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2023年2月の写真 もう一枚

懇意にしていた高知県の漁師町から招待状が届いた。漁師町の友人から、そろそろ高知に遊びに来ないかと誘われたのがきっかけだった。2020年から、何度か遊びに行きたい旨を連絡したのだが、丁寧に断られた。大都会からの旅人は商店街をあげてお断りしているとのことだった。せいぜい県内からの客を渋々受け入れている程度なのだと。
確かに同じような話は北海道の農家の友人からも聞かされた。東京から来た人間がいると町の人の目が怖いのだとのこと。
感染者の多かった北海道の最大都市札幌でも似たような話を聞かされた。東京からの来訪はお断りしているのだとはっきり言われた。田舎町ではどれくらいコロナが怖がられていたか、それも東京を中心とした大都会を悪者にしていたかがわかる。
人口が十倍だから感染者も十倍だ、罹患率には変わりがないと言っても聞き入れてもらえないのは明らかだった。恐怖の感情は論理を超越する。おそらく大戦前の意識も似たようなものだったのだろう。日本をいじめる先進国である欧米のいうことなど聞いてはいられない的な感情論むき出しの好戦的な気分が国を覆ったのだ。コロナも戦争も一般人にとては同じようなことらしい。


大都会からやってくる流行病的な認識が変わり始め、正しい疾病対策が広がったから安全になった北、などと思われたわけではない。人々がコロナに怯えることに飽きてしまったのだ。先の大戦も3年半で終わったのは、当時の国民が戦争に飽きてしまったからだと思っているが、コロナも似たようなものだ。
色々なインチキ情報が消えていったのが、2023年初頭くらいだった。第何波なのかは忘れたが、この時期辺りからは日本人全員がコロナ情報に飽きていたし、慣れすぎていった、というか大多数の人が無視するようになった。


漁師町の人たちがお江戸に来て、漁師町の応援者(ふるさと納税の協力者)を招いてディナーをするという。コロナが終わったから遊びに来てね、ということでもあるらしい。真っ当なイタリアンだというので喜んでおよばれされた。

おいしい高知産物の料理を楽しみ、久しぶりに顔を合わせた友人たちと歓談した楽しい一夜だったが、よく考えれば3年間ほどまともなディナーの店に行っていなかった。店が閉まっていた時期も長かったが、ディナーを一緒にしようという友人もいなかった。誰もが、自宅に引っ込んでいること、節制を要請されていたからだし、特に大企業にいる友人たちは対人接触を避けるように厳命されていたのも大きな理由だ。

新橋でのディナーはそんな時期が終わったことを象徴するようなものだったのだな。確かこの時期から昼飲みのブームが収束していった。そして始まったのがインフレの時代なのだ…………

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2023年2月 の写真

秩父まで対mぐいそばを食べにいった 美味かったのはしゃくしな蕎麦だったかなあ

やはりデジタルアーカイブというものは素晴らしい。老化した脳に変わり外部記憶装置として着実に機能している。昔々であれば日記を書いて、情景をテキストに転換するという面倒な作業が必要だった。カメラが安価になり写真がお手軽に撮れるようになっても、やはり日常のさまざまなことを写真に撮って記録するには費用もかかり、また現像の手間であったり、フィルムの保管や紙焼きした写真の整理など、アーカイブとして使い勝手の良いものにするには一手間では済まない労力が必要とされた。が、今ではカメラも要らず保管作業も不要だ。スマホがあれば自由自在に過去の記録が活用できる。

アップルの標準装備であるカメラアプリも性能が上がり、検索性も良くなった。そのうちに音声で曖昧なことを言っても写真の検索ができるようになるだろうから、スマホが日記帳になるぞと思っていたら、なんと写真とテキストを合体させるアプリも標準装備になった。便利なことだ。

さて、そんな写真記録から23年2月を覗いてみると、コロナ関連の写真が一切なくなっていた。営業時間の短縮や休業規制がなくなっていたということだろう。例のワクチン接種アプリ掲示も消えていたようだ。
今になって振り返ってみれば、コロナの時期にはなんと馬鹿馬鹿しいことが起きていたのだろうとわかるが、当時はあれこれやったこと、全てがそれなりに意味を持っていた。というか、持っていると強弁するお馬鹿さんたちが多かったのだ。
個人的には「アンチ「コロナ対策」報道?の急先鋒だった某テレビ局には、一度コロナ報道の総括をしてもらいたいと思うのだが、彼らの中には「恥」という言葉と「反省」という言葉は存在しない。もちろん、外部記憶という概念が存在しないようで、全ての不都合な事実は忘却の彼方へ飛ばしてしまったようだ。
メディア関係者の脳細胞は石器時代から進化していないらしい。世間的には、からす頭などと、カラスが聴いたら怒り出しそうな悪口も聞こえてくる。

メディアが「コロナ」などあったことを忘れたがっていた、無かったことにしたがっていた時期が23年2月頃だったと、薄ぼんやりと記憶している。コロナ期の安倍・菅政府が散々の言われようで退陣して、コロナ明けの期待を込めて岸田政府頑張れ、みたいな宣伝がなされたのを思い出した。が、その後の岸田、石破政府は総理大臣をやりたかった人たちが野望を達成しただけだった。何もしない無能な政府という評判だけを残し消えていった。
何もしない政府と、あまり欲しくもないマスクを配りオリンピック開催を強行した政府とどちらが良かったのだろうかと、今であれば外部記憶を頼りに考えることもできるが。

この時期、外出に関する自主規制も薄まったこともあり、あちこちに出かけていたが、一番面白がっやっていたのは立ち食いそば屋の探索だった。コロナで相当な立ち食い蕎麦屋が潰れてしまい、生き残った店をあちこち梯子して歩いていた。
なぜ生き残れたのかを調査するつもりだったが、生き残った店のそばはどれも美味いなあ、と感じた。だから生き残ったのか、みたいなつまらない結論にたどり着いた記憶がある。外出時にマスクをしなくて良くなるには、あと一年くらいかかったはずだなあ。

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2022年2月の写真 おまけ

2022年2月、夜営業の禁止がまかり通っていた頃、店内混雑は密のもとということで入場制限をしている店もあった。現在はインバウンド客の大量入店で混乱を避けるため、百貨店の高級ブランド店などが、やはり入場者制限をしているが、それとこれでは随分と異なる。
今では有名無実化しているが、スーパーのレジ前に間隔を開けた行列を作るよう、立ち位置マークが事実上の標準とされたのもこの頃だった。今でも立ち位置マークは残っているし、意外と皆さんそれに従っている。一度ついた習慣とはなかなか消えないものらしい。

コロナが終わる頃にはこのチキンも販売されなくなっていた これ好きだったのだがなあ

さて、埼玉県所沢市と東京都東村山市の境目に秋津という地域がある。西武池袋線秋津駅とJR武蔵野線新秋津駅は東村山市にある。ただし、西武線秋津駅の北側は所沢市になり、駅の北と南で行政区分が変わる。
その秋津駅と新秋津駅を乗り換えるために200mほど歩くのだが、そこが商店街となっていて飲食店や居酒屋も多い。その一角にサイゼリヤがある。所在は東京都だ。
この時期、飲酒の規制については東京都と埼玉県では方針が違い、埼玉では酒が禁止になっていた。つまりサイゼリヤの所沢店ではワインが飲めないが、一駅隣の秋津に行けば酒が飲める。一駅も離れていれば、まあ仕方がないかと諦めもつく(笑)が、秋津駅の南北では複雑なことになる。北口がやっているで居酒屋は酒がアウト。南口は時短営業可能。ということで、秋津駅南側の居酒屋はものすごく混雑している。北側の客がみんな南に集まってくるからだ。
おなしことがサイゼリヤでも起きていた。昼飲みをしたがるジジイが所沢のサイゼリヤを捨てて秋津のサイゼリヤに押し寄せているのだ。

それを確かめるためにわざわざ所沢と東村山の店、両方に出かけたのを記憶している。結局のところ、どんな法律を作ってもその裏を書こうとする怪しい輩は必ず出現するもので、そういう輩は分別の足りない若者だけとは限らない。人生経験たっぷりでいい加減悟りをひらけと言いたいようなジジイ(多分、ババアも)が、そういう抜け穴を探して脱法行為にはしるのだなあ。

などと考えながら、東京都で昼からワインを飲んでいた、埼玉県としては脱法ものの行為をする輩になっておりました。

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2022年2月の写真から 続き

営業時間短縮に納得しない酒業態の店は全面閉店を選択した。2020年は大多数の外食企業が大幅な赤字になったので慌てた政府のじゃぶじゃぶ補助金制度により、2021年は市場空前の利益を出した企業が続出した。
まともに営業するより補助金もらって休業している方が儲かるという、あってはならない(失笑)事態になった。経営者の判断として、短期的には休業して補助金が経営の最適解になる。ただ、中期的には疫病による社会変動が終わった後、離れた客が戻ってこない可能性があるから、長期休業は悪手となる。この相反する判断をどうバランスさせるかが、外食企業経営者の手腕となったわけで、終わってみれば同じ居酒屋業態でも明暗を分けるさとなった。

結果論だが、休業策を取った企業のほとんどは、客離れではなく従業員離れに苦しむことになる。営業しないから不要として切り捨てた従業員、特にアルバイトなどの非正規労働者は仕事なしで暮らせるはずもなく、外食業から他の業種へ移っていった。そして、外食より移って行ったた先が預保d快適だったのだろう。2度と外食業界に戻ってこないという、喜劇が起きた。
特にフリーターと呼ばれるベテラン従業員ほど、外食には戻ってこない。おそらくこのような外圧がなければ、一生外食で働いていたかもしれないものたちが、外の世界を見てしまった。
以降、外食においては経営の最大課題が求人・新人の定着となっていく。

多少の赤字を出しても従業員の雇用を支え続けた企業は、比較的軽症で済んだようだが、居酒屋業態では壊滅的な人災となった。後から見てあれこれ論評しているが、その時の経営者がダメだったというつもりはない。彼らも考え抜いての決断だったろう。ただ、あれから数年経って振り返ってみれば、補助金もらって我慢しよう作戦は最悪の選択だったのだろうなあ。

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2022年2月の写真

人の記憶とは頼りにならないもので、もうすっかり22年の暗黒制度の存在を忘れていた。時の政府は居酒屋など酒メイン業態の全面禁止を緩め日和見施策に移行したが、それは営業時間の短縮、それも夜営業のほぼ停止と、酒を飲みためにはワクチン接種記録を明示するという「身分証の証明」を求める暴政を伴うものだった。身分証を提示させるなど、一般市民を犯罪者扱いにするという暴挙であり民主主義の根底を侵食する悪法なのだが、なぜかテレビ局などのマスメディアはこれに対して反対を示していない。
スパイの疑いがあるから身分証明を見せろ、というのと全く同列の人権侵害であり憲法にも抵触する制度だが、コロナ怖い怖い症候群を商売相手と見出していたメディアはすんなり妥協した。まあ、彼らの2枚舌、3枚舌が明らかになっただけのことで、危機を煽って視聴率を稼ぐという粗悪な商売が顕になっただけだが。
結果として外食業界苦肉の対応として生まれたのが早朝営業、つまり不毛といわれた朝食マーケットの取り込みと(結果的にこれは失敗だった)、酒需要の時間前倒し、つまり昼飲みへの移行だった。この時期は、昼に営業している居酒屋が大増殖した。そして、どの店も午後になる前に店内が満員になるほど盛況だった。まるで米国における禁酒法時代のようなもので、ジャパニーズ・スピークイージィが爆誕した。しかし、満員による密集を避けるために作られたであろう夜閉店法が昼の大混雑を生み出しただけで、ザル法というしかない。例のマスク騒動と併せて、政府官僚と政治屋のバカさ加減が顕になったお粗末な一幕だ。
今では営業効率も考え夜だけ営業の店が大半になったが、それでもあちこちに昼飲み可能な店は生き残り、どこも高齢者(ジジイだけではなくババアも多い)で賑わっている。高齢者に外に出る習慣をつけさせ、社会行動?への動機づけをしたという意味で、悪法も何らかの意味があったということだろうか。コロナの落とし子とも言えるのが、高齢者の昼飲み習慣だ。

確かにこのころはスマホのアプリでコロナワクチン接種みを証明するのが当たり前だった。23年だったか24年だったか、ワクチン接種アプリを見せなくても良くなった。しばらくしてからアプリの動作確認すると、いつの間にかアップデートもされず、対応もしなくなっていたのが実に日本国政府らしい。
安倍政権末期のコロナに関するドタバタを象徴するのは、この接種アプリと例のマスク騒動だろう。確かもらったマスクはどこかの施設に寄付したような記憶がある。どうしてもオリンピックがやりたかったんだろうが、そんな売名行為は見え見えというのが当時のメディア評価だったろうし、一般的な市民の対応も良くて無視、悪ければ悪様にバカにするだった。
おまけにたかが酒を飲むために、このような検閲社会の仕組みを取り入れたことも、声にならない不満として政権不審の原因になっていたと思う。

まあ、日本に限らず2023年までの3年間は世界中で同じようなドタバタ喜劇が展開されていたし、アメリカでは暴動まで起こしたのだから、疫病は戦争か革命をもたらすというのは歴史の真実だったのだと、今更ながら思う。
コロナによる世界経済への打撃が、この後ロシアのウクライナ侵攻やイスラエル・パレスチナの泥沼紛争に繋がったと考えるのは歴史家のお仕事なのかもしれないが。世界的な経済失速はバタフライ効果で戦争につながる。そんな時代を象徴するような事態が、22年2月には起きていたのだな。

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2021年2月の写真 おまけ

やはいr弁当箱が包み紙で包まれていると駅弁感はあるが、駅弁というより持ち帰り専用のご馳走だろう

横浜崎陽軒といえば上級の中華料理やと思うか、駅弁屋と思うかちょっと微妙な差がある。おそらく横浜周辺在住者はまた別の思い入れがあるのだろうが、そもそもお江戸に流れ込んできた身としては横浜や千葉やさいたまなどの首都圏大都市の違いなどわかるはずもない。まあ、どの街も明治になってから膨張した人工とし出し、何か特殊な地域性があるとも思えないが、150年も経ってみればそれなりの差異?は生まれたのかもしれない。
あえて強弁したとして、横浜は漁村、千葉は農村、さいたまは門前町という違いはある。さいたま(大宮)は商業都市でもあった。さいたまは武蔵国でお江戸の川越と並ぶ衛星都市だが、横浜は相模国の僻地、千葉は下総国の中心(市川市付近)から外れた場所、どちらもお江戸とは別国でありましたからね。中世日本では数ある田舎町の一つでしかないということです。それが、今では日本最大級の大都市であるのだからオドトキだ。
さて、神奈川県民だったこともあるが、現在は域外居住者として横浜を見ると、妙にコンパクトな街だという印象が強い。首都圏で独自の地下鉄網を持つ唯一の街でありながら、地下鉄沿線は農地と住宅地が混交する。都心部は東京駅周辺に近似したビジネス街でありながら、横浜駅周辺は東西に分かれた半ん花街が形成されている。その東口のランドマークが崎陽軒なのだから、やはり横浜を代表する「名物」であることは間違いないが……………

シウマイ弁当 プラス とても呼びたくなるバラエティー感がある

やはり横浜人というか神奈川県東部に居住する方達の崎陽軒愛は凄まじいものがあり、駅弁をこれほど愛する県民も珍しいとは思う。個人的には数ある駅弁を食べてきた経験をもとに、崎陽軒のシウマイ弁当は日本の駅弁界においてトップ3の一角にあると断言する。明らかに段違いでうまいのだ。(残りの二つは山形県牛肉どまんなかと長野県おぎの屋とうげの釜飯)
だから、その起用権が絶対定番のシウマイ弁当を差し置いて季節限定で出す「神奈川の味わい弁当」はお試しする価値がある。シウマイ弁当がシウマイ単独を味わうものであり、味わい弁当はシウマイ弁当の味変版というところだろう。シウマイ弁当よりおかずのシュリが多いので、実は酒の肴にむいていうr。お値段はシウマイ弁当よりも2割ほどお高めだが、その価値はあると思う。

なんてことを21年には考えていたかどうかは覚えていないが、確かこの時期も外出にあれこれ規制がかかっていた時期で、駅弁やテイクアウト食品を試していたのだろう。写真の記録にも外出した形跡が非常に少ない。まあ、20年より改善されていたとは思うが、まだまだ外食暗黒時代だったなあ。

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2021年2月の写真 続き

この隣のビルでは全国から参戦したラーメン店のアンテナショップ?が開催されている

この奇抜なデザインの建物は角川が作ったものだ。さくらタウンという、所沢市の東部にできたもので、角川書籍の聖地みたいなものらしい。この隣のビルには角川のメディア系各社が置かれているし、大きな書店、それも角川の出版物で占められている。アニメ系のコアファンにとっては憧れの聖地らしい。オープンしてから随分経ってから見にいった記憶があるが、何せコロナの時期で外出できるのは政府の舌先で決まるという暗黒の時代だったから、記憶は全く不確かだ。
確か某国営放送の年末歌番組でここからライブ演奏をしたのではなかったか。

そして、この巨大モニュメント図書館に併設されているのが神社なのだ。古式豊かなデザインとは全く異なる異相の神社だ。全国の神社を巡り巡った経験から言うと、この神社はまるで新興宗教団体が作った、まさにアレ的なものだと思う。まあ、令和の神社を角川がプロデュースしたということを示したかったのだろう。

その角川のトップも数年後には東京オリンピックの汚職事件に連なる一員として逮捕された。神の恩寵は通じなかったようでもある。栄枯盛衰、驕れるもの久しからずとは世の習いとはいえ、無情を感じるなあ。令和の始まりというより昭和平成の終わりという事件でもありました。

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2021年2月の写真 その2

まだ100円均一ニコがわりを残しているのは「はま寿司」

2021年2月の写真はとても少ない。というか、2020年から2021年は、やはり外出禁止令の影響があったので撮った写真の数が少ない。コロナ2年目はこんなところにも影響を及ぼしていたのだ。
そんな中で、休業廃業が続く飲食業で、例外的に売り上げを伸ばしていた業態がある。回転寿司と宅配ピザ屋だ。デリバリービジネスの盛況ぶりは理解できる。コロナ怖い怖い症候群に重症者は一斉にデリバリー利用を増加させた。ただし、これも一過性で2022年には一気に需要が縮む。宅配代行により息をついていた飲食業にとって一番の打撃は、この2022年の宅配需要激減だっただろう。
回転寿司はこの時期に一気にタッチパネルの導入が進んだ。カウンターに座り他人との会話をを拒んだようなシステムは会計の自動化も一気に加速した。店内に入ってから出るまで一言も口を開かずに帰ることができる。これは、確かにコロナという災厄がもたらした唯一の福音だったかもしれない。このコロナの落とし子のせいで、外食業における自動化・機械化が一気に進捗し、猫型ロボットによる自動配膳も定着した。コロナの時期には従業員を解雇しまくったせいで、商売が戻ってきても誰も働いてくれないという、実に情けない状況のちいった大手外食業では、この機械化こそ唯一残された生き残り案だった。
そして機械化の先陣を切った回転寿司業界はコロナの3年間を含め好調な業績を残す。

この時期、絶好調な業績と合わせて過剰な情報投資も続く中、回転寿司業界各社h食材原価の低減日道を挙げた。100円均一というプライスラインを死守すべく奮闘したと言って良い。そうした努力?は寿司屋でありえないようなメニューを次々と投入することになった。例えば、このフライドポテトだ。寿司一皿の原価は5割近いと言われる。ところが、このフライドポテトであれば原価率は二割程度まで引き下げられる。
高単価(300円台)を稼ぐラーメンなども、原価低減努力の賜物だ。300円のマグロザラは注文しない客がラーメンは頼んでくれるという、新たな発見も生まれた。ただ、その機械化となんちゃってメニューによる100円ライン攻防戦は、あっさりと放棄される。自分達の戦略的なポジション、100円均一を捨てて仕舞えば、あとは原価に応じた価格設定という、没落していった寿司店の戦術に後戻りするだけ。均一価格を放棄した回転寿司大手はその後業績悪化に苦しむことになり、今でもその低迷から抜け出せていない。

コロナの落とし子という意味では、回転寿司業態の躍進と没落は学ぶべき事例だろう。負け戦こそ次の勝利への真理があるのだなあ。

ちなみに回転寿司屋のポテトは揚げたて熱々が出てくるので、ちょろいファストフードのフライドポテトよりはるかに優れているのだよ。

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2021年2月の写真から

コロナの2年目、外出禁止は解かれていたが、お世の中には病的にコロナを恐れるものたちが増加して、これはもはや宗教的な心情を上回るのではないかというコロナ関連事案バッシングが行われていた。令和の狂気とでも記録しておくべき時期だろう。
三密などという上滑りの言葉を多用して、コロナ怖い怖い症候群の支持を集めた都知事が、ほぼ前回で暴走していた時期でもあった。そして、その暴走のために飲食業は壊滅的な打撃を受ける。
と二位知られる老舗、名店などが次々と閉店を余儀なくされた。

古い店では店主が高齢化していたことなどから、廃業する踏ん切りがついたという一面もあった。休業補助金を退職金がわりに店を占めるのだ、などという声が知り合いからも聞こえてきた。人が集まる業種全てを魔女狩りの如く弾圧した。やはり狂気の時代だったのだ。確か、コロナ2年目ともなるとそういう怖い怖い症候群にかからなかったものたちから、コロナ対策に対する反発もあり「昼飲み」なる習慣が生まれてきた。夜の営業は止められていたから、昼に酒を飲めば良いという、権威に対する反発でもあり、大衆の強かさであったように思う。

地宇治の為政者たちはすでに姿を消した、あるいは存在価値を著しく低下させているから、そいつらを糾弾しても仕方がない。当時、日本の民主主義はポピュリズムと嘲笑した「メディアバカ」の存在もすっかり薄れてしまった。そういえばコロナの女王なんて奇怪な女性もいたなあ。

そんなコロナ2年目に、この老舗珈琲店がひっそりと店を閉めた。悪貨は良貨を駆逐するというが、飲食業にもそれは当てはまる。長く続いた良心的な店が、何か社会変動が起こると最初につぶれていく。残念なことだ。
茜屋のコーヒーを飲むには軽井沢まで行かないいけないらしい。これも実に残念。

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2020年2月の写真 その3

カレーかハヤシのルーを選べる盛り盛り定食だあ なんとこれが1200円(多分)

新宿の老舗洋食屋というか大衆食堂で昭和の復活メニューというゴージャスなセットメニューを食べた時の写真だ。これでも確か1200円くらいだったはずで、コロナ前とコロナ後では価格が3割ほど違っている。今では同じものを注文すると税込2000円に近くなる。困ったものだ。

おそらく平成の30年間、ずっとお経にように唱えられていた「緩やかなインフレ」による経済回復みたいなものが、コロナの結果で木っ端微塵肉焚かれたのだが、当時の積極財政論hじゃの理屈は完璧に間違っていたことの証明にもなった。制御されたインフレなど机上の空論、御用経済学者の馬鹿げた暴論だった。瀬金者出てこいと言いたくなるが、当時の首相も今はいない。生きていたらかなり辛辣な追求を突きつけられたはずだ。

自分たちでコントロールできると思っていた円ドルの為替レートも、コロナを契機に暴落し結果的には日本の輸入に課題な負担をかけただけだ。輸出企業は円安で大儲けした格好になるが、それで国内インフレが進めば内需減少でまたデフレに突入する。貧乏人が限界を超えて貧乏になれが、その先に待つのは革命が独裁政治しかない。つまり、経済界にとっては破滅的事態を迎えるのだが、それを憂う経営者はいない。平成に育ったボンクラ経営者は実は頭が悪いのだと思う。
まあ、洋食屋のランチセットの写真を見て政治をかたるのもむなしいはなしだが、政治の階とはこうした庶民の食卓の上に現れるものではないか。こんなメニューがちょっとした贅沢だった時代と、こんなメニューは高くて手が出ないという時代は、明らかに後者が社会的に病んでいる時代と言えるだろう。