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健康的な朝飯とは

高知 スーパーホテルで 真ん中のフライは何と卵 これこそまさにフライドエッグ

ビジネスホテルのランキングなどを目にすると、自分が泊まったホテルのことをあれこれ考えてしまうのだが、サラリーマン(ビジネスマンと言えるほどではない一般人)が泊まるホテルの評価点は似ているものらしい。
順不同だが、ホテルを選ぶ際の重要ポイント挙げてみると
部屋の照明が明るい、天井に照明がついている
ベッドが適度な硬さである
大浴場が設置されている
朝食のメニューが充実している

になるようだ。
部屋の照明が明るいのは最近のビジネスホテルの特徴だ。いわゆるシティーホテルは間接照明が主体だから、サラリーマンのニーズはムードある部屋ではなく日常感のある明るい方が好みということだろう。
風呂やベッドは個人差が大きく出るところだが、面白いことに枕が選べるというのが、今や標準装備になってきている。

そして、朝食だが、リゾートホテルなどでは朝から海鮮モリモリ食べ放題みたいなところが人気のようだが、都市部にあるビジネスホテルではビュッフェ形式であること、野菜が中心であることが支持の高くなる要因らしい。
最近よく使うビジネスホテルチェーンは、この朝飯強化に突き進んで成功したようようだ。個人的には朝から生野菜と納豆さえあれば、ほぼ完全無欠な朝食になるだろうと思う。魚やソベーコン・ソーセージのようなタンパク質は必要ない。卵もいらない。

などと考えているのは体がすっかり高齢化したからなのかもしれないが、昨今のサラリーマン向け朝食というのは、まるで昔の精進料理というか坊さんの食事みたいなものではないかと思うので、野菜中心のビュッフェは大賛成なのだ。

ちなみに、照明の明るいホテルは東急REI、コンフォート、リッチモンドなど。お風呂付きはドーミーイン、サンルート、スーパーホテルなど。野菜もりもり健康朝食については、そもそも朝食メニュー自体が個々の宿で微妙に異なっているので、チェーンとして統一されているのはスーパーホテルだけか……………
高層階の展望が良い朝食会場・レストランはあちこちにあるが、広島 サンルートと弘前 パークホテルがおすすめ。

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ひろめ市場で美味しく飲む

ひろめ市場は朝10時開店とともに、飲み始めるオヤジ・オバンに溢れている。これは現地住民がほとんどだと思うのだが、11時くらいになれば観光客が出動してきて、一気に賑やかになる。
ここ数年は、そのリズムをぶち壊しにするインバウンド客・非日本語使用団体客に客席が占拠され、まるで日本ではないような喧騒が起こっていた。ここ一月ほどの彼の国の政府による観光自粛のため、その賑やかで姦しい集団がいなくなっていた。
コロナ前のひろめ市場はこんな感じだったなあと、すっかり懐かしく思い出した。ここ数年はひろめ市場で酒を飲む気にもならなかったが、今のこの状態であれば楽しく過ごせそうだと、よく使っていた店で酒のつまみを手に入れた。

定食屋でガラスケースの中にあれこれ小皿に入った料理が並んでいる店がある。サラダや煮魚やフライなど、好きなものを好きなだけ取るシステムだが、それの居酒屋版とでもいうべきだろう。
刺身や酢の物、煮物などが並んでいる。それを何品か選び合わせて酒も注文する。ひろめ市場のこのスタイルは、最近の言葉で言い換えればフードホールとでも言えば良いのだろうが、感覚的には屋台村だ。壁際に並んだ色々な店から多種多様な料理を買ってきて、セルフサービス居酒屋になる。今回は、ウツボのたたきと蛤の煮物にしてみた。高知名物のカツオや鯨もあるが、気分的には「ウツボ」だった。

ウツボのたたきは好物で、機会さえあればいつでも注文したい。たたきと言っているが、ゆがいたウツボなので「生」ではない。厚めに切ったウツボを、鰹のタタキのタレ、ニンニクやネギなどと合わせて食べる。皮目のコリコリとしたコラーゲン部分もうまいが、コクがあり弾力に富んだ白身が絶品だ。ウツボは唐揚げにしたり、すき焼きにしたりするのだが、やはり「叩き」が一番うまいと思う。
高知の知人に聞いたところ、日本でウツボを常食にしているのは高知県と和歌山県だけらしい。確かに、鱧や穴子はあちこちで名物料理になっているが、一番獰猛そうな顔つきのウツボは嫌われているらしい。
漁師の友人に言わせると、漁が難しくなっているせいでウツボの価格は高止まりしているが、なかなかウツボ漁師は増えないそうだ。おそらく資源的には問題はないのだろうが。

流石に週末であれば、インバウンド観光客+日本人観光客で大混雑していそうだが、それでもあの歩くのも難しい混み方ではなくなっていた。ひろめ市場を楽しむのは、いまがチャンスだ。まあ、あと何年間か、お国による日本旅行規制が続いてくれれば、日本中のあちこちでオーバーツーリズムが解消されて、バランスが良くなりそうな気もするのですよね。

と、ウツボを食しながら国際政治に思いを馳せておりました。

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日曜市で見つけたもの

昔々、高知の日曜市でみつけた「三毛門カボチャ」に、10年ぶりで再開した。このかぼちゃは日本にかぼちゃが渡来した戦国時代にもたらされたものらしい。日本におけるかぼちゃの原種の一つだが、今では栽培する人もいなくなり幻のカボチャとなっている。
元々は大分県で栽培されていて、それが瀬戸内の外れを超えて四国、それも高知の山間地に渡ってきたようだ。このかぼちゃを高知でも散々探したが、スーパーや八百屋では発見できず、たまたま日曜市で並んでいるのを見つけるしかないレアものだ。
皮は硬くて食べるのには向かない。中身は黄色ではなくオレンジ色の甘みの強い身になっている。収量が少ないのか、皮の硬さが嫌われているのか、病気に弱いのか、栽培が広がらない理由はあれこれ考えられるが、一番の理由はこのかぼちゃの甘さを知らないせいだと思う。西洋カボチャとは同じかぼちゃかと思うほどに味が違う。

たまたま大分県がロケ地のテレビ番組を見ていたら、このかぼちゃが登場してきて、今では「宗麟かぼちゃ」という名前になって生産されているようだった。保存種の存続という意味合いであり商業的にはまだまだらしいが、頑張って栽培拡大をして欲しい者だ。


例のあやしい種子法(安倍政権でひっそりと施行された悪法の一つだと思うが)では、古来種の育成・保護は難しいので、おそらく何らかの抜け道、例外規定を適用されているのでは推測している。ただ、それを合法的に行うには地域の負担がずいぶんと大きなものになってしまうのではないかと危惧するが。

財務省解体論をあれこれ唱える人は多いが、農水省の抜本的改革というか解体して再生する必要について論ずるのを聞いたことがない。保守論客と言われる人間のいい加減さを表す指標の一つだと思っている。まあ、リベラルと言われる陣営でも農業に関して知見のあるものはほとんどいないからなあ。せいぜい農薬反対とか有機農業推進とか、頭の中がお花畑な連中ばかりだし。農水省の予算と、日本のGDPに占める農業生産の比率を考えると、気が遠くなるのだけれどねえ。

ちょっとネットで調べたら、甘さが足りないかぼちゃだと記載されていた。甘いのは高知で変種したのかもしれない。

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ひろめ市場が復活してた

高知に名物はいろいろあるが、やはり城や龍馬像よりひろめ市場こそが、The 高知 という気がする。この東南アジアの屋台街にも似た混沌とした雰囲気、カオスな日常感覚は、日本のどこにも存在しないと思う。ちょっとだけ似ているとすれば、那覇にある公設市場脇の怪しい飲み屋街だろうか。
大体の政令都市であれば〇〇横丁のような小体なのみ屋がびっしりと軒を連ねるような場所があるが、それと比べてもひろめ市場のカオス度合いは一段上だと思う。

そのカオスな場所が、なぜか師走になりクリスマス仕様(入り口の前だけ)になっていて、思わず笑ってしまった。日本の中でここほどクリスマスの雰囲気が似合わない場所はないと思う。
あえて言えば、伊勢神宮に代表される「神社」の門前町で、なぜかクリスマスツリーを発見した時の居心地の悪さみたいなものだろうか。心の中がザワザワする違和感だ。招き猫には宗教性はないとは思うけれど。サンタクロースの眷属だったのか?

去年も見た高知市中央公園のライトアップされたクリスマスツリーを、今年もまた見ることができた。これくらいがクリスマス感としてちょうど良い。ただ、高知市民にとってはまだクリスマスが早すぎるようで、夜の公園でロマンスを語るカップルの姿はない。いや、人の気配すらない。誰もいないところで燦然と輝くクリスマスツリーというのも、それはそれでシュールな風景ではある。
どちらも高知らしいクリスマス風景だとは思えてしまう。

久しぶりのひろめ市場は、中に入ればクリスマスの気配などかけらもなく、昼から酒を飲むオヤジ・オバンのための快適空間を取り戻していた。その話はまた別に。

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高知名物らしい

前回は、名物ではない方の中華そばを頼んでみたので、今回は「名物」を注文することにしたのだが……………
開店すぐに入店したが、すでに何人かラーメンを食べている先客がいた。人気店なのだな。

迷わず「つけ麺」を注文した。自分ではお店の名物である牛モツつけ麺が出てくると思っていたのだが、何と「牛モツ」と「普通」のつけ麺があるらしく、出てきたのはう普通のつけ麺だった。それに気がついたのは、隣に来た客が牛モツつけ麺を注文したせいだ。従業員の注文の通し方が違っていた。「つけ麺一丁」と「牛モツ一丁」みたいな感じだった。

普通つけ麺は、当たり前だが普通にうまいので文句をつけてはいけないのだが、牛モツ試したかったぞ、という勝手でわがままな気分でモヤモヤしてしまう。さて、このつけ麺を食べた感想だが、関東で最もオーソドックスなつけ麺を提供している池袋大勝軒に近い。スープのざらっとした舌触りは魚粉由来のものだろう。麺は太めだが、大勝軒のものよりはやや細い。一番の違いは麺量で、これは大勝軒の小盛り程度だろうか。個人的にはこれくらいの量がちょうど良いのだが、若い麺好きにとっては大盛りにしても足りないのではないか。

つけ麺が全国的に広がり始めたのは1990年代だったと思うが、今では日本全国に到達したようだ。北海道でも多くのラーメン屋がつけ麺を提供するようになった。ちなみに、北海道のつけ麺はまだまだ技術的に未熟な店が多い。あと10年くらいは進化しなければ「一本立ち」のものにならないと思う。
九州ではあちこちに独自の進化を遂げたつけ麺が生まれているが、こちらもまだ模倣段階で、独自な九州つけ麺が生まれるまではもう一息か。沖縄ではそもそもラーメン屋をあまり見かけないので、沖縄そばの変形バージョンみたいもの、つまり「沖縄つけそば」が生まれてきそうな気もする。
そうしたローカルなつけ麺文化が発展途上であることを考えると、この高知「牛モツつけ麺」はちょっと異形のつけ麺ということになるだろうか。

もう一回行って、牛骨つけ麺食べるしかなさそうだなあ。

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2019年1月のアーカイブ

2019年の滑り出しは岩手 マルカンビル大食堂からだった

岩手県花巻市、いまでは著名大リーガーの出身地として全国的に知名度を上げているが、昔は北東北の温泉地であり、岩手にあるローカル空港の街であり、宮沢賢治の街だった。
その街に一軒の百貨店があったのだが、全国のローカルデパートと同じように経営が悪化し、ビルの老朽化による耐震基準の課題も出たことで惜しまれつつ廃業。その百貨店にあった地域の名店、大食堂が地元民の奮闘により単独で復活して、今では昭和のデパート食堂の面影を色濃く残す(いや、ほぼそのまんま)国宝的存在になっている。
そこに行く理由はいろいろあるが、苗冬にいったのかが思い出せない。JR花巻駅からは夏であれば徒歩でも行けるが、冬は足場が悪くタクシー利用するしかない。ところが、駅まで戻る時にタクシーは食堂の周りのどこにもいないのだ。
帰りの道を確保するために、食堂周辺のバス停を探して、時刻表をあらためて……………みたいな苦労をした覚えがある。確か、結局駅に戻る集うの良いバスがなくて、泣きながら歩いたはずだ。吹雪の岩手で長距離歩行は相当にしんどい。

ただ、それだけ苦労する価値はあるのだ。特に、箸で食べるソフトクリームは、体感的に三倍くらいうまく感じる。入り口に並ぶメニューサンプルを見て、食券売り場のお姉さんから食券を買い、空いている席に座りお給仕のお姉さんが来るのを待つ。食券を渡し、半券を受けとる。注文の品が届く。この流れが実に美しい。

ただ、個人的には「夏」に行く方が数段楽しいと思う。北東北だけに夏でもそれなりに涼しい。窓を開けた隙間から風が吹き込んでくるのは、エアコンの冷気より何倍も心地よい。うーん、また行きたくなってきたが季節は冬だ。やはり夏まで待った方が良いのかなあ。

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フライト

冬になると羽田空港の滑走路の見通しがよくなる。海上滑走路はいつもぼんやりと霞がかかった感じがするのだが、冬の早朝であればクリアな視界だ。前走するJALを追いかけるように滑走路を移動するのは、なかなか見応えのある光景だった。

東京湾の上で旋回をして三浦半島上空を超えていくと、頭の中で地図が展開し始める。西行きの便は太平洋岸沿いに日本列島を眺めることができる。これは楽しい。実に楽しい。

三浦半島を超えて相模湾、そして伊豆半島と順調に西行していくと眼下には富士山が見える。夏であれば雲がかかっていたりするのだが、冬の間はくっきりと稜線が見える。実に美しい。
このお後は静岡から紀伊半島に至るまで、ずっと山と平野が見えている。東海道が川東まで分断されている道なのだと実感できる。
紀伊半島を超えていくときは、紀州の山々の連なり、いわゆる熊野古道のエリアをみて、よくこんなところを歩いて旅したものだと思う。空から見る日本列島はやはり地図を見ながら楽しむのが良い。
ちなみに北行きのの路線では、眼下の景色はあまり面白くないのだが、成田発便はなぜか海上ではなく下北半島上空を超えていくので、これはちょっと面白い光景が見えrてくる。左に津軽平野、前方に函館付近を一望する瞬間が好きなのだ。

冬のたびの良いのは、こうしたクリアな視界を楽しめることなのだなあ。

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戦士の像

石巻駅でお出迎え

2019年1月には石巻に行って、サイボーグ戦士とライダーにお会いしていたらしい。また行ってみたいなと思うが、次は夏の暑い時期が良いように思う。冬の石巻は風が冷たすぎると感じたからだ。三陸の高速道路をのんびりと下る旅が良いかなあ。

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2018年11月の写真から

植木鉢弁当を持ってハイキング

外部記憶の話で思い出したのだが、この写真もライブラリーから引っ張り出した。植木鉢弁当?という駅弁を買って、どこかに出かけたらしい。写真を見ても弁当の名前は思い出せなかった。キャプションに書いてあるから、そうだったのかと思うだけだ。
ただ、別な記憶として残っているのは、この弁当が本物の植木鉢のなかに入っていたということだ。釜飯の釜のように、小ぶりな植木鉢が弁当の容器だった。それをつかて朝顔のタネを巻いたようなうっすらとした記憶があるが……………


が、それを写真に撮っていないのか、記録していないのか。これはデジタルアーカイブで起きがちな失敗で、撮影した画像は少なくとも一月くらいは〇〇で食べた〇〇麺のような記憶がある。1ヶ月くらいは明確な記憶がある。ところが一年もたつと、この〇〇の部分がだいぶ怪しい。それを補完するためには。まず店舗の外装や看板、商品であれば包装を含めた見栄えを記録に残すべきなのだ。できれば地名もわかるようなサイン・看板なども合わせておきたい。

このテキストと画像を同時にパッケージして記録することはできないものかとずっと思っていたが、今ではジャーナルというiPhone デフォルトアプリで可能になっている。

個人的な推測では、この不便さを解決する便利なアプリ?がないものかと、たくさんの人が似たような縁策をしたのだろう。
「写真 文章 記録 日記みたいな」などと検索して、探し回った。結果として、その似たような問い合わせの量がある一定量を超えると(臨界点に達すると)、Siriが「こんなアプリを開発してもらいたいみたいですよ」などとアップルの親分たちに報告するのではないだろうか。検索ツールにおける検索ワードの分析は、人の欲望の炙り出しや発見につながるのではないかなあと思う。
そもそもGoogleの自由検索システム自体が、言ってみれば原始的な御用聞サービスみたいなもので、どんなことしてみたいですか、どんなことが気になりますかを、曖昧な言葉で聞き出せるようにしたものだ。それが進化すれば、人はこんな機能を持ったアプリを望んでいますよとおすすめ機能を働かせているのではないか。
人が不便だなと思うことに対して、簡単に対応できる時代になったらしい。新商品のネタ探しも、Siriに頼むのが良いかなあ。