食べ物レポート

田中鮮魚店にて 鰹を喰らう

お盆過ぎから10月上旬まで、中土佐町久礼はシンコで賑わう。この超鮮度重視の魚を求めて、高知県中、いや高知県外からも朝早くから人が押し寄せてくる。朝9時、魚屋の開店前から行列ができ始める。暑いのに、ご苦労なことだと思う。

その昔ながらの市場の奥まったところに、田中鮮魚店があり、これまたうまい鰹を求める人が群がっている。魚屋と言いながら、鰹の他に数種の刺身が並べてあるだけで、普通の魚屋でならぶような大衆魚は一切見当たらない。自家製の干物はあるから多少は魚屋っぽくはあるが、基本的には鰹専門店と言って良い。

朝仕入れた新鮮な魚の切り身が並ぶ。鰹も朝のせりで仕入れたものが午前中にはたたきに加工され並んでいる。その日の獲れたて魚でラインナップは変わるが、この時期の好みで言えば飛び魚がある。ウツボのたたきもうまいし、タイミングが良ければシイラもある。

それを魚屋の向かいにある食堂で食べることができる。ご飯と味噌汁のセット券を買い、魚は好きなものを選び刺身におろしてもらう。昼時には席待ちの行列もできるが15分も待てば入れる。

本日はカツオと飛び魚、そしてメジカの生節だった。カツオは大将にお任せという乱暴な注文の仕方だ。この見た目四人前はあるかという大量の刺身を女性スタッフと二人で完食した。満腹感もさることながら、鰹を食い切ったという達成感が凄い。ちなみに、鰹大好きの高知人でも鰹のたたきは一人前3−4切れらしい。
うまい鰹を食べさせる店は高知県内のあちこちにあると思うが、達成感を感じるほどの良品にであうのはなかなか難しい。高知市内から高速道を使えば1時間程度。JR土讃線で特急を使えば、1時間弱。高知観光するのであれば、このカツオの町久礼までわざわざ鰹を食べに行くというのありだと思う。ちなみに、水曜は定休なので平日に行くのであれば、営業日時を確認した方が無難。季節によってはカツオが上がらない日もあるしね。

以上、宣伝でした(笑)

街を歩く

土讃線の短い旅

高知駅から西へ向かう土讃線は窪川駅までで、その先は地域鉄道になる。高知駅からは特急で1時間ちょっとだが、ローカル線特有の揺れが旅情をそそる。乗客も少ない二両編成の特急というのは、他の地域でもなかなか見ない光景だろう。
四国は瀬戸内を跨ぐ三つの橋ができるまでフェリーで渡るしかない島国だった。その上、峻険な山地で仕切られる、まさに4つの国で、高速道路も主要都市をつなぐだけの限定路線だった。
四国内で高速道路が延伸されるのと、鉄道が縮小していくのは同時進行だったように思う。土讃線を高知県から岡山県に向けて乗っていくと、瀬戸大橋を越えるあたりから急速に人家が増える。古代からの大幹線路であった瀬戸内海の賑わいが実感として感じられる。
その道を逆に進むと、瀬戸内海から遠ざかるほどに鄙びてくる。地理的な環境が社会を変えるというのが実感できる光景だ。

さて、その土讃線の端っこにある窪川で名物の四万十ポーク料理を食べた。和風ハンバーグは、まさに豚肉向けのやさしい味付けだった。ハンバーグを食べながら思ったことだが、実は現代日本で「鄙」と言われるほどに、文明文化との隔たりがある場所は存在しない。高知県でも、かなり西に行った地方の町で「美味しい洋食」を当たり前のように食べられる。ハンバーグにに白飯と味噌汁がよくあっている。都会の定食屋よりうまいと思うくらいだ。


インターネットの普及とと自動車交通により、都会と田舎の情報格差・時間的距離はほぼなくなっている。残っているのは、地方都市に住まう人たちの心理的な距離感、あるいは時間というものに対するゆとり感覚だけだろう。
大都市での勤務者経験からすると、地方都市の時間感覚は明らかに緩い。おおらかと言えばおおらかだが、寸暇を争うビジネスタイムで生産性の勝負をしてきた経験からすると、時間の無駄使いにも見える「ゆっくりタイム」が流れている。
おそらく都会と田舎の差で最後に残っているのは、この急かされるような時間感覚、1秒も無駄にしてはいけないという時間貧乏的な発想をするかどうかにある。もちろん、都会人の時間貧乏は、人として精神的に貧乏な暮らしを招くと思う。だが、なかなかその癖が抜けきらない。地方都市の人と仕事をするときに感じる一番のギャップでもあるかなあ。


だから、そんな時間貧乏を解決しようと、たまにローカル線ののんびりした旅をする。そうすることで、自分の時間耐性の調整を取ろうと思うのだが。たかだか一時間程度の鉄道旅では、焼け石に水らしい。おそらく、一年くらい「田舎の町」で暮らせば、時間貧乏も抜けそうな気がする。

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普通のラーメンもありがたい

高知駅の高架下にある中華の全国チェーンは時々お世話になる。なんと、県庁所在地の駅でありながら、高知駅に食堂が一軒しかない。それも小洒落たカフェ風な店で(ただ、うどんも置いている)、駅で食べる食事としてはいささか面映い。
だから駅正面から100mほど離れた高架下にある中華料理屋に行く。高知県とは全く関係のない町中華だが、高知に来たから高知名物を食べようと思うには、高知に来すぎた。普通の昼飯は普通の中華料理屋でチャーハンかラーメンで良い。ちなみに、名物カツオのたたきは、本場のたたきを食べすぎて舌のレベルが上がり過ぎてしまった。高知市内の店で食べても、たまに不満に思うほどになってしまった。これは、想定外の事態なのだなあ。ある意味、不幸になったのかもしれない。お江戸のスーパーで売っている鰹は、もはやカツオと思って食べてはいないくらいだ。やはり、好物のカツオが気軽に楽しめなくなるのは、不幸だろう。

さて、高知県で普通の昼飯を食べるとして、何を注文するべきか。今回はシンプルな醤油ラーメンではなく、キムチラーメンにしてみた。注文した品物が出てきたので、どんなものかなと眺めてみるとトッピングにキムチが乗っているだけの変化だ。が、普通のラーメンはそれでいいんだなあ。あんかけラーメンや野菜たっぷりラーメンも良いけれど、シンプル・イズ・ザ・ベストというではないか。普通に美味しくいただきました。ダメな鰹を食べて残念に思うより、よほど安全な選択というものだ。

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地元系居酒屋にまよいなし

ひさしぶりに葉牡丹に行った。秋の夜長というが、夕方6時には暗くなる季節なので、夕闇に誘われて居酒屋へむかうのは、それなりの風情がある。良い季節になったものだ。これはなかなか嬉しい。
相変わらず大人気でたまたま開いたカウンター席にありつけたが、ちょっと遅れれば空席待ちになるところだった。

イカの鉄板焼きなるメニューを頼んだら、自分の予想と全く違うものが出てきて、これはびっくりだ。頭の中にはイカがマルっと一匹横たわっている姿が浮かんでいたのだが、イカの切り身ともやし炒めが出てくるとは。確かに、いかの鉄板焼きに間違いはない。
食べてみて、これはこれでありだと思った。イカ好きが言うのだから嘘ではない。

二品めの注文はだいぶ迷った。腹の空き具合が微妙で、次の一品で打ち止めになりそうな気配だった。八宝菜という昔懐かし中華メニューと定番酢豚が、頭の中で5分ほど乱戦を繰り広げた。結局、定番の勝ち。
ここの酢豚はきゅうり入りだ。酢豚にきゅうりが入っているのは、西日本で多い気がする。おそらく明治期あたりに大陸から渡って来た華人料理師たちに、広州系南方派と北京系北方派がいて、西では南方系、東では北方系の料理人が主流だったのではないかと思っている。きゅうりのあるなしの境界線はどこにあるのかわからないが、愛知県あたりではないのだろうか。東日本でよく見かけるのだが、酢豚にパイナップルが入っているかどうかも、東西酢豚の違いのような気がする
自宅近くに残留孤児(とその子供たち)がやっている中華料理店がある。当然、彼らは日本的な中華料理の影響は受けていないはずなので、大陸的なオリジナル酢豚を作っているのではないかとおもうのだが、その店ではパイナップルではなくマンゴーが入っていた。中華路料理にもニューウェーブがあるらしい。
葉牡丹の酢豚は、おそらく明治とか大正から続く西国中華料理の伝統にしたがっているのではにかなあ。

この店のカウンター席は冬でも暑いくらいの熱気があるが、この季節は背中で回っている扇風機のせいで、ゾクゾクするほど寒い(笑)
熱気あふれる店で寒さを感じるのもまた乙なものだと意地を張っていたが、あまりに涼しいので早々に退散した。だって、体の正面は物理的に暑い、背中は涼しいのだから。今度座るときには、扇風機の位置をよく確認することにしよう。

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西国の由緒正しき神社

福岡県は古代日本において大陸と半島への入り口であり、最重要拠点であったはずだ。個人的には邪馬台国=古代ヤマト王朝の源流と考えているので、この辺りにあった古代都市国家が列島統一に乗り出したはずだと思っている。つまり、日本の起源はこの九州北部にあったはずだ。
だから、九州各地に存在する古からの神社は、古代都市国家群の象徴、権力中心、政治経済の拠点という性格があったはずなのだが、その中でも八幡信仰はちょっと異質の神を祀るものであると思う。
宇佐神宮とその分社は北部九州に多いが、この筥崎宮も八幡様を祀った由緒正しきお社であり、北部九州にあった古代国家群が勢力凌ぎ合った証拠ではないのかと思っている。つまり、八幡様はおれの神様だ、勝手に拝むなー!、何を言っている、八幡様はうちだけの神様じゃー みたいな国同士の争う姿が思い浮かぶ。

神社にはいくつかの伝統的な様式があり、鳥居の形やしめ縄の形状、あるいは屋根の形などで神様界の勢力図がわかるらしい。お奉りされている神様も元々の神に加えて、色々と追加でお引越しされてくる方もいらっしゃるようで、まさに時の国家勢力が奉じる「我が神様」が、時代によっておいでになる?構造だ。特に、西国、つまり九州や中国の神様と国家と神社の配置は実に興味深い。

八幡様は武神として、鎌倉以降の武家政権には重要視された。あれこれ調べてみると武家といっても平氏源氏の頃は武士というより軍事貴族といった色彩が強い。戦闘の専門職、軍人化するのは室町後期から戦国期にかけてであった。貴族の地方領地で徴税業務を受け持っていた現地雇用の役人が、領地保全のため武装集団化して、ついには領地を簒奪した。つまり反乱者集団ということになる。それが武家の始まりといえば身も蓋もないが、その反乱者の武装集団がなぜか貴族たちが拝む神様のひと柱を自分たちのものにした。それが八幡信仰と考えると、なかなか面白い。荒ぶる紙の筆頭である「素戔嗚」神ではなく八幡様という点も興味深い。
そんな武家も戦国期が終わると一気に非軍事官僚化する。江戸期に至っては軍事知識は喪失し、文官化した元軍人階級という有様だったようだ。だから、西国からの動乱、戊辰戦争に負けたのも無理はない。戦争する気がない軍人とは、そもそも職務怠慢だろう。


戦国期は当然ながら、軍事技術者であり戦闘技術(マーシャルアーツ)に優れたプロ集団が武家と呼ばれていた。その軍事専門家が好んでいたのが八幡様ということらしい。つまり八幡さまは戦闘技術の元祖プロフェッショナルと目されていたのだろうか。

楼門の一角に戦国武将が寄進したと書かれてある。それが現存しているのもすごいことだが、歴史の教科書に出てくる勇将が、おそらく戦勝祈願を含めて寄進したのだろう。同じ八幡様でも宇佐八幡宮は皇室直結というイメージが強い。石清水八幡宮は、やはり源氏の嫡流が奉じるというようなイメージがあり、寄進先がここになったのかなの。西国武将にとって岩清水は遠すぎるのかもしれない。

広々とした境内には参拝客と観光客が大量に訪れていた。1000年も昔の人がここを歩いていたと思うと、何やら感慨深いものがあるが、ひょっとすると2000年前の人も歩いていたのかもしれない。
お江戸では考えられないタイムスケールだし、生まれ故郷の蝦夷地、それも札幌であればたかが150年しか歴史がない。2000年前に歩いていたのは、少なくともヒグマでありエゾシカしかいない。人族として存在していたとすれば縄文人がいたのか? そもそも縄文人というより古代アイヌ民族ではないか。などと、あれこれ思いを巡らす羽目になった。
西国の神社は、ともかくすごいのであります。

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ブランドについて気づいたこと

福岡で一番の繁華街、天神に行くといつでも目を引く大行列がある。Mのマークのハンバーガー店だが、この店は大阪駅近くにある店舗と並び日本の最大売り上げを競う超繁盛店だ(今でもそのはずだ)
その行列に並んでハンバーガーを買う気にはならないが、ふと店舗入り口の看板?をみて、あれあれと思った。「M」の字しかない。マク◯ナルドと買いてもいない。英語のブランド名もない。黄色いM、一文字だけとは恐れ入る。
このハンバーガー店を知らない人間は、もはや日本には存在しないということか。黄色のMは、ほとんど国旗のような「ブランド」を表すものになっているのだなと、改めて感心した。

そのハンバーガー店の裏手に、鶏唐揚げの店がある。看板を見ればこれもたったアルファベット三文字しか買いていない。白ひげ爺さんのブランドマークもあるが、今ではそれもおまけ程度らしい。
どちらのブランドもすでに日本国民にとっては説明する必要もない「あって当然」の代物になったのだと、改めて唸ってしまった。
お江戸でM、一文字の看板を見た記憶がない。やはり、福岡は文化度というか情報感度の高い町なのだなと思った次第。全国に人口200万人ほどの巨大政令都市はいくつかあるが、その中でも福岡はずば抜けて感性の高い年ではないかと思う。古代日本から続く海外交流の入り口というのが都市の性格をつくりあげたのだろう。個人的には、北の雄「札幌」、関東の一番都市「横浜」、中京の親分「名古屋」のどれも凌ぐと思っている。

できればこの街で何年か住んでみたいなという気もするくらいだ。

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博多の正統なラーメン

博多駅在来線ホームの端っこに立ち食い蕎麦屋ならぬ立ち食いラーメン屋がある。これは一度お試ししてみなければと思っていたが、ついにお試しすることができた。自動販売機で食券を買いいそいそと店の中に乗り込んだ。期待感はマックスだ。

目の前でチャチャっと麺が茹でられる。所要時間1分ほどでラーメン登場だ。やはり博多ラーメンの麺は細いので茹で時間が速いのだろう。立ち食い蕎麦屋の速度に引けを取らない。
博多ラーメンのルックスは基本的にシンプルでネギとチャーシューが乗っているだけみたいだ。キクラゲの細切りも標準装備だろう。見た目は、かなり貧相だ。

だが、そこから卓上にある取り放題のトッポングを使い自分でアレンジするのも博多ラーメンの流儀で、辛子高菜と紅生姜、それに白胡麻を振りかけると、あーらゴージャスなラーメン位大変身だ。ちょっとお高いラーメン屋だと、これに辛子明太子も追加になる。
トッピングは徐々に加えて味変を楽しむのもらいいのだが、我が流儀は最初に全部投入する。混ぜませじながら部分味変を楽しむというものだ。、
博多ラーメンは、このぐちゃぐちゃ感が良いのだと思う。麺を食べ切った後、いろいろな味が混ざり合ったスープを飲むのも楽しみだ。うむ、やはりお江戸で正統博多ラーメンを出す店を見つけなければいけないなあ。と、博多駅ホームの正統な博多ラーメン店で強く思いました。

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西武鉄道の旗艦店が開いた

昭和の後半には一世を風靡した西武流通グループはすでに解体され跡形もない。名前だけ残っている西武百貨店も経営はセブンイレブングループだし、パルコは大丸松坂屋連合の傘下にある。西友はウォルマートに買われた後に楽天に転売され、その楽天からも見放された。(楽天が債務悪化のため手放した格好だが)ファミマも伊藤忠傘下にある。まさに、強者どもが夢の跡だ。
そしてもう片方の西武グループ、西武鉄道グループもこれまたファンドの支配下にあるのだが、西武流通グループが解体された(?)ため、西武線の大型駅周辺に鉄道グループが経営する商業施設を再編・再構築している。まあ、これが鉄道ビジネスの正しい在り方だろうなあ、とは思う。鉄道と流通の経営がバラバラというのはビジネスの合理性としておかしな格好だったのだ。
その鉄道グループの本拠地で駅周辺再開発が最終段階を迎えた。電車の整備工場跡地を使った大規模モールがオープンして、駅の周りには全く隙間がなくなった。駅前にタワマンが聳え立つ隣にできた徒歩型モールだ。これが、なんとも都会的な雰囲気を醸し出す。二子玉川とか中目黒あたりの気配が漂う。埼玉県西部の地方都市が光り輝く「シティー」に変身した。(大袈裟だな)

2階は駅から続く歩行橋で結ばれているので、1階がデパ地下的な食品ゾーンになっている。その一階の半分以上を占めるのが「フードホール」だ。フードコートとフードホールの何が違うかといえば説明に困る。勝手に自分なりの理屈を捏ねてみると、フードコートは全国ブランドの低価格チェーンが5-10入居している長屋みたいなもので、価格帯も低く抑えられている。
フードホールは全国ブランドというよりもっと個性的な店が多く、提供される料理・メニューも尖ったものがそろっていて価格帯も一人前1000円越えの高額なものになる。長屋というよりおしゃれな低層メゾネット・マンションという感じだろうか。
当然ながら、この諸物価値上がりのご時世で、新規開店は長屋より高級マンションが良いという結論らしい。

コロナの後遺症というべきか、通路幅も含めて空間には余裕がある。またファミリーレストランのように多人数が同席するような場所よりも、少人数で使うテーブルが中心で、この辺りがショッピングモールのフードコートとは一番違う感じがする。
ただ、どれだけ頑張ってみても時間が経てば、町の長屋的な変化はするだろうなあとは思うのだが。場所が場所だけに。だって、埼玉だしさ。

プレオープンのタイミングで見に行ったので、まだ人出は限定されていて、それでも珍しい店には行列ができていた。台湾の夜市をイメージした屋台料理風の店が一番人気だった。ちょっと前であれば、メキシカンとか東南アジア系の店が目立っていたものだが、料理の世界でも流行の変化は早い。台南担仔麺が流行ったのは30年以上昔だが、それがリバイバルしそうな雰囲気だ。
ただ、小籠包は台湾料理ではなく香港あたりの広州がメインな飲茶の一部だったと思うけどな。まあ、細かいことは気にしない……………

食べ物レポート

チキン4個で1,500円とは……………

ハニーメープルというが、ハニーもメープルもどれくらい入っているか知っているだけに……………

仕事柄、ビスケットのことを説明しなくてはいけなくなり、久しぶりに現物を調達してきた。流石に、ビスケットを一つだけくれと注文するのは、長い間関わってきた会社だけにちょっと心が咎める。そこで、オリジナルチキンとサイドアイテムのセットを注文した。
長い間関わっていたブランドだから、値段の見当はついている。と思っていたのが間違いだった。
チキン4個とサイドアイテム2個のセット、これは平成の30年余りの間は、ずっと1000円程度だった。オリジナルチキン2個とサイド1個(ポテトかサラダかビスケット)は500円のはずだ。
何も考えずに会計したら、1500円もした。ちょっと前であればチキンが8-9個買えた値段だ。今浦島とはこういうことを言うのかと、チキンが入った袋をもらい呆然とした。現金で会計していたら、「値段間違っていない?」と聞き直していたかもしれない。


それでも、初めてアルバイトをした頃のことを思い出せばまだこの値段でもマシだ。チキン屋で初めてアルバイトしたとき、一時間働いても2ピース買えなかった。今では一時間働けば時給は1000円を超えるから、チキン3ピースは買える。4ピースは……………無理だ。 

などと考えていたら随分と落ち込んでしまった。チキンが想定以上に値上がりしていたせいなのか、ウン十年前にアルバイトを始めた頃の時給を思い出したせいか、はたまたチキン屋で仕事をしていた時のブラックな記憶がフラッシュバックしたせいなのか。
当分チキンは食べないことにしよう。あまりにもダークな気分に巻き込まれすぎる。ジジイは予想以上にストレスに弱い生き物なのだ。うまさを求めるよりも、不要な精神的ダメージを避けなければいけない。チキン如きでメンタルケアを放棄してたまるかあ!

街を歩く

ぺこちゃん

狭山市駅 西武新宿線 

この人形が一時期、街から消えていた。まあ、洋菓子屋の老舗だが経営的にあれこれあり、再建途上だったことが原因だろうと思う。銀座と飯田橋にある店は健在だったが、それ以外の場所は記憶になくなってしまった。
自宅近くの駅前にも一軒あった。子供の誕生日のケーキを買った記憶はあるが、その店もいつの間にか姿を消した。
たまたま隣町に用事があり電車で出かけたのだが、その駅が再開発され新築された駅ビルの一等地、食品スーパーの入り口付近という格好の場所に新店が開いていた。
懐かしさのあまり思わずケーキを買ってしまいそうになった。確かにこの人形が立っているとよく目立つし、ケーキ屋だということが確信できる。幼い頃に刷り込まれた記憶は簡単に失われることがない。

エミテラス所沢

そして、あまり時間が経っていないのに、また新しい店でこの人形を発見した。西武鉄道本拠地に開いた大型商業施設の中、高級パン屋の隣に老舗洋菓子店として開店したらしい。神戸や東京のビッグネームなケーキ屋が入っていてもおかしくない好立地だった。ぺこちゃんの復活はなんとも嬉しいものだが、今の子供達やその親世代にとって、この人形はどんなイメージがあるのだろうか。
薬屋の前に置かれていた象やカエルの人形も、もしかしたら復活してくるかもしれない。町の中に立体造形(ブランドアイコン)が溢れ出すと、それはそれで楽しい風景になりそうだ。

頑張れ、ぺこちゃん。

ケーキ屋ではなくコンフェクショナリーなのだね