食べ物レポート, 旅をする

青森のうまいもの 郷土料理

津軽三味線ライブで一杯やろう

青森の飲み屋街のはずれに津軽三味線ライブの店があり、たまに立ち寄る。最近は団体客も多く盛況が続いているらしい。昔は席だけ予約して料理は適当に当日注文することにしていた。
ところが今回は夏休み中という事なのか、とても混み合っているので一人前のセットを注文してくれと言われ、まあ、それも良いかと宴会セット風にしてみた。

刺身の盛り合わせや一品料理が色々と出てくるので、面倒くささがない。それはそれで便利なのだなあと納得した。セット料理の困るところは自分の嫌いなものが入っていると途端に興ざめしてしまうからだ。特に最近は若い人向けに和食でもチーズを多用する困った風潮があり、帆立貝のチーズ焼きなどが出てくるとげんなりしてしまう。(チーズがうまいという人が増えるのは仕方がない、高タンパク、アミノ酸、旨味成分多しの食材がチーズだから、ダメダメなポテトもチーズで変身する。万能調味料だから仕方がない)

しかし、青森の郷土料理的ラインアップにはまだチーズが不参加だった。

その中でも一番のお好みはホタテフライとイガメンチ。津軽地方ではイカのゲソの唐揚げを郷土料理として愛好しているそうだが、最近のイカの不漁で「イガメンチ」の販売をやめる総菜屋もあるらしい。イカの有効利用として、食べ残されてしまうイカゲソを下足天にするのも良いが、イガメンチは是非全国で普及してほしい「うまいもの」だと思う。
ゲソをみじん切りにしてキャベツなどを合わせ小麦粉で練り上げたものといえば、全く旨そうに聞こえないが、実物はうまい。イカ好きにとっては好物なのだ。

青森の漁場は北海道南部とかぶるので、基本的に魚種は北海道と同じだが、微妙に味が異なる。北海道の方が、より日本各地の料理と混血し、かつ乱暴(手抜き)なので、干して焼いただけという焼き魚が多い。酒粕につけたり味噌につけたりという料理は、やはり日本の伝統的な食べ物だろう。(北海道は日本に帰属してからまだ150年)

青森名物ホタテの貝焼き味噌は、個人宅では専用巨大帆立貝の貝殻が用意されているようだが、営業用にはステンのホタテ型皿で調理。味噌とホタテの組み合わせは、なかなか捨てがたいものがある。一時期はホタテが相当な期間、不漁だったようだが、今では戻っていいるらしい。青森郷土料理にはホタテはエース級なので、めでたしめでたしというところ。予想していた以上に火を通すのでちょっと煮詰まったくらいで食べるようだ。

「たか久」は団体客によっては入れないことがあるので、事前予約がオススメ。ほぼほぼ住宅地の中にある不思議な場所で、もう一軒飲みに行こうという時にはちょっと歩かなければならない。青森駅からだとタクシー利用が無難なほどの距離がある。津軽三味線のライブを見て、ねぶた祭りの体験もできる賑やかな店だが、料理も十分に楽しめる高いレベルだと思うよ。大間の本鮪とかウニとかも良いね。

旅をする

奥州街道の終わり 善知鳥神社(うとうじんじゃ)

善知鳥神社(うとうじんじゃ)というのは読み方が難しい。青森市の繁華街のはずれというか、元の繁華街の中心地らしい場所にある。ふらりと町歩きをしているとたまに行き着く特別な場所があるが、まさしくここがそうだった。

うとうじんじゃの入り口

ホテルに戻る途中に飲み屋街の小路を適当に曲がったりしていると行き当たった神社だった。津軽地方の中心地は弘前で(お城があった)青森は、陸奥の果て、そして蝦夷への渡航地的な認識があった。だから、江戸時代には青森は出先機関がある場所だったはずだ。
明治以降の蝦夷の開発に伴い青函航路の需要が急増し、青森は交通の要衝の地となった

奥州街道終点記念の碑

では、この善知鳥神社はいつ頃からあったのか。奥州街道とは・・・と思いを巡らせる

奥州街道 終点は神社

奥州街道は、お江戸日本橋から宇都宮、盛岡を経由し、青森に至る街道だったようだ。

まさしくここは日本国の果てであり、ここから船で渡るのは蝦夷地なのだから、当然異郷であり、などと考えさせられる。

https://www.actv.ne.jp/~utou/index.html

書評・映像評

とあるおっさんのVRMMO活動記 19

転生物とは違うが、異世界で遊ぶためのやり方 「ゲーム世界」型の典型

表紙  by Amazon

https://www.amazon.co.jp/とあるおっさんのVRMMO活動記%E3%80%8819〉-椎名-ほわほわ/dp/4434264133/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=とあるおっさんの&qid=1571540104&s=instant-video&sr=8-1

戦い多少あり、ロマンスなし、ファンタジー系の料理日誌みたいな・・・

最初にタイトルのVRMMOについて説明すると
Virtual
Reality
Massive
Multiple-player
On-line game
仮想現実空間で大量の参加者がプレイヤーとして遊ぶゲームで、コンピュータ相手に一人で遊ぶ旧来のゲームとは異なり、大人数のプレイヤー参加が前提になるので、会話をしたり仲間になったりと、現実社会のようなコミュニケーションが取れる。実際にはまだVRの質が向上中であり、この本の中のような実体験と間違うほどのリアルさはない(はずだ)が、ハマる人が多い。モンハンなどは、MMOとして一番広く知られているのではないかと思う。いわゆる「ネトゲ」という代物で、中毒性が高いらしい。

異世界転送ものというお話について

最近すっかり定着した感のある異世界転送物というジャンルがある。むかしであれば、SFとかファンタジー小説とか言われていた、この世界ではない世界での冒険譚というものだろう。SFでは未来的な話が多く舞台が宇宙だったり、地球以外の星だったりする。ファンタジーであれば、それこそ異世界で魔法が使える、魔獣や異人種がいるというのがお約束だった。なんとなく科学的裏付けがある世界がSF、物理法則を無視した魔法があればファンタジーのような区分けだ。ストーリーは世界設定がどうあれ、そこに巻き込まれた若者が成長するパターンが多いが、主人公が苦心惨憺、甚だ厳しい環境からなんとか脱出するパターンのどちらかになる。

しかし、転生ものではこのお約束ごとが全く守られない。画期的と言えるのか、主人公が全く冒険しないパターンが出現した。
例えば異世界に開いた特異点で居酒屋経営をする。異世界人が押し寄せる人気店になるのだが、そこで起こるのは冒険でもなく、下町で起きる人間関係のもつれ的なストーリーだ。(フーテンの寅さん的世界、渡る世間に鬼的世界というべきか)
また、冒険をすることはするのだが、主人公が人以外になってしまうと、感情移入がしにくいだろうと思う。しかし、主人公がスライムになったり蜘蛛になったりしても人気がある。

異世界に行くのではなく、仮想現実世界へ意識を飛ばすというパターンは、まさしく今日的な設定だが、主人公が現実世界では死なないのだから、まさしくゲーム感覚の冒険になる。こうなれば下0無ない世界が意識の上では第二の現実ということか。
他には、死んだら異世界にいましたという「巻き込まれ型転生」が多いが、自分から異世界に行ってしまう「現実逃避型」や、自分の意思にかかわらずさらわれてしまった「誘拐型」、その変形として仮想現実世界から抜け出せなくなった「拉致型」などもある。
どちらにしても転生ものの原点は、「今とは違う誰かになったら(それも今とは違う世界で)、俺だって結構すごい」という話だ。現実に存在する新宿警察署の刑事になったり、自衛隊の海外派遣で事故に巻き込まれたりというリアル感は薄い。ラブ・ロマンスもあることはあるが、好きな子の耳がウサギや猫の耳だったり、長かくて尖っていたりする人以外との恋愛であることも多い。

とあるおっさんの・・・というこそ平成のストーリーテリング

ということで、この「とあるおっさん・・・」についての話だが、すでに20巻近くになる大編だ。webでの連載から書籍になるという転生ものではよくあるパターンで、おそらく人気の原因は前述したような「冒険しない」時間と「冒険している時間」のバランスが良いことだろう。ネットゲーム内の仮想世界なので、実際に傷付いたり死んだりすることはない。主人公は普通の会社員で30代後半、独身というゲームに没頭するには良い環境だ。話の中ではほとんど現実世界の描写はない。現実ほどト書きのような世界であり、仮想現実内のゲーム世界の方がよほどリアルに描かれている。
冒険しない時間は、料理をしたり、加工品の原材料を集めに行ったりする。たまたま作った料理が売れそうだと、屋台を開いて販売する。稼いだ金で装備や道具を買う。実に、資本主義的社会がゲームの中では幅をきかしている。ただ、これだけでは飽きるのだろうから、たまには冒険に行くのだが、これもご都合主義的に世界のキーマンに次々と絡まれ(惚れられ)、あれよあれよと圧倒的なスキル、技能、能力を獲得する。そして超人的な問題解決能力を示す。

この作品が、現在隆盛を極めるライトノベルの一つの頂点であるのだろう。
その特徴は、
「頑張りすぎない」 冒険もそこそこ、冒険以外の活動で世界を経験するのが主眼
「やるときはやる」 主人公と関係が深いものの苦境は全力で助ける。が、失敗してて痛い目に会うこともある。
「箱庭的世界構築が好き」 現実世界とは違った部分の隅っこを精緻に描き出す。主人公もおなじことをしているメタな世界構築もあり。

平成アニメーションの収斂効果

異世界で「サザエさん」や「ちびまる個」的日常を語りつつ、「ワンピース」的な冒険と「ドラエモン」的ガジェットが必須であり、同じく「ワンピース」的な人外のモノたちとの交流がベースにある。まさしく、現代日本アニメの総決算的なストーリではないか。
少なくとも著者が成長する過程で見聞きしたアニメ世界が、無意識にか意識的かはわからないが、強く反映されているのは確かだろう。他のライトノベルで長く巻数が伸びている著作も、同様な傾向にある。エンタテイメント作品の基礎教養としてアニメの理解は必須なのだ。一方、同じくアニメ的な要素として「キャプテン翼」に代表されるチーム力、仲間との結束のような要素は薄まっているようだ。これも少年ジャンプ的世界の影響力の弱まり(実際にジャンプの発行部数は減少し続けている)があるのかもしれない。ジャンプの中では勧善懲悪もさることながら、悪い奴が改心して仲間になるという構図がある。ところがラノベでは、これを突き放すように「悪い奴は最後まで悪くて、滅ぼされていなくなる」というパターンがめだつ。

この「おっさんシリーズ」でも侵略戦争を仕掛けた「人族」は「妖精族連合」に滅亡させられた。独善的な侵略と差別を行った「ハイエルフ」族も滅亡寸前まで処分された。確かに悪い奴らには容赦ないというスタンスが貫かれている。ではそれは救いがないかと言われれば、そうとは言えない。やはり悪い奴はバッサリ退治するという水戸黄門スタイルの方がスッキリ感がある。少年ジャンプ的悪いやつも更生さえすればいい奴になれるというのは、昭和の教育的欺瞞だったのだと今更ながら思う。言い換えれば、平成30年間かけて、ゆっくり勧善懲悪の落としどころの概念が変わったということだ。今の時代の正解とは「悪い奴は悪いからいなくなっちゃえ」ということだ。
同じように努力すれば最後に正義は勝つ、この概念も揺らいでいるように思える。昭和的勧善懲悪では、最後に正義が勝たなければいけなかったが、平成後の価値観は、正しくても弱い奴は負けちゃうよだ。努力しても勝てっこないこともあるよねと言って、退場していくプレイヤーもたくさん登場する。

この話の中でも、妖精族最強戦士の一人が戦争中に重傷を負い死にかかる。それを主人公が超絶的手段で救うのだが、傷が治っても戦士に戻ることはない。ワンピースであればありえない退場の仕方だろう。あるいは主人公に思いを寄せる妖精族の女王が、暴走して主人公にやり込められる。その後は登場にめっきりと制限を受ける。
この辺りが、平成時代のラノベの底流に流れる「新しい物語価値観」なのだなあと感じている。

もう一つの転生ものの話はまた別稿にて

旅をする

いけすのあるコンビニ

これがコンビニ?という驚異の店があるらしいと情報を得たのは去年の終わり頃だった。

青森県にあるオレンジハートというコンビニエンスストアの話だ。外見は普通のコンビニ、場所は青森市から車で1時間くらい走らせた場所にある。トラックなども走る幹線道路沿いのコンビニで、駐車場も広い。他のコンビニチェーンと違うのはポール看板がないことくらい。店名を「オレンジハート」という。ネットで見るとテレビなどでも取り上げられたことが多いようだ。では、なぜ田舎にあるコンビニがニュースネタになるのか。

答えは簡単で店内にいけすがある。ぶくぶくとポンプの泡が立ついけすに、カニやら貝やらが放し飼い?状態。もちろん売り物だ。しかし、こんな生き物(当然、調理可能、食用)を売っているのはなぜなのだろう?青森県のどこかの漁業協同組合直営店なのか?などと勘ぐりたくなるが、実はこのコンビニの最大の特徴は手作り弁当と惣菜なのだ。

訪れたのは朝10時と、昼のピークにはちょっと早い時間だったためか、商品の品揃えは欠品あり状態。それでも揚げ物は、ぼほほぼ完璧な品揃えだった。この惣菜を好きなように買っていくのは、おそらく近隣住民ではなく(山の中なので)、トラックドライバーやルートセールスマンの方達だろうと想像する。

揚げ物群には、当然のように青森津軽地方名物「イガメンチ」もあり、鳥の唐揚げよりこちらの方がよっぽどうまそうだ。g単位で計量し料金が発生する仕組みで好きなだけ買えば良い。レジの横の重量計で測るとイガメンチ二個でおおよそ80円。これが高いか安いかといえば、圧倒的に安い。大きさは、普通にあちこちにあるコンビニの鳥唐揚げの倍くらいの大きさだと思う。この二個で唐揚げ四個分程度だ。(L社の ○○あげくんとの比較で)
手作り感満載の不揃いな形がご愛嬌で。

カレーも量り売りなのだが、仕組みが面白い。
ルール1 まず入れ物にご飯を150g以上入れること
ルール2 そのあと好みのカレールーを好きなだけ入れる。

推測だが、カレールーだけ持っていく奴がいてそれだとコスト割れするのだね。そして、福神漬けもお好みで入れて、レジで計量すると、お値段が決まる仕組み。
ちなみに、このカレーは260円だった。ご飯は150g入れたので、お茶碗に一杯半程度。カレーとしては小盛り的な感じだろう。ビーフカレーが辛口で、好みの味だったのが印象的。イガメンチもうまかった。できればフライドチキンとか、焼きそばとかも食べてみたかった。

手作りのサンドイッチもラインアップが多いようだが、普段食べない海老カツを選択した。ポテトサラダとかカツとか卵とかの定番はもう少し安いようだ(この時点で並んでいなかった)

しかし、このいけすのカニはなんという種類なのか、そしてどうやって食べるのか、すベて謎だった。多分カレーの重量を計った重量計でカニも重さを測るのだろうな。
そして、コンビニのふりをしながら、この惣菜と弁当と生きた海産物以外は、今にも倒産しそうな閉店直前のコンビニ的な品揃えで、それにもかかわらず食材以外にも文房具とか石鹸とかスナック菓子とかが申し訳なさそうなぐらいで陳列されている。これはさすがに写真には取れないレベルだった。

関東圏で言えば、オリジン弁当がコンビニ始めました的な感じなのだが、それでもオリジンが生きたカニや貝を売るかというと、全くもって自信がない。
いやいや、青森すごすぎるでしょ

食べ物レポート

青森のうまいもの

駅前にうまいものありという嬉しい例外

青森駅前にある食べ物屋の塊、なぜか全国チェーン店が多いのだが、その中にある食堂が「おさない」という。一見すると飲み屋なのか、食堂なのか微妙な感じがあるが、これは食堂に限りなく近い飲み屋という定義が正しいようだ。入り口の黄色い看板は、あまり飲み屋の雰囲気を感じさせない。

この店は「ホタテ」を食べるために存在するホタテ好きには天国のような店だ。まず、何も考えずにホタテ刺しを頼むという客が大半であろうと思うが、あえてビシッと「ホタテフライ」を注文する。東京あたりのけち臭いホタテフライとは違う、これでもかという量でホタテフライ一人前が登場する。見た瞬間に生きている喜びを感じる。色が薄い衣は、ホタテのうまさを感じさせる。これがコロッケのような濃い茶色になっていると、なんとはなしに火が通り過ぎて固くなっているような気がしてしまう。
ナイフとフォークで食べるような気取りはいらない。まさしく、醤油ダボダボかけて箸でつまみアングリと食う。醤油で何個かやっつけた後、おもむろにソース味に変更する。間違ってもタルタルソースなどに気を取られてはいけない。
ホタテの甘みと柔らかさが決め手であり、衣がホタテの邪魔をしないことが重要だ。
絶品でというしかない。独り占めしたホタテフライに腹がみちるのが、至福と言える。残念だが、ホタテ刺しやホタテ焼きの余地は残っていない。

この店のもう一つの名物はりんご入り餃子だ。餃子とりんごとはなんという組み合わせかなどとと思ってはいけない。鴨のオレンジソースがけという料理もあるではないか、と力説したい。りんごのシャリっとした歯ざわりとそこはかとない甘みが、餃子の中で光る。これがアップルパイのりんごのように甘く煮溶けていると、また違う味になるのだろうが、半分火が通ったくらいのりんごが絶妙だ。

青森の郷土料理といえば、結構な種類があるがその中ではだいぶ地味な位置にある「ケノ汁」。要は野菜たっぷりめのスイトン汁だと言ってしまえば身もふたもないというものだが、そこに「縄文」の接頭語がつくだけで、何やらご馳走風な響きがする。しかし、どんぐり食べてお腹は大丈夫なのだろうか。

青森は日本酒も銘酒が多い。米どころというよりも冬の気温が日本酒に良いのだと思うが、その中でもお気に入りが弘前の「豊盃」だ。地元でも手に入りにくい酒で、蔵元に買いにいっても二本しか売ってもらえない。ただし、青森市内や弘前市内では、居酒屋に行けばまあまあ飲めることが多い。他の土地では、まずお目にかからない。仙台でもほぼ壊滅、東京に至っては大げさに言えば1000軒に一軒くらいしか置いていないのではというほどだ・・・。

表の看板やディスプレイを見るといささか不安に感じるかもしれないが、料理は実に高い品質で、おまけに質量共に揃った良質の食堂と言える。駅前にうまいものなしなどという言葉もあるが、青森に関してはそれがちょっと違うようだ。青森駅から徒歩2分くらい。隣にコンビニエンスストアもある繁華街の入り口付近。青森から帰る時にちょっとご飯をと思った時は、この店がお進め。

旅をする

新青森駅にて

新青森駅で降りたのは初めてだった。東北新幹線終着駅だった頃から何度か使っている新青森駅だが、いつも青森駅から在来線で乗り継いでいたので、新青森駅を外から眺めるのは初めての経験だった。駅前には何もない。レンタカーの営業所が立ち並ぶだけの広大な空間。駅ビルもない。なんとなく、さみしい感が漂う。
北海道まで新幹線が延伸したので、最終駅ではなくなったが、状況的には変わらないだろう。(函館北斗駅も似たようなものだ)

新青森駅

夏のねぶた祭りが終わったばかりのせいか、駅構内にねぶたのミニサイズが展示されていた。新幹線乗り継ぎ客は足を止めることなく通り過ぎているのが残念だ。個人的にねぶたは好きなので、しばらく眺めていた。乗り換え時間に余裕があってよかった。

五所川原

青森のねぶたは大きく分けて三種類ある。テレビでよくやっている踊り子が跳ね回っているねぶた祭りは青森市。五所川原市の立ちねぶたは高さが25mくらいの、ウルトラマンやゴジラ実物大みたいな巨大なねぶたが練り歩く。そして弘前市は扇絵のような上品な山車に乗ったねぷた。(ぶ、と濁らない ぷ だそうだ ネ・プ・タ)

弘前 ねぷた

青森のねぶたは祭り終了後、優秀作品が展示館に安置され展示されている。これは一度観に行くべき(SLの動態保存のような)、現物保存であり、展示館内の照明と合わせて何やら8月の夜を思い起こさせる。

青森 ねぶた

帰りがけに買った駅弁は、隣県秋田県の大館名物 とりめし。
実は弘前の駅弁が一番お気に入りなのだけれど、青森では売っていないのだよね。
根底にあるのは「青森VS弘前」の微妙な対抗意識だと思うのだが。

実はこの大館の鶏めしも秋田県内の比内地鶏弁当に押されているらしい。うーん、北東北もなかなか生存競争が大変だ。

書評・映像評

ハムナプトラ 三部作

もう20年も前の作品になるのか。原題はMummy 「ミイラ」

BDのパッケージ by amazon

https://www.amazon.co.jp/ハムナプトラ-失われた砂漠の都-Blu-ray-ブレンダン・フレイザー/dp/B006QJT0TG/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=ハムナプトラ&qid=1571541302&s=dvd&sr=1-2

ハムナプトラとインディー・ジョーンズ

随分前に見た記憶があったのだが、3部作の3作目を見ていなかったので、初めから見直してみた。
1作目のおまけのパートを見ていたら、これは昔作られた「ミイラ再生」のリメイクで、それもかなり前作に忠実に作っているらしいことがわかった。初めて見たときは、インディージョーンズと似ているなあと思っていたが、ちょっと経緯は違うことらしい。

調べてみるとインディージョーンズはこんな設定になっている。
『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年公開)  →1935年のお話
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年公開) →1936年のお話
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年公開) →1938年のお話
『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年公開) →1957年お話

ハムナプトラはインディージョーンズシリーズ3作公開後に作られているので、当然影響はあっただろう。
『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(1999年公開) →1923年のお話
『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』(2001年公開)→1933年のお話
『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』(2008年公開) →1946年のお話

逆に映画の中の世界はハムナプトラの1・2作目、インディーの3部作、ハムナプトラ3作目という時間の流れになっている。
日本で言えば大正の終わりから昭和20年くらいまでのお話(インディー4作目は昭和30年代)なので、蒸気機関車とせいぜい複葉機の飛行機しか登場しない。移動手段としては、馬とかラクダが活躍する時代というのは共通している。ボルトアクションのライフルと、刀を振り回すあたりはアメリカン冒険ムービーの伝統に則っているというべきだろう。お約束のラブロマンスも絡み、良質のファミリームービーだ。インディーシリーズがルーカスとスピルバーグというエンタテイメント制作の両巨頭が組んでいるが、ハムナプトラもそれに負けない力作だ。後発のハムナプトラ 側は当然意識はしただろう。ユニバーサル対パラマウントの対決でもあるのだね。

1993年公開のジュラシックパークでCGによる恐竜シーンが印象的だったが、2000年前後ではCGがふんだんに使われるようになり、あり得ない視点からの映像が当たり前になった。ハムナプトラの1作目は、その画期的なCG映像が魅力だった。ミイラもすごいが、復活した兵隊の戦闘シーンが印象的だったのだ。これはターミネーター・シリーズでも、CG進化により映像が格段に進歩したのと同様だ。ストーリは、ミイラが復活して悪いことをしようとするんで、主人公がやっつけましたとさ、めでたしめでたし、という分かりやすいもの。ストーリよりも新映像技術を見せつける映画だったような気がする。

2作目は、前作で封印された悪玉が、もう一つの悪玉を処理するために復活させられる。この悪玉1号は、実は時を超えて恋人を復活させて二人で幸せに生きていこうという健気な奴なのだが、それを邪魔する奴はみんな敵的なやり放題野郎なので、結果的に悪玉になってしまっている。そして、この2作目でも悲しいキャラとして扱われ、1000年越しの恋をまた成就できないまま、恋人に裏切られ絶望のあまり退場していく。設定的には絶対死ねないはずなので、また復活する目はあるのだが。
2作目最大のびっくりは、主人公の元気な妻が、なんと昔々は悪役の恋人と争っていた戦闘王女だったことで、前世の記憶がよみがると結構な使い手で、おまけに戦闘中はかなり汚い手も使うという悪女ぶり。アメリカ映画で、ターザンとジェーンのような関係はもう成立しないのだということがしみじみわかる。女性は庇護・保護する対象ではなく、自分の横で高い戦闘能力を示す(たまには自分より強い)キャラとして設定される。そう言えば、スターウォーズの最新三部作ではついに女性主人公がルーク・スカイウォーカーの後継者となり「最後のジェダイ騎士」になる時代なのだから。ターミネーターの強いおっかさんからジェダイの騎士まで、アメリカってこんなに変わってしまったのだ。

エンタテイメント・ファミリー映画における日米の違い

3作目は、お子ちゃまがすっかり大きくなって、インディアナ・ジョーンズとその親父みたいな関係なっている。これもアメリカ映画ではよくあるパターンで、息子が父を乗り越えてそれを認めさせるっていうのは、日本映画ではあまり見ない。やはり、結局、男と女の関係、親子の関係、つまりファミリーを描くというのがアメリカ映画の「語られることなのない」基本設定で、仕事の仲間とワイワイやりながらトラブル処理にあたるというのは(つまり家族関係が登場しない)日本的な「語られない」基本設定なのだろう。
典型的な怪獣映画のゴジラ作品群でも家族関係が登場することはない。新作になればなるほど家族関係は不在だ。ただし、もう一方の怪獣映画の代表作、つまりファミリー向け映画である平成ガメラでは、家族関係の葛藤が物語の背景として重要な位置を占める。3作目のイリスでは、家族を亡くした復讐に燃あがりガメラを恨むまま、イリスとなる少女が登場する。正義の味方のはずのガメラが、実はその戦闘行動中に、意識せず人を傷つけているという事態を曝け出したものだ。これはシュワルツェネッガーの「コラテラルダメージ」に通じる思想と言えるだろう。そして、家族の葛藤こそが物語の主軸になった「エヴァンゲリオン」では、主要キャラ全員がなんらかの家族関係トラブルを抱えているという欠陥人間ばかりだった。(イカリ指令の個人的願望のためみんなが犠牲になる話と捉えても良さそうだ。家族の復権ではなく私怨を晴らすため。)
平成後期になり、ようやく日本の映画、動画作品にアメリカ的要素が入ってきたが、それは肯定的とは言えない暗い情念みたいなものだ。どこまで日本の製作者は性格悪いのか根暗なのかと言いたくなる。
日米比較としてだが、アメリア的エンタテイメント映画作品は、いつでも明るい親子関係が主軸にある。親子なしの時は恋人関係が代用することもあるがシリーズ化すると、やはり親子関係に戻る。スターウォーズはエピソード1から6まで親子の話だった。最後の三部作では、取り残された子供(ハンソロとプリンセスの隠し子)が親を恨んでいる話が主軸になっている。おまけに爺さん(ダース・ベーダ)の怨念まだ絡むのだから、とんだ三代記で、この辺りはなんだか日本の人形浄瑠璃的なドロドロさだ。あれだけのエンタテイメント大作でも、親子関係がテーマかと問いただしたくもなる。日本の作品で言えば「男はつらいよ」の寅さん的な人間関係が一番近いだろう。スターウォーズと寅さんの近さというのは意外だが。

ハムナプトラ3作も家族関係を主軸という基本構造はスターウォーズと似ているが、どちらかというと明るい。おそらく主人公のオコーネルが、ハン・ソロに輪をかけたような能天気な性格だからだろう。ぜひハムナプトラ4で10年後の親子関係を見たいものだと思うが、どうやらパート4構想は止まってしまったらしい。残念なことだ。

でに古い映画になってしまったが、まとめてみると楽しいぞ

食べ物レポート

朝ラーメンという文化

これがラーメン屋なの?

日本は広いので、あちこちに朝ラー(朝からラーメン)という文化があることは知っていた。近くに魚河岸があるとか、卸市場があるとか、働く時間が午前の早い時間、日の出る前から働く人たちにとって朝は、ランチの時間帯だから、朝ラーが不思議ではない。それに便乗するおかしな一般人がいれば、まあ、朝からラーメンの需要があるだろう。それは理解できる。静岡県中部の都市では、市場の人間から一般人に広がった朝からラーメンを食すという文化が存在する。北九州でもラーメンではないが朝からガッツリうどんを食う文化がある。香川県では朝からうどんで昼もうどん派は、おそらくメジャー。多数派だろう。

そして青森で朝ラーなのだが、このラーメン屋に似つかわしくない外見の店で、朝の7時からラーメンを食べてみた。

青森では知らない人はいないであろう中華そば長尾の、どうやら業態拡張に失敗したらしい(失礼な発言だなあ、きっと)看板を「長尾」に架け替えていないお店に行った。朝早くなのでナビの指示通り車を走らせたが、何度通ってもラーメン屋らしき店が見つからない。3度ほど通り過ぎてしまったくらい、イタリアンな外見のレストランが朝ラーの店だった。

改めて駐車場に車を止めて看板を見ると、朝7時開店の中華そば屋だった。青森で主流と言われる「煮干しスープ」の店だ。同じ長尾中華そばでは、駅前店で食べた煮干しそばが衝撃的なうまさだった記憶がある。しかし、これが同じ店なのか?という疑問が朝の脳細胞を満たしていく。

店内はおしゃれなレストラン風で、薄暗い。食券で煮干しラーメンを購入するが、なんだか違和感がつきまとう。先客が一人いるが、当然ながら、朝の店内は沈黙が支配する「異形な空間」となっている。場違い感、違和感、ここはどこ?感が押し寄せる中、「煮干しラーメン」登場。この丼の日常感がよろしいよね。竜のマークのラーメン丼こそ意識を日常に引き戻す効果がある、絶大だ。

ラーメンは普通にうまい。一口目に煮干しのガツンとした味が来る。好みなのだ。朝からどぎついスープはやはり感覚的に辛い。さらさら(と感じられる)系の煮干しスープには、ほっとする。文句はないぞ、雰囲気以外は。

どうもホテルからの近さで選んだこの店が異空間であるようで、本店に行けばいかにもラーメン屋らしい佇まいらしい。それだけが心残りだが、朝ラーは朝そばよりも元気が欲しい時に向いているようだ。そして、立ち食いそば的なシンプルな空間で、ガシガシすするのが良さそうな気がする。

何事も経験してみなければ解らないという典型例だった。でも、朝ラーファンにはなれたように思う。
青森の長尾さん、首都圏に100店くらい出して欲しいぞ。

食べ物レポート

そばと蕎麦とソバ

無類の麺好きの自信はある。昼飯はほとんどが麺かヌードルだ。その中でも「日本そば」が好みであり、昼飯が、週3−4回は蕎麦でも文句がない。気温にかかわらず「冷たい蕎麦」を食べることが多いが、やはりもりそばを頼み蕎麦の具合を確かめつつ、つけツユの好み具合でその店の実力を判定するというのが、蕎麦の楽しみ方だと思う。
だから、立ち食い蕎麦屋でも評価の高い店はある。逆にやたら値段が高い格式のある蕎麦屋を嫌うこともある。

そばは貧乏人の贅沢か? 金持ちの趣味か? まずは立ち食い

仙台の「神田そば」は街中にある立ち食いの店だが、大体の時間は注文が入ってから茹でるので、のびた蕎麦を食べさせられる心配は少ない。好みからいえば蕎麦つゆが薄めなのだが、これは仙台のテイストなのではないかと思っている。他の蕎麦屋で食べても、やはり蕎麦つゆが弱めというか薄めの仕上がりだからだ。どこの蕎麦屋に行っても東京風の強烈なかつおだしと醤油の強さは感じられない。
仙台では蕎麦が美味いのだ。特に山形から仙台にかけては十割蕎麦の店が多いので、立ち食い蕎麦屋といっても蕎麦のレベルが高いということだろう。
神田そばのオススメは、実はげそ天だと思われる。山形でもイカ天は蕎麦屋の主力商品らしいが、多分、その影響だろう。もりそばに追加でげそ天を頼むと、何やら変形テンプラそば風で・・・。これはうまい。

高級蕎麦をありがたくいただく

仙台の山手の住宅地にあるこじんまりした蕎麦屋、まさしく隠れ家的なのだが、そこの蕎麦はいわゆる「手打ち高級」な雰囲気で、もりそばを一気にすすってしまうとちょっと惜しいような気がする。名物も変わっていて、豚の角煮。やっていない日もあり、もしやっていても売り切れ御免なので、幻のメニューのひとつかもしれない。
ラッキーにも角煮にありつき、そばと交互に食べてみると、いやいや、これは蕎麦より白飯の方がうまいのではないかと思いつつ、一人前を平らげた。テンプラ蕎麦よりもボリューム感がある。不思議だか蕎麦と角煮は絶好の組み合わせかもしれないと思い知らされた。

住宅地の普通の家にたまたま暖簾がかかっていたような雰囲気の店で、ここにたどり着くにはナビのお世話なしでは難しいような気がする。住宅地の中の道も狭くて曲がりくねっているし・・・。

三大焼きそばって

日本蕎麦ではなく、焼きそばも結構好きなので、思い立ち日本三大焼きそばの一つに挑戦してみた。「横手やきそば」にありつくには岩手県北上から西に秋田方向へ走り、秋田県横手市に出るコースが便利そうだった。これがまた日本の秘境ドライブコースに認定できそうな山道で、山を越えて平地に出たら横手だったという感じ。

蕎麦のルックスは、ご覧の通りシンプルの極みで、屋台の焼きそばに目玉焼きのせました、という代物だった。そして期待を込めて実食したが、あー、コレはダメなやつだ。期待値が高すぎたのもあるが、自分の好みではない。何とは無しに、大分県日田の焼きそばに似ていると勝手に思い込んでいたので、それが悪かったか。ソースは独自のものらしく、いわゆるソース焼きそばっぽくはない。

「食い道楽」は横手焼きそば選手権?で何度も一位を取っている名店とのこと、当日も満席で大変な人気ぶりだった。まあ、名物でも自分の好みに合わないということはよくあることで、うまいまずいとはあまり関係ない。大阪のお好み焼きと広島のお好み焼きのどっちがうまいか決めるようなものだ。うまいまずいより、好きか嫌いかということだろう。
たまには「想夫恋」の焼きそばがたべたいなと思う羽目になったが、それはそれでまた次回ということで。

この店には夜にきてみたいものだ

食べ物レポート

肉・ニク・にく食いたい

肉といえばハンバーグ?

サイゼリヤのランチハンバーグは、個人的な思い込みだが通常品よりちょっとサイズが小さいのではないかと疑っている。実際に比べてみたわけではないのであくまで疑いだ。しかし、オフの日にサイゼリヤで遅いランチ時間にグラスワインでハンバーグを食べるには程よい大きさだと思う。ランチセットにつくサラダとハンバーグでずいぶんと幸せな気分になる。つまらん居酒屋に行って、つまらんホッケ焼き(ホッケが嫌いなわけではないが、大方の居酒屋のホッケはまずい)で700円も払うより、よっぽどサイゼリヤのランチがマシだと思うのだ。トマトソースで食べるハンバーグは、なかなか蠱惑的だと思う。

サイゼリヤのランチハンバーグ

しかしだ、肉を肴に酒を飲もうと決めると、実はサイゼリヤは物足りない。まずいのではない。サイゼリヤのハンバーグは白飯と一緒に食べる食事の設計だ。当然、今の時代の子供+ファミリーに照準を合わせた設計だろう。それはそれで良い、間違っていない。ところが、こちらは酒をぐびっと飲みながら肉を食いたい気分だとすると、選ぶ店を変えた方が良い。
仙台駅近くにあるグリルボンテンは魚居酒屋が出した肉バルなので、濃い味付けと歯ごたえがある料理になっている。ハンバーグの設計が、ぐびぐびとホッピーあたりを飲みながら食べた時に万全となるように考えられている。
焼き鳥屋の軟骨入りつくねがハンバーグになったと思えば一番近いだろう。歯ごたえがあり肉自体にも味がついていて、それに強烈なソースがかかっている。お口直しは鉄板でアツアツになっているショートパスタ。いい仕事してますねというところだ。

グリルボンテンのハンバーグ

サイゼリヤで異色なサイドアイテムは辛いチキン。手羽元、手羽中を辛いソース付きの衣で揚げたもの。提供時はオーブンで加熱している。これって、食事のサイドアイテムとは言えない。飲み屋の一品であり、パスタ注文して追加でチキンという設定ではない。イカの輪切りのドレッシングかけも、異色なサイドアイテムだから、サイゼリヤでちょい飲みという客にはそれなりに支持されているのだろう。(個人的には好きなチキンですよ、ファミリー向けチキンとはマックのナゲットのことだと思う)

サイゼリヤの辛いチキン

仙台駅の3階にある牛タン利久の姉妹店、ロッケンキッチンでは、当然ながら牛タン焼きが提供されるのだけれど、付け合わせがキャベツの浅漬けではなくクレソン入り生野菜になるあたりが微妙なこだわり。牛タンのカットも利久とは違うが、これは洋風バージョンということだろうか。意外とワインよりも日本酒の辛口を冷たいやつでという合わせ方が良さそうだ。
これはオリーブオイルをひと回しするともっと味が引き立ちそう。

仙台駅 ロッケンキッチンの牛タン

仙台駅近くの居酒屋スポットにある超絶に混み合っているもつ焼き屋丸昌だが、この店の混雑の原因はやはり安いということに尽きるのだろう。接客レベルはお世辞にも良いとは言えない、常連相手の最小限サービス的なところがある。もつ焼きのレベルは極めて標準的で、不味くもないし、うまくもないし、でも文句はないなというところ。一本でも頼めるのが、お安い店としては良心的。意外と女性の一人飲みが多いので、常連客のおっちゃん達はお行儀が良いのだろう。色々な肉を食べたければもつ焼き屋は便利だ。

丸昌のお通しキャベツ

いささか気になるのは来年以降、喫煙はどうなるのかだ。タバコの煙より串焼きの煙の方が体に悪そうな気もするし、おっちゃん達は喫煙デフォルト状態だったし・・。お通しのキャベツにもつ焼きとタバコOKという、最強おっちゃん支援組織は令和の時代に生き抜くことはできるのだろうか。

世界のうまいものは、その半分くらいは肉だと思うぞ