街を歩く

大阪みやげ

新大阪駅で見つけた、大阪とは全く関係のなさそうなスナック菓子だが、これには魔性の魅力がある。だいぶ昔にはやったチョコボールの中に非ギャが入っているものも、うっかり一個買ってしまってから泥沼にハマった記憶がある。
なので、この菓子は開封しないでこのまま封印することにした。確か売場でも大人買い禁止みたいなことが書いてあり販売個数制限がかかっていた。新大阪駅以外でも売っているのは間違いないだろうが、それを確かめてはいけないと思う。禁断の菓子だ。

大阪名物とは全く思わないが、トラジマとお好み焼き味のせんべいはイメージしやすい。これはすぐに開封して食べてみた。お好み焼きだと言われれば、まあ、そうかなあという味で、パチモンとは言わないが胡散臭い味がするのは確かだ。ある意味、本当に大阪らしいのかもしれない。

一番大阪的なノリかなあと思ったのがこれで、千日前にある老舗洋食屋とのコラボらしい。確かにあそこのカレーは日本でも一二を争う独創性があるとは思うが、それがピーナッツと淡さてもねえ、と思ってしまう。
それより、あの名物女将の写真は使えないのかなあ。店頭には等身大の立て看板もあったはずだが。コロナの間に引退してしまったのだろうか、そちらの方がよほど気になる。
よくよく考えれば、大阪名物土産というと蓬莱の豚まんが絶対定番だろう。あとは、時間があれば阪神百貨店のイカ焼きかあ。個人的には、日本一巨大な田舎町という印象がある大阪なので、土産なんか買わないで、現地で楽しんで帰るのが一番正しい大阪の使い方みたいな気もする。街全体がアミューズメント施設で、街歩く人全員がキャストと思えば、日本最大のテーマパークとも言えるなあ。

旅をする

岡山城

岡山には何度も行ったことがあるのだが、幹線道路沿いにある店舗を見に行ったり、ショッピングセンターを視察したりで、街中を歩いたことがないままだった。お城に関心もなく、名所である公園にも興味がないのだから、お城周りに行く場所はない。
しかし、岡山城を一度も見ていないままでは後悔すると一念発起して、お城見学に行くことにした。ネットでマップを見ると駅前からはなんとか徒歩圏らしいが、近くまで路面電車も走っているので、お城近くまでは電車移動にした。
路面電車はのんびりと走るので(法定速度がかなり低いらしい)、街を覗き見るにはちょうど良い。岡山の城下町らしき繁華街で電車を降りて、そこから10分ほど歩いた。広いお堀を巡らせた立派な城だった。

石垣の積まれ方で、概ね築城された時期がわかる。戦国中期に始まった石垣の上に守備構造物を乗せる形は、戦国が終わった後の江戸初期に新規築城が止められるまで、時代と共に進化して至った。当然、最新兵器の鉄砲に対抗する設計も加えられ水堀、石垣、多層構造の防御拠点(三の丸、二の丸、本丸)による縦深防御などの築城基軸が生まれた。
岡山城は瀬戸内海に広がる高速海上街道の東部拠点であり、また日本海側との陸路の結節点でもあったため、立派な城が建てられた。関ヶ原敗軍である西国諸侯に対する防衛拠点でもある。江戸幕府、西国方面の主力防衛要塞だ。

いつものようにお堀の周辺で攻城作戦を練ってみるのだが、この城も力攻めが難しい戦国末期の傑作城らしい。そもそも山城ではなく平城で防衛拠点には向いていない。それを、人工的に仕立て上げた要塞だ。後背地は川で正面は深い堀になっている。
信州上田城と同じ構造で自然の障害を上手く活用した好立地だし、包囲戦を仕掛けようにも川が邪魔だ。おまけに飲み水も潤沢なので包囲戦を仕掛けた方が、山側から逆包囲も考えられる。守りに優れた名城なのだ。

黒一色の姿はなかなか武ばった感じがする。漆黒の城は精悍な印象を受ける。ただ、事前に全く研究していなかったので、城の中に入ってから初めて知ったのだが、この城は復元城だった。先の大戦で空襲を受けて焼かれてしまったそうだ。
日本の城の大半は、戊辰戦争後に頭の悪い西国革命政府により廃城になり、生き残ったものも大戦の空襲で焼けてしまった。たかが70年ほどの時間で歴史的建造物のほとんどが消えた。負けた大戦の責任を取ろうとしない明治政府の後継者も含め、近代日本失政の象徴とも言える。

城の中は博物館になっていて岡山城の歴史を学ぶことができるが、一番感動したのは城の礎石を復元したものだ。
名古屋城を完全に木造で復元するプロジェクトもあると聞いたが、今では城を再建するほどの国産木材、特に巨木は手に入らないだろう。山奥に入って樹齢100年を超える大木を探しまくれば可能かもしれないが、そんな木を切ることは環境団体が反対するに決まっている。
そもそも、古代から中世にかけて首都が東遷したのは、首都造営に伴い周辺の大木を伐採し尽くしたからだ。すでに本州東部はおろか北海道まで、巨大建築に向く大木は斬り尽くしているはずだ。
だから、礎石の復元で我慢して、あとは想像力を駆使して巨大な城のバーチャルな姿を思い浮かべれば良いと思う。木造大箱建築物が好きな首相がいなくなって良かったと思っていたら、もっとおバカな万博大好き知事が、これまた木材の無駄遣いの極みを趣味しているのだ。
西国の権力者達は上古の昔から本当にどうしようもないおバカな性分らしい。復元岡山城を見ながら、そんな歴史の過ちを考えておりました。

街を歩く

困った集団が集まる神社で思うこと

美作国一ノ宮は津山市のハズレの方にあった。静かな境内でお参りする人もまばらだったが、なぜか鳥居の前に屯する高齢者集団がいた。境内の中に入ってこないで、鳥居の下を集合場所にしているらしい。
この神社には鳥居の前に四台ほどの駐車場があり、鳥居脇の坂道を登ったところに三十台くらい停められそうな広い駐車場がある。たまたま鳥居前の駐車場に車を停められたのだが、それが後の災いのもとだった。
なぜか一番端の車の前に二重駐車する怪しい男がいて、その鳥居前の集団とは顔見知りらしく、車を止めてから集団での会話に加わっていた。

拝殿に向かい参拝を済ませたが、境内には他の人影は見られない。静かなものだった。

この神社は国道を離れた細い川沿いの道をたどってくる。ちょいと不便な場所なのだが、津山は岡山から鳥取方面に抜ける中国山地を縦断する街道にあり、古代より続く重要地だった。当然、神社のある周辺は往時の要衝というべき場所だったのだろう。川筋に神社があるというのは水運も盛んだったのかもしれない。
などど考えながら帰ろうとした時、駐車場の前に来ると怪しい光景が目に入った。四台しか停められない場所に、なぜか全台前方を塞ぐ形で二重駐車している。明らかに作為的であり、鳥居前に屯っている大集団(その時には人数が倍以上に増えていた)が、仲間の車だと思い込んで二重駐車を決めているらしいとわかった。


あまりの仕打ちに車に乗りエンジンをかけ、盛大にクラクションを鳴らしてやろうかと思った。ただ、それでは周りの住民に迷惑がかかる。目の前に二重駐車しているのは姫路ナンバーだったので、鳥居前に屯っている馬鹿者集団の前に行って、「姫路ナンバーで駐車している方いますか。車が出せないので移動してください。」と紳士的に声をかける。すると高齢女性が渋々といった形で車を移動させ始めたが、その移動が中途半端だ。移動の距離が不十分なため自分の車を前に出せない。車を降りてもっと下げろと言いにいくのも業腹なの、窓越しに睨みつけたら渋々3mほど車を下げた。


人が集団になると、一斉にクズ化する現象を目の当たりにしたのだ。それが都会の街中の少年ではなく、神社の鳥居前で大声で会話するジジババなのだ。世も末だと思った。こいつらはいったい何を考えて、いや何も考えずにただただ歳をとったのだなあ。薄ぼんやりそんなことを考えながら、細い道を運転していた。
人生の先輩たる団塊の世代は、最後の最後まで何も生み出さないまま「生存本能」だけで生きているのかと、暗澹たる思いになった。美作国一ノ宮はそんな輩に呪われているのかもしれない。祭神様の御霊が健やかであられますことをお祈りいたします。

街を歩く

久礼の町で寿司を買う

高知県中土佐町は海沿いの港町久礼と内陸の大野見が合併した町で、海と山の産物がどちらも豊富だ。港町としてはカツオが有名で、山で採れるものといえば大野見米ということになるらしい。JR土讃線で高知駅から特急で1時間弱かかる。特急が止まるが無人駅だ。その駅のホームに新キャラらしい「悪ガキ風のボウズ?」が立っていた。どうみても昭和中期のイタズラ小僧にしか見えない。うーん、なんだろうなあ、この既視感は………

さて、久礼の町、一番の名物は大正町市場という小さなアーケード商店街で、休日ともなると人がひしめきあう人気スポットだ。そのアーケードの屋台というか、路上に置いたテーブルの上で高知名物、田舎寿司?を売っていた。
おばちゃん二人で元気よく営業活動していたが、そのおばちゃんに寿司買ってかないかと呼び止められ、まんまと寿司を買う羽目になった。高知の田舎寿司は、握り寿司だけれど魚は乗っていない。卵焼きや野菜の漬物などが魚の切り身の代わりに乗っているのだが、実はこれが大好物なのだ。だから、呼び止められなくても気がつけば買っていたはずだ。海苔巻きも美味そうだなと思ったら、あっという間に追加注文させられていた。
ノンアルビールが売っているのが、いかにも港町らしいというか、細かい心配り(笑)というものだろう。

しかし、こんな値段で売って儲かるのかと心配になる。世間では食料品の値上げが止まらないのに、このおばちゃんたちの売る寿司の値段は令和どころか昭和の値段ではないか。週末を挟んだ4日間の営業ということだったが、またきた時にはまずこのおばちゃんたちの店に立ち寄ることにしよう。

寿司を二箱買った後で、なんと米も買わないかと持ちかけられた。高知の米はもっちりとして甘い。そして特有の匂いというか香りがあるようだ。東日本では主流のコシヒカリ系統とはだいぶ味が違う。
この米の味覚に関しては地域の好みが強く出る。旅館の朝飯などでは地元米が使われていることが多いが、客が遠方から来ている場合はちょっと違和感を感じる時もあるだろう。
個人的な経験で言えば、南方に行けば行くほど東国の米と味が異なってくる。関西あたりから少し違いを感じるようだ。中国四国では差がはっきりとわかり始める。九州になると、ほぼ異国の米的な感じがしてくるし、沖縄の米はすでに東南アジアの仲間入りで台湾の米の味と近い感じがする。
その味違いの米を土産に持って帰ると、明らかに自宅でヒト騒動が起きそうだし、おまけに持ち運ぶには重いので丁寧にお断りした。田舎寿司を食べていて、米の味の差を感じたことはないから、酢飯にすると違いはほとんどわからないくなるとは思うのだけれど。
ただ、大正町市場で魚だけではなく、寿司を売ってくれるのは個人的にすごくありがたい。このおばちゃん二人の店が長く続きますように。

街を歩く, 旅をする

岡山アーケード そぞろ歩き

昔からある城下町では、鉄道の駅とお城近くの繁華街が離れていることが多い。岡山も新幹線が通る大幹線駅なのだが、お城から駅はかなり離れている。お城と駅を結ぶのが路面電車で、これを使ってお城近くまで行った。百貨店を中心としてアーケードが続く岡山の繁華街だが、残念なことにシャッターが閉まった店もかなりある。中心部の衰退は全国土の街で起こっていることだが、岡山も例外とはいえないようだ。このアーケード街が再生することは、おそらくない。そのうちにぽつりぽつりと店が消え駐車場に変わるようになる。そうなるとアーケードは一気に荒廃が始まる。そんな街をあちこちで見てきた。

おそらく、その引き金を引いたのは自動車移動中心の生活が始まったことで、それに商店街の対応が遅れたことだ。そして、決着をつけたのが駅前にできた大規模人工都市であるショッピングモールだ。
このショッピングモール対繁華街の戦いは、都市の新陳代謝と見ることもできる。しかし、都市再生というにはほどとおり。ただただ、旧繁華街で起こっているのは、自分たちの街の新陳代謝を起こせずにゆっくりと老衰しているという現実だろう。
その衰えゆく街並みの中で、いやいや、俺たちはまだ負けませんぜというような元気のある看板を見ると、他人様の街でありながらホッとする。例えばこの「漆器雑貨」と書かれた看板の力強さがたまらない。
今の時代に漆器の専門店を続けていることもすごいが、城下町の時代にはさぞかし名門の老舗だったのではないか。漆器とは、今でいうところの高級ブランドであり、嫁入り道具で持っていったり、代々伝わる冠婚葬祭の必須道具だったはずだ。
見た目は古そうな看板だが、定期的にメンテナンスしているように見える。電話番号五十四番とはこれまたすごい。岡山の中で最初期に電話を引いた大金持ち商人だったということがよくわかる。看板に感動するとは稀な経験だった。書体は旧字で右書きであるから、少なくとも戦前、おそらく明治末ごろからの看板だろうか。

こちらは昭和中期の看板だと思うが、今でも「ラジオ」店というのがすばらしい。昭和の始まりごろから続く店だろうか。当時、ラジオは近代家電の代表で、最新鋭の情報機器だった。近代文明の最先端を感じさせるものだったはずだ。
そしてラジオはテレビに置き換わり、パソコン、スマホと時代の主力情報機器は進化を続けた。今ではラジオ専用機を持っているものなど数少ない「趣味」専用の機械だ。(ちなみに、自分はラジオ専用機を持っておりますが、なにか?)
すっかり減少している喫煙者が店の前に集まっていたので、何か特殊なことでもあるのかと興味を惹かれたが、単純に大型の灰皿があるからそこでタバコを吸っているだけだったようだ。ラジオ店の集客がタバコになっているという不思議さには、あれこれ考えてしまった。

店の中では何を売っているのか覗いてみたら、なんとも雑多なもの、おそらく家電製品の一種を含めたあれこれが並んでいる。ドンキの家電売り場のようなカオス状態だった。じっくり時間をかけて眺めてみたら面白そうだったが………

そのラジオ店の先で、これまた不思議な店を発見した。何を売っているのかよくわからない。店頭で飲食業をしているような感じもするが、入り口付近には様々な人形が並んでいる。どうやら骨董品屋というかアンティックショップというか、いろいろな古いものを雑然と並べて売っているようだ。
営業中と書いてあるが、この看板もひょっとして売り物なのではないかとおもってしまう。ちなみに店頭でソフトクリームを注文するにはどうすれば良いのか。従業員は誰もいないので、店内に注文しに行くのだろうか。あれこれ興味が尽きない。

一番すごいのは、この薬品メーカーが作った遊具で、たしか十円入れるとごとごと?動くものだったような記憶がある。ただ、十円玉挿入口は塞がれていた。これも売っているのだろうか。値札は見つけられなかったが。まさしく不思議空間だ。

アーケード探索に疲れて喫茶店でもないかと探していたら、すてきな食堂を発見した。もう少し腹が空いていればノータイムで入ったのだが………
少しくたびれた感じのする岡山繁華街は、実は「私、脱ぐとすごいんです」的なグラマーな魅力に溢れているワンダーランドらしい。もう一度、ゆっくり時間をかけて遊びに来たいものだ。
多分、土曜の午後、人出が多い時間が楽しそうだ。ちなみに岡山は財政破綻都市の手前くらい借金が多いらしいので、アーケード復興の予算はないだろうから、ここはクラウドファンディングを使い、面白い街づくりをするというのはどうかなあ。対イオンとして大正昭和をテーマに全面レトロなテーマパークみたいにするとか。商店街の観光地かは面白いと思うのだけれど。

街を歩く, 食べ物レポート

歌舞伎町 ハーレムナイト

やはり歌舞伎町は、ハーレム な感じがする

歌舞伎町タワーは昨年の話題を攫ったものの一つだろう。旧新宿コマ劇場前の広場を取り囲むように幾つもの高層ビルが出来上がったが、このビルほど賑やかしいものはないと思う。極めて歌舞伎町的でにぎにぎしい。
このビルの前に、いわゆる「キッズ」グループが屯しているのだが、どうらや公的機関が排除活動を始めたようだ。西新宿に多数集まっていたホームレスを排除したのと同じ手法だから、この先は簡単に予想がつく。広場は常設イベントスペースになるようだ。

初めて入ったが、自分で衣をつけて自分で揚げるセルフ串揚げは面白い

そんな歌舞伎町で、なぜか男二人でセルフの串揚げ食べ放題店に入り忘年会をすることになった。忘年会繁忙期を避けるために予定していた11月の飲み会が、何度かリスケになり、結果的に12月の中旬という忘年会ピークに合わせて歌舞伎町で酒を飲むことになった。周りにいる客はほとんど忘年会だったし、歌舞伎町なので外国人客も次々とやってくる。なかなか気忙しい。

イカがうまかったが、小さすぎるぞ

串に刺されている具材はどれも小ぶりなので、とりあえず10本くらい取ってきて揚げてみることにした。セルフ方式なので「安全安心」を心がけ、野菜あるいは加熱調理品だけにしようと思ったが、エビの串刺しには心を揺さぶられつい何本か取ってしまった。

タコさんウインナーの意味はなんだったのだろう

元・唐揚げ屋のくせに(笑)、ちょうど良い上がりのタイミングが読めない。適当に引き上げてみたら、どうも揚げ時間が長すぎたようだ。その次には早めに引き上げることにしたら、今度は生揚げだった。
スマホを使ってタイマー管理でもした方が良いかと、ふと昔の職業意識が芽生えるが、所詮飲み屋のつまみだし、そこまで気張るのもなんだかなあ。あっさり諦め適当に揚げることにしたのだが、なんとみるみる揚げ方が上手になっていくではないか。揚げている途中のジュワジュワいう音で揚がり具合がわかるようになってきた?らしい。

ソースは典型的な中濃ソースと梅味のものを選んだが、当然のようにチーズ味のソースもあった。今や平成世代にはチーズ味は鉄板なのだ。串揚げに飽きるとカレーライスも食べられるし、デザート類も並べてある。お口直しにアイスクリームも食べられる。
ただ、これを満喫するには、おそらく二十代の体力と揚げ物大量摂取に耐えうる油耐性が必須条件だ。おまけに、飲み放題をつけても「油負け」するので酒も飲めなくなる。年齢的には全く不適な選択肢だった。

やはり歌舞伎町は厳しい先生なのだ。幾つになっても教育的指導を与えてくれる。くそ、だから歌舞伎町で飲むのは嫌なんだ。これも、幾つになっても学ばない自分が悪いのだけれど。

旅をする

高知の駅でプチ観光

高知空港についてt到着ロビーに出ようとしたら、すごい看板を見つけてしまった。自慢は味だけと言われてもねえ。意味深すぎて笑ってしまう。味に自信はあるのだろうが、それ以外がダメだとしたら「接客」が無愛想なのか、店が汚いのか、値段が高いのか………
外食業界の鉄の掟、QSC+Vの手順であれこれ考えてしまった。ただ、これはぜひ確かめに行ってみなければと思うのだから、広告効果は抜群だ。問題はお店ではなく、ひろめ市場が朝から夜まで満席続きということだ。平日の朝早くにでも行かない限り席を確保できない恐れがある。

その後、高知駅行きのバスに乗り込み移動開始で、高知市内中心部の交差点に近づいた。かの有名なはりまや橋が見えてくる。写真左側に柳の木があるが、その木下に見える赤い部分がはりまや橋だ。橋の長さは5mほどか。下を流れる川幅は2mくらい。小川にかかる丸木橋程度で、よほど注意していなければ見過ごしてしまう。
高知市内に電車が走っていない頃はもう少し目立つ場所だったのかもしれないが、いまではゴーグル先生のナビに従ったとしても見過ごしてしまいそうな「かわいらしい」名所だ。

高知駅前に着くと、かなり立派な観光施設兼案内所がある。その壁に描かれているお言葉が妙に引っかかる。確かに、高知県は全県あげて「龍馬推し」だ。龍馬以外にも高知県の名士はいると思うが、その扱い方比率が龍馬95%、それ以外はまとめて5%くらいの感じがする。
高知市内を車で走っていても企業名の入った看板を見ると、龍馬〇〇株式会社が軒並み並んでいる。高知〇〇株式会社よりもはるかに目立つし、多いような気がする。龍馬ラブの街だといっても良いだろう。
もはや高知に殿様がいたことすら忘れられているほどの、龍馬限定都市だ。

それでも駅前には、龍馬の同志であった(多分)お二人が、龍馬先生の護衛をするように並んで立っている。明治の民権運動を率いた板垣退助や東京都の開発を進めた後藤象二郎などは、お供にも加えてもらえないらしい。まあ、この3人は全員殺されてしまったから悲劇のヒーローという扱いなのかもしれない。

そして、この3人をスマホで写真に撮り観光案内所で見せると、記念の絵葉書がもらえるという素晴らしい企画をやっていた。おお、まさにこれはスマホ時代の販促活動だよ、考えた人偉いなあ。と、感心して終わりにしないで、きっちり写真を撮って絵葉書をもらってきた。ありがとう、観光協会の皆さん。

そのついでに施設内にあるポスターの展示を見ていたら、青春18きっぷのポスターがあった。高知県の駅が対象だったせいだろう。今年の夏ポスターだった。青春18きっぷ愛好者としてはなんだか嬉しい気分になる。

それ以外にも、高知県のイベントを宣伝したポスターが展示されていた。この観光ポスターをまとめて見比べてみると、予想以上に高知県デザイナー(多分)のレベルが高いことがわかる。上手いし綺麗だし素晴らしい。展示に選ばれるのだから当然レベルの高いものばかりなのだろうが、高知市の文化レベルというか感性の高さが現れているようだ。
こういう素晴らしいグラフィックデザイナーが存在しているのであれば、一度一緒に仕事をしてみたかったものだなあ、などと昔の仕事を思い返してしまった。
高知駅前で現代美術館にきたような気分になってしまう、プチ駅前観光でありました。

旅をする

備前国一宮は山奥だった

一年の初めは神社の話というのがよろしいかと思い……………

石上布都魂神社(イソノカミフツミタマジンジャ)は難読漢字だと思う。一ノ宮には難読漢字のものが多いが、神社というものは古来からお祀りされてきているので仕方がない。
難しい漢字を使いながらなんとなく漢読みで読み解ける「お寺」とは違い、神社や神様の名前は当て字で書かれていて、読み解くことが難しいせいだ。これも、古代日本に漢字が輸入されてしばらくしてカナが発明されるまで「漢字」を表音文字としても使用したせいだろう。
この神社は備前国一宮として祀られているのだが、備前国は岡山県東部、岡山市周辺の地域だ。そして、この神社の所在は岡山から津山(美作国)に抜ける国道から離れた山の中にある。ただ、今の国道から離れているとはいえ、古代にはこの辺りが中国山地と瀬戸内を結ぶ主街道だったのかもしれない。

不思議なのは、備前国には瀬戸内海側にもうひとつ一ノ宮があることだ。そちらは主神が吉備津彦であり、こちらは素戔嗚が収めた神剣であるという。吉備津彦と素戔嗚という中国地方の二大勇名神が南北に対峙する構造のように思えるのだ。
この辺りは古代日本神話の裏側にある大ロマン地帯だ。個人的には、こう考えている。出雲を平定したスサノオが、次の侵攻地を吉備国に定めて吉備國北部から瀬戸内に押し寄せた。その攻防戦の前進基地がこの神社周辺だった。吉備出雲戦終了後、吉備国の首都にあった吉備津彦神社(たぶん、名前は別)を一ノ宮として残し占領政策(治民)とした。ただし、反乱を抑え込む軍事拠点としてこの神社はスサノヲの名の下に軍政を敷いた。
みたいな妄想をすると、古代の歴史と神社の由来が重なり合う。これぞ神社詣の楽しみだ。あくまで個人的な妄想ですよ。

などと上古の大戦に思いを馳せながら山道を上がっていくと、嫌な気配がする。ここまでもそれなりに上り道だったが、坂の下に竹の杖?らしきものが置いてある。志摩国の一ノ宮に行ったとき、とてつもない山登りの道があり苦難を極めた。そこにも杖が置いてあった。危険だと脳内で記憶が訴えている。前日も山登りをしていて、足はパンパンだ。しばし立ち止まり考え込むが、登るしかない。仕方がなく、手頃な太さの杖を手にした。

拝殿に行くまで何度か立ち止まり息を整えるほど急坂だった。岡山県のお城や神社は山の上ばかりで、すっかり岡山県が嫌いになった。拝殿前にたどり着いた時には、足がブルブル震えていた。ただ、杖はとても役に立った。次からは城・神社巡りをするときには、用心のため折りたたみの杖を持って歩くべきだと決意した。
四国で金毘羅様をお参りに行った時に、2度と山登りをする神社にはいかないと誓ったはずだが、どうもそれは叶わぬ誓いらしい。同い年で山登りを趣味にしている友人の顔が思い浮かぶ。ただただ尊敬するしかない。

拝殿の横には、なんといえば良いのか不思議な建物があった。中には自動販売機が並んでいた。御朱印、お札、お守りは全て無人での提供(販売)だった。どうやらコロナ対策らしいのだが、もう五類に移行しているのだからこんな厳重にしなくてもという気がする。
ただ、自動販売機を導入してしまったので投資回収をする必要があるのかもしれない。神社も人手不足で悩んでいるのかな。神社も経営改革が必要な時代らしい。とりあえず自動販売機を拝みながら御朱印を頂戴(購入?)した。そのあとベンチで休憩。

拝殿の横が社務所で人の気配はするが、姿は見えずだった。社務所脇から本宮に行く道がある。本宮まで行くかどうかを迷っていたら、案内札に本宮まで10分と書いてある。これをみた瞬間断念した。この10分というのは健康な若者向けの標準時間であり、よろよろとしか登れないオヤジにとっては倍くらいの時間がかかるはず……………
決して挑戦してはいけない高い高いハードルだ。筋肉がパンパンになった足を引きずり山登りをするのはなんとかなっても、帰りの下りが危なすぎる。杖を頼りに帰り道についた。神への道は辛くて遠いのだな。

駅弁

年忘れは駅弁で 釜飯

今年の締めは好物の駅弁の話にしよう。初めてこの釜飯を食べたのは、長野に新幹線が通る前に特急で長野に出張した時のことだったような記憶がある。ホームに降りてこの釜飯を買ったはずだが、あまり定かではない。
その後、ひょんなことからこの会社の創業者一族の方とお話しする機会もあり、色々とビジネスの話も伺ったのだが、これもまた記憶が定かではない。
以来機会があればこの釜飯を賞味しているのだが、何度食べても飽きることがない。駅弁としては究極のバランスが取れている商品なのだろう。

コロナの時期に、釜飯の釜の供給が止まったため、パルプ製の容器に変わっていた時期もあったようだが、今ではまた陶器のものに戻っている。使い捨て容器でも販売されているので、買う方の好みでどちらかが選べる。
自分は野外で遊ぶときに、この土釜で飯を炊くのが好きなので陶器製のものだけ注文している。何度か使うと壊れてしまうという話もあるが、そうそう壊れるものでもないようだ。某調味料メーカーの釜飯の素を使い焚き火の上に釜を並べて炊き上げる自家製釜飯は、家族に人気の料理だった。

一度テレビ番組で釜飯工場の内部が放映されたのを見たが、この土釜で炊き上げているのではないようだった。大きなチューブでニュイーっと炊き上げられた味付き飯が釜の中に押し出されていき、その上にトッピングが順番に乗せられていく。その光景を見て、ヘーっと思ったがよく考えると一つずつ炊き上げていたら、いったいどれだけ長いラインが必要になることか………
でありながら、やはり釜の蓋から吹きこぼれる・・・みたいな絵柄を想像していたので、ちょっと残念な気持ちになった。
Do it myself の精神で、土釜で炊き上げる飯については自作することにしている。焚き火で炊き上げると、土釜の縁から吹きこぼれた出し汁が黒く焦げ付く。それが、まさに炊き上げた感を漂わせるのだ。
ただ、食べたあと焦げついた焼き跡を洗うのは相当に手間がかかるのだが。美味いものを食べる代償は労力で支払わなければならないということだ。
実は、この釜飯についてくる小さな漬物セットが大好物で、自作の釜飯の時にはその漬物セットがないのが実に残念の極みだ。わさび漬けに小梅と野沢菜という組み合わせは至高のサイドアイテムであり、駅弁業界の至宝だろう。
新年になれば新宿の百貨店で恒例の駅弁大会が開かれる。そこでまた釜飯を買い込むことになりそうだ。

食べ物レポート

うますぎるパン 岡山編

岡山で街歩きをしていたら、繁華街のアーケード商店街の中に大きなパン屋があった。ご当地パンがないかと入ってみたら、ありました。まさにドンピシャだったと自分を褒めたくなったくらいだ。
コッペパンの中にクリームやフィリングを詰めたものが名物シリーズらしく、〇〇ロールという名前だった。おそらく一番人気は「バナナクリーム」なのだと思う。そこから派生して、お惣菜パン的な「高菜サラダロール」とか「福神漬けサラダロール」が生み出されていったと推測したのだが。翌日の朝飯にでもしようと、良さげな3種類を選んでみた。
パン屋としては営業時間のずいぶん遅くなった夕方だったので、棚の半分以上は空っぽになっていたから、遅くても昼過ぎくらいに来なければ人気パンは売り切れてしまいお目にかかれないようだ。これは後日再訪確定だなと思いながら、営業開始時間を聞くと、なんと驚きの6:30からの早朝営業だった。
岡山のパン屋さんはすごいなと感心してしまった。結局、朝まで待ちきれず夜食にバナナクリームパンを食べたが、これは絶品だ。甘さが控えめでバナナの香りがする。うまい。確か、商品棚にバナナクリームも別売りしていたような記憶もある。これは、マストバイだ。

超絶的にうまい (個人的感想です)

翌朝、福神漬けサラダロールを食べたら、一気に美味さで目が覚めた。カレー味のマヨネーズの中に福神漬けが入っている。シャキシャキの歯触りと、福神漬けから出てくる甘塩っぱさとカレー味のマヨネーズの相性が抜群だった。至高の味(B級部門)といいたい。これを考え出した人は天才に違いない。
なぜ、岡山以外でもこのパンが売っていないのだろうか。あまりにも不思議だ。だいたい経験的にいうと、全国各地のパン屋さんは皆さん研究熱心なので、どこか遠い地方で流行っている有名人気パンの情報を貪欲に入手している。その仕入れた?人気パンを再現しえ販売していることが多い(ようだ)。
要するに丸パクリなのだが、店舗近隣の客にはそれが遥かかなたの行ったこともない見たこともない地域での人気商品だとは知る由もない。だから、「おー、これはうまいパンだなあ」「この店はすごいパンを作ったものだ」と素直に喜んでくれる。パクったもの勝ちの熾烈な世界が、実は街のパン屋さん業界には存在する。
にもかかわらず、お江戸周辺ではこのカレーマヨパンを見たことがない。我がパン屋世界ランキングで、コッペパン部門の絶対キングである盛岡「福田パン」にはカレーマヨメニューがあるかもしれないが、全く覚えていない。多分ないのだと思う。
なぜカレーマヨパンは岡山にしか存在しないのだろう。カレーパンは全国にあるのになあ。

北海道発祥だと思われるちくわパンは、最近全国あちこちで見かけるようになった。お江戸のパン屋でも買えるのだから、ほぼ全国区な商品になっていると考えて良いだろう。
大きめの甘納豆が入った豆パンも、北海道ではほぼ全域でうられているが、北海道以外では四国の一部、静岡の一部でしか見られないローカルパンだった。今ではインストアベーカリーを置くスーパーでは、全国的な標準品になりつつある。
いまだにローカル限定といえば、近江長浜のサラダパンや久留米のハム入りなのにホットドッグといわれるもの、青森のイギリストースト、高知の帽子パンなど有名どころは数多く存在する。が、この岡山木村屋のパンは全く未見だった。(単純に勉強不足だろうと言われても仕方がない)
いまだに食べたことのない、知らないうまいものがたくさんあるのは諦めるしかない。が、いつも思い知るたびにショックを受ける。

もう少しご当地パン屋の研究をしてみようか。