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食べ物レポート

ご当地パン

3月限定発売の「所沢醤油焼きそば」と隣町である「東村山黒焼きそば」を、ギリギリのタイミングでゲットした。所沢(埼玉県)の方はすでに見つけていたのだが、東村山(東京都)は隣町に行かなければ売っていないのかと諦めていた。
埼玉県のローカルスーパー、「ヤオコー」では東村山黒焼きそばは見つからなかったのだが、ふと思い出したのがもう一つの埼玉ローカルスーパー「ベルク」の存在だった。いそいそとベルクに行くと、なんと醤油焼きそば、黒焼きそばが並んでいた。やれやれ。
さて、東村山に黒焼きそばなる名物があることは全く知らなかった。所沢の醤油焼きそばも、世間的には似たようなものだろう。知名度はこれから伸ばしていくとして、このスナックサンドの味なのだが、どちらも焼きそば+マヨネーズ味なので、食べてみると正直味の違いがわからない。色は確かに違うのだが、パンの中にサンドされているマヨ焼きそばは、味の判別が不能だった。マヨもたっぷりすぎる感じがするから、余計にその差がわからない。
まあ、この手の商品は一度食べて、うんうんこんな感じと思うか、あれれなんだか違うなと思うか、人それぞれの感想で良いのだろう。美味い不味いは超越したところに存在感はある、ということだ。これからやってくる夏祭りであれば、それぞれの街でどちらの焼きそばもローカル縁日で活躍することだろうし、それでよしとしよう……………と町の関係者は思っているだろうなあ。
最近のインフレ市場では、値上げの目眩しであれこれ新製品を投入して値上げ感を払拭しなければいけないので、しばらくの間はこの手のご当地パンが楽しめるかもしれない。
その時には、またお試しするのも良いのだが、ランチパックも含めた新製品はジリジリ200円の壁に近づいている。200円を超える新商品は見たくないような気もするのだが……………

街を歩く

ようやく出会えた新潟麺

コロナの最中に行ってみたいと思っていた店が何軒か積み残しになっている。ダラダラと続いていたコロナ騒動の間は、こちらの都合が悪かったり、お店が休業していたり、なかなか出かけるタイミングが取れないまま放置してしまっていた。
そんな中の一軒が、新潟では有名な中華チェーンの関東進出一号店だった。自宅からは比較的近いのだが、埼玉県は県の東西をつなぐ交通機関が壊滅的に微弱なので、なかなか行くのが面倒くさい場所「大宮」地区にある。ふと思い出したのが良い機会だと1時間ほど運転して訪店することにした。
ネットで調べた場所は、鉄道高架下の空間で、駅からの距離が遠いこともあり、通常であれば駐車場になるような場所だ。効果の下にお店が一軒、すっぽりと収まっている不思議な作りだった。昼時ということもあり外には席待ちの行列もできていた。

看板商品らしい 五目うま煮麺

新潟はローカル・ラーメン激戦区で、地域ごとにご当地ラーメンが乱立する戦国時代らしい。その激戦地のラーメンチェーンだけあり、どこのご当地ラーメンとは書いていないが、新潟各地の有名麺はしっかりと押さえている。周りの注文を聞いていると、煮干しラーメンが優勢な感じもするが、ここは初志貫徹で「五目うま煮麺」にした。メニューにはこのチェーンの最高傑作と書いてある。
首都圏の中華料理屋では広東麺と呼ばれるあんかけ麺だ。
熱々な餡の下には中細のストレート麺とあっさり系の醤油スープが収まっていた。普通にうまい。スープのあっさりめな感じが、最近ではすっかり見かけなくなった端正な麺料理という印象を強くする。
気温の低い時期であれば、このラーメンが人気である理由もよくわかる。一杯1000円越えのラーメンが当たり前になりつつあるインフレなご時世で、これまた随分コスパの良い価格設定だった。首都圏で限定しても、二桁の店舗はすぐに出店できそうだなとは思うのだが。

餃子3個セットというのが、この店の標準メニューらしい。周りの注文もほとんどが餃子3個セットだった。ラーメンに餃子という組み合わせは、ラーメン店で単価引き上げ策として絶対条件だが、それを一皿5ー6個で500円というような売り方をする店が多い。これも店と客の知恵比べなのだが、個人的には一皿の単価を抑えて、注文率を100%に近づけるという方策が正解のような気がする。ラーメン激戦区出身のせいか、このあたりのマーチャンダイジングがお上手のようだ。
この餃子だが、久しぶりに食べた「ニンニクガツン系」で、3個食べたら口の中がニンニクで占拠されてしまった。ラーメンと合わせて食べるにはちょっと強烈だが、マイルド系のスープとはこれくらいでちょうどよいのかもしれない。

次は煮干し系を試してみたいのだが、お店が遠すぎるのだよねえ。

食べ物レポート

金曜夜の喧騒が復活していた

友人たちとの定例飲み会に今回は懐かしのゲストが一人ということで、新宿の夜、それも金曜に出張ってきた。街をすれ違う人の半分は外国人と言いたくなるくらいの訪日観光客がJR新宿駅から歌舞伎町に向かっていたが、その流れに逆らって新宿駅南口を目指す。
店名を見てずっと疑問に思っていたのだが、「のだり半」なのか「だり半」なのか、それをお店で尋ねようと思ってすっかり忘れてしまった。確か鮨屋の符牒で「だり」という言葉はあったはずだが。

店の前に黒板が置いてあるのはよく見かける。日替わり定食だったり、本日のおすすめだったりが描かれている。だが、なんとホワイトボード(それも会議室によくあるやつ)が置かれていると、サラリーマンの方達はそれなりに身が引き締まる思いがするのでは……………
本日の議題は、「天ぷら」と「酒蒸し」です、ということらしい。全員謹聴。

宴会コースなので飲み放題付きで7品(同行者が教えてくれた)とのことだった。まず最初に前菜としてあん肝が出てきたが、この登場の仕方はすごいな。従業員から言われてみるまで、何が出てきたのかわからなかった。あん肝ってメインアントレ風にもなるのだな。フォアグラのソテーならぬあん肝のソテーが存在する気がしてきた。ちょっと食べてみたいかもしれないな。

鮨屋でサラダももはや当たり前の時代だとはわかっているが、こうしてドカンと野菜が出てくるとやはりなんと言いますか、抵抗感というか違和感みたいなものも感じなくはないが。でも、食事のバランスとして野菜は食べた方が良い。それが鮨屋であっても野菜は大事と言い聞かせる。
お味は酸味が強めでさっぱりした味わいだし、わかめは美味しいので文句はない。

ぽんぽんと良いテンポで魚が出てきた。2時間のコースなので料理の出方が良いペースだった。魚料理でのフルコースもなかなか楽しい。ただし、食べ方に手こずるものもあり、さっさと片付けるためにはさっさと食べ終わらなければならないから、なかなか忙しい。出てくる料理はボリューム感もあるので、周りの客層を見ても比較的若めだった。というか、自分たちが最長老的な感じがした。
店内はかなり密着した座席配列で、コロナ前と同じ程度の詰め方だ。それが満席になっているのだから、周りの会話は丸聞こえで、アルコールが入っているせいか誰もが大声で話している。懐かしい光景だと言えばそれまでだが、他人様のあれこれを聞くに都合が良い(笑)ついつい隣のグループの話を聞き込んでしまった。また時代は変わっているのだね。
最後に出てきた鮨の盛り付けを見て、これまたちょっとびっくりだった。ネタが全部「赤」系統で色目の変化がなし。卵の黄色もなければ、イカやタコの白もない。ましてやタイやヒラメの白身魚もない。(厳密に言えば金目鯛は白身扱いだと思うが、皮目が真っ赤だしなあ)
これは、個人的には大革命に近い盛り付けで、目でも楽しむ握り鮨という伝統感は全く考慮されていないようだ。おそらく濃い「味」優先ということなのだろう。一番人気のサーモンが入っていないのは不思議だが、嗜好の変化に合わせて変わっていくのは大事なことだ。そもそも江戸前の握りとは生魚は乗せない食べ物だったのだから、変化がダメだと言うつもりもない。多少はショックを受けながら、それでも美味しく完食した。

2時間ほど食べて飲んで満足したのだが、きっちり時間で終了して次々と時間ですと言われて退出していく客を見ていると、なんとなく昭和バブル期の飲み屋を思い出した。バブルの頃は需給バランスが崩れていて、行きたい店の予約も取れない「店強し」の時代だった。
それがバブルの後は店に客が来なくなり、あの手この手の安売りを含めたサービスが横行した。「客強し」の時代だ。どうやらコロナの後は、「店強し」に戻りつつあるらしい。
戻りといっても、そのバブルを知る人も少ない時代になってしまったし、昔は良かった的なことを言うつもりでもない。ただ、バブルの後に負けた原因を分析して生き残った企業と退場した企業がある。今の時代に合わせすぎると、次の時代に生き残れない。コロナが終わり客が戻ってきたから、多少は損を取り返すと言うのは当然だろうが、儲け方の匙加減が難しい。驕れるもの久しからず、昔の人の警句が耳の中で繰り返しになっていた。

食べ物レポート

普通に美味しいレストラン

食べてしまって気がついたが、これが正面の向きではないのね トホホ

前菜からデザートまでしっかりと食べることはすっかり減ってしまった。社交的な会合に出る機会がなくなったということもあるが、自分のお腹の都合というのもある。食べたいものを食べたいだけなどとわがままを尽くすようになって、結果的にサラダとメインだけで注文おしまいみたいな感じが多くなった。店からするとありがたくない客だろう。その分、せっせと回数を稼いでくれれば良いのだが、それすらもサボり気味となれば、もう来なくていいですよと言われても仕方がない。
そんなダメオヤジが友人に誘われて、恵比寿の片隅にある家庭的なイタリアンレストランにノコノコ出かけてしまった。こじんまりした居心地の良いお店だった。メニューを眺める前からうまそうな予感はしたのだが、友人たちがマダムと相談してシェフにお任せで適当に、ということになったらしい。それに文句はないし、お任せであれば何が出てくるのか楽しみだ。スタートは生ハムといちじく。最近は、この肉とフルーツの組み合わせが気に入っている。昔は塩蔵肉をうまく食べるために甘いフルーツと組み合わせて作られたmrニューなのだろうなと思う。今のように塩蔵肉の塩度が低下してくれば、またちょっと違う意味合いもありそうだが。肉とフルーツ、魚とフルーツという味の組み合わせはもっとバリエーションが多くなっても良さそうだ。和食で言えば、干し柿の和物みたいな感じだろう。干し柿とバクライは一度食べてみたいかも。

イカのマリネは前菜として嬉しい。イタリアンの良いところは海産物に関して自由な発想の調理をすることだと思っているが、イカやタコを食べる国は地中海的な明るさがあるよねなどと勝手に決めている。シーフードとオリーブオイルとガーリックが合わされば、無敵の料理になるのだ。

イワシも日本的な天ぷらや塩焼きとは違う発想で食べると美味い。イタリアンの濃いめの味付けには白身魚よりも青魚が合うと思っているので、これも旨しでガシガシと食べる。トマトとイワシは海の恵みと土の恵みだ。和食で魚を油でソテーした料理にはお目にかかった記憶がない。どこかで食べたことがあるのかもしれないが覚えていない。鰤の照り焼きがソテーといわばソテーなのだろうが、あれはもはや煮魚ではないかという気もする。豚肉の代わりに鮭やギンダラを生姜焼きにすれば和風ソテーになるかなあ。蒸し魚のあんかけ料理はあるから、ソテーにするよりそういった調理法が和食には向いているということだろう。

メインは肉。小ぶりのステーキかと思ったら薄切り肉が重なっているものだった。甘めのソースが絶品で、やはり肉料理はソースで決まると、これまた勝手な感想で納得していた。旨しだった。

そして、これが指定注文していたラザニアで、それも一人前に調整して出てくくる細やかさ。オーブン料理も和食とは異なる発想の調理法だが、これは焼くときに欠ける濃厚系ソースが重要なポイントなので、日本食としては難度が高そうだ。味噌を使ったソース(餡かけ)みたいなものになるのは予想できるが、やはりこのラザニアやドリアに代表される濃厚さは難度が高いだろうなあ。某イタリアンレストランチェーンの最大人気商品がドリアだというのは容易に納得できる。

最後にフルーツソースがかかったアイスクリームが登場してコースは終了した。満腹と満足の程よいバランスだったが、イタリアンでシェフのおまかせというのも、なかなか面白いものだなあ。随分と昔にローマまでお勉強に行った。その時に食べた普通においしい普通のイタリアン料理を思い出した。豪華な食材を使った豪勢な料理より、普通の食材で普通に美味しい料理は提供するのは難しいと思う。まさに料理は素材だけで旨くなるものではないというお手本のようなディナーだった。
来週にでもまた行きたい、そんなお店でありました。マダムとシェフにグラーチェ。

恵比寿駅から山手通りを渋谷方向に戻る 徒歩4ー5分にあるトラットリアでした。

街を歩く

昭和は遠い日の誘惑

赤提灯は昭和の象徴?

最近、恵比寿での用事が頻発?して何度も通っている。コロナの間にはほとんど出向かなかった夜の恵比寿に久しぶりに出没してしまった。恵比寿の街のあちこちで、昔用通っていた店がなくなっていた。それは仕方のないことだとは思う。店主が年配者どころか後期高齢者みたいな老舗が多かったから、そろそろ代替わりをするか、それとも店をたたむかというタイミングだったのは間違いない。街の新陳代謝と考えるべきだとは思う。閉店して残念だなとは思うが、これまでお疲れ様でしたと感謝したくなるような閉店の仕方でもあった。
しかし、依然として元気に営業中の店もある。その何軒か存在する「元気に営業中」の店にちょい飲みしに行ってみようかと、街をぶらついてみた。結局選んだ一軒は駅前に近い、おそらく恵比寿でも一番の老舗に近い焼き鳥屋だった。生まれて初めて恵比寿に来た頃から、すでにこの店は存在していた。今の恵比寿駅ビル「アトレ」ができる前は、恵比寿とは実に鄙びたまちだった。この街にはまともな本屋がないのかと嘆いていた頃だ。昭和中期のテイストが、その頃からまるっきり変わらない。
というか開店当時は、それなりに現代的な店だったのではないかと思う。昭和中期には、木材を多用した山小屋風の内装とか、お蔵を改造しました的な和風デザインが多かった。共通するのは照明の暗さだ。昭和中期とは、薄暗い店がスタンダードだった時代とも言える。

一人で入ると、たまたま焼き場の前のカウンター席が空いていた。見慣れた店長(多分)の顔を見てホッとしたが、初めて来た頃は若くて元気だった店長も、今ではすっかり落ち着いて店を仕切っている。むかし焼き場にいたおじじは、やはりもう引退したのだろう。
普通に焼き鳥を4本注文し、普通に酒を頼む。飲み食い終わったらさっさと勘定して帰る。一人飲みを始めて身についた習慣だ。昔は、終電間近まで延々と騒いでいたこともあった。それを思えば随分変わったものだと、我ながら感心する。この店本来のスタイルに自分の歳がようやく追いついたということなのか、とカウンターで飲みながら気がついた。

あれこれ考えながらカウンターの上に置かれている調味料を眺めていたら、なんだか色々と注釈がしてある。コロナの間は卓上の調味料類撤去がルールだったから(これも誰が決めたことなのだろう)、営業を元に戻してみたら客が調味料の使い方をわからなくなったのかと笑ってしまった。
コロナで起きた変化が元に戻る、あるいは新しい形にもう一段変わる。今はそんな時期のようで、ふらりと一人で飲み屋に入ってみるとなかなか楽しい発見がある。2-3人の小集団だったグループ客も、最近では5-10人で飲んでいるのをよく見かけるようになった。
そういえば、路上飲みの話もすっかり聞かなくなったし、あれは貧乏人の路上パフォーマンスみたいなものだったのかもしれない。どこで飲んでも酔っ払いとは、世間様に迷惑をかけがちなのだなと思いながら店を出た。

街を歩く

味噌ラーメン@恵比寿 再訪

恵比寿での所用が終わり、昼飯の時間になった。昔よく行っていた食堂の何軒かを思い出していたが、ふと思い立ち味噌ラーメン専門店に行くことにした。この店はコロナの最中に見つけた比較的新しい店だが、もともとこの場所には長く通っていた居酒屋があった。ビルの奥まった場所で、通りからは見つけにくい隠れ家的な場所だった。その店の看板が変わっていたことに気が付かなければ、おそらく訪れることもなかったような気がする。

味噌ラーメンの専門店が増えているなと思ったのは-8年前だっただろうか。千葉初の濃厚味噌ラーメンが急拡大しているのを視察に行って気がついたことだ。以来、コロナの時期を挟んで入るが、味噌ラーメンの新店が目につく。創作料理風のラーメン店が増えているなか、濃厚味噌ラーメン系の店は「がつん」と来る味を売りにしているので、好んで試しに行っている。ただ、濃厚ガツン系だけあった麺・スープともに量が充実しまくっているのが、ちょっと困ったところだ。もう少し全体的に量が少なめでも良いのにというのは極めて個人的な感想だ。

前回食べたときは普通の味噌ラーメンにしていた。所見の店はいつでもシンプルにその店の定番的なものを選ぶことにしている。その定番が気に入れば、変化形である「味変わり」を試してみる。なので、今回は変化形の「辛い味噌」にしてみた。つけ麺やまぜそばにするのはまた次回ということになる。
辛い味噌は辛さを選べる。普通レベルの辛さにしてみたが、もう1段階辛くても行けそうだ。半分くらい食べたところで、額から汗が出てきた。それでも舌が痺れるからさではないから、発汗作用の多いアレンジなのだろう。辛さは個人差がとても激しい味覚なので(厳密には味覚ではなく触覚らしい)、どの店に行っても普通を試してみる。その上で、自分の好みとの調整を図らなければ、好みの辛い食べ物にはならない。たまに行くタイ料理屋などでは、店が言うところの普通レベルの設定がかなり高いことが多く信長になる。だが、ラーメン店の辛さであれば、こんなもんで行けるかと過信して自爆することが多い。特に最近開いた店の辛さレベルは、全体的に高めになっているので(時代の辛さの許容度というか中庸度がどんどん辛い方にシフトしている)、普通レベルでもかなり冒険的になっている気がする。
この店の辛さ普通レベルは、ありがたいことに本当に普通だった。味噌味の濃厚スープと相まって体温上昇する感じがする。太めの麺もスープの味に負けない強さがある。ひき肉ともやし炒めは味噌ラーメントッピングの古典的な役者たちだが、これもシャキシャキ・コリコリと食感を広げている。実に味噌ラーメンらしい、と表現するべきなんだろう。
ラーメン一杯1000円時代の定番といったところか。ただ、恵比寿は今でもラーメン店の開店が続くオーバーストア・エリアなので、次にこの店に行くのはいつになることやら。

ソロキャンあれこれ

焚き火飯 2号

夕方になり焚き火飯の2号に取り掛かった。こちらは最近ネットで見つけた簡単レシピーの完コピで全くオリジナリティーはない。ただ、自宅のキッチンで調理すると何となくすごい匂いが出るのではないかと、野遊びがてらお外で料理することにした。

材料は挽肉とニンニクのみ。挽肉は豚でも牛でも良いのだろうが(そこはレシピーの確認をしていなかった)、今回は牛豚合挽きを使ってみた。肉の量は自分の腹具合に合わせて決めれば良い。今回は300g弱のパックを買ってきた。

このひき肉をスプーンで上からぎゅうぎゅうと押す。飽きるほど押す。これでもかと押す。高さが半分くらいになるように押す。以上だ。

押した肉の上に適当なスパイスをかける。今回は左半分が塩コショウで、右半分は鳥取砂丘スパイスにしてみた。好みでハーブをかけたり、モンゴルのピンク岩塩を使っても良いだろう。

鉄板に油を入れてニンニクの薄切りを茶色になるまで炒める。ガーリックオイルが出来上がったところで、焦げたニンニクは取り出す。後から調味料にする。

押し固めたひき肉を鉄板で焼く。ものすごい量の油が出てきたので、ティッシュペーパーで油を吸い取った。鉄板の淵から溢れそうな具合だったから、ひき肉をは半分以上が脂身なのだなと改めて感じる。

裏面に火が通ったところでひっくり返す。またしばらく焼く、出てきた油をティッシュで拭い去る。ただし全量は取らないのが大事だ。焼いているというより、揚げていると言いたくなるほどの油だった。

調味料としてオリーブオイル少々、甘口醤油、日本酒、砂糖を肉を取り出した脂の中に放り込み、甘辛ソースを作る。

その甘辛ソースを肉にかけて調理終了。つなぎが何も入っていないひき肉なので、多少ボソボソした食感だが、肉を食っているという感じは強い。肉を切り取るのにナイフはいらない。箸でちょっと強く押せば、適当な塊に切り分けられる。手抜きなステーキというか、インチキな焼き肉というか。それでも肉を食べている感は強い。
大きめの塊を、先に揚げておいたガーリップチップと合わせて口いっぱいに頬張る。いや、肉だ、まさに肉を食っている、という気分になる。ただ、ステーキ肉のような塊肉感は全くないから、人類の歴史に存在した「原始人の骨付き肉」的な満足感はない。純粋に肉感を楽しむのであれば、合挽き肉ではなく牛肉、あるいは豚肉のひき肉の方が良さそうだ。
どちらにしても、肉で腹がいっぱいになる膨満感というか飽食感がお手軽に得られるのは間違いない。この脂身たっぷりのひき肉を食べ切ると、米の飯の入る隙間はない。この肉を焼きながらメスティンで炊いていたくるみご飯は、そっくり次の日の朝食へと先送りされた。肉を食いすぎて、当分は肉料理はいらないなと思う程には満足した。
ただ、これはやはり焚き火飯というか野外調理が向いているようだ。室内で焼くと、脂の匂いがこもってしまいそうだし、それを避けるためにフライパンで蓋をして加熱すると、何やら別物の蒸し料理になる感じがする。乱暴な料理は屋外で、がよろしいかと思います。

街を歩く

朝うどん コスパの悲しさ

キャンプ場帰りの途中に埼玉県民熱愛らしい山田うどんの店がある。このチェーン店は牛丼屋と同じで営業時間が朝早くから夜遅くまでと長い。朝の客層はネクタイをしたサラリーマンというより、作業着を着たガテン系が多い。郊外幹線道路脇という立地もあるだろうが、駐車場にも大型の作業車や軽トラが目立つ。ベンツやレクサスが停まっているのは見た記憶がない。
そのせいなのか、朝飯だというのにそれなりというか、朝飯とは思えないボリュームのメニューが並んでいる。その中でも、これは控えめだろうと思うカレーライス小と半うどんのセットを頼んでみた。うどんは味噌汁代わりみたいな感覚なのだろう。提供時間はやたら早い。そして完食すると満腹感がすごい。カレーのスパイスのせいか軽く汗が出る。これくらいはぺろっと平らげる体力というか代謝量があった時代もあるなあ、などど情けない感想しか出てこなかった。
たまたま、この日は朝起きてから寒すぎて動き回る気がしないまま、インスタントコーヒーをい一杯だけ飲んで撤収してしまったのだが、キャンプ場を早く出過ぎたせいで朝の通勤ラッシュにハマってしまい、それを避けようと立ち寄った。空腹感満載で気合を入れて入店したわけでもなく、素うどんで良いかなくらいの軽い気持ちだった。トーストとゆで卵のモーニングメニューがあれば間違いなくそれを注文していた。
それでも、朝からスパイス入りの食べ物を腹に収めると、何となく体温が上がり活性化されたような気がする。だとするとこのカレーライスとうどんのセットではなく、カレーうどんを注文すればよかったのだろうか。
たまには、朝飯を外で食べるとあれこれ考えることがあるから、頭の活性化には役立つのだが………

店の入り口に置かれていた日替わりメニューのポスターをみて、しみじみすごいぞと思った。この超ボリュームなランチセットは注文しても絶対完食できないような気がしてくる。うどんと丼飯という組み合わせは相当に凶暴だと思うし、プラス100円でうどんがラーメンに変わるのだから、普通であれば二食分たっぷり食べて1000円でお釣りが来るということだ。コンビニ弁当が600円台になっているご時世で、この大盛り二食セットはコスパ最高だろう。
ただ、自分にはあまり関わりのないコスパの良さに気がつくと、なぜかちょっと悲しくなる。鮨の食べ放題に行けば絶対に払い負けすると思ったのはいつの頃だっただろう。あれが、我が凋落の始まりだったな。

ソロキャンあれこれ

焚き火飯 1号

小型の焚き火台は暖房器具というより調理器具といった趣がある。調理加熱用の便利な道具はたくさんあるのに、わざわざ面倒くさい使い勝手の悪い焚き火で調理をしたがるのか。これはキャンプ愛好者の中で大きく趣味が別れ、かつ決定的な価値観の差だ。(だいぶ偉そうだが)
個人的には、ガスコンロなどを使ってチャチャっと料理をするのが好みだが、そこはソロキャンプの宣教師である〇〇〇先生に従って、焚き火飯がキャンプの醍醐味だとしておく。
当然、微妙な火加減などできるはずがないので、仕立て上げるものはワイルドなメニューになる。

アスパラのベーコン巻きならぬ、岩下の新生姜の豚バラ巻きを再び挑戦することにした。これは以前も作ってみたが、その時は豚バラ肉の切り身が短すぎて、巻き方がうまくいかず潰れただんご状になってしまった。そこを改善するべく、今回は長いバラ肉を選んできた。バラ肉の産地などにはこだわらないのだが、この肉はスペイン産だった。ヨーロッパ産の豚肉といえばデンマーク産と決めつけていたが、産地が広がっているようだ。世界の物流が元に戻ってきているのかもしれない。

生姜を適当な細さに切り分け、それを並べて豚バラで巻くだけなので作業は簡単に終わる。生姜と豚肉の量はほぼほぼバランスしていたが、ちょっと余ったバラ肉は後から焼きそばの具材にすることにした。

薪の火が多少落ち着いて熾火になったあたりで、鉄板を使い一気に焼き始めた。バラ肉のためか予想外に油が出てきて、焼いているというより揚げている感じがしてきたので、ティッシュペーパーで油を吸い取る。その作業中にティッシュペーパーに火がついて慌ててしまったが、そのまま薪の上に突っ込んで燃やしてしまった。この辺りが焚き火調理の鷹揚と言うかいい加減さだ。
自宅のキッチンで調理中に火が出たら相当に慌てるだろうと思うが、野外では他に火がつくものもないし、そこらへんに火がついた紙を投げ出してしまっても、踏み消してしまえば良い。とにかく、そこまで大ごとになることもなく、発火処理は無事に終了した。

焼き上った豚バラ生姜巻きは軽く塩胡椒をしただけなので、つけダレとして北海道が誇る豚しゃぶのタレを使うことにした。これは、北海道限定で販売されている商品で、原型はジンギスカンのタレだ。ジンギスカンのタレ風のしゃぶしゃぶアレンジという感じで、脂の多い豚しゃぶにはよく合う。北海道ではラム肉のしゃぶしゃぶもよく食べられているが、このタレとの相性は豚肉よりラムシャブの方が良い。
東京周辺で好まれる牛しゃぶにはあまり相性が良くない気がする。だから、しゃぶしゃぶ食べ放題の店に行っても、そしてそこに十種類以上のタレがあっても、この「醤油味スパイス系」は見当たらない。北海道限定販売であっても、北海道に行くたびに、二、三本ほど現地調達してくるので家で使うには不自由はしない。
ただ、10年以上前のジンギスカンブーム以来、首都圏であればどこのスーパーでもジンギスカンのタレは買えるようになったが、このシャブタレはお目にかかることがない。次はラムしゃぶしゃぶが流行して、このしゃぶタレブームが訪れてくれないものだろうか。簡単に手に入るようになると良いなと思っている。
ちなみに首都圏各所にある北海道ショップでは、このしゃぶしゃぶタレを置いていないところが大半で、おまけに置いてある店でも季節商品だから、手に入れるのはなかなか難しい。
もし見かけることがあれば、一本調達するのをお勧めします。

街を歩く

花見とキャンプ

今年も桜を見ることができて安心した、という楽曲を歌っている女性シンガーのアルバムを毎年この時期には聞き返す。歳をとることを肯定的に歌っているのだが、100歳まで頑張って生きていくのよと歌われてもなあ………とずっと思っていたが、年々その感覚が強くなる。
ただ歳をとるとその分だけ桜の楽しみ方が変わるという点には同意する。若い頃より、明らかに桜を見るのが楽しくなってくる。まあ、桜の散り際の良さに憧れるというのもあるのかもしれない。満開の桜の下で桜餅を食べるのは、とても楽しみだ。目で楽しみ舌で楽しむ。春爛漫とはこのことだ。

などと考えているのだが、世の中には桜の下でキャンプをしたいという方もいるようで、よくいく近場のキャンプ場では、桜の花散る中で賑やかなデイキャンプをしていた。週末の午後でもあり、夕方には宴会を終了してお帰りになっていたが、皆さん車なのでノンアル宴会だったようだ。時代は変わり、宴会でアルコールが不要になったとは、これまたすごい時代の変わり目なのだろう。タバコの次はアルコールが社会的に息の根を絶たれるかなと思った。
ちなみに、このキャンプ場はワーケーション仕様で、キャン場内完全にwifeが対応している。これもまたすごい時代だなと思う。

ただし、その現代仕様のキャンプ場の外は、昔のまま、武蔵野の雑木林が残っている。雑木林の中は、まさに雑木なので色々な種類の樹木が生えている。整然と整備された公園の並木とは異なる、懐かしいというかホッとする感覚がある。里山が近くにある場所で育った「田舎育ち」であれば当たり前の光景だろうが、大都市圏で自然とは整備された公園と錯覚している子どもたちには、トトロの森のような場所なのかもしれない。
雑木林の中では様々な鳥の声も聞こえてくるが、支配的なのはカラスのカーカーという声だ。それと、鶯がたまになく。カラスの声は……………あまり風情がない。

組み立て式の焚き火台とテーブル、カトラリーセットで設営完了

そんなキャンプ場で、ソロキャンプのおっさんたちは、なぜかキャンプ場周りの植え込みに向けてテントを張る。人や車の姿を視界に入れたくないということらしい。テントのお尻が全部自分の方に向けられているのだから、その意図は明らかだ。
だから、このキャンプ場は夜になっても他人様の明かりが目に入らない。

湯沸かし用にカセットコンロを設営置けば完了 そのあとはのんびり読書

今回は、駐車場に停めた車の中で寝るつもりなので、テントは貼っていない。ワンタッチで設営できる日除シェルターの中に、ユニット化したキャンプ道具(プラスチック箱に用途別に整理したもの)をおろし設営完了。椅子と焚き火台を組み立てるまで、所要時間はほぼ10分だ。撤収時も多少手間取っても30分程度で完了する、時短キャンプに挑戦してみた。
お湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲む。ゆっくり歴史小説を読む。夕方が近づいてきたら焚き火で飯を作る。時間の使い方が変わったなと自分でもわかるのだが、限られた時間の中で何かをどれだけできるのかと考えるのをやめるてしまった。すると、新たに見えてくるものがある。
ほとんど何もしないで、ぼーっと過ごすのも良いものだという感覚だが、これは単純に脳細胞が死滅してものを考える能力が低下しているだけかもしれない。焚き火の火を見ながら、しょうもないことを考えている。美味い飯も美味しい酒も、最近ではどうでも良くなってきた。「人間は退行する生き物だ」という言葉が何の脈絡もなく浮かんできて、思わず自分のことだと苦笑していた。
花見の時期は物憂げになってしまうので(主に花粉のせいだが)キャンプとはあまり相性が良くないらしい。案の定。この日はやたら花粉が多くて鼻水が止まらなくなり、やはりおうちにいればよかったかとちょっと反省してしまった。