは楽しい。その第一歩がこの改札からホームに上がる階段だ。
ただ、これは高松方面から来るアンパンマン列車に乗ってくると、気がつかないまま改札を出てしまう。高知駅からアンパンマン列車に乗ろうとすると、その時初めて目に入る仕組みなので注意が必要だ。おまけに、エスカレーターで楽をしてホームにあがろうとするとこの階段の脇を通りぬけなければならない。楽しむには「足」を使わなければならない。まあ、小さい子供であれば元気だから問題ないだろう。孫を連れたジジババにはちょっときついか。

改札脇のカフェ 昔だったら立ち食い蕎麦屋がある位置だった

高知に3年も来ないうちに、駅の中も色々と変わっていた。改札横におしゃれなカフェができていた。以前からカフェだったかなと記憶を辿ってみたが定かではない。とりあえず高知駅内には飲食スペースが少ないので、この場所は列車の時間待ちを含めて便利だ。コーヒーでも飲みながら発車時間まで待たせてもらおうと思ったが、ちょっと小腹が減っていたので、スタッフおすすめのモーニングを注文してみた。
ただ、注文したそのすぐ後、11時からは普通に食事ができるので、後から来たおばちゃんたちはうどんだのカレーだの本格的な軽食(?)を注文していた。本日の日替わりはキーマカレーという声が聞こえてきて、ちょっとだけ残念な気分になった。隣のおばちゃんが食べていたうどんも美味そうだった。

ハニーなトーストセット

久しぶりに食べる喫茶店のモーニングだが、スタッフイチオシの胡麻ハニートーストにしてみた。小さめの野菜サラダとヨーグルトになぜかワカメスープがついている。飲み物はホット、コールドで色々選べる。普通のトーストセットもあった。ただ、胡麻ハニーは初めて食べる味で、甘さと胡麻の香りが絶妙だった。これは家でもやってみようと思う不思議なお味だ。
高知駅で甘いトーストを食べることになるとは思いもよらなかったが、想像していない体験をすることも旅の楽しみの一つだ。「高知ならではの「もの」ばかり漁っていても町を楽しめない。その町で普通に食べられている今まで見たことのないもの、そんなものを探すのも良いものだ。などとのんびりモーニングセットを楽しんでいたら、高知駅名物駅弁を買うのを忘れてしまった。
これはやりたくない旅の失敗だった。あー、カツオ飯食べ損ねた。(高知名物のかつお飯は家庭料理なので、なかなか食べられないのですよ)

旅をする

高知の土産 イチオシ

高知の土産物といえば色々と有名なものがある。ただ、昔から愛用しているのが「土佐手拭い」だ。出張先でも時間があれば手拭いを探してまわる。ずいぶん昔からハンカチがわりに手ぬぐいを使っているからだ。手ぬぐいもある程度使い込むと、新しいものに置き換えるので新品を常時二十枚くらいはストックしている。その中で一番のお気に入りが、この土佐手ぬぐいだ。当然ストックも多い。気に入った色やデザインは複数用意している。

定期的に高知に通っていた時期は、新作が出るととりあえず全種類(だいたい5種類くらい)を買い込み、季節や気分に合わせて色を変えていった。最初のころは野菜や植物モチーフが多く、色使いも「淡い」。色使いが派手目な感じが主流の手ぬぐいとしては、土佐手拭いは珍しい部類だった。
仕事に行くときには「藍」「茶」を使うことが多かった。逆にプライベートであれば黄色をよく使っていた。今回発見した新作は、くっきりとした赤が地色で土佐手拭いとしては珍しいものだった。

この酢みかん手拭いも、しばらく高知に来ていないうちに発売されていたようだ。酢みかんは高知特有の柑橘で、ゆず・すだち系の柑橘類の一種、土佐の変異種らしい。高知以外では流通していないようだし、首都圏では見かけたこともない。高知西部の宿毛では「直七」というゆずの特異種の果汁(多分)が商品化されているが、酢みかんはまだ地域産品として発展途上だと思う。
たまに知人から緑の酢みかんを送ってもらって、それが黄色くなるまで大事に使っている。鮮烈な酸っぱさが、魚にはよく合う。そういえば、酢みかんは八百屋で買うようなものではなく、庭先になっているものをもいでくるのが普通らしい。(知人の弁だ)
この手ぬぐいのデザインも、緑と黄色の酢みかんが使われている。高知らしい絵柄だと思う。

食べ物レポート

高知と言ったらここでしょう

変わりない外見は安心のもとだ

3年ぶりに高知に行った。コロナの前は、年に2−3回通っていたこともある高知だから随分とご無沙汰していたことになる。あちこちで行きつけの居酒屋が閉店に追い込まれているご時世で、まさかこの店も・・・とドキドキしていたが、相変わらずの年季の入った店構えに安心した。

店頭のメニュー看板も、相変わらずの定番メニューが並んでいて、これもひとまず安心というところだ。値段はちょっと上がっているような気もするが、記憶モードなので確かではない。上がっていたとしても全く気にならない「お買い得価格」が並んでいる。
親どり足というのは、高松名物の骨付鳥のアレンジだ。流石に鰹のタタキが一番上にのせられているのは高知人のカツオ好きのためか、旅行者にも名高い「葉牡丹」の県外客向けアピールか。そちらにしても、カツオが別格メニューであることは確かだ。

店内に入るといつものおひとりさま向けカウンターに座りメニューを開いてみる。マイ定番がきちんと書かれていて、もう一安心した。表ではイチオシされているカツオはあえて頼まずに、「ウツボのたたき」をノータイムで注文した。酒よりも早い注文なので、中のおっちゃんも面食らっていたようだ。
ウツボのたたきは、自分の経験上では高知以外で食べたことがない。みたこともない。ウツボのすき焼きもうまいが、やはり叩きの方が数段上だと思っている。薬味はカツオのたたきと同じなので、肉の味の濃い鰹にするか、淡白なウツボにするかという違いはある。肉質に弾力のあるのがウツボだが、カツオとは旨味の質が違う。肉肉しいのがカツオで、ウツボは魚らしいとでもいうべきか。
一切れを噛み締め、口の中に溢れる肉汁(魚汁)を楽しみ、歯ごたえを楽しむ。プルプル感を楽しむ。ウツボだったら一人で一匹食べられそうな気がする。

酒は地酒の冷酒も置いているが、ここは素直に地元の燗酒を頼む。いつも思うことだが、高知の燗酒は超熱燗だ。店の流儀なのかと思ったが、居酒屋ではだいたい熱めの燗のようだ。高知の酒飲みの好みなのかもしれない。
面白いのが猪口にするかコップにするかと聞かれる。これも迷わずにコップにする。熱々の酒を、コップに半分くらい入れて冷ましながらグイっと飲む方が高知らしい気がする。
お銚子の首に札がついているが、ここには酒の名前が書いてある。おそらく御燗番をしている人が、注文の多さで酒の銘柄を間違わないように酒名札をつけているのだろう。気温が下がれば、熱燗の注文がどっと増えるから、それなりの対応が必要なのに違いない。同じ銚子に入った酒は見分ける方法もないだろうし。
銚子の形や色で区別するというやり方もありそうだが、多分そんなことでは対応しきれないくらい一度に10本20本と注文するのだろうな。
知り合いの高知人と飲んだ時の経験から言えば、銚子を1本ずつ頼むことはありそうもない。それは「高知の奇跡」というべき事態だ。
昔はおっちゃんで占拠されていたカウンターも、自分の隣で飲んでいるのはカップルばかり。客層が微妙に変わったかという気もするが、それでも高知人の飲み方は変わっていないようだ。どちらのカップルも男女差なく豪快に酒をおかわりしている。まさに高知の居酒屋に戻ってきた気がした。

書評・映像評

ラノベのあれこれを考えてみた #5 「村人」について

怪獣映画ではよく壊される街の代表 銀座

こうしたことを前提に「村人ですが、何か?」という比較的短めの題名を考えてみる。まず、「村人ですが」に潜んでいる意味はいくつか考えられる。まず「村人」とはゲーム世界でよく登場する話しかけると一言か二言だけ答える、その他大勢の役だ。その一言には隠されたお宝や武器を探すためのヒントであったり、今後の進路の重要情報であったりが含まれていることもある。
紛らわしい偽情報を流す村人もいる。また、全く役に立たないお天気の話しかしないという役もいる。手の込んだ例だと、3回お天気の話をすると、くどいと怒り始めて、こちらが謝りながらプレゼントをするとようやく情報を話し始めるみたいな仕掛けもある。
つまり、村人とは英雄グループの仲間にも入らず、旅をしないまま村という閉じた世界にいるものを意味する。そして「何か?」というフレーズは、本来脇役でしかない一過性の登場人物が、「この俺様、村人に対して何か文句あるのか?」と問いかけている訳だ。もう少し勘繰ってみれば、俺にいちゃもんつける気かと怒っているとも言える。
当然、村人に問いかけているのは英雄グループの一員だ。村人同士は会話をする仕様になっていない。だからこのシーンは、主役(英雄)が脇役(村人)に、それもチョイ役にものを尋ねたら、逆ギレしてブイブイいっているという構図ではないか。ここまでイメージ喚起を具体的に迫っているとは言えないが、長文題名の意図するところはシーンの換気力にある。
そして読者(購入者)は、こう考え始める。なぜ、主人公であるはずの英雄に対して、その他大勢の脇役、モブキャラでしかない村人が絡んでいるのだと。これは新しいパターンの話なのでは? 面白いのかも? 読んでみようか?と言う連想ゲームの始まりが「村人タイトル」になっている。
書店で売っている本に付けられる「帯」と似たような効果をもたらすテクニックだ。「帯」とは表紙では(デザイン的に)書くことができない惹句、売り文句を表紙の上に邪魔にならない程度に付け足す道具だ。それを投稿サイトにずらっと並ぶ「タイトル・題名」と帯化したのが、この長くて説明的なタイトルということになる。
他の長文タイトルも、似たような効果を狙ってつけられているのは間違いない。書き手のテクニックとして、すっかり定着した感じがする。ただ、それはエンタメ・ビジネスサイクルにとっては、もはや不可欠な道具であり業界のお約束なのだろう。口語体で、話しかけるように長文の題名をつけるのは、ラノベ書きの定石その1といえる。そして、定石通りのタイトル名が、アニメや実写化された動画のタイトルになるので、世の中のエンタメコンテンツの題名が長文化していく。テレビドラマの題名もそれにつられて長くなっている。非常に穿った言い方をすれば、Web世界が現実世界を侵食している。

【続く】

書評・映像評

ラノベのあれこれを考えてみた #4 「何か」までまだ少し寄り道中

写真はイメージです 放浪旅に歌舞伎役者キャラは似合うと思ったから歌舞伎座にしてみた

最近のヒットゲームでゲームとラノベのお作法を比べてみる。FF15の主人公チーム・キャラ4人プレイとDEATH STRANDINGのソロ配達人が、典型的な物語づくりの対比になる。FF15は「スタンドバイミー」のオマージュのような気もするし、DEATH STRANDINGは「ポストマン」 D プリン作のオマージュだと思う。
典型的なグループ旅物の体裁を取るのがFF15で、ゲームの全体構造もストーリーも古典的英雄譚の形を忠実にまもっている。女性キャラが登場しないのが、いささか定石から変わっているくらいのものだ。
DEATH STRANDINGは、旅物の定石を破り、最後まで一人旅だ。手助けする仲間も、同行してくれる魔物もいない。襲ってくるミュータントや化け物はいるが、それも倒さなければならないことは稀で、戦わずに逃げても物語は進む。
この一人旅がラノベ(活字)になったとしてヒット作品になったかというと、これはかなり怪しい。ラノベ→ゲームは成立しても、ゲーム→ラノベは難しいという例だ。やはり現代のエンタメ産業としてのゴールデンルールは、
ラノベ(webテキスト)→ラノベ(出版)→コミカライズ(出版)→アニメ(動画放送・配信)→ゲーム(スマホ・専用機量対応)→インスパイア系ラノベ(web)ということなのだろう。
そのエンタメ・サイクルの出発点であるラノベweb版で重要視されるのが、ともかくクリックしてもらうことだ。そのための手段が題名・タイトルで興味を惹くことであり、題名のあらすじ化・長文化現象が起きる原因となる。

そういった意味を合わせてラノベ作品「村人ですが 何か?」を考えてみる。(ようやく本論に戻ってきた)主人公は転生者であり、本来は(お話の決め事としては)何らかの超常的な優位技術を持っているはずだ。しかし、題名にある通り「村人」として転生する。村人とはRPGゲームでは、いわゆる何の能力もない最低レベルの「ヒト族」という設定で、主人公の問いに一言、二言答えるだけの存在だ。だから、主人公の同行キャラになることなどゲームの都合上ありえない。
ところが、この物語では主人公が、その最低レベルの「ヒト族」の弱者で、守るべき幼馴染が「勇者」という設定だ。世界を守る役割を持った強者を最弱キャラが守るという掟破りな話になっている。まずこの時点で、英雄譚の鉄板定石が壊れている。
題名の意味することは、主人公の設定がキャラとして最低レベルで冒険になど全く向いていない、それに何か文句あるの?という読者に挑戦的な意思表明だ。(ちなみに、手元にあるラノベの最長題名は31文字だった。昔の原稿用紙でいえば2行分に当たる)
そして長文化した題名は、わかりやすさを考えると口語体になる、ならざるを得ない。漢字や熟語を題名に多用することの意味は、形容を抽象化し圧縮するためにある。そもそも論で言えば、より少ない単語で題名を作りあげることの意味はその意味の圧縮性にある。だから小説を全部読み終わって、初めて題名の意味がわかることが多い。(それが小説読みの楽しみとも言える)
ところが、ラノベの題名は抽象化が必要ないからか長文でも問題がない。そして、読者に話しかけるような会話文にしても問題ない。逆に会話形式の方がわかりやすくなるとも言える。「ミケの旅」と書くと、ミケという人だか猫だかわからないものが、どんな時代のどこの国を歩き回るのかわからないし、旅の目的も想像できない。ともかく何かがあちこちに放浪するお話なのだろうか、と理解というか推測をするだけだ。
ところが「精霊使いの美少女ネコが、エルフの国からドワーフの街に追放されてジジイに復讐を誓う件」と書かれていれば、主人公ネコは名前であって、おそらく種族はエルフであり、ドワーフの街に追放されるのだから、エルフとドワーフは少なくとも敵対関係で、ネコはエルフ種族の年寄りな男性の誰か、つまり族長と長老とかいう年寄り連中に仕返ししたいのだな、くらいは予想できる。
小説Webサイトにずらりと並ぶタイトルリストから、ぽちっとクリックさせるために生み出された戦術と言われれば納得できる。

【続く】