食べ物レポート

謎肉バンザイ

以前にも発売されていた「カップヌードルの謎肉」単品をようやく買うことができた。これも季節限定というか、たまに、ごくごくたまに、突発的に売るだけなので、巡り合うこと自体難しい。
日清食品の皆産、ぜひこれを定番商品にしてください。月に一回は買いますから。

箱の裏側にはアレンジメニュー例が色々とあるが、絶対にやりたいのがカップヌードル謎肉特盛だ。ただ、写真に載っている通りに盛り付けると、カップの中のスープは全部吸い取られてしまい、焼きそば風になるのではないかと恐れており、何度か実験しなければいけないなと思っている。チャーハンはうまそうだ。キムチ丼もうまそうだ。
やはり、「謎肉販売」は定番化してほしいぞ。

旅をする

もう一つの一宮 丹生都比売神社

和歌山から車で30分ほどの山の中にある丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は、静かな佇まいの端正なお社だった。熊野・高野山を守る守護なのだそうだ。神仏習合時代の典型的な考え方で、仏閣を守る神社という構造は全国あちこちに存在する。明治政府の成り上がり者たちは、それを嫌い仏閣の廃棄、廃寺を断行した。ほぼほぼ宗教弾圧であり、イスラームのテロリストたちが仏教芸術を破壊したよりもタチが悪い。
基本的に明治政府の治民政策は、江戸期と比べてあまりの無能さに目を見張る。おそらく、明治政府の官僚、特に上位者たちの頭の中はお花畑と幻想しかなかったに違いない。戦国末期の豊臣政権並みの愚鈍さと傲慢さだと思う。だから、両者とも滅びたのだが。

神仏習合は古代から現代にも通じる、日本人的な「融合」好きが現れているようだ。そもそも古代ヤマト朝は九州から東に攻め込み、各地域の小国・大国を飲み込んで大きくなった。その侵略時には鷹揚というか策略的というか地域神も捨てることなく自陣の神話体系に取り込み続け、ついには八百万も神がいるまでになったのだから、日本人の融合好きは筋金入りで間違いない。一貫して政策的にも「ヤマト」対「地方」の対立を嫌ったことは間違いない。


日本人が信じていた信仰体系と砂漠の民が信ずる「ただ一つの絶対神」しか存在しない世界とは、そもそも根本的に違う。日本人は古代からゆるい世界が好きなのだ。明治以降、砂漠の民が源流の西洋文化に追いつき追い越せと頑張ってはみたが、たった70年で亡国し破綻した。その明治政府の愚行は、この神様の違いではないのかなと思う。
日本人にとって、絶対正義や全てを捧げ我のみを信ぜよという絶対神との契約は、どうも肌に合わないというか、峻別され過ぎたように感じたのではないか。理屈や論理ではなく、肌感覚での判断だとは思うが、その手の違和感はなかなか根深い。
絶対神を報じる宗教、そしてのその信者たちのもつ強い倫理観や価値観、正義感はおそらく大多数のゆるい日本人にとって、苦手なものなのだ。もっとゆるくてもいいんじゃない?と言いたいのが、日本人的気質であるように思う。
西洋世界は格好いいと憧れてみたものの、その根底にある「厳しい論理」は、明治の日本人でもついに理解できなかったのではないか。そして、「明治の反乱軍=革命軍」の後継者たちも、やはり絶対神との契約が精神の根底にある西洋的価値観、宗教感を理解できなかった。ただ、それを2度の大戦でかろうじて勝ちを収めたことで、俺たちも西洋社会の仲間入りを果たしたと錯覚したのだろう。
ただし、それは西洋社会、絶対神を信ずるもの達からすると、異文化の発展途上国が暴走したに過ぎない。目障りになれば叩き潰すべき対象でしかなかった。なぜなら、絶対神を信じず、科学と経済だけを掬い取ろうとする「背教社会」でしかない。


明治政府の劣化コピーでしかない昭和初期の政府は、西洋社会の背景思想を理解しないまま世界全部を相手に戦争をしてしまったし、おまけに完敗した。あれほどの負けっぷりは歴史的にみても稀有ではないかと思う。ローマに滅ぼされたカルタゴより遥かに状況は悪いと思う。
そもそも終戦条件を決めずに戦争を始めるのは、愚か者以外の何者でもない。昭和政府は明らかに政治的にみて欠陥品だった。ただ、欠陥政府の愚行は、現在の東欧戦乱を見れば簡単にわかるが、いつの時代でも起こることだ。たまたま昭和政府の負けっぷりが一際大きいだけで、その後米国、ソ連も地域戦で酷い代償を支払わされている。日本だけがおバカだとは言えないことも明らかだ。

世界史的には、戦に負けて影の形もなくなるほど消滅した国は多い。ローマに負けたカカルタゴは有名だが、ユーラシア大陸の東側でも、北方民族と漢民族が4000年近く争い続けている。その間の中華王朝はどれだけ滅亡したことか。
日本史で振り返れば、昭和の敗戦に匹敵するのは、織田信長の長島門徒集根切りくらいだろう。砂漠の民の後継者たちが抱く思想は、今でも日本人には理解できていない気もする。

境内は綺麗に掃き清められていた。暑い日だったので打ち水もされていた。全国の一宮の中でも、これだけ丁寧に守られているところは少ないような気がする。
特に、東日本の一宮はほとんどがかなり傷んでいる。旧官幣大社といえども、地域の信仰の中心としての存在が減っているのだ。信仰のあり方というより、現実的には地域の人口が減り過ぎているためおこる、経済的弱化のせいだろう。

拝殿にかかる紫の幕は、なんと寺院からの寄進だった。なんとも言い難い。神と仏の助け合いなのだが、これを明治政府は嫌っていたのか。なんとも了見が狭いことだ。

拝殿からは複数のお社がお参りできる。熊野の三大大社を含め奈良界隈の神社はたくさんの神が祀られていることが多いようだ。さすが、まほろばの時代から続く神様銀座なのだとちょっとおかしくなった。
神社を一つ作るのにも莫大な費用がかかるし、そもそも社の寿命は20年くらいで定期的な建て替えが必要とされた。中世期になり柱に基礎・礎石をしっかり施すようになるまでは、古代の建築は柱の根元が水で腐食したらしい。遷宮の原因は、建築工法にあったという、古代史とリビアだ。

この橋が現世、人の世界と神域を繋ぐ境目、みたいなことなのか


神社建立よりも維持継続の方が経済的には大変だ。一度お祭りした神様を追い出すことはできないし、御社も潰せない。だから、高層ビルならぬ複数神を集めて管理を合理化する、大規模神社が増えていく。古代から中世にかけてのトレンドだった。
宗教関連費用の低減を図る政策は、あおによしの奈良時代から始まったのではないか。天皇が代替わりするたびに、その子や兄弟が天下り先として寺を要求したのだから、寺の数は代が下るごとに際限なく増える。寺の合理化ができないと神社の統合をするしかない。みたいな国家予算のやりくりが想像できる。寺を建てるための予算増が、古来からの神様のお住まい統合でまかなわれる、というか皺寄せされたという、現代日本にもありがちな状況だったのだろう。
由緒ある神社に詣でて、古代人の欲望に想いを馳せる。なんともやるせない気になるが、境内の気配はただただ荘厳だった。

食べ物レポート

豚骨ラーメン 対比してみた

こちらは徳島 来来

徳島ラーメンと和歌山ラーメン、どちらもご当地ラーメンとしては名高いが、たまたまあまり時間を置かずに二種類を食べる機会があった。なんとなく、「あれ??」という感じになった。どうも似ている。味だけではなく全体の印象が似ているのだ。
どちらも豚骨スープでコッテリ系だ。明らかにわかる違いは生卵を乗せるかどうかくらいだろう。ちなみに麺に卵を乗せる「月見系」は好みではないので、生卵乗せは注文していない。写真を見比べて改めて思うが、豚骨醤油系ラーメンはどうもルックスに差が出ないようだ。食べていると口の中がてらてらしてくるコラーゲンたっぷりスープのせいで、スープ自体もとろり感がある。

こちらも徳島 麺王

和歌山、徳島、どちらにも「系統」の元祖にあたる店があり、その店からの暖簾分け、弟子の独立、コピー店の登場などで「ご当地ラーメン」が出来上がっているのは似たようなものだ。
ある程度、系統に属する店を食べ歩くともっと理論的な分析はできそうだが、それはご当地のラーメンフリークに任せるしかない。旅人のラーメン試食は、所詮一期一会でしかない楽しみだ。

和歌山 丸美商店

どちらもを食べても似ている気がする。全国のご当地ラーメンが結集するお江戸ではあるが、不思議と徳島・和歌山の南海ブロックの店は少ない。だから、よくある東京向けにアレンジされたローカルラーメンと比べてみるのも難しい。
あえて言えば、徳島系が重いという感じだろうか。和歌山ラーメンはどろっとしているが、軽さがある。ただ、和歌山ラーメンも二系統に分かれているはずだし、徳島・和歌山の比較自体が意味がないと言えば意味がないのだろうなあ。テーブルの上に同時に出されなければ、和歌山と徳島の見分けはつかないかもしれない。

福岡 ラーメン亭

個人的には、豚骨スープ・ラーメンの中では、昔ながらの博多ラーメンが好みで、これに高菜と紅生姜で味変して食べるのが一番の好物だ。

札幌 紫雲亭

札幌で食べる豚骨スープラーメンも、最近では百花繚乱気味で、どんどん新手が生まれているみたいだが、昔ながらの味も捨て難い。個人的には、豚骨味噌ラーメンを贔屓にしている。昔は、これが異端の札幌ラーメンだったが、今ではほぼ標準になっている。見た目は、和歌山ラーメンに近いようだ。


もうスープまで完食することはできなくなった(しなくなった)が、ラーメンは最初の一口のうまさが全てだ。それは今でも変わらない。スープと麺の芸術であり、最上の「チープ・グルメ」だと思うのですよ。最近はあまりチープではないけれど。

旅をする

旅先で 夕方の散歩で歴史推理

JRの駅前が街の中心と思うのは、おそらく首都圏を含め東日本に住む都市住民の勘違い、思い込みかも知れない。明治中期の日本全国でおきた鉄道敷設ブームで、地方の中堅都市を結ぶ鉄道網は一気に広がった。その後、国策として鉄道の国営化が進み主要幹線はすべて国鉄路線となり、大都市近郊の私鉄はローカル線・通勤通学線として生き残った。
と。大雑把に鉄道の歴史を整理をしてみたが、そのモデルにあてはまるのはほぼ東国限定になる。いや、首都圏を除けば東国でもその理屈が成り立つところは少ないな。国鉄+私鉄が残っているのは、仙台・福島・弘前・宇都宮・高崎、そして例外的札幌くらいだろう。

その理由を考えてみた。明治の暴力革命で勝利を収めた「革命軍」、つまり明治新政府の主力は西国であり、西国の城下は温存されることが多かった。(勝ち組の特権だ)
鉄道駅は城下町・従来の繁華街を避け都市周辺部に敷設された。
はずなのだが、なぜか城下町に直通する路線を敷いた私鉄が多くあったのは、勝ち組西国の商人・資本が潤沢だったという特有の事情だろう。
それとは反して、東日本にある徳川傘下の地方では、城下町の温存など顧みる余地もなかった。あるいは無視された。廃藩置県で地方の小藩は消滅と合併の波に飲み込まれた。
そして合併で生き残った中核都市、比較的大身の藩のお城近くにジャンジャン鉄道を通した。その理由は、土地収用が簡単だっこと、つまり旧勢力が負けたため用地供出命令に文句を言える立場になかったということだと思っている。東国と西国で街の作りが大きく変わった理由は、当然だが鉄道を敷設する経済力と政治権力の差がもたらした結果だった。
西日本の大藩は勝ち組だから旧市街が温存され、国鉄と私鉄の二極が並立する街になった。東北を中心に負け組の街は国鉄一択だ。

人口の割には関西圏に有力私鉄が多いのは、一つに勝ち組の支援をしていた関西系商業集団の力があったため。二つ目には明治政府がお江戸を国際的な首府・首都として飾りつけるため、金もないし時間もないまま、江戸では乱暴な鉄道開発が行われたせいだと思う。関西の私鉄網の充実ぶりと比べ、首都圏の私鉄は田舎の貨物線という体裁が強く残っていた。
新橋・横浜間の土地収用は当時でも簡単な作業ではないと思うが、「負け組」の江戸勢力には明治政府に逆らう力はなかっただろう。中央線が果てしなく真っ直ぐなのは、多摩地区が畑だらけの農村だっただけではないと思う。徳川直率の多摩在住御家人は、鉄道敷設のため所領没収になっても、明治政府に逆らえるはずもなかった。(まあ、個人的推測です)

和歌山もそういう意味では明治政府に降った徳川一族の領地ではあるが、やはり近畿圏では要衝の地なので、国鉄と南海鉄道という二重構造になっている。大阪と京都、大阪と神戸と同様に、交通網の複線化が図られる重要地だったのだ。ちなみに奈良と和歌山を繋ぐ路線は、実に鄙びたローカル線ではあるが、それでも存在しているのがすごい。

などということを考えついたのは、JR駅からお城を目指して散歩をした後だった。晩飯の店を探し、どこかにある繁華街を目指していたのだが、とうとう発見できなかった。駅前の大通りを歩いて城の麓近くまできて、体力的に限界となった。歩いた距離は大したことがないのだが、夕方でも残っていた暑さと賑やかな場所が見つからない徒労感で心がへし折られてしまった。
どうやら川がJR駅と南海鉄道駅エリアの境目らしい。戻ってから地図を眺めていたら、あと5分も歩けば繁華街に辿り着けたのだ。川をわたったら繁華街があるというのは、徳島県と同じ構造だなとぼんやり思った。どうも、徳島という地域は四国の一部というより関西の一部ではないか。大阪湾というのは大陸にあるとてつもなく太い川と同じで、瀬戸内海というより瀬戸内川と言っても良いのだろう。となると、和歌山と徳島は川の対岸くらいの地理感覚なのではないか。

和泉国の海賊は徳島まで海域支配域にめざしていたようだし、地図で見るのとは違い、実際にその地で暮らす人たちの感覚では、徳島と和歌山の一体感みたいなものは、「国」としてのまとまりはずいぶん違ったのだろう。
夕方の街歩きは、体は疲れるが頭の体操には良い時間だったと、弁明するのでありました。

翌朝登った和歌山城の石垣 美しい曲線だった
街を歩く

昭和レトロというブーム

いつも迷った末、このラーメン屋に入ってしまう。まあ、味が昔風というところが魅力ではあるのだが、営業スタイルはこの10年近くほとんど変わっていない。昭和30年代の雰囲気を店内で演出している。懐かしの昭和レトロがコンセプトだ。
昔々給食で使われていたアルミのカップで水が出てくる。おかわりの水はアルミの丸いやかんで各席に置かれている。しかし、この懐かしさを感じるには、現在の年齢で50代後半がギリギリ、おそらく60代から70代が「リアルな懐かしさ」を感じる対象になるはずだ。
ところが、店内を見渡すと、そんなジジババは皆無だ。まあ、ジジババの年代ではラーメンを食べる、あるいは外食という行動から卒業しつつある。経済的な理由も大きいだろうし、健康上の理由からもラーメンは人気のある食べ物とはいえない。つまり昭和レトロコンセプトにとって、ジジババは完全なオフ・ターゲットになっているはずだ。

では、この昭和的空間を楽しむのは誰かということだ。カウンターのテーブルはガラス張りになっていて、その中に昔の駄菓子屋で売られていた「お◯けのQ太郎」のおもちゃが並べていた。そもそも、このキャラを知っているものは、もはやほとんどお墓の中に入ったか入りつつあるかの年代だから、これをどうやって使ったとか、どうやって遊んだだとかを知っているものは、もはや少ないだろう。
このキャラの容器の中に甘い粉末、砂糖が混じった「何か得体の知れないもの」を入れて、スースーと吸い込む。まるで、キセルを使ってアヘンを吸引するような怪しい玩具だった。(ように記憶している)

こんな玩具は今ではすっかり消滅していだろうと思っていたが、よくみると最近の人気アニメキャラがいるではないか。となると、このおもちゃ、まだどこかで現役で活躍しているということか。びっくりだ。どこで売っているのか?
と思ったが、ひょっとするとこれはただの「笛」なのかも知れない。手にとって見ればわかるのだが、ガラス箱の中でよくわからないぞ。

スープは鶏ガラベース 今では希少価値があるかも

どうやら、このレトロな雰囲気を楽しむ客は「ワン◯ース」や「ドラ◯エ」に子供時代親しんでいた年代、つまり30-40代ということらしい。自分が生まれる前の時代も楽しめる「エンタテイメント・スキル」の高い、平成の子どもたちということになる。
見かけの風景に騙されそうになるが、この昭和レトロな空間は、昭和生まれのジジババを相手にした商売ではない。それを高齢者はわきまえなければいけないのだ。

簡単に言い切ってしまうと、ここは日光江戸村となんの変わりもなく、どこかの古都にある忍者屋敷と同じエンタメ施設だ。ただ、同じ世界観を提示している怪獣酒場とはちょっとことなるので、そこはまた別の機会に考えてみたい。うーん、来月はバル◯ン星人に会いにいくか。

初代ウル◯ラマンから登場する歴代の怪獣を全部覚えている小学生はきっといるだろうからなあ。

旅をする

ピジン英語と日本書紀

日本書紀の写本を見てぼんやりと考えていたことがある。ちなみに漢文に詳しいわけではない。高校時代に学んだ知識くらいしかないのだが、漢字の並び方がおかしいような気がする。
その後、中世に書かれた貴族の日記などの一部を見ると、なおさらおかしな感じがした。かな文字が一般化する前だから、漢字の羅列、一見すると漢文のように見える。が、妙な違和感がある。英語だと思って読み始めたら、ドイツ語文書でおまけにアルファベットの中にも見知らぬ文字が混じっていた。そんな漢字だ。
これは一体なんなのだろうかと悩んでいたが、一冊の歴史書でその謎が解明した。やはり、日本書紀の漢文はおかしいのだそうだ。
つまり、当時の国際公用語である中華帝国の文章様式を正しく扱えなかったらしい。言ってみればカタコト漢文だった。だから大陸政府の公人からすると、なんとなく書いてあることの「意味くらい」はわかるが、あちこちに文法的間違いがある「赤点・落第文書」ということだ。

古代ヤマト朝廷勃興期は、まだ日本固有の文字が存在していなかったから、漢字を使って記録するしかなかった。現代で置き換えてみると、政府の公式文書は日本語ではなく全て英語で書くと決められていて、役人をはじめとして全ての政府関係者は必死で英作文をするが、ネイティブな英文には程遠く、英語文書としては落第点、みたいな感じだろう。
実際、日本人が書く英語の文章は、相当流暢に英語を使う人であっても、独特の癖があるもので見るとすぐわかるらしい。日本語の文章ロジックと英語のロジックの組み立て方が根本的に違うにも関わらず、まず日本語で考えてそれを無理やり英語に置き換えるためのようだ。
当然、古代ヤマト朝の時代には、いくら漢文を学んでも、普通の役人(公式文書を記録する役割を持ったもの)ですらネイティブ文書は作れなかったのだろう。その歪みというか漢文法の不正を抱えたまま、日本書紀や古事記が編纂された。この歴史解説書著者の説明では、日本書紀はとりあえず意味は通じる程度の歪みだが、古事記は相当に日本訛りになっているそうだ。

海外にある強大な覇権国家、漢から始まり唐に至る大陸帝国に影響され続けた古代日本は、さぞかし文書を書けない野蛮な国として馬鹿にされていたのだろう。
その後の世界史を見ても、中世の江戸幕府鎖国時代は例外として、近世に入り大英帝国からアメリカ合衆国という海洋帝国に、文化的に従ったということだ。現代日本に氾濫するカタカナ英語、和製英語を考えれば日本書紀などの「変な漢文文書」は同じようなものだったのだと想像がつく。

日本の文化に多大な影響を与えた中華帝国の言語も、中世から近代にかけて国外勢力の影響を受ける。中国語と英語はロジック構成が似ているらしく、単語を英語に置き換えただけでもそこそこ意味は通じるようで、いわゆるピジン・イングリッシュが自然発生的に生まれた。日本語では生まれない便利さだろう。ピジン・イングリッシュは世界性がある言語とまでは言えないが、共通性は高いらしい。そして、今ではそれが簡易英語として世界語に進化しそうという話も聞いた。
かたやこの国では、カタカナ英語混じりで、助詞しか日本語でない怪しい言語「ピジン・ジャパニーズ」を話す日本人が多いことを思い出す。ピジンイングリッシュもピザインジャパニーズも言語として完成度が高いというつもりはない。が、異なる言語同士が互いに影響を及ぼし変質して何か新しいものが生み出されるというのは理解できる。

古代日本人が書いた漢文と、中世アジア人が生み出したピジンイングリッシュ、どうも似ているようだが、普及度合いでは随分と異なる。変な漢文と変な英語の共通性、この辺りが歴史をあれこれほじくり回す楽しみなのだな。

街を歩く

和歌山ラーメン 

和歌山は大阪都心部南部にある、JR天王寺から1時間ちょっとかかる。お江戸の感覚で言えば東海道線で小田原、東北本線では小山、中央本線で行くと八王子と甲府の中間あたりに相当する。首都圏で隣県の街はどれもが政令都市になっているが、近畿圏ではもう少し小ぶりなお隣さんというところだろうか。そして、どうやら和歌山の街はJRの駅周辺より南海鉄道駅の方が賑やかなようだ。
有名な和歌山城の隣に県庁がある。城の隣や城の中に県庁があるというのは、お城のある街の「あるある」だが、一般的な市街地形成例としては定石的な配置だろう。城の横に県庁、その横に市役所という構図だ。
だだ、和歌山の場合はお城が南海駅とJR駅の中間くらいにある。お城の周りは官庁街で、こうなるとよそ者にはちょっと繁華街が見つけにくい造りの街だ。駅前がしょぼいが、実は離れたところに歓楽街がある。この辺りは海を隔てた徳島とちょっと似ている。

そのJR駅の地下に小ぶりな食堂街があり、麺類を提供する店とファミレスが入っていた。イタリアンファミレスは客席待ちの行列が出来る人気ぶりだったが、交通弱者である高校生を街・駅前に繋ぎ止めるにはハンバーガー店とお安いファミレスと100円ショップの三店セットが重要だ。そのてん、JR和歌山駅は優等生だと思う。
町おこしを叫ぶ前に、この辺りの人の流れというか、街の元気の素に対して、常識を理解してほしいものだとよく思う。
駅前ビルは家賃を格安にしても良いから、この三店セットを誘致しなければならない駅とバスターミナルが交通インフラなので、それをどう活用するかが論点になる。どうしても大人は自動車移動を当たり前の前提とするから、この高校生誘致作戦が思いつかないようだ。
ただし、同じ交通弱者であっても高齢者向けの施設は町おこしにつながらない。それは、コンパクトシティーを目指した各地の失敗例から明らかだ。残念ながら爺さん婆さんは群れるのが好きだが金を使わない。町おこしを支える「消費者」としては失格というべきだろう。バスが通院の道具になっている地方都市は、もっと違う交通インフラ構想を持つべきなのだがなあ。

その成功事例として評価したい、和歌山駅駅地下にあるラーメン屋に昼時に入った。なかなかの混雑ぶりだった。旅行者・観光客と地元客が半々くらいだから、商売としては良い立地ではないか。実は、和歌山ラーメンで試したかったのはラーメンではなく、サイドメニューとして定番の寿司だった。和歌山ではラーメンライスの代わりに小ぶりな寿司を食べる習慣があるようだ。頼めば即、出て来た。

包みを開けてみると寿司というには飯の量が多い、おにぎりのようなものだった。確かに、これは和歌山以外ではみたことがない。さて、食べてみようと思ったらラーメンが出てきた。まさに、ワンツーパンチが決まった感じだ。

確か和歌山ラーメンには二系統あったような記憶があるが、こちらはスープドロドロ系らしく、コラーゲン感あふれるコッテリスープだった。食べてみれば普通にうまい。現代の標準仕様に近い豚骨ベース・ラーメンだった。これがご当地ラーメンとして長く食されているのだから、和歌山ラーメンは豚骨ベース時代の先駆けだったということだろう。
関西のラーメンといえば、京都の強烈なドロドロ系スープ、それと対照的なのが大阪、神座の透き通ったスープの印象が強いが、和歌山ラーメンはそのどちらとも異なる。
神戸ラーメンなるものが存在するのか、不勉強で知らないが、やはり関西と一括りに食文化をまとめるのは無理があるだろう。京都・大阪・和歌山のラーメン文化は明確に違う。お隣の奈良は、例の「スタミナ系ラーメン」で、これまた違う県民食になっている。すごいなあ、近畿のラーメン文化。


お江戸は日本全国から一旗あげようという野心家が大量に蠢いているので、いつも食文化はカオスだ。お江戸の伝統などといっていばれるのは老舗の蕎麦くらいだし、それでもたかが300年ほどの歴史だろ。
近代和食のルーツは茶道の懐石料理だから、やはり京都には敵わない。江戸開府の当時、お江戸は東の地の果て、文化僻地でしかなかった。その後、江戸の人口急増により食文化に関していえば、もともと関西よりもっとカオスな地域なのだ。
カオスな地にはカオスの楽しみ方があるので文句はないが、お江戸のご当地ラーメンというのを食べてみたい気がする。まあ、無理だろうけれどね。

食べ物レポート

再訪しても満足する

高知で知人に連れて行ってもらった居酒屋に、一人でもう一度行ってみた。いつもの、食べたいものを好きなだけ食べるというわがままを果たすべく、早い時間に出かけた。人気店なので、ちょっと時間がズレると満席になってしまうようだ。この日も、カウンターに席を取ったすぐ後に、一気に満席になってしまった。

ぶしゅかんは仏手柑と書くらしい。高知特有の柑橘類で、ゆずだかすだちだか忘れたが、その変種らしい。酢みかん、つまり酸っぱい柑橘の夏の代表だと高知の友人に教えられた。これの皮をすりおろして、「メジカのシンコ」刺し身にかけて食べるとうまい。と教えてくれたのは、カツオの町の大先輩だった。そのぶしゅかん+メジカを食べるためには3年ほどかかった。なかなかメジカ漁のタイミングに合わ背て高知にくる機会がなかったからだ。
今では高知人が「メジカ」を求めて狂騒するようで、旬の時期に来てもメジカを食べるのは難しいよと言われた。それも、魚屋の大将から言われたのだから始末に悪い。メジカは諦めるにしても、「ぶしゅかん」は無くなりはしないだろう。おそらく大丈夫なはずだ……………。今年は、ぶしゅかんを焼酎割りにして楽しもうと思った。

とうもろこしの天ぷらも、この時期、高知ではスタンダードなものらしい。これが実にうまい。今では、日本全国で甘いとうもろこしが栽培されているから、産地に限らずとうもろこしの天ぷらが食べられそうなものだが、不思議と高知以外では目にすることが少ない。熱々の天ぷらを塩で食べると、夏が来たなあと思う名品だ。

高知といえばカツオのたたき、ということになっているはずだが、実はウツボのたたきも好物だ。ウツボを食べる文化は高知と和歌山にあると、高知県庁の方に教えてもらった。確かに黒潮は海のハイウェイみたいなものだ。高知から和歌山に行くのは随分と簡単なのだろうし、黒潮でつながる共通の食文化圏であっても不思議はない。
最近はうつぼ漁をする漁師が減ったせいで、ウツボの水揚げも少ないと、これも元漁師の友人に聞いた。
ウツボを養殖するというのはどうだろうか。うなぎやはも、穴子などニョロニョロ系の魚は人気があるのだから、ウツボ養殖もビジネスになりそうな気もするのだがなあ、とウツボを食べつつ妄想していいた。

そして締めにはナスのたたき。「たたき」尽くしの夜になった。高知県でいう「たたき」は物理的にヒットする叩きではなく、焼いて表面を焦がす料理のことだと思われる。
ナスのたたきも色々と流派があるようだが、この店は軽く油通しした茄子に夏野菜をたっぷりとのせている。ニンニク・チップをアクセントにして「たたきのタレ」、要はポン酢しょうゆに似たもので食べる。爽やかサラサラ系の一品だ。これも最近まで知らなかった、高知の家庭料理として定番らしい。この野菜の下にある茄子が、炙った鰹に変われば鰹のタタキになる。

どれを食べてもうまかった。独り占めしてわがまま放題で食べた。腹はパンパンに膨れたが、心はもっと満足だった。いやあ、久しぶりにすごい贅沢した気分になった。高知の夜は「うまいうまい」なのであります。

街を歩く

ロボットソフトのサービスエリア

明石大橋を望む丘にSAがあ流ことを知らなかった。勝手に淡路島の真ん中の山の中にあると思い込んでいたせいだ。そもそも、淡路島が兵庫県とは覆っていなかった。勝手に徳島県だと信じ切っていたのだが、よくよく考えると瀬戸内海の島々の所属は入り組んでいる。他の瀬戸内海連絡橋の場合でも、岡山県と香川県の境がどの島であるか知らないし、愛媛県と広島県の境目もわから
この辺りが日本の地理をなんとなくぼんやりとしか覚えていないと反省すべき点だ。学生時代、地理をサボったツケが回っている。
このSAで面白いものがあるのを思い出した。ロボットが作るソフトクリーム機がある。外食のロボットは著しく遅れている。万能調理機とでもいうべき「ひと」を安くこき使うことで成立している現代の暗黒産業と言われても仕方がない遅れぶりだ。

ワクワクしながらロボットの前に行ったが、なんとまだ開店前で、朝早くにソフトクリームを食べる客がいないと判断されているようだ。実に残念だ。
展示会でデモンストレーションは見たことがあるが、実査に客が注文するところを見てみたかった。これは、再訪するしかないか。

昔々だが、ソフトクリームを販売する店舗の責任者になり、上手にぐるりと負けるようになるまで十数回練習した。それでも熟練の技には程遠いのだが、その人の技?を機械が実現するまで20年以上かかったということだ。外食の夜明けはまだ遠いなあ。

旅をする

道の駅でラーメンをたべた

最初の見栄え 

道の駅の食堂で食事をとることはあまりない。というか、ほとんどないというのが正しい。原因は簡単で、昼飯時はものすごく混んでいることが多い。客席待ちになる場合もある。そして、夜はほぼ営業していない。午後5時閉店という、昭和の大店法時代が生き残る営業時間がきっちりと守られている。
たまたま立ち寄った道の駅で、ランチ時間が始まるタイミングだったので、待ち客ゼロ状態だった。それではと早いランチにすることにした。ご当地ラーメンというか、丹精な塩ラーメン的なものがあったので、それを注文した。普段は塩ラーメンは頼むことはないのだが、ちょっとした気まぐれだった。
出てきたラーメンは、ちょっと変わったうどん的なルックスで、蒲鉾がラーメンには珍しい。どうやら塩ラーメンではなく、薄口醤油ラーメンのようだ。

忘れていたゆで卵が乗せられて完成品になった

などと食べる前にあれこれ観察していたら、調理場からおっちゃんがでてきて「わすれものしたー」と言いながら、ゆで卵の半分を乗せてくれた。なるほど卵のビジュアル・インパクトはなかなかのものだと感心した。
「素うどん」が「おかめうどん」くらいに見栄えが変わった。いざ実食してみると、やはりうどん的なあっさりとしたスープだった。蒲鉾がチャーシューの代わりなのかなあ。変わったラーメンだ。

おまけで注文したのが和歌山名物めはり寿司だが、高菜漬けでくるんだボール状のおにぎりで、これはこれで面白い食べ物だが、ラーメンの付け合わせにするとちょっと量が多いかなあ、という感じだ。たまたま道の駅で出会った異文化というか異・食文化にちょっと感動した。しばらくは道の駅ランチ、並んで待つことになってもたのしんでみようかな。